動物たちへの鎮魂歌

動物たちへの鎮魂歌

犬の亡骸が入った紙袋… この写真展は、そこから始まった。


1997年の春のことです。会社近くの線路脇に、水色のゴミ袋が捨ててありました。近づいてみると、袋の外側に、「犬(死)と書いた紙が貼ってありました。中には赤い首輪をした白い犬が入っていました…。淀川の河川敷にお墓を作りました。そして、その日から、私に出来ることについて考え始めました。(写真家 児玉小枝氏の文章から)

写真展「どうぶつたちへのレクイエム」
は日本各地で今後も開催したいとのことです。ギャラリー、公共施設、学校、動物病院、ペットショップ、保健所、駅、喫茶店など展示スペースにお心あたりのある方は、ご一報いただきたいとのことです。(お問い合わせ 06-6886-3959)

犬捨て総論

最初は自分の犬のことしか考えてなかった。野良犬が殺処分されようが、まちを徘徊して迷惑であろうが僕には関係のないことだった。自分と自分が飼う犬さえ幸せを感じればそれでよかった。

そんな平和な日々が過ぎていっていたある日、僕の飼っていた犬は病気になった。医者へつれていくと急性の腎不全。どうやら農薬何かを散布した草を食べたのが原因らしかった。
体の毒素が体外に排出されずに犬はみるみるやつれていった。目がみえなくなり、毎日発作を起こした。症状を緩和する注射は毎日打たねばならず、看病で仕事まままならない中、お金は底をついた。

もうこれ以上は無理だと弱音がではじねた頃、犬はそれを悟ったかのように死んでいった。

平和が崩れると人は不幸に目がいくようになるのか、いろんな話を聞くようになる。河川敷に誰かが毒入りのソーセージを撒いた話。犬があまりに鳴くので声帯を手術でとった飼い主の話。夏の炎天下で陰に行くこともできないほどの短い鎖でつながれた犬。どの犬も自分の犬と置き換えて見てしまう自分がいた。

そして、阪神淡路大震災があってから何週間かたったある日、河川敷のトイレで震える2匹の犬を見た。震災にあった犬だと直感的に思った。よく手入れされていた毛並みの面影があった。首輪も値段の高いものをしていた。おそらく犬を飼える生活の基盤を失った飼い主がどうしようもなく捨てたのだろう。誰かに拾われることをかすかな言い訳に泣きながら犬を置いていったのだろう。

その震える犬を見たとき、理由をつけようのない怒りがこみ上げた。その怒りの矛先は、犬を捨てた飼い主にではなく、犬とすら共生できない人の社会への憤りであり、何も知らずに平和に甘んじていた自分への憤りでもあり、何もできないことへの憤りでもあり、そして多くの犠牲の上に成り立つ人の社会の危うさを憂う憤りでもあった。

殺処分される犬の表情をとらえた写真展のことを知ったのは、テレビのニュースだった。アナウンサーが言った何気ない言葉が妙に引っかかった。「かわいそうな犬たちを…」「ペットブームの陰で…」「最後まで責任をもって…」。

そんな常識的な言葉が鼻についた。

多くの常識的な言葉が氾濫する中で、解決不可能な問題が山積しているこのくにで僕は今まで平和に暮らしている。もちろん「環境は大切にしなければならない」ことも知っているし、「ゴミのポイ捨てが悪いこと」もしっている。「犬を最後まで責任を持って飼う」ことも知っているし、「近所に迷惑をかけてはいけない」ことも知っている。が、それが何を変えたというのだろう。

今まで僕はそんな常識的な言葉を使うことで自分が社会の一員であるパスポートを手に入れた気分であらゆる不幸に対して無頓着であり続けようとしたのではないだろうか? そんなことを考え想った。

この写真展(KRDC(注)主催)は、当初は駅前の書店あたりでとにかくヒトの目が多いところでやろうと思ってた。犬を飼ってる人も飼ってない人も、たまたま本を買いにきて「かわいい犬の写真だー」と見てたら、小さく「殺処分られる…」と説明が書いてある…そういうインパクトを狙いたかった。
しかし、それでは常識的なこと、つまりマナーやモラルを守りましょうで終わってしまうのではないかと思った。

そんな人の言い訳めいた感想で終わらせるでは「鎮魂歌」にはならない。

誰かを悪人にすることで問題を解決したと思い込む今の社会で、ともすれば行政批判になりがちなことを行政協賛でやることになったのは、そこに意味を見出してもらいたいからである。誰かをやり玉にあげるのではなく、この現実を認識しなければならないと思うのだ。

僕達は誰も責められない。

犬の殺処分する仕事を受けてしまった人も、犬を捨ててしまう人も、また野良犬にエサを与える人も、誰も悪人ではないはずだ。(2000/04/04)(兵庫県・K.Nさん)

(2000/04/04) (注) Ext_link DOG FREAKS

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ