小林信美の英国情報 (4)英国の問題犬を扱うトレーナー

 (4) 英国の問題犬を扱うトレーナー

「子犬が室内で糞尿をした場合は、鼻面を糞尿にすりつける。」「悪いことをしたら、鞭で打つ、または鼻面を指ではじく」今聞いたら、ぞっとするような野蛮な方法が一般的な犬のしつけ方としてまかり通っていたのは、それほど昔のことではない。

しかし、最近のペットブームの影響で犬のしつけに関心を持つ人が増えたためか、日本にも「おやつ」を使ってよいことをしたらほめる、いわゆる「犬にやさしい」トレーニング方式が著名な欧米のトレーナーと共に上陸した。

この「犬にやさしい」方式は、もちろん、犬が不快な体験をせずにしつけができるので、飼い主に対する不信感、恐怖心を抱かせることなく、それゆえ犬にとっても飼い主にとってもすばらしい方法である。さらに「おすわり」や「伏せ」など、飼い主の要求通りのことをすれば、ごほうびがもらえるから、何度も繰り返すうちに犬は「おやつをもらえる行動」を学ぶという行動心理学の基本的コンセプトを利用した科学的な方法ともいえる。

そういうわけだから成功率も高く、悪い癖のまだついていない子犬に基本的なしつけをするのには最適であるというわけだ。

著名な欧米のドッグトレーナーの多くは、子犬のしつけに非常に熱心なことは、ここでわざわざ言及するまでもない。まず、第一に子犬のしつけは簡単に効果があがり、少しシニカルな見方をすると、間違いが起こりにくいことから、トレーナーとしての評判に傷をつけることがないという利点もある。さらに、こうして子犬の訓練を奨励することで、将来、成犬になってから問題行動を起こす犬を少しずつ減らしていくことに貢献していることにもなる。しかし、これらのトレーナーが表立って公開していないことに「原則的に問題行動を持つ犬は扱わない」という項目があるのは、あまり知られていない事実である。少なくとも、ここイギリスでは、問題犬を扱うトレーナーというのは、数えるほどしかいない。

イギリスの北ロンドンでしつけ教室を開催する、この道30年になるベテラン・ドッグ・トレーナーのジョン・アンクル氏は、イギリス国内でも問題犬を扱うことのできる数少ないトレーナーのひとりである。アンクル氏は、他の著名ドッグトレーナーから見放された「猛犬」や「問題犬」を過去に何百頭も扱い、有名人のクライエントも多く持つ、知る人ぞ知る優秀なトレーナーである。実はかくいう私も、アンクル氏には、訓練が難しいといわれる我が家の愛犬のスタッフォードシャー・ブルテリアのしつけで大変にお世話になってきた。ちなみに、この犬種について知識のない方のために説明すると、この犬は、もともとは闘犬でシンガポールやドイツの一部地域等では飼育自体を禁止されている、いうなれば「危険な犬種」のひとつにあげられる。小柄な私が何故、そんな危険な犬種に魅かれるようになったのかについては、また別の機会にお話しすることにして、ともかく、ここで強調したいのは、我が家の愛犬の社交性とお行儀のよさは、アンクル氏に負うところが非常に大きいということだ。

さて、それほど優れたトレーナーであるにもかかわらず、アンクル氏の存在を知るのは口コミで情報を得た、ごく一部の人に限られている。これは、彼が「犬の幸福のために(in the dog’s interest-直訳すると『犬の利益のため』にとなる)」ということをモットーにしており、宣伝・広告等に無駄な労力を使わない主義でいるからということもあるが、それよりもアンクル氏がいかなる愛犬家団体(レスキュー団体も含む)にも所属していないことが大きな要因となっていることは間違いない。とはいえ、これらの団体の多くは「扱いにくい」といわれる犬や「お払い箱」寸前となった犬の飼い主にアンクル氏を紹介しているのだ。しかし、これは全く非公式な活動であり、こうした団体は、アンクル氏の名前を何があっても公表することはない。というのも、アンクル氏がイギリスで一般的に「残酷」な方法とみなされるトレーニング方式を問題行動のある犬のしつけに用いるからというのが、同団体の言い分である。そして、「犬にやさしい」トレーニング方式を奨励するこれらの団体は、たてまえ上アンクル氏との関係を表ざたにしたくないのである。

さて、ここでいう「残酷な方法」といわれるものに日本でもおなじみのピンチカラー(pinch collar: 日本ではスパイクカラーといわれているよう)がある。いわゆるスパイクのようなチェーンで、一見、残酷な虐待の用具のように見えるが、使い方をよく理解して使えば、残酷どころか、犬の生命を救う道具にもなるのである。その原理を簡単に説明してみると、同カラーをつけた犬がリードを引っ張ると、リンク同士が引き寄せられ、その間に皮膚がはさまれるので、一度、リードを引っ張ってこの「ピンチ(pinch:つねる、つまむ、挟むの意)」を経験した犬はたいていの場合、二度と同じ間違いを起こさないというわけだ。そして、これがそのカラーの名前の由来であることは説明するまでもない。もちろん、犬が引っ張りさえしなければ首をピンチされることがないので、チョークチェーンよりも「犬にやさしい」訓練用具であるともいえる。現にアンクル氏もピンチカラーを飼い主に渡す際「家に帰って犬の首に傷がついていたら、1000ポンドの弁償金を支払いますよ」と冗談交じりに言うほどである。それほどピンチカラーの安全性を信頼しているアンクル氏ではあるが、この方法は、他のどの方法を用いても効果のなかった犬にだけしか使わないことにしており、どの飼い主にでも無差別に使用を勧めるわけではない。それでも、アンクル氏の扱う問題犬の多くは、ピンチカラーのお世話になることが多い。いうまでもないが、問題犬の多くは、きちんとしつけられていない場合が多いので、これは仕方のないことかもしれない。

さて、ここで、アンクル氏の扱う実際のケースについてご紹介してみたい。私が取材に訪れた日に訓練を受けていたのは、去勢済みの3歳の雄のホワイト・ジャーマン・シェパードのキャスパー。彼は、レスキューされてから1年弱経っていたが、引っ張り癖があり、突然、他の犬に飛びかかって行ったり、吠えかかって行ったりすることがあるというのが、飼い主のデール・メサー氏の大きな悩みの種だった。「一度、落ち着くといい子なんですけどねぇ」といかにも残念そうな表情を見せるメサー氏は、アンクル氏を訪れる前に「元軍人のドッグトレーナー」に指示をあおいだが、全く効果はなかったと肩を落す。しばらくキャスパーの日常行動について質疑応答が繰り返された後、ピンチカラーの登場だ。引っ張り癖のあるキャスパーは、すでに引っ張り防止用の口輪(ジェントルリーダー)を着用しているが、全く効果がないという。ピンチカラーをつけるため、口輪を取り除くと、何と、口輪がマズルに食い込んだ部分が赤く腫れていることがわかった。アンクル氏はすかさず「『犬にやさしい』といわれている器具でも使い方を誤るとこの通り。非常に残酷な器具と化すのです」と飼い主に忠告する。

ピンチカラーを着用したキャスパーは、いつも通り突進しようとしてリードを一度、強く引っ張ってから、考えを改めたようで、即、おとなしくなった。ピンチがかかったのだ。その後は、リードを引っ張ることなく、まわりにいる犬に対しても非常に落ち着いた様子を見せ、飛びかかろうとしなくなった。「飛びかかろうとして行ったら、即、相手の犬から離れ、反対の方向に向かうこと」というのがアンクル氏の忠告だ。それでも一度だけ、別の雄犬に飛びかかろうとしたが、アンクル氏にチェックを入れられて、即、断念。飼い主のメサー氏は「こんなにお行儀のよいキャスパーは見たことがない」とその効果の早さに感嘆の声をあげていた。そして、このキャスパー、過去1年以上、訓練のしようのない犬というレッテルを貼られていたのだから驚くべきことである。

今回のキャスパーの例は、生死にかかわるほどの深刻な問題ではなかったが、アンクル氏は、「安楽死」寸前の犬も多く扱ってきたというのは、前述の通りだ。以前、某レスキュー団体でそういったケースに直面した際「ピンチカラーは残酷だという一般的なイメージがあり、それをあえて使うことはできない」という理由で、ある犬の命を救うことができなかったという苦い経験から、アンクル氏はこうした団体の偽善的な態度に非常に否定的な見方をする。「私には、自分が正しいことをしているという自信があります。なんと言っても、犬の命を救う手助けをしているのです。私が彼らを助けなければ、ほとんどの犬は処分されることとなるでしょうから」とアンクル氏は深くため息をつく。そして、実際には、アンクル氏のトレーニング方法を残酷だと批判するような人たちのせいで、多くの犬が命を落したり、一生をケージに閉じ込められっぱなしで過ごさなければならなくなるのだということは説明するまでもないことである。

アンクル氏によれば、動物愛護先進国といわれる、このイギリスでも、毎年、3〜5万頭の犬が処分されているという。「おやつを使った『犬にやさしい』トレーニング方法以外の方法が使えれば、これほど多くの犬が死ななくてもすむはずなのに」とアンクル氏は怒りを隠せない。「ピンチカラーを利用した訓練と安楽死。どちらが残酷なのか判らない人がいらしたら教えてください。」
(2004/06/13)

(ライター・小林信美 Ext_link Matilda the little Staffie!)

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