Page 2 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼猟犬と子供の安全確保 とりい 03/3/9(日) 23:54 ┣Re:猟犬と子供の安全確保 はたの 03/4/6(日) 2:50 ┃ ┣Re:猟犬と子供の安全確保 とりい 03/4/6(日) 8:34 ┃ ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 はたの 03/4/7(月) 22:58 ┃ ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 とりい 03/4/8(火) 0:52 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 愛犬と旅M 03/4/6(日) 19:18 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 はたの 03/4/8(火) 1:16 ┃ ┣Re:猟犬と子供の安全確保 愛犬と旅M 03/4/8(火) 18:15 ┃ ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 愛犬と旅M 03/4/8(火) 18:19 ┃ ┣参考 LIVING WITH DOGS 03/4/8(火) 21:15 ┃ ┃ ┗Re:参考 とりい 03/4/8(火) 23:25 ┃ ┃ ┗Re:参考 ぷぅまま 03/5/2(金) 23:37 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 とりい 03/4/13(日) 23:16 ┣Re:猟犬と子供の安全確保 Suzuka 03/4/6(日) 19:15 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 とりい 03/4/8(火) 0:39 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 Suzuka 03/4/8(火) 19:41 ┃ ┣Re:猟犬と子供の安全確保 Suzuka 03/4/8(火) 21:16 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 とりい 03/4/8(火) 23:08 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 Suzuka 03/4/9(水) 2:21 ┃ ┗Re:猟犬と子供の安全確保 とりい 03/4/13(日) 23:12 ┣最後に とりい 03/4/9(水) 1:36 ┃ ┗Re:最後に 愛犬と旅M 03/4/9(水) 20:14 ┗ご報告まで とりい 03/4/13(日) 23:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 猟犬と子供の安全確保 ■名前 : とりい ■日付 : 03/3/9(日) 23:54 -------------------------------------------------------------------------
はじめまして。私は地方の小規模市でPTA活動をしている者です。 私たちの町は海と山の自然に恵まれた町ですが、かなり前に、小学生の子供が猟犬に襲われ大怪我をするという事件がおきました。 一昨年、大阪・池田小学校における児童連続殺傷事件が起きました。子供が安全であること、これは「健全な育成」とかいう以前に、何よりも大切なことです。昨年の4月に市PTA連合会の場で、子供の安全を守るための種々の活動について協議していたとき、猟犬事件のあった小学校の校長先生に、「猟犬に襲われる危険性というようなことも、身近な問題だ」とご指摘を受けました。 なるほどと思い、いろいろ調べているうちに、猟犬問題の根の深さを知りました。個人主義の時代といいますが、無垢に人間を信じる犬を捨て、時には殺すハンター達、捨てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしないハンター達に強い憤りを感じるようになりました。 飼い主が特定でき、必要に応じて免許剥奪などができるような措置は、議論以前の段階として当然必要だと思います。 私は、自分にできることとして、犬と人間の関係(その歴史や、現在における様々なかかわり:ペット、盲導犬、警察犬、そしてもちろん猟犬も、そしてどんどん処分されていく捨て犬たちのことも)について、学校・子供・保護者で考えるような場を作れないかと考えています。命についての教育とともに、巷にあふれる無責任なハンター達を駆逐する世論形成の一環としてです。 皆様のご意見をお聞かせください。 |
▼とりいさんへ 単純な2項対立はいかがなものか・・・と思います。 とりいさんの真意かどうかとは別に、書き込みのみから判断すると、 子供たちの安全に気を配るワタシVS悪質なハンター とお考えであるかのように読めてしまいます。 >巷にあふれる無責任なハンター達を駆逐する世論形成の一環としてです。 というようなセンテンスがありますと。 これはあまりよろしい方法ではないと考えます。 理由1 反発を買いやすい よほど注意深く、「問題なのは一部の悪質なハンターのみ」であることを強調していなかいと、普通のハンターの反感を買います。 一部のハンターに問題があるからといって、そこだけを取り上げるのはフェアでないと取られるでしょう。事故を起こすのは猟犬だけではありませんから。「特にハンター/猟犬」ということであれば、事故例を集めて統計をとり、非猟犬(番犬も含まれますね)に比して猟犬は、a 事故件数 b 頭数あたりの事故件数 c 飼い主数あたりの事故件数 などにおいて有意に危険、だという論拠を示す必要があります。 >いろいろ調べ られたのであれば、なおさらに。情緒的なエピソードの羅列では何も始まりません。 >無垢に人間を信じる犬を捨て、時には殺すハンター達、捨てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしない 「無垢に人間を信じる犬を捨て/捨てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしない」 「時には殺す」 これも一緒くたにはできませんでしょう。 とりいさんが好むと好まざるとに関わらず(同時に、私が好むと好まざるとにも関わらず)、殺すのはひとつの責任のとりかたです。 C.W.ニコル氏はアフリカを去る時に愛犬を射殺してきました。好悪は別として、他者が安易に非難してはいけない崇高な行為ではありませんか? 「無垢に人間を信じる犬を捨てる/殺す」と、 「てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしない」 の、どちらがより優先的な問題だとお考えですか? このあたりを整理しないと、要するにハンターが嫌いなだけでしょ? と言われるでしょう。 理由2 ヤブヘビの可能性がある イヌ嫌いから見れば、悪質なハンター→普通のハンター→非ハンターのイヌ飼育者・・・がみんな一緒に見えます。どんなイヌでも潜在的に危険なのは確かで、あとは程度の問題なのですし。ヒトとイヌとの健全な関係があまりに窮屈になりかねません。 理由3 ファシズムに繋がりやすい 社会運動は怖いもので、特に、反論しづらいネタ(いまのご時世なら環境とか人権とか)を掲げた○×反対、告発型のそれは、自己の無謬性に繋がりやすく、取り扱い要注意と考えられます。正しいと思えることこそ、一歩下がって考え直すことが大切であろうと。世論がいつもファシスムに繋がるとは限りませんが、ファシズムは常に世論に発しましょう。 >議論以前の段階として当然必要だと思います。 「議論以前」ということは、反対者は意見を述べてはいけない、というのに等しいのです。危うさを感じます。これは禁句ではありませんか? >子供が安全であること、これは「健全な育成」とかいう以前に、何よ >りも大切なことです。 本当にそうでしょうか。 完全な安全を求めたら、「健全な育成」は有り得ないでしょう。健全な育成/成長には「危険回避能力をつける/得ること」も含まれ、そのためには、危険と接する必要があるわけですから。 浅沼事件でナイフを「おとなが」規制しておいて、あるいは水死防止に水辺を立ち入り禁止にしておいて、10年後20年後に、「近頃の子供は鉛筆も削れない」「川ガキがいなくなった」と嘆ぐ愚を繰り返すべきでしょうか? つまり、「安全」はその程度によっては、健全な育成の妨げになり得ます。 リスクは2つの切り口で相対的に考えるべきと思われます。 猟犬に危険性はありますが、では、その程度は、他の危険性と比べてどうか? どの程度のコスト(直接のお金のみならず、マンパワーや、ハンターに対する規制という私権・人権の制限、そのための行政コストみな含む)をかけるに価するのか、同じコストを別の目的に向けたらもっとリスクが減らないか? というのがひとつ。 いまひとつは、リスクの原因でなく、受け手を変えることで実効リスクを減らせないか? 子供の側の危険回避能力を鍛えることで、言い換えれば、イヌの扱い方を教えることで対応できないか、という切り口です。 高齢者・障害者のような社会的弱者への特段の配慮はむろん必要ですが、子供は、いまは社会的弱者ではあっても、いずれはそうでなくなることを期待される存在です。 危険回避能力を鍛えるのが可能ですし、大切でしょう。 ハッキリいえば(事故に合われた子供さんには同情いたしますが、それとは別に)、割合はともかく、運の悪い子供は成長途中で亡くなるのが自然です。そのぐらいの危険は必要なのです。 安全は上から与えられるものではなく、自ら掴むもの、大きくしていくものと考えます。その知恵をつけることは、安全な環境を与えるより優先されると考えます。 イヌは咬むものです。だからといって排除しても始まりません。水とか火とか崖とかを世界からなくすわけにはいかないのですから。 おとなが先回りしすぎると、小怪我中怪我の機会を子供たちから奪うことになり、イキナリ大怪我になりやすい道理です。 これは逆に、子供が重大な事故事件の加害者になりやすいことも意味します。 >学校・子供・保護者で考えるような場 などではなく、ハンターも、またそれ以外の関心をもつ者すべてで考える場でなければ意味がないでしょう。 なぜ子供と猟犬が会ったのか。 子供が間抜けだったのか? 事故は狩りとは無関係の時だったのか? 通学路近くで狩りが行われていたのか? とすれば、なぜそこでなのか? 自然環境それ自体の遷移、奥山の開発、農地への被害、農地近くで狩りをせよとのハンターへのプレッシャー、いろいろあります。 そこには文化の問題もあります。どちらが正しいとは決められないでしょう。 正邪の対決という枠組みでなく、三方一両損的なアプローチがベターではないでしょうか。 |
レスありがとうございます。 ご指摘の通り、徹底的にハンターが大嫌いだという視点で書いています。 私自身はハンターと何の利害関係もありませんが、猟犬被害に合われた方々のお気持ちも考え、また「煽る」ことで積極的な反論を期待して、あえてこのような書き方にしました。 ハンターを悪者と決め付けること、反論自体を悪として封じること、感情的な議論をすること、これらを避けるべきであることはまったく同意します。 また、この問題について、子供も含めた社会全体とハンターが話し合うべきであることも、そのとおりです。 1点だけ反論させていただきます。 ナイフや水辺と悪質ハンターは一緒にはすべきでないと思います。ナイフや水辺は、潜在的な危険がつきまとっている反面、大変役立つ(楽しいということも含めて)ものですし、何もしない者に無効から危害を加えることはしません。 悪質ハンターは、犯罪者・変質者等と同じ者であり、子供にも大人・老人にも、何のメリットもありません(反論があるならば、何のメリットがあるかを明らかにしてください。注意していただきたいのは、「ハンター」ではなく「悪質ハンター」と言っていることです) ところで、反論をいただいたのですが、 (1) 悪質ハンターは社会から駆除すべきである。 (2) 飼い主が特定でき、免許剥奪などができるシステムを構築することが、抑止力として有効であると考える。 という基本的な2点について、はたのさんのご意見をいただいていません。 私の述べた個々の方法論等に関する反論は承ったので、上記2点に関するご意見を頂戴いたしたく思います。 |
▼とりいさんへ >ご指摘の通り、徹底的にハンターが大嫌いだという視点で書いています。 >私自身はハンターと何の利害関係もありませんが、猟犬被害に合われた方々のお気持ちも考え、また「煽る」ことで積極的な反論を期待して、あえてこのような書き方にしました。 まあ、とりいさんのお考えですがね。視点を最初から限定する方法論は好きではありません。 >悪質ハンターは、犯罪者・変質者等と同じ者であり、子供にも大人・老人にも、何のメリットもありません(反論があるならば、何のメリットがあるかを明らかにしてください。注意していただきたいのは、「ハンター」ではなく「悪質ハンター」と言っていることです) Suzukaさんからもレスありますが、 「悪質」の中身、および誰が「悪質」と決めるのか、が問題なわけです。 「法に反している」のであれば比較的(ややこしい面は残るものの、そのややこしさを扱う方法論がありますから)容易です。 ですが、現行法を尺度にしないのですから、別の基準が要ります。 と、これはそう簡単ではありません。 「ワタシが不愉快なものは悪質」と決め付けるわけにはいかない、のはお判りでしょう。1億3千万人の「ワタシはどうしてもコレは許せない」を集めたら、悲惨なことになります。 とりいさんが「悪質」と感じる行動も、あるいは、別の文化の所産である可能性があります。 良い悪いではなく、異なる文化・異なる価値観のすりあわせ、妥協点の探り合い、どこで折り合いをつけるか・・・という発想のほうがよろしいように思います。 個人が許せないと思うことをそのまま他者が守るべきこととするのには反対です。 私自身も、個人的に許せないことはいくらでもありますが、それはワタシという個人の感じかたですから、そのすべてが他者の人権を制限してまで適用されるべきとは思いません。 いま論じられているのは、誰かの人権を規制しようとすること、てあることを念頭においておきたいと考えます。 メリットの有無は問題ではありません。 個人が自腹を切って行うのですから、メリットがあろうとなかろうと、「基本的には」何をやってもいいものです。 犯罪者は法に反しているから、法の定める範囲において処罰されるべきでしょう。 が、変質者は、法に反しない限り、処罰することは許されません。どんな妄想を抱こうが、それは個人の人権として保護されるべきです。 戦前の予防検束の愚を忘れてはならないでしょう。 >(1) 悪質ハンターは社会から駆除すべきである。 いいえ。そうは思いません。 そも、社会の成員に対して「駆除」という言葉は穏当ではありません。子供を殺したヒトであろうと、誰であろうと。 死刑などのように「排除」というのならまだしも、また収監のように「隔離」ならまだしも。 これは自由と安全をどこでバランスしたいと望むか、 また、 ピューリタン的に「ヒトはある道徳的な在り方を目指すべき」か「社会的に著しい(←ゴチックのつもり)差し障りのない限り個人の人権を認めるか」についての個々人の好悪にかかりましょう。 むろん、「悪質な」ハンターをそうでなくしていく社会的な努力が(リスクに応じた程度)なされることには大いに賛成ですが。 >(2) 飼い主が特定でき、免許剥奪などができるシステムを構築することが、抑止力として有効であると考える。 「抑止力として有効であるか」という命題に対してはyes。 ただ、コストが見合うかについては疑問なので、「構築すべきかどうか」については留保、です。 |
>Suzukaさんからもレスありますが、 >「悪質」の中身、および誰が「悪質」と決めるのか、が問題なわけです。 悪質とは、無責任なハンターのことです。別レスをご参照ください。 > 「法に反している」のであれば比較的(ややこしい面は残るものの、そのややこしさを扱う方法論がありますから)容易です。 > ですが、現行法を尺度にしないのですから、別の基準が要ります。 > と、これはそう簡単ではありません。 > 「ワタシが不愉快なものは悪質」と決め付けるわけにはいかない、のはお判りでしょう。1億3千万人の「ワタシはどうしてもコレは許せない」を集めたら、悲惨なことになります。 > とりいさんが「悪質」と感じる行動も、あるいは、別の文化の所産である可能性があります。 > 良い悪いではなく、異なる文化・異なる価値観のすりあわせ、妥協点の探り合い、どこで折り合いをつけるか・・・という発想のほうがよろしいように思います。 > > 個人が許せないと思うことをそのまま他者が守るべきこととするのには反対です。 > 私自身も、個人的に許せないことはいくらでもありますが、それはワタシという個人の感じかたですから、そのすべてが他者の人権を制限してまで適用されるべきとは思いません。 > いま論じられているのは、誰かの人権を規制しようとすること、てあることを念頭においておきたいと考えます。 そのとおりです。ですから、法律化すべきだと考えます。 このような議論においては、「社会の利害、公共の福祉のために有害であると、私は考える」というところから始まらないと進まないのです。 世の中の大多数の人が「そうだ」と思えば、いろいろな過程を経て、法律などの社会ルールが形成されていきますし、大多数の人が「違う」といえばその逆です。 だからこそ、個々人が自分の主張と、「それを社会的ルールにすべきだ」と言わないと、議論が始まらないのです。 そうでないと、「客観的事実を調べ上げて、確実に普遍性を持たしてよいと認められること以外は、「こうすべき」などと言ってはいけない」などという、変なタブーが生まれてしまいます。 > メリットの有無は問題ではありません。 > 個人が自腹を切って行うのですから、メリットがあろうとなかろうと、「基本的には」何をやってもいいものです。 そうです。ただし、他人に迷惑をかけない、という条件つきですがね。私はそのところを問題にしているのですが。 > 犯罪者は法に反しているから、法の定める範囲において処罰されるべきでしょう。 > が、変質者は、法に反しない限り、処罰することは許されません。どんな妄想を抱こうが、それは個人の人権として保護されるべきです。 > 戦前の予防検束の愚を忘れてはならないでしょう。 その通りです。ですから、悪質ハンターを処罰する法を整備すべきであると主張しています。 > そも、社会の成員に対して「駆除」という言葉は穏当ではありません。子供を殺したヒトであろうと、誰であろうと。 > 死刑などのように「排除」というのならまだしも、また収監のように「隔離」ならまだしも。 言葉の問題を議論したくはありません。不適切な言葉であったならば、謝罪して改めます。「処罰」あたりが妥当ですかね。 > 「抑止力として有効であるか」という命題に対してはyes。 > ただ、コストが見合うかについては疑問なので、「構築すべきかどうか」については留保、です。 コストについては、リスクマネジメントの中で考慮すべき問題です。 別レスのとおり、リスク発生者がリスク回避に要するコストを負担するのが適当です。 具体的には、 ●悪質ハンターを特定する技術の開発 ●特定された悪質ハンターを処罰する法整備 といったインフラ整備がまず必要であり、 ●上記にかかるコストは、猟犬の値段その他により、基本的にハンターが負担する という手順・システムが妥当であると考えます。 |
こんにちわ 始めまして もしかして始めてではないかも知れません 私の思うところを書かしていただきます。文書力ではハタノさんに及ぶものではありませんが、感じた事を感じたままにと言う事でお許し下さい >単純な2項対立はいかがなものか・・・と思います。 > とりいさんの真意かどうかとは別に、書き込みのみから判断すると、 > 子供たちの安全に気を配るワタシVS悪質なハンター > とお考えであるかのように読めてしまいます。 私はその通りで良いと思います。 悪質な人間 悪質な行為、それには対立する。 当然の事だと思います。それを知っていて黙って見逃すのは卑怯な気がします。 もちろん正当化する理由などまったくありません とりいさんの言われる 「巷にあふれる無責任なハンター達を駆逐する世論形成の一環としてです。」ハンターイコール無責任 そう言うものでは無いと思います、多くの人は良い人で、その中に一部悪質な人間が存在する様に思います。 この一部悪質な人間がいる事は、一般の愛犬家にも言えることですしもちろん愛犬家以外の人にも当てはまります。 > 理由1 反発を買いやすい > よほど注意深く、「問題なのは一部の悪質なハンターのみ」であることを強調していなかいと、普通のハンターの反感を買います。 > 一部のハンターに問題があるからといって、そこだけを取り上げるのはフェアでないと取られるでしょう。事故を起こすのは猟犬だけではありませんから。「特にハンター/猟犬」ということであれば、事故例を集めて統計をとり、非猟犬(番犬も含まれますね)に比して猟犬は、a 事故件数 b 頭数あたりの事故件数 c 飼い主数あたりの事故件数 などにおいて有意に危険、だという論拠を示す必要があります。 一般の方がそのような集計を採る事は出来ないのではないのですか? 私も愛犬と山に登りますが 犬禁止、その理由 「自然破壊 草花の種を高山に持ち込むから、」 反論として「じゃ〜人間は?」「人間に対して犬の持ち込む比率を提示してください」 出来そうで出来ない事です。 もし仮出来たとして、その数字は双方信用しない、もっと言えば信用したくない、それが本音になってしまうと思います。 >殺すのはひとつの責任のとりかたです。 > C.W.ニコル氏はアフリカを去る時に愛犬を射殺してきました。好悪は別として、他者が安易に非難してはいけない崇高な行為ではありませんか? C.W.ニコル氏を引き合いに出されるのはいかがなものかと思います。C.W.ニコル氏はアフリカを去る時どの様な状況であったか不明です。日本はアフリカではありません、しかし「C.W.ニコル氏は正しい行為をした」 そう判断を下せるものではありませんし決して誉められる行為ではありません、救える命は救った方がいいのです。 >「無垢に人間を信じる犬を捨てる/殺す」と、 >「てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしない」 > の、どちらがより優先的な問題だとお考えですか? >このあたりを整理しないと、要するにハンターが嫌いなだけでしょ? と言われるでしょう。 どちらも優先されないと思います。貧しい国ならそれは判りません、多分後者でしょう しかし日本における狩猟行為は貧しいがゆえなのでしょうか? 私は昔ドミニカに移住していたころ、現地の子供たちはゴム銃がとても上手なのです。 木にとまった鳥を100発100中で射落とすのです。日本人の子供の及ぶところではありません、 現地の子供たちはゴム銃がとても上手なのは、今考えると貧しいがゆえの技術の様な気がします。 日本のハンターの方々は 「無垢に人間を信じる犬を捨てる/殺す」「猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何らかの責任をとる。」 いずれに対しても優先し責任をとれる社会環境であると思います。それが出来てこそ誰もが認めるハンターであると私は確信します。 >理由2 ヤブヘビの可能性がある >イヌ嫌いから見れば、悪質なハンター→普通のハンター→非ハンターのイヌ飼育者・・・がみんな一緒に見えます。どんなイヌでも潜在的に危険なのは確かで、あとは程度の問題なのですし。ヒトとイヌとの健全な関係があまりに窮屈になりかねません。 文書で誘導はできますがしかしそう言い切れるのでしょうか? 私は知らない犬はいきなり触れません、動物には苦い経験が多いからです。 馬に噛まれた、犬に噛まれた、聞いてみると犬嫌いの人は嫌いではなく怖いのです。 >理由3 ファシズムに繋がりやすい > 社会運動は怖いもので、特に、反論しづらいネタ(いまのご時世なら環境とか人権とか)を掲げた○×反対、告発型のそれは、自己の無謬性に繋がりやすく、取り扱い要注意と考えられます。正しいと思えることこそ、一歩下がって考え直すことが大切であろうと。世論がいつもファシスムに繋がるとは限りませんが、ファシズムは常に世論に発しましょう。 > >>議論以前の段階として当然必要だと思います。 議論と言うより、とりいさん自身が聞くという事は大事だと思います。 聞かないで悪だそう決め付けるのは残念な事です。 >無垢に人間を信じる犬を捨て、時には殺すハンター達、捨てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしない ハンター達は全てそのような人と思っていられるのでしょうか? >>子供が安全であること、これは「健全な育成」とかいう以前に、何よ >>りも大切なことです。 そうは思えません、命を落とさない危険は常に出会う事も大事な事だと思います。 あくまでも命を落とさない事が前提ですけど > リスクは2つの切り口で相対的に考えるべきと思われます。 > 猟犬に危険性はありますが、では、その程度は、他の危険性と比べてどうか? どの程度のコスト(直接のお金のみならず、マンパワーや、ハンターに対する規制という私権・人権の制限、そのための行政コストみな含む)をかけるに価するのか、同じコストを別の目的に向けたらもっとリスクが減らないか? というのがひとつ。 集計を採る事はと同じで、とても解決出来る題目ではないと思います。 >いまひとつは、リスクの原因でなく、受け手を変えることで実効リスクを減らせないか? 子供の側の危険回避能力を鍛えることで、言い換えれば、イヌの扱い方を教えることで対応できないか、という切り口です。 未開の国もしくは 貧しい時代であればその教材は好むと好まざるとにかかわらず存在したのでしょう、 当然親が教えなくても知恵は付きます。 ハンティング術を学ばなくても、手作りのゴム銃で鳥を射止めます。貧しいがゆえ子供たちはある意味成長します。その理論は正しいとのでしょう、しかし社会全体がその時代に逆戻り出来るのでしょうか? 疑問ですね、 思うに >>子供が安全であること、これは「健全な育成」とかいう以前に、何よりも大切なことです。 親たちがこの事を信じてしまう事はいけないことかも知れません、時代は逆戻り出来ませんが、「安全は健全な育成」それだけではないと思うことはできます。その思いが子供たちの成長にプラスに働く、私はそう思います。 >高齢者・障害者のような社会的弱者への特段の配慮はむろん必要ですが、子供は、いまは社会的弱者ではあっても、いずれはそうでなくなることを期待される存在です。 >危険回避能力を鍛えるのが可能ですし、大切でしょう。 >ハッキリいえば(事故に合われた子供さんには同情いたしますが、それとは別に)、割合はともかく、運の悪い子供は成長途中で亡くなるのが自然です。そのぐらいの危険は必要なのです。 この意見にはちょっと無理があるのではないのですか? 事実はその通りかも知れませんが? >安全は上から与えられるものではなく、自ら掴むもの、大きくしていくものと考えます。その知恵をつけることは、安全な環境を与えるより優先されると考えます。 >イヌは咬むものです。だからといって排除しても始まりません。水とか火とか崖とかを世界からなくすわけにはいかないのですから。 >おとなが先回りしすぎると、小怪我中怪我の機会を子供たちから奪うことになり、イキナリ大怪我になりやすい道理です。 >これは逆に、子供が重大な事故事件の加害者になりやすいことも意味します。 その通りかも知れません >>学校・子供・保護者で考えるような場 子供たちが怪我をすること、その事が悪い事だとは思えません、自分に体で痛みを知ればナイフの恐ろしさも知ります。子供の頃牛のトサツを見ましたが 小さいナイフで大きな牛が死ぬのです。 子供たちは常にナイフを携帯していましたが、牛が死ぬ、ナイフで怪我をする、その経験により喧嘩にナイフを持ち出す事は決してありません 時代は逆戻り出来ません、しかし学校・子供・保護者で考えると言うより親が自分の子供に自分の手元で危険な行為に挑戦させる事はできます だからと言って 猟犬の噛み付き事故の回避と一緒には出来ないと思います。 ハンターの方のハンティング行為を命を奪うと責められるものではありません、我々だって多くの命を奪って生きています。でも「猟犬を殺しても許される」 自らの口からそう述べられるのは誉められません、ハンターの人は一般の人より命の意味を知っているのではないかと思います。 自分を助けてくれる猟犬、その他動物を安全にしかも大事にする。 私は日本の狩猟環境において「それが出来ない」 そう言われるハンターの方がいるとすれば、悪質なハンターです。 命を奪う資格はありません、狩猟免許があってもそれはただの紙切れ、罰則を逃れる書類です。 私の思う事です。 ハタノさんの一部文書誤解して書き込みました。その部分は修正いたしました |
▼愛犬と旅 Mさんへ >>悪質な人間 悪質な行為、それには対立する。 当然の事だと思います。それを知っていて黙って見逃すのは卑怯な気がします。 とりいさんへのものと同じ質問を。 誰が何を「悪質」と決定しますか? イラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と決めたブッシュは正しいのですか? >一般の方がそのような集計を採る事は出来ないのではないのですか? 私の考えるところの「調べる」というのは、客観的な論拠を探すことです。印象批評、自分が得たいと思っている結論にとっての都合のいい事例集め、イメージのみの深化、ではありません。 とりいさんが「一般の方」かどうか存じませんし、何をもって「一般の方」とするのかも存じません。 が、それはどうでもいいことです。論拠が示されなければ、私は「調べた」とは思わない、といだけのことで。 情緒的な反応が多数の支持を得ると、狂牛病騒動のようにばからしい事態になりましょう。あれは魔女狩りにも似たマスヒステリーだったといっていいでしょうし、ファシズム「的」であったでしょう。 >反論として「じゃ〜人間は?」「人間に対して犬の持ち込む比率を提示してください」 出来そうで出来ない事です。 ボタンの掛け違いがありませんか。 緊急避難的な場合を除けば、規制する側に、客観的な論拠を示す義務がありましょう。 入山規制の正当性を問うためには、反証はあればありがたいものの必須ではなく、規制側の論拠が弱いことを突くだけで足ります。 自然公園法などに基づく一部を除く多くの入山規制は、実は法的な根拠が弱いものと認識しています。どなたか最高裁までいく覚悟で争ったら面白そうですけど。 とりいさんの論点は「規制しよう」にありました。よって、より高度な論拠を求めたにすぎません。 > もし仮出来たとして、その数字は双方信用しない、もっと言えば信用したくない、それが本音になってしまうと思います。 動物実験なんかでよくありますね。 これを避けるがために、「始めに結論ありき」がイヤなのです。 >C.W.ニコル氏はアフリカを去る時どの様な状況であったか不明です。 不明なのにどうして >決して誉められる行為ではありません、救える命は救った方がいいのです こういえるのですか? 不明ならば判断できないはずではありませんか? この点については明確に撤回と謝罪を求めるものです。 >「C.W.ニコル氏は正しい行為をした」 不正確な引用はご勘弁願います。この点についても明確に撤回と謝罪を求めるものです。 私は >>好悪は別として、他者が安易に非難してはいけない崇高な行為ではありませんか? と書いています。 いずれにせよ、「モーガス」のご一読をお勧めします。ご熟読の上でリーズナブルな代案とともに非難なさるのなら反論いたしませんので。 >どちらも優先されないと思います。貧しい国ならそれは判りません、多分後者でしょう しかし日本における狩猟行為は貧しいがゆえなのでしょうか? >自分を助けてくれる猟犬、その他動物を安全にしかも大事にする。 私は日本の狩猟環境において「それが出来ない」 そう言われるハンターの方がいるとすれば、悪質なハンターです。 貧しさがどう関係するのでしょうか? 管理責任を求めるのなら、呼応した権限として、殺処分を認めなくてはフェアでありません。現行法では殺処分は認められていますから。愛犬と旅 Mさんが、あるいは私が、個人的にイヌを殺すことを嫌うかどうかは無関係です。責任と権限は呼応する、というだけのことです。 どちらを「も」優先できる「かもしれません」。けれど常に両立するとはかぎりません。 会社が倒産するとか、いろいろ有り得ます。そう簡単に悪質といっていいものですか? 「優先」というのは両立しない場合にどうする? ってハナシです。両立してほしいなあ、とは異なります。 言い換えると、「悪質」を狭くとって、濡れ衣は起きないかわりに「真に悪質」なハンターが逃れることがある、 のと、 広くとって、「真に悪質な」ハンターを網羅するかわりに濡れ衣が頻発する、 のとどっちがマシでしょうか? ってことなんです。 殺処分そのものに反対するというのはまた別のハナシです。そうなればハンターによって殺される数は限られるわけで、非ハンターによる殺処分から優先して、あるいは少なくとも平行して、論じなくてはなりません。なのにハンターをことさらにやり玉にあげるとすれば、そこには差別があると判断さぜるを得ません。 >ハンターの方のハンティング行為を命を奪うと責められるものではありません、我々だって多くの命を奪って生きています。でも「猟犬を殺しても許される」 自らの口からそう述べられるのは誉められません、ハンターの人は一般の人より命の意味を知っているのではないかと思います。 ですから、「管理責任/権限」と「生命倫理」は別問題でしょう。 >それが出来てこそ誰もが認めるハンターであると私は確信します。 尊敬を集めるようなハンターの話ででしたっけ? そうではなく、「最低限このぐらい」を論じているのではありませんでしたか? 素晴らしい運転マナーをもつドライバーは誉められるべきですが、平均的なドライバーを含む「素晴らしく」はない者全員から免許を取り上げるべきなのですか? ハンターがハンターに向かって「誰もに認められるようにしよう、なろう」というならともかく、非ハンターの立場からハンターにむかって言って礼を失しないことでしょうか? また、愛犬と旅 Mさんが、あるいは私を含む誰でもが、「確信する」かもこの際どうでもいいことでしょう。その確信は他者に共有されない主観にすぎません。みんながそれぞれの確信をぶつけあったら水掛け論で終りです。 そうならないためには、論拠が要るだろう・・・と申し上げています。 >> 猟犬に危険性はありますが、では、その程度は、他の危険性と比べてどうか? どの程度のコスト(直接のお金のみならず、マンパワーや、ハンターに対する規制という私権・人権の制限、そのための行政コストみな含む)をかけるに価するのか、同じコストを別の目的に向けたらもっとリスクが減らないか? というのがひとつ。 >集計を採る事はと同じで、とても解決出来る題目ではないと思います。 なぜでしょう。 ある行為の時間当たりの、あるいはある生活習慣の危険率など、多くの研究があります。必ずしも行政に反映されるとはかぎりませんが、たとえばスペースガード計画などのように生かされている例もあります。 猟犬による事故についても、金さえ使えばある程度の調べがつくでしょう。イヌの問題行動の専門家は日本にも何人もおられます。 >未開の国もしくは 貧しい時代であればその教材は好むと好まざるとにかかわらず存在したのでしょう、 当然親が教えなくても知恵は付きます。 ハンティング術を学ばなくても、手作りのゴム銃で鳥を射止めます。貧しいがゆえ子供たちはある意味成長します。その理論は正しいとのでしょう、しかし社会全体がその時代に逆戻り出来るのでしょうか? 疑問ですね、 これも貧しさや「未開(この言葉は不適切と思いますが)」かどうかとこれまた関係がないでしょう。 判例の傾向がかわるだけでも大違いです。 ハンティングを学ばせようといっているのではありません。一般的な危険回避技術の中に対動物も含めさせられないだろうか? というだけのことです。 やれ運梯から落ちて、やれサッカーゴールに頭をぶつけて、子供が亡くなるたびに管理責任を問う訴訟が発し、しかもかなりその責任が認められる、という判例の傾向があります。 イヌが吠えただけで飼い主に責任があるとした判例もでましたね。 これを加速するような(とりいさんの)「世論形成」には賛成しかねる、ということです。 私だって、ハンターに言いたいことはいくらもあります。イヌの扱いから獲物の処理まで。簡単にイヌを替えるな、捨てるな、殺すな! けれどそれらは、非ハンターと共通する話です。イヌを捨てる、殺す、不適切な飼い方をする、ハンターに限りません。背ロース以外を捨てちゃうなど生命を粗末にする、これまたハンターに限りません。 ハンターのみに注目して妥当なのは、銃器の扱いぐらいではありますまいか。 共通する問題についてハンターのみねらい撃ちるのはアンフェアです。差別意識を疑わざるを得なくなります。 ハッキリいってしまえば、ハンターを巡る問題には、血や死を厭う差別意識(無自覚にせよ)、ケガレ思想が関与しがちなのです。 まあ、軍人・屠畜および畜肉処理・芸人に対する差別は古事記以来の日本の伝統ではありますが・・・。 だからこそ、世論のファシズム化を特におそれます。狂牛病騒動を引いたのもそりれ故です。同じ下地に乗りやすい事柄ですから。 猟犬による事故にしても、本質は「猟犬か否か」ではありません。 「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌの取り扱い」が問題なのです。 たとえば猟犬として使われているセッターは、適切な訓練をしていない(訓練不足、不適切な訓練をされた、両方を含む)G.シェパードやエアデールテリアやピレニアンマウンテンドッグより平均的に安全でしょう。問題は「猟犬」ではない、というわけです。 考えるきっかけとしては、猟犬はなかなか面白いと思います。 しかし、ハンター=悪あるいは悪質ハンター=悪では、どうも発展性がありませんでしょう。 「子供の安全確保」というテーマであるならば、「猟犬と」ではなく「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌと」とすることで、どのぐらいのコストをかけてどんな義務を飼い主に課せば、また、公教育の場で動物の都市り扱いの常識をどのぐらいのコストをかけて教えれば、どのぐらいの効果があがりそうだ・・・と論が繋がります。 と、結局のところ、 「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌ」の一部としての猟犬を考えるなら(同時に猟犬ではない「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌ」についても考える必要がありますが)、 実際に猟犬、この場合は要するにシシ犬ですが、を訓練し使役している、なるべく多くの(「悪質」に思えるひとを含む)ハンターがどんな理由でなにを優先してどういう考えのもとにどういう訓練を行っておりどのように使役しているのか、 どういう訓練を受けたどのように使役されるイヌが事故を起こしやすいか、 を調べ、 その目的(つまりは訓練・取り扱いがラクで、イノシシがとれる)をできる限り確保した上で、 現状より「安全」なやり方がないものか、を探ればいいわけで。 それでもあかんという時になって始めて規制を考えればよいのです。 いわゆる咬み留め猟が禁止になりました。 私個人としては咬み留め猟は好きではありませんが、禁止にいたる手続きは適正でなかったと考えています。 >ハタノさんの一部文書誤解して書き込みました。その部分は修正いたしました どこをどう修正なさったのでしょう? これだけでは理解いたしかねます。 |
> とりいさんへのものと同じ質問を。 >誰が何を「悪質」と決定しますか? >イラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と決めたブッシュは正しいのですか? 判りません 私の感覚でがブッシュ大統領に軍配を上げたいと思います。イラク攻撃に関しても ブッシュ大統領です。 その理由は 攻撃するなら早く終わってほしいそう言う気持ちです。 「イラクの人たちが 幸せになるように」そんな感情ではありません、経済的にダメージが少ない方が良いそれが本音です。 私は自分自身に聞いて動物も含めそれほど他人の事を思いやる気持ちは無いと思います。 自費で犬の救済をされているがいますが 自分のHPからリンクをはっておきながら その方の会員にはなっていません 年会費1000ですから経済的に苦しい その様な分けでもありません 自分に聞いて本当に犬を救済したいと思っているかです。答えはNOだと思います。 本音を言えば度合いが分からないと言った方が良いのでしょう 会員になって動物愛護を唱える資格が無いように思えるからです。 ですから イラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と決めたブッシュは正しいのですか? 正しいかどうかの判断はつきません >>一般の方がそのような集計を採る事は出来ないのではないのですか? > 私の考えるところの「調べる」というのは、客観的な論拠を探すことです。印象批評、自分が得たいと思っている結論にとっての都合のいい事例集め、イメージのみの深化、ではありません。 私には難解です。 数字で表す事が出来ないと言う事でしょうか?私はついつい 集計と言うと 数字でどのようなになってしまいます。 >とりいさんが「一般の方」かどうか存じませんし、何をもって「一般の方」とするのかも存じません。 >が、それはどうでもいいことです。論拠が示されなければ、私は「調べた」とは思わない、といだけのことで。 数字で表す場合必ず時間がかかる様に思います。ただ数字でなければそうはならないかも知れません、 数字を扱う場合はその集計には多大な時間が必要であると思っただけです。 それとしつれいですが多分とりいさんはその分野の専門家では無い つまりは 一般の人と判断しました。間違っていればとりいさんに、怒られるかも知れません >情緒的な反応が多数の支持を得ると、狂牛病騒動のようにばからしい事態になりましょう。あれは魔女狩りにも似たマスヒステリーだったといっていいでしょうし、ファシズム「的」であったでしょう。 それはそうでしょうね >>反論として「じゃ〜人間は?」「人間に対して犬の持ち込む比率を提示してください」 出来そうで出来ない事です。 > ボタンの掛け違いがありませんか。 ボタンの掛け違いの意味がわかりません、 お互いの意見つまり 持ち込む比率と人間のことでしょうか? >緊急避難的な場合を除けば、規制する側に、客観的な論拠を示す義務がありましょう。 緊急避難的な場合?わかりません、客観的論拠を示す?わかりません 誰がでしょう 揚げ足はとっていません いつ誰が何処でが判らないのです。私がなのでしょうか?それとも 提示する側でしょうか > 入山規制の正当性を問うためには、反証はあればありがたいものの必須ではなく、規制側の論拠が弱いことを突くだけで足ります。 それはそのとおりです。 相手の論拠の弱いところを突いて押し切る手法です。 一部の隙でもそこを突かれれば何らかの形で何かを証明しなければ 押し切られます。 >自然公園法などに基づく一部を除く多くの入山規制は、実は法的な根拠が弱いものと認識しています。どなたか最高裁までいく覚悟で争ったら面白そうですけど。 法的な根拠は無いと思います。勝てるかも知れません?元々乱開発防止が目的だと思います。本音を言えばこんなでかい山小屋を作って、これは乱開発? そう感じます。 > とりいさんの論点は「規制しよう」にありました。よって、より高度な論拠を求めたにすぎません。 > > >>もし仮出来たとして、その数字は双方信用しない、もっと言えば信用したくない、それが本音になってしまうと思います。 > > 動物実験なんかでよくありますね。 > これを避けるがために、「始めに結論ありき」がイヤなのです。 動物実験それと極論を持ち出す動物愛護そうだと思います。自分に不都合な結果でると信用しない 、したくない、そう思いたいのでしょう >>C.W.ニコル氏はアフリカを去る時どの様な状況であったか不明です。 > >不明なのにどうして 不明だから判断はつかないと思います。愛犬を射殺すること是非は判らない私はそう思います。 深く悩んだかも知れない、冷酷に撃ち殺したかもしれない、 はたのさんはどうですか? 自分を手助けしてくれる生き物を冷酷に殺しますか? 毎日面倒を見て大事に扱っているはずです。 狩でもしはたのさんを手助けしてくれる 動物が傷ついて助からないとします。 殺すかも知れない、あるいは死ぬ直前まで生かす努力をするかも知れない はたのさんの判断どなるか不明です。殺したとして、自分の行為を崇高な行為だと言いますか? >>決して誉められる行為ではありません、救える命は救った方がいいのです > > こういえるのですか? > 不明ならば判断できないはずではありませんか? この点については明確に撤回と謝罪を求めるものです。 謝罪しません もともと謝罪するつもりなら書きません >>「C.W.ニコル氏は正しい行為をした」 >不正確な引用はご勘弁願います。この点についても明確に撤回と謝罪を求めるものです。 勘弁出来ません 謝罪もしません 不正確な引用とも思いません、何で謝罪しなければいけないのでしょう?謝罪とは悪いことをしたと言う自覚あってこその謝罪です。 なにも悪いことはしていないのに謝罪する? ハタノさんは悪いと感じていないのに相手に謝罪しますか? > 私は >>>好悪は別として、他者が安易に非難してはいけない崇高な行為ではありませんか? > と書いています。 > いずれにせよ、「モーガス」のご一読をお勧めします。ご熟読の上でリーズナブルな代案とともに非難なさるのなら反論いたしませんので。 「モーガス」?一読はしません 私の思う事を書いたまでです >>どちらも優先されないと思います。貧しい国ならそれは判りません、多分後者でしょう しかし日本における狩猟行為は貧しいがゆえなのでしょうか? >>自分を助けてくれる猟犬、その他動物を安全にしかも大事にする。 私は日本の狩猟環境において「それが出来ない」 そう言われるハンターの方がいるとすれば、悪質なハンターです。 > > 貧しさがどう関係するのでしょうか? > 管理責任を求めるのなら、呼応した権限として、殺処分を認めなくてはフェアでありません。現行法では殺処分は認められていますから。愛犬と旅 Mさんが、あるいは私が、個人的にイヌを殺すことを嫌うかどうかは無関係です。責任と権限は呼応する、というだけのことです。 「自分を助けてくれる猟犬、その他動物を安全にしかも大事にする。 私は日本の狩猟環境において「それが出来ない」 そう言われるハンターの方がいるとすれば、悪質なハンターです。」 そうおもうだけです。それ以上意味はありません、 >どちらを「も」優先できる「かもしれません」。けれど常に両立するとはかぎりません。 > 会社が倒産するとか、いろいろ有り得ます。そう簡単に悪質といっていいものですか? >「優先」というのは両立しない場合にどうする? ってハナシです。両立してほしいなあ、とは異なります。 言い方はさまざまです。 ほしいな? でもいいかもしれません、 はたのさんがそう言うなら 私がはたのさんの言い方は悪だ!そうは批判できません しかし私は「いいな」 なんて思えないのです。この思いもはたのさんからは批判出来ないと思います。 > 言い換えると、「悪質」を狭くとって、濡れ衣は起きないかわりに「真に悪質」なハンターが逃れることがある、 > のと、 > 広くとって、「真に悪質な」ハンターを網羅するかわりに濡れ衣が頻発する、 > のとどっちがマシでしょうか? > ってことなんです。 > > 殺処分そのものに反対するというのはまた別のハナシです。そうなればハンターによって殺される数は限られるわけで、非ハンターによる殺処分から優先して、あるいは少なくとも平行して、論じなくてはなりません。なのにハンターをことさらにやり玉にあげるとすれば、そこには差別があると判断さぜるを得ません。 ハンターだけではありません 一般の犬飼だって最低です。 ハンターよりひどいのが現状かも知れません ただここでは猟犬を考えるのテーマですからそう言うことになると思います。 ハンターイコール悪い人だなんて思っていません、差別なんてとんでもない事です。殺処分そのものに反対はしていません、それはそれで仕方がないそう思います。 しかし殺処分そのもの私は賛同出来ない? それだけです。 やり玉に上げてやろう そんな気もありません >>ハンターの方のハンティング行為を命を奪うと責められるものではありません、我々だって多くの命を奪って生きています。でも「猟犬を殺しても許される」 自らの口からそう述べられるのは誉められません、ハンターの人は一般の人より命の意味を知っているのではないかと思います。 > ですから、「管理責任/権限」と「生命倫理」は別問題でしょう。 私には難解です 管理責任 若しくは権限放棄で結果射殺に繋がる?そう思っていたのですけど、私が誤解しているのかも知れません >>それが出来てこそ誰もが認めるハンターであると私は確信します。 > 尊敬を集めるようなハンターの話ででしたっけ? 撤回します。 > そうではなく、「最低限このぐらい」を論じているのではありませんでしたか? > 素晴らしい運転マナーをもつドライバーは誉められるべきですが、平均的なドライバーを含む「素晴らしく」はない者全員から免許を取り上げるべきなのですか? それは出来ないでしょうね、 ただ私の中ではこう思っている部分があるんです。 今に日本のハンターはF1ドライバーだけが生き残っている。すなはち 車を運転する時代ではなくなった車はすべて自動運転、で動いている。 それをあえて運転している。 道楽? 伝統を守る人たち? 選ばれた人たち? はたのさんから反論がきそうですが あえて、素晴らしい運転マナーをもつドライバーのはずです。 違いますか? > ハンターがハンターに向かって「誰もに認められるようにしよう、なろう」というならともかく、非ハンターの立場からハンターにむかって言って礼を失しないことでしょうか? そう思いません、非ハンターであろがなかろうが思うことと言うのは当然自由です。 はたのさんは経験もないくせに無礼なやつめ 私をそう思っているのですか、 非ハンターが何を言うそう思っているかも知れませんね >また、愛犬と旅 Mさんが、あるいは私を含む誰でもが、「確信する」かもこの際どうでもいいことでしょう。その確信は他者に共有されない主観にすぎません。みんながそれぞれの確信をぶつけあったら水掛け論で終りです。 はたのさんがそういうならそうでしょう、私と考えが違うだけです。 水掛け論になるのは仕方ありません、すべての事柄が明快に解決出来なくても良いように思います。はたのさん考え方を知る事が出来ます。 > そうならないためには、論拠が要るだろう・・・と申し上げています。 > > |
>>> 猟犬に危険性はありますが、では、その程度は、他の危険性と比べてどうか? どの程度のコスト(直接のお金のみならず、マンパワーや、ハンターに対する規制という私権・人権の制限、そのための行政コストみな含む)をかけるに価するのか、同じコストを別の目的に向けたらもっとリスクが減らないか? というのがひとつ。 > >>集計を採る事はと同じで、とても解決出来る題目ではないと思います。 > なぜでしょう。 > ある行為の時間当たりの、あるいはある生活習慣の危険率など、多くの研究があります。必ずしも行政に反映されるとはかぎりませんが、たとえばスペースガード計画などのように生かされている例もあります。 > 猟犬による事故についても、金さえ使えばある程度の調べがつくでしょう。イヌの問題行動の専門家は日本にも何人もおられます。 誰が実施するかです。 もし集計が出来きハンターの方に有利な結果だでたとします。例えばハンター嫌いの人は認めますか? 認めたくない、その数値はおかしい?ハンター若しくはハンターに味方する人の 採ったのは信用出来ない、そう言われませんか? >>未開の国もしくは 貧しい時代であればその教材は好むと好まざるとにかかわらず存在したのでしょう、 当然親が教えなくても知恵は付きます。 ハンティング術を学ばなくても、手作りのゴム銃で鳥を射止めます。貧しいがゆえ子供たちはある意味成長します。その理論は正しいとのでしょう、しかし社会全体がその時代に逆戻り出来るのでしょうか? 疑問ですね、 > これも貧しさや「未開(この言葉は不適切と思いますが)」かどうかとこれまた関係がないでしょう。 > 判例の傾向がかわるだけでも大違いです。 > ハンティングを学ばせようといっているのではありません。一般的な危険回避技術の中に対動物も含めさせられないだろうか? というだけのことです。 > やれ運梯から落ちて、やれサッカーゴールに頭をぶつけて、子供が亡くなるたびに管理責任を問う訴訟が発し、しかもかなりその責任が認められる、という判例の傾向があります。 > イヌが吠えただけで飼い主に責任があるとした判例もでましたね。 > > これを加速するような(とりいさんの)「世論形成」には賛成しかねる、ということです。 今はそう言う事になるのは仕方がないのではないですか? はたのさんがいくら頑張っても その方向に引きずられるのは仕方ないでしょう、私だって 「なんで悪いんだ! このやろー!」 そう言いたい気持ちはあります、 しかしまともに発言したとことでなにも変わらない気もするんです。逆に対立して悪い方向に進む気がします。 > 私だって、ハンターに言いたいことはいくらもあります。イヌの扱いから獲物の処理まで。簡単にイヌを替えるな、捨てるな、殺すな! > けれどそれらは、非ハンターと共通する話です。イヌを捨てる、殺す、不適切な飼い方をする、ハンターに限りません。背ロース以外を捨てちゃうなど生命を粗末にする、これまたハンターに限りません。 > ハンターのみに注目して妥当なのは、銃器の扱いぐらいではありますまいか。 ハンターに限らないのはその通りです。私もそう思います。 > 共通する問題についてハンターのみねらい撃ちるのはアンフェアです。差別意識を疑わざるを得なくなります。 少なくとも私は狙い撃ちはしていません ここでは猟犬のテーマですからハンターになってしまうと思います。 > ハッキリいってしまえば、ハンターを巡る問題には、血や死を厭う差別意識(無自覚にせよ)、ケガレ思想が関与しがちなのです。 > まあ、軍人・屠畜および畜肉処理・芸人に対する差別は古事記以来の日本の伝統ではありますが・・・。 > だからこそ、世論のファシズム化を特におそれます。狂牛病騒動を引いたのもそりれ故です。同じ下地に乗りやすい事柄ですから。 > > 猟犬による事故にしても、本質は「猟犬か否か」ではありません。 > 「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌの取り扱い」が問題なのです。 > たとえば猟犬として使われているセッターは、適切な訓練をしていない(訓練不足、不適切な訓練をされた、両方を含む)G.シェパードやエアデールテリアやピレニアンマウンテンドッグより平均的に安全でしょう。問題は「猟犬」ではない、というわけです。 動物環境によって性格が左右されると思います。それはその通りだと思います。 > 考えるきっかけとしては、猟犬はなかなか面白いと思います。 > しかし、ハンター=悪あるいは悪質ハンター=悪では、どうも発展性がありませんでしょう。 猟犬について考えるだからだと思います。テーマが違えば、悪質な犬連登山そうなっても私はかまわないと思います。 しかし誤解は招くかもしれません 悪質な犬連登山 犬連登山すなわち悪質になるかも知れません、たしかに発展性は無いかも知れません > 「子供の安全確保」というテーマであるならば、「猟犬と」ではなく「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌと」とすることで、どのぐらいのコストをかけてどんな義務を飼い主に課せば、また、公教育の場で動物の都市り扱いの常識をどのぐらいのコストをかけて教えれば、どのぐらいの効果があがりそうだ・・・と論が繋がります。 現実出来るのでしょうか? 誰が口火をきるのでしょうか? > と、結局のところ、 >「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌ」の一部としての猟犬を考えるなら(同時に猟犬ではない「幼児と同大以上の生き物に対する襲撃を行いやすい傾向にあるイヌ」についても考える必要がありますが)、 > 実際に猟犬、この場合は要するにシシ犬ですが、を訓練し使役している、なるべく多くの(「悪質」に思えるひとを含む)ハンターがどんな理由でなにを優先してどういう考えのもとにどういう訓練を行っておりどのように使役しているのか、 > どういう訓練を受けたどのように使役されるイヌが事故を起こしやすいか、 > を調べ、 > その目的(つまりは訓練・取り扱いがラクで、イノシシがとれる)をできる限り確保した上で、 > 現状より「安全」なやり方がないものか、を探ればいいわけで。 > > それでもあかんという時になって始めて規制を考えればよいのです。 > > いわゆる咬み留め猟が禁止になりました。 > 私個人としては咬み留め猟は好きではありませんが、禁止にいたる手続きは適正でなかったと考えています。 私はハンターの事は判りませんが 猟犬と名が付き噛み付き事故を起こせば猟犬であるがゆえやり玉に上げられるのは事実です。 猟犬以外でおとなしいと称される ゴールデンでも噛み付き事故はあります。 やり玉に上げられる事に真っ向から理論用い反論しようとしても仕方がないように思えます。 それは理論が正しくても信じたくない人は信じないからです。はたのさんもその点は認識されているのでしょう? 私はハンターの人をやり玉に上げようとも思いませんし、差別もしません、 はたのさんの考えと私の考え何処が違うのか考えの述べさせて頂いたのです。 |
>>C.W.ニコル氏はアフリカを去る時 C.W.ニコルの「人生は犬で決まる」小学館文庫 p38より 引用。 エチオピアで国立公園建設に従事していた2年間、僕のもとに ジャーマン・シェパードがいた。 彼は本当に素晴らしい犬だった。コンパニオンという表現が ぴったりのその犬は、優秀な護衛犬であると共に、僕にとって 慰ともなっていた。あるとき、留守にしているあいだ、繋がれ たまま散歩用の鎖でひどく殴られた。事件のあと、僕にだけは 変わらないが、他の人々には子供にまでも憎悪をむき出しに した。相手が浅黒かったり、現地人の服装である場合特に激し い敵意を持った。 エチオピアを去るとき、この犬は エチオピア人の助手に残し ておこうと思っていた。その犬がふいにジェラダ・ヒヒに飛び かかり、母親ヒヒの背中から子供をひきはがして殺したあと、 オスのヒヒたちが攻撃にやってくる前に逃げてしまった。 1時間ほどして僕らのところに戻ってきた犬は、ひどく恥ずか しそうにしていた。何か悪いことをしたのはわかるのだけれど、 自分でもどうしてそんなことをしたのかわからないといった様 子だった。 それから1週間して、彼はふいにエチオピア人の子供を攻撃 しようとした。うなり声をあげながら、必死で引きちぎろうと しているのだ。その子供は羊飼いで、どうやら前から犬に石を なげるなどしていじめていたらしい。他にもいくつか説明の つかない、ひとつ間違えたらえらく危険となるような行動に僕 は気がついていた。 この犬を訓練したのは僕だった。命令一下、敵に飛びかかり 武器を持っている相手の腕の動きを封じ込め地面に倒して押さ えつける。緊急の場合には、ためらわずに相手の喉を襲うこと さえ教え込んであった。大胆で恐れを知らず、このうえなく従 順で、僕の命令には決して逆らわない。彼はそういう犬だった。 そう、確かに徹底的にいじめられたあの日までは。 公園を去る日、彼に肉を食べさせてやり、やさしく撫でてやった。 それから気がつかれないようにうしろに回ると、銃で頭を撃ち 抜いた。いまだにこの時ほど苦しい思いをしたことはない。 だが、僕にはそれをしなくてはならないことがわかっていた。 それをやれるのは、僕しかいないことも。 |
私の言っているのは、この犬の例と似ていると思います。 高度に訓練された犬が、何も悪いことをしていないのに山中に捨てられる。それも大抵はヒモでつながれて。 飢えると思います。餓死する犬も多くいるでしょう。 そして野生化する。 それは、飼い犬を放し飼いにするより良心的だとおっしゃる。 猟犬の戦闘能力が高いといえば、そうではないとおっしゃる。 そういう猟犬が山中にいて、ひとつ間違えば襲われるかもしれないという危険を、無責任なハンターが生み出しているという状況を、池遊びやナイフ遊びと同じで、子供は危険と付き合う力がいるのだとおっしゃる。 大変に失望するとともに、議論にすらなっていないことを認識しました。 できることなら、ハンター・愛犬家・犬を訓練する人(なんと言うのか知りませんが)・先生など・保護者・子供など、みんなで人間と犬とのかかわりの歴史を学び、犬をもっと身近に感じるとともに、心無い無責任なハンターの良心を呼び起こすような活動をしたいなと思っていましたが、そのようなことはかなわぬ夢であるとわかりました。はたのさんやSuzukaさんと相互理解することも、私には不可能だと思えます。 私は、やはり法規制に向かって行動することにします。 PTA組織を動員した市町村・県規模署名運動、各界議員や行政への粘り強い陳情、とにかくいろいろな方法で、法規制に向かって運動していくことにします。 それなりに忙しい中、そういうことに踏み出すのには躊躇もあったのですが、この掲示板のおかげで、パワーが沸いてきました。 みんな仲良く、が無理であれば、やはり戦うしかない、ということですね。 |
▼とりいさんへ 運動を、がんばって下さい。応援します。 ただ、はたのさんやSuzukaさんのような意見もあります。 お互いに少し誤解しているように取れる所もありますが、皆さんの主張される事を理解しました。(したつもりです) 「悪質ハンター」を取り締まる、では悪質ハンターとは?法制化するには定義しなければならないと思います。「猟犬放置」これを禁止する法はできないのでしょうか。こちらの方が簡単なように感じますが。 「猟犬法置」これが原因で、とりいさんの地域の子供や飼い犬に危険を及ぼしているのでしょ?? 家庭で飼われた犬、猟犬、どちらも捨てたり放置したりしてはいけないと思いますが、猟犬の場合少し意味が違うと思います。 猟犬の放置は山の中、置き去りにされた(捨てられた)猟犬は簡単に人の目に触れられず、飢え、野生化する可能性が大きいです。 家庭犬でも山に置き去りにされれば、野生化し人を襲うかもしれません。 北海道犬の訓練を見た事がありますが、繋いだ熊に向かって吠えるようにさせていました。怖がらず逃げない犬に訓練していました。 猟犬で臆病な犬はいないのではないでしょうか。(猟犬として使われる犬種の事ではないです、猟犬として訓練を受けて働いている犬の事です) 獲物とみなした物に向かっていく訓練を受けた犬が人間のリーダーを失った場合、一体どうなるのか? 猟犬に会った事がありますが、危険な狂暴な犬ではありません。しかし側には所有者(リーダー)がいました。 一般に捨てられる犬は、保健所へ連れて行かれ、一般の人に危害を加える事は少ないと思います。町で犬を置き去りにされても、すぐ捕獲又は保護される可能性が大きいいです。 しかし山の中への置き去りは、人の目に触れにくいだけ危険な事です。 山中に捨てられる犬が全て、或いはほとんど猟犬なら、ハンターに訴えるべきだと思います。 町で野犬に襲われたら、飼い主がいないので飼い主を罰する事ができない。 しかし、とりいさんの地域で野犬に人が襲われたら、襲った犬が猟犬であると確認できたら、飼い主はハンターと限定されます。 糞を持ち帰らない飼い主の為に、ちゃんとマナーを守っている飼い主までもが、犬を飼わない人達から嫌な目で見られるます。 ハンターの方から声が上がっても良さそうな気がしますが。 >私の言っているのは、この犬の例と似ていると思います。 >高度に訓練された犬が、何も悪いことをしていないのに山中に捨てられる。それも大抵はヒモでつながれて。 >飢えると思います。餓死する犬も多くいるでしょう。 >そして野生化する。 > >それは、飼い犬を放し飼いにするより良心的だとおっしゃる。 >猟犬の戦闘能力が高いといえば、そうではないとおっしゃる。 >そういう猟犬が山中にいて、ひとつ間違えば襲われるかもしれないという危険を、無責任なハンターが生み出しているという状況を、池遊びやナイフ遊びと同じで、子供は危険と付き合う力がいるのだとおっしゃる。 > >大変に失望するとともに、議論にすらなっていないことを認識しました。 >できることなら、ハンター・愛犬家・犬を訓練する人(なんと言うのか知りませんが)・先生など・保護者・子供など、みんなで人間と犬とのかかわりの歴史を学び、犬をもっと身近に感じるとともに、心無い無責任なハンターの良心を呼び起こすような活動をしたいなと思っていましたが、そのようなことはかなわぬ夢であるとわかりました。はたのさんやSuzukaさんと相互理解することも、私には不可能だと思えます。 > >私は、やはり法規制に向かって行動することにします。 >PTA組織を動員した市町村・県規模署名運動、各界議員や行政への粘り強い陳情、とにかくいろいろな方法で、法規制に向かって運動していくことにします。 >それなりに忙しい中、そういうことに踏み出すのには躊躇もあったのですが、この掲示板のおかげで、パワーが沸いてきました。 > >みんな仲良く、が無理であれば、やはり戦うしかない、ということですね。 |
▼はたのさんへ もはやお話しすることはむなしいだけですので、控えさせていただきます。 咬傷被害に会った子供のご両親が、はたのさんのレスに憤っておられることだけをお伝えします。 どうしてかはご自分でお考えください。 |
▼とりいさんへ はじめまして。 甲斐犬を飼っており、私自身は狩猟をやりませんが、犬種の本来 の姿での保存を望んで、繁殖した子犬の一頭を猪猟犬候補として 狩猟をされる方にお譲りした経験をもつ者です。 とりいさんは、何をもって『悪質な』とお考えですか? > 無垢に人間を信じる犬を捨て、時には殺すことですか? > 捨てた猟犬が子供やペットに危害を及ぼすかもしれないという事にたいして何ら責任をとろうとしないことですか? 狩猟は現在の日本では趣味の領域がほとんどです。 しかし、はたの様が御指摘されているように、農作物の保護(害 獣駆除)を担っている面もあります。 また、現在天然記念物に指定されている日本犬はすべて猟犬とし て発祥・伝承されてきた犬達であり、本来の姿で保存するために は実猟に用いることが必要です。 多くの公園で、一部の悪質な飼い主(ノーリードや糞放置)の為 『犬立ち入り禁止』の立て札をみかけます。 行政レベルで、マナーを心得た飼い主とそうでない飼い主を区別 することが困難なため、『すべての犬と飼い主』を排除するとい うクソもミソもいっしょくたに扱う解決法しかないからです。 ハンターに関しても同様のことを心配しています。 おそらく、はたの様がファシズムということで心配されているの もそういうことではないかと想像しています。 本当に猟犬による被害をなくそうとしたら、猟犬という存在その ものを葬りさるしかないという結論になってしまいます。 とりい様は、 > 飼い主が特定でき、必要に応じて免許剥奪などができるような > 措置 と書かれていらっしゃいますが、どのような行為をもって免許を 剥奪するに足る『悪質な行為』と定義すべきとお考えですか? それは行政レベルで取締が可能な、具体的かつ妥当性をもつもの でないと、上記の公園のような『すべて排除』的措置につながり そうなれば、害獣駆除が必要な農家や、日本犬保存団体から強い 反対が出ることになると思います。 『悪質なハンターの駆逐』には賛成です。 ただ、悪質なハンターだけを駆逐することの難しさにつき、どの ようにお考えか教えていただきたく書き込ませて頂きました。 |
悪質とは、自分が責任を持って飼う(言葉が適当ではないかもしれませんが)べき、そして戦闘能力に長けるゆえに、適切な管理の下に置かないと人に危険な行為を及ぼすかもしれない猟犬を、適切に管理しないハンターのことです。 猟期の終わりに山中に猟犬を捨てるとどうなるか、野生化(という言葉が正しいのか、「飢える」というべきなのかはわかりませんが)して人間を襲ったとき、その戦闘能力からみて子供などの弱者はどうなるのか、そういう危険を回避する責任を、ハンターは持っているのではありませんか? 歩きタバコは、小さな子供をやけどさせる危険があります。大人の視点と子供の視点の違いから起こる過失です。わざとやってはいません。 だから「仕方ないじゃん」とは言えないのではないでしょうか? 子供に限らず、いろいろな危険の中で人間は生きていますから、危険予知・回避能力を子供に持たせるのは必要なことでしょう。 だから、歩きタバコはかまわないと思いますか? はたのさんが、池やナイフを持ち出して、猟犬の危険があることを正当であると主張されるのは、歩きタバコと同じことだと思います。 猟犬が悪いのではない。それは確かだと思います。 犬、それも戦闘能力の発達した犬を適切に管理できない悪質ハンターの責任だと言っているのです。 大型犬を繋がずに飼って、隣人を襲う危険性を放置することよりも、さらに悪質であるとは思われませんか? 規制・抑止というものは、そればかりになってしまってはいけませんが、必要であると私は思います。 悪質ハンターの中にも、「言えばわかる」人はいるでしょう。しかし、罰則規定で規制・抑止せざるを得ない輩もいることは事実です。 法律うんぬんということに関しては、法律をこれから作るべきであると思います。猟犬問題の実態を、より多くの人に知ってもらい、世論を喚起して、無責任ハンターを規制する法律を作ることが必要だと思います。 ただ、言うは易し行なうは難しで、なかなか有効な手段はないようですね。 私は勉強不足なのでお恥ずかしいのですが、埋め込みチップのような方法が有効と聞きました。これについては、以前に私なりに調べたのですが、もう1年ほど前なので忘れかけていますが。 そういうものがあれば、多少コストがかかろうとも、法律化すればいいと思います。コストはハンターが負うのが適切でしょう。 リスク発生者が社会に対する行為責任として、リスク回避にかかる費用を負うのは、当然のことですから。 |
▼とりいさんへ >悪質とは、自分が責任を持って飼う(言葉が適当ではないかもしれませんが)べき、そして戦闘能力に長けるゆえに、適切な管理の下に置かないと人に危険な行為を及ぼすかもしれない猟犬を、適切に管理しないハンターのことです。 >猟期の終わりに山中に猟犬を捨てるとどうなるか、野生化(という言葉が正しいのか、「飢える」というべきなのかはわかりませんが)して人間を襲ったとき、その戦闘能力からみて子供などの弱者はどうなるのか、そういう危険を回避する責任を、ハンターは持っているのではありませんか? う〜ん・・・ 私がお聞きしたかったのは、『責任』というような抽象的かつ主観的なものではないのです。 前回投稿でも書きましたように、誰にでもそれと判断できる(すなわちとりい様が望んでいらっしゃる法的規制になりうる)具体的な行為についてです。 責任という抽象的な言葉では、別スレッドではたの様と愛犬と旅M様が論争されている『犬を殺すことも責任のとりかただ』『いやどんなことがあっても命は奪うべきではない』というように各個人各立場によって責任の考え方が違いますよね。 そういう抽象的な言葉では『モラルの向上』の啓蒙にはなるかもしれませんが、『規制』にはつながらないと思うのですが、とりい様はどう思われますか? >犬、それも戦闘能力の発達した犬を適切に管理できない悪質ハンターの責任だと言っているのです。 >大型犬を繋がずに飼って、隣人を襲う危険性を放置することよりも、さらに悪質であるとは思われませんか? これには賛成できかねます。 少なくとも以下の2点について、とりい様の認識は誤っていると思います。 まず1点。 大型犬を繋がずに飼うことは自治体条例違反(これをもとに狂犬病予防法にもとづく法的処罰にいたることができます)です。 『適切に管理する』という、より高度な行為と、このような条例違反行為を同列に論じること自体無理があると思いますし、条例(法律)違反の方がマシ等とおっしゃるのなら、『法的措置』なんて作ったって無駄なんじゃないでしょうか? さらに2点目。 > 犬、それも戦闘能力の発達した犬 と、おっしゃいますが、とりい様は訓練された猪猟犬を実際に御覧になったことがおありでしょうか? 猟犬に対する認識があまりに偏っているように思います。 猪猟犬の多くは、そのへんの繋がれっぱなしの一般家庭犬に比べたら余程大人しく非戦闘的です。 多頭で猪を囲む以上、犬同士や他人に対して攻撃的では仕事になりませんから。 どうぞ、猟犬について何かおっしゃるのでしたら、せめて実際の猟犬をせめて数グループでも御覧になってください。 もちろん、中にはとりい様が書いていらっしゃるような犬もいるでしょう。 でも、その一握りの犬をもって『猟犬は・・・』とひとくくりにされるのはいかがかと思います。 私は、自分の繁殖した子犬を猪猟犬候補としてお譲りする際に、お願いしたことがあります。 『猪猟犬として使い物にならなかったとしても、どうか捨てたり殺したりしないでください。そのようなときには、こちらから引き取りにうかがいますから犬を返してください。』 今、考えてみると、これも作出者の責任のとりかたのひとつなのでしょう。 そのとき(今も)は、そんな大上段に構えたことは考えておらず、ただ、自分が繁殖した犬が捨てたり殺されたりするのは嫌だという感情だけでしたが。 そういう約束があるので、猪猟犬候補として送り出せたのは1頭だけでした。 本当はもっとたくさん送り出せれば、それだけ猪猟犬として大成する犬が出る確率も高くなり(訓練すればみんなが猪猟犬になれるわけではないのです)、目的である甲斐犬本来の姿の保存に貢献できる割合も大きくなったのでしょうが、私が飼育できる犬の頭数にも限りがありますから、戻されてきてしまったときのことを考えると1頭送りだすのがやっとでした。 私のしたことが責任ある行動といえるかどうかはわかりませんが、『責任』とか『適切な管理』なんて他人に規制されるものではなく、こういう『自分が繁殖した犬が殺されたり捨てられるなんて嫌』とかいう自然な気持ちから発生すべきものじゃないかなぁ・・・と、やるせない気持ちでいます。 他人から強要された『責任』なんて信用できない気がするんですもの。 マイクロチップは確かにある程度は有効だと思います。 ただ、埋め込みをしていない犬を連れているハンターがいないかどうか監視するシステムが必要になります。 自動車のネズミ取りのようにハンターに気取られないような状況で不意に検査しないと意味がないため結構な人的物的コストがかかりますし、猟期に猟区内で検査するのですから検査員達が誤射されてしまう危険もあります。 なかなか実際に運用されるのは難しいのではと思います。 ハンター達の中で自主的にモラル向上を促すような運動がおきるのが一番いいと思うのですが・・・ 外から言われると、どうしても対立構造になってしまって、無意味な論争や役たたずの条例ばかりになってしまうのではないかと危惧します。 ですから、はたらきかけとしては、とりい様のような方々の代表が実際の被害例のデータを持参して、猟友会のお偉方と話し合いの場をもち、双方の意見をすりあわせ、あとは団体内で最低限のモラルの徹底をはたらきかけてもらうというのがいいような気がするのですが、甘いですかねぇ・・・。 |
補足です。 モラルの低いハンターのことを苦々しく思っているのは、おそらく他ならぬ(良識ある)ハンターだと思うのです。 部外者はきっかけを与えるだけで、あとは内部でお互いに監視するシステムを作る方が、実際的であり効果的だと思うのです。 モラルに反する行為を目撃しやすいのもハンター同士でしょうし、それを訴える場(所属猟友会)を持っているのもハンターですから。 すべてのハンターを敵にまわすよりも、良識的なハンターは味方につけて一緒に行動してもらう方が得策なのではないでしょうか? |
>私がお聞きしたかったのは、『責任』というような抽象的かつ主観的なものではないのです。 >前回投稿でも書きましたように、誰にでもそれと判断できる(すなわちとりい様が望んでいらっしゃる法的規制になりうる)具体的な行為についてです。 悪質ハンターというのは、猟犬を山中に放置して、捨てて帰ってしまい、その後何が起ころうと関知しない、飼い主としての責任を放棄したハンターのことであり、悪質な行為とは、猟期が終わったあと、猟犬を山中に放置して(捨てて)帰る行為です。これがもっとも代表的な行為です。 その動機はよくは知りません。猟犬を連れ帰ってオフシーズンの間「無駄飯」を食わすより、次のシーズン前に買い換えたほうが安いので、山に捨てて帰るのだと聞きました。違っていたらご指摘ください。 >>犬、それも戦闘能力の発達した犬を適切に管理できない悪質ハンターの責任だと言っているのです。 >>大型犬を繋がずに飼って、隣人を襲う危険性を放置することよりも、さらに悪質であるとは思われませんか? > >これには賛成できかねます。 >少なくとも以下の2点について、とりい様の認識は誤っていると思います。 > >まず1点。 >大型犬を繋がずに飼うことは自治体条例違反(これをもとに狂犬病予防法にもとづく法的処罰にいたることができます)です。 >『適切に管理する』という、より高度な行為と、このような条例違反行為を同列に論じること自体無理があると思いますし、条例(法律)違反の方がマシ等とおっしゃるのなら、『法的措置』なんて作ったって無駄なんじゃないでしょうか? 犬を山中に放置し、飢えて野生化した場合に、土地の人に大変な迷惑をかける可能性があるのに捨てて帰るのは、犬を放し飼いにするという違法行為より、もっと悪質なのではないか、と申し上げているのです。 法に触れないから、犬を捨てて帰るほうが放し飼いより良心的だというお考えには私は同意できません。なぜなら野生化した猟犬は、訓練を受けているがゆえに危険だと思うからです。 今ある法にふれないから、すなわち良心的、罰則が軽いから良心的、ということには同意できかねます。 法律は、社会ニーズに着いて来ます。「これを何とか規制してくれ」という社会ニーズの高まりが法整備をもたらすのです。 それは、たとえば重大事故につながる可能性があるのに飲酒して酒酔い運転をし、複数の人を死なせてしまって懲役3年。ただの余所見で過失致死事故を起こしたときと同じ。だから両者の悪質度は同様。ということと同じだと思います。 > >さらに2点目。 >> 犬、それも戦闘能力の発達した犬 >と、おっしゃいますが、とりい様は訓練された猪猟犬を実際に御覧になったことがおありでしょうか? >猟犬に対する認識があまりに偏っているように思います。 >猪猟犬の多くは、そのへんの繋がれっぱなしの一般家庭犬に比べたら余程大人しく非戦闘的です。 >多頭で猪を囲む以上、犬同士や他人に対して攻撃的では仕事になりませんから。 >どうぞ、猟犬について何かおっしゃるのでしたら、せめて実際の猟犬をせめて数グループでも御覧になってください。 私は何度も見ています。山で出くわしたこともあります(私は地質調査の仕事をしており、学生時代から年間200日近く山に入っていたような者ですので)。 猟犬はよく訓練されています。そのとおりです。 そのことと、戦闘能力の高い低いは別ではないのでしょうか。 私には、猟犬の動きのほうが普通の飼い犬より俊敏に見えました。戦いにおいて、普通の飼い犬より強いわけではないとは思えないのですが・・・・ 戦う場合の戦闘能力が普通の飼い犬と変わらないとおっしゃる根拠を示していただきたく思います。 理性の吹っ飛んだ人間が2人いて、一人はふつうのおじさん、もう一人はプロレスラーとして、どちらが危険でしょうか。 私が言っているのは(私は何度も言っていると思うのですが)、飼い主が山中に放置して、飢えて野生化した猟犬のことです。狩猟に参加している猟犬(高度に訓練され、統制下にある猟犬)のことでは決してありません。 >私は、自分の繁殖した子犬を猪猟犬候補としてお譲りする際に、お願いしたことがあります。 >『猪猟犬として使い物にならなかったとしても、どうか捨てたり殺したりしないでください。そのようなときには、こちらから引き取りにうかがいますから犬を返してください。』 その犬が、猟期の終わりに山中に捨て置かれ、野生化し、一般の飼い犬や人を襲うということは、あり得ない話なのでしょうか。 軒先の飼い犬や子供を襲い、ケガをさせ、時には殺してしまう猟犬がいるのは事実です。そして、そのショックをひきずったまま大きくなった子供が私の町にいます。 猟犬を管理せず、山中に放置して野生化させ、危険を生み出すハンターがいるのも事実です。それは普通の犬の放し飼いより良心的だとおっしゃるお考えが理解しかねます。 猟犬は戦闘能力が高くないということも、わかりかねます。ならばどうして飼い犬は殺されてしまったのでしょうね。 私は今、大変失望しています。 猟犬が戦闘能力が高い、ということすら認めない、というのは、非常に頑なに思えます。猟犬は狩猟という戦いの訓練をしているのだと思っていましたが、それも違うのですか? そして、そういう犬を野生化する危険を顧みず山中に放置して、あとは知らん顔。そういう行為が放し飼いより良心的だと言われる・・・・何か、全く異質の文化圏の人と話しているような気分です。 ここでこのような無駄な時間を過ごすより、規制法の成立に向けて運動したほうが、はるかに実りがあると思うようになりました。 そういう点で、まあ勉強になったのかもしれませんね。 |
▼とりいさんへ 私の『補足です』とした投稿の方は御覧いただけたでしょうか? >悪質ハンターというのは、猟犬を山中に放置して、捨てて帰ってしまい、その後何が起ころうと関知しない、飼い主としての責任を放棄したハンターのことであり、悪質な行為とは、猟期が終わったあと、猟犬を山中に放置して(捨てて)帰る行為です。これがもっとも代表的な行為です。 具体的な『悪質行為』というのが『猟犬を山中に放置(捨てて)帰る』であることは理解しました。 質問にお答えくださって有り難うございました。 その行為に対するチェック機構として、マイクロチップ埋め込みの問題点について私が投稿した内容もお読みいただけたでしょうか? その問題点の解決法が『補足です』として投稿した、ハンター同士による監視システムです。 内部での監視システムにも欠点はあるとは思います。 しかし、補足にも書きましたが、やはり狩猟そのものが世論によって排除されることにつながりかねない『悪質ハンターの存在』を苦々しく思っているのは誰よりも良識あるハンターであると思います。 その良識あるハンターまで敵に回してしまうような『排除運動』は避けるべきではないかという提案なのです。 その提案にあたって、 >>>犬、それも戦闘能力の発達した犬 のように、猟犬がまるで殺人マシーンであるかのように恐怖を煽るような、あるいは >>>大型犬を繋がずに飼って、隣人を襲う危険性を・・・ のように、比較すること自体に無理があり(どっちも悪質であることには間違いなく、どちらがより悪質かなどということはどうでもよいことなのに)いらぬ議論の対象をつくるような、普通のハンターの反感をかいやすい表現は避けるべきではないかと申し上げているのです。 現に、私の文章力のなさからなのかもしれませんが、 >法に触れないから、犬を捨てて帰るほうが放し飼いより良心的だ などと私がそういう意味では決して書いていないことを、そのように曲解されて、建設的な議論の方向へいかなくなってしまっています。 私が書いたのは、どちらがより悪質かということを論じるのに、同列の内容ではなく違う次元のことを出してきて賛同者を得ようとするのはアンフェアだということ、さらに法規制を作ろうとされている方が法律違反の方がマシだというようなことをおっしゃるのはおかしいのではということです。 私自身は、どちらがより良心的だなどということは一言も言っていませんよ。 どちらが悪質とか悪質ではないという話をされたのは、とりい様の方なのですよ。 >私が言っているのは(私は何度も言っていると思うのですが)、飼い主が山中に放置して、飢えて野生化した猟犬のことです。狩猟に参加している猟犬(高度に訓練され、統制下にある猟犬)のことでは決してありません。 『本来なら猟犬は人間を襲うことなどしない安全な犬』なのに『飢えた、あるいは捨てられたことで人間不信に陥ったために帰人間を襲う可能性が出てくる』と順序だてて世論を煽るのはよいと思うのです。 ただ、最初から『戦闘能力の高い』という恐怖を煽るような表現をすると、本来の安全な猟犬までいらぬ排除心をもたれてしまいかねません。 私が言っているのはそういうことです。 実際の戦闘能力というのは、対猪や対熊であれば歴然と差が出るでしょうが、人間の子供のようなか弱い存在に対しては猟犬であっても家庭犬であっても大した差は出ないと思っています。 どちらの場合も本気で襲う気の犬なら甚大な被害をもたらしてしまうと考えます。 つまり、実際の戦闘能力云々は、本質的な問題ではないのです。 しかし、その本質的ではない表現が、猟犬そのものに対して不要な恐怖感をもたれることにつながり、最初の投稿で書いた『良識あるハンターまで排除』につながることを危惧しているのです。 ご理解いただけたでしょうか? >>私は、自分の繁殖した子犬を猪猟犬候補としてお譲りする際に、お願いしたことがあります。 >>『猪猟犬として使い物にならなかったとしても、どうか捨てたり殺したりしないでください。そのようなときには、こちらから引き取りにうかがいますから犬を返してください。』 > >その犬が、猟期の終わりに山中に捨て置かれ、野生化し、一般の飼い犬や人を襲うということは、あり得ない話なのでしょうか。 そういうことをしないように『送り返す手間もおかけしません。こちらから引き取りに行きますから犬を返してください』とお願いしたという文章なのですが・・・ そこまでこちらが言っているのに捨ててしまうような方にはお譲りしていないつもりですが、そうお願いしないと処分されるかもしれない、捨てられるかもしれないという心配をせざるとえなかったという背景は確かにあったと思います。 >猟犬を管理せず、山中に放置して野生化させ、危険を生み出すハンターがいるのも事実です。それは普通の犬の放し飼いより良心的だとおっしゃるお考えが理解しかねます。 >猟犬は戦闘能力が高くないということも、わかりかねます。ならばどうして飼い犬は殺されてしまったのでしょうね。 だから、そういうことを言っているのではないということは御理解いただけたでしょうか? おそれているのは、最初から一貫して書いているように『良識あるハンターまで全て排除』されてしまうような極端な世論が煽られることです。 そういう極端な世論の種として、とりい様の『猟犬は高い戦闘能力をもっている』や『大型犬の放し飼いより悪質』のような本質的ではない、無駄な恐怖心を煽るような表現を恐ろしく思ったのです。 そして、『補足です』として書いたように、悪質ハンターの駆逐には良識あるハンターまでを敵に回してしまうことは決して得策ではなく、逆に味方としてハンター内で監視してもらうことが近道なのではないかという提案です。 ここまで書いても、まだ異文化とおっしゃられるのであれば、もうそれは本当に異文化なのでしょう。 あとは、このやりとりの経緯を御覧くださった訪問者の方の御判断を信じたいと思います。 |
▼Suzukaさんへ レスいただいていたのですね。失礼しました。 あれこれ長々といっていても始まりません。一点だけ。 >犬、それも戦闘能力の発達した犬 Suzukaさんは、これに賛成できないとおっしゃいました。 「言い方がいかがなものか。いたずらに恐怖心を煽るような言い方は賛成できない」ではなく、「犬、それも戦闘能力の発達した犬」に反対だとおっしゃいました。 ですから私は、「猟犬は普通の犬に比べて戦闘能力が高くはないのか」と反論しただけです。曲解したのはあなたですよ。 私自身は犬は好きです。自分の身の上を話しても仕方ないですが、犬は私の人生に深く関係しています。 私は糾弾しているのは悪質ハンターです。犬ではありません。 ボクサーが喧嘩を自制するように、猟犬を飼っている人は、普通の犬を飼っている人にも増して、社会に迷惑をかけることがないよう自制すべきだと言っているだけです。 …とまあ、このような話をすること自体、暖簾に腕押し糠に釘という奴ですね。 私は悪質ハンターには断固たる措置をとるべし、と考えますし、それを実行に移すべく行動します。 |
4/8のSuzukaさん他の皆さんへのレスは少々感情的になっていました。お詫び申し上げ、最後に補足します。 この掲示板に参加することは、私の所属する市のPTA連合会はもとより、猟犬に襲われ重傷を負った子供(今は高校生ですが)の母校・地域の子供育成関係役員さん・子供のご両親にも伝えてあります。 昨日は、掲示板の内容で連絡も受けておりました。 池遊びやナイフ遊びと猟犬被害が同列に論じられ、子供の「生きる力」を育むために必要であるとさえ言われると、さすがにご両親も心中穏やかではありません。 また、ニコルさんの話を、猟犬放棄と同列に取り上げられたことも、ご家族の皆さんにはショックであったようです。 そういった状況の中で、実際に被害に会った当人やご家族の気持ちを考え、ご家族その他の方々のご意見も取り入れて、これ以上の参加はやめようと判断した次第です。 いろいろな立場の人が、お互いに良い方向を探れることを望んでおりましたが、以上のような状況ですので、ご理解をいただきたいと思います。 追記:管理者様へ。この投稿が、掲示板運営上ご都合が悪ければ削除いただいても結構です。 |
>池遊びやナイフ遊びと猟犬被害が同列に論じられ、子供の「生きる力」を育むために必要であるとさえ言われると、さすがにご両親も心中穏やかではありません。 ナイフは襲ってきません、手元が狂えば指切る程度です。 指全部を切り落とすに至りません、痛いですからね、 動物は別物です。子供のころ馬の世話をしていて噛み付かれた時の恐怖はナイフとは違います。 さすがの鬼親父もその後馬の面倒は見ろとは言いませんでした。 小学生には危険だと感じたのでしょう、巻き割りは免除されませんでしたが そう言う意味でも動物の危険度は刃物と比べ物にならないと思います。刃物も危険と言うなら、ナイフ持って襲ってくる人間と一対のものです。 >また、ニコルさんの話を、猟犬放棄と同列に取り上げられたことも、ご家族の皆さんにはショックであったようです。 私はハンターの方の気持ちにはなれませんが、私なら殺すとき「しまった 管理を怠ったもう少し注意していれば・・」「かわいそうな事をした」そう思いとても後悔します。 ニコルさんもかわいそうにそう思ったはずです? 多分? 周りの人は慰めてくれるかも知れません「仕方がないよ」「やむを得なかった」 色んな言葉で、でも自分のなかではやはり後悔が残るはずであり、誉められる行為をしたなんて思えないものです。 私の知っている人に、親父さんも含めもとハンターの人がいますが、猟犬放置は知っていました ちなみにその方の犬が起こした噛み付き事故は3回、猟犬の忠誠心は強く、それに比例して縄張り意識も強い、 それが第三者に対する攻撃となり噛み付き事故に至ると、 その方は猟犬放棄などはしていません、ある朝元気に会社に行くのを見送ってくれたのに帰って着たら 逝っていたそうです。 白樺湖ペンションオーナの方も実際に放置されていることを知っています。 日本の猟犬問題はニコルさんと同じ思いで放置するとは私は思えません、やはりニコルさんと日本の猟犬放棄は まったく次元が違うと思います。 |
あれからレスが止まっているのですか? 新たにスレを立てて議論していけばいいと思うのですが… やはり「取り付く島がない」のですかね。 我が県の県議会議員の方々のご支援をいただき、行政とともに、悪質ハンター排除のための協議会を持つことになりました。 無論、地元猟友会の方も入っていただいています。 時間はかかるかもしれませんが、無責任な悪質ハンターから地域住民、とりわけ子供を守るため、努力していきたいと思います。 とりあえずご報告まで。 |