題名 | 投稿者 | 日時 |
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ミック | 2006-7-26 2:00 |
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BadBloke | 2006-7-26 3:44 |
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MaxHolly | 2006-7-26 14:49 |
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BadBloke | 2006-7-26 20:17 |
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HACCI | 2006-7-27 2:55 |
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チャコ | 2006-7-27 10:57 |
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BadBloke | 2006-7-27 12:58 |
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narumi | 2006-7-28 0:03 |
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BadBloke | 2006-7-28 2:18 |
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narumi | 2006-7-28 22:56 |
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ミック | 2006-7-29 2:27 |
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MaxHolly | 2006-7-29 4:35 |
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ジャck | 2006-7-30 0:29 |
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BadBloke | 2006-7-30 3:00 |
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ジャck | 2006-7-30 9:23 |
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ミック | 2006-7-30 23:48 |
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MaxHolly | 2006-8-1 4:11 |
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ジャck | 2006-8-2 11:16 |
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ミック | 2006-8-6 7:11 |
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BadBloke | 2006-7-29 15:10 |
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ジャck | 2006-7-30 2:02 |
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BadBloke | 2006-7-30 5:46 |
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ジャck | 2006-7-28 5:09 |
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丸山 | 2006-9-5 7:24 |
投稿者 | スレッド |
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丸山 |
投稿日時: 2006-9-5 7:24
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
私が言いたいのは「愛犬を切っ掛けとしての人間の会話」ではなく「人間同士の挨拶があってこそ」で まずそこが出来ないのに「犬がどうこう」語ってもらいたくないです。
ミックさんの意見はとても正しい事だと思います 犬がどうこうのとう前に人間同士の挨拶はとても大事だと思います。 人間同士でも見知らぬ人にダッシュで駆け寄られたら何をされるのか恐怖を感じるでしょう、ましてや大型犬でしたらなおの事だと思います その旦那さんの周りには「おたくのワンちゃんはおりこうですねと言う人はきっと、犬を連れている人は既に仲間として挨拶を跳ばしているのかもしれません、 私は我が家の花子と暮らしています。私は花子の相棒です。 花子は私をリーダーとして認めてくれていると思います。多分 仮に花子に近く犬がいるとしたらリーダー同士の挨拶が必要だと思います 犬が人間社会で仲良く暮らすには、まずは相棒たる人間と仲良くなる。そう言う愛情があってこそだと思います。 そのリーダーたる人間を無視し直接ダッシュで駆け寄らせ「大丈夫、大丈夫 うちの仔は絶対噛まないから」はちょっとどうかと思います。 |
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ミック |
投稿日時: 2006-8-6 7:11
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ジャck さん MaxHollyさん おはようございます。
今回の事故は大変 悲しい結果になりました。 「この事故はどうしたら防げたか?」と問われれば、私の考えは「犬同士を一緒にしなければ、飼い主同士の挨拶で終らせておけば良かった」という結論になります。 >ミックさんの話を聞いていると、今まで犬のことでトラブルになったり、ましてそんな事故なんて遭うこともなく暮らしている 僕らは恵まれているんだなぁって思っています 私の場合 休日を愛犬達と過ごすことが多いですし(ショウや競技会やイベントまたは買い物や旅行などを含め)、一緒に居ない時でも 犬連れの行動を観察してしまうので、事故を目にする機会が多いということで 私の身の回りにだけ危険が多いとは思いません。 >大型犬が咥える動作は一瞬で、どちらの飼い主も防ぎようがなかったとしても、振りまわすのも飼い主は止められない ものなんでしょうかね。MaxとHollyのママさんと同じように疑問に感じました この小型犬が生後8ヶ月と言う事もあり、またこの大型犬の特性から考えても 私の推測ですが、咥えてから振りまわすまでの行動は瞬間的であり、仮にすぐに引き離す事ができたとしても命を取り留めるのは難しいと思いますし、さらに 仮に引き離そうと人間が介入する事により もっと重大な事故になったかもしれません。 >仮に吠えていたら無闇に人にも犬にも近づけることはしないだろうし、向こうが近づいてきても慎重になるものでしょう。 小型犬は一緒にする前から吠えてたのに、なんで気楽に一緒にしてしまったのか。 私は以前「日本のペット紹介TV番組のナレーションには擬人化された勝手で危険な解釈が含まれている」と書きましたが、先日放送された某番組のコーナーでも 飼い主を引っ張りながら歩く犬に対して「ご挨拶したいの?」とか「お友達だね」などと近づいていったりしてましたが、相手が過度に吠える犬の場合 そのコーナーの人気犬は登場しない場合が多いです。 TVでは「編集」で 放送にふさわしくない部分を切り捨てる事が出来ますが、これでは事実を伝える事にはなっておらず 間違った行動、情報を(犬同士の挨拶という行動や 犬のストレス信号など)発信している事になります。(今回の事故とこの番組は 全く関係はありません) そして、旧掲示板で私は「犬達が自ら回避できない危険は飼い主が回避すべきであると考えます」とも書きましが、最近目にする事故は「飼い主が危険と判断できないために起きてしまった事故」が多いということです。 新たな事例をまた一つ書きます。 私は信号待ちしている時は 愛犬には「おすわり」して待ってもらいます。 ある時 いつも通り「おすわり」しているのに、「ウー」と低い声をあげているので、ビックリして振りかえると「おすわり」している愛犬のお尻とアスファルトの間に鼻先を突っ込んでいる見知らぬ犬がいます。 私も思わず「わぁー!」と声をあげると 数m先にいた飼い主さんが「ごめんなさい」と言うので 私もその時あまり時間がなかったので「はい」といって立ち去ろうとした次の瞬間 その飼い主さんは「じゃないや お宅の犬が唸ったんだもんな」というので「おすわりしている背後から来て、むりやり臭いをかいだ事に対して唸った事がなぜ悪いのですか?」と私が言うと その飼い主さんは「犬同士挨拶させたらいけないのか?」というので 私もその飼い主さんにこれ以上時間をかけて説明する事に意味を感じなくなり「とにかくそんなにリードを延ばして散歩しないで下さい」と言ってその場を去りました。(そのリードは「フレシキブル・リード」で5m位伸びるものでしが、私はこれ自体にに問題はないと思っていますし、私自身も状況に応じて使っていますが、使う方の問題で事故になる事があるので注意が必要です) 私がはじめに書いた「状況に応じて犬の行動の、ともすると問題行動と定義される吠える、唸るを容認する事があります」というのはこのような状況であります。 愛犬が「イヤ」といっても止めてもらえないのなら、飼い主が何とかしなければならないですし、飼い主さんには愛犬がされたらイヤな事が わかっていて欲しいと思います。 でなければ事故は防げないと思います。 |
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ジャck |
投稿日時: 2006-8-2 11:16
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
こんにちは、ミックさん、MaxとHollyのママさん。
そのミックさんが問題提起する切っ掛けとなったというドッグランでの事故は俄には信じられないほど不幸な話しですね。 ミックさんの話を聞いていると、今まで犬のことでトラブルになったり、ましてそんな事故なんて遭うこともなく暮らしている 僕らは恵まれているんだなぁって思っています。 はじめ、この事故で言うと被害者になる小型犬の飼い主さん。自分の犬が吠えてるのに無関心なのは何でだろうって思いました。 普段からよく吠える犬なら、飼い主さんも慣れたりして段々と気にかけなくなるのかなぁとか想像していますが。 家の奴らが、たまたまあまり吠えないからかもしれないですが、家の中でも外でも一吠えしたら気になりますけどね。 仮に吠えていたら無闇に人にも犬にも近づけることはしないだろうし、向こうが近づいてきても慎重になるものでしょう。 小型犬は一緒にする前から吠えてたのに、なんで気楽に一緒にしてしまったのか。 どうしても一緒にしたいのなら、なぜ抱っことかしなかったんだろうって思います。今更、言ってもアレなんですが……。 その同じ面へ小型犬を入れた時は、どちらの犬もリードをしてなかったんですよね。<ドッグランの経験がないので。 そうなら大型犬が咥える動作は一瞬で、どちらの飼い主も防ぎようがなかったとしても、振りまわすのも飼い主は止められない ものなんでしょうかね。MaxとHollyのママさんと同じように疑問に感じました。 僕だったら何としてでも止めるでしょうし……、いや、その前に吠えてる犬が近寄ることは遠慮しますけどね。 う〜ん、それぞれ考えもあるんだろうけど、理解し難くいことばかりです。 もし僕が小型犬の飼い主だったら「僕の不手際だ」と、大型犬の飼い主さんの申し出でも殺処分を思いとどまるように説得すると 思います。 逆にもし大型犬の飼い主だったらどうするかなぁ。被害者に殺処分を求められても直ぐに「はい」とは言えない気がするし……。 僕がこの大型犬の飼い主だったら、もちろん誠心誠意謝罪します。理由はともあれ殺してしまったのだから。 その上で「殺処分だけは許して下さい」と、何度か被害者にお願いするのは非常識なんですかね? どうしても心情的に、大型犬が殺処分だなんて……、何とかならなかったのかと思ってしまいます。 MaxとHollyのママさんがおっしゃるように(いかなる犬であっても)100%はないと思いますし、いや、そもそも100%と言える 根拠は誰にもないし、それにこの事故の場合なら殺処分は行き過ぎのような気がしてなりません。 大型犬の飼い主さんから申し出られたのなら、安易な、手堅い、決着の付け方に思えてなりません。<非常識でも……。 |
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MaxHolly |
投稿日時: 2006-8-1 4:11
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ミックさん、こんにちわ。
今回の“愛犬はコミュニケーションのツール?”の問題提起をされた背景となる事件を書いてくださったのですが、私自身事件と問題とのつながりが見えずに返って混乱しています。事件(事故?)自体はとても残念な悲しい結果となってしまいましたが、私がこの話を読んで感じたことを正直に書きたいと思います。ミックさんの意図するところとずれていたらごめんなさい。 まず第一にこの事故は防げたのでしょうか。だとしたらどうやって。と考えた場合、一番手っ取り早いのは、折角大型犬と小型犬のドッグランが別々に設けてあったのだから、わざわざ一緒にしなければ防げたはずです。更に私がその場に居合わせたわけでもないし、両飼い主がどの程度それぞれの犬をコントロールできる訓練ができていたかもわからないのですが、大型犬が噛み付いた時点ですぐさま引き離すとか、口をこじ開けるとかできなかったのかなと疑問に感じました。 でもなんといってもこの悲しい事件により、私達人間は犬の気持ちをどの程度理解しているのかということを改めて考えさせられました。私達人間は誰も犬になったことはないわけですから想像するしかないわけですよね。それを“うちの犬に限ってそんなことは絶対無い”とか“この仔は決して歯向かわないやさしい仔だ”とか勝手に解釈していませんか。犬にだって相性というものもあるでしょうし、ストレスや体調が悪い日もあると思います。100%はありえないのだと思います。よく人間でいう“魔が差した”ってことだってあるかもしれません。(これは人間の子供にも言えることです) こう書きながら、うちの今は亡きロクシーがたった一度だけ家族(末娘)を数年前に噛んだことを思い出しました。唇の脇から血がかなり出たほどの傷で、今でも傷痕が残っています。ロクシーが骨を食べていたときに、娘がからかいながらしつこくちょっかいを出していました。私達は何度も止めましたが彼女はロクシーが唸るのを面白がって顔を近づけてからかい続けた結果、ロクシーが噛み付いたのです。そこにはグランマも親戚の人達もいましたが、誰一人としてロクシーを責める人はいませんでした。もちろん私も主人も娘の自業自得と納得しました。ロクシーにしても本気で噛み付くつもりはなかったのかもしれません。ロクシーは普段は決してそのように歯向かう仔ではありませんでしたから。娘のちょっかいにもよく耐えていました。ロクシーは大きな牛の骨を噛み砕くほどの歯をもっていながら、その歯を私達家族はもとより他の犬達にたてることはしなかったのです。私達は時として愛犬のあまりの従順さにそのことを忘れていると思います。 このオレゴンでも昨年ジャーマンシェパードが隣のうちの小学生の息子をかみ殺してしまった事件がありました。普段からその少年がよく知っている犬で、その近所でも賢い良い犬とのレッテルがはられていた犬だけにどういう状況でそうなったのか、皆不思議に思ったそうです。真相は誰にも分からず、もちろんその犬は殺処分されました。 このような事件は本当に稀なことでしょうが、それでも大型犬を飼うということは、それだけの覚悟が必要だと思います。ドッグランなどで若いグレートデーンなどが来ていると、どんなにいい仔でも老犬マックスの手前、少し緊張します。跳ね回るだけで本人(本犬?)はその気でなくても小型犬を傷つけたり、マックスを押し倒したりしてしまう可能性が大きいからです。幸い私がよく行くドッグランでは大型犬と小型犬や仔犬たちが皆仲良く遊んでいますが、それは飼い主たちもきちんと自分の犬の行動を見ているからで、マックスが老犬だからと知っている人たちは自分の犬がマックスを傷つけないようにちゃんと気を配ってくれています。結局飼い主がどの程度自分の犬を理解して行動を予知できるかにかかってくるのではないでしょうか。それでも100%は理解していないと肝に銘じることが必要だと思います。 |
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ミック |
投稿日時: 2006-7-30 23:48
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
みなさん こんばんはミックです。
話の方向が広がってきましたので、そもそも私が問題提起した その本意と その他の事例を交えながらご説明したいと思います。 しかしながら 話が広がる事が悪い事はありませんし、色々な視点から1つの事柄を見た場合 複数の意見が出ることは当然といえるでしょう。 MaxHollyさんが おっしゃる様に実は 私も自ら書いておきながら「コミュニケーションのツール」という言葉自体が嫌いです。 ですから、「愛犬の存在は それだけの役目ではないはず」との意味を含めて 最後に「?」をつけました。 言いかえれば、そのようなお考えの飼い主さんに対しての「?」でした。 ですから先日「爆弾発言」とも書きました。 私が そもそもこの事を「問題提起」しようと決めた事件は「ドッグランでの咬傷事故」が原因なのですが この結果は最後にお話します。 少し抽象的な事例になりますが、みなさんはお散歩中 愛犬との買い物や旅行などで外出した時 自分の愛犬が関わった事ではなくても「犬同士の ケンカとまでは言えない吠え合い」の場に遭遇した事はないですか? 私の場合ほぼ毎日の様にあります。 例えば 今朝のことですが、散歩中 ロングリードで近寄ってきた小型犬の飼い主さん、かなり遠くから犬が「ワンワン」と吠えているのにどんどん近寄ってきます。 こちらが愛犬に「おすわり」をして待たせて、行き過ぎるのを待っていました。 すれ違い様「ごめんなさい」と言っていきましたが「何か違う?」と私は思うのです。 「ごめんなさい」という以上 その飼い主さんは何らかの問題意識を持っている様ですが、その行動を 止めるどころかリードを伸ばしたまま近寄ってくる事から その言葉の裏側には「犬の問題行動」ととらえているより「その場に居合わせた人への言い分け」にしか聞こえてきません。 きびしい事を言えば「私は責任を持って飼育しています。リードもつけているし、吠えたらダメとも教えているし、周りの人にも気を使っています」と言うただのアピールにさえ聞こえます。 しかしながら、止めさせるどころか その行動自体を強化する行動を飼い主さんがとる事が 結果的に多いのです。 同様に、今日の昼過ぎに出かけたショッピングモール。ここは愛犬連れで 買い物に来る人も非常に多いですが(ちなみに 今日の我が家は人だけでしたが)その様な 場ではその傾向が顕著に表れます。 例えば 買い物中に後ろを通りかかった犬に吠えたとしても 当然飼い主さんは「何を買おうか?」犬の行動に注目しているヒマはありません。 したがって、その行動の「言い訳」をしなくてはいけなくなります。 場合によっては その場で「罰」を与えてその行動の頻度を下げる努力をするかもしれませんが、大半は失敗している事が多いですし、その飼い主さんの行動の大半は周囲の人への言い訳に時間がついやされ 結果として「愛犬の行動が 単なるコミュニケーションの道具」という印象が強いからです。(今日1日観察してみた感想として、というより犬連れで行かない日は いつも観察してしまうのですが) 私は 何も「その様な場に 犬連れで来るな」と言っているのではありません。むしろその様な場にも もっと言えば「犬と一緒の旅行」なんかにもみなさんも是非 経験して欲しいと思っています。 ですから 日常生活、普段のお散歩で出来る事が当たり前になって欲しいですし、様々な状況に耐えられるようなトレーニングをしていかないと「この国の飼い主のマナー」はいつまでも向上しないと私は考えたので 今回問題提起しました。 また、逆のパターンで見た場合(今までは「吠えた犬の飼い主」と言う事でしたが、今度はその逆「吠えられた飼い主」の気持ち)を考えてみましょう。 私は 今までに様々なタイプの「問題」を抱える飼い主さんとその愛犬のペアを見聞きしてきました。 その中で(問題を克服しようと努力しようと努力している飼い主さん)大きな障害となるのが「犬は犬同士」と考える人で こちらが 細心の注意をもって接していても飼い主の意思を無視するタイプの人です。 また、このタイプの人がよく言う台詞の一つに「ろくに挨拶も出来ない犬なんて どんなしつけをしているんだ!」等がありますが、私にはこの台詞は「障害者の気持ちを理解できない健常者」の様に感じます。 こちらのHPでも「実店舗での生体展示販売以外に、Web(通販、及びネットオークション)での生体展示販売にも反対」されているように 日本での犬の販売の多くは「犬の社会化期」に行われる事が多いため、その時期(生後3週目〜13週目)をガラスケースの様な不安な状況。 また、親犬や兄弟犬とのふれあいが一番重要とされる時期を孤独に過ごさなければならず、そう言った意味では日本の多くの犬が「問題行動の素因」を生まれもっていると考えられますし、また、我が家の愛犬 その中の2頭に当てはまる事ですが 「犬の社会化期」を捨て犬として 愛護センターという特殊な状況下で過ごした犬、同じくその時期の大半を病院と自宅のケージの中でしか生活しないと生きていけなかった犬 そんな 犬達を「成犬」となってから「社会化」させようとトレーニングする中で こちらの状況を理解してトレーニングに協力的な飼い主さんが多くいる一方で わざわざ「しつけ不足のダメ飼い主」という烙印を押す人もいたりもします。(まぁ その様な人とは深いかかわりもないので こちらの事情をわかっていないからという見方も出来ますが) つまり全ての飼い主さんが「犬を飼っている」という事実は共通しているが「その他の事情」はそれぞれが違っていて当然なのですが、「犬は犬同士」とやたらと仲良くする事はないですし、人間同士の挨拶もなく、いきなり犬同士を挨拶させることに疑問を持たない飼い主さんに 私は疑問を持つということです。 さて、私が問題提起する切っ掛けとなった事故の経緯を一部ご説明します。 2面あるドッグランのフェンス越しに飼い主さん同士が(大型犬の飼い主さんと小型犬の飼い主さん)お話をされていました。その間 小型犬はフェンス越しにその大型犬に吠えつづけていたようです。 しかしながら、この小型犬は大型犬とも遊べた経験上「この大型犬とも上手く遊べる」と思ったのかもしれませんし、その逆で「恐怖」だったのかもしれません。 大型犬の飼い主さんも少なからずトレーニングの経験があったようですのでお互いに「大丈夫」との判断のもと同じ面に入りました。 その後すぐに その大型犬が その小型犬を咥え振りまわしました。 すぐに動物病院に運ばれたようですが、その小型犬は残念ながらその車中で息絶えたそうです。 その後 結果的に事故を起こしたされるその大型犬も飼い主さんの希望で殺処分されたそうです。 このような事故は決して ごく稀なケースではなく「すぐにでも起きてしまう危険性が誰の周りにもある」と言う事をお知らせしたく 今回問題提起致した次第です。 色々な事例を見る限りにおいて「オンリード・オフリード」だけの問題でもなく また、「日本だから起きた事故」でもないことが明らかなので みなさんにご意見をいただき「モラルの向上」につながる切っ掛けになればと思いました。 |
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ジャck |
投稿日時: 2006-7-30 9:23
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
BadBlokeさん、いろいろとどうもありがとうございます。
ひとつの投稿へひとつのレスを付けることが僕の基本姿勢なんですよ。話しが限定してできるので……。 >特にぼくの地元は、太平洋戦争直後までは麻布区と呼ばれた地域で、明治時代から西洋人の多い地域なのです。 港区……麻布、うーん、やっぱり3年程度住んでたぐらいでは思い出せません。<すみません。せっかく教えてもらったのに。 職場が港区だったので毎日その辺をバイク通勤してましたけど、道順は覚えてても雰囲気までは思い出せません。 >それが突然、街頭で見かける西洋人といえば、モルモンの宣教師くらいの地方都市で暮らし始めたのですから、イヌのことに限らず、 >何かとカルチャーショックを受けた事情は想像していただけるのではないでしょうか。 話しを伺うだけで想像できます。はい。^_^ >オフリードは何がなんでもダメなんだでは、その常識が通じない世界中の多くの人間には、このニッポンは、余りにもマニアックな >国に見えるでしょうね。 それはそうでしょうね。でも、オフリードはどこの国でも(多くの場合は)ダメなんだと思っていました。 僕はオフリードについてはルールで決まっているからダメだろうっていう程度の認識で、何がなんでも!というほどでもありません。 極端な話し、ルールが出来たのには理由があるはずで、(その意味で)それを犯さない場合は従わないかもしれませんし。 もちろん、そう自由に振る舞う場合は、それなりの責任がついてくることも承知しています。 >そういう中国の慣習にプロテストする中国人もいるのです。ぼくは彼らを応援したい。彼らと同じように、中国が変わってほしいと >思うのです。 はい。それもよくわかりますよ。僕が言ったのは、その事だけで「遅れた国」「遅れた文化」と言ってしまうのはどうか?と、いう話しで その食文化は良いとか、その食文化を守るべきだとか、そんな風なことを言ったことも、考えたこともありませんよ。 ただ、クジラを食すという事で「日本は野蛮だ」とグリーンピースが乗り込んできて喚き散らしていますが、正直「ほっとけ」と。(^^;; その食文化にはそれなりの経緯があり、いきなり乗り込んできて「野蛮」はないだろうと……。<小学校の給食以来、食ていませんが。 トーゴのケラン峡谷へ行って、裸族に向かって「お前らのように服を着てないのは遅れているな」と笑う人はいないでしょう。 マルケサス諸島で「裸カッコワルイ」と言う人もいないでしょう。 「豚の肉を悪魔と同等にして忌むべきものである」とするユダヤ教徒が日本人に対して侮辱するなんて話しも聞いたことが無い。 「牛は神聖な生き物」としているヒンドゥー教徒が、牛肉を食べている日本人を「遅れた文化」だとか「遅れた国」とは言いませんよね。 犬猫を食う食文化に不快感を持つのは僕も同じです。それに以前は平気で中国や韓国の食文化を侮辱していました。 そんな時に「昔は日本人も犬を食してた」と知った時は、非常に気分が悪かった。と、同時におかしなことにも気がついた、と。 念の為にですけど、「その国の食文化には、それなりの歴史や慣習があるから変えようとしてはいけない」なんても思っていませんよ。 ただ、侮辱や否定するような言い方はどうかというだけです。<なので、侮辱でも否定でもないと言われればそれまでです。 >ニッポンは、ヨーロッパの先進国より180年は遅れていると思っているのですが。 その180年の根拠を知りたい気がしますが、まあ、それはいいです。180万年遅れていても構いません。早い者勝ちでもないんだし。 でも、日本の食文化で言えば、676年(天武天皇4年) 4月17日の肉食禁止の詔には、牛、馬、犬、猿、鶏の五畜の肉食を禁じている。 現在2006年より約1330年前の日本の食文化は進んでいた、と?<不毛でしょう?この手法(早い遅い)だけで議論していくのは。 >西洋の市民革命以後、ヒトの歴史が近代になるに従って、だんだん権力をもたない弱者の人権を尊ぶ方向へと変わって来たのです。 フランス革命、アメリカ独立革命、とかのことを言っているんだと思いますが……。これも強者が弱者に……まあ、いいです。(^^;; それ程、細部にわたっては知らないので。でもまあ、歴史は勝者によって作られる物であると……。うーむ。引き下がります。 >ヒトの歴史は、できるだけ良い方向へ進まなけりゃ、文化を創造できる動物としてのヒトは、むしろ他の動物よりずっと地球上で >危険な存在になるでしょう。 自然やガイヤ的な立場で言えば、ヒトは言葉を持たったり、働いたりしなかった方がより良かったと。<言っても仕方ないですが。 もし、ヒトが存在しなかったら、純血種の存在は無かったでしょうし、他の多くの動物も今の姿ではなかったかもしれない。 ヒトを危険だと考えるは簡単で、ある価値観からだと危険極まりない存在であると。実際ヒトだけを有害だとも言うことが出来ます。 しかし、他の自然や動物に対して危険かどうかと考えるのもヒトだけで、ヒトでなければそんなことは気にしないとも……。 また、ヒトは多かれ少なかれ良い方向へ進みたいと個々それぞれ考えているものです。ただ、その良い方向がひとつでないだけで。 >英国には、世界に先駆けて動物虐待問題を議会で論じ、動物愛護の法律を制定したという歴史があります。 うーん。日本にも江戸幕府第5代将軍徳川綱吉による、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令「生類哀れみの令」を制定していました。 ・貞享4年2月27日 :魚鳥類食料禁止(鶏と亀と貝類も含む)。 ・元禄元年10月3日 :鳥が巣を作った木を切ったと、武蔵国新羽村の村民が処罰される。 ・元禄2年2月27日 :病馬を捨てたとして陪臣14名・農民25名が神津島へ流罪。 ・元禄4年10月24日:犬・猫・鼠に芸を覚えさせて見世物にすることを禁止。 ・元禄13年7月24日:活魚の売買禁止。 また、ある時は犬は住民より大切に扱われたり……。 ・元禄8年5月23日 :大久保・四谷に犬小屋がつくられる。住民は強制的に立ち退かされた。 ・元禄8年10月29日:中野の犬小屋が完成。16万坪。犬の食費は年間9万8千両。当然住民は強制的に立ち退き。 ・元禄9年8月6日 :犬殺しを密告したものに賞金30両のお触れ。 等々……。細かく話し始めるとキリがない。 また日本には昔は犬が居なかったとか、飼う習慣がなかったと言われますが、「動物考古学」の西本豊弘・国立歴史民俗博物館教授に よれば、紀元前7000年から8000年くらいの縄文時代の犬の骨が、愛媛と神奈川の遺跡で見つかっている。 当時の犬が人間と同じように埋葬されていたことから、縄文時代人は犬をとても大事にしたらしいことがわかると言っています。 (これもまた弥生時代になると変わるんですけどね……。) と、話していっても、はっきり言って不毛でしょう? >英国を「先進国」と呼びたくない動物ぎらいが何百万人いようが、少なくとも愛犬家ならば、動物愛護先進国を模範にしたいと願う >はずです。 まあ、自分を愛犬家だと臆せずに言える者の中にはいるかもしれませんね。(冗) 僕はイギリスを「動物愛護先進国」と思うことは簡単ですけど、だからといって模範にしたいかどうかは、パッと見じゃわかりません。 犬をノーリードにする話しでも、そうする国はあるだろうし、日本が今後そうなる可能性もあると思いますよ。 日本中、犬好きだらけになる可能性すらある。<ま、半分は冗談ですけど、日本って変わってるから。w >そんなことには無関心な「飼い主」が、このニッポンに多いのだとすれば、やっぱり、ニッポン人は「マニア」なのかな、と >ぼくも痛感するわけです。 僕は「マニア」という言葉に「良いとか、良くないとか」の意味を持たしたつもりはありません。が、そう言う解釈も有りでしょうね。 「マニア」と言ったのは愛好者という意味合いと少数(過半数でない)という意味で言いました。別に狂っているとは思ってませんよ。 とにかく、犬好き同士では自然に犬を大切にすることが前提なので、時にはそれを排除して考えなければならなない場合であっても 気付かなかったりする、ということを話したかったんです。 概ね日本の問題は日本に都合のいいように考えれば良いが、世界的な視野に立たなければならない場合もある、と同じ意味でです。 別レスからの引用ですが、 >残念ながら、いまは別のことで時間が取れません。少々遅れると思いますので、ご理解ください。 はい。そんなこと気にしないで下さい。お暇な時で一向に構いませんので。 それと、BadBlokeさんへのレスなので、引用して僕なりの意見を言いましたが、BadBlokeさんの言いたい気分や意見での未来像は 僕なりに理解しているつもりです。僕もBadBlokeさんが考える将来になれば、犬達にとっても良い環境だろうと思っています。 僕の意見はあくまで個人の考える意見で、ある限定(名前を書いていればその人へ、大抵はその引用)に向かって話してもいます。 あ、だからと言って他の人から意見を受け付けたくないということではありませんよ。他の方の意見を貰うのは歓迎しています。 単に、名前がある場合は、その方へレスしているつもりで書いている、と言うだけですので……。 それに「僕の意見を認めよ」とか強制や要求をするつもりもありません。各個人、思想や意見は違って当たり前だと考えていますので。 それでは。 |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-30 5:46
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ジャckさん、
よく見たら、ぼくへのお返事もいただいていたのですね。先ほど、ジャckさんの別の投稿へ横から侵入してしまいました。失礼しました。 きのうからずっと、じっくりパソコンに向かっていられない状況でして、いまも実はそうなんです。ご意見は読ませていただきました。いろいろお話ししたいことがあります。でも、残念ながら、いまは別のことで時間が取れません。少々遅れると思いますので、ご理解ください。 BB |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-30 3:00
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ジャckさん、
ニックさんへの返信のようですが、どうもぼくの作文を意識されたご意見のように聞こえる部分もあるみたいですので、横から失礼します。 >とにかく、法律やモラルなどは、その共同体や土地柄、または文化や慣習 >などで違うもので、まして国レベルでは違って当り前である、と。 >そのことから「犬の幸せ」に対する概念もひとつではないと言えるわけです。 ><法律やモラルの存在は価値観の違いであるとも言えるので。 その「土地柄」というのは、たしかに、ニッポンにおいてもハッキリちがっていることを、ぼくは経験しています。ネット上では、あまり個人的な情報を流さないのが地球の常識ですが、ニッポンのイヌ事情を議論するときには、ぼくの地元の特殊性を考慮しなけりゃ議論にならないことが分かったのです。ぼくは東京の港区の出身です。港区は住民の1割が外国人で、特にぼくの地元は、太平洋戦争直後までは麻布区と呼ばれた地域で、明治時代から西洋人の多い地域なのです。 実際、ぼくが東京の地元の公園で交際していた愛犬家は、イギリス人、ベルギー人、フランス人、インド人、アメリカ人、ロシア人、ドイツ人、中国人などなど、ニッポン人よりも外国人の方が多かったのです。それが突然、街頭で見かける西洋人といえば、モルモンの宣教師くらいの地方都市で暮らし始めたのですから、イヌのことに限らず、何かとカルチャーショックを受けた事情は想像していただけるのではないでしょうか。 >少なくとも僕らは「一種のマニアだ」という自覚はいるでしょう。 >それに同じマニア同士でも意見や考え方に対立があるのも当然ですし……。 ニッポン人の「飼い主」を見ていると、たしかに「マニア」だなと思います。きのうの投稿で思わず言ってしまいましたが、ぼくの目には、ニッポン人が変に映ることが少なくないのです。ぼく自身だって「変なヤツ」だと言いました。特に、ニッポン人のグループに参加すると、ぼくはどこでも普通とちがって見えるらしいです。みんなとちがってる人間を、できるだけ受け入れるとすれば、法律や規則も、それなりに柔らかいものが必要になるでしょう。オフリードは何がなんでもダメなんだでは、その常識が通じない世界中の多くの人間には、このニッポンは、余りにもマニアックな国に見えるでしょうね。 >また、ある国が犬を食おうが、猫を食おうがが、それだけで「遅れた国」 >だとか「遅れた文化」だとかいうのも短絡的ではないかと……。 ここのサイトでも、中国でネコ料理をメニューに載せている食堂のことが報告されていたと思います。そういう中国の慣習にプロテストする中国人もいるのです。ぼくは彼らを応援したい。彼らと同じように、中国が変わってほしいと思うのです。このリビング・ウィズ・ドッグズのスタッフだって、「日本もまだまだ動物愛護先進国とは言えません。おそらく先進国と言われるドイツや英国に比べ20年は遅れているでしょう。中国は日本よりさらに30年は遅れているのではと思いますね」と書いてます。ぼくの持論では、ニッポンは、ヨーロッパの先進国より180年は遅れていると思っているのですが。 人間の法律は、ずーっと長いあいだ、権力者の都合で作られてきました。彼らに反抗する人間は死刑でした。正義なんて関係なかったのです。それが西洋の市民革命以後、ヒトの歴史が近代になるに従って、だんだん権力をもたない弱者の人権を尊ぶ方向へと変わって来たのです。ヒトの歴史は、できるだけ良い方向へ進まなけりゃ、文化を創造できる動物としてのヒトは、むしろ他の動物よりずっと地球上で危険な存在になるでしょう。いや、すでにヒトは充分に危険な生き物になっているように思います。 英国には、世界に先駆けて動物虐待問題を議会で論じ、動物愛護の法律を制定したという歴史があります。英国を「先進国」と呼びたくない動物ぎらいが何百万人いようが、少なくとも愛犬家ならば、動物愛護先進国を模範にしたいと願うはずです。そんなことには無関心な「飼い主」が、このニッポンに多いのだとすれば、やっぱり、ニッポン人は「マニア」なのかな、とぼくも痛感するわけです。 BB |
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ジャck |
投稿日時: 2006-7-30 2:02
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
はじめまして、BadBlokeさん。
>『日本の犬はつながれているけれど、ヨソの国はみんな自由』簡単だけど、少しかなしい現実なのだ。 そうなんですか、日本だけが犬をつないでいるのですか。それは知りませんでした。 それは昔(椎名誠氏が本を書いた頃)の話しなんでしょうか、現在もそうなんでしょうか? >このオフリードの問題は、ニッポンのイヌ事情だけでなく、人間の教育や生き方の問題にもつながっているというのが、ぼくの考えです。 そうでしょうね。まあ、逆に繋がっていない方がおかしな話しですよね。ただ、それはどの国でも似通っているのではないですか? 犬を家族やパートナーまたはペットと考えると必然的にそうなってくる。外国の話しは知りませんが、たぶん自分の人生観に含まれるので あったなら、やはり必然的にそうなってくるでしょうね。<あくまでも想像ですけどね。 >しかし、ニッポンの愛犬家は、何か変です。 BadBlokeさんはどこの国の方ですか?ある程度は立場を明かしてもらわないと同じセリフでも意味が違ってきますよね。 「どこの国の生まれでどこに住んでて変だと思うんだ」とか、「日本は行ったことはないが、本で読む限り日本人は変だと思う」とか……。 「指名されて変だ」と言われると何か話したけど、BadBlokeさんの立場がわからないと何とも言えない。<僕は愛犬家だと思ってませんが。 >ニッポン人は、みんなと同じでないライフスタイルの人に不寛容な傾向がありますね。 >これも子供の頃から規則でなんでもダメって教育されたせいじゃないでしょうか。 >規則ってのは、有無を言わせず、みんなに同じやり方を強制するものです。 この「ライフスタイルが違う人に不寛容な傾向」はそう言えなくもないですね。でもその理屈だと一行目と二行目は時間軸で逆でしょうね。 「ニッポン人はみんなと同じライフスタイルを好む」、だから、「その子供たちをも教育で縛った」でないと成り立たない。 でもね、現在のアメリカ人がいろんなライフスタイルに寛容だとしたら、それなりの理由があるでしょう。 初めからインデアンや黒人に寛容でしたか。同じようにイギリス人は無条件にアイリッシュへ寛容ですか。 もし、日本だけがアメリカやイギリスに比べ、際立って不寛容なら、その理由が今のところ見当たらないという話しだと思いますけどね。 その理由って「寛容になる為の理由」です。必然性と言っても構いません。<僕はそれほど日本人が不寛容だとは思っていませんが……。 でも、BadBlokeさんがそう感じるのをわからないわけではありませんよ。 「日本は諸外国に比べてライフスタイルが違う者へ不寛容だ」と、僕も理詰めで言えなくもありませんから……。 例えば、日本は昔から「神」より「世間の目」の方を気にする文化です、と。日本人特有の対人恐怖症の数なんてわかりやすい例ですね。 日本人には対人恐怖から対人恐怖症になる人は多くいるが、アメリカ人やイギリス人にはあまり見られないでしょう……なんて話しから 「ニッポン人は諸外国と比べても、ライフスタイルが違う者へ不寛容」だと言っていくことも……、まあ不毛な話しですけどね。 >ぼくが言いたいことは、犬はどう育てるのが犬にとっていちばん幸福かということ。 それは他の投稿からもよくわかりますよ。それに幸福な犬は安全だというのもわからないことはありません。多分、そうだとも思います。 そんなことから日本人の犬の飼い方を危惧しているのはよく伝わってきます。 僕も違う話しですが、日本人の犬への幻想は歪んでいるのではないかと考え始めています。<もちろん僕を含めてです。 >でも、犬の生き方は、人間の主観や勝手で決めてもらっちゃ、犬たちが余りにも不幸です。 う〜ん。しかし、簡単に主観でない方法で飼う方法がありますかね。 個人(人間)が犬を飼う以上、その飼い方はその飼い主の主観で飼うしかないんじゃないかと思うんですけど……。<言葉遊びでなく。 「その主観をもっと考えて、変えていこう」とか、「その主観をかえる方が良い」って話しならわかりますよ。 ところで、興味本意からなんですが「ニッポン」とか「ニッポンのイヌ」とカタカナで書くのには何か意味がありますか? |
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ジャck |
投稿日時: 2006-7-30 0:29
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
こんばんは、ミックさん。
今回の発言はほとんど同意見です。なかでも下記の段落のように諸外国を引き合いに出す際の「その方法から結論へ」は、僕もずっと気になってった ことです。<多くの人がそれを「良し」としているようなので、「まあ、いいか」と思っていましたが……。 >一般的に言われる事の多くは「○○の国では何十年前に この法律が制定さたが、日本には未だそれすらもない」だから○十年おくれているとか >「欧米諸国では 今日本で常識とされる事は○十年前から常識だったから日本はかなりおくれているのでは?」という感覚的な年数意識であると >考えられ 実際に愛護活動をする上でその年数のデータに 意味を持ちません。 もちろん、日本の犬の現状を考える上で、諸外国の良い例を考え、参考にするのに全く異論はありませんが、既に諸外国には正解があるかのような 雰囲気にはどうも納得がいきません。また、ありがちな「進んでいるから良く」、「遅れているから良くない」といってしまうのは浅はかですね。 そもそも、この場合「進んでいる・遅れている」だけの話しはあまり意味がないので、わざわざ言う必要もないことでしょうが……。 それに「世界的な視野に立って」と言う場合も、その「世界」は、ほとんどが経済的や文化的な意味での先進国や大国だけだったりします。 (まあ、こんな意味での先進国との言い方は理解できますが、犬の先進国と言うのはイマイチわかりません。) その世界的な視野も、ある意見の強化、または、説明するのに都合がいい諸外国の例、であったりもするわけです。<このこと自体は構わないが。 大体、サッカーのWカップでも二百以上の国が予選を戦う時代に、たかだか十ぐらいの国だけを取り上げて「世界」だとか言うのもヘンな話し。 前も他スレで少し話しましたが、ある共同体Aのモラルと、別の共同体Bのモラルは違っているほうが自然だと思っています。 ここでの「共同体」は、夫婦や家族から、地方、国、または連合国でも構いません。ただ、地球全体にまでなるとやや困りますが……。 同じく「モラル」は、エチケットから常識、法律まで含んでもらって構いません。日本国憲法は・・・まあ良いか。(^^;; 日本は、よく「島国だから……」とかわかりやすい解釈がされたりもしますが、この日本の現在でも、関東、関西でモラルは違ったりしています。 もしかすると「法律に対する姿勢」も違うのかもしれません。 例えば、他者へ何かを注意する場合、「ルールで決まっている」と言うより、「人に迷惑」だと言う方がその場では「説得力」を持ったりしますからね。 なかには「何でもかんでもルール」というのはカッコワルイという気分があるのかもしれません。<全てでないし、比較的、女性は少ないかも。 前にトルシエ元代表監督が、「日本人は信号が赤なら、車が走っていなくても待っている」と言いましたが、関西では当たっていると言えないものの フランス人と日本人の特性の違いを言っているのだろうという雰囲気は伝わったと思います。<「それが何やねん」と言う話しもありますが……。 北野武氏の言う「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の方が言い得ているように思いますが……。 とにかく、法律やモラルなどは、その共同体や土地柄、または文化や慣習などで違うもので、まして国レベルでは違って当り前である、と。 そのことから「犬の幸せ」に対する概念もひとつではないと言えるわけです。<法律やモラルの存在は価値観の違いであるとも言えるので。 僕は純血種であるヨーキーを飼っていますが、それを棚に上げて発言すると「真に犬を愛していれば、家で飼うことなんて出来ないんじゃないか」と 考え始めています。それに純血種のスタンダードを競う必要性さえもよくわからないし……。<不必要だとは言っていません。念のため。 ※ここでの言う「愛する」の概念は「対象へ自分の考える幸せを、無償で与えようとする態度」の様に考えて下さい。 仏教での「執着する」などの概念までを含んでしまうと「愛」を言い換えなければなりませんので……。 でも現状、僕は犬を飼っているし、多くの人が犬を飼っていることで楽しい暮らしを送っている。そんな事から矛盾を指摘されるかもしれないけど ここでの発言は個人的なひとつの思想ですので……。<これも念のため。(^^;; 日本ではウシやブタ、ニワトリは食の為の存在で、犬同様に考えるのはナンセンスだとも言われますが、同じ日本でもカナダのアザラシ狩り計画へ 抗議運動をしようという人々もいます。2006年度は33万5千頭以上の予定で、その内の98%が赤ちゃんなので「可哀想だから」という理由です。 毛皮のバッグやコートについても、いろんな国々で抗議が発生しています。<こんなことからも、犬を「一つの命」と語るのに疑問を感じます。 こんな話しでも個人レベルでは「運動に参加しよう」、「なぜ?そんな話し」、「気持ちはわかるけど」、「まるで実感がわかない」……と様々でしょう。 上記のことから「僕ら犬好きの常識やモラルは犬好き同士でしか通用しないかもしれないことを各自自覚することが必要なのでは」って思ってます。 実のところは、必要があるか・ないかは、よくわかってないんですが、少なくとも僕らは「一種のマニアだ」という自覚はいるでしょう。 それに同じマニア同士でも意見や考え方に対立があるのも当然ですし……。 個人的な印象ですが、多くの犬の掲示板は「既にある正解」へ向かう力が働いているかのようで、あまり議論にもならないのが僕には不気味です。 また、ある国が犬を食おうが、猫を食おうがが、それだけで「遅れた国」だとか「遅れた文化」だとかいうのも短絡的ではないかと……。 ちなみに、外国へ文句が言えるのは我が国への影響があったり、人命などに関わるようなことなどで、あまり多くのことは言えないのが現状ですが、 それを無条件に肯定するつもりは一切ありませんよ。<これまた、念のためです。 ついでに、「そもそも「ヨーロッパ式」って何?って感じですが・・・?」 多分、売り文句です。^_^ |
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投稿者 | スレッド |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-29 15:10
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
narumiさん、
もちろん、世界に住んでいるのは愛犬家と犬だけではありません。異文化への寛容、人権の尊重、博愛精神、などなど、現代人のボキャブラリーは実に豊富です。動物愛護なんて言葉もありますね。 ぼくはニッポン人の愛犬家と世界の愛犬家の常識は、大きくちがっていると思ってます。あるサイトで知り合った友人が、椎名誠の次のような言葉を教えてくれました(その人は、子供の頃からイヌ恐怖症気味だったのですが、ぼくの考えを認めてくれたのです)。 「世界のいろんな国と日本との違いは何か -- と聞かれたとき、ひとことで答える方法がある。『日本の犬はつながれているけれど、ヨソの国はみんな自由』簡単だけど、少しかなしい現実なのだ。日本はむかしから幼稚な管理至上主義の国で、ちょっとした危険があるとすぐに法律や条例でがんじがらめにしてしまう。かくして、『犬はクサリでつないでおくこと』というのは日本の常識だけれど、ヨソの国ではそんな幼稚な思考は通用しない。・・・」(『犬の話』(角川文庫)の中の一篇「犬は少年といる時が一番うれしいようだ。」から引用) このオフリードの問題は、ニッポンのイヌ事情だけでなく、人間の教育や生き方の問題にもつながっているというのが、ぼくの考えです。もちろん、愛犬家同士の交際のあり方にも関係します。 たしかに、世界に住んでいるのは愛犬家と犬だけではありません。しかし、ニッポンの愛犬家は、何か変です。ヒトが変であってもいいんです。ぼくもけっこう変なヤツですから。ニッポン人は、みんなと同じでないライフスタイルの人に不寛容な傾向がありますね。これも子供の頃から規則でなんでもダメって教育されたせいじゃないでしょうか。規則ってのは、有無を言わせず、みんなに同じやり方を強制するものです。 ぼくは英国人のマネをしろとは言ってません。ぼくが言いたいことは、犬はどう育てるのが犬にとっていちばん幸福かということ。そして、幸福な犬は安全な動物だということです。ニッポン式の「飼い方」は犬を危険な動物にしているのじゃないだろうか。犬を不幸にしているのじゃないだろうか。それが言いすぎなら、もっと犬にふさわしい幸福な生活が可能なのじゃないか。そういう気持ちです。 ヒトはいろいろ、それでいいんです。ヒトはこの地球では、いちばん威張れる生き物なんですから。でも、犬の生き方は、人間の主観や勝手で決めてもらっちゃ、犬たちが余りにも不幸です。犬がこの世界に生きていることは、愛犬家の主観に関係なく、犬ぎらいの嫌悪感にも関係なく、確かな事実なんです。 BB |
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MaxHolly |
投稿日時: 2006-7-29 4:35
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
みなさん、こんにちわ。
私がBadblokeさんのオフリードに反対したばかりに、話がミックさんの問題提起から横道にそれてしまい申し訳ありません。 オンリード・オフリードについてのスレッドは別にあると思うので興味あるかたはそちらで議論しましょう。 それでミックさんの問題に戻りますが、愛犬を通していろいろな人と知り合ったり、いろいろな活動に参加する機会が増えたりして、コミュニケーションのツール(という言い方は好きではないので)“きっかけ”となることはジャckさんのご指摘のとおりだと思います。それにしてもそこには飼い主としてのマナーが必要なので、どのようにその“きっかけ”を作るかは、飼い主自身にかかっていると思います。愛犬家同士だけでなく、犬の市民権獲得のためにも、どこの国で暮らしていようと相手を思いやれる飼い主になりたいですね。 |
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ミック |
投稿日時: 2006-7-29 2:27
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
皆さんこんばんは ミックです。
沢山のご意見をいただきありがとうございます。 私は問題提起をする際に「自分が住む国」ということ さらに限定した「自分の身の回り(住む町)」の出来事から見直すべきと思っています。 なぜなら、私の場合 この国に生まれ この国で育ち その国で死んでいくと思っているからで、だからこそ みなさんが住むそれぞれのその国をより良いものにすべき皆さんと共に考えていきのです。(今回は「宗教」ではなくて「政治」じみた話になりなしたが、私は政治家はありません) さて、私自信もトレーニングの勉強をする際には 海外のトレーナーから学ぶ事が多いのですが、日本の現状は 欧米諸国と比べてどれほどおくれているのでしょうか? 一般的に言われる事の多くは「○○の国では何十年前に この法律が制定さたが、日本には未だそれすらもない」だから○十年おくれているとか「欧米諸国では 今日本で常識とされる事は○十年前から常識だったから日本はかなりおくれているのでは?」という感覚的な年数意識であると考えられ 実際に愛護活動をする上でその年数のデータに 意味を持ちません。 また、日本で愛護活動をされている方が 欧米諸国に比べてレベルが低い事もありません。ただ、国や企業が全国規模で援助する団体がないのでどうしても小規模にならざるを得ないのが現状です。 トレーナーにしても 欧米の科学的根拠にもとづいたトレーニングを行うトレーナーもいますが、現状ではその数も少なく、なかには「ヨーロッパ式」とうたっているがどの辺が「ヨーロッパ」なのか理解できない所もありますし、そもそも「ヨーロッパ式」って何?って感じですが・・・? ですから、世界的な視野で見た場合「日本はまだまだ」かもしれませんが、その中(この日本の中にも)素敵な飼い主さんも多くいますよ。 私も本題から だいぶそれた話になりましたが参加されている環境がそれぞれ違う中では まとまりづらい話ではありますが よろしければ皆さんお付き合いください。 |
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narumi |
投稿日時: 2006-7-28 22:56
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Just popping in
![]() ![]() 登録日: 2006-2-7
居住地: コロンビア、ボゴタ
投稿: 6
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
こんにちは。narumiです。
スレッドの主旨と違うところに引っかかってしまったようで、違う話題になってしまっていますがすみません。 BadBlokeさん、 私はイギリスやヨーロッパを実際に見たことがないのですが、おそらくイギリスの社会は犬を受け入れる上で成熟しているのだと想像しますし、おそらく私はきちんと訓練された犬をほとんど見ていないと思います。少なくとも、コロンビアの家庭犬にそういう犬は少ないと思います。 ただ、BadBlokeさんが自ら書かれている地方都市での女性での事例の通り、犬が訓練されていようといまいと、犬嫌いな人には関係がないのです。 もちろん、その状況を考えるとBadBlokeさんにできることは何もなく、そのような事態になってしまったことは同情します。私が散歩中だったら、2匹目の元野良がそれに過剰反応して吠えまくり、1匹目のラブがそれを止めようとして吠え、収拾がつかなくなって私はいい大人のくせにそんな声を出す女性に殺意を抱いたことでしょう(笑)。 しかし、犬が怖い人や犬が嫌いな人に対する配慮は必要だと思います。犬を見ただけでパニックになる人もいるでしょうし、だからこそイギリスのその事件も起きたのではないでしょうか(BadBlokeさんにも、見ただけで飛び上がるほど苦手な生物はいませんか?)。 イギリスでは法的にできることは何もなかったということなのでしょうが、愛犬家のグループが問題ないと思っただけでは、全イギリス国民が問題ないと思っていることにはならないと思います。 世界に住んでいるのは愛犬家と犬だけではないというのが、私が「もってのほか」と思う理由なのですが。 |
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ジャck |
投稿日時: 2006-7-28 5:09
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ミックさん、皆さん、こんばんは。
一人で歩いていると見知らぬ人と話す機会なんて滅多にないのに、犬を連れているだけでその機会は増えますね。 同時に人の笑顔を見られる機会も……。そんな意味ではコミュニケーションのツールと言えるのかもしれませんね。 >要は私が言いたいのは「愛犬を切っ掛けとしての人間の会話」ではなく「人間同士の挨拶があってこそ」で >まずそこが出来ないのに「犬がどうこう」語ってもらいたくないです。 ミックさんの経験談を聞いていると、そう言いたくなる気持ちはとてもよくわかります。^_^ 家の近所はわりと犬を飼っている人が多いようで、見知らぬ人でも犬連れ同士なら大抵挨拶を交わします。 立ち止まって話しをすることもありますし、歩道のすれ違いざまに軽く会釈だけするなんてしょっちゅうです。 MaxとHollyのママさんのおっしゃられた登山者達の様にまでではないですけれど、わりと習慣になっていますよ。 中には、犬を連れていない方が、一度、僕の犬に目線を落としてから、こちらを向いて会釈されることもあります。 そんな時は「犬好きなんだろうなぁ」とか「飼っているのかなぁ」なんて思いながら、少しイイ気分になったり……。 「ご夫婦の一件」は投稿の話しでしかわからないのでアレなんですが、その旦那さんの「家の犬は噛まない」の発言や、 その後の態度を良いことだとは思いません。 もし僕がその場にいて、見兼ねて諭そうと行動にでるなら、相手に理解できる言葉での説明をする努力をします。 それでもダメで、諦めてその場を後にするのなら、別れの挨拶で終わるだろうと思います。 ミックさんのように「わかりましたありがとうございます」と引き下がるだろうと……。僕ならこれでお終いですが、 仮にミックさんと同じ様に「そのレベルでしたら もう、あなたに尋ねる事はありませんのであしからず」などと言い 旦那さんの「オイ!待てよ」までも無視して立ち去ってしまったら、「拙かったなぁ」と後悔するだろうと思います。 想像するに、立ち去ったその場は「いろいろ質問してきて、なんだ最後のあの態度は」って雰囲気でしょうし……。 もしかするとミックさんの真意が、周りにいた人達にも伝わっていないかもしれません。 下手すると「強化しないよう」の行動が裏目になっているかも……。 ある事柄を得意気に語っているのなら、その人は自分のレベルが初級だとか低いと自覚していないかもしれない。 そんな時に「そのレベルでしたら……」なんて言われたら(反射的にでも)反発する可能性が高そうですよね。 また、自分のレベルが低いと自覚しているのなら、高いレベルの質問をされても意味が分からないだろうし……。 意見する文の方が長くなったので繰り返しますが、ミックさんのああ言いたくなる気持ちはよくわかります。(^_^) 単に、あの場での選択した相手への態度やセリフは「拙かったなぁ、勿体ないなぁと思う」というだけの話しです。 勿論、こう言っておきながら、僕が同じことを絶対しないなんてことは言えませんが……。(^^;; |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-28 2:18
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
narumiさん、
英国の専門家の判断を信用できないわけですね? でも、 英国はニッポンの数百倍は、飼い主に対して厳しい国ですよ。おそらく、英国の専門家が今のニッポンを視察したら、いつもリードをして散歩している飼い主の多くが、イエローカード、場合によっては、レッドカードをもらうことになるでしょう。オフリードは禁じないけれども、無責任な育て方をする飼い主に対しては、非常に厳しい法律があるのです。 問題の事件ですが、そのラブラドールは、ただ少年のそばを通っただけであり、「追い回している」などというような行動は、いっさいなかったのです。それと、オフリードは、ニッポン人のイメージする「放し飼い」とはちがいます。narumiさんの文面からは、どうも「放し飼い」への非難の声が聞こえて来るようです。ぼくだって放し飼いには反対です。 narumiさんはオフリードできちんと訓練された犬をご覧になったことがあるのでしょうか? 専門家でなくても、たいていの人間なら(犬の飼い主でなくても)、少し犬を観察すれば、その犬がどの程度の犬か、分かるものです。犬は人間とちがって正直だからです。美容整形なんてのもしないですし。 ニッポンのある地方都市での経験ですが、愛犬にわずか30センチのリードをして繁華街を歩いていたとき、ぼくの犬に気づいた若い女性が「キャー!!」と叫んで、彼氏と思われる男性のからだにしがみつきました。どのような女性とつき合うか、それは人の勝手ですが、そのとき、ぼくの横に静かについて歩いていた愛犬は、まったくその事態に気づかないばかりに平然と歩いていました。しかし、心臓に剛毛が生えていると人には言われるぼくですが、音には非常に敏感でして、あの女性の奇声には、オナラが発射しそうなくらい、ビックリしたのです。 しかし、子供の頃から、どんなことがあっても、「うろたえるな」というのが、ぼくのマナーの基本にはあって、そのときもオモテ向きは愛犬同様に平然としていましたが。 英国の事件ですが、ぼくには経験からその時の情景がハッキリと見えるようです。その後、英国のネット愛犬家グループで、事実を確認しましたが、すぐに返事をいただき、それがまったく当然であるかのように、だれもその事件の処理に文句を言う人はいませんでした。 さて、そんな英国の愛犬家と、ニッポンの愛犬家を比べると、すでにこのスレッドでもハッキリしてきたように、同じ事件でも反応の仕方がまったくちがいますね。英国人は犬をだいじにし、ニッポン人は人間をだいじにするのでしょうか? ぼくには、英国の方が、動物の権利だけじゃなく、人権もずっと尊ぶし、ずっと福祉国家だと思えるのですが。 オフリードで<実際に>問題を起こす可能性のある犬でもオフリードにしましょうとは、ぼくは一度も言った覚えはありません。そして、英国の事故でも、そのラブラドールが<問題犬>ではないことが、専門家によって証明されたと、ぼくは書いたつもりです。それを「もってのほか」と非難する必要があるのでしょうか? BB |
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narumi |
投稿日時: 2006-7-28 0:03
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Just popping in
![]() ![]() 登録日: 2006-2-7
居住地: コロンビア、ボゴタ
投稿: 6
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
BadBlokeさん、はじめまして。
私はオフリードを標準とすることには反対の立場ですが、BadBlokeさんが書かれているイギリスの事件について腑に落ちない点があります。 >専門家が調査した結果、その犬はオフリードでも >コントロールできる危険性のない犬であり、 ということですが、少年を追い回しているときには飼い主が呼んでも来ない状態だったのではないのでしょうか。そうであれば、オフリードでもコントロールできるとは言えないと思います。 あるいは、そのとき飼い主は犬を呼び戻そうとしなかったのでしょうか。それでは何をしていたんでしょう。 犬が怯える少年を追い回すのを楽しんで見ていたのでしょうか。 それとも、犬が少年を追い回しているのを知らなかった(その場にいなかった)のでしょうか。 前者であれば問題外ですし、後者なら、犬の管理の不行き届きで飼い主が罰せられるべきと考えます。 個人的な感覚としてはこの犬と飼い主をおとがめなしとしたイギリスの裁判所(?)の決定は間違っていると思えますし、日本がそういう状態でないことを喜ばしく思います(私は海外在住ですが)。 オフリードで散歩させること自体は、私が住んでいる国でも普通に見られることであり、犬が飼い主のそばを離れないのであればさほど問題はないとも言えます。勝手に車道に走り出る犬などを見ていると、自分がオフリードで散歩したいとは思いませんが(しつけの問題ですけども)。 しかし、どういう人がいるかわからない公共の場である公園などで、子供や小さな犬を追い回す可能性のある犬を放すことはもってのほかと考えます。 |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-27 12:58
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
英国でオフリードのラブラドールを怖がって崖から落ちた少年の
事故ですが、専門家が調査した結果、その犬はオフリードでも コントロールできる危険性のない犬であり、その事故のときにも、 少年を攻撃するようなことはなかったことが証明され、 犬も飼い主も、まったく法的処罰を受けませんでした。 同じような事故が起きたとき、ニッポンならどういうことになるの でしょう。愛犬家でさえも、オフリードそのものを無条件で悪いこと のように見ているとすれば、その飼い主が処罰され、犬が殺処分され ても、当然だと思う人が多いのでしょうか。 ここの LIVING WITH DOGS では、ヨーロッパの犬事情がよく紹介され、 最近も、フランスでオフリードで散歩している犬の写真が載せられて いましたが、これを見て、皆さんはどういう感想をもたれたのでしょうか。 フランスの飼い主ってのは、マナーが悪いと思われたのでしょうか。 それとも、歴史や文化のちがいがあるのだから、ニッポンとは別世界のことで、 ニッポン人には、なんの参考にもならない記事だと思われたのでしょうか。 BB |
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チャコ |
投稿日時: 2006-7-27 10:57
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Just popping in
![]() ![]() 登録日: 2006-7-26
居住地:
投稿: 1
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
皆さま初めまして。チャコと申します。
ミックさんの問題提起について一言申したくて、初書き込みします。 私も子供の頃から犬がいる環境でした。 今も小型犬を飼っておりますが、先代の子が亡くなる少し前くらいからこちらのサイトを見させていただいておりました。 しかし以前の私は、飼い主としての自覚が甘かったように思います。 もちろん犬は小さい頃から大好きで、他人に迷惑をかけるつもりも全くありませんでしたが、「犬嫌い」な人の存在はあまり気にしていませんでした。 犬を散歩している人を見かければ、嬉しくて近づいていっていましたし、大勢の人が利用する河原などでオフリードにしたこともあります。 そして、いわゆる「愛護団体」と呼ばれる人々は、少しのことでクレームをつけてくる、ちょっと過剰な人達…と思っていました。 里親探しや、ボランティアで大変苦労されていると知ったのは、ここ1年ほどのことです。 でもこちらの様なサイトに出会ってからは、私も考え方が変わりました。 まだ自分の意見を言えるほど、キチンとしていませんが、皆さんの意見を聞きながら勉強しています。 今ではオフリードもしませんし、他のワンちゃんに会ったら「挨拶させてもいいですか?」と聞くようにしています。 人とすれ違う時は、常に相手が「犬嫌い」という事を想定して、私が間に入ってすれ違うようにしています。 もちろん、「かわいい〜」と言われると、嬉しくてホイホイ挨拶させちゃいますが。 なので、ミックさんの心配もわかります。過去の私が迷惑をかけていたかもしれません。 でもこうやって、少しずつかもしれませんが、皆の意識も変わっていっていると思います。 このサイトで変わった一人として、決して悲観的にならないで欲しいと願っています。 ただ、やはり通りすがりの他人に、いきなり反対意見を言われて変われる人はいないと思います。 私も、もどかしい思いをする時もありますが、少なくとも散歩で会う人は犬が嫌いな人では無いと思うので、まずは人間同士仲良くなってから、やんわりと「こうした方がいいらしいですよ」などと言うようにしています。 意外と効果があるのは、ウソでもいいので「この間テレビでやってたんですけど」という前置きです(笑) chaco☆U^エ^U |
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HACCI |
投稿日時: 2006-7-27 2:55
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Just popping in
![]() ![]() 登録日: 2006-4-11
居住地:
投稿: 3
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
こんばんは。HACCIと申します。
まずミックさんの提起について、私の意見を述べます。 うちの犬は臆病で警戒心が強いあまり攻撃的になってしまうことがあります。特に未去勢の雄犬に対して多いように思います。 現在、飼い主がそういう環境を作らないように(私の)トレーニング中です。なので公園の運動場などでオフリードの犬が近づいてくると、正直緊張します。攻撃するという行為を強化しないよう、ケンカを避けるようにコースを変えたりもします。 こういう事情ですので、できれば私の犬が散歩しているのを見かけたら、みなさん愛犬を呼び戻してくださると助かります。 「うちの犬は大丈夫」という方も多いのですが、残念ながら呼び戻しすらできない方もいます。中にはうちの犬が唸っているにもかかわらず積極的にコミュニケーションをとろうとしてくれる超フレンドリーなワンちゃんもいます。私はリードをしっかり持っているつもりですが、万が一ケガをさせてしまったら申し訳ないです。私自身は好きなのでよそのワンちゃんとコミュニケーションをとりたいのですが、こういう性格の犬を連れているのでどうかお許しいただきたいと思います。この場を借りてお願いします。 それからワンちゃんはノーリードにしても「うんち」はもちろんオンリードですよね。 私もMaxとHollyママさんの仰るとおり、日本とアメリカとヨーロッパでは犬をとりまく歴史や文化が違うので、それを無視しては「オフ(ノー)リードかオンリードか」という議論は無意味だと思います。 残念ながら私はヨーロッパにもアメリカにも行ったことがないので憶測でしか言えませんが、(もし現地の事情にお詳しい方がいらっしゃれば教えていただきたいです。)犬と一緒に暮らしてきた長い歴史があって、人間が彼らに伴侶としての確固たる地位を授け、人の意識も環境も今のように整備されてきたのではないかと思います。 (ただその長い時間の中には、たくさんの過ちもありましたよね。税のために尻尾を切って差し出したり、戦場の矢面に立たせたり、実験に使ったりと、酷い扱いをしてきたことでしょう。でもその過ちを認め、彼らのことを尊重しよく理解した上で現在のような犬との生活があるのだと思います。きっと犬たちが見えないリードで飼い主と繋がっている理想的な関係が出来ているのでしょうね。うらやましい限りです。) では日本ではどうでしょう?日本でも狩りのお供や番犬として人間と暮らしてきた歴史があるかと思います。しかし、狭いオリや箱に入れられ、または庭先に鎖で係留されて、決して伴侶としてではなくおそらく従順な役に立つ動物として「飼育」されていたと言う方がしっくりくるかも知れません。 しかし現在もその歴史は続いているようです。未だに、庭先で犬小屋に繋がれたり、オリに閉じこめっぱなしで放置。挙げ句の果てに、引っ越しするからとか、いうことを聞かないからなどと様々な理由を付けて保健所に連れていく。あるいは迷子になっても見つけてもらえない、山に捨てられた、勝手に子犬を産んだ、そんな犬達が年間に何十万頭も殺処分されているこんな国で、ヨーロッパのような市民権を犬が得られるのはまだまだ先の話でしょう。 きっと欧米では犬達はまず最初に彼らの生態学に基づいてしつけをされる事が常識で、脚側歩行はもちろん服従訓練の行き届いた犬たちが人間と楽しく街や公園をノーリードで歩いているのなら、ごく自然なことに思います。 しかし日本では、しつけの必要性もわからずにペットショップなどで衝動的に犬を手に入れる飼い主がほとんどではないでしょうか? いうことを聞かなければ殴る蹴るのような暴行を加えてしつけと思っている人も未だに存在していると思います。 このようなことから、オフ(ノー)リードにするかオンリードにするかという議論以前に、まず日本人が犬をよき伴侶と認め、一緒に幸せに過ごせるような環境を「この日本に」整備することが先だと思います。(欧米の現在の表層だけすくっても話になりません。しかし歴史や文化から学ぶことは多いと思います。) そうすればいつになるかはわかりませんが、ノーリードでも暮らせる日が来るかも知れませんね。 |
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投稿者 | スレッド |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-26 20:17
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
MaxHollyさん、
ご意見ありがとうございます。 いろいろ反論したいことがありますが、いちばん気になるあなたの 「オフリード反対」に関して、少しだけぼくの意見を書きます。 MaxHollyさんは、アメリカに住んでいらっしゃるようですね。 以前、ぼくは英国の愛犬家グループで、ひとりのアメリカ人が、 オフリードのことで感情的にイギリス人を非難している投稿に 出逢ったことがあります。イギリスの公園では、オフリードは 当たり前のことです。数年前、オフリードのラブラドールを 怖がってパニック状態になり、走って逃げた少年(17歳で、 名前からアングロサクソンではないようです)がいて、なんと 崖から落ちて死んでしまったのです。しかし、そういう事故が あっても、英国では、オフリードを禁ずる法律は生まれそうに ありません。 なぜでしょうか。それは法律制定に関係するような国家の指導者が、 犬のことをよく知っているからだと思います。そして、イギリス人は、 犬だけでなく、弱者に寛容な国民性を持っているからでしょう。 犬ぎらいが弱者ですか? そうかもしれません。しかし、犬はもっと 弱者です。ニッポンの現実を見てください。人間の都合で、どれほど 多くの犬が自由を失い、また、命を失っていることでしょう。 イギリス人も、もちろん法律を尊びますが、コモンセンスというものを 何よりもだいじにする国民です。規則を決めると、それに違反するどんな ことでもダメになってしまいます。そういう規則のせいで、正しいこと までもが悪いことにされてしまう危険性を、イギリス人はよく知っている のでしょう。 まだまだ言いたいことがありますが、今は時間がないので、ここまでに しておきます。 それでは、また。 BB |
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MaxHolly |
投稿日時: 2006-7-26 14:49
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ミックさん、こんばんわ。
BadBlokeさん、はじめまして。MaxとHollyのママです。 今回のテーマについて、またBadBlokeさんが別のスレッドで書いていらした外飼いについて、ドッグランについて、すべてに言えることは、日本人が犬を飼うようになった歴史がまだ浅いということではないでしょうか。 特に大型犬は、日本の住宅事情からいっても、一般の飼い主に西洋並みの飼育環境や躾けを期待するのはそれこそまだまだ時間がかかると思います。おそらく多くの飼い主が、大型犬を飼うのは初めてで、自分の犬のことしか(というか自分の犬のことすらよくは)知らないのだと思います。室内飼いが当たり前になっていないのは、家自体の広さが西洋とは比べ物にならないことは別としても、日本家屋には畳の部屋があること、西洋のように屋内まで人間が靴を履いて入らないことなどの違いがあることが障害になっているのだと思います。 ところでBadBlokeさんは、別のスレッドで公園ではいつもオフリードと書かれていましたが、私はそれには賛成できません。どのような公園か分かりませんが、ほかの人や犬がいない早朝とかでない限り、オフリードは愛犬のためにも、ほかの住民のためにも、そして長い目でみた犬達と人間との将来のためにも、避けるべきです。(ここでBadBlokeさんと決定的に意見が分かれてしまったらごめんなさい) それではミックさんの投稿についての私の意見を述べます。確かにたとえ“こんにちわ”だけでも、初めての人間同士の間で挨拶があってこそ、安心して自分の犬を先方の犬に近づけることができますよね。CGCのテスト項目にも、“道で出会った人と話している間、愛犬がおとなしく待っていられる”というのがありましたが、私も散歩中にほかの犬と出会うと必ず、“Can my dogs say Hi to your dog?” (うちの仔たちが挨拶してもいいかしら?)と聞いてから先方の犬に近づけます。もちろんリードはつないだままです。犬達のほうが勝手に挨拶に行くのは、ドッグランぐらいのものではないでしょうか。まだまだ無神経な飼い主たちが多いと思いますのでミックさんのお嘆きも分かりますが、例えば登山者達がすれ違う時に声を掛け合うのが習慣となっているように、私達が率先してその習慣を作っていかなければならないのではないでしょうか。 それとBadBlokeさんは、大型犬を飼っておられるようで、小型犬の飼い主や一般の人々が犬に理解がなく、必要以上に疎外視していると書かれていましたが、私も実は25年以上前に日本で大型犬2匹を飼っていたときにそのように思っていました。でも今ではそれは(大の犬好きの)自分の思い上がりだということに気付いています。確かに自分の犬はかわいいし、危害を与えないことは100%といかなくてもほぼ確信しています。けれど自分の愛犬は他人にとっては、特に犬嫌いの人や犬を恐がっている人にとっては、やはり近づいて欲しくないものだと思います。極端な例えですが、タバコが大好きな人が嫌煙者の目の前でタバコをふかすのと同じだと考えています。ですから日本も遅ればせながら飲食店での喫煙が禁止になったり、禁煙席が設けられたりしているように、犬が一般の飲食店に入れなくてもしかたがないと思います。(ここではタバコは健康に悪いという議論は抜きにしてください) でもこれからもっともっと犬との幸せな関係が世間に広まるにつれて人々の犬に対する考えかたも変わってくると願っています。私はただ物事を自分の尺度だけでなく客観的に見ていくことで、人間同士がはじめてお互いを理解していけるのだと言いたいのです。犬との素晴らしい暮らしを皆で広めていきましょう。 |
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BadBloke |
投稿日時: 2006-7-26 3:44
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Quite a regular
![]() ![]() 登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: 愛犬はコミュニケーションのツール?
ミックさん
公園で初めて会う飼い主がいると、ぼくの場合は、まずその犬を観察します。 といっても、あからさまにジロジロ見るのは失礼ですから、遠くからさりげなく、 です。 ニッポンの公園でいつも残念に思うのは、犬は大丈夫なのに、人間のほうが 非常に神経質なことが多いこと。特に、小型犬の飼い主が大型犬を怖がると いうことが、余りにも多すぎることです。 もっとも、都心を離れてある地方都市で生活した経験から言えば、ニッポンの 現状では、特に大型犬を犬らしく育てる条件が欠けているのです。 ドッグランなども、この現状では、たいして役に立っているようには思えません。 犬の社会性を育てるという意識が飼い主にも足りないし、社会が余りにも犬に 対して不寛容です。 そのような環境だから、大型犬の場合は、特別に「問題犬」が目立つということ になってしまいます。本当は、小型犬だって危険な犬は多い。しかし、小さいのに 咬まれるより、大きいのに咬まれるほうを心配するのが、人間の特質なのでしょう。 ぼくはニッポンの愛犬家を観察して来て、つくづく思うことがあります。 せっかく犬というすばらしい動物と生活しているのに、どうしてもっと楽しく 交際できないのかと。犬だって成長の過程がありますから、多少の失敗はある でしょう。その失敗を成長の糧として生かすのが、飼い主の責任だと思います。 しかし、失敗でも何もないようなことにまで、まるで失敗であるかのように 決めつけるのが、ニッポン人にはありがちのようですし、もっと困るのは、 何も問題が起こっていないうちから、犬だからという理由だけで、犬を信用 しない人が、犬ぎらいだけでなく、愛犬家にもけっこう多いらしいということです。 BB |
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ミック |
投稿日時: 2006-7-26 2:00
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Just can't stay away
![]() ![]() 登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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愛犬はコミュニケーションのツール?
こんばんは ミックです。
唐突なタイトルで申し訳ないのですが、皆さんのご意見を伺えたらと思い書かせていただきます。 我が家のすぐ前には 市内では比較的大きく、よく整備された公園があり、1日の利用者の数は平日でもかなり多いです。 我が家では 散歩のルートにこの公園を選ぶ事が多いのですが、その環境ゆえ この公園では犬の散歩で訪れる利用者も多く、利用者の中から「犬連れも そうでない方もお互いが気持ちよく利用できる公園」を目指し 地元の愛犬家グループが中心となった定期的な公園掃除が行われていたりもして 比較的マナーのよい公園だと思っていますが、マナーがよい、それゆえなのかもしれませんが 最近気になる事があり書かせていただきます。 まず問題提起する以上、まず、私の意見を述べたいと思うのですが 私は 状況に応じて犬の行動の、ともすると「問題行動」と定義される「吠える」「唸る」を容認する事がありますし、時には「やっちまいな」と私が愛犬に対して(表面上コマンドとして)言う事もあります(但しこの言葉は「訳のわからい理屈をならべる飼い主」に向けての言葉で あくまでも自衛の手段。決して愛犬にケンカをけしかけることでではありませんし、私の生涯の中で一度しかその状況になく もう二度とない事を祈ります。) ここ1年で私が直面した危機なる状況をいくつか・・・ 大型犬と小型犬、ご夫婦で1頭づつ連れてお散歩中です。この公園ではいつも見ない顔です。 次の瞬間、旦那さんが連れていた 大型犬のリードがその手から放れてしまい(放してしまい) 私がよく知る「犬見知り」する大型犬の方にダッシュで駆け寄っていきました。 しかし、その旦那さん慌てるでもなく「大丈夫、大丈夫 うちの仔は絶対噛まないから」と余裕です。走りもせずマイペースです。 かたや 寄ってこられた方は以前同じ状況で 見知らぬ犬に「パック」と噛まれていたりするので もうパニックです。 しかも飼い主さんは 女性ですし、よく知るご近所さんですし、私もその旦那さんに 聞きたいことがあったので騒動のあと質問に行きました。 その時すでにその旦那さんの周りには「おたくのワンちゃんはおりこうですね。2頭でケンカしませんか?」とか「どの様に躾したらいいんですか?」などと質問攻めでした。その時のその旦那さんは さながら訓練士気分だったかもしれませんが 質問攻撃にちょっと困っていた様にも思えたので 私が助け舟のつもりで「あの〜 訓練の勉強をしているものなのですが 絶対に噛まない訓練方法に興味があるのですが、どの様に訓練されたのですか?」と思いきって聞いてみました。 旦那さん「だってうちの犬一回もケンカした事ないから」って言うので、「そうじゃなくて どの様にして噛んではいけない事をこの犬に理解させたのですか?」ともう一度聞いてみました。 しかし、旦那さん「だってうちの仔はケンカした事は一度もない」の一点張りなので 私も「わかりましたありがとうございます」と引き下がろうとしましたが 旦那さんがしつこく「犬の飼い方」とやらを話始めたので「このままではこの人の行動を強化する結果になる」と思い、正直に「そのレベルでしたら もう、あなたに尋ねる事はありませんのであしからず」とその場を後にしました。(「オイ!待てよ」と言われましたが 私は普段はかなりの小心者ですが 犬の事になると強気です。) つい数日前、はじめてみる多分 子犬「あっ ピットブルだ」と解かりました。 注意して通り過ぎようとした瞬間 その飼い主さん「遊んでおいで」とばかりにリードをはずし、手でこちら側に押し出しました。 さすがに、犬も興奮状態でしたし、その場での注意はできませんでした。 あげれば この1年でも数えられないのですが、要は私が言いたいのは「愛犬を切っ掛けとしての人間の会話」ではなく「人間同士の挨拶があってこそ」で まずそこが出来ないのに「犬がどうこう」語ってもらいたくないです。(ごめんなさい 今回はかなりの爆弾発言です。) 初めて会う方(犬)がどのような状態にあるのかを考えずに自分の意見だけを主張する事に疑問を感じますし、残念ながら その様な方に「自分の犬がどのような状態か?」を訴えてもほとんど理解されない事が現状ですので 大変悲しい思いをします。 |
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