人と絆を持った動物<愛>

人と絆を持った動物<愛>

一緒に暮らした飼い主さんと動物、犬、猫おそらく他の動物にも見られる事だと思います。
私がおさない頃から共に暮らし亡くした犬は何数頭もありますが、犬と暮らす事に責任を持って初めて暮らした犬であるトレーシーという最愛の犬がいました。
この子はLIVING WITH DOGS の看板犬として私たち夫婦の道しるべを果たしてくれた功労犬でした。
私が病に倒れたとき、トレーシーが毎晩夢に現れ、トレーシーが心配してくれていることを感じました。

人とかけがえのない絆を持った犬や猫さん達が、私たち人の為にどれだけ心を癒してくれているのかと、改めて感謝しているのですが、ドイツの小野さんから小野さんのお母様の逝去にまつわる、愛猫の最後のお知らせが届きました。(2009/3/26)(LIVING WITH DOGS)


 母の愛した猫「パンダ」が昨日、亡くなりました。

それも、信じられないような経過をたどって。

母の四十九日目、自宅の仏壇に置いてあった母の遺骨が納骨されました。同日の夕方、友人の一人が後片付けのために家に入って愛猫パンダの変化に気づいたのです。母の亡き後、パンダはひとりで家を守っていましたが、4人の友人たちが交代でパンダの世話をしに家を訪れてくれていました。その日、「パンダの様子が変だ」とドイツにいる私に知らせがありました。

半年ほど前からパンダは痩せ始めていたのですが、高齢なので、覚悟はしていました。家の中で飼い始めたのは6年前からですが、野良猫として家に来るようになり、母がパンダと名付けて10年以上たっています。そして、朴先生からは「歯の状態から見ると、少なくとも14、5歳ですね」と言われたばかりでした。しかも猫エイズのキャリアーでした。家の中で飼う前はオス同士のけんかで、よくけがをしていたので、そのとき感染したのではないかと思います。
翌日から、3人の友人たちと従姉が交代でパンダを看病しに来てくれるようになりました。トイレにはよろよろして行くことができたけれど、餌を全く食べず、水は手から少しだけ。日に日に弱っていき、母の四十九日から七日目(22日)には、立ち上がることもできなくなっていましたが、呼びかけには「ニャー」と返事をするか、尻尾を振って応えてくれたそうです。私が電話口で、「パンダ!」と呼びかけると、頭を動かしたそうです。私は母に「パンダが苦しまないよう、早く迎えに来てください」と祈っていましたが、パンダは23日に逝くはずだという確信がありました。なぜならその日は母の誕生日だからです。
3月22日、友人が夜中までパンダを撫でていてくれました。ついに23日の午前1時半になってしまいました。パンダはもう返事もせず、眠ったままでした。お迎えはそこまで来ているはずなのに、パンダはまだ息をしていました。友人は、「もしかしたら私がいるせいで、お母さんがなかなかパンダを迎えに来ることができないのでは」と思って、パンダをひとりにすることにしました。実際、その直後に母が迎えに来たものと思われます。
3月23日、母の誕生日。パンダは見事に自分の役割を終え、母は自分の誕生日にパンダを迎えたのでした。庭は木蓮、椿、桜が満開でした。パンダの遺体は庭に咲いていた花で飾られ、火葬されました。お坊さんがパンダの話を聞いて、感心していたそうです。そして、心を込めてお経をあげてくださり、参列した友人たちと従姉はあらためてパンダのすばらしさに感動したそうです。
四十九日の納骨が終わった日から餌を食べなくなったこと。
母の誕生日に逝ったこと。
これを単なる偶然と見なすこともできます。しかし、母とパンダに関わった人たちはこれを偶然とは思えないと言います。もちろん私も、偶然だと思っていません。そもそもこの世には偶然などない、と信じています。一匹の猫がこうして私たちに愛の力のなせる業を見せてくれたのです。(2009/3/26)

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