題名 | 投稿者 | 日時 |
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» 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-1-22 19:44 |
犬ってもっと人間に近いと思いますが。。。。 | MaxHolly | 2007-2-3 16:52 |
Re: 犬ってもっと人間に近いと思いますが。。。。 | ジャck | 2007-2-4 11:35 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-6 23:36 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-7 12:05 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-2-9 22:37 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-10 9:41 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-2-10 13:16 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-10 14:26 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | MaxHolly | 2007-2-11 13:56 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-11 16:32 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-2-12 7:17 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | MaxHolly | 2007-2-12 8:10 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-13 9:18 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-2-13 19:47 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-2-13 20:12 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | MaxHolly | 2007-2-14 16:03 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-14 19:30 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | ジャck | 2007-2-11 18:14 |
Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ | 丸山 | 2007-2-11 21:15 |
初めの投稿を簡略化したもの。 | ジャck | 2007-2-11 17:52 |
投稿者 | スレッド |
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丸山 |
投稿日時: 2007-2-14 19:30
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
今まで仕事の事で頭が一杯でフォーラム参加する気になれませんでした
その影響で花子も調子が悪くなりました。花子にとって私の悩み事は間接的にストレスになるみたいで、かみさんに言わせると二人とも神経が細いからと言われます >ごく自然に扱うことができるのは、HollyにしろNoahにしろやっぱり里子として出せる犬だったからだと思います 怖いのもありますが、 自分自身救う事を望んでいるかと言うと、その気持ちがあるとは思えないからです。 気持ちが無くても救う真似は出来ます。しかしそれは真剣に取り組まれている方失礼だと思うからです 気持ちと行動が一体で動物を救う事を出来るのは尊敬に値します ジャckさん 引用は誰のでも良かったのです。たまたま目についたものを書きました。よけいなおせっかい言葉です。 忘れて下さい |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-2-14 16:03
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
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投稿: 198
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
丸山さん、ジャckさん、お返事ありがとうございました。
まだ本調子ではないのですが、昨日から仕事にも行っています。 ですから、今夜は早めに切り上げますね。 まず丸山さん、小さい頃に気性の荒い馬のお世話をなさったために動物に恐れをいだいておられるとのこと、お察しします。私は東京生まれの東京そだちなのですが、子供の頃からいろいろ飼いました。もちろん犬、うさぎ、シマリス、鶏、手乗り文鳥、もちろん金魚、など。それで動物は大好きです。といっても犬と室内で一緒に暮らし初めてその魅力を知ってしまった今では、犬以外の動物はこの先飼えないような気がしますが。その代わり、あと何匹の犬と一緒に暮らせるかなといつも考えています。ところでレスキュー犬(成犬)でも恐いと思ったことがなく、家に連れて帰った日から、ごく自然に扱うことができるのは、HollyにしろNoahにしろやっぱり里子として出せる犬だったからだと思います。(本当はそのテストに落ちたのですがフォスターファミリーが時間をかけて落ち着かせてくれて里子に出せる状態にしてくれた)だからちっとも偉くもなんともないんです。みんなフォスターファミリーの努力のおかげなんです。 それで里子に出すにふさわしい犬かどうかを見極めるテスト(犬の行動評価テスト)のことをミックさんというかたが別のスレッドで書いておられるので、みなさんにもそのことを考えていただきたいと思っています。(そのうちそちらにもレスをつけるつもりですが) それから、私のことを気にかけていただいてかどうかわかりませんが、ジャckさんに提案をして下さってすみません。ジャckさんは物知りだから、いろいろためになることを書いてくださってるのに、私が理解できなくておそらく”なんで、なんで?わかんないのかなあ?”ってあきれていると思います。でも人それぞれ得手不得手があるからしかたないですよね。私はぜんぜん気にしてませんのでご心配なく。 ジャckさん、お気を悪くしないで、今後もよろしく。 それで本題に戻りますが、要するにジャckさんが言いたかったのは(リクエストにお応えして引用しますよ!!) 僕がここで話したいのは「僕ら犬好きが、愛情を持って犬と接するとき、どうしても擬人化してしまうんだ」と。 「それはやむを得ないことなんだけど、自覚していれば行き過ぎることは防げるかもしれない」と。 「時には、犬を犬として考えてみてはどうだろうか」ってことです。 その説明として、僕らが犬に善かれと思っている「躾け」も、突き詰めれば僕らの自分勝手な不都合から行なっているだから、それを意識していれば感情的になって怒ることもマシになるんじゃないかと……。 ということだったんですね!!やっと擬人化と躾けが繋がりました!! 躾が必要だとか、擬人化はあたりまえとか、私が書いたことは、やっぱりかなりズレてましたね。だって必要か否かとか擬人化はするなとかジャckさん、言ってませんからね。お騒がせしました。これで安心して眠れます。おやすみなさい。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-13 20:12
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
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投稿: 144
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
こんばんは、お体はいかがでしょう。
とりあえず、こんな風にレスを書いていますが、返事は無理しないで下さいね。 >ジャckさん、まだ風邪気味で頭がすっきりしないのですが、もし頭がちゃんと働いていたとしても、やっぱり私には難しくていろいろ書いてくださったことすべて理解は無理ですわ。(ごめんなさいね) いやぁ〜「ごめんなさいね」なんて、とんでもないですよ。(^^;; 僕もこの話しは確信が持てる部分と、そうでない部分が混在していますし……。 それに、なんといっても犬好きにとっちゃ、あまり気分のいい話しじゃありませんからね。 そんなこともあって、人のスレにぶら下がらず自分でスレを立ててみたんです。 >それと私は犬のこと、学術的に理論的に理解していない、というか多くの母親がそうであるように(というとお叱りを受けるかもしれませんが)もっと本能的に感覚的にとらえているのです。 僕が子供の頃にかかった腎臓病を、はじめに疑って、発見まで辿り着けたのは、ど素人の母の判断でした。 大きな大学病院では発見できませんでしたが、どうしても僅かに浮腫んでいるように感じるということで、かかりつけの医者に診せたところ、後になって発見できたそうです。 ですから、 >獣医師は学問で(そしてもちろん実践もありますが)一般的な犬の病状や治療法は充分習得しているでしょう。でもHollyには初対面。私はHollyと一緒に暮らしているのです。だからどんな小さなことも見逃さない、(ry のような話しは、往々にしてあることだと思ってますよ。 人でも犬でも、普段をよく知っているのは母親であったり、飼い主であるもんですからね。<あ、父親もいれとくか。(^^;; 子育てや子供の話しなんかも本当にそうで、専門家ができるのは、助言とか、特定の場合での技術や経験の提供とかですからね。 >でもジャckさんにしろ、丸山さんにしろ、ここに集まる皆さんに共通していることは、みんな犬との生活を大切に考えていることなので、今後ともよろしくお願いします。 はい。そう思います。 いま僕には犬が居ない暮らしなんて考えられませんもの。 それに、皆さんの言われることで「そんなの理解できないぜ」なんてことはほとんどありませんよ。 それは自分も過去にそう思っていたことが多いし、たとえ今現在違っていても、ある方がそう思うことや、その環境を考えれば、ほとんどが充分に納得できる話しばかりですしね。 それからレスは結構ですからね。先ずはお体を治して下さいね。 ではでは。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-13 19:47
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
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投稿: 144
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
丸山さん、レスをどうもです。
>>犬に躾をしない方が良いとも言ったことはないと思いますが……。 >>僕はこのスレのはじめから、無条件に「○○○をしてはいけない」とは一度も言っていないと思うんですが……。 >など文章全ての表現を、ある意味絶対把握しないといけない、数字で言う絶対値と言う形で少しのブレも許されないそんな感じがします。 それは、MaxとHollyとNoahのママさんへ話したことですし、そんなに厳しく言ったつもりはないんですけどね……。 ママさんは嫌な気分でしたか? それなら謝ります。 今までママさんとは何度もPM等などで話していますので、その辺は通じていると思っていますし、風邪をひいておられるということなので、どちらかと言えば「念の為」にいう感じなんですけど……。 >数字と違って文章は書き手の意思を全て把握する事はとても困難だと思います。 >数字もそう言う面はあるとはおもいますが おっしゃる通りだと思いますよ。 ですから、誰かの意見に対して、何かを意見する場合は、曖昧な僕の記憶に頼らず、なるべくなら(その前後を含めて)引用するのが望ましいと思っています。 相手の意見を尊重する。相手の意見を誤解しないように努力する。それは、こんなことから始まると思っていますから。 >「あの時はこう言いました この時はこうは言っていませんでした。」では終始 その言葉のやり取りが続く気がします。 あのう……、ママさんと僕のやり取りで、まだ、そのようなことが続いていますかね? それに、そもそも、「あの時」の話しを持ち出されたのはママさんで、(体調が思わしくないそうなので)「それは記憶違いじゃありませんか」と念の為に言った感じです。 また僕(自分)の言葉を引用したのも、現在の言葉で新たに書き直すのはよくないと考えましたから……。 あれ? これは丸山さんがママさんへ言われていることなんですかね?? そうなら失礼しました。 いずれにしても、「誰の意見」を前提にし、その上で話しを進めていく場合、その前提の確認は重要ではありませんか? 前提が違っていれば、成り立たない話しなんですから……。 それに「あの時はこう言いました この時はこうは言っていませんでした」というのも、会話ならやり取りが続く場合もあるでしょうが、こんなフォーラムではログ(記録)が残っていますので、執拗に続くようには思えませんよ。 >せっかく書かれるのですから、 そうですね。僕も全くその通りだと思います。 だからこそ、相手の意見を尊重したいし、誤解したくないので引用しています。 出来れば、僕の投稿へ意見されるときも、引用をしてもらえると助かります。<あくまでも希望ですが……。 はじめのレスで >犬を擬人化することが問題なのでしょうか? と、言われる場合も、僕が、「犬を擬人化することが問題だ」と言った部分を引用して下されば助かります。 もちろん、自分では「そんなことは一度も言うはずがない」と思っていますが、何かの間違いでそう書いてしまっているかもしれないと、スレッドのはじめから読み直さなければなりませんから……。(^^;; スレッド全体に「問題」という語句の検索をかけ、発見できなくても、やはり慎重さに欠けるので、一から読み直す作業に迫られてしまいます。 僕は、そうやって、なるべく一つひとつの意見や疑問に答えているつもりですが、次のレスでそれについて何も言われないのは寂しい気もしてます。(^^;; あ、これも寂しい気がするだけで、「言って下さい」とまで求めているわけじゃありませんよ。 ※因みに、僕にはこのスレッドが「どれほどわかり難いのか?」がわかりませんので、いま知人の何人かにメールを出し、このスレッドを読んでもらっています。 もちろん、専門的な知識などを持っていない主婦や学生のような方にお願いしています。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-2-13 9:18
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登録日: 2006-5-30
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投稿: 60
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
Max,Holly & Noahのママさん、こんばんわ、
この1〜2年議論することもあまりありませんでした。 今回それが出来てスレに書き込んで良かったと思っています。 私は偉そうな事を書いていても、実は、動物が怖いのです。その原因は馬だと思います。 移民してすぐに購入した馬はのメス若い馬でした。これが賢くて繋がれている縄を噛み切ってしまうのです。 どんな太い綱でも時間をかけて噛み切りました。しかし故親父が言うに、私たち家族の傍で草を食べたりして逃げないのです。 繋がれるのがイヤだったのでしょう、温厚で決して私たちに危害を加える事は無かったと思います しかしあまりにも、縄を噛み切ってしまうので買い換えたのです。この買い換えた二頭目の気が荒い、とても怖い思いをしました。多分子馬のころの扱いが悪かったのでしょう 体重二十キロ強の子供が数百キロ馬を扱うのは大変で。 危険な奴と思いました。 そう言う意味私は動物に恐怖心があります。 犬にもです。 初対面ですぐには触りません、目を見て呼んでその反応を見る癖がついています。 人間と動物の関係はと言うと 馬は人間を乗せたり 荷物を運ぶのが仕事です。犬と違って馬はかなり人間に拘束されおまけに仕事が終わると繋がれる事になります。 馬にとって人間ははなはだ迷惑な存在なのでしょう しかしそれを言うなら、食肉動物にとって人間は迷惑どころではありません、人間が存在しない方が良いと感じます そんな迷惑な人間であっても馬は縄を噛み切って人間の傍に来るのです。 私は、躾なんて適当でお互い付き合う上で不都合が無い程度で、 危険な奴でなければ良いと思います。今は花子と登山には行きませんが始めは木道を渡れなくて途中引きかえしたのですが、何時しか渡れる様になりました。 花子が 私の事を理解してくれたのでしょう、躾とはそんなものかな、なんて思います。 Holly Noahは成犬から付き合い始めたのですね、私は二頭目の気が荒い馬を思い出して、それは出来ないかも知れません、つまり自分の事を犬たちに理解してもらえるか自信が無いのです。 別の表現をすれば怖いのです。動物をレスキューするボランティアの方の真似ははとても出来ません、 しかもそのレスキューされた犬たちと生きて行けるのは尊敬に値します。 ジャckさん とてもおせっかいで失礼かもかも知れませんが、ジャckさんのお話はとても細かくて、文章のは言い回しの細部に渡り例えば、 >犬に躾をしない方が良いとも言ったことはないと思いますが……。 >僕はこのスレのはじめから、無条件に「○○○をしてはいけない」とは一度も言っていないと思うんですが……。 など文章全ての表現を、ある意味絶対把握しないといけない、数字で言う絶対値と言う形で少しのブレも許されないそんな感じがします。 数字と違って文章は書き手の意思を全て把握する事はとても困難だと思います。 数字もそう言う面はあるとはおもいますが もう少し数字で言う誤差と言うか、許容値と言うか、そんなものを持ってお話していただく面があると、もう少し議論も深まるかと思います。 「 あの時はこう言いました この時はこうは言っていませんでした。」では終始 その言葉のやり取りが続く気がします。 せっかく書かれるのですから、 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-2-12 8:10
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
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投稿: 198
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
ジャckさん、まだ風邪気味で頭がすっきりしないのですが、もし頭がちゃんと働いていたとしても、やっぱり私には難しくていろいろ書いてくださったことすべて理解は無理ですわ。(ごめんなさいね)
私が書いたことも、ジャckさんに反論しているのではなく、私はこんなふうに考えるんだけど、どうでしょうかっていうくらいの気持ちなので読み流してください。 それと私は犬のこと、学術的に理論的に理解していない、というか多くの母親がそうであるように(というとお叱りを受けるかもしれませんが)もっと本能的に感覚的にとらえているのです。 ある例が、一昨年のこと、Hollyの様子がおかしいとの主人からの電話で急いで帰宅。主人がそれ以前に獣医さんに連れていったときには、レントゲンで映らない何かがのどに引っ掛かっている可能性があるので、そこではマイクロスコープの設備がないから救急の施設にすぐに連れていくように言われたというので、急いで来院。ところが大学を出たてのような若い獣医師が、これはすい臓に問題があるかもしれないから(細かいことは忘れましたが)、水も餌も24時間与えずに様子を見るために入院を勧められました。私は断固として反対。家に連れ帰り、心配する主人を説得して、いつもどおり水も餌も与えました。なぜって何かが喉につかえているのに、何も喉を通さなければ取れるわけがありませんもの。それにHolly自身はもどそう、もどそうとあがいているのに黙ってみているわけにはいきませんでした。結局、なんてことなくつかえていたもの(たぶん長い草)は食べ物と一緒に飲み込まれてめでたしめでたし。 このエピソードで私が学んだことは、獣医師は学問で(そしてもちろん実践もありますが)一般的な犬の病状や治療法は充分習得しているでしょう。でもHollyには初対面。私はHollyと一緒に暮らしているのです。だからどんな小さなことも見逃さない、この仔がどんな状態なのかは私のほうが時として(絶対ではありませんよ)よく分かっていると確信しました。子育てにおいても然り。学校の先生がうちの子を何と評価しようと、親として生まれる前から付き合ってきた私と主人のほうが絶対よく理解してあげられるという自覚をもって接しています。と、話が飛びましたが。 そんなわけで、どちらかというと感覚で生きているMax,Holly & Noahのママですので、的が外れていたらごめんなさい。 でもジャckさんにしろ、丸山さんにしろ、ここに集まる皆さんに共通していることは、みんな犬との生活を大切に考えていることなので、今後ともよろしくお願いします。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-12 7:17
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
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投稿: 144
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
MaxとHollyとNoahのママさん、レスが遅れてしまってすみません。
>犬を躾けることは、犬にとってはもしかしたらはなはだ迷惑なことかもしれないとジャckさんはおっしゃっていますね。 >確かに躾自体はそうかもしれません。 >でもそれを言うなら、我々はそれ自体は犬にとってはなはだ迷惑なことを他にも沢山していると思います。 「でもそれを言うなら……」以降の箇条書きしていただいたことを含め、このスレのはじめの投稿(最後の*)で、 >僕は理性で「犬を飼うこと」を突き詰めて考えていけば、「犬には負担だろう」と思わずにはいられません。 と、言いましたように、理性だけで考えれば「犬を飼うこと」に関するあらゆることがそうなると思われます。 ママさんが「あえて言うなら、犬を飼うこと自体人間のエゴだと思っています」と言われることと似ているのではないかと……。 >?去勢や不妊手術(これなどはジャckさんの動物の生の意義は種族の保存という観点からみたらもってのほかですよね) これは去年の6月の話しだと思いますので、当時の僕の投稿から引用しました。 >地球上のあらゆる種族の本能は「種族の保存」の為のプログラムだとも言えます。往々にして個体保存より優位になる種族の保存。 …(中略)… >ですので、去勢や避妊手術は「動物の生きる意味」を奪うものであるとの解釈も出来ます。 と言いましたように、あくまでも(本能のひとつである)「種族の保存」からみた解釈です。 当時、手術を迷っているという方には、「少々の迷いが残っていても自ら決心されたのなら僕は何も言うことはありませんよ」と言いましたし、同じ日に「僕も1歳半の奴の去勢手術に踏み切りたいと思っています」と言ったように、各々飼い主が決めた不妊手術に反対したことはないと思います。 >むしろ犬を飼った以上、躾をしないことのほうが問題ありと思います。 犬に躾をしない方が良いとも言ったことはないと思いますが……。躾をしないで済むならそれに越したことはないとは思っていますけど……。 >私は猫を飼ったことがありませんが、犬がモルモットやハムスターや熱帯魚と同じ動物だとどうしてもいえません。 >このような犬の感受性を目の当たりにして擬人化することはごく当然のことと考えます。 ええ、これも繰り返しですが、犬好きが犬を擬人化してしまうのは当然だと思っています。 それと同様に、猫であっても、ハムスターであっても、飼っている人にとっては同じじゃないかとも思っています。 >ジャckさんは私の書いたグッバイマイフレンドのロクシーを読んでくださったと以前聞きました。 >あの中で私ははじめから終わりまでロクシーを擬人化しています。 はい。ママさんの気持の葛藤も僕なりに感じながら想像して読みました。 僕もPMなどで、ジャムやミックを擬人化して話してますよね。 いまでも日常では、犬というより人として付き合っているようなものです。 >犬を擬人化するのはよくないということではなく、犬を人間の尺度で測ってはいけないということではないでしょうか。 「犬を人間の尺度で測る」ということがイメージしきれませんが、なんとなく擬人化することに近いように感じました。 で、僕はこのスレのはじめから、無条件に「○○○をしてはいけない」とは一度も言っていないと思うんですが……。 過去にも、誰か(他人)に対して「○○○するべきだ」とか、「○○○してはいけない」とかは言ってはいないと思います。 その辺りは、特に言わないように注意して書いているつもりですので。 >あえて言うなら、犬を飼うこと自体人間のエゴだと思っています。 >だからこそ、常々この仔たちはどうしたらもっと喜んでくれるかな、どうしたらより幸せな犬生を送らせてあげられるかなって考えています。 >そして無責任な人間が不必要に増やしてしまった犬達を1匹でも多く救いたいと願っています。 表現は違いますが、「出来る限り犬のために……」という意味では同じことを言っているつもりです。 時には視点を変えて、犬を犬として考えてみてはどうか?と……。 これも、こうするべきだとは言っていませんよ。(^^;; |
丸山 |
投稿日時: 2007-2-11 21:15
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
>どうもありがとうございます。僕の方こそ、丸山さんを傷つけていないか心配してい
ます。 全く問題ありません、それで傷付く様では生きていけません、 実は私も同じ考えで、議論を止めました。 余り深く突っ込んだ話をすると文章の表現が印象の良くない物になります。相手の意見をねじ伏せようと言う挑戦的な文章です。 そんな文章は書かない方が良いに決まっています。 私には全て相手を納得させる手法なんてありませんし >擬人化していることを「時には自覚すること」も大切じゃありませんか? 私は個人なら自覚しなくれも良いと思っているのです。我を忘れて動物を溺愛する。着物を着せて、リボンを付けて、 確かにそれは異常とも思いますが でも問題無いと思います。 私は花子リボンは付けませんが、キスの嵐は降らせ、布団で一緒に寝てもいます、ある意味で着物を着せるのと大差ありません 私は一緒に付き合い始めて動物を溺愛する、そんな人は動物を捨てる事が無いと思います。 でも >私はテレビ番組で動物を極端に人間に似せ、お使いに行くのをあたかも動物が望んでそうしている。 >そんな放映を子供が見て全て信用するのはあまり関心できません、ある年齢で気が付>く事が大事だとは思います。 は過大な期待につながり動物にとって不幸になると思うからです 動物を溺愛している人が 「 動物を飼って見なさいそりゃ〜可愛いから人間と同じよ 」 と言うのも良くないと思います。 この場合は飼って見て可愛くなければどうするのでしょう? 動物が癒し効果があると宣伝するのも同じです。他に子供が成長する時動物と触れ合うのが良いとか、 >擬人化していることを「時には自覚すること」も大切じゃありませんか? 私には花子を擬人化しているか否か自覚はありません、 キスの嵐は降らせるのだから擬人化と言う言葉に当てはまるのかも知れません、 動物がお使いに行くのをあたかも動物が望んでそうしている、それは絶対ありえないと思っているか否かは判断出来ますけど 私は凡人で駄目ですが、自覚出来る人がいればそれはとても大事かも知れません、自覚する事でその動物を嫌いにはなりませんし |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-11 18:14
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
丸山さん、こんばんは。
どうもありがとうございます。僕の方こそ、丸山さんを傷つけていないか心配してます。 繰り返しになりますが、飼い主が飼い犬を擬人化してしまうのをイケナイとは言っていません。 それは感情を込めると、どうしても難しくなるからですが……。 ですから、擬人化をヤメようと言うんじゃなく、時には意識してみては?ってことです。 丸山さんの投稿に、丁度、例になる話しがあったので引用しますね。 >私はテレビ番組で動物を極端に人間に似せ、お使いに行くのをあたかも動物が望んでそうしている。 >そんな放映を子供が見て全て信用するのはあまり関心できません、ある年齢で気が付く事が大事だとは思います。 僕が話しているのも、まさにこの話しの延長なんです。 「擬人化を自覚しよう」と言うことは、擬人化していることに「気付こう」といううことです。 丸山さんが「ある年齢で気が付く事が大事だとは思います」と言われているように、僕も犬を大切に思えばこそ、 擬人化していることを「時には自覚すること」も大切じゃありませんか?ってことです。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-11 17:52
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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初めの投稿を簡略化したもの。
丸山さん、MaxとHollyとNoahのママさん、こんにちは。 皆さんへのレスの前に、このスレッドの初めの投稿が長文だったことが混乱を招いているようなので、主なことを5つにまとめて書きました。 (1) 犬を躾けるという行為は飼い主の不都合から発生している。 (2) その躾け方は三つの理論が基礎になっているが、理論の成立には犬の自発的さが欠けている。 (3) あらゆる動物たちは生まれて死んでいく間の行動規範はその種族の本能である。 (4) 人間が愛情を持って犬と接していく場合、擬人化せずにはいられない。 (5) 擬人化せずにはいられないのだから、せめて、時に自覚し、犬を犬として考えよう。 これ以降の下記の文は箇条書きの補足や引用へのレスですので、関心があれば読んでみて下さい。 (1)については、いわゆる「犬の問題行為」で話した通りです。 (2)については少々ボカしています。それはミックさんが勉強されていることを否定しているように受け止められるかもしれないという恐れがありましたので、基本になった理論の概要について話しました。 (3)僕は人間の本能が機能していないことについて20年前ぐらい学んでいますが、はじめの10年間は知識として得る(知る)ことはできても、実のところ上手く消化できずにいました。知恵にはならなかったという感じですかね。 それが10年前からのジャムとの生活で一変しました。本能というものをおぼろげながらも見ることができ、時に疑似体験できたからです。 ですから、「本能」についてはまだ10年ぐらいしか学んでいません。 (4)が、僕のような一般の飼い主が犬と暮らしていく上で、場合によってはもっとも厄介なことになると考えています。 ※飼い主と犬の関係での「擬人化する」ということは、「飼い主が犬の身になれると考える」ことで良いと思います。 厳密には「擬人論」や「擬人化する」という話しは、もっと限定しなければならないと思いますが……。 (5)は、(4)を踏まえての提案です。 僕がこのスレで提案しているのはこんなことに関してだけです。 そんな話しの間にいろんな例え話を書いたのは、一つひとつについて解説しているつもりで話しが混乱するとは夢にも思っていませんでした。orz ですから、僕のこのスレで話したいことは、上の箇条書きだけ読んでもらえればOKです。 |
投稿者 | スレッド |
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丸山 |
投稿日時: 2007-2-11 16:32
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
こんにちはホーリのままさん とお呼びしてよろしいのでしょうか
たまたまジャckさんのスレッドを読み、つい質問してみたくなりました。 一生懸命説明していただいたckさんにはまことに申し訳ないのですが、分かったようで分からない、でもそれでも良いのかな、なんて思っています。 人夫々別に分からなくても問題はありません 私はどうやら感覚的にと言うか、感じたままにと言うか、躾の本もまともに読んだ事も無いし、 花子には自己流でまさに感覚で付き合ってきました。 小学3年生の頃、馬の世話させられましたから、その時の感覚かも知れません、馬はとても怖かったです、 これが中々言う事を聞かない、おまけに子供と思ってなめて噛み付きにきます。 でもそれより怖かったのが故親父殿です。「 ノボル!!」 「ハッ!」 直立不動です 私は動物も人間も本能に動かされていると思っているのです。 大きく言えば 恋愛は子孫を残す本能です。 人間が文化を築くのも本能です。言えばきりが無いので止めますが・・・ 私は犬も含め動物と人間は同じだと言う感覚は大事だと思っています。もちろん犬は犬、人間は人間です、根底が同じでその先が枝別れしていると言う感覚です。 それを踏まえ夫々の躾があると思います。我が家の花子の躾はどうなのでしょうか??基本は人に迷惑をかけなければ何をしても良い、そんな感じです。 >犬を躾けることは、犬にとってはもしかしたらはなはだ迷惑なことかもしれな>いとジャckさんはおっしゃっていますね。 それを言うなら人間も同じだと思いますが? 子供がレストランで走り回る。親が知らん顔は無いでしょう、多分、普通は 「 いけない! 」厳しく注意されるのが当たり前です 花子は旅行が好きですから、旅先で他人に迷惑をかけない躾は大事だとおもいます。もし花子が旅先でだれかれかまわず吠えまくったら「 いけない! 」注意するのは当たり前だと思います。 多分手がでますね、「 コラ!!」バシ! でもそれは人間の子供がレストランで走り回るのを注意するのと同じだと思います。 しかしあれも駄目これも駄目と、躾をしなきゃ、躾をしなきゃなんて思っている飼い主はその犬にとって、はなはだ迷惑な存在かも知れません でも「 私は犬を躾るぞ!! 頑張らなきゃ〜」なんて思いながら生活しているのでしょうか? 花子のちょっと自慢できるのは家の壁あるいは床に悪戯で傷を一度も付けた事が無いのです。花子が行った悪戯は かみさんの靴の紐を切ったこと、それと敷物の縦糸を前歯で一本一本引き抜いた事です 私は犬も人間も個性があって、その個性にあった生活が良いと思います。他人迷惑をかけなければ躾もほどほど、 擬人化も別にたいした問題でも無いと思います。 ただテレビ動物番組等、報道関係が人間に荷似せて動物を行動させるのは問題があるとは思いますが、 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-2-11 13:56
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
こんばんわ、ジャckさん、丸山さん。
私も丸山さんがおっしゃるようにジャckさんのスレッドを何度読み返しても、話がどんどん他のほうに進展していってしまい、それにくわえて引き合いに出すケースや例えが沢山あって、何をおっしゃりたいのか結局わからなくなってしまっていました。おそらく他の読者の方々も同じかと思い、勝手ながら私流に整理してみました。 まず、犬の躾と犬を擬人化することは、全く別のことですから分けて考えてみたいと思います。 犬を躾けることは、犬にとってはもしかしたらはなはだ迷惑なことかもしれないとジャckさんはおっしゃっていますね。確かに躾自体はそうかもしれません。でもそれを言うなら、我々はそれ自体は犬にとってはなはだ迷惑なことを他にも沢山していると思います。 • 家の中に閉じ込められていること • 与えられたものを与えられた量しか食べられないこと • シャンプーやグルーミング • ドッグカフェ(人間がおしゃべりしたり食事をする間おとなしく待っていることを強制されている) • 去勢や不妊手術(これなどはジャckさんの動物の生の意義は種族の保存という観点からみたらもってのほかですよね) このように枚挙に暇がありません。しかしこれらはすべて人間と犬が共存する上で最終的には状況を改善する手段だと考えます。犬にとってそれ自体は迷惑な行為かもしれませんが、人間社会で暮らしていく飼い犬にとっては必要なことでしょう。 ですから犬の躾は私にとって、そして一緒に暮らしている犬である家族にとって必要不可欠なことだと思います。ましてや最近の陽性強化トレーニングはそれ自体犬も喜ぶアクティビティーになっていると思いますので、何の疑問ももっていません。むしろ犬を飼った以上、躾をしないことのほうが問題ありと思います。 と、ここまで書いたところで私事ですが、風邪で2日ほど寝込んでしまいました。その間Marley & Meという本を退屈紛れに読んでいたのですが(同じ犬好きとして半分まで一気に読んでしまいました)が、その中でこんなシーンがありました。 奥さんのジェニーが流産してしまい、その処置を済ませて帰宅したところ、いつもはハイパーで手に終えないマーリーが、消沈するジェニーの両膝の間に大きな頭をはさんで彼女の嗚咽を受け止めてくれているのをみて、著者である夫のジョンは、自分が言葉で慰められないのをマーリーがごく自然に状況を理解して自分よりずっと上手に慰めてくれているのを呆然と見ているしか術がなかった。と書いていました。 現に二日前に私が会社を早退して帰宅し、ベッドに潜り込むのをうちの三匹も心配そうに見て、文句も言わずに一緒におとなしく寝てくれていました。いつも明るいうちに私が帰宅するときはドッグパークとわかっていて大騒ぎするくせに。 私は猫を飼ったことがありませんが、犬がモルモットやハムスターや熱帯魚と同じ動物だとどうしてもいえません。このような犬の感受性を目の当たりにして擬人化することはごく当然のことと考えます。ジャckさんは私の書いたグッバイマイフレンドのロクシーを読んでくださったと以前聞きました。あの中で私ははじめから終わりまでロクシーを擬人化しています。獣医が最初に安楽死を勧めたとき私が首を縦に振らなかったのは、それは獣医の言葉だったから。ロクシーの意思ではなかったからです。最終的の安楽死で見送ったのはロクシーがもういいよって言っているような気がしたからです。 日本のテレビ番組を見る機会がないので、おそらく馬鹿げた面白半分の番組をやっていることでしょうが、ジャckさんが言いたかったのは、犬を擬人化するのはよくないということではなく、犬を人間の尺度で測ってはいけないということではないでしょうか。だったら私も同感です。 あえて言うなら、犬を飼うこと自体人間のエゴだと思っています。だからこそ、常々この仔たちはどうしたらもっと喜んでくれるかな、どうしたらより幸せな犬生を送らせてあげられるかなって考えています。そして無責任な人間が不必要に増やしてしまった犬達を1匹でも多く救いたいと願っています。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-2-10 14:26
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
私はジャckさんの文書が不愉快とも思っていませんし、そこは大丈夫です。 私の理解している動物感と違うものでつい質問して見たくなりました。別に悪気もありません
人夫々考え方が違うものでその事について例え結論が出なくても議論するのは良い事だと思っています。 ジャckさんは私と違って色んな知識が豊富です。私どうもものぐさで 色々参考になりました。 有難う御座いました |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-10 13:16
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
いや〜、自分の文書力のなさに愕然とします。もう何も書きたくないって気分です。orz
でも、「はいはい。おっしゃる通りです」とは言えないタチなので、なるべく端的に質問に答えますね。 ※印以降は補足ですから面倒なら飛ばして下さい。 >ジャckさんの文章を読み直しましたがやはり何を言いたいのか分かりません。 僕も丸山さんが何がわからないのかがわからなくなってきました。それにもう説明する自信もなくしかけてます。 >犬を擬人化することが問題なのでしょうか? いえ、何度も言ってますが、犬を擬人化していることを「時には意識してみては」ってことです。(^^;; >その中で、たしかジャckさんは人間には本能が無い、聞いた事もありませんと書かれていた気がします。 いや〜、言葉には気を使っているつもりですが、「本能が無い」なんて一度も言ってないはずですよ。 人間の本能は「正常に機能していない」と言っています。 ※あ、本能が壊れていると言っても構いませんよ。 もし、人間に本能が全くなければ、今のような暴走をしたりもしないと思いますし……。 中途半端な状態で残っているから、無制限で、無差別な、残虐行為が出来るのだという説に同意してます。 >私はジャckさんにレスしたのは初めてかも知れません、何でレスをする気になったのか考えて見ました。 >原因は人間と動物は違うのだ と言う点です。その証明として学者の実験例を引き合いされている気がします。 実験例については、躾け方の基礎となる理論をご存じない方に簡単に知ってもらおうという意図でした。 この躾け方の話しと、犬の擬人化の話しは、別になっています。 >もし肯定されているなら、電気ショックなど虐待に近い実験で得られたデータはあまり信用が出来ません。 う〜ん。この話しも随分前からしているんですが……。僕も丸山さんに近い解釈ですよ。 現在、犬の躾の基本になっている理論のベースは、ああ言った犬の実験から得られた理論の発展型なので、 (否定まではしませんが)、「鵜呑みには出来ないよ」と言っています。 ※この何年間、ずっと同じことを言っているんですよ。(^^;; ただし、この理論からのトレーニングで成功しているので、現在、有効だということには違いない、と。 (有効なので否定までは出来ないということです) >学者の言分はともかく、人間と動物は同じ、そう考える事は大事だ、そう思います。 丸山さんがそうお考えになることに、なんの異議もありませんよ。 僕は人間と動物は同じなんて思いませんし、そう考える事は人間の傲慢さだと思っているぐらいですが。 >であるなら 無機質、 あるいは感情が無い、若しくは? と例える術が私にはありません >何も知らないあるいは感情の無い動物ならば玩具と同じ??ペットは愛玩動物ですね、 であるならもヘチマも「無機質」とか「玩具と同じ」とか僕の発言にありましたか?<検索してもなかったし。 犬でなくとも、何も知らないあるいは感情の無い動物だったら玩具と同じだとお考えなのかもしれませんが、 それも僕と違う考え方です。 ※また、丸山さんが「愛玩動物」と言われたのは、あまりいい意味で使われていないんだろうと思いますが、 「愛玩」を辞書でひけば、「大切にし、かわいがること」だそうです。 僕も慣れていないので耳障りな言葉ですが……。 >言わせてもらえば犬を擬人化することで生命を無駄死させるのが減るとすればそれは良いことだと思います そんな風な、結果オーライの考え方もアリだと思いますよ。 ※でも、僕のどの話しから「擬人化」と「無駄死」がセットになったのかわかりませんが……。 僕は、犬でもなんでも同じなんですが、そのものの本質を無視して、こちらの都合で別のものに見立てるのは、 あまりいいことじゃないと思ってます。 でも、丸山さんがそうお考えなのはよくわかかりましたし、それについてとやかく言うつもりはありませんよ。 >私は、私自身を考えると、自分はただの動物じゃないか? 花子自分どれほどの差があるの、そう感じます。 ただの動物同士なのに、片方は自分のいいように飼い、片方は相手が許す自由の枠内でしか生きて行けない。 これが同じ動物であると言えるんだろうかという考えでいます。 支配しているものと支配されているもの歴然とした差は、その当人にはあまり感じられなくとも、傍から見ると よくわかるように思います。僕も自分では気付きませんでしたし……。<それは僕だけかもしれないけど。(^^;; >人間と動物は同じ、そう考える人が増えれば、きっと玩具である生命を購入し捨てる人が減ると思います。 >生命を無駄死にさせるのは良くない事です 人間と動物が同じと言いますが、それは僕らにとっての犬のように、僕ら人間にとって都合のいい動物に限った ことで、全ての命を平等に扱っているようには感じません。善悪の話しではありませんよ。<念の為。 また、犬をわざわざ人間と同じと考えなくとも、犬を犬としてでも捨てたりするのはもってのほかです。 ※それに犬には愛玩犬という分類があっても、玩具じゃないと思いますよ。 >やはり人間と動物は同じ、命は粗末に出来無い、そう言う観念が大事だと思います。 >この考えは、故親父殿に教えられた気がします。私の動物概念は学者ではありません、 >故親父殿と私に傍でボーとのんびりしている花子が師匠です。 丸山さんは全ての生命を粗末ににせず暮らしておられるのかも知れません。 でも僕は、害虫を駆除し、牛や豚、鶏を殺したものを食べていますので、全ての生命を大切にしようなんて、 声を大にしてまでは、恥ずかしくて言えません。 ※だからといって動物を粗末に扱うのはOKなんかじゃありませんよ。念の為。 >でも逆にテレビなどで動物を擬人化する事により、過大な期待でショップから生命を購入、期待はずれで >保健所に連れて行く人が増える事も考えられます。 僕はこのサイトに参加しているのにポリシーである「生体展示販売反対」を積極的には言えないでいます。 それはジャムらをペットショップから迎えたということに、どうしても負い目を感じているのが、積極的に なれない理由です。ですからコソッと消極的には言っていますが……。 僕は運命とか考えるタイプじゃありませんが、ジャムと出会ったショップにはいまだに感謝しているんです。 べつに、そのショップが僕のためにわざわざジャムを置いていてくれたわけでもなんでもないんですが……。 単なる偶然と頭ではわかっていても、態度で示そうとしたときに抵抗感がわき上がってきてしまいます。 >私の動物概念は学者ではありません、故親父殿と私に傍でボーとのんびりしている花子が師匠です。 誰が師匠でも構いませんよ。もちろん人でなくても。それに僕にも科学が万能だなんて感じの発想はありません。 僕が学者や理論の話しをしたりするのは、「俺はこう思うんだ」ってことだけじゃ誰も聞いてくれないだろうし、 それなりの根拠が必要だろうと思うからで、根拠を示さなくていいのなら他にも言ってみたいことがあります。 ※例えば、僕ら犬好きが、犬を擬人化してしまうのはやむを得ないことだと思っていますが、よくよく考えると、 それは犬を犬としてみていないということで、ある意味で「もの」扱いに近いんじゃないかと考えてます。 僕は、自分が無意識で犬を擬人化していることに気付かされたとき、言いようのない恐ろしさを感じましたが、 それを論理だてる術を持っていませんし、論拠になるようなものも見つかっていません。 ですから、いまだに、この話しはネットでしたことがありません。 でも、はじめて、それに気付かされたときは酷く抵抗しました。気分が悪かったという感じです。 自分なりには犬のことを考えてきたつもりなのに、それが大きく揺らいでしまうのはとても嫌でした。 だけど、大好きな犬のことだから、大切に思う相棒のことだから、僕にとって嫌なことにも耳を貸そうと、 目を背けないように努力しようと思っています。 それに、ネットでは自分の考えを述べることで、誰某がもっと良いアイデアを出してくれるかもしれないとか、 誰某が喜んでくれたりすることを期待して書いています。 ですから、賛成よりも反論や提案の方が嬉しく思いますし、丸山さんへのレスも早く書きたかったのですが。 また、この様な突っ込んだ話しや感情を追い出した話しは、他の犬のサイトや掲示板ではしていません。 それは、L.W.D.は、よくある馴れ合いの犬の掲示板ではなく、皆が切磋琢磨して意見を出し合うところだと 勝手に思ってましたから……。 正直、誰も関心がない、または不愉快な思いをさせるだけなら、過去の文章も含めて全てを削除して欲しいと 管理人さんにお願いをしようと考えています。 追記。 >その番組見ました 確かおじいさんの方が与えたのだと思います。しかしそれは擬人化とつながりますか、 >知らない、可愛い、欲しがるの三拍子でつい与えた、そんな感じがしますが この追記に気がつきませんでした。そうそう、気の良さそうなお爺さんが与えたと思います。しかも大量に。(^_^) 数年前のような気もしますが、タイトルも思い出せないままです。 >私はテレビ番組で動物を極端に人間に似せ、お使いに行くのをあたかも動物が望んでそうしている。 >そんな放映を子供が見て全て信用するのはあまり関心できません、ある年齢で気が付く事が大事だとは思います。 僕も全く同じ思いでいます。そりゃあ可愛らしいと思った頃もありましたが、今はあまり見る気もしません。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-2-10 9:41
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
ジャckさんの投稿前に以下のレスを書いてしまいました。
ですからレスが的外れかも知れませんが しかし私の感じている動物感です ****************************************************** ジャckさんの文章を読み直しましたがやはり何を言いたいのか分かりません、 犬を擬人化することが問題なのでしょうか? 昨日ジャckさんの書き込みにレスしようとしたら、投稿不能で文章が消滅 その中で、たしかジャckさんは人間には本能が無い、聞いた事もありませんと書かれていた気がします。 私はジャckさんにレスしたのは初めてかも知れません、何でレスをする気になったのか考えて見ました。 原因は人間と動物は違うのだ と言う点です。その証明として学者の実験例を引き合いされている気がします。ただジャckさんはこの学者の実験例を肯定されているのか否定されているのかは解りませんが? 否定されているのかな? もし肯定されているなら、電気ショックなど虐待に近い実験で得られたデータはあまり信用が出来ません、 人間も同じ反応をするかも知れません、この事についてはあまり深く書きたくはありませんので止めておきます 学者の言分はともかく、人間と動物は同じ、そう考える事は大事だ、そう思います。 >犬を含めたあらゆる動物達は、基本的には「自己の保存」と「種族の保存」の本能により、自然と密着して生きて、そして死んでいきます であるなら 無機質、 あるいは感情が無い、若しくは? と例える術が私にはありません 何も知らないあるいは感情の無い動物ならば玩具と同じ??ペットは愛玩動物ですね、 そう言う意味でやはりジャckさんの考えが正しいのかも知れません 私は、私自身を考えると、自分はただの動物じゃないか? 花子自分どれほどの差があるの、そう感じます。ですから私は同等である花子を相棒だと感じている気がします。 人間と動物は同じ、そう考える人が増えれば、きっと玩具である生命を購入し捨てる人が減ると思います。生命を無駄死にさせるのは良くない事です 当然ですが、ジャckさんがその様な方だとは思ってはいません 私は人夫々考えが違うのは当然だと思います。 言わせてもらえば犬を擬人化することで生命を無駄死させるのが減るとすればそれは良いことだと思います でも逆にテレビなどで動物を擬人化する事により、過大な期待でショップから生命を購入、期待はずれで保健所に連れて行く人が増える事も考えられます。 やはり人間と動物は同じ、命は粗末に出来無い、そう言う観念が大事だと思います。この考えは、故親父殿に教えられた気がします。私の動物概念は学者ではありません、故親父殿と私に傍でボーとのんびりしている花子が師匠です。 ************************************* 追記 >「動物救急病院」という番組では、犬にラーメンを与えたために急患と >して運ばれてきたシーンがありましたが、獣医に「ラーメンをこんなに >与えてはイケナイ」と言われるまで、その老夫婦は知らなかったようでした。 その番組見ました 確かおじいさんの方が与えたのだと思います。しかしそれは擬人化とつながりますか、知らない、可愛い、欲しがるの三拍子でつい与えた、そんな感じがしますが 我が家の花子もある所で知らない叔父さんがチョコレートビスケットを上げようとしているのです。 気が付いて丁重にお断りしました。 私はテレビ番組で動物を極端に人間に似せ、お使いに行くのをあたかも動物が望んでそうしている。 そんな放映を子供が見て全て信用するのはあまり関心できません、ある年齢で気が付く事が大事だとは思います。 もちろんその人間に似せたすがたを誤解して、動物を購入する事は後で不幸な結果に終わるかも知れません |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-9 22:37
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Just can't stay away
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
丸山さん、こんばんは。レスをどうもありがとうございました。
昨晩、一度レスを書いたのですが、どうしても長文になってしまいましたので、書き方を改めてみました。 >レスを書こうとして読みましたが 最後まで読むと最初をわすれてしまいます。 と、言うことなので、はじめに、レスを立てた内容を箇条書きにしてみました。概ねこんな内容です。 ・犬を躾けるという目的は飼い主によって様々だけど、多くの場合は飼い主の不都合の排除である。 ・その手段は主にオペラント条件づけであり、正負の強化と正負の弱化を用いている。 ・犬もクジラも他の多くの動物や昆虫なども種族内で(広義での)コミュニケーションをしているが、 人間のような言語(言葉)を使っての意味のやり取りというものではなく、信号のやり取りに近く、 非言語的なコミュニケーション(サインやボディランゲージなど)によるものが主である。 ・人間が犬を含めた動物に、感情を込めてコミットする場合は、擬人化を避けることは無理とまで 言わなくても、非常に難しい。いや、感情を込めるんだから無理なのかも……。 ・だからこそ、その自覚を持って、時には「犬を犬として考えてみてはどうか」と。 これ以降、レスで言われたことを引用して、レスしていきますね。長文になりました。 >よく読ましてもらうと、犬を擬人化する? と言う事は 犬は人間に似ている思う事ですか? >もしそうなら人間も動物ですから、共通点を見出すのは当然の様な気もします。 「擬人化」を国語辞典でひけば、「人間でないものを人間になぞらえて表現すること」ってことのようですが、「犬を擬人化する」ってことは、「人間が犬の立場になろうとすること」と解釈しても、このスレでは問題ないと思います。 二行目の引用で言われたように、「人間も動物ですから、共通点を見出すのは当然……」といえるようなことなので、こんなスレを立ててみました。 僕らは感情を挟んで動物を見る時、どうしても擬人化してしまいます。TVで見る映像のライオンだって同じです。 お年寄りの中には犬を人間と同様に扱い、自分が食べているものと同じものを当然のように犬に与えたりしていますよね。 以前、「動物救急病院」という番組では、犬にラーメンを与えたために急患として運ばれてきたシーンがありましたが、獣医に「ラーメンをこんなに与えてはイケナイ」と言われるまで、その老夫婦は知らなかったようでした。 悪気があったわけじゃなく、「善かれ」と思って与えてたわけです。 もしかするとチョコレートなんかも平気で与えているかも知れません。 そんな老夫婦も、犬の本を読でいれば、「食物に注意する大切さ」も知ると思いますが……、何せ「知らない」のですから、悪気がなくやってしまうわけです。<犬にとっちゃ傍迷惑な話しかも知れませんが……。 現在、ネットとか利用してアチコチから犬のことを知ることができる僕らにとっては、飼い主の怠慢だと思えるかも知れませんが、僕はそうとも言い切れないと考えています。 僕は、「犬を擬人化していることの無自覚さ」は、「犬に人間が食べるものを与える」ことに似ていると思っています。 何も犬を擬人化していることをイケナイと言っているんじゃないんですよ。 はじめにスレを立てたときにも言ったように、犬の擬人化はやむを得ないことだろうと思ってますから。 それを各々が「自覚しているか、いないか」が、やはり重要だろうと思っています。 >私は人間も動物も同じな気がします。人間も群れをなす動物で本能的に上下関係を意識し、例えば虐めもその本能に従って行われた行動の様な気がします。すなわち下がいると安心する。 う〜ん。自分より下がいると安心するのはその人の性分だろうと思いますが……。(^^;; 「犬のリーダー必要論」について僕は懐疑的ですが……、その理論でいくと「犬は群れの上下関係が成立すると安定できる」とあります。 これは「その犬より上が何頭いて、下が何頭いるとかいうことではなく、群れの上下関係が成り立っていればそれでよく、リーダーが不在の場合は自分がそれに代わろうとする」ということだったと記憶しています。 僕は「人間の正常に機能している本能」を知りませんし、専門家がそう発言しているのも聞いたことがありません。 心理学や精神分析とは何ら関係ない、スポーツの専門家などが「闘争本能」とかの言葉を使っているのは知っていますが。 また、イジメも本能ではありません。 仮に、本能であるならば、クラスの一人だけがイジメられるようなことは考え難い。 ローテーションで被害者が日替わりになるのならまだしも……。 人間の特性として、動物たちにはない「無差別で無制限な攻撃性」がありますが、それは本能が機能してない理由になっても、本能が機能している理由にはならないと考えます。 例えば、狼は戦闘中に相手が降伏の姿勢をすれば、そこで収まりますが、人間の場合にはそんな抑制できる本能的な機能は見当たらないのですが……。 時に野生の猿の群れで、何かの事故とかで奇形になったものを、皆がよってたかってイジメているようなシーンもありますが、あれはイジメでなく排除ですね。<淘汰でもいいのかなぁ……。 とにかく種族の資格を失っていると認められているわけですね。 >別に虐めでなくても、常に上下は意識しているはずです 例えば営業でお客さんの所に行ったとします。 名詞をもらう前に風貌から察知する。 それは、人間の社会的な役割(立場)での上下の話しですよね。しかも、自分の損得を踏まえての判断になると思います。 それとも人間としての、格の上下の話しでしょうか。 たぶん、犬たちのいわゆる「上下関係」と、同じ意味合いで捉えられているんだろうと思いますが、その犬たちの(所謂)上下関係は人間の上下関係と同じではないはずです。 ……僕は「犬のリーダー必要論」には懐疑的なので、認めているようにアレコレとは言いたくないですけど……。(^^;; 例えば、「営業でお客さんの所に行った……」場合という例え話しも、その営業体系(利害関係)に組み込まれた人々でないと上下関係は存在しませんよね。 取引先やお得意様である文具店に営業に行った営業マンにとって、その文具店の店主は「上」になるのかもしれません。 ですが、その文具店にその営業マンの息子が、買い物にいけば、店主よりも息子の方が「上」になるんでしょう。営業マンにとって、その息子は「下」であるにも関わらず……。 こういった社会や文化によっての役割や、その都度、変化するような関係は動物や昆虫などでは知りません。 ※因みに、人間の「男性・女性」も「父・母」と同じく社会的な役割です。雄雌とは違います。 >躾も同じで動物も人間同等ではないかと思います。 >人間においても悪い事を伝えない場合、他の人間にとって害を与える人間に育つかも知れません、 >群れの秩序が乱れ維持する上に不都合が生じます 確かに犬も生得的なことだけでなく、生まれてから親犬や兄弟犬からルールのようなものを学ぶこともありますね。 そういうところは人間と似ているようにも思えますが、人間の場合は国や共同体によってルールが違っています。 家のヨーキーはイギリス生まれでも日本生まれでも基本的なルールは同じですが、人間の場合はそうはいきません。 ある国(共同体)では悪いことであっても、別の国(共同体)ではそうでない場合があるように……。 ある飼い主が飼い犬に躾をする場合も、その躾はその人が属している国や共同体のルールーから影響を受け、更にその飼い主の事情に影響されますので、親犬や兄弟犬から学ぶこととは意味合いが違うと思います。 >本当は人間が気がつかないだけで、動物はきっと本能と豊かな感情を持ち合わせている気がします。 いえいえ、昔に遡るほど、動物も豊かな感情を持ち合わせていると漠然と信じられていたんですよ。 なにもそれは動物だけではありません。自然現象でさえも「山の神がお怒りになった」とかいうように擬人論で語られていました。 それに現在でも、動物が本能と感情を持ち合わせていると考える人の方が圧倒的に多いと思いますし、僕を含めた犬好きは「犬が豊かな感情を持っている」と疑いもしません。 でも、その考え方の根本には「人間のように感情がある動物は素晴らしい」といった決め付けや、あるいは偏見であることに気付くと、時には考え直すことも必要じゃないかと思えるんです。 あくまでも「時には」ですよ。ずっと、そう考えるなんてことは無理に近い難しいことだと思いますから……。 それと、レスを読んでいて感じたんですが、僕は「人間と犬の違い」は話していますが、「人間と犬の優劣」を話してはいませんよ。 況して、犬が人間より劣っているなんてことは話していないつもりです。 本音では、人間より犬や多の動物の方が上等じゃないかと思っているぐらいですから……。<これもいつも言ってることなんですけどね。 >私は花子を相棒だと思っています。 兄弟でも無いし親子でも無い もちろん 人間と犬の違いもあります。 僕も前々から、ここで「ジャムやミックを相棒だ」と言っていますし、ある意味では対等に付き合っていますよ。(^_^) ですから、丸山さんが、そうお考えになることはよくわかります。 敢えて僕なりの考えを言えば、花子ちゃんを大好きなのは、花子ちゃんだからだろうと思いますが……。 ですが、そうはいっても「どんな犬でも同じだ」と言われるかも知れませんね。 そう言われてしまうと「心の内」の話しはどうしようもありません。(^_^;) >しかしそんな花子を私が大好きなのは、群れをなす動物の本能がそうさせる気がします。 >群れをなす動物は仲間を大事にしなければならないと思います。そうしないと群れは存続しません。 う〜ん。もし、人間が犬を大好きになる理由が「群れをなす動物の本能がそうさせる」のであれば、猫を愛している人や、カメやイグアナを可愛がっている人の説明がつきませんよね。 また、野生でも、群れについて来れない仲間を大事にするような光景は見覚えがありませんし、愛情深いと言われている母ライオンでも、我が子が死んだらそれを食料と見なしますし……。 群れでいるのを簡単に言えば、狩りや防衛など生きていくのに都合がいいからで、群れについて来れない仲間は構っちゃいない気がします。 だからといって野生の動物が冷酷だなんて思っちゃいませんよ。 本能はその個体が生き延び、その種族が存続するための規範であり、思想や環境でかわるものではありません。 ※DNAレベルでは環境により進化(変化)しますが、数十年、数夜百年ぐらいの単位ではかわらないそうです。 繰り返しになりますが、人間であろうが犬であろうが「感情が豊かな方が優れている」なんてことは言ったつもりはありません。 それに「本能が機能している・いない」の話しはしましたが、それによって優劣を言った覚えもありません。 僕がここで話したいのは「僕ら犬好きが、愛情を持って犬と接するとき、どうしても擬人化してしまうんだ」と。 「それはやむを得ないことなんだけど、自覚していれば行き過ぎることは防げるかもしれない」と。 「時には、犬を犬として考えてみてはどうだろうか」ってことです。 その説明として、僕らが犬に善かれと思っている「躾け」も、突き詰めれば僕らの自分勝手な不都合から行なっているだから、それを意識していれば感情的になって怒ることもマシになるんじゃないかと……。 ※う〜ん、どうしても長文になってしまいますね。もっと短くなるよう頑張ります。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-2-7 12:05
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
■人間と犬たち動物との根本的な違い。
>犬を含めたあらゆる動物達は、基本的には「自己の保存」と「種族の保存」の本能により、自然と密着して生きて、そして死んでいきます。 >人間だけは本能が機能しない為に自我を構築しながら、その不安定な自我に頼って生きてゆかざるを得ません。 私は人間も動物も同じな気がします。人間も群れをなす動物で本能的に上下関係を意識し、例えば虐めもその本能に従って行われた行動の様な気がします。 すなわち下がいると安心する 別に虐めでなくても、常に上下は意識しているはずです 例えば営業でお客さんの所に行ったとします。 名詞をもらう前に風貌から察知する。 それはきっとその人の力、すなわち上下関係察知するのだと思います。 群れなす動物本能がそうさせる気がします。 きっと人間以外の動物もこの察知力と実の力を組み合わせ、上下を判断、そうして行動しているのではないか、 そう思えてきます。 つまり人間にあるものは ちょっと優れた知能だけで根本は同じな気がします。 ですから人間も群れを作る動物の本能が十分機能していると思います。 躾も同じで動物も人間同等ではないかと思います。人間においても悪い事を伝えない場合、他の人間にとって害を与える人間に育つかも知れません、群れの秩序が乱れ維持する上に不都合が生じます この場合群れの秩序を維持する為、躾の強制執行を行わざるを得ません、 私は動物は 単独行動派 群れ派の2種が存在し 人間は群れ派に所属した、ただの動物である そう感じられるのです。 本当は人間が気がつかないだけで、動物はきっと本能と豊かな感情を持ち合わせている気がします。 追記 私は花子を相棒だと思っています。 兄弟でも無いし親子でも無い もちろん 人間と犬の違いもあります。 しかしそんな花子を私が大好きなのは、群れをなす動物の本能がそうさせる気がします。 群れをなす動物は仲間を大事にしなければならないと思います。そうしないと群れは存続しません つまりその本能が有るがゆえに、傍にいる花子仲間と認め、情が移り、大事にする。 そう感じます。 もちろん花子以外の家族を大事にする気持ちはこの本能のお陰だと思います。もしかしたら私をそう作ってくれた自然に感謝しなければいけないかも知れません |
丸山 |
投稿日時: 2007-2-6 23:36
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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Re: 「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
こんばんわ
レスを書こうとして読みましたが 最後まで読むと最初をわすれてしまいます。 我が家のGレトリバ花子は早いもので11歳になります。 歳はとってもまだまだ元気です。 今も私の足元で寝ています。あっち行けばあっち こっちに行けばこっち この数ヶ月前我が家の花子は家の中で粗相をするようになりました。原因はどうやら私の様で、仕事で少し悩みが有ってかまわなかったせいかも知れません 今はすっかり直りました。かみさんが言うにはどうやら花子と私は連動するそう言っていました。 犬を擬人化する? それって「人間だったら良いなあ」と思う事なのでしょうか? 私は我が家のGレトリバ花子が大好きですが、その大好きと言う根底はGレトリバの花子だからです。 私は犬を擬人化するその言葉の意味の根底が解りません、難解な言葉です。 追記 よく読ましてもらうと、犬を擬人化する? と言う事は 犬は人間に似ている思う事ですか? もしそうなら人間も動物ですから、共通点を見出すのは当然の様な気もします。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-2-4 11:35
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
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Re: 犬ってもっと人間に近いと思いますが。。。。
MaxとHollyとNoahのママさん、こんにちは。
これは「ママさんへのレス」というカタチですが、半分以上はママさんだけへ話しているんじゃありませんので、そのつもりで読んで下さいね。 >私達は、ともすると犬達をあまりに人間とかけ離れた存在として扱っていませんか。皆さんのお宅ではどうでしょうか。 イキナリ最後の一文からの引用なんですけど、ほとんどの皆さんのお宅も同じように思っていおられると思いますよ。 ママさんが言われることは僕もよくわかりますし、これを読まれる多くの方も同じような気持でいらっしゃると思います。 僕も犬とはじめて暮らしはじめてから、また、今でさえも「犬はなんて賢いんだ」とか「まるで人間みたいじゃないか」って驚かされていますし……。 さっきまでハシャイでたのに、急に静かになり、そちらを振り返ったときなんかに、犬が安らかに寝ている表情を見ていると、本当になんとも言えない気分になりますし、母や友人が部屋に遊びに来たときの喜びようは、見てるだけでも楽しことですし、一日に何度抱きしめたくなることやら……。キモイでしょうけど。 こんな風に犬が僕ら人間と似た生き物だということは、僕にもいくらでも話せますし、犬好きな皆さんなら同じでしょう。 いや、べつに犬だけでなくとも、サルでもブタでも、またウマやインコでも同じように話せると思いますよ。 僕らは冬の崖っぷちに取り残された一輪の花にも「寂しさ」や「逞しさ」を感じられるんですから……。 犬がどれぐらい人間に近いかって考えるのは、(犬を飼っているだけじゃわからないかもしれないけど)少なくとも犬と楽しく暮らしていれば簡単ですし、誰もが感じているはずだと思います。 逆に、犬を知らない人や、犬に関心のない人、または、犬が嫌いな人は、犬が人間に近いだなんて思わないのかも知れませんけど……。 犬と暮らしはじめた人の中には、人間と全く同じように犬に接している方もいらっしゃいますね。 同じ食卓につき、同じものを食べ、同じベッドで眠る方……。 犬好きの人がそれを知ると、大抵、犬の食事での健康面を気遣います。 そんな場合は、その人に「犬は人間でないこと」を説明されます。(^^;) 話しが少しそれましたけど、僕らは関心を持った動物を好きになってしまうと、どうしても人間と比べてしまいますし、少しでも似ているところを探し(実際は似ていなくても)、どんどん擬人化してしまいます。(^^;) その対象は、草花のように生命が宿っている(とされる)ものだけでなく、僕のような車好きの者は、その日の「愛車の機嫌」をも感じることができるように……。 このスレで僕が本当に「人間と犬との違い」を通して話したいのは人間特有のことなんですよ。 でも、ここは犬のサイトなので、犬を通して人間について話していこうと思っています。 「人間はこうだから、犬をこう見てしまうんだ」とか、いうふうに……。 >また犬にはトラウマは存在しないとジャckさんはお考えのようですが、私は精神的ストレスを犬も経験すると考えていますので、トラウマもありうると思います。 う〜ん。通じていませんでしたか……。(^^;) 一言では「トラウマ=辛い記憶」ではないという話しです。 ここで「トラウマ」って言葉について簡単に話しますね。 「トラウマ」はそもそもはギリシャ語で「傷」を意味する言葉でした。 それを1971年、心理学者であるジークムント・フロイトが物理的な外傷がその後後遺症となると同様に、過去の強い心理的な傷がその後も精神障害をもたらすことを「精神分析入門」において発表するときに「精神的外傷を意味する用語」として「トラウマ(trauma)」を用いました。 いま、日本では、人間の心の傷や心的外傷を全てトラウマとか言っちゃっうのが流行ですが、上で言ったように、トラウマはその後の精神障害の原因となった心的外傷を指す言葉です。 日本では多くの人々が、ビルの屋上とか、吊り橋のように高いところに立って、下を見下ろすことが怖い心理を「高所恐怖症」と言っていますが、これは間違っています。<正しくは「高所恐怖」か「高所恐怖癖」ですね。 ビルの屋上とか、吊り橋のように高いところに立って、下を見下ろすことが怖いのは誰でも当然なので「高所恐怖症」なんて言いません。 「高所恐怖症」のような精神障害や強迫神経症は、普通の人には「なんでもない条件」で、普通の人から見ると「おかしなこと」をしてしまうことを言います。 強迫神経症の方々は「どうってことが無い条件で、おかしな行動」をとってしまいます。<意識してでもわざとでもありませんよ。 「高所恐怖症」でいえば、「高くない場所」なのに「高いと感じ脂汗を流す」ようなことを言います。 ですから、「私、高所恐怖症だから……あはは」とかが、本当に「高所恐怖症」で苦しんでいる人の耳に入ると……。 それでも「言葉は皆に通じればいいじゃないか」っていう意味では、犬にトラウマがあると言っても構わないとも思いますよ。 それに高所恐怖症のように、多くの人は(周りを)気にせず、安易に心の傷とかトラウマと言ってますからね。 若者がクラッシックを「古くさい音楽」と認識していても、タンスを「1台2台」と数えていても、一応はそれで通じますし……。 ポイントはその若者自身が(世間に)恥ずかしいと感じるか、その若者の親が恥ずかしいと感じるかぐらいですよね。 べつに全ての言葉を正しく使わなければならない状況は、他者との関係での不都合か、何かの試験ぐらいですから。(^^;) ただ、「トラウマ」や「高所恐怖症」は、いまでも本当にそれで苦しんでいる方々がいるってことです。 これも言っちゃあ少数ですから、多くの人は無視できるんでしょうが……。 閑話休題。 >長くなりましたが、私が言いたかったのは、人間と一緒に暮らす犬達は、その精神面も一般に考えられているよりずっと繊細で、人間の言葉もよく理解し、人間の幼児と同じくらいの知能ももっていると思います。 繰り返しになりますが、僕を含め、犬好きなら皆さんがそう感じていらっしゃると思います。 う〜ん。それに僕は、人間と犬との違いを話しましたが、人間と犬の優劣なんて話すつもりはないんですけど……。 それに人間が頂点で、それに近い動物が優れているだなんて考えもありませんし……。 大体、その話しは胡散臭いし、あまりいい傾向じゃないと思ってます。 進化論の誤読から、人間は進化の頂点で、生命の歴史は人間への歴史であるという間違いが一般化しているんでしょうが……。 時々、人間が頂点に見えるのは、その「見方」が存在しているだけで、別の見方をすれば人間を底辺にさえ置き換えられるってことですよね。 また、「精神面が繊細」とか「知能がある」とかいった価値判断は人間特有のもので、その優劣で「人間らしい」とは言えませんよね。 僕らが寿司ネタで食うタコも、忌み嫌われるカラスも知能も犬並みかそれ以上に高いですよ。ゾウなんて本当に賢いようですからね。 ※人間とサル、イルカしか証明されていなかった自己認識能力がゾウにもあることがわかりました。去年の10月、米エモリー大学の研究チームはゾウも鏡に映った姿を自分であると認識する能力を持っていることを確認したと発表しました。(ワシントンの時事通信の記事より) このレスの前半で言ったように、犬を飼っていて、楽しく犬と暮らしている方々は、日々、犬の人間臭い仕草や、人間のような感受性を見ては、「犬は人間に近い」と感じていると思っています。それは僕だって同じです。 ただ、それは犬に限ったことじゃない。 サルでもブタでも、また、ウマやインコでも、一緒に暮らしていると犬と似たように人間くささを見出せたり、そんな感じを受けるだろうと思います。 テレビで見るサバンナのライオンの親子にさえ、僕ら(人間)はそのライオン親子の愛情を見い出そうとするぐらいですから……。 そういう立ち位置から、ダーと後ろに下がった位置に立ち、全体を俯瞰すると、あらゆることがそういう風に見えて来るわけです。 これは、僕ら(人間)は、関心があることを自分らの都合で捉えようとする癖が身に付いてしまってるからだろうと思います。 しかも、相手が動物だとその視線に「情感」が入り込み、より、僕らの都合にそったカタチで表面化してきます。 これは(ある意味で)仕方がないことなんでしょう。たぶん人間の性分でしょうから……。 ※昔、哲学者のカントが言ったように、「人間は見たいようにしか世界を見ることができないし、習ったようにしか世界が立ち現れてこなくなる」んでしょう。 繰り返しになりますが、犬を飼っている方のなかには、犬を人間と同じように犬を考えていらっしゃる方は少なくないと思っています。 時に、犬の掲示板などで、弱っているかもしれない犬を獣医に見せない飼い主に対して「犬は苦しいとか言葉を話せないんだから……」と叱咤するのを見かけます。 でも、冷静に考えれば、犬が言葉を話さないのは当然なので、その叱咤された方は「人間」と「人間のような犬」との違いを無意識に訴えられたんでしょうね。 同じような時に「犬は飛べないんだから」とか、犬を人間でないものと比べる話しは聞いたことがありませんからね。 もしかすると、この人は犬の「犬らしさ」よりも、「人間らしさ」に惚れ込んでいるのかも知れませんね。 例えば、「犬には心がない」ということが、科学的でも何でも、誰の目にも明らかに立証されたとしましょう。 それで犬に対しての接し方や感情がかわりますか。多分、それを理性で受け入れても、接し方が大きくかわることなんてないと思います。 だけど、それを受け入れるには時間がかかったり、なかには「犬にも心がある」と、頑として抵抗する人もいるでしょう。 この場合、その人にとっての「犬」には「心を持っている」ことが重要だからだなんでしょう。 同じように犬に知能がないと立証され、なかなか受け入れられない心理が働く場合も同じことでしょう。 受け入れられない人の「犬という価値観」のなかに「知能」が占める割合が大きいからでしょうね。 似たようなことが、あるブランドのバッグに惚れ込んでいる人が、実はそのバックがコピー品だと知った時なんかで見られます。 そのバッグの本質(使用感や性能)に惚れ込んでいるのなら(騙されたことは悔しくても)手放すことはないでしょうが、ブランドだとかの本質とは関係ない「カタチのない誇り」の要素が多いほど手放す確率があがるように……。 犬の性質や特性から、僕ら人間に都合のいいところを話すことは簡単で、探せばいくらでも話せますよね。 僕自身も、それらに感動し、犬が大好きになり、日々、犬から刺激を受けていますから。 大袈裟に聞こえるかも知れませんが、「犬との暮らし」は、犬だけでなく、あらゆるものの見方を変えてくれました。 「子供は面倒だ」と思ってたのに、いつからか「可愛く」感じるようにもなってますし……。 言い換えれば、だからこそ、いままで僕は、犬を擬人化することや人間と比較することでしか見られなかったんだろうとも思いますが……。(^^;) ※こういった僕の見解や意見も、実はカントが言うように、僕は見たいようにしか世界を見ることができないし、習ったようにしか世界が立ち現れていないんでしょうね。 追伸。 犬と人間との違いの話しでは、近いうちに(と言っても数年後ですが)研究成果が発表され、一般の「犬の記憶」についての見解がかわるかもしれません。 僕らの記憶と犬の記憶は構造的には似ているんでしょうけど、その対象となるものが違うようです。 例えば、僕らが記憶をたどる時、そこには懐かしい人の顔や景色が思い浮かべますが、犬の場合はそういった視覚的なものではなく、匂いのコラージュが浮かび上がっているかも知れません。 僕らは犬が人間と同じ風景を見て、同じ匂いを嗅いで、同じ音を聞いているように思いがちですが……。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-2-3 16:52
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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犬ってもっと人間に近いと思いますが。。。。
ジャckさん、こんばんわ。
このスレッドにジャckさんが書かれたことを私はちゃんと理解できていないのかとも思いますが(ですからとんちんかんなことを言うかもしれませんが)とにかく私の考えを聞いてください。もしかしたらジャckさんが考えている“動物の亜種?としての犬”(客観的)と私が毎日一緒にいる“コンパニオンとしての犬”(主観的)とのギャップからくるものかもしれませんが。 まず犬の幸せについてですが、犬にも幸せな時間というものがありますよね。たとえばお腹がいっぱいで、不安もなくて、気持ちのいい野原でうたたねしているようなとき。安全な場所で他の犬と戯れているとき。これも人間が勝手にそう信じ込んでいるだけだと言われればそれまでですけれど。 逆に犬にとって嫌なときはと考えると(もちろん衣食住は満足していると仮定して)、不安なとき、叱られているとき、置いていかれたとき、無視されたとき、など様々な場合が考えられます。 ですから犬の幸せは、肉体的に満たされた状態の上に、精神的にも安定した状態を繋げていくことで実現できるのではないかと考えます。もちろん人間の考える概念的な幸せとはほど遠いですが、やはり犬の幸せと呼んでさしつかえないものであると思います。 次にジャckさんの書かれている犬を擬人化することについてですが、犬の欲していることがよく分かることがありますよね。例えば私がバッグと車のキーを持って、コートを着ると、Hollyは外出することが分かり、自分も一緒に連れていって欲しくて吠えます。これは“一緒に連れて行って。置いてけぼりは嫌だよ”って言っているのにほぼ間違いないでしょう。できるかがり彼女の願望を受け入れてあげるのと、それを無視して一切外出させないのとでは、彼女の幸せ度に違いが出てきますよね。もちろん願望と幸せは人間にとっては別のものですが、犬にとっては願望ができるだけ満たされることが幸せなのではないでしょうか。って、これも擬人化でしょうかね。分からなくなりました。(笑) また犬にはトラウマは存在しないとジャckさんはお考えのようですが、私は精神的ストレスを犬も経験すると考えていますので、トラウマもありうると思います。たとえば犬自身外傷は負わずとも事故や災害によって大事な人が大怪我をしたり、その所為で離れ離れになってしまったりとか、繰り返し虐待を受けたりしたことによる肉体的および精神的なストレスが原因で、それと同様の状況が起きようとしている場合に、極度に怯えたり硬直してしまったりとかすることをトラウマと考えられませんか。 長くなりましたが、私が言いたかったのは、人間と一緒に暮らす犬達は、その精神面も一般に考えられているよりずっと繊細で、人間の言葉もよく理解し、人間の幼児と同じくらいの知能ももっていると思います。ですから躾や日々の生活の中から習得した褒められる行動をすることで、人間とよりよい関係を築いていくことを望んでいるのではないでしょうか。例えば散歩の途中でNoahが急に引っ張り私が転びそうになったために、Noahを叱ったりすると、一緒にいるHollyがそれから先は私の顔色を振り返って常に伺いながら気を使って歩いてくれたりするのです。また隣の犬に塀越しに吠えるのを何度も叱られているうちに、最近では隣の犬達が挑発的に吠えても、相手にせずじっと我慢して家の中に戻ってきます。我が家では一切体罰はくわえませんので、これらの行為は自発的と考えられます。なぜなら、Noahと一緒になって引っ張ったり、隣の犬達に吠えまくることで、Hollyにとって不利益が生ずるとすれば、それは私の機嫌が悪くなることだけですから。 私達は、ともすると犬達をあまりに人間とかけ離れた存在として扱っていませんか。皆さんのお宅ではどうでしょうか。 |
投稿者 | スレッド |
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ジャck |
投稿日時: 2007-1-22 19:44
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
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投稿: 144
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「犬を躾ける」ということ 〜 「犬を擬人化する」ということ
タイトルでは「犬を躾ける」と「犬を擬人化する」という二つをあげてますが、大半は「犬を躾けること」に関しての
基本的な話しから、飼い主にとって「犬を躾けるということ」は、どういうことなんだろうかって話しです。 また、「犬を擬人化する」に関しては、「一緒に暮らす犬を擬人化してしまうのは避けられないんだ」という話しを わかってもらおうと思っています。 と言っても、こういった話しは(僕のように)イヌを体系的に学んでなくても、エソロジーを勉強していなくても 冷静に考えればわかることなので、「少し考えればわかる」とお叱りを受けるかもしれませんが……。 ふだんの散歩や犬の掲示板などで出会った飼い主さんらと話しをしていると、どうも「少し考える」ということを 「あまりされていないんじゃないかなぁ」と思えるので……。 ですので「そんなこと言われなくてもわかっている」といわれる方は無視して下さいね。長文ですし……。(^_^;) 現在、「犬の躾け方」はいくつもの方法があるように思いますが、それを一つひとつ例にあげて話していくことは できないので、各々の躾け方の基本になると思われる理論、 「レスポンデント条件づけ」、「オペラント条件づけ」、それと「学習性無力感」の三つの理論に絞って話しますね。 ご存知の方は二つ目の■まで飛ばして下さい。 ■三つの理論。 □レスポンデント条件づけ (古典的条件づけ) 「パヴロフの犬」で有名なこの実験は、実験台に縛りつけた犬に餌を与える時に必ずベルを鳴らすようにしたら、 餌がなくても、ベルを鳴らすだけで犬が唾液を分泌することがわかったというものです。 (胃液も唾液と同じように分泌すると確認されてます) そんなことから「パヴロフの犬」は条件反射の喩えとしてよく用いられます。 僕はこの実験の過程を「レスポンデント条件づけ」と言い、結果を「レスポンデント学習」と区別して言ってます。 この実験結果で注目されたのは、生得的な「無条件反射」ではなく、後天的な学習活動(経験)によって獲得される 「条件反射」を発見したことです。<発見でなく証明と言ってもいいかもしれませんね。 ※「無条件反射」は、カッケの検査で膝をハンマーとかで叩くと、ピョンと(自動的に)膝より先が上がるような ことを言います。その種の個体全てが生まれ持っている反射を、生得的な「無条件反射(反応)」と言います。 ただし、この実験結果で得られた理論をワトソン(継承者の一人)が「一般化した」ことについては現在でも賛否が わかれています。<僕は一般化できないと考えています。 犬が実験台に縛りつけられ、ベルが鳴ると餌がでてくるような特殊な環境なんて自然には存在しないからです。 それにパヴロフがこの実験結果を「犬の自発的な反応ではない」と言ったように……。 それなのにワトソンは……、まあ、いいっか。長くなるし……。f(^_^;) □オペラント条件づけ 「スキナーの箱」の実験が基礎になったものです。<スキナーが考案した行動分析のための実験装置(箱)。 この構造は、小さな箱(25×35×35cm)の中にレバーがあり、そのレバーを踏むと餌がでる仕組みになってます。 はじめ中に入れられたネズミは、偶然にレバーを踏むことで餌を獲得しましたが、段々とそのことを学習して、 自発的な行動(レバーを踏む)が強化(増加)されていきました。 この後も数段階の実験(レバーを踏んでも餌が出たり出なかったり等々)がされましたが大凡はこんな実験です。 ※「オペラント条件づけ」の実験は、先の「レスポンデント条件づけ」の実験と、似ているように思われがちですが 質的にも違う実験と解釈した方がいいと思います。 オペラント学習はレスポンデント学習と違って「ネズミの自発的な行動」が関与した学習結果ですから。 現在の犬の躾はこの理論がもっとも使われていると思います。仕組みは下記のような4種類にわけられます。 ・正の強化 : 行動すると褒美が貰える → 行動増加 ・負の強化 : 行動すると懲罰を回避できる → 行動増加 ・正の弱化 : 行動すると懲罰を受ける → 行動低下 ・負の弱化 : 行動すると褒美が貰えなくなる → 行動低下 「トイレの躾け」で例えると、「成功すると褒美が貰える」、「成功すると叱られない」、「失敗すると叱られる」、 「失敗すると褒美が貰えない」という感じですね。<……う〜ん、この例えはイマイチかも。 □学習性無力感 これがわかったセリグマンの実験は、犬を実験台に繋いで電気ショックを繰り返して与えるというものです。 当然、電気ショックの度に犬はその場から逃げだそうとしますが、(実験台に繋がれているので)それが不可能と わかると、犬はその場にうずくまりただ吠え続けるだけでした。 この実験を繰り返していたセリグマンはある日、犬を繋いでいたのをヤメて、それまでと同じように繰り返して 電気ショックを与えてみたら、犬は(逃げ出せるのに)今までと同じくその場にうずくまって吠えるだけでした。 この実験結果をもとに「学習性無力感」と呼んでいます。 「子犬が要求吠えをしても無視しましょう」というような躾け方はこの理論の応用ですね。 このように、たくさん種類がある犬の躾け方も、基本的な理論は大凡こんな感じだろうと思っています。 ■「犬を躾ける」っていう行為は。 犬を躾けるというのは、このように人為的な環境や条件提示により強制的に結果を求める(意図的な)行為です。 オペラント学習なら、犬の自発的な行動による学習の結果ですから、「強制的だ」とは考え難いかもしれませんが、 実際、その犬の自発的行動も常に人間の制限する枠組みでしか許されないのですから強制的と大差ありません。 また、この理論体系に組み込まれる犬(個体)には言語や概念は必要ありません。 ※ここでいう「言語」は自然発生的で、声の代替としての文字表記や恣意的な規則を含むものとして使ってます。 この前提で「言語(言葉や文字の組み合せ)」や、「概念」を使うのは人間だけです。 一部の霊長類には言語に近いこと(手話など)を教えられますが、自然発生的で自発的なのは人間だけです。 人(場合)によっては「クジラが音波で会話している」とか、「樹木の言葉を聞いている」という比喩的な表現なども ありますが、これらは「言語」ではないので「会話」とは言えません。 そんなことから「言語を使う人間が優れている」と言いたいわけじゃありませんよ。 「人間だけが言語や概念を持たなければやっていけない」と言い換えることも出来ますから……ね。(^_^;) ※犬の躾では、よくコマンド(言葉)を使うので会話だと思いがちですが、これもクジラの音波と同様に信号です。 コマンドを単純化した犬笛を使う場合も、クリッカーを使う場合でも同じ効果が得られますし、一切の言葉を 使わなくても犬を躾けることは可能です。 当然、人間も互いの規則の上で信号による交信もできますが言語を使わないで生きることはまずありません。 「まずありません」と言ったのは、どんなことであっても例外が必然のように存在するからで、念の為です。 また、犬の躾は「飼い主にも犬にもハッピーだ」と言われたとすれば、それは欺瞞だと言わざるを得ません。 この文句には肝心なことが抜けているからです。「飼い主にも…」はその通りですが、「犬にも…」というところは 修正がいるということです。例えば「その飼い主に飼われる犬にとっては……」といったような。 躾け方について指導する犬の訓練士が熟知しているのは「犬の行動を支配する」ための方法論やその技術です。 それは自動車教習所の教官と同じで、彼らの仕事に自動車の構造的な知識はそれほど必要ではないからです。 ※もちろん、教官でも車を走らせる為の構造の基本的な知識は必要ですし、なかには車の構造を熟知している 教官もいるでしょうが、それらは仕事の絶対条件ではないということで話しています。 犬の訓練士が犬を知っている場合も同じように考えています。 わざわざ、こんなことを言っているのは、犬の訓練士が皆、犬について(の全てを)熟知しているんじゃないと 念の為に言っておきたいだけで、なにも訓練士を侮辱したいのではありませんよ。 そんな躾けやトレーニングを繰り返して「直す」とか「矯正する」とかいう犬の問題行動も、その犬の行動自体には 「問題」は存在せず、その犬の行動によってもたらされる「飼い主にとっての不都合」です。 ですから、躾けの目的はその犬自身にあるのではなく、その基準もそれぞれの飼い主にあるということです。 そんなことから犬の訓練士が熟知していることについて、敢えて「支配」という言葉を使いました。 ■人間と犬たち動物との根本的な違い。 犬を含めたあらゆる動物達は、基本的には「自己の保存」と「種族の保存」の本能により、自然と密着して生きて、 そして死んでいきます。 人間だけは本能が機能しない為に自我を構築しながら、その不安定な自我に頼って生きてゆかざるを得ません。 ※人間の本能が正常には機能しなくなったことをL・ボルク(オランダの解剖学者)は「人間形成の問題」のなかで 「胎児化現象」という「猿が極端な未熟児の状態で産まれたのが人間である」という概念で説明しています。 この研究は現在の「ネオテニー(幼形成熟)」理論の研究に受け継がれています。 人間は言語や(言語体系での)概念がなければ、目の前に広がる世界も、己の身体さえも感知できない生物です。 また、どんなものであっても(五感で感知できなくても)、一度、名付けがされると認知できるようになります。 動物や魚には「川」や「海」の概念はありませんが、人間は「川」や「海」と名付け(境の設定)をすれば、誰でも認識が できるようになります。また実際に存在しているのかわからない「気」でさえも、名付けや概念を用いれば誰でも 認識できるようになります。 人間の本能が正常に機能していないこと(壊れている)については、親の育児放棄などがあげられると思います。 例えば、我が子を育てずにコインロッカーに棄ててしまえたり、親を憎しみからバットで殴り殺せてしまったり できるのは、「人間」の特性ですが、前者は基本的な「育児本能」が正常に機能していないからです。 後者は(解釈が分かれるかも知れませんが)「種族の保存」に基づく「防御本能」が機能していないと考えられます。 また、自分を殺す「自殺」が出来るのも人間の特性であり、これは「個体の保存」本能が壊れているからです。 この自殺は、人間が「自我」に頼って生きていることをも端的に表しています。 「自我」とは、その者にとっての「私であることの説明」です。自己紹介する際に自分の「出身地」や「仕事」などを 言いますが、それに加え、「私は女性」、「父親」、「日本人」といった属性や、「頑固」、「真面目」といった性格や それらを全て含んだ記憶などを、一切合切を合わせたものです。<無自覚を含めるとそれ以上です。 そして「自殺」とは、自分の身体よりも自分の「自我(誇りなど)」を守るための行為ということです。 人間は言語や概念なしでは生きていけませが、また、その生きている間も常に自己正当化しなければなりません。 現在、自覚できる自分の過ちは、自己嫌悪という形に変えて過去に閉め出し、現在の自分(自我)を正当化して いかなければやっていけないんですね。当然、僕もそうです。 しかも、その自我は環境や経験などから常に修正に迫られますので、なにかあれば不安定にならざるを得ません。 ■犬(動物)に感情を注ぐのも、突き詰めれば……。 自我を支えに生きてるが故に、人間が「犬(動物)と一緒に暮らす」ことは、かけがえのないことだと思ってます。 こういう僕も、今一緒の犬たちとの出会いや一緒に暮らすことで人生観が大きく変わった一人ですし……。 でも、僕らはその一緒に暮らす犬を擬人化せずにはいられません。愛情の対象になると仕方がないんですね。 牛や鶏のような家畜ではなく、犬を家族とし一緒に暮らしていくのなら、擬人化は避けらないと考えています。 それは、僕たちは愛情の対象になった犬の幸せを願わずにはいられないからです。 なぜ、「幸せを願うこと」と「擬人化すること」が関係するのかと思われるかも知れませんが、幸せ(概念)を願って 追求するのは人間だけのものだからです。 人間だけが、ただ生きることができず、生きることさえに意味や目的を求めたり、幸せを追求してしまう……。 時には(血縁関係の有る無しを問わず)他者の死にさえも、意味や価値を付けようとしてしまうんですね。 自分と暮らす犬も「幸せを求めている」と思い込んでしまうのは人間とおなじように、または犬の立場になった つもりの場合だけです。それはそれで仕方がないことと思っていますが、犬が幸せを求めていると考えるのも (そんな意味から)擬人化だということです。 思いのほか長くなってしまったので、そろそろ終りにしたいと思いますが、もう一度、繰り返し言わせて下さい。 飼い主が一緒に暮らす犬を擬人化してしまうことは、(人間の)理想では望ましいことでないのかもしれません。 ですが、どうしても(愛情の対象になる)犬の幸せを願ってしまうように、擬人化するのも仕方がないことだと、 やむを得ないことだと考えています。 それでも「犬を擬人化してる」との自覚を持っていれば、同じ擬人化でも少しは違うかもしれないとの期待感が あります。少なくとも自覚をしていればどんな事も程々にもなれそうですし、犬への負担も少なくなるのでは ないかと思っているからです。 ※僕は理性で「犬を飼うこと」を突き詰めて考えていけば、「犬には負担だろう」と思わずにはいられません。 犬の立場になると……、ということではなく、進化の樹の一つの種族と捉えた場合で考えれば……です。 そんなことを言っても、この負担を犬が自覚したり認知できるとは到底考えられませんし、それに犬は 既に亜種なんだと考えることも可能です。 あれこれ話してきましたが、僕なりの結論を言えば「ここから先は夫々の飼い主の選択になる」ということです。 犬を家族の一員、または人間となんら違わないような環境を与えてゆくのか、庭に繋いで飼うのか……等々を、 結局は飼い主の(共同体のルールの枠内で)選択でしかないんだろうと思っています。 追伸。 長文を読んでいただいてありがとうございました。 これは随分前に投稿しようと書いていたものを、最近、少し手直しをしたものなんですが、読み返す度に粗が 目につき直したくなってしまいます。でも、こんなことではいつになってもキリがなさそうなので思い切って 投稿してみました。 |