小林信美の英国情報 (2)2004年クラフト展のBIS(ベスト・イン・ショー)審査員辞任劇の謎

 (2) 2004年クラフト展のBIS(ベスト・イン・ショー)審査員辞任劇の謎

今年も例年通りクラフト展がオープンした。振り返ってみれば、つい1ヶ月ほど前まで、同展のBIS(ベスト・イン・ショー)審査員として予定されたミセス・ジョイス・マン(Joyce Mann)の辞任劇で舞台裏が非常にごたごたしていたショードッグ界。これで、暗い過去を忘れて一件落着ということか。

それにしても、数週間前までは、1月下旬に発表された夫人の辞任に伴い、ミセス・マンの夫のミスター・ピーター・マン(Peter Mann)も英ケンネルクラブの財政総務理事、さらにクラフト展委員会会長の役職から辞任するということで事態はさらに深刻なものとなり、業界は不協和音に悩まされていたのだから不思議なものだ。これほど反響が大きくなったこの辞任劇、その原因はスキャンダルがらみらしいということは業界誌によって明らかにされているものの、その後のフォローアップはなく、どうやら真実は闇に葬り去られることになりそうだ。イギリス人は、往々にして過去に起こったことには拘らない方だとは言え、これほど業界を騒がせたスキャンダルを1ヶ月で迷宮入り扱いしてしまうとは、どういうことなのだろうか。

ショードッグ専門誌、英アワ・ドッグス(Our Dogs)によれば、1月初旬、無記名の手紙が英ケンネル・クラブや英米の大手マスコミに送付され、ミセス・マン所有のクレイグバンク犬舎(Craigbank Kennel)が1960年〜70年代にかけて「膨大」な数の子犬を繁殖していたことが明らかにされた。それに絡み、ミセス・マンは無言電話や中傷などにも遭い、それにより生じた精神的苦痛などが今回の辞任の原因とされている。

手紙には1971年の英ケンネル・クラブの繁殖記録のコピーも同封されており、同犬舎がその年に23腹、126頭のヨークシャー・テリアの子犬を繁殖していたことを明確にしたうえ(ライバル誌ドッグ・ワールド−Dog world−によれば、37腹、144頭)、「これで、(ミセス・マンが)ショー・リングで活躍できる犬だけを繁殖していたのではないことは明らか(いうならば、営利目的であったということ)」と厳しいコメントも加えられている。

ミセス・マンは、1960年〜70年代にかけて、イギリスのブリーダーの殆どが、同様のポリシーを持ち、頻繁に繁殖を重ねていたと弁明しているが、これは、ドッグ・ワールドでもコメントしている通り、業界では周知の事実である。動物愛護先進国イギリスでも、このような暗い過去があったということだ。問題は、何故、30年以上前に起こったことをミセス・マンがBIS審査員として活躍することになっていた今年のクラフト展開催、数週間前に公表する必要があったかということだ。

ドッグ・ワールドの編集部は、ミセス・マンがクラフト展BIS審査員に選ばれるほどの地位を確立する過程で、どこかで敵を作っていたことは確かだとしているが、その論調から同誌が真相を深く掘り下げる意志のないことは明らかである。さらに、この件に関し、独自にコンタクトした関係者筋も貝のように口を硬く閉ざしたままでいることから、ミセス・マンがここまで憎まれるに至った原因を知っているのは、前述の無記名の手紙の差出人と当事者のミセス・マンのみだけではないことを示唆している。

(2004/03/07)

(ライター・小林信美 Ext_link Matilda the little Staffie!)

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