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きみかげ |
投稿日時: 2005-12-23 11:51
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Just popping in
登録日: 2005-12-21
居住地: 兵庫県伊丹市
投稿: 3
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Re: おやすみ バズ
MaxとHollyのママさん、はじめまして。 返信どうもありがとうございます。 バズの病気の話を聞き、最期は安楽死という選択も・・と告げられてから、安楽死についてのサイトや投稿を数多く見てまいりました。 MaxとHollyのママさんのお話も読ませていただいておりました。その時はまだ、どのスレにもレスをつけることもできず、ただただ考え込む日々でした。 当日は、MaxとHollyのママさんの「自分の意思とは関係なくことが進んで」とおっしゃっていた言葉を思い返しておりました。
「いっぱい悩んで考えてみることが大切で、出した結果はさほど重要じゃないのかもね。」と。「答えはないかな。強いて言えばどちらを選んでも正しいようで違うのかも知れない。答えがあるとしたら《きみかげ》の中にあるんだと思うよ。」と。当日は、「しっかりと見てきてください」と。そうおっしゃってくださった方がいます。その通りだと思いましたし、その方のその言葉に支えられたと思います。 何が正しくて、何が答えだったのかは、今でもわかりません。 今は、いろんな思いや思い出を整理して、圧縮しているような感じです。それから、心にちゃんと保存しておこうと思います。 時間や、出逢ったいろんなもの、これから出逢うものとが混ぜ合わさって、やわらかな思い出に変わることと思います。 バズやレノンや数多くの先輩たちが、虹の橋の向こうで安らかであることを願っております。
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MaxHolly |
投稿日時: 2005-12-22 16:36
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: おやすみ バズ
きみかげさん、はじめまして。MaxとHollyのママです。 バズの最期のお話を読ませていただきました。とても辛い決断、でも愛犬を思えばこその勇気ある決断だったと思います。実は私たち家族も悪性リンパ腫、白血病、肝臓肥大の病魔におそわれたロクシーという名の最愛の家族を昨年安楽死で見送りました。 バズ君の病気との闘いを読ませていただきながら、ロクシーの闘病生活をつい昨日のことのように思い出し、きみかげさんやご両親のご心痛が手に取るように分かりました。 特に安楽死をお願いしてからの時間の経過は、本当に自分の意思と関係なくことが進んでしまったという印象が強いです。でも、そうでもなければいつまで経っても悲しいお別れの準備なんてできるわけがないのです。一分一秒でも生かしておきたいというのは誰もが願うことですが、目の前に苦しんでいるわが子を前にして、楽にしてあげる以外に私たちにいったい何ができるでしょうか。 バズ君はいまごろ虹の橋の向こうで、レノンママさんに久しぶりに甘えていますよ。ロクシーをはじめ沢山の先輩たちと、きみかげさん家族との楽しかった10年間の思い出話をしていることでしょう。 そう信じてはいてもバズ君の死を現実として受け入れられるようになるまでにはまだまだ時間が必要でしょう。バズ君の思い出話をしたり書いたりすることが一番の供養になると思います。悲しい時、寂しい時は我慢しなくていいんですよ。あなたが立ち直れるまでバズ君は、すぐそこで見守っていてくれてますよ。
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きみかげ |
投稿日時: 2005-12-22 9:49
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Just popping in
登録日: 2005-12-21
居住地: 兵庫県伊丹市
投稿: 3
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おやすみ バズ
実家にいた愛犬バズのお話です。来年の4月で10歳になるGレトリバーの男の子です。昨日、最後を見届けてきました。虹の橋の向こうへ逝ってしまいました。
逝ってしまった、と言うより、送った、と言った方が妥当かも知れません。
悪性黒色腫の末期でした。歯肉できたので、最後は食事はおろか、水さえも飲めなくなりました。生きているのだから、お腹も空くし、喉も渇くでしょう。顔を近づけて欲しそうにするですが、痛いのでしょうね、口を開けることもしませんでした。その日の朝、つまり昨日ですが、父から電話で安楽死の選択を決めたと・・・。
涙を流しながらエサを食べる。水も舐める程度。今まで出したことのないような声で鳴く。二階に上がってきたことないのに、夜中に寂しそうに上がってくる。血はずっと流れ出たまま。お腹は下しっぱなし。ほとんど寝たまま動かない。父にさえ尻尾を振らなくなった。逐一そんな話を聞かされていたので、電話があったとき、とうとうその時が来てしまったのだと思いました。
車で1時間の道のり。私が到着したら、最終決断を・・・そして病院へ・・・そう言われての道のり。私が行かなければ、あと少しでも命を永らえられるのではないのか・・・。私が行かなければ・・・。
病気のことを聞かされてから、毎週末、実家へ様子見に通いました。たった一週ごとなのに、バズの命が確実に削り取られていくのが目に見えてわかりました。来週、また会えるのだろうか・・・そう思いながら実家をあとにしたことを思い出します。最初に病気のことを聞かされ、手術をしてから、昨日でちょうど1ケ月でした。
実家に着くと、バズはいつものように玄関を上がったところで横たわっていました。先週より腫れもずっと大きくなっていて、痩せと腫れのせいで頭蓋骨まで変形し、顔の形も変わってしまっていました。流れ出る血のせいで、美しかった金色の毛は赤く染まり、ごわごわとして・・・。
しんどいんでしょう?お手なんてしなくていいんだよ? 身体をさする私の手にバズが手をのせてきました。 (バズのお手は一般に言う「お手」ではなく、「握手」のようなものです。そばにいると、こちらに向かってすぐ手を延ばす子でした。) その手の重みが以前とは違った意味で重く。そして力なく軽く感じられました。
それから後は、私の意とするに関係なくどんどん事が運ばれていって・・・。
車に乗るとき、尻尾を振っていたのに・・・。 車の後ろ窓から、家の方を見て、寂しそうな声を出していたのに・・・。 (バズ越しに見る、家から遠ざかっていく景色を忘れることはないでしょう。) 診察台が高くて、それが怖くて震えていたのに・・・。 (怖がりな子で、小さいときから診察台の上ではぶるぶる震えて、診察室でお漏らししたことも何度か。ゴールデンで男の子でその量に母や先生と笑ったこともありました。) たとえ苦しく痛い病気でも、まだ、こうして生きているのに・・・。
Gレトリバーの雄で身体も大きいので、注射も大きく、薬液の量も多く・・・。 最期なのに、注射の痛みまで・・・。
先生がバズの腕をとり、注射針を刺そうとしたそのとき、私はバズに抱きついて「嫌だ」とこぼしました。でも「やめて」とは言えませんでした。
薬液がバズの身体に入った瞬間、バズの身体から力が抜け、お座りの格好だった大きなバズの身体は、診察台の上に崩れ落ちました。母は「目を閉じなさい」と繰り返しながらバズの目を閉じさせ、私はバズにしがみついたまま、その死にゆく身体の上に涙を落としました。父はその様子を黙って見ていたように思います。
それから、心臓が止まるまでの2、3分。涙が一時止まってしかうかのような長い時間に思えました。
動くことのなくなったバズを連れて戻り、胸の毛を切り取って庭に埋め、白いシーツで身体を包みました。父は庭に咲いていた花で花束を作り、シーツで包まれたバズの身体の上に、リードと首輪と一緒に置きました。その首輪、思い返せば、私がロンドンで買ってきたお土産だったんですね。
それから程なくして、私は自宅への帰路につき、父母は鎮魂のためだと言って、神戸のルミナリエへ出かけました。おそらくは、まだ少しずつその温もりを失いつつあるバズの身体を残して。父はそのバズに向かって「留守番頼むぞ」と言いました。これまで何度もバズにかけてきたその言葉。昨日のそのときが、バズの最後の留守番になりました。
バズは、私が最初に飼った最愛のレノンの子供でした。レノンは家で11匹のパピーのママになりました。家族総出で出産を手伝い、家族の手でパピーを取り上げました。その中でたった1匹白っぽい毛並みだったのがバズです。その理由から家に置きました。それから、レノンが病気で亡くなるまでの2年間、とても庭が賑やかだったこと。レノンが亡くなったときのこと。バズがレノンを探して探して・・・。それからのバズとのこと。そしてバズを送った昨日のこと。楽しかった思い出も、悲しかった思い出も私にとっても家族にとっても生涯の宝物です。
バズのこと、正しかったのかどうかはわかりません。私たちがそういう選択をしたという事実でしかありません。
帰路につく前に私は、眠っているかのようなバズの亡骸に「私が死ぬときはレノンと一緒に迎えにきてね」と言いました。それはレノンのときにも言った言葉です。私のその「言葉」も、ルミナリエに出かけた父母の「鎮魂」という理由も、綺麗ごとでしかないのかも知れません。ただ、私も家族も、どれほどかわからないほどの笑顔と涙を愛犬からもらったことも事実です。
おやすみ これからは安らかに 遠くから 近くから みんなを 僕を 見守っていて
こころから あふれんばかり 「ありがとう」 どうか 虹の橋の向こうまで どうか どうか届きますように
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