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 »  延命か安楽死か LWD 2005-6-12 23:25
      Re: 延命か安楽死か MaxHolly 2005-6-15 14:55
        Re: 延命か安楽死か あんこ 2005-6-15 18:24
      Re: 延命か安楽死か sarubia 2005-11-4 15:37
      Re: 最愛の犬だからこその選択。 Yamauchi 2005-11-24 11:52
        Re: 最愛の犬だからこその選択。 tankichi 2005-12-5 21:28
          Re: 最愛の犬だからこその選択。 MaxHolly 2005-12-6 15:05
            Re: 最愛の犬だからこその選択。 tankichi 2005-12-7 21:09
      Re: 延命か安楽死か らっか 2007-1-8 1:55
        Re: 延命か安楽死か toriyama 2007-1-8 23:08
        初めて犬の安楽死を考えました じゅんきん 2008-7-28 21:57
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じゅんきん
投稿日時: 2008-7-28 21:57
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登録日: 2008-7-28
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投稿: 1
初めて犬の安楽死を考えました
我が家のミックス犬、きん太の腫瘍がわかったのは、今年に入ってからでした。一昨年から時々鼻血を出していましたが、粘膜の弱い犬もいるからと言われ、別段、気にしていませんでした。しかし、昨年から頻繁に鼻血を出すようになり、段々と心配になっていましたが、経済的理由から、病院へ連れて行くことが出来ませんでした。しかし、今年に入り、やはり心配になり、実家からお金を借りて病院に行った所、どうも、鼻の中に腫瘍があるようだと言われました。しかし、すでに心臓も弱りかけていたため、麻酔を十分しての検査が難しく、詳しくはわかりませんでした。しかし、それからというもの、アッという間に体重が4kgも減り、鼻の腫瘍は外からもわかるようになっていきました。
もっと早く病院で検査をしていれば、こんなことにはならなかったのに。悔やんでも悔やみきれません。
現在もきん太は頑張って、病気と闘っていてくれていますが、段々病状は悪化するばかりです。現在、腫瘍は鼻から始まり、脳障害を起こさせ、あんなに穏やかで人を噛む事などしなった子が噛み付くようになりました。右足の麻痺も始まりました。
きん太の苦しそうな息遣いを聞くたび、また、腫瘍のため、口から大量の出血があるたび、目の前にあるものに無意識に噛み付くたび(私自身のかなり噛まれ、病院通いの日々です)、痙攣発作を起こし倒れるたび、「安楽死」という言葉が頭を過ぎります。でも、きん太はふらふらになりながらも自分の足で立とうとしている姿を見ると必死で生きようとしていると思い、応援してあげたいと思い、でも、楽にしてあげたいとも思い、毎日、毎時心の葛藤があります。
どうして楽に死ぬことができないのでしょうか?
神様、どうか最後は安らかに眠らせてあげて欲しいと願う今日この頃です。
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toriyama
投稿日時: 2007-1-8 23:08
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登録日: 2006-12-11
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投稿: 2
Re: 延命か安楽死か
こんにちは、コタロー君とても頑張ったんですね。私の愛犬も去年の3月癌で亡くなりました、1月下旬にお腹のしこりがわかり、2月に入ってすぐ手術をし、二週間程は元気でしたが、3月に入りなくなりました、大型犬で寝たきりなつたら、世話も大変で癌の痛みがひどくどうすることも出来ない時は、どうしますか?と獣医さんに説明されました。このまま最後まで世話をするのか、安楽死をするのか決めるのは飼い主である私と主人、納得行くまで相談し最後まで世話をする事に決めました。
亡くなる前まで外で排尿をし、吐く事もなく、部屋一つ汚さず去っていきました。
苦しむ姿は見たくありませんでしたが、最後まで世話が出来て良かったと思います。もの言わぬ愛犬ですが、目の動き一つで何を言っているのかわかりますよね。
辛いときもありましたが、安楽死をしなくて良かったと思いました。命の長さは、私達人間にははかり知れないものがあると思いました。
最近娘の夢になくなった愛犬が出てくるそうです、夢の中で一緒に散歩をしているそうです。その話を聞いた時、これで良かったんだと思いました。
つらい愛犬の死を迎える時、自分の支えになってくれる周囲の人達の理解と手助けとか必要なんでしょうね、
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らっか
投稿日時: 2007-1-8 1:55
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登録日: 2007-1-5
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投稿: 3
Re: 延命か安楽死か
一昨年、14年一緒に暮らした愛犬コタローを肝臓の腫瘍疾患で亡くしました。最後は獣医さんに「もうしてやれることは安楽死だけ。今の状態で生かしておくのは、飼い主のエゴ」と言われましたが、最期まで安楽死は選べませんでした。それがコタローにとって、本当によかったのかどうか、今でもわかりません。

コタローの食欲が落ち、下痢が続くようになったのは13才の夏を迎える前でした。それまでとても元気で食いしん坊な子だったのですぐにかかりつけのA病院へ行きましたが、「年のせいもあって、暑さがこたえるんでしょう」という診断でした。しかし、その後も食欲が戻らず少しずつ体重も減り始めました。検査もしましたが、「異常はみつからない」とのこと。下痢をするのは食べ物のアレルギーかもしれないと言われ、食餌も変えましたが、よくなりません。

少しずつ体力がなくなっていくのを心配しながら半年が過ぎ、たまりかねて知り合いの紹介で別のB獣医さんに診てもらったところ、触診で「お腹の中に何かできている」と言われました。そこは個人病院で検査の設備がないということで再びA病院でレントゲン検査の結果、「肝臓が肥大している」ことがわかりました。その段階で「お腹を開けてみる」ことを勧められましたが、年もとっているし体力も落ちていたので、とにかく手術する前にもっと詳しく検査してほしいと頼み込み、エコーと細胞診を受けました。その結果は「1.リンパ腫は範囲内では見つからない。2.腫瘍性疾患である。内分泌系腫瘍が疑われる。」というものでした。A病院ではやはり手術で開腹し、組織を採取しなければ治療方針が定まらない、「手術をしてそのままだめになるという可能性もあるが、このまま弱っていくよりもいいのではないか」とも言われました。でも、すでに体力もなく、足どりもおぼつかない状態で、すれば治るというわけではない手術に踏み切る決断ができませんでした。

結局、異常を見つけてくださったB獣医さんで「一日でも長くお散歩できるように見守って行きましょう。」と言われてお世話になることにしました。それから半年、コタローはよくがんばりました。最期の二か月はだんだんお腹がふくらんで歩けなくなってもお散歩へ行きたがるので、台車に座布団を敷いて行きました。獣医さんからはステロイド剤と痛み止めだけを処方されていました。「肝臓は比較的痛みが少ないから」と言われましたが、お腹が腫れあがり、寝たきりになって辛くなかったはずはありません。でも、一度も声を上げて鳴くこともなく、最期までご飯も自分で食べようとしていました。腫瘍でリンパが圧迫されて後足からリンパ液が染み出し、先生に相談に行ったところ、はじめに記したように安楽死を勧められました。辛い辛い毎日でしたが、コタローの澄んだ目には最期まで「生きる」意志がありました。それを見て、「可哀そうでこれ以上見ていられないからと安楽死を選ぶことはできない。最期までがんばる姿を見とどける」と決めました。2005年6月20日の早朝、コタローは私の腕の中で息を引き取りました。

もっと早く病気を見つけてやれなかった後悔とともに、手術を受けなかったこと、安楽死を選ばなかったことが本当に正しい選択だったのかという自問自答を今も心の中で繰り返しています。いつか、虹の橋のたもとでもう一度会えたなら、コタローに聞いてみたいと思っています。当時のことを思い出すのが辛く封印していましたが、ここで初めて詳しく書きました。
安楽死の問題だけではなく、このような場合の病院の対応についてもお話したいと思ったからです。
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tankichi
投稿日時: 2005-12-7 21:09
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登録日: 2005-12-5
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投稿: 2
Re: 最愛の犬だからこその選択。
MaxHollyさん
有り難うございます。
「老犬台帳」にメールしました。
今年も彼の大好きな雪のシーズンになりました。
八甲田山の雪原を歩くのが冬の楽しみでした。
ウサギ、狸、狐の足跡を追いかけて、半日近くのハイキングです。
今年は寂しい冬になりました。

挿絵は彼の元気だった頃に妻が描いた物です。
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MaxHolly
投稿日時: 2005-12-6 15:05
Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
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投稿: 198
Re: 最愛の犬だからこその選択。
Tankichiさん、
本当に辛い思い出でしょうに、ゴロー君の最期の様子をお話ししてくださってありがとうございました。発作が始まってからの15日間、さぞかし心を痛められたことでしょう。
老いは、怪我や病気と違い回復することはないのですが、それがいつまで続くのか、どのような過程をたどって死に至るのか、正直言ってとても知りたいことでした。
うちのマックスも2月で14歳になります。病気一つせずにここまで来てくれたので、おそらく痴呆になると思います。今からそう遠くはないその時のことを考えると、言いようのない不安に襲われます。でも自然死にしろ安楽死にしろ、愛する家族を失う悲しみに変わりありません。
Tankichiさんが書かれていたように、安らかな寝顔のゴロー君を火葬に出され時の気持ち、もうこれでこの子を見るのも最後と思うと胸が引き裂かれる思い、私にもロクシーを見送った時の経験からとてもよくわかります。
私は虹の橋を信じています。ゴロー君も一足先に逝ったロクシーやほかのわんちゃんたちと一緒に楽しく過ごしていますよ、きっと。
もしまだでしたら下記のリンクからゴロー君を老犬台帳に登録してあげてください。うちのロクシーを他の大勢の老犬たちと一緒に名前を連ねていただいて何だか少し気持ちが楽になりました。ゴロー君の冥福をお祈りしています。
http://www.tcp-ip.or.jp/~inaba/index.html
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tankichi
投稿日時: 2005-12-5 21:28
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登録日: 2005-12-5
居住地: 青森県
投稿: 2
Re: 最愛の犬だからこその選択。
7月31日、彼を火葬しました。名前はゴロー、日本犬のミ
ックス、享年14歳。
今、14年間の思い出とともに、小さな壺に入って自宅のリビ
ングにおります。
年の割には若く見える彼が、突然の発作に襲われたのは7月16日
(土)の早朝4時頃でした。
口からよだれを垂らして手足を痙攣させていました。体をさす
って顔を拭いたりして痙攣は収まりました。
それから半日ごとに発作をおこし、顔から表情が消えていきま
した。
散歩も16日は階段の上り下りが少しおかしい程度でしたが、
ぐるぐる旋回するようになりました。
徘徊が始まり、部屋の隅に頭を突っ込んで動けなくなり、(後
退が出来ない)抑揚の無い鳴き声で泣き続けておりました。
元気な頃は無かったお漏らしのため、新聞紙とおしっこシート
の生活が始まりました。
目が見えなくなり、耳も聞こえないようで、全てに反応しなく
なりました。
彼の記憶はシャボン玉の様に一つ一つはじけて、家族の事もわ
からないようです。
餌も食べなくなり、牛乳を飲ませても吐き出します。
水も自分では飲めず、抱えながら口元に容器を近づけて飲んで
おりました。
一時、食欲がもどりハムとチーズは食べるようになり、排泄も
出来るようになりましたが、
足の弱り方は日を追って激しくなり、壁伝いで歩くのが精一杯
のでした。
抱いて近くの公園へ行くのが散歩スタイルになり、26日頃に
は立つことも出来なくなり、餌も受け付けなくなりました。
安楽死か自然死の選択しかなく、自然死を選択しましたが、早
く楽にしてやった方が良いのかと迷いました。
29日、体を拭いてやり、いつも使用しているドッグベットで
寝返りをさせてやり、我々も寝ました。
30日早朝、苦しむ事も無く安らかな寝顔で旅立ちました。
15日間の痴呆との戦いは終わりました。体重は元気な頃の半
分まで肋骨が浮いて見えるようです。
昨日、火葬場の釜に入れる時はこれで彼を見る最後と思うと涙
が止まりませんでした。

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Yamauchi
投稿日時: 2005-11-24 11:52
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登録日: 2005-11-11
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投稿: 2
Re: 最愛の犬だからこその選択。
 一昨年2月11日午後11時49分。私は、最愛のシベリアンハスキーを我が手で旅立たせました。この辺りの事情は、私のHP<シベリアンハスキーネット>の<マリー>のページで紹介しています。
 私は、「安楽死という選択はありえません。最後まで共に病と闘います」ということで臨みました。また、「自宅での最後を看取る」ということにも拘りました。しかし、尿毒症で苦しみ抜いて昏睡状態に陥いった愛犬を前に「安らかに旅立たせる」ことを決意せざるをえませんでした。
 今年9月には、シーズーが旅立ちました。余命2、3日という宣告に「家で」と連れ帰った次第です。「モルヒネは必要ない」と判断しました。しかし、それでも、死との最後の闘いは壮絶でした。苦しむ愛犬を抱きしめ心臓が停止するのを確認するのはつらいことです。
 「安楽死という選択はない」という信条と「我が手で」という矛盾が2度とないことを願っています。
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sarubia
投稿日時: 2005-11-4 15:37
Not too shy to talk
登録日: 2005-11-3
居住地: 兵庫県
投稿: 23
Re: 延命か安楽死か
私には,2回の安楽死の経験があります。

1回目が,98’6の事です。
この時は,出産のとき破水後24時間経過しても出産せず
24時間後にやっと獣医に電話,この時GWの最中まして真夜中の事,
獣医と連絡がつかなかったり,断られていたら母子共に命のない所でした。
その時,6頭出産内2頭死産,4頭の内1頭は止まっている呼吸を
私自身の手で蘇生させました。その仔が2週過ぎた頃より異常に気づき
診察を受けました。細かい検査を受けた訳ではありませんが,
獣医は,脳神経の異常が考えられるといわれ,薬の投与を受けていました。が,
週齢が進むにつれて症状も色々と目立つようになってきました。
  くるくると同じ方向に回り続け,食事を自分で食べる事が出来ないばかりか,
食器に辿り着く事が出来ないのです。フードを口へ入れてあげると嚥下する事に問題はないようでした。
  この時の仔は,たぶん私が生涯世話をしつづければ,命に問題はなかったはずです。
しかし,私は,,,この仔の症状を毎日,眼にする事に耐えられなくなってしまったのです。
そして,獣医に安楽死をお願いいたしました。

2度目は00’8/4でした。
この時の同腹仔は5頭で,この仔はその中で体重の増え方が少し緩やかに
思いながらも少しづつ増えていたので,,何の違和感も感じていませんでした。
最初の発作に気が付いたのは,生後3週の事でした。
どこかで笛が鳴っているような「ピ〜」という感じの音です。
そして,体が死後数日のように完全に硬直状態が,たぶん数秒の事なのでしょうが,
私にはそれが,数十秒に感じられました。
そのときの発作は,数時間に一度という感じで起きていました。
その時抱き上げたときに,初めてこの仔に精気が感じられない事に気が付きました。
今までの経験で,この感触の仔は,全て育たなかった事を思い出し辛い気持ちになりました。
それが,日曜日の事,そして哺乳させるも飲まず,不安になり獣医に電話するが留守でFAXを送信。
そして,月曜日に受診。その時はミルクを飲むようになっていたので,
喜び,獣医にも報告,獣医も排尿・排便,哺乳が出来ているならと,喜んでくれてそのまま帰宅,
それが,午前中の事,ところが,その日の午後より哺乳後に必ず,発作が起きるようになり,
その発作も数時間おきに起きていた発作の間隔がみるみるのうちに縮まっていったのです。
その日の夜には,1時間に1回は起きるようになっていました。

私は発作を起こすこの仔を抱きながら,今度は決して安楽死はさせないと心に誓っていました。
自分には,前回の仔は自分が,自分の目の前にある事から,ただ逃げただけではないのか。
もっと,方法はなかったのか。という後悔の念が常にありました。
だから,きっと,仔のこの命は,よくもって後1週間,自分でその様に感じられました。
その1週間を決して逃げまい。自分がどんなに見ている事が辛くとも,逃げ出すまい。と
心に誓っていました。

その翌日,再び診察を受け,この仔は助からないだろう。しかし,
前回の安楽死の時は,原因の究明もせず,自分は仔犬の症状を見るに耐えかねて
安楽死を選んでしまった。今回は命は助からないだろう。しかし,
何が原因なのか,それだけでも知っておきたい。と,
そしてレントゲン撮影をし,その説明を聞いている時に,また発作が起きました。
獣医師は,「楽にしてやろう。」一言そのように言われました。
獣医師の眼の前で起きている発作は,やはり少しの痙攣の後,
呼吸は止まり,体は完全に硬直状態になり,
その後自然解凍するように体が柔らかくなって,
呼吸を始めるのです。

ただ苦しむだけの1週間の命は,この仔にとって過酷すぎると,
それでも,私は安楽死をさせないと誓っていた自分には納得できないものも
ありましたが,それでも,自分の手のひらの中で発作を繰り返す命を抱きながら
獣医師の言葉は,当然の小さな命への思いやりでした。

前回の処置の時は,獣医師が処置を見ますかと,尋ねた時,ただ頷いて
涙をいっぱい浮かべている私を,気の毒に思ったのでしょうね。
傍にいると言う私は待合室へ出されました。
しかし,今回はどんなに辛くとも最後まで,自分の責任として
傍にいさせてほしいと頼みました。

麻酔を打たれて私の手のひらの中で,眠る仔,
心臓を停止させる為の注射を打った後の,私の手のひらの中で起こした数度の痙攣。
それは,今でもその感触は,はっきりと自分の掌の中に残っています。
心停止を完全にした事を確認した後,泣きつづける私を,獣医師は何度も何度も
これで良かったのだと諭してくれましたが,その時の事を思い出すと,
これて゜,良かったのだろうかと今でも辛く,自問自答が起こります。

レントゲンでは,明らかな心臓肥大がありました。
そして先生が見た発作とレントゲンとは,一致しないものがある?って言われたかな。
そこらへんの細かい事は記憶が薄れているのですが,脳のほうにも異常がある
可能性があるようにも言われたと思います。

発作の後では,体を垂直に起こした状態で眠り,熟睡した時点で体が
滑り落ちるように横になって眠っていました。

*************************************

1回目の安楽死の経験。
これについては,きっと,生涯,私の生涯に於いて,命を粗末にしてのではないか
という苦しみから逃れられないと思います。自分の手で蘇生をさせて,自分の手で手塩に掛けて
慈しみ育てた命,それを安楽死させてしまったのです。私が初めから手を出さなければ・・・。
  そして,2回の目の時は,もし,安楽死を選ばなかったとしたら,
自分の意志をつらぬいていたとしたら,その小さな命をただ苦しめただけではないかと
やはり,私の生涯を苦しみつづけていく事でしょう。
そして,安楽死を選んだ現在は,これで良かったのか。本当に小さな命の為に
これで良かったのかと現在も,自問自答を繰り返しています。

命を真剣に考える者にとってそれは,どちらを選んだとしても,
飼い主の苦しみは消えないのではないかと思います。
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あんこ
投稿日時: 2005-6-15 18:24
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登録日: 2005-3-20
居住地: 神奈川県横浜市
投稿: 7
Re: 延命か安楽死か
はじめまして
ロクシーのママさん

グッドバイマイフレンド読ませていただきました。
本当に悲しい決断でしたね。とっても良く解ります。

Maxちゃんは13才ですか
アンディより3才も上ですね。

私もアンディとお別れの時は。。。
だめだーーー考えただけでも涙が出てしまうーー。
絶対幸せだったねって言いたいです!!!

こんなにヘナチョコで泣き虫飼主ですが
もっと強くならねば。。。日々努力です。
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MaxHolly
投稿日時: 2005-6-15 14:55
Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
Re: 延命か安楽死か
あんこさん、はじめまして。MaxとHollyとRoxyのママです。
実はRoxyはもうこの世にいません。グッドバイマイフレンドに昨年3月にロクシーを安楽死させるまでの手記を載せていただいています。ロクシーは、悪性リンパ腫と白血病に加え、肝臓を患っていました。LWDさんが書かれているように、“苦痛を伴う重病で、この子の尊厳を維持できないと判断した”ので、本当に辛く悲しい決断でしたが虹の橋の向こうに見送りました。あと少しで12歳になるところでした。
Maxは、もうじき13歳と4ヶ月になります。足腰は昔に比べると大分弱ってきましたし、目も耳もたぶんあまり見えなく、聞こえなくなってきていると思います。人間の歳にしたら90歳ですから仕方ありませんよね。寝ている時間も長くなりました。でも食欲は旺盛ですし、散歩は相変わらず大好きです。2キロぐらいは楽に歩いたり、時には走ったりもできます。これといって病気もしていないので、この子が肢を骨折したりして寝たきりになったりしたら、果たしてロクシーの時のように安楽死を選択できるかどうか分かりません。痛み苦しんでいるのなら話は別ですが。
でも実際問題として、私は肩を悪くしていて30キロ以上もあるMaxの世話をすることは不可能です。でもそれを理由に安楽死を選べるでしょうか。今はまだ答えが出ません。その時にならないと、そしてその時はその時で決断がいったりきたりすると思いますが、最終的には家族で話し合って決めたいと思います。
いつMaxとお別れしなければならなくなったとしても、“Max、幸せだったよね?”って言えるように、毎日を過ごしたいと思っています。
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投稿者 スレッド
LWD
投稿日時: 2005-6-12 23:25
Team LWD
登録日: 2005-2-19
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投稿: 43
延命か安楽死か
LIVING WITH DOGSにご報告のあった安楽死を選択した例から、

安楽死を選択する場合、もっとも大きな要素は、苦痛を伴う重病
で、この子の尊厳を維持できないと判断した飼い主さんが、この
犬の苦痛を取り除いてあげる。これ以上苦しませるよりはと安楽
死を選んだ飼い主さんばかりでした。

では、いざ、私の愛犬が苦痛でもがいているときに、安楽死を
選択できるか、延命措置をしてしまうか。

その時になってみないと判りません。

さて、皆さんは、どうされますか?
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