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Re: ドッグランは本当に必要? | MaxHolly | 2007-5-30 13:17 |
Re: ドッグランは本当に必要? | ジャck | 2007-5-30 13:55 |
Re: ドッグランは本当に必要? | ちゅら | 2007-5-30 22:43 |
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The Perfect Puppy という本について | トントン | 2007-6-5 11:36 |
Re: The Perfect Puppy という本について | トントン | 2007-6-5 14:06 |
Re: The Perfect Puppy という本について | ミック | 2007-6-5 20:48 |
Re: The Perfect Puppy という本について | トントン | 2007-6-6 17:26 |
Re: The Perfect Puppy という本について | ミック | 2007-6-6 19:34 |
Re: The Perfect Puppy という本について | トントン | 2007-6-7 16:03 |
Re: The Perfect Puppy という本について | BadBloke | 2007-7-21 11:55 |
Re: The Perfect Puppy という本について | トントン | 2007-8-11 21:34 |
Re: The Perfect Puppy という本について | BadBloke | 2007-8-14 0:45 |
Re: The Perfect Puppy という本について | BadBloke | 2007-8-14 13:12 |
Re: ドッグランは本当に必要? | BadBloke | 2007-6-23 11:51 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-24 17:28 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-24 21:14 |
Re: ドッグランは本当に必要? | BadBloke | 2007-6-24 22:29 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-25 8:16 |
無題 | 丸山 | 2007-6-29 20:21 |
オフリードによる仔犬の社会化訓練はどこで? | MaxHolly | 2007-6-30 13:18 |
Re: オフリードによる仔犬の社会化訓練はどこで? | 丸山 | 2007-6-30 16:18 |
オフリード/ドックラン | 丸山 | 2007-5-9 14:03 |
Re: オフリード/ドックラン | MaxHolly | 2007-5-10 14:50 |
Re: オフリード/ドックラン | 丸山 | 2007-5-10 17:34 |
ノーリード | 丸山 | 2007-5-16 19:24 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-5-17 11:24 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-2 9:50 |
Re: ドッグランは本当に必要? | MaxHolly | 2007-6-2 16:05 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-2 22:19 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-3 0:26 |
Re: ドッグランは本当に必要? | MaxHolly | 2007-6-3 2:51 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-3 21:27 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-5 12:06 |
Re: ドッグランは本当に必要? | 丸山 | 2007-6-14 9:57 |
Re: 横レスです | ジャck | 2007-6-22 17:11 |
Re: 横レスです | 丸山 | 2007-6-24 16:51 |
Re: ドッグランは本当に必要? | BadBloke | 2007-7-6 13:46 |
投稿者 | スレッド |
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BadBloke |
投稿日時: 2007-8-14 13:12
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: The Perfect Puppy という本について
前回投稿した文章の中、下記の部分に曖昧な表現があったため、少し訂正します。
<こういう議論を始めると、実際に危険な犬かどうかは分からないとか言って反抗する人が日本人には多いのです。自分の犬さえ信じきれないと言い出す飼い主の多いこのニッポンですから、非常識なイヌ嫌いでも言いたい放題なわけです。> 「実際に危険な犬かどうかは分からない」というのを、「実際に安全な犬かどうかは分からない」と訂正します。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-8-14 0:45
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: The Perfect Puppy という本について
トントンさん,
ぼくのオフリード論を読んで、どんな犬でもオフリードにすることを勧めているように解釈する人がいるとすれば、きっとペット可のペンションであればイヌ嫌い・ヒト嫌いの犬でも宿泊できるように解釈する人なのでしょう。確かに、その種の日本人はけっこう多いのかもしれません。 英国人の考え方の基本は、犬は愛すべき動物であり、信頼できる動物であり、そのような動物として育てる責任が、飼い主にも社会にもあるということです。オフリードを勧めるとか禁止するとか、そんな形式的なことを問題にはしていないのです。The Perfect Puppyにしても、犬はリードなしでも人間社会でちゃんと生活できるということを前提として、犬の教育論を語っているにすぎません。 それに対して、ニッポンやアメリカの考え方の基本は、まるで犬という動物が人間社会にとって邪魔者になるということを前提としているかのようです。ただオフリードにしているだけで、その飼い主をマナーの悪いヤツのようにみなすどころか、アメリカ人は人権侵害のようにみなすそうじゃないですか。そんな国のやり方を真似る必要はないというのが、ぼくの考え方であり、これは英国の愛犬家の常識だと思います。 ドッグランなるものをあくまでも社会性教育の補助手段として利用するというのなら、ぼくとしても批判することはなかったでしょう。しかし、すでに明らかになっているように、このフォーラムでも、ぼくのオフリード論の本質を理解しようとせずに、ぼくが投稿するごとに何か文句を言い出す方々がドッグラン支持派であるという現実があるわけです。ぼくから見れば、彼らは犬への差別を認める人たちです。おそらくその自覚もないのでしょうが。 犬という犬どんな犬でも、ただオフリードにしているというだけで人間社会の迷惑になるということを常識とするならば、それは犬が危険な動物であるということを認めることになり、たとえば船で犬を輸送する場合などにも、乗客から引き離して荷物扱いにするのが当然だということになるでしょう。実際、ニッポンの現実はそうですね。皆さんはそのままで平気なんでしょうか。 こういう議論を始めると、実際に危険な犬かどうかは分からないとか言って反抗する人が日本人には多いのです。自分の犬さえ信じきれないと言い出す飼い主の多いこのニッポンですから、非常識なイヌ嫌いでも言いたい放題なわけです。 ニッポンのX市でさえ、ぼくの犬を見て危険な犬だと思う人は非常に珍しかったように思います。どれほど多くのイヌ恐怖症の人が、オフリード状態のぼくの犬とのふれあいの中で、犬への偏見から解放されたことでしょう。 ぼくが強調しているような社会性教育を無視しながら、ただリードで犬を管理しているような状態がつづく限り、危険な犬はどんどん増えていくし、それゆえイヌ嫌いも増えていくでしょう。このままでは、犬への差別が常識となってしまいます。そうなればもう手遅れでしょう。ぼくの体験でハッキリ言えるのは、ぼくの愛犬のような犬を差別するような日本人は、まだ例外中の例外なのです。まだニッポンにも望みがあるということです。 |
トントン |
投稿日時: 2007-8-11 21:34
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Just popping in
登録日: 2007-3-14
居住地:
投稿: 10
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Re: The Perfect Puppy という本について
●BadBlokeさんのご質問。
>The Perfect Puppy を読まれたことがあるそうですが, >それで結局、何を主張されようとしたのでしょうか? ご質問を頂いていることに気がつきませんでしたので、お返事が遅くなりました。ごめんなさい。 わたしは、6月5日に、The Perfect Puppyという本について2回、投稿しましたが、BadBlokeさんのご質問はその2回分についてのことですね。 その投稿の中で、私は、 「みなさんに本について違った印象を与えてはいけないと思い投稿させていただきました」 と書いています。 >それで結局、何を主張されようとしたのでしょうか? という質問の返事は、 「みなさんに本について違った印象を与えてはいけない」と思ったから投稿しましたとしか言えません。他に意図はありません。 BadBlokeさんが投稿されている内容、全てを読んではいません (パラパラと目を通しただけ)のでBadBlokeさんに対して、私は何も主張していません。 ただ、本を読んだことのない方に向けて、本の内容を紹介したいと考えたので、投稿した次第です。このことについてもう少し詳しく述べると、以下の(1)(2)(3)になります。 (1)「多くの方が、本について実際の本と違った印象を持っている」のではないか。 みなさんの投稿をパラパラと読んだ範囲で、なんとなく、そういう感想をもちました。 正確にどこがどうだと、説明をするにはみなさんの投稿、全文をきちんと読まなければなりませんので、「そういう感想を持た」ということでご了承下さい。 また、私の投稿の後、ミックさんは以下の書き込みをされています。 >ここで私が書いたことの意味がBadBlokeさん が言われる「オフ >リードをどんな時においても推奨している本」だとら・・・・ つまり、The Perfect Puppyという本について、少なくともミックさんは、「オフリードをどんな時においても推奨している本」なのかなあ・・・?という印象を持たれていていたようです(ですよね、ミックさん?)。 この本に対して、ミックさんと同様の印象を持たれていた方は、他にもおられたのではないでしょうか・・? (2)本についてもっと情報が必要であるということについて。 この本は日本語訳が出版されておらず、どんなことが書かれているのか、もっと、情報が欲しいと思われていた方も多かったのではないでしょうか? それで情報を提供するという意味でも、私はThe Perfect Puppyという本には、こういうことが書かれていますよ、という内容の一部を紹介しただけです。 全てを紹介する時間も気力も能力もありませんので、一部のみ紹介しました。 (3)「子犬を他犬に慣らす」箇所を例に挙げたことについて。 Great care should be taken when introducing your puppy to adult dogs. Do not do so unless you know that the dogs have been well socialized themselves and are used to meeting unfamiliar puppies. という箇所を選んで紹介した理由は、投稿されている方にとって、特に関心のある話題ではないかと感じたからです。 そして、本の中では、具体的にそのことに言及されていると、みなさんに、お知らせしたかったのです。 ●BadBlokeさん、 ご質問のお答えになったでしょうか? ●この本の紹介の仕方が不十分、不適切だと思われる方は、是非、訂正、補足をお願いします。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-7-21 11:55
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: The Perfect Puppy という本について
トントンさん,
The Perfect Puppy を読まれたことがあるそうですが,それで結局、何を主張されようとしたのでしょうか? なんだかぼくへの反論のようにも見えたのですが,さっぱり趣旨が理解できないのです。つまり、あなたの主張はこういうことでしょうか。 <あの本では、子犬を他の犬に近づけるときには,相手を選ぶように注意しているのに,BadBlokeはそれを無視して、どんな犬とも接触させようとしている。> ぼくにはそのようにしか読解できなかったのですが,それでよろしいでしょうか? もしそうなら、質問があるのですが、ぼくがいつどこでそのようなことを主張したでしょうか?教えてください。ぼくは危険な犬に愛犬を近づけようとしたことは一度もないのです。そんなことは常識じゃないでしょうか。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-7-6 13:46
|
Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
みなさん、
「ドッグランは必要か?」というテーマでの発言は、まだ終わっていません。ぼくは攻撃的なイヌ嫌いを弁護するような愛犬家や、ニッポンの現状に疑問を感じないような愛犬家とは何も議論するつもりはないのです。自分自身の評判やプライドのためではなく、犬たちの幸福のためにニッポンのイヌ事情を変えたいと願っている人々。そのような人たちに向かって語っているのです。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-30 16:18
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: オフリードによる仔犬の社会化訓練はどこで?
>オフリードによる幼犬期の社会化教育は、犬にとって重要なことだということです。
幼犬期のオフリードは必要だと思います。多分その時期に必要な事を身に付ける事は大事だと思います。 私は車で5分程度走れば 海抜500m 能登半島一番高い山で花子と山歩きが出来ます。 そう言う意味で都会の方よりはるかに恵まれています。 ですからあまり強要は出来ません、 しかし、自分と一緒に暮らしてくれる犬の為、ある程度自分の時間や労力の犠牲が必要だと感じます。 散歩もそうですが、一緒に何かを出来る場所まで出かける事も必要ですしドックランも利用する事も、です。 公園は色んな方が等しく訪れ、等しく楽しむ場所でもあります。 小さいお子さんを連れたお母さんからすれば リードなしの大型犬は、万が一を考えると恐怖かも知れません 私は、物事は一般的常識から相手の立場になって判断しないといけないと思います。 自分の子供の近くにリードなしの大型犬いたとします。 飼い主の方が私の犬は絶対噛みません、そう言われて「 はいそうですか 」と安心は出来ないと思います。 犬と人間では犬の攻撃力に対し人間は無力だと思います。特に女性は、です 攻撃力を静止できるのは、犬が信頼している人間であり、それは飼い主であると言う事です。 やはり安心してもらう為にはリードをつける事だと思います。 MaxHollyのママさんが言われる様、幼犬期の社会化教育の為のオフリードと、 公園でのオフリードを混同しない事は大事だと思います。 BadBlokeさんはニッポン人の<正義>と言われますが、辞典では正義とは人の道にかなっていて正しいことだそうです 人の道にかなっていて正しいとは、相手の身になって考える事や、思いやりも含まれると思います。 >花子ちゃんはその後いかがですか。お薬が効いて状態が安定していることを祈っています。 有難う御座います。花子一時期、胸水が溜り呼吸困難におちいりました。 苦しんでいる花子を見ると辛くて安楽死も考えたほどです。 今は胸水も無くなり、私が部屋を移動するとついて回って移動しています。 ガンの心配も無さそうです。ストーカ花子状態に戻りました。 花子と過ごした日々はあっと言う間でした。親ばかかも知れませんが、 花子はとても聞き分けが良く、躾など殆ど必要としませんでした。 花子は今が一番わがままです。色々要求して来ます。しかし今まで大人しくして くれたお礼に少しのわがままは許してやろうと思います。 今回の事で花子とは何時かお別れの時が来る。 そう覚悟しないといけない事が実感出来ました。 言い忘れました >オフリードによる仔犬同士の遊びを通しての社会化教育はどこで、どのようにしてすればいいのかということが問題になり 花子は仔犬同士の遊びを通しての社会化教育は全くしていません 何時も私と二人 あるいは妻と3人で行動して来ました。 ですからオフリードによる仔犬の、犬との社会化訓練はしていません 私の友人ボーダコリーとつきあっている人がいますが お互い我かんせずで遊びません。しかし全く問題なく付き合えます。 それでも良い様な気がします。 人夫々 犬夫々ですから |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-6-30 13:18
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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オフリードによる仔犬の社会化訓練はどこで?
丸山さん、こんばんわ。
花子ちゃんはその後いかがですか。お薬が効いて状態が安定していることを祈っています。 さて、犬連れ山歩きとオフリードの類似点、興味深く読ませていただきました。 どちらも反対される方がおられるのを、無理押しで実行するという点で類似していると私も思います。世の中すべて妥協点を見つけて、お互い譲り合って暮らしているという視点からすると、 私はオフリードと犬連れ登山はよく似ていると思います。 有名な山での登山は公園でのオフリードであり、そうで無い山は誰もいない川原でのオフリードかも知れません。公園でのオフリードを遠慮する事は自分にとっても他の公園を利用する人にとっても必要な事だと思います。 という丸山さんの態度は大変好感の持てるもので、私もそのようにすると思います。 ただ、ここでオフリードと犬連れ登山の一つ違うところは、 オフリードによる幼犬期の社会化教育は、犬にとって重要なことだということです。 BadBlokeさんはこの意味でのオフリードと、公園や道路でのオフリードを一緒にしてしまっているので、賛成できないのです。オフリードと一口に言っても、前者は犬にとって必要なオフリード。後者は飼い主のエゴによるオフリードだと思っています。それで丸山さんの犬連れ登山は当然この後者をさしておられるのだと考えます。 それでは、オフリードによる仔犬同士の遊びを通しての社会化教育はどこで、どのようにしてすればいいのかということが問題になり、このスレッドのもとの議題であった“ドッグランは本当に必要?”という問いに帰着するのではないでしょうか。 私は日本のドッグランを見たことがないので何とも言えませんが、こちらのドッグランは雨の日以外はほとんど毎日行っています。仔犬専用のスペースがありませんので、5-6ヶ月令以上の仔犬は成犬と混じって遊んでいます。仔犬に対して危害を与えてしまう可能性のある犬(実はうちのNoahはボールを咥えているときにかぎり、飛びついてこられると仔犬でもSnapしてしまうことがあります)は、飼い主が呼び戻して近づけないようにしています。 ドッグランでなくても、安心してオフリードで遊ばせることのできるスペースがあるといいですね。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-29 20:21
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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無題
何かを提案すれば非難される。世の常で難しいものだと思います
オフリード/ノーリードとドッグラン 私ノーリードにしますと言えば 絶対反対されます。ではノーリードのテーマの結論は、ノーリードは駄目と言う結果になります 議論の前に結論が出ている なら議論をする必要は無いと言う事で矛盾しています たまたまLIVING WITH DOGSさんの新着記事に 犬連れ山歩き、 と言うテーマがありましたのでお話します。 今は、花子は山には登れませんが、私のHPには登山と、登山の疑問を記載しています。 登山者のから投稿もありました。しかし投稿者の方から激しく非難だれた事はありません 花子と山に登る時何時も考えていたのは、たとえ非難されても反発をするのはよそうと言う事です 花子は下界ではなんの特技もありませんが、山では木道、登山道から外れることはありません しかし登る山は選びます。有名な山は避け、ごく一般的な山に登る事にして来ました たとえ禁止でなくても、遠慮する事は自分にとっても他の登山者にとっても必要な事だと思います 私はオフリードと犬連れ登山はよく似ていると思います。 有名な山での登山は公園でのオフリードであり そうで無い山は誰もいない川原でのオフリードかも知れません、 公園でのオフリードを遠慮する事は自分にとっても他の公園を利用する人にとっても必要な事だと思います >あなたも社会的な問題としてのオフリード論の意味が理解できていないとしかいえませんね。 >ぼくはそのような愛犬家には非常に批判的でありますから、 >あなたがぼくの意見を面白く思わないのは当然でしょう。 BadBlokeさんに批判されているとは思っていません、 私は犬連れ登山を推奨出来ません、世の中には無茶な事をする人もいます。 相手の気持ちも考えず権利を主張する人もいます。 私のHPには犬連れ登山の疑問を乗せています。内容は全て反対する方の意見です。 私は反対する方の意見が花子と登る時、場所選びや行動の参考になると思います BadBlokeさん意見を面白く思わないのは、「 俺の権利だ山に登って何が悪い 」 それと同じ事を言って、しかも行動をしている。 公園で警官を言い負かす。その行為は、その公園を利用する他の犬連れの方に迷惑がか からないとも限りません、それは私にとって、とても面白く無い事です。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-25 8:16
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
>ひとに何かもの申すときには、少なくとも自分勝手な解釈で
自分勝手な解釈? 意味が解っていますか?人はそれぞれ、文章を読んで それぞれでその人の頭のなかで解釈します。 それを自分勝手と言うならそれも良いでしょう >ひとの意見をもてあそぶのだけは遠慮していただけないでしょうか。 もてあそぶ?そう感じるのですか、それはあなたの勘違いです。 少しあなたも考えて下さい x市なる所である行動をする。それが他のワンちゃん連れの方が公園から締め出される原因にならない事が大事だと思います。 犬連れ登山でもそうですが、何事にも少しの遠慮が必要でしょう、警官を言い負かせた。 そう感じているのはあなただけかも知れません、その様ところでオフリードの芸を披露する必要は無いと思います その行為がある種のニッポン人の<正義>を批判している事に繋がるとは笑止千万です。 私は花子が心臓病になって気が付きました。世の中には我が花子を心配してくれる人がいて、助けてくれる人がいる。 もし自分の行動がその人たちも含め、迷惑がかるなら慎まなくてはいけない、あなたの行動公園に散歩に来る他の愛犬家の肩身をせまくしていませんか? ここでいくらあなたの理論を述べてもそれは自由です。なんの弊害もありません、しかしX市でのオフリードは弊害がるかも知れません |
BadBloke |
投稿日時: 2007-6-24 22:29
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
丸山さん
あなたがぼくのオフリード論の「本質」を理解できないのだとしても、ぼくはもうそれほど驚きやしません。ニッポン人には珍しくないことは、すでに腹イッパイ経験済みですから。 ただ、反論なのか、非難なのか、意見なのか、質問なのか、とにかくなんであってもいいのですが、ひとに何かもの申すときには、少なくとも自分勝手な解釈でひとの意見をもてあそぶのだけは遠慮していただけないでしょうか。 おそらくぼくのオフリード論の<本質>は、あなたのような愛犬家を批判する内容になるかもしれません。あなたはご自分の愛犬が「殆どオフリードで過ごした」というようなことを書いていらしたような気がしますが、そうでありながら、そこまでぼくのオフリード論に攻撃的な態度をとれるというのは、あなたも社会的な問題としてのオフリード論の意味が理解できていないとしかいえませんね。ぼくはそのような愛犬家には非常に批判的でありますから、あなたがぼくの意見を面白く思わないのは当然でしょう。 最後に、ひとことだけ言っておかねばなりません。ぼくは自分の「正義」を語っているつもりはないのです。ある種のニッポン人の<正義>を批判しているのです。 |
投稿者 | スレッド |
---|---|
丸山 |
投稿日時: 2007-6-24 21:14
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん
<犬はクサリでつないでおくこと>というのは日本の常識だけれど、ヨソの国ではそんな幼稚な思考は通用しない。」(『犬の話』(角川文庫)の中の一篇「犬は少年といる時が一番うれしいようだ。」から引用) 犬はクサリでつないで外で飼う事は反対です。 そんな事をするなら飼わない方が良いと思います。 犬は少年といる時が一番うれしいようだ。いまさら言われなくても知っている人は知っています。それは公共でのオフリードに賛成出来ない人でも、動物の気持ちが分かる人ならです。 犬はクサリでつないでおく事と オフリードを一緒にするのは常識外です。なら公園でリードをつけて散歩している人は犬をクサリで繋いでいる人で幼稚な思考なのでしょうか? 少しおかしな話になっていませんか? オフリード論を色んなところに発展させ 色んな引用も良いかもしれません、しかし本筋は何を言いたいのでしょうか? 外飼い、繋ぎっぱなしをリードで繋ぐと言う意味で論じられるなら、その様な飼い主に出会った犬は不幸です。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-24 17:28
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん
>最初からこのような話に関心がなかったり、また、これを目にした方の中にたまたまぼくが批判しているような愛犬家がいらしたら、当然、読んで面白く思わないはずです 公園での警官とのやり取り、BadBlokeさんを匿名で通報、如何にもBadBlokeさんは正義であるかの書き方です。しかしそれはBadBlokeさんの一方的解釈です。 公正か否か判断は出来ません 失礼とは思いますが、思うに警官はあきれて帰ったかも知れません、「 犬飼は変わっている。へんてこりんな理論を振り回して始末が悪い」そう思ってかも知れません、もしそうだとすれば将来的な観点からしても良い方向か否か分かりません、 面倒くさいから犬連は公園出入り禁止にしてしまえ、そうなるかも知れません 「ぼくが批判しているような愛犬家がいらしたら」と言う考えもあるでしょう しかしです、 少しでも幸せな犬をと思うなら、相手の話に耳を傾け、犬と言う観念を捨て中立な立場でオフリード論をなさっては如何でしょう ちなみに私はあなたを批判している愛犬家の一人です。 最初からこのような話に関心があったからです。 当然、読んで面白く思いません、 それでも中立な立場で考えていただきたいと思います |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-24 16:51
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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投稿: 60
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Re: 横レスです
ジャckさんこんにちは
ご心配有難う御座います。花子は心臓肥大で 胸水が多くなり、肺を圧迫、呼吸困難になりました。獣医さんに行き 血管拡張剤と心臓の薬を飲みましたが、効き目が無く、利尿剤とステロイドを頂き飲んでいます。 水は胸水を血管に戻す為摂取量を抑え 最初の1日は200cc 花子にとっては辛い量です。昨日は550cc 今日は600ccと増やしました。 しかし600ccでも喉の渇きに対しては結構辛いものだと思います。しかしその反面胸水は減り、今は楽そうです。 一時期 伏せをすると肺を圧迫され数秒持ちませんでしたが、今は伏せが出来る様になりました。 今は梅雨時です。花子は庭にトイレにでます。庭には雨で出来た水溜りがありますがもしかしたら、その水を飲んでしまうのではないかと心配したですが、それは大丈夫でした。 明日病院で検査します ガンでなければもう少し長く生きられそうです |
BadBloke |
投稿日時: 2007-6-23 11:51
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
みなさん、
しばらくご無沙汰しましたが、予定どおりに、オフリード論を語り尽くしたいと思っています。 これまで犬の社会性教育について語ってきましたが、ひょっとして「教育」という言葉に違和感を覚えた方がいらしたかもしれません。英国の The Perfect Puppy を読了したときのぼくの感想は、まさに優れた教育論を読んだという印象であって、その内容は子犬だけに限らず、ヒトの子供にも適用できると思ったほどです。 それにくらべて、ニッポンのJKC公認訓練士師範の書いた『犬の飼い方・しつけ方』は、むしろ社会性教育を否定する内容であって、人間の勝手な都合に合わせた犬の管理の仕方を書いているにすぎないという印象でした。そして、日本人てのは、人間も同じような管理主義で教育らしきものを受けて大人になる人が多いのかもしれないと思ったものです。そこで思い出すのは、去年このフォーラムに登場したときに引用した椎名誠の言葉です。 「世界のいろんな国と日本との違いは何か -- と聞かれたとき、ひとことで答える方法がある。<日本の犬はつながれているけれど、ヨソの国はみんな自由>。簡単だけど、少しかなしい現実なのだ。日本はむかしから幼稚な管理至上主義の国で、ちょっとした危険があるとすぐに法律や条例でがんじがらめにしてしまう。かくして、<犬はクサリでつないでおくこと>というのは日本の常識だけれど、ヨソの国ではそんな幼稚な思考は通用しない。」(『犬の話』(角川文庫)の中の一篇「犬は少年といる時が一番うれしいようだ。」から引用) どなたかがぼくの投稿を読んで、何か思想のようなものを発表したいのかという感想を述べられていたように記憶しますが、ぼく自身は何度か言いましたように、英国でなら常識で通用するような話をしているにすぎないのです。ただ、何度同じような話をしても、どうにもニッポンのある種の愛犬家には理解されない話をしているようなので、単純な犬の教育論を語るにも、こんなにも長々と話す必要があるわけです。 最初からこのような話に関心がなかったり、また、これを目にした方の中にたまたまぼくが批判しているような愛犬家がいらしたら、当然、読んで面白く思わないはずです。それでも、こうして書き続けるのは、犬の幸福というものを、個人の問題としてだけでなく、社会的な問題として考えていらっしゃる方々に期待する気持が大きいからです。ニッポンのイヌ事情は変わる必要があると思っているのは、ぼくひとりだけではないでしょう。(つづく) |
ジャck |
投稿日時: 2007-6-22 17:11
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: 横レスです
丸山さん、こんにちは。
花子ちゃん心配ですね。その後はいかがでしょうか。 薬で落ち着いているとのことですが……。どうぞお大事に。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-14 9:57
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
花子が心臓病である事が分かりました。 2週間前夜中無意味に立ち上がる、のと私について回る様になり何かうったえている様子です。 これは何か調子が悪いなと気が付きました。医者に行って見ると心臓肥大と言う事です。 今は薬で少し落ち着き私のそばで寝ています
花子には色んなところに付き合ってもらいました。 LIVING WITH DOGSさんにも色々お世話になりました。花子は殆どオフリードで過ごした気がします。 これからは病気と戦わなくてはなりません、なるべく花子がやりたいように、苦しまないようにと思っています。 思えばオフリードやドックランで偉そうな事を書けたのは花子のおかげだと思っています。 |
トントン |
投稿日時: 2007-6-7 16:03
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Just popping in
登録日: 2007-3-14
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投稿: 10
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Re: The Perfect Puppy という本について
了解しました、ミックさん。
返信ありがとうございました。 |
ミック |
投稿日時: 2007-6-6 19:34
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Just can't stay away
登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: The Perfect Puppy という本について
ごめんなさい 訂正です。
私が本屋で調べたのは「The Perfect Puppy 」という原題の洋書ということで調べてもらったのですが 私が思い違いをしていたその本は同タイトルでしたが ベンジャミン・L・ハートという人の書いた「The Perfect Puppy 」でした。 ちなみにこの本は「生涯の友を得る愛犬選び」というタイトルで日経サイエンス社から出版されていたようですが 現在はお取りよせが出来ないということでした。 BadBlokeさんも(The Perfect Puppy by Gwen Bailey)と書かれているので私の 間違いですね。 ごめんなさい。 |
トントン |
投稿日時: 2007-6-6 17:26
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Just popping in
登録日: 2007-3-14
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投稿: 10
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Re: The Perfect Puppy という本について
(また、本の話しで申し訳ありません。)
ミックさん、 >(ちなみに この本の日本語訳本は現在お取り寄せできないみたいです。) ということは、The Perfect Puppy の日本語訳が出版されている(これまでにされたことがある)のですか?? グエン・ベイリーさんの本で日本語訳のものは グエン・ベイリー先生のドッグ・オーナーズ・マニュアル(誠文童新光社) という本が出版されていますが・・ こちらは入手できますよ。 |
ミック |
投稿日時: 2007-6-5 20:48
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Just can't stay away
登録日: 2005-10-18
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投稿: 105
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Re: The Perfect Puppy という本について
私も本筋から離れた内容で、スミマセン
私が以前に書いたことがずっと気になっていたので補足というか誤解のないように再度書きます。 以前の投稿で私は >BadBlokeさん が今までにご紹介いただいた2冊の本 私はどちらも読んだ事がないので何とも言えませんが どちらも執筆されたのが だいぶ前(10年以上前)ですので そこで書かれていたことが 現在では一般的ではない または、現代に適応した形のアドバイスになっていなかったとしても「その時代はそのように考えられていた」というように考えるのが妥当ではないでしょうか? と書きました。 読んだこともない本についてなので 本来意見すらすることも許されなかったのかもしれません(本の内容について誤解を与えるという意味において)。 ここで私が書いたことの意味がBadBlokeさん が言われる「オフリードをどんな時においても推奨している本」だとしたら、それをそっくりそのまま今の日本でやったとしたら問題も出てくるのかな?と思ったからです。 (ちなみに この本の日本語訳本は現在お取り寄せできないみたいです。) 先日も書きましたが 「本」はその本が書かれた時代背景を考慮しなくてはならない部分もあり それがまた「本」の良いところでもあるのではないでしょうか? |
投稿者 | スレッド |
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トントン |
投稿日時: 2007-6-5 14:06
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Just popping in
登録日: 2007-3-14
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投稿: 10
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Re: The Perfect Puppy という本について
本筋から離れた内容で、スミマセン。
自分の投稿についての補足です。 「The Perfect Puppy」はあくまでも子犬の飼い方、しつけ方、育て方の本です。 よく知らない成犬同士をリードをつけずに会わせることを推奨している箇所はありません。 子犬の時期にこういう育て方をすれば、成犬になった時に、他犬に対して自ら攻撃的になったり、過度に怯えたりすることはないと、説明がされています。 みなさんが、読まれても、納得のいくことが書かれてあるだけです。 (丸山さん、間に、再度、関係ない投稿して、ごめんなさい。) |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-5 12:06
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん
わたしもついカッとなり大変失礼な発言をいたしました。申し訳ないと思っています。 花子の事を言われるとこれほど感情的になるとは自分でも知りませんでした。 花子は今年で11歳です。 足腰が弱くなったなと感じたのは7〜8歳位、その時点から花子との登山を止めました。 花子は仔犬の時とても臆病な犬だったと思います。我が家の来た時、すぐに物陰に隠れるのです。 自分の感覚では約2歳から3歳位で、私たちの事を分かってもらえた気がします。 花子に感謝しないといけないのは悪戯をしなかった事です、悪戯は多分2回、玄関で留守番の時、かみさんの靴ひも切ったのと、階段のじゅうたんの糸を前歯で一本一本丹念抜いていた事です。 室内で吠える事は全くなく、最近ようやく、ご飯頂戴とか、仕事を止めて居間に行こうとか吠えて要求してくれる様になりました。 登山では、オフリードで登山道を外れる事はもちろんですが、木道を外れ歩く事は全くありませんでした。ただ木道の場合高さがありますから最初からとは行きません、だからと言って訓練もしませんでした。 当然ですが木道を外れ歩く事はルール違反です。モラルに反します。ですから何時も木道 直前で下山していました。それがある日渡れる様になったのです。 私はGRと付き合おうと思ったのはあるアメリカかイギリスのテレビドラマです。題名も犬の名前も覚えてはいません、ご主人のそばのソファーで待っている姿を見てそう思いました。 私は石川に来て2回家を建てています。2回目が2世帯と言う事もあってこれなら犬と付き合えるなと思い、花子を迎えいれたのです。 花子は他の犬と遊ぶのを好みません、だからと言って攻撃もしません、他の犬がかまいに来ると歯をむいて威嚇、 威嚇しても駄目ならその犬を避ける努力をしています。 私は生命と付き合うなら、ある程度犠牲は必要だと思います。しかしその犠牲は苦痛だとすれば、付き合うことは難しいのではないかと思います。 旅行に行けば宿を探すのが大変、でもそのお陰で楽しい野宿が出来ます。犠牲以上に得るものが大きい事はとても大事な事だと私は思っています。 それと最低限の約束以外、許す事も大事だと思っています。花子は悪戯せず。私のそばにいてくれれば、吠えようが何しようが、田舎暮らしです。ほんの一寸した犠牲です。 誰にも迷惑はかけません 花子が何時か年老いて動けなくなっても、犠牲以上に、私たちの与えてくれるなにかがあると思います。 余談ですが、私は犬を外飼いすると犠牲だけで得るものに気が付かないのではないかと思っています。それが不幸な犬を増やす一因であるとも思います。外国は土足OKです。犬を家の中に迎え入れやすい条件がそろっています。そう言う意味で犬から得るのもが大きいのかも知れません |
トントン |
投稿日時: 2007-6-5 11:36
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Just popping in
登録日: 2007-3-14
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投稿: 10
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The Perfect Puppy という本について
あまりにも長い文章なので、全てを読んではいませんが、The Perfect Puppyという
言葉だけ目についたので、それに関してのみ書かせていただきます。 BadBlokeさんは、 >ぼくは The Perfect Puppy の書評を書いていた英国の専門家と会ったことがあるのですが と書かれていましたが・・・ 著者がGwen Baileyの「The Perfect Puppy」なら、以前に読んだことがあります(別の本だったらこの投稿は無視して下さい)。 Other Dogs の章の書き出しに Great care should be taken when introducing your puppy to adult dogs. Do not do so unless you know that the dogs have been well socialized themselves and are used to meeting unfamiliar puppies. 上の英文の日本語訳です。 「あなたの子犬を他の成犬と会わせる場合、とても注意しなければなりません。 相手の犬が十分に社会化され、また、初対面の子犬に出会うことに慣れていると分かっている場合にのみ、子犬とその成犬を会わせます。」 ・・・と、きちんと注意書きがされています。 相手の犬の飼い主さんが、「自分の犬は大丈夫だから、あなたの子犬を自分の犬に近づけてもいいですよ」という言葉をそのまま鵜呑みにして、子犬を近づけることを勧めていません。相手の飼い主が言われていることが事実かどうかを、子犬の飼い主が知っていなければ、近づけてはいけません。 ・・・と、いう意味に私は受け止めています。 本では、その注意書きの後、 「かといって、あなたの子犬を他の全ての犬から遠ざけることを意味しているのではありません・・・・」と犬同士の社会化の必要性をきちんと述べ、その方法も説明しています。 この本はとてもすばらしい本ですので、みなさんに本について違った印象を与えてはいけないと思い投稿させていただきました。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-4 8:41
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
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投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
何時もフォーラムに参加すると反省する事が増えてしまいます。書かなければ良かったとか、
BadBlokeさんに、言いたい事のは、それほど英国を引き合いに出し、オフリードの訓練を主張されなくても、犬は人間が想像する以上賢い動物だと思います。それほど頑張る事を勧める必要はないかと思います。 >英国の教育書(The Perfect Puppy)の内容をも拒否することになりますね BadBlokeさんにとってはすばらしいのかも知れません、しかし、それを読まない人は駄目だと言う事にはならないと思います。 飼い主以外、心を開かない犬種もいると思います。それは犬嫌いの人間が存在する様にです。やはり無条件でオフーリードの世界は無理があると思います >さて、ぼくの長い話は、ニッポンに不幸な犬が一匹でも減ることを願い、 >幸福な犬が一匹でも増えることを願い、きょうもつづきます。 と書かれていますが、私は英国手法によるオフリードが、ニッポンに不幸な犬が一匹でも減ると言われているならそれは疑問です。 日本には日本独特の動物を愛する気持ちがあります。英国では野蛮な狐狩りと言う風習があります。狐は最後犬の群れに投げ入れられるのです。狐は口から真っ二つ鮮血が飛び散ります。情けも何も有りません、いわゆるなぶり殺しです。 動物愛護先進国とはほど遠い行為です。私はその行為を映画で見てとんでもない事だと思いました。生きるため殺すのではなく遊びで殺すのです。 人間の身勝手なエゴむき出しな行為だと思いませんか? 生きるためでは無く遊びで殺す。動物愛護先進国、何処がと質問したくなります。 私は「ニッポンに不幸な犬が一匹でも減る」はオフーリード論より、日本では外飼の風習があり、それを止める事が犬を家の中の迎え入れる事となり、結果情が移り、幸せな犬たちが少しは増えると思っています。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-3 21:27
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
私のHPに花子の親戚でリュウ君を紹介しています
リュウママさんから頂いたメールをそのまま載せさせて頂きました ほんの少し紹介します 3月のはじめ、リュウの体調が良いのと、家族のスケジュールがあったので、飛騨高山に一泊旅行に行きました。弁天荘という大型犬OKの旅館があるのを知りリュウの大好きな雪遊びをさせてやりたくて車を走らせました。親切な宿で裏手の所有地で雪遊びをさせてくれました。ただ、体調が良い、といっても普通の健康なワンに比べるとかなりおとなしく、頭もしっぽも下がり気味です。しかし、この時は雪に喜び、投げた雪のボールをおいかけていました。白川郷や高山の市街地にも行きました。観光客の人たちにもかわいがられました。本当に、思い切って行って良かったです。 中略 そして、ケイレンし辛そうでした。夜も眠れなくて、「もうしんどい?」と聞くと「うお〜〜ん。」と鳴いたのです。家族全員でその声を聞き、顔をみあわせ泣きました。もうこれ以上、辛い状態をリュウに続けさせることはできないと、家族で安楽死を決めました。 私はリュウママさんのメールを拝見すると躾なんてどうでもと思います。リュウ君は呼びの訓練をしなくても、呼べばすぐ戻ってくると思います。 私はリュウママさんのご家族ほど花子に愛情をかけているか自信はありません、でもそれに近ずきたいとは思います。 花子は私たちより短い命です、躾の前に楽しい事する。それがとても大事だと私は思います 「躾、躾、躾、躾なんて思わなくても付き合っているうち何時の間にか覚える気がします。」と書いたのは誰かを批判する為ではありません、その事を分かってほしいと思います |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-6-3 2:51
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
丸山さんおはようございます。
言葉だけで自分の意見を表現するのは難しいですね。私の書き込みで気分を害されてしまったようで、申し訳ありません。 >>多分花子ちゃんはもうかなりの年齢でしょうから >>長年一緒に過ごしてきた年月のせいで、うるさく言わなくてもある程度 >年齢だからと決め付けるのは、如何なものかとおもいますよ、花子を老人呼ばわりするのは許せない気がします。 花子ちゃんを老犬呼ばわりしたつもりはありません。また仮に老犬だったとしても、何も悪いことはありません。老犬には老犬の良さがあります。うちにも15歳4ヶ月の老犬Maxがおり、15年一緒に過ごした年月は何ものにも代えがたいものです。 >私は花子を大事の思っています。 >その自分の大事な何かを年齢とか何とか引き合いに出し >自分の主張を通す事は、とても相手に対し無礼な発言です。 >その様な事は止めて頂きたいと思います。 繰り返します。私の言ったことで気分を害されたのなら謝ります。私の主張とは、何をさしておられるのか分かりません。昨日の投稿で私が一番言いたかったことは、それぞれの犬の幸せや育てかたは違っていてあたりまえ。飼い主が家族の一員としてしっかり育てていれば、あれがよくてこれが悪いということはない、つまり丸山さんのやりかたを肯定したものでした。余計なことを言ってしまってごめんなさい。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-3 0:26
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
おもわずかっとした書き込みをしました。 がしかし
年齢だとか 犬種だとかを理由に 自分の主張を通すのはよくないと思います 年齢は確かに、落ち着く原因ではあります。でもそれが全てではありません 他の方どの様な付き合い方をしているかも推察せず。その家族である。花子を老犬としてあつかう 本当の事を言えば腹がたちます。 動物は犬に限らず馬においても、家畜同様に飼われたもの、そうで無いものは人間を信頼する度合いが違います。 その信頼こそが、躾の根底にある。私はそう思っているのです。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-2 22:19
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxとHollyとNoahさんこんばんは
>多分花子ちゃんはもうかなりの年齢でしょうから >長年一緒に過ごしてきた年月のせいで、うるさく言わなくてもある程度 >丸山さんや奥様の望むとおりの行動ができるようになっているのだと思います。 >そういう時間をかける余裕があり、なおかつ周りに迷惑をかけずに済むのなら、 >いつの間にか覚えるのを待てばよいでしょう。 すみません MaxとHollyとNoahさんが言いたい意味が分かりません 歳だから出来ると言いたいのでしょうか? 花子と付き合い始めてから、一環してそうしてきました。 別に今に限ってではありません、 愛犬とは一生付き合うのでしょう、時間をかける余裕はいくらでもあります。違いますか? 何か私の発言に気分でも害されてのでしょうか?そうなら申し訳ないと思いますが? 「多分花子ちゃんはもうかなりの年齢でしょうから」は少し失礼なもの言いではありませんか? 年齢だからと決め付けるのは、如何なものかとおもいますよ、花子を老人呼ばわりするのは許せない気がします。 私は花子を大事の思っています。 その自分の大事な何かを年齢とか何とか引き合いに出し 自分の主張を通す事は、とても相手に対し無礼な発言です。 その様な事は止めて頂きたいと思います。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-6-2 16:05
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
丸山さん、こんばんわ。MaxとHollyとNoahのママです。
>オフリードの教育が必要、あるいは教育が完璧だから何時でも、何処でもオフリードは、わがままだと思います。英国のようにそうなれば良いとは思いますが 実は英国人の友達に聞いたところ、英国といえども、どこでもオフリードOKではないようですよ。公園も場所によってOKでないところもあるようですから。 >花子はやよくかみさんに怒られています。「コラ!花子!」パコーンって、英国方式からすれば虐待?? ある意味、躾の手法からも遠く外れている気がします。それでもなんとかなっています。多分しつけに精通されている方が見ればとんでもない行為と思われるかもしれません。 花子ちゃんは幸せですね。いつも丸山さんと一緒にいられて。奥様のパコーンも、奨励はしませんが、私は別に反対もしませんし、虐待とも思っていません。だって奥様は手加減されているはずですから。虐待というのなら、犬を飼ってはみたけれど犬に時間をとられたくなくて最低限の世話はするけど、あとは話しかけたり、一緒に遊んだりすることなくほったらかしの飼い主のほうが、虐待だと思うくらいです。その点花子ちゃんはいっぱい時間と愛情をかけてもらっているのですから。 >オフリードでの教育、教育、教育、教育 あるいは、躾、躾、躾、躾なんて思わなくても付き合っているうち何時の間にか覚える気がします。 だから私は“犬が100匹いれば、100通りの育てかたがあるのではないでしょうか。”といったのです。躾けとは躾け教室で習うだけではありません。人間の子供の躾け同様、生活の中から身につけるものだと思います。でも初めは言葉の通じない犬ですから、トレーニングのやりかたを飼い主が習得しているといないとでは、犬の方の習得の早さも違ってくると思います。多分花子ちゃんはもうかなりの年齢でしょうから、長年一緒に過ごしてきた年月のせいで、うるさく言わなくてもある程度丸山さんや奥様の望むとおりの行動ができるようになっているのだと思います。そういう時間をかける余裕があり、なおかつ周りに迷惑をかけずに済むのなら、いつの間にか覚えるのを待てばよいでしょう。 話は変わりますが、私の仕事場の近くにホームレスの人が飼っている犬がいます。ときおり高速道路の入り口で飼い主がその犬を脇に伏せをさせて、“お恵みを”と書いたボール紙を持って立っています。私は時折、車の中からドッグフードやビスケットを“これはShy Dog (犬の名前) のためにね”といって渡しています。私はこのShy Dogを不幸だとは思えないのです。仮に私がこの仔をうちに連れ帰り、きれいにシャンプーし、美味しいご飯をいっぱい食べさせても、この仔はきっと前のホームレスの人との生活のほうを望むでしょう。だってこの仔にはこの仔なりの幸せがあり、それはうちの犬達の幸せとは違うからです。ですから画一的な犬の幸福や育てかたはありえないと思うのです。基本は、どれだけ飼い主が犬のことを考えて人生のパートナーとして暮らしているかにかかるのではないでしょうか。 先日の記事にあった檻の中で飼われていたシェパード達や、吠え声がうるさいと殺されてしまったラブラドールなどは、飼い主から家族としてあつかってもらえなかった哀れな犬達でした。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-6-2 9:50
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
私は、BadBlokeさんの言われる英国の教育書(The Perfect Puppy)は全く知りませんが、 オフリードの教育はある程度必要であるかも知れません、
がしかし オフリードの教育が必要、あるいは教育が完璧だから何時でも、何処でもオフリードは、わがままだと思います。英国のようにそうなれば良いとは思いますが 我が家は花子のお陰で、旅行はでアウトドアです。つまり宿泊施設に泊まった事がありません、 以前はペットと泊まれる宿も利用しましたが、予約が面倒くさい、探すのも大変です。 しかし花子をペットホテルにあずけて旅行をしようとも思いません、実は花子と付き合う前から、決めていたのは、「何時でも何処でも一緒に」と考えていました。一緒に来てくれないと寂しいと思います。 そう言う意味で、私はしつけ、あるいは教育をする為に、花子と付き合っていない気がします。大事なのは一緒に遊ぶ為や、生活する為に愛犬とある約束をする事だと思います。その中には、オフリードの教育があるかも知れません、しかし何時でも、何処でもオフリードはどうかと思います。 相棒である愛犬と遊ぶのは、公園やドックランだけでなく、もっと色んなところがある気がします。遊ぶ中からオフリードも含め、お互い必要なルールが出来上がるのではないかと思います。 花子が、一歳に満たない頃あるペンションに行った事があります。そこで知り合った年配の女性に言われた事が、「犬は若いうちにしつけなきゃ駄目よ」でした。 花子には伏せ熱心に教えていましたが結局出来ませんでした。その方の愛犬は当然ながら芸達者で色んな事が出来るのです。見ていて楽しいかも知れません ところがその方、愛犬を放置していなくなるのです。自信過剰かも知れません 愛犬は入ってはいけない厨房に、 宿の主人が優しく出していましたが、私から見ると人間として恥ずかしい行為だと思います。 ちなみに花子は今現在、当然ですけど、伏せは出来ます。 室内では私が座ると大人しく横で待っている事が出来ます。 お手伝いは自主的に覚えた、ありがた迷惑の物運び、その程度です。しかし私にとって十分な約束です。 オフリードでの教育、教育、教育、教育 あるいは、躾、躾、躾、躾なんて思わなくても付き合っているうち何時の間にか覚える気がします ペンションの年配の女性、犬の躾は出来ていても、自分の躾が出来ていない人間にはなりたくない気がします。 不特定多数の公園でのオフリードは、ペンションの年配の女性と同じ気がします。しかし夜中の公園で誰にも迷惑をかけないなら「良いのかな?」と思います。 言いたい事が文章ではうまく表現出来ません、熱心に色んな事に取り組まれている方から、余計な事と怒られそうですが、簡単に言えば教育とか躾に、そんなに頑張らなくても良いのではないかと思う事です。 花子はやよくかみさんに怒られています。「コラ!花子!」パコーンって、英国方式からすれば虐待?? ある意味、躾の手法からも遠く外れている気がします。それでもなんとかなっています。多分しつけに精通されている方が見ればとんでもない行為と思われるかもしれません 余計な書き込みついでに、もしかしたらこれから犬と付き合おうと言う人がこのスレッドを見ているとすれば、外で繋いで飼うなら絶対止めた方が良いと思います。飼うなら室内でオフリード、 そう言う意味でオフリードはとても大事だと思います。 飼うと言うより一緒に暮らす、あるいは付き合うと言う感覚で、出来れば買い物含め出かけるときも何時も一緒に、何時か情が移り大事な存在になります。躾と言うなら、それが一番の躾だと私は思います。 |
投稿者 | スレッド |
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ちゅら |
投稿日時: 2007-5-30 22:43
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Just popping in
登録日: 2007-5-21
居住地:
投稿: 13
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxとHollyとNoahのママさん、こんにちは。
私のつたない文章でどれだけ伝わるか不安だったのですが、MaxとHollyとNoahのママさんの書き込みを見て、「ちゃんと伝わってた!」と安心しました。 しかも土地の確保や運営に関する具体的な提案もしていただいて、なんだか私も、実現できそうな気がして楽しくなってきました。 もっともっと、色んな案が出て欲しいですね。 寄付金箱というのも、いいシステムですね。 最近日本のニュースではモラルの低下がやたらと話題になっていて、「金払ってるんだから何やってもいいだろう」的な考えの人が多くなってるようです。 ドッグランも高い利用料にすると、この考えの人が出てきそうで…。 ジャckさん、こんにちは。 >犬の躾けのなかでは「マテ」や「コイ」が最も重要だと思っています。 私もそう思っています!この二つだけは、できるようになった今でも毎日トレーニングしています。 ...実はうちのコは「オテ」ができないのですが(教えたことがないので)、近所の子供達とコミュニケーション取るために教えてみようかな、と企み中です(笑) お二人の意見を聞くにつれ、やはり一番ネックとなるのは人間同士の意見の違いなんだな、と改めて思いました。 犬との暮らしに関して、人々の意識が高まってきたのはいいのですが、そのことが逆に理想論の対立にもなっているような気がします。 知識も経験も豊富な人ほど、他者の意見(異見)を認めないというか…。 ここの人達のように、自分の意見をはっきりと言いつつ他人の意見にも耳を傾け、「どちらが正しいか」ではなく、「どちらもありだけど、更に良くするためには」といった話し合いができるといいのですが。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-5-30 13:55
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: ドッグランは本当に必要?
ちゅらさん、こんにちは。
僕も前に話したようにドッグランを利用したことがないので、利用の際に住所などを明記するのかは知りませんが、もしそうでないなら会員制にするのは、(利用者が責任感を持つという意味でも)賛成です。 僕は本来、そんな堅苦しいことは好きじゃありませんが、掲示板などでドッグランでのトラブルの話しを聞くたび、結局は飼い主の無責任さがことを荒立てているように感じています。最悪、逃げちゃったり……。 一見(いちげん)さんは身元が明らかでないので、結構いいかげんな行動も出来やすいのかなって思ったりもします。 ヘンな話しですが、ここ、Living With Dogsも会員制にした途端、投稿が減ったように感じますしね。 メルアドを提示するだけの簡単なものなのにも関わらず……。(^^;) >私の周りでも、「マテ」や「コイ」が出来なくても別に困らない、という人が結構多いのです。 余談ですけど、僕は犬の躾けのなかでは「マテ」や「コイ」が最も重要だと思っています。 この二つの躾が出来ていれば、緊急時に犬の安全を確保できると思っているからですが……。 もっと言えばその二つが出来れば、この二つ以外、他のコマンドは任意でいいとさえ思っています。 MaxHollyさん、どうもです。 >うちの場合だと毎回2500円もかかってしまい、とても毎日はいけません。 ですよね〜。高いっすよね。 無料だけど、その寄付金箱が備え付けてあるっていうのはいいですね。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-30 13:17
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
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投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
ちゅらさん、はじめまして。MaxとHollyとNoahのママです。
ちゅらさんのアイディア、すごくいいと思いますよ!いいところに目をつけましたね。 犬のトレーニングは実際にはトレーニングをする飼い主のトレーニングと言えます。ですから、トレーニングを受けることで、飼い主はどのようにして犬を躾けるのか、なおかつ犬の習性、犬を飼うときの心構えを学びます。それはまた犬との共存を真剣に考えるきっかけにもなります。そのような人達がメンバーとなって使用できるドッグランがあれば、人間同士同じ目的に向かっているのですから、細かなことでのいさかいなどはなくなると思うのです。 そして、欲を言えば、そのドッグランの土地と当初の設備は地方自治体が手配してくれて、ボランティアがメンテナンスをすることができるといいですね。日本は土地の価格が高いので運営は大変でしょうね。でも郊外の空いている土地を行政が非営利団体のために固定資産税を免税するとかして安く借り受けて、フェンスと二重ゲートだけでも作ってくれればドッグランとして即使用可能なんですけどね。昔は空き地の原っぱとかで犬を遊ばせることもできたんですけどね。今は空いている土地がないのでしょうか。 ジャckさんのお話では、日本の民間のドッグランは人間一人1000円、犬1匹につき500円とかですから、うちの場合だと毎回2500円もかかってしまい、とても毎日はいけません。私が毎日行っているSummerlake Off-Leash Parkは無料です。寄付金箱が備え付けてあるので、たまに1ドルか2ドル入れています。このドッグランは人口たった41,000人(すみません、先日記事を書いた時には63,000人と書いてしまいましたが間違いです)のTigard市の運営なんです。ここは誰でも入園可ですが、アメリカのほかの都市のドッグランは登録者のみとなっているところもあるようですね。ですから、犬の鑑札登録時に、ドッグラン募金とかいうのを集めて、募金者には鑑札に貼るシールを送ってくれるとかするといいですね。年間5000円で使い放題とか(笑)。いくら行政が絡んでも、ドッグラン内でのすべてのトラブルはやはり飼い主自身の責任にするべきですね。でもどこの躾け教室を認可にするか、などなど問題は残りますね。 なんか、考え始めると楽しくなりました。企画書を作って市役所とかに提出したい気がします。どなたか、もっと具体的で現実的なアイディアはないでしょうか。ちゅらさんの提案のように、まずは日本全国いろいろな場所に小さなサークルができて、それが広がることで人々の意識が変わり、行政も参加してくるというのが理想的なのでしょうね。 |
ちゅら |
投稿日時: 2007-5-30 0:09
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Just popping in
登録日: 2007-5-21
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投稿: 13
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Re: ドッグランは本当に必要?
初めまして。Mダックスと暮らしているちゅらと申します。
まだBadBlokeさんのお話が続いているようですが、Wドッグランは本当に必要?“の話にも戻りつつあるようなので、ちょっと横から失礼します。 ドッグランのこれからのあり方について、つたない意見ではありますが、ひとつ提案です。 私はドッグランを使ったことはありませんが、もし使うとしたら、中にいるのがどんなわんこ達なのか、そしてその飼い主はどんな人達なのか、気になると思います。 このフォーラムに参加している方々は、意識も高く、しっかりとした考えがあるように見えます。 でも世の中の飼い主さん達、そんなに深く考えている人って、果たしてどれ位いるのでしょうか。 私の周りでも、「マテ」や「コイ」が出来なくても別に困らない、という人が結構多いのです。 だからといって、愛情をかけていない訳ではなく、とても可愛がっているし、犬も幸せそうな顔をしています。 私は、しつけは人と犬がいい関係で暮らしていくためのものだと思っているので、本人達が幸せそうで周りに迷惑もかけていなければ、無理に必要の無いことまで教え込む必要はない と思っています。 でも、不特定多数の人と犬が出入りするドッグランで、犬の安全を確保してあげるためには、人間にも多少の知識と技術、そしてモラルが必要になってくるとも思います。 そこで提案なのですが… 私が参加している老人施設訪問のボランティアグループがあるのですが、このグループはそのまま同じしつけ教室のメンバーでもあります。 「教室」という名称ではありますが、実際はサークルのような感じで、長い人では10年以上通っている方もいます。(もちろん犬もかなり高齢) つまり犬達に、知らないおじいさんおばあさんに会うストレスはあったとしても、犬同士は毎週会っているので、その間でのストレスは無い状態です。(気の合わない犬同士も中にはいますが…) このシステムを、ドッグランに応用できないでしょうか。 会員制、というと堅苦しくなってしまいますが、利用する人はしつけ教室の初級クラスくらいは参加経験があり、犬同士も全くの初対面ではない、などといった具合です。 もしくは、ドッグランに併設してしつけ教室を行うスペースがあれば、ドッグランだけが目的で来た人にも興味をもってもらえるかもしれないし、しつけの意義を感じてもらえるのではないでしょうか。 私がここで思うポイントは、飼い主さん自らがしつけに興味を持ち、「自分もやってみよう」と自発的に思ってくれることです。 大人が大人に意見した時、素直に聞こうとする大人って、残念ながらあまりいませんよね(自戒の意味も込めて…)。 だったら、このフォーラムに参加しているような理想のある方々が「北風と太陽」の「太陽」となり、言葉ではなく態度で示すことによって、飼い主さん全体の意識を高めていくことができれば・・・というのが私の理想です。 「こういうドッグランがあったらいいな」という話で、本来の議題とは少々ずれていたかもしれませんね。 自分で提案しといてなんですが、実現するには問題となる点もいろいろあると思います。 それにしてもMaxHollyさんのおっしゃる "犬が100匹いれば、100通りの育てかたがある…" 一言一句もらさず全く同感です。 いつも、私がぼんやりと思っていることをズバリ言葉にしていただける(しかも分かり易い!)ので、気持ちいいです。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-5-28 11:48
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん、こんにちは。
>なるほど、日本ではドッグランがまだ浸透していなくて皆さんの意見が聞けなかったのですね。 >それならこのスレッドのタイトルを変えたほうがいいかもですね。 いえいえ、このスレはこのタイトルのままでいいと思います。 ただ、このスレのはじめから読み直したとき、先日、BadBlokeさんが投稿されるまで、二年前ぐらいから投稿が 途切れていたこともあって、多分、現状で話し合うことは出尽くしているんだろうなぁと思ったんです。 また、ドッグランの話題は、ネットや犬の雑誌では見聞きするんですが、日常の散歩などで出会う方との会話では、 あまり話した記憶はないんですよ。 それで、僕が住んでいる神戸市(人口は約150万人ぐらい)のドッグランを調べてみると3ヵ所ありました。 ただ、この3ヵ所は北区という山側の地域で、車がない僕には気楽に行けるような場所ではないようです。 平日の利用料金は、大人一人800円〜1500円(人 1000円・犬 500円)ぐらいで、この料金が高いのか安いのかは わかりませんが、「犬込みで500円ぐらいだろう」と思っていた僕には「安くはないなぁ」って印象ですかね。 余談ですけど、L.W.D.以外で聞くドッグランの話題は楽しい話題よりも、困ったような話しが多い気がします。 その掲示板の性格からそんな風になるのかも知れませんが、小さなトラブルの話題が多いように思います。 それも犬の問題というより、その犬の飼い主の問題(態度やマナーとか)のような話しなんですけどね。 よその犬に噛まれかけたとか、マウンティングされたとか、その犬の飼い主といったら人とおしゃべりに夢中で 自分の犬を見ていないとか……、ですね。^_^ |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-26 12:35
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
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Re: ドッグランは本当に必要?
ジャckさん、こんばんわ。
なるほど、日本ではドッグランがまだ浸透していなくて皆さんの意見が聞けなかったのですね。それならこのスレッドのタイトルを変えたほうがいいかもですね。 私はこう考えていたのです。幼犬時のオフリードで遊ばせることで身に付く社会性や成犬になってからの犬同士の遊びの必要性は、犬を心から愛し、理解しようとしている飼い主ならば、BadBlokeさんに限らず誰しもが感じているはずです。それなら、いったいどこで?という問いに対し、東京を始めとする街中で犬の安全と地域の他の住民への配慮を考えた場合に、道路や一般の公園でオフリードを奨励するわけにはいきません。そこで、ドッグランがあれば、気兼ねなくできるのではないかと思ったので、反対意見を含め皆さんの意見を伺いたかったわけです。それに加えて、今までドッグランを利用したことのある方々の参考意見や改良すべき点なども知りたかったのですが、ジャckさんのご指摘でよく分かりました。 BadBlokeさんには、せっかく一度は平行線が近づいて、 >「英米の架け橋」になりたいと願って生きて来たぼくとしても、<平行線>の接近を、こころからうれしく思います。 とまでお褒めの言葉をいただいたのに、また平行線が離れてしまったようで残念です。ただジャckさんも“オフリードの教育こそが重要だと言われるのは僕なりにはわかりました。”と書かれているように、私もその必要性は認めているのですよ。問題はWhere と Howです。BadBlokeさんの理論でいけば、認めるのなら英国式を見習ってオフリードを解禁すべき。弱者である犬をリードで繋ぐのは虐待。そう単純にはいかないのでいろいろ意見を出しているのです。それを反論と呼ばれるのでしたら仕方ありませんね。 “ニッポンに不幸な犬が一匹でも減ることを願い、幸福な犬が一匹でも増えることを願い”というBadBlokeさんの気持ちはそのまま犬を愛する人達の願いです。そして不幸な犬を減らすための努力を皆さんされているわけです。オフリードにできないような過去の虐待を引きづった犬の里親になった方もいれば、ペットショップで売れ残った犬やバックヤードブリーダーが捨てた犬を保護した方、あなたのように英国ゴールデンをパピーから育てたかただけが愛犬家ではないことを分かっていただきたいと思います。あなたの愛犬がいかに素晴らしく、また英国の権威あるかたから理想の育てかたと褒められたとしても、それがあたかもオフリードで教育すればすべての犬種、すべての犬にあてはまるという結論にはならないことを言いたいのです。あえて誤解をおそれずに言うのなら、犬が100匹いれば、100通りの育てかたがあるのではないでしょうか。リードつきでものびのびとやさしく育った犬は、あえてオフリードにして危険に晒す必要もないでしょう。100匹の犬と飼い主の幸せは、そう単純にこれだ!と言えるものではないはずです。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-26 8:40
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登録日: 2006-7-21
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Re: ドッグランは本当に必要?
ジャckさん、
>BadBlokeさんがオフリードの教育こそが重要だと言われる >のは僕なりにはわかりました。 理解していただけて嬉しく思います。ジャckさんになら、きっと理解してもらえると予想はしていました。 >ただ、このスレのタイトルは「ドッグランは本当に必要?」 >ですので、オフリードには関心があってもドッグランに >関心がない人ははじめから読まれないかも知れないと >思うんですよ。 >それは勿体ないですから「オフリード論」とかのタイトルで >スレを立てられたらいかがですか。 なるほど、そう言われてみたら、ぼく自身ドッグランには関心がないので、このスレッドを見学してみようとは思わなかったかもしれません。ただ、結論としてはこのスレッドのテーマにつながることを予定しているんです。ですから、そこまでたどり着くまでは、このまま続けようと思っています。もうすぐ終わるはずですから。でもとにかくアドバイスを感謝します。 |
ジャck |
投稿日時: 2007-5-26 4:50
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん、どうもです。
>本題の”ドッグランは本当に必要?“のテーマに戻ってみませんか? そろそろ、このスレの本題に……と思い、はじめから読み直してみたんですが、現状で話し合うことは出尽くしているように思いました。 現状はまだ、ドッグランそのものの数が少ないので施設ごとにルールのばらつきもあり、利用者同士での暗黙のルール(モラル)も確立されていないって感じですよね。 僕がまだドッグランを利用したことがないのも、まだ近所にドッグランができてないからですし……。 実際、日常的にドッグランを利用しているって方はどれぐらいいらっしゃるんでしょうかね。 数回利用したことがあるって方を含めても、それ程多くないように感じているんですが……。 ですから、もっと、身近になってからでないとドッグランの善し悪しもこれ以上でないように思いました。 BadBlokeさん、どうもです。 BadBlokeさんがオフリードの教育こそが重要だと言われるのは僕なりにはわかりました。 ただ、このスレのタイトルは「ドッグランは本当に必要?」ですので、オフリードには関心があってもドッグランに関心がない人ははじめから読まれないかも知れないと思うんですよ。 それは勿体ないですから「オフリード論」とかのタイトルでスレを立てられたらいかがですか。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-25 22:46
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
もしオフリードを拒否するとすれば、ぼくが今の愛犬を教育するときにいちばん役に立った英国の教育書(The Perfect Puppy)の内容をも拒否することになりますね。そして、ぼくがあきれ果てたJKC公認訓練士師範の書いた本を支持することにもなるのでしょう。その本の中には、オフリードの訓練のことなどひとことも書いてないですし、ただひたすらリードにつないで散歩する方法が述べられているだけで、驚くことに、子犬の散歩に関してこんなことまで書いてます。
<犬がたくさん集まる場所などには連れていかないようにします。初めのうちは、屋外の環境に慣れていないのでおびえて歩かなかったりしますが、そんなときは抱いて歩くなどして(以下略)>(近正吉著『子犬の飼い方・しつけ方』) この著者は自身もペットショップを経営しているせいなのか、生体展示販売される子犬にありがちな環境順応性の足りなさを、まるでイヌ本来の特徴であるかのように断言しています。それに比べて英国の教育書では、子犬の社会性教育を強調し、公園でのオフリードによるイヌ同士の積極的な交際をすすめるばかりか、駅などの人間で混雑する場所にも子犬を連れていき、いろんな人間(子供、老若男女、黒人を含め様々な人種)に慣れさせるようにすすめていて、ヒトとの関係における社会性教育を重視しているのです。なんという違いでしょうか。 自分の愛犬をニッポン式に教育して何が悪いと思っている方には通じない話をしているわけですが、少なくとも冷静にイヌの教育を考えることのできる人であれば、英国式の教育を否定するようなことはできないのじゃないでしょうか。ところが、公園でのオフリードを何がなんでも認めようとしない人は、現実として、英国式を拒否しているのです。 何か特別な事情があって、どうしてもオフリードにはできないという愛犬家にまで、ぼくは英国式をすすめるつもりはないのです。ただ単純な話をしているだけです。オフリードを否定したら、英国式で教育したいと願っても、それが不可能になってしまうということです。ただでさえニッポンには不可解な規則が多いのだから、犬のだいじな社会性教育を妨害するような規則は作らないでくださいということです。 ぼくは The Perfect Puppy の書評を書いていた英国の専門家と会ったことがあるのですが、彼女はぼくの愛犬の日常生活を知って、非常に理想的だと言いました。オフリードによる犬の教育を否定する人は、英国の専門家の考え方を拒否することになると思いますが、個人の問題で済むならともかく、これは社会的な問題(つまりニッポンのイヌ事情の問題)になるのだから、そんなことを愛犬家グループで断言してもらっちゃ困るんです。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-24 15:19
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
さて、ぼくの長い話は、ニッポンに不幸な犬が一匹でも減ることを願い、幸福な犬が一匹でも増えることを願い、きょうもつづきます。
アメリカ人にも、イギリス人にも、ニッポン人にも、いろいろあるように、ハンドラーにもいろいろあることくらい、ぼくも知ってるつもりです。問題は、犬をオフリードで育てることに反対できるハンドラーのイヌ観です。 ドッグショーのような人工的な場所で、審査員の眼から高く評価されたからと言って、その犬が日常の人間社会で幸福に生きられるとは限らないでしょう。すでに言ったと思いますが、ぼくがオフリードの教育を強調するのは、飼い主の自己満足のためではなく、犬の幸福のためです。 動物を愛するあまりベジタリアンだったリンカーンになら、きっとぼくのオフリード論が通じたと思いますが、彼はこんなことを言っていました。 「もし犬のシッポを足と呼ぶとすれば、犬には足が何本あるか?答えは、4本だ。シッポを足と呼んだからって、シッポが足になるわけがない」 ハンドラーなどのプロも含めて、ニッポン人の愛犬家には、そんなに珍しくないように感じているのですが、シッポを足と呼ぶとすれば、足は5本あると答える人が、ニッポン人には多いような気がします。イヌという動物を、人間が勝手に決めた人工的な規則で決めつけて、イヌとはちがう別の動物と見ているかのようです。 冷静に考えれば、子供にも理解できることです。イヌは、本来、リードなどにつながれるために生まれてくる動物じゃないのです。ヒトの社会が人工的になって都市化し、自動車などが道を支配し始めたから、イヌにもコドモにも、人間社会は非常に住みにくい環境になってしまったのです。彼ら社会的弱者のために、オトナがすべきことは、彼らの環境をいよいよ人工的にすることじゃないはずです。 人工的な環境の中でも、イヌらしく、ヒトらしく、成長するためには、オトナは何をすべきか。ぼくのオフリード論は、そのような話を、動物愛護先進国の常識によって語っているにすぎない。それを「偏見的な持論」だとか決めつける人と、どうすれば「建設的な話し合い」ができるというのでしょうか。だいたい、ぼくはある種のニッポン人やアメリカ人とは違って、どんな場合にも、議論ごとき場で、感情的にはなっていないのです。ただ発言すべきことをいつもハッキリ発言しているだけです。 めったに感情的にはならないぼくでも、外飼いのラブラドールが殺されただとか、補助犬の入店が拒絶されただとか、そのような情けない話を聞くと、ニッポンのイヌ事情に対して「バカヤロー!!」と叫びたくなります。ぼくのオフリード論に反対する愛犬家のみなさんは、気づいていないのでしょうか。あなたたちのイヌ観は、そのようなニッポンの現実と無関係ではないと思います。(つづく) |
投稿者 | スレッド |
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MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-24 14:29
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
この何日間私も、そして多くの読者の方々もBadBlokeさんの長いお話に耳をかたむけてきました。疑問に思ったことや、意見を述べたいことがあっても、ずっと我慢してきました。でも正直言って、ここへ来てBadBlokeさんの偏見的な持論にかなり疑問をもってきています。
そもそもフォーラムとは本来BadBlokeさん個人の講義の場ではなく、広く皆さんの意見の交換をする場ですよね。ミックさんのご意見はもっともだと思いますよ。反論にしろ、賛成意見にしろ、他者からの建設的なコメントに対し、良識ある市民としてお応えいただきたいと思います。大勢の方がたの様々な意見を尊重することで、初めてバランスのとれたコミュニケーションが存在すると思います。 BadBlokeさんもこのフォーラムを有効に使おうとお考えでしたら、広く皆さんからのご意見を取り入れて考えてみませんか。所詮BadBlokeさんお一人の経験談は、ひとつのケースにしか過ぎません。それをもとにニッポン人(あれ?私もうつっちゃったかしら?笑)論を論じるのは不可能だと思います。というより無意味なことだと考えています。 >なぜある種のニッポン人は、他人の発言の大筋を捕らえようとしないで、テーマをそらすような反論をするのでしょうか。X市を批判したら、ここは東京じゃないと言って反抗する人がいます。東京を批判したら、ここはニッポンだと言って反抗する人がいます。 と書かれていますが、ミックさんのコメントにある、ドッグショーのことやハンドラーの訓練士のことは、BadBlokeさんがもちだされたことではなかったですか? 更に、以前あなたは下記のように書かれていますね。 >ドッグラン発祥の地アメリカから発言されるMaxHollyさんのご意見を聞くつけ,ぼくはいよいよニッポンがアメリカ化することに反対したい思いが強くなってしまいます。 私はそのコメントに対して、あえて何も言いませんでした。私がそれをまともに受け取って感情的になったら、建設的な話し合いができなくなると思ったからです。 さて、この辺で、BadBlokeさんのオフリード論は一応締めくくっていただいて、本題のWドッグランは本当に必要?“のテーマに戻ってみませんか? |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-23 23:33
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
きょうは予定の話を変更して、ニッポン人との議論でいつも感じることを話したいと思います。こういうことを考えてみるのも、犬を育てるときの精神というか、やや大げさに聞こえるかもしれないですが、何かそのようなものと関係するような気がするのです。
ぼくは例の地方都市を<X市>と書いていますが、以前、愛犬家グループでその地方名を隠さずに書いたところ、その地方に住む方から反応がありまして、ぼくのように地元を批判されると心苦しいというようなことを書いていました。正直にいえば、こういう反応には非常に驚いたのです。東京にもロンドンにもどこの都市にも、悪いところを探そうと思えばいくらでもあるわけです。またX市の愛犬家の中にも、なんら問題のない人がいたことも確かなのです。しかし、現実として、ぼくが話したようなイヌ事情があったわけで、そのような環境では誰よりも地元の愛犬家こそが困るのじゃないでしょうか。いや全く困らないという愛犬家も多いのでしょうね。でも、ヒトが困らなくても、イヌは困るのです。 ぼくの話に英国のことが登場する場合も、英国が天国でニッポンが地獄だと言ってるわけじゃないのです。こんなことを説明しなきゃならないのでしょうか。なぜある種のニッポン人は、他人の発言の大筋を捕らえようとしないで、テーマをそらすような反論をするのでしょうか。X市を批判したら、ここは東京じゃないと言って反抗する人がいます。東京を批判したら、ここはニッポンだと言って反抗する人がいます。 ぼくがなぜこんなにも長々とオフリードをテーマに語っているのか。言いたいことは単純なことなのです。しかし、その単純なことを理解してもらうためには、きっと体験が必要でしょう。その体験というものを、ニッポンのイヌ事情では、ほとんどの愛犬家が経験していないように思うのです。体験がなくても、イヌ観を共有できる人になら理解してもらえると信じています。あの愛犬家グループにも例外的にそのような愛犬家が数人いました。ぼくのオフリード論はぼくの発明じゃありません。犬がオフリードのままバスに乗れる英国でなら、常識として通用する話をしているのです。 |
ミック |
投稿日時: 2007-5-23 22:31
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Just can't stay away
登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: ドッグランは本当に必要?
前回も書きましたが 折角なのですべてお話を聞いてから、私の意見を述べさせていただこうと思っていましたが やはり時間を置いて説明していただくには 多くの方に誤解を与えることも書かれているので そのつど気づいた事をご質問することにしました。
もちろん BadBlokeさん が >今回は、もうこれで日本語圏でオフリード論を語るのは最後にする覚悟でやっていまして、とにかく区切りのいいところまで語り尽くす予定でいます。 とおっしゃられているので そのお邪魔にならないように配慮はするつもりです。 >どうもドッグショーの内容自体が、ニッポンと英国じゃ大違いのようです。おそらくニッポンでは英国でなら決してチャンピオンにならないような犬がチャンピオンになっているでしょう。いわばニッポンのドッグショーはチャンピオン犬を「生む機会」になっていると言ってもよいかもしれません とおっしゃられていますが 日本から渡英した犬が英国のドッグショウでチャンピオンになったのをご存じないですか? BadBlokeさん が今までにご紹介いただいた2冊の本 私はどちらも読んだ事がないので何とも言えませんが どちらも執筆されたのが だいぶ前(10年以上前)ですので そこで書かれていたことが 現在では一般的ではない または、現代に適応した形のアドバイスになっていなかったとしても「その時代はそのように考えられていた」というように考えるのが妥当ではないでしょうか? >日本人とこのテーマで建設的な議論をすることは不可能だと思うからです とおっしゃられるように私もこのフォーラムで「建設的な議論」をしたいと思っています。 >ぼくの経験では、ニッポンのプロほど信用できないものはないと思っています。すでに取り上げたJKC公認訓練士師範もそうですが、東京広尾にある英国レトリーバーを扱うペットショップでは、今から10年ほど前には、暴力と呼べるような体罰式で犬を訓練していました(今もそうなのかは不明ですが)。英国では考えられないことです。このようなショップが英国国旗を飾っているのだから、アメリカ人とは違って国旗には無関心なイギリス人でも、これを知ったら頭に来るかもしれません 日本のプロは信用できない人ばかりなのでしょか? 英国の大学で勉強および研究をされ 帰国後、日本で「ペットの行動カウンセラー」として活躍されているある方は ご自身の書籍で「私が留学して犬の攻撃性の研究に取り組めたのも 当時イギリス国内でも犬による深刻な咬傷事故が相次ぎ、危険な犬の発生防止を目的とする研究プロジェクト申請に対してイギリス側から 研究奨学金が支給された」とあります。 この事からも 英国が進んでいて、日本が遅れていると一概には言えないのではないでしょうか? AAAやAAEについての質問のお答えに >イヌという動物は、ぼくが主張するような社会的教育を受けていれば、ごく普通の公園などで、ごく普通の人々(イヌ恐怖症の人も含む)との交流の中で、すばらしい働きをしてくれます。それでも犬たちはボランティア活動をしているつもりはないのです。ぼくの話は特殊なことをテーマにしているのじゃなく、愛犬家であれば誰でも日常的に可能なことを語っているのです。 とありますが「恐怖症」の治療やその克服方法が上記のやり方で すべてうまくいくとは限りません。(多くは失敗して さらに恐怖感を植えつける危険性があります) 不特定多数の方が閲覧できる場において 安易に「オフリードの犬が、無意識にボランティア活動をしている」という発言は行き過ぎていると感じました。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-23 2:36
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
例の愛犬家グループにはペット産業に関係しているような常連が目立ったのですが、その中にハンドラーをやっている人がいました。その人までもがぼくのオフリード論に反対したから、非常に驚いたものです。英国リバプールに住むぼくの友人がハンドラーをしているのですが、彼女とは全く印象の違う人でした。しかし、きのう話したように、JKC公認の訓練士師範がイヌの社会性教育を無視した本を出版するのです。ハンドラーだってきっとJKCと関係するのでしょうから、あのようなハンドラーがいても不思議ではない国ニッポンなのかもしれません。
JKCによれば,ハンドラーとは、「ドッグショーで犬をリードし、より魅力的に魅せる人」ということになっています。しかし、どうもドッグショーの内容自体が、ニッポンと英国じゃ大違いのようです。おそらくニッポンでは英国でなら決してチャンピオンにならないような犬がチャンピオンになっているでしょう。いわばニッポンのドッグショーはチャンピオン犬を「生む機会」になっていると言ってもよいかもしれません。賞歴を望む販売業者には都合がいい仕組みになっているのだと思います。 それはともかく、そのハンドラーがなぜぼくのオフリード論に反対したのか。結局、プロでもない一般の愛犬家にはオフリードで犬をリードするのは無理だというのが、彼の考え方だったのでしょうね。しかし、ぼくの経験では、ニッポンのプロほど信用できないものはないと思っています。すでに取り上げたJKC公認訓練士師範もそうですが、東京広尾にある英国レトリーバーを扱うペットショップでは、今から10年ほど前には、暴力と呼べるような体罰式で犬を訓練していました(今もそうなのかは不明ですが)。英国では考えられないことです。このようなショップが英国国旗を飾っているのだから、アメリカ人とは違って国旗には無関心なイギリス人でも、これを知ったら頭に来るかもしれません。 あれ? 前置きが長くなってしまいました。プロのハンドラーの考え方に対するぼくの反論は次回にお話しすることにします。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-22 5:55
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
ジャパン・ケンネル・クラブ公認訓練士師範という肩書きを持つ近正吉(こん・まさきち)という人の書いた『子犬の飼い方・しつけ方』という本があります。これを古本屋で立ち読みして、その内容があまりにもイヌに必要な社会性教育を無視しているものだから、非常に驚き、こんなものを初心者が買ってはまた不幸な犬が増えると思い、仕方なくぼくが買ったのです。
その中に、子犬の散歩時に気をつけることとして、「散歩の途中でほかの犬と会ったときは、なるべく犬と接触させないようにします」と書いてありました。これだけでも、もし英国の専門家が見たら腰を抜かすでしょうが、そのあとに、「こちらに向かってくるスキをつくらないように,駆け足で通りすぎたほうが安全です」と書いてあったから、ぼくはあきれ果てるよりも前に、非常に腹が立ったものです。 こんなものをニッポンの飼い主はそのまま信用しているのでしょうか。その著者が訓練士師範ということは、こんなものを書いている専門家によって育てられた訓練士が、ニッポン全国で犬を訓練しているのでしょうか。なるほど、そういえば、ぼくの愛犬が近づくと、それを避けるかのように逃げてゆく飼い主が、X市には目立ちました。そのような飼い主の犬は、たいてい社会性に欠けていて、完璧なイヌ嫌いになっているものです。当然でしょうね。このニッポンという国は、犬同士を接触させないほうが「安全です」とすすめるような人間が、訓練士の教師をやってる国なんですから。 次回は、いつか話した愛犬家グループで出会ったハンドラーがぼくのオフリード論に反対したことに関して、ぼくの考えを語る予定でいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-21 15:23
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
いつもX市の話ばかりじゃ、東京は何も問題がないと思われても困るので、地元の公園でこんなことがあったという話をしたいと思います。
あれはぼくの愛犬が生後12ヶ月頃のことだったと思います。当時なんとなく流行しているかのように見えた英国ゴールデンの子犬を連れた男性が公園内に現れたのです。その犬はぼくの犬に関心を持って近づいてきました。やはり遊び好きなのでしょう。あちらの犬はリードをしていたので、本当ならぼくは遊ばせないのですが、その子犬にとって社会性教育のだいじな時期だと思ったので、愛犬を自由にさせました。すぐに喜んでじゃれ始めたのですが、それを見ていた飼い主は、 「あ、こんなによごれちゃった」と言ったのです。まるで迷惑そうな言い方でした。それでぼくはその子犬の教育を思って、こう言ったのです。 「ぼくの犬は、それくらいの年頃のときは、毎日もっと真っ黒けでしたよ」 実際、ぼくの犬は毎日、公園内で次から次へと多くの犬を相手に遊ぶものだから、英国ゴールデンの子犬特有の白い毛並みがいつも真っ黒で、たまにシャンプー直後のきれいな姿を見ると、みんなから「どうしちゃったの?」と言われたほどです。 なぜこんな話をしたかというと、大型犬の飼い主の中には、犬の見た目のカッコよさを主目的としているのじゃないかと疑ってしまいそうな人が目立つからです。あの飼い主にはその後再会することはなかったので、地元の人ではなかったのでしょう。東京で有名な公園で華麗なる「公園デビュー」をする予定だったのかもしれません。実際、その公園のランキングは、ある種の飼い主にとって、慶應幼稚舎クラスらしいですから。 イヌという動物は一般的に社交的で躍動的な動物です。特に大型犬は、かなりの運動量を必要とします。犬を育てようとする場合、そのような犬の個性を考慮し、ご自分の生活スタイルや社会環境がそれに適しているかを考えて、犬種を決めるべきなのです。ところが、特に大型犬の飼い主には、そのような覚悟が足りないような印象があります。よちよち歩きの小さい頃には想像もできなかった愛犬の馬力を見せつけられて、それをコントロールする方法を知らない飼い主たちは、こころのどこかで「こんなはずじゃなかった」と溜め息をついているかのようです。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-20 23:58
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登録日: 2006-7-21
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Re: ドッグランは本当に必要?
X市では、公園でこそ大型犬を見かけることは珍しかったのですが、自宅の外のおりに入れられている大型犬はけっこう多かったのです。たいていはゴールデンやラブラドールで、すでに成犬になっているものばかりでした。ぼくが愛犬とそばを通るだけで、激しく吠える犬が非常に目立ちました。一見して社会性のできていない大型犬が多かったのです。
社会性の身についていない犬は、大きさに関係なく危険なのですが、それでも小型犬であれば、リードで制御すれば何とかなるのかもしれません。ニッポンの飼い主の中にリード信仰とも呼べるような空気があるのは、それだけ社会性のできていない犬が目立つというのが大きな理由のように思います。しかし、大型犬の場合、社会性教育に失敗すると、リードによる制御だけでは不安になる保護者が多いことでしょう。その結果、散歩に出かけるのも苦痛になって、外につないだままにしたり、おりに閉じ込めたりするようになるのだと思います。また、流行遅れの車のように、捨てたりもする飼い主もいるのでしょう。 思えば、東京の地元の公園(有栖川公園)は、非常に環境に恵まれていたと思います。ぼくの愛犬の幼少時代、あの公園では毎日、多くの年上の犬たちとオフリードで遊ぶことができました。生後6ヶ月くらいまでの大型犬なら、中型犬くらいの成犬でも充分に遊び相手になります。小さい頃には自分のからだより大きかった年長さんたちと日々遊んでいるうちに、いつしか自分のからだの方が大きくなってしまうのが大型犬ですが、とにかく日常的に多くの遊び相手がいるという環境は、子犬の社会性教育には、本来、なくてはならない環境のはずなのです。 しかし、ぼくがネット愛犬家グループで確認した限り、あのような環境はむしろニッポンでは例外であって、X市のように、愛犬家の中にさえ大型犬との交際を嫌う人の目立つのがこの国の一般的な傾向のようです。このような現状のままでは、たとえドッグランが普及したとしても、そこで犬の社会性教育が適正に行なわれるとは思えないのです。やはり愛犬家自身の常識が変わって、オフリードによる社会性教育の基本的知識を身につけるのが、ドッグラン以前に必要なことじゃないでしょうか。 次回は、大型犬の飼い主の中に目立つ問題点について考える予定でいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-20 10:10
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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Re: ドッグランは本当に必要?
これもX市での経験です。その都市では公園内に犬が集まらない傾向が見られたのですが、小型犬の保護者が集まっている公園なら数カ所ありました。オフリードはダメと思っているような人でも、なぜか小型犬ならかまわないと許しているのでしょうか。そのような場所にぼくの愛犬がオフリードで近づくと、「大丈夫ですか?」と心配そうに質問する小型犬の保護者がいました。やはり他人の犬を信用していないわけです。それに、白昼堂々と公園内で大型犬をオフリードにしている人間の常識さえも信用していないのでしょうか。
さすがに何度も会っていれば、ぼくの愛犬を危険視するような愛犬家はいません。しかし、彼らを観察していたら、大型犬を嫌う(あるいは恐れる)傾向が見られたのは確かです。 その都市ではこんな経験もありました。オフリードのまま公園内で休んでいたら、オフリードの小型犬と散歩していた女性が近づいてきました。その人はぼくの犬の前にしゃがんで、「あなた大きいけれど、おとなしいわね」と言ったのです。ぼくとしては、このときの「大きいけれど」という表現自体を異様に感じたのですが、もっと驚いたのは、彼女の愛犬もぼくの犬に関心を示して近づいたときです。「ダメ! 咬まれるわよ!」と、その人は自分の愛犬を制したのです。ぼくは耳を疑いました。最初は、あちらの犬に攻撃性があって、ぼくの犬が咬まれるのかと思ったくらいですが、どうやら彼女はぼくの犬を信用していなかったようです。 X市というのは、愛犬家自身にそのような傾向が見られる都市でしたから、元気のいい大型犬の子犬との交際を極端に嫌う小型犬の飼い主が目立ちました。すでに述べたとおり、ぼくの犬のことは多くの愛犬家が認めてくれたのですが、そのような人の中にも、互いの犬同士が楽しそうに遊んでいるのを見て、「ケンカしているんですか?」と質問する人までいました。 ひとことで言えば、愛犬家自身が、あまりにも犬を知らなすぎるということです。そして、まるで世間のイヌ嫌いと同じような感覚で他人の犬(特に大型犬)を嫌っているということです。そのような愛犬家でも、よほど重症でない限りは、ぼくの犬は信用してくれたのです。しかし、彼らが作っている環境では、ぼくの愛犬のように安全な犬は育たないということを、彼らは知らないようでした。この話はとても重大なことなので、次回も考える予定でいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-19 12:45
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Quite a regular
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Re: ドッグランは本当に必要?
オフリードによる訓練の話は、もう少しあとに始めるつもりでいましたが、きょうは大型犬の「適正な飼養」について、ちょっとだけお話ししたいと思います。
ぼくの経験では、X市で見た大型犬のほぼすべてが、オフリードの訓練をしていないように見えました。大型犬は小型犬に比べて成犬になるまでの期間が長いのですが、からだの大きさだけは、生後6ヶ月にもなればかなり大きくなるわけで、その頃にはすでに世間から「でかい犬!」と見られるのです。その6ヶ月のあいだに、オフリードの基本ができていなくちゃならないのに、いま述べたように、ニッポンではそのようなだいじな学習が省略されている場合が多いようです。 オフリードの訓練で最初にすべきは、「ステイ」の練習です。つまり、指示された場所にひとりでじっと動かないでいる練習をするのです。その次に必要なのは、「カム」の学習です。呼ばれたら必ず保護者のそばに来る練習をするのです。このような基本が身につくと、やがてオフリードの状態で「ヒール」歩行ができるように訓練することになります。つまり、オフリードでも保護者の横にピッタリついて歩けるようにするわけです。 「ステイ」と「カム」の基本的な練習を繰り返しながら、その同じ時期に、オフリードの状態でほかの犬たちと遊ばせる必要があります。子犬のときにきょうだいと遊んでいれば、普通の公園でも何も問題なく遊ぶことができるでしょう。生後4ヶ月にもなれば、大型犬の体力はけっこうな馬力になります。彼らはほかの犬との遊びを通して、自分のからだの動きを制御することも学ぶのです。 ところが、このような経験をしないで大きくなった犬は、いつもリードで自由を奪われることによって、必要以上に大きな力で動こうとします。たとえば、イヌ好きの人に近づくときに、保護者がリードで愛犬の動きを強く制御するようなことをすれば、その犬は何かの拍子に思わず目標の相手に強くぶつかってしまうこともあるでしょう。 このように、オフリードの学習をしていない大型犬というのは、自分のからだをきちんと制御する方法を学んでいない傾向が見られます。中にはリードで自由を奪われながらも、保護者に絶対服従するように訓練された大型犬もいるでしょう。そのような犬は、一見、「お利口さん」に見えるかもしれません。しかし、ほかの犬とオフリードで遊ぶ経験をしていなければ、本来イヌの成長に必要とされる社会性に欠けている可能性は高いと思います。ぼくの経験では、年齢がまだ若い犬でも、好奇心が足りないというか、若さに欠けるように見えることが多いのです。 次回、大型犬と小型犬の保護者同士の関係について語る予定でいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-18 21:43
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Quite a regular
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Re: ドッグランは本当に必要?
ミックさん
まず質問(1)ですが、ぼくの主張は、ニッポンの犬たちの幸福のためには、愛犬家の意識が変わるべきであり、正しい教育上の知識を持つべきだということです。そのような愛犬家が普通になれば、結果としてイヌ嫌いも減るだろうということであって、多くの人にイヌを理解してもらうなんてことが始めから目的になっているのじゃありません。あくまでも、犬の幸福がぼくの目的です。 質問(2)ですが、近いうちにオフリードによるイヌの社会的教育の話をする予定でいます。それを読んでいただければ、オフリードの学習をしない場合の問題点を理解してもらえるだろうと期待しています。 質問(3)についてはすでに答えたつもりです。特に、「ぼくのオフリード論は、そのような無責任な飼い主や不幸な犬を減らすためにも必要なこと」というのが、今までの話でまったく理解できないとすれば、最後まで理解してもらえないのかもしれません。 >私は 現在AAA(動物介在活動)のお手伝いや AAE(動物介在 >教育)の勉強をしていますが BadBlokeさんもすでにこのよう >な活動を実際にされていたり、知識としてお持ちの方なので >しょうか? その種の活動も学術的知識もありません。イヌという動物は、ぼくが主張するような社会的教育を受けていれば、ごく普通の公園などで、ごく普通の人々(イヌ恐怖症の人も含む)との交流の中で、すばらしい働きをしてくれます。それでも犬たちはボランティア活動をしているつもりはないのです。ぼくの話は特殊なことをテーマにしているのじゃなく、愛犬家であれば誰でも日常的に可能なことを語っているのです。 以上で答えになったかどうか分かりませんが、今回は、もうこれで日本語圏でオフリード論を語るのは最後にする覚悟でやっていまして、とにかく区切りのいいところまで語り尽くす予定でいます。そのあとで、質問等を受け付けるつもりでいたのです。そうしないと、過去の経験上、日本人とこのテーマで建設的な議論をすることは不可能だと思うからです。 |
投稿者 | スレッド |
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ミック |
投稿日時: 2007-5-18 20:08
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Just can't stay away
登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん お返事ありがとうございます。
きっとBadBlokeさんは皆さんにお話したい事が沢山あるんだと思います。 でも先を急がず フォーラムに参加している皆さんのご質問(私も含む)にも答えながら 進行していただけたらと思いますので よろしくお願いします。 まず、私から失礼します。 先日の分からですが 1.まず BadBlokeさん にお聞きしたい事は「今お住まいの地域(国という広いくくりでもよいですが)の環境を改善したいと言う事」なのか「犬という動物そのものを多くの方に理解して欲しいのか?」と言う事なのです。(そのどちらでも また、そのどちらでもなくてもよいのですが・・・) 2.オフリードで教育しなかった場合 本来の犬らしく育たない事を科学的にご説明いただけると皆様のご理解がいただけると思うのですが いかがでしょうか 3.臨界的社会化期に 適切な社会化がされずに育った犬や、捨て犬・保護犬を「系統的脱感作」により社会化及び恐怖を弱化するためのトレーニングをしていて「あまりオフ・リードの犬とは接触したくない場合」においても >イヌの社会性の基本はイヌ同士の遊びを通して身につくのです。オフリードを認めないで、どうしてそのような遊びが可能でしょうか。 とお考えになりますか?また、そのような犬の飼い主(犬)をどの様に思いますか 3.ついては半分 お答えをいただいいたと感じましたが、新たな疑問もありましたので 再度お聞きします。 >ぼくのオフリード論は、そのような無責任な飼い主や不幸な犬を減らすためにも必要なことだと信じて語っているつもりです。 というのはどのような理由からなのでしょうか?具体的に オフリード=無責任な飼い主や不幸な犬を減らすためにも必要なこと と言われることが私は わかりませんでした。 先日も書きましたが、折角なのですべてお話を聞いてから、私の意見を述べさせていただこうと思っていました・・・が本日の投稿で 事によっては訂正していただきたいことがありまして レスをつけました。 >ぼくが強調するようなオフリードによる社会的教育を実践する保護者が増えていけば、ぼくが実際に経験したように、イヌ恐怖症気味の子供でさえも正しくイヌを知るチャンスが増えるはずです。だいたいイヌ恐怖症の人というのは、犬がリードから放れたらどうしようと思って恐れるのです。大きい犬であればあるほど、襲われたら大変だと思ってこわがるのです。全部、ただ頭の中で恐れているだけなのです。ところが、リードをしていなくても大丈夫そうな犬を、現実として日常的に見ていれば、イヌ観がまったく変わってしまうのです。これはぼくが頭の中で想像したことじゃなくて、実際に体験を通して知った事実です。 私は 現在AAA(動物介在活動)のお手伝いや AAE(動物介在教育)の勉強をしていますが BadBlokeさんもすでにこのような活動を実際にされていたり、知識としてお持ちの方なのでしょうか? また 先ほどの3・の質問にも通じることですが、このような方法が「イヌ恐怖症の人」の系統的脱感作法による治療として有効でしょうか?(この質問を4.とします) 本日の投稿に(つづく)とありましたので お時間のあるときで結構ですが、以上4点お答えいただけるとうれしいのですが、 よろしくお願いします。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-18 14:09
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
オフリードはダメというのを絶対的な規則にすると、犬の保護者はみな画一的にリードで愛犬をつないで散歩しなきゃならなくなります。ぼくはオフリードによる社会的な教育を主張しているわけですが、そのような考え方は「非常識」とみなされてしまうでしょう。その結果、どのようなことになるか?
日本人には世間を意識する人が多そうなので、ぼくのような悪いヤツはますます少数派になってしまい、悪いヤツが寅さんみたいにニッポン中を徘徊しない限り、きのう話したような子供たちは、犬とのふれあいが不可能になってしまうでしょうね。つながれた犬しか見たことのない人たちは、いよいよ犬を危険な動物とみなすようになって、もしリードから放されたら襲われてしまうと思う人が増えるでしょう。すでにニッポンには、その傾向があります。 一方、ぼくが強調するようなオフリードによる社会的教育を実践する保護者が増えていけば、ぼくが実際に経験したように、イヌ恐怖症気味の子供でさえも正しくイヌを知るチャンスが増えるはずです。だいたいイヌ恐怖症の人というのは、犬がリードから放れたらどうしようと思って恐れるのです。大きい犬であればあるほど、襲われたら大変だと思ってこわがるのです。全部、ただ頭の中で恐れているだけなのです。ところが、リードをしていなくても大丈夫そうな犬を、現実として日常的に見ていれば、イヌ観がまったく変わってしまうのです。これはぼくが頭の中で想像したことじゃなくて、実際に体験を通して知った事実です。 オフリードによる社会的教育が常識のようになれば、愛犬と散歩することを楽しいと思う保護者も増えるでしょう。現状では、特に大型犬の飼い主の中には、リードという物理的手段によってなんとか犬を制御していながらも、精神と肉体のエネルギーを使い果たしているかのように見える人が目立ちます。 そのような飼い主の中には、犬との生活を苦痛にさえ感じている人もいるのじゃないでしょうか。そのような人はやがて散歩もしなくなり、飼い犬を家の外につないだままにしたり、狭いおりに閉じ込めたりするようになってしまうのでしょう。実際、X市には、そのような大型犬が非常に目立ちました。役所で調べたら、捨て犬の頭数も東京よりずっと多かったのです。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-17 21:08
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
ニッポンの愛犬家がオフリードを否定するとすれば、日本人は子供のときから、イヌという動物はつながれているものだという常識を持つことになるでしょう。実際、すでにこの国の現状はそうらしいです。X市の公園で出会った子供たちの中には、ぼくの愛犬を見て、「なぜ逃げていかないの?」と質問する子までいましたから。
そのように、ぼくには何かとカルチャーショックを覚える環境でしたが、はじめはややこわがっていたような子供たちも、いつしかぼくの愛犬を友だちのように見てくれて、散歩の時間がいつもより遅れると、集団で家まで迎えに来ることもありました。こないだ話した通報魔事件のときも、公園で毎日遊んでいる子供たちは、ぼくの味方でした。実際、子供たちの中には、パトカーの姿を見つけると、「あたしは味方だからね」と言って、ぼくを励ましてくれる子もいました。 そのX市の別の公園でもこんなことがありました。オフリードで散歩していたら、6人くらいの小さな男の子たちが集まってきました。まだ小学1年生くらいだったと思います。その子たちはみなぼくの犬がリードをしていないことを不思議には思っていないようでしたし、だれもこわがっている様子はないどころか、すごく気に入ったみたいで、なかなか離れようとしなかったのです。いろんなことを話したのでしたが、その中のひとりの子がこう言いました。 「うちはアパートだから、犬を飼えないの。でも、おとなになったら飼うんだ」 ぼくはほかに用事があったのですが、あまりにもあの子たちが楽しそうにぼくの愛犬のそばにいるものだから、予定よりかなり長くその場に留まりました。X市の公園では、むしろこのような経験の方が非常に多かったのです。子供たちのいる公園には絶対に入ってこない飼い主の目立つX市で、ぼくも彼らの真似をしていたら、あのように多くの子供たちとの出会いはなかったでしょう。子供たちはちゃんと見ています。リードをしていなくても、それが当然であるかのように散歩のできる犬が、どれほど彼らの愛すべき友だちになれるのかを。 ぼくの経験では、犬のことで苦情を言うような人は、イヌ恐怖症の人ではなく、あの通報魔と同じようなタイプの人間です。ぼくの愛犬が出会った多くの老若男女は、彼らとはまったく違うタイプであって、ぼくの愛犬を見て笑みを浮かべる人々でした。彼らはみな警察だとか市役所だとかに、ぼくの愛犬に出会えた喜びを通報することはなかったでしょう。(つづく) |
丸山 |
投稿日時: 2007-5-17 11:24
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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Re: ドッグランは本当に必要?
あわてもので、誤字が多いですね、私は昔から国語が苦手で、作文で1行書くのがやっとでした。
私は、犬連れ登山絶対反対派メールをある方から、頂きました その一部紹介します。無断借用かもしれませんが、私のメールの内容も >いずれ私のサイトで公開させていただきます とありましたから双方納得と言う事で、大丈夫だと思います。 実名は武士の情けで伏せてくれるそうです。 私としては実名を出されても一向にかまわなし、 もちろん公開した文章に私のHPリンクされてもです ****************************************************** 長文であれぱ読まない、あるいは読まなくていいというのは、自分勝手な屁理屈です。 長文とおっしゃいますが、数分で全部読めますよ。 丸山さんのおっしゃっていることは「私の意見は聞きなさい。 でも私はあなたの意見を聞きません」というのと同じことです。 私に自分の意見を聞いてほしければ、 あなたも私の意見を聞かなければならない。 それが世の中のマナーです。それに私の意見を読みもしないで、 どうして平行線の議論になるとわかるのでしょうか。 読んだ上で「平行線の議論になりそうだから、こ れ以上は耳を傾けたくない」っていうのなら理解できますけどね。 ***************************************************** 何か、とても殺伐した文章で、お互い理解し合えるとは思えません、 実はこの様メールは始めてなのです。 殆どの方はこの様な内容の文章ではありません、 オフリードもそうですが、大事なのは、この殆どの方に、迷惑をかけない、 あるいは「 犬連れは、」と思われない事がとても大事だと思います。 我が家の花子は何も訓練していません、マテもダラダラ、伏せもシブシブ、 そう言う意味でコントロール不能です。しかし自慢になりますが、 何でか一般の方からするととても賢そうに見えるのです。 私は、相棒である花子と共に、一般の人の中でカッコ良くないといけないと思います。 それは、旅行では、ゴミをポイすてしない、糞を始末する、は当たり前ですが、 もっと大事な事として、他人に迷惑をかけない、ではないかと思います。その気持ちが、 花子が賢そうに見せている気がします。 私は犬と都会で暮らしはわかりませんが、石川で暮らすより窮屈かもしれません、 石川にもドックランはあります。開設しても客がくるのは、珍しい期間、 つまりほんの数ヶ月だと思います。もし都会でドックランが繁盛するなら田舎と違い、 それが必要だからでしょう、 もし都会で愛犬と窮屈な生活をしているとしても、それは人間が感じている事だけかも知れません、 私がオフリードしたいなら、ドックランを利用する事にします、 でもやはり自然で遊ぶ事に重点をおくかも知れません、 ですから都会であっても自然に出会うため、ちょっと無理をしてでも車を保有すると思います。 犬連れ登山で言うなら愛犬と国立公園、でもその実は、国立公園に行きたいのは人間であって、 犬の立場からすると、知らない山を歩くだけで満足なのだと思います。 しかし人間もある程度景色を楽しみたいですから、そこそこの山に やはり都会であっても犬連れ登山同様、オンリード、オフリードで、 強い束縛は受けない気がします。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-5-16 19:24
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Quite a regular
登録日: 2006-5-30
居住地: 石川県
投稿: 60
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ノーリード
テーマにノーリードとドッグランとありますが
ノーリード解禁を議論するなら、無理かも知れません、 もし仮に法律で、リードにつなぐ事云々で、多くの犬飼いがノーリードにした場合 対抗処置として、法律を全て見直し、いかなる場所、いかなる状況においても全てのノ−リード禁止となり、それを守らす為高額の罰則金を義務付けたとします。 一瞬リードから外れても即、高額の罰金、それこそ昔の憲兵みたいなもので、民主主義から反する気がします。 出来ないかも知れません ノーリードを主張するのに、法律を引用し、その法律の中に必ずしもリードでつながなくても良い、とした内容を盾に、いかなる場所でも「 私はコントロールが出来るからオフリードにします。 」は、その人の我を通すだけにすぎない気がします。 昔、二人と一匹九州で九州旅行をしたときです。高速下り線、壇ノ浦パーキングエリアで、柴犬をより少し小さい犬が、年配の男性が後をノーリードでついてついて行くのです。 パーキングエリアは結構人出が多かったと思います 当然コントロールは出来ています。噛み付く事も無いでしょう、がしかし、私が感じたのは、この年配の男性、「 どうだすごいだろう 」なんて思って得意げに連れて歩いているのかな、そう感じました。いい大人がちょっと恥ずかしい行為だと思いました。 私は法律を引用し、その法律の中に必ずしもリードでつながなくても良いと解釈出来るとしても、それを盾に 自分の大事な相棒を、人ごみ、あるいは公園で、リードで繋ががないのは、良くないと思います。 リードで繋がる事は人間であれば手をつなぐ事と同じ気がします。公園あるいは人ごみで、自分の恋人や子供を守る為、手をつなぐ事は当たり前の様気がします。 ところで、「 犬連れ登山絶対反対、例え低山でも駄目 」 それに延々と悪い理由を書き並べるのです。 それと同じ性格の人が、犬連れ登山をしているとすれば 「 犬連れで高山に登らせろ、犬は絶対自然と共存できる。」これまた。延々と良い理由を並べる事になると思います。この両極端な意見、もし意見を戦わせてれば、私からすると、とても文章的見苦しく、あまり読む気にはなりません、読んで「 いやだな 」そう思います。 ノーリードはこれに似ていると私は思います。良識ある登山家の人が、「 別にそれほど害のあると処に登っている訳でも無いし、良いんじゃないの 」 ノーリードはこの「別にそれほど害ある訳でも無いし、良いんじゃないの」のレベルだと思います。 私は、良識ある登山家の人に理解してもらうのは、「 花子は登山道を外れない 」、だから何処でも登らせろでは無い気がします。 大事なのは良識ある登山家の人に迷惑はかけない、そう言う気持ちだと思います。 法律の中に必ずしもリードでつながなくても良いと解釈出来るなら、ノーリ−ドで、遊べる処が沢山あると思います。 一般的に犬と人間、公園で危害を与える確立は犬かも知れません、人間の子供が犬を噛む確立0%、しかし犬は人間の子供噛む確立、0%とは言えません ノーリードに法律を持ち出さなくても、良識の中で行動し、壇ノ浦パーキングエリアの、年配の男性の様に、いい大人が、恥ずかしい行動をしない事が大事だと、私は思います。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-16 5:55
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
英国への亡命の話をしましたが、ぼく個人の問題なら、すでにお気づきのように、警察に通報されようが何をされようが、ぼくは正しいと信ずる道を進みますから、ニッポンの現状でもなんとかなるのです。ぼくは今の愛犬に出会う前に、たまたま赤坂の小さな洋書店で見つけた子犬の教育書(すでに紹介した The Perfect Puppy)を読んでいました。実は、これを読んで、子犬を育てたいと思ったのです。ぼくは幼少の頃から、いちばん最初のジャーマン・シェパードだけは例外でしたが、捨てられたり、もらい手のない犬ばかりと一緒に育っていました。あの本を読んで、英国犬を子犬のときから育ててみたいと思ったのです。
そういうわけで、今の愛犬は英国ゴールデンになったわけですが、彼を教育するにあたって、ぼくは東京に住みながら、ロンドンで暮らしているつもりで子育てに励んだのです。だから、オフリードの訓練から始めたのは当然で、実際、あの教育書には、リードのことなどほとんど書いてありませんでした。ニッポンでよく見かけるような、「イヌ嫌いの人を配慮して」などということは全く書いてなかったのです。マナーなどというものは、個人の責任の問題であって、「廊下を走らないように」などという規則は、社会的に自立した大人に向かって注意するようなことじゃないはずです。 今にして思うと、東京でも西洋的な文化の雰囲気のある地域で子犬を育てることができたから、なんとか英国式の教育ができたのだと思います。地元の有栖川公園には、オフリードで遊ぶことのできる大型犬がたくさんいました。中には咬み加減を知らないような子もいて、幼いぼくの愛犬は、ちょっと大きいお兄ちゃんから痛い思いをさせられるようなこともありましたが、ぼくは決して神経質には育てなかったのです。そのような体験もきっと彼のためになると信じていましたから。 しかし、例のX市ですが、もし子犬の頃からあの都市に住んだとすれば、まずまちがいなく、英国式子育ては不可能だったでしょう。「犬を公園に入れるな」と威張っている攻撃的イヌ嫌いが目立ち、それになんら抵抗しようとしない飼い主たちは、いつもリードをしたままお決まりの道を歩いているだけで、公園内でオフリードにしてイヌ同士を遊ばせようという考えはないようでした。このような環境じゃ、たとえ英国式に育てたいと願っても、絶対に無理ですね。ぼくの愛犬にしても、子犬の頃からX市で暮らしていたとすれば、かなりちがう成犬になっていたでしょう。 ぼくが例のネット愛犬家グループに参加したのは、X市の現実は例外的なのか、それともニッポンでは一般的なのかということを確かめたかったからです。どうやらあれがニッポンでは一般的な現実だと知って、ぼくは愕然としたわけです。何よりも驚いたのは、プロっぽい愛犬家の考え方が、まったく英国式を否定するようなものであったことです。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-15 22:31
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
ミックさん
>また BadBlokeさんは「犬の臨界的社会化期」についても >お話されていますが、以前 私がこのフォーラムに書いた事 >なのですが、臨界的社会化期に 適切な社会化がされずに >育った犬や、捨て犬・保護犬を「系統的脱感作」により社会化 >及び恐怖を弱化するためのトレーニングをしていて「あまり >オフ・リードの犬とは接触したくない場合」においても > >>イヌの社会性の基本はイヌ同士の遊びを通して身につくのです。 >>オフリードを認めないで、どうしてそのような遊びが可能で >>しょか。 > >とお考えになりますか?また、そのような犬の飼い主(犬)を >どの様に思いますか? > 今回のぼくの話は、あくまでも子犬から育てる場合の話です。無責任な飼い主に捨てられた犬の多くは、社会性に問題のある場合が多いのでしょう。それはまた別の問題です。ぼくのオフリード論は、そのような無責任な飼い主や不幸な犬を減らすためにも必要なことだと信じて語っているつもりです。 すでに社会性に問題のある成犬を育てる場合、最初から諦めていては、問題行動はなおらないでしょう。ぼくの経験では、他の犬には攻撃的になる犬でも、ぼくの犬に対しては大丈夫というのをたくさん見てきました。やはりしっかりした社会性を持った犬との交流が効果的なのだと思います。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-15 22:07
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
ジャckさん
>BadBlokeさんが「オフリードで教育してこそ本来のイヌらしく育つと信じる」ことについては意見はありません。 >多分、その方が犬らしく育つだろうと思いますしね。 >ただ、この話しの結論はどういう風になるのか、具体的にはどんなことを考えているのか、その辺が全く見えません。 >もしかしたら、個人的な体験談と思想だけで終っちゃうのかも知れませんが……。 ぼくが個人的な体験談を語るのは、日本人に向かってオフリードをテーマに語るとき、多くの人には具体的な経験がないと思うからです。ぼくの結論は、最後までシッカリ読んでいただければ、分かる人には分かっていただけるんじゃなかろうかと期待はしています。 |
ミック |
投稿日時: 2007-5-15 22:02
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Just can't stay away
登録日: 2005-10-18
居住地: 神奈川県
投稿: 105
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん MaxHollyさん こんばんは
MaxHollyさんの >日本の現状がよく分かっていないので、私は想像でものを言いたくありません。ですからもっと日本在住の方々のご意見を聞きたかったのです。 を受け 日本在住と言うより日本で生まれ、今までずっと日本に暮らし、これからも生涯にわたり 日本に住み続けると思われる 私の意見を書かせていただきます。 まず BadBlokeさん にお聞きしたい事は「今お住まいの地域(国という広いくくりでもよいですが)の環境を改善したいと言う事」なのか「犬という動物そのものを多くの方に理解して欲しいのか?」と言う事なのです。(そのどちらでも また、そのどちらでもなくてもよいのですが・・・) 私もMaxHollyさん と同様に >折角なのですべてお話を聞いてから、私の意見を述べさせていただこうと思っていました。 今までにBadBlokeさんの問題提起 そしてX市におけるエピソードを お話しいただきました。 所謂「起承転結」で言う所の「起」「承」です。 この順序で行くと これから先は BadBlokeさんの理論の反証つまり >ぼくがオフリード論を語るとき、イヌという動物は、オフリードで教育してこそ本来のイヌらしく育つと信じるからです。それは動物行動学者の書いた専門書を読んで科学的に理解できたことですし、実際にオフリードで犬を教育した経験から、確信していると言ってもいいことです オフリードで教育しなかった場合 本来の犬らしく育たない事を科学的にご説明いただけると皆様のご理解がいただけると思うのですが いかがでしょうか? 私の個人的意見ですが オフ・リードでも問題なく歩けるのであれば リード付きでも問題なく歩けるでしょうから「付ける・付けない」という事自体こだわる事もないと思います。 また BadBlokeさんは「犬の臨界的社会化期」についてもお話されていますが、以前 私がこのフォーラムに書いた事なのですが、臨界的社会化期に 適切な社会化がされずに育った犬や、捨て犬・保護犬を「系統的脱感作」により社会化及び恐怖を弱化するためのトレーニングをしていて「あまりオフ・リードの犬とは接触したくない場合」においても >イヌの社会性の基本はイヌ同士の遊びを通して身につくのです。オフリードを認めないで、どうしてそのような遊びが可能でしょうか。 とお考えになりますか?また、そのような犬の飼い主(犬)をどの様に思いますか? |
ジャck |
投稿日時: 2007-5-15 21:44
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-24
居住地: 神戸市
投稿: 144
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Re: ドッグランは本当に必要?
皆さん、こんばんは。
どうも、MaxHollyNoahのママさん、ご無沙汰してます。 前に「日本の方の意見を……」とあったときにレスをしようと思ったんですが、タイミングを逃してしまいました。 その後も丸山さんのレスやBadBlokeさんの話しを読んでいましたが、レスはタイミングが計れず……。 で、日本を代表するつもりはありませんが、個人的な意見として少しだけ……。 と、言ったものの、実はドッグランを利用したことが一度もないんですよ。 ですから、ドッグランが必要(必ず要るか)という根拠はわからないけど、あってもいいとは思います。 ドッグランではありませんが、近所の公園に似たような環境はありました。<それで、ここに引っ越してきました。 それはドッグランというものではなく、公共の公園内にフェンスで囲まれたスペースがあり、扉を閉めて犬を放してもいいよというものです。 近頃は、少年野球などにずっと使われているので、深夜ぐらいにしか利用できませんが……。 個人的には、オフリードはその飼い主の自己責任でいいだろうと思っています。 ただ、だからと言って、どこでもオフリードが認められるべきだとまでは思ったことがありません。 そう思ったことがないだけで、認めない方がいいと考えているわけじゃありませんよ。 現状を考えると、直ぐに認めるのは難しいだろうと思う程度です。 また、動物愛護法や地域の条例などについては、BadBlokeさんの言われるように解釈次第の面もあると思いますが、一般の認識としてはオフリードはいけないことになっていると思っていますしね。 ですから一般的な意見で言えば、現状ではMaxHollyNoahのママさんの言われている通りだろうと思います。 どうも、BadBlokeさん。 BadBlokeさんが「オフリードで教育してこそ本来のイヌらしく育つと信じる」ことについては意見はありません。 多分、その方が犬らしく育つだろうと思いますしね。 ただ、この話しの結論はどういう風になるのか、具体的にはどんなことを考えているのか、その辺が全く見えません。 もしかしたら、個人的な体験談と思想だけで終っちゃうのかも知れませんが……。 |
投稿者 | スレッド |
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BadBloke |
投稿日時: 2007-5-15 19:09
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
盲導犬というのは、第一次世界大戦で負傷して眼が不自由になった兵士のために、ドイツ人が普及させたものらしいです。だから当時の盲導犬はジャーマン・シェパードだったそうです。ラブラドールでさえこわがる人の多いニッポンじゃ、シェパードなんてのは盲導犬としてお呼びじゃないってなことになるのでしょうか。
それはともかく、なぜドイツ人は盲導犬というものを考えついたのでしょう。ネコでもブタでもウマでもなく、イヌという動物をそのように利用しようと思ったのでしょうか。やはり彼らはイヌという動物を知っていたからだと思うんです。イヌならきっと眼の不自由な人のよきパートナーになれると信じていたのでしょう。 ぼくがオフリード論を語るとき、イヌという動物は、オフリードで教育してこそ本来のイヌらしく育つと信じるからです。それは動物行動学者の書いた専門書を読んで科学的に理解できたことですし、実際にオフリードで犬を教育した経験から、確信していると言ってもいいことです。イヌの社会性の基本はイヌ同士の遊びを通して身につくのです。オフリードを認めないで、どうしてそのような遊びが可能でしょうか。 ニッポン人の愛犬家の中でオフリードに反対する人の意見を見ると、まるでイヌの社会的教育の基本を否定しているかのように思えてしまいます。現実として、ニッポンには無料で利用できる公共のドッグランが普及していないのですから。 このような現実があるのに、オフリードはダメだと決めつけてしまったなら、ぼくのような教育観をもつ犬の保護者は、それこそ英国に亡命するしかなくなるんじゃないですか。ぼくは何もニッポンの愛犬家に向かって、きょうから全員でオフリードにしましょうなんて言ってるのじゃないのです。イヌの社会性の教育にはオフリードが必要だと言ってるのです。イヌの可能性を信じなければ盲導犬が生まれなかったように、オフリードによる教育を信じなければ、イヌは人間の奴隷のように一生つながれたまま短い生涯を終えるしかなくなるでしょう。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-15 15:27
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
「イヌ嫌いの人もいるのだからオフリードはよくない」という意見は、日本語圏のネット世界では非常によく見かけます。いつ見ても同じ論調のようです。彼らにとっては、イヌの社会的な教育のことよりも、世間の眼から見て「模範的な飼い主」に見られることが、そんなに重要なことなのでしょうか。
オフリードを否定するからには、彼らはオフリードで愛犬と散歩した経験がないのでしょう。おそらくオフリードでイヌを制御することもできない人たちのはずです。頭の中だけで否定的なことを考えているにすぎないのだと思います。ぼくにはニッポンの地方都市でも5年間、公園では必ずオフリードで通した経験があります。その経験からハッキリ言えることは、「世間」というのは、子供から老人まで、そんなにバカじゃないということです。飼い主よりもその犬をちゃんと見ている人の方が圧倒的に多いのです。 ぼくの愛犬を見て悲鳴をあげた人が、過去11年間にふたりだけいました。ふたりともあのX市の繁華街で出会った人たちです。そのどちらの場合も、ぼくの愛犬は長さ30センチのリードをして静かにぼくの横を歩いていただけでした。彼女たちの絶叫を聞いても愛犬は平気だったようですが、音には敏感なぼくは非常にビックリしたのです。もし世間に<迷惑>というものがあるとすれば、このような絶叫こそが迷惑だと、ぼくなら主張するでしょうね。 どんなにおとなしい犬であろうが、このようにこわがる人がいる。それはどうやら本当のようです。しかし、公園でオフリードの状態にしているときではなく、短いリードをして静かに歩いているだけで「キャー!!」と叫ぶような人がいるということを理由に、やっぱり犬をオフリードにすべきじゃないと主張するとすれば、それは全くスジの通らない話になるのじゃないですか。強引にスジを通そうとすれば、リードをしてさえも散歩すべきではないという意見も認めなきゃならなくなるでしょう。つまり、どこまでもイヌへの差別を認めるしかなくなるのです。(つづく) |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-15 14:41
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさんの投稿はすべて読ませていただきました。毎回書かれる度に、反論したいことがありましたが、折角なのですべてお話を聞いてから、私の意見を述べさせていただこうと思っていました。しかし、内容があまりにも多岐にわたってきたために、焦点を失ってしまいそうなので、この辺で一旦区切りをつけたいと思います。
さて、二十数通にもおよぶこれまでの投稿を通して、BadBlokeさんの皆さんに発信したいメッセージは何なのだろうと考えました。下記がその概要だと理解しましたが、いかがでしょうか。 • 日本の飼い主および飼い犬には、人嫌い、犬嫌いが多い。 • 日本人は自分の犬のことしか考えていない。 • 日本の犬達はオフリードによる社会性教育および訓練を受けていない。 • 従ってオフリードの本当に意味を理解していない。 • 法律でオフリードを取り締まっているため、たとえコントロールが完全に効く犬でもオフリードでいると罪人扱いする。 • 日本もイギリスを見習って、オフリードを解禁すべきである。 • アメリカ発祥のドッグランは犬嫌いを益々増やす懸念がある。 これらのことを、ご自分のX市における経験談や、刑法・動物愛護法などを引用して実証されようとなさったわけですね。 確かにすべての犬がオフリードでも完全にコントロールできるように躾けられていて、オフリードで人も犬も安心して暮らせたら最高でしょうね。でもそれはユートピアのようなもので、現実は犬の躾けすらできていない飼い主も大勢いるわけですよね。 またイギリスの例を沢山挙げて日本と比較されていますが、日本と外国とを比較することはあまり意味のないことだと思います。もちろん諸外国に見習うべき点は多々あると思いますが、Apple to Apple Comparisonではないので単純に是非を決めることはできません。 BadBlokeさんはLocalizationという言葉をご存知ですよね。マクドナルドもコカコーラも(すみません、どちらもアメリカから輸入されたものですが)日本の市場で受け入れられるためには、日本の消費者に合わせて調整をしています。例えばエビクリームコロッケバーガーとかいうのは本国アメリカにはありませんし、コカコーラの甘味も日本のはアメリカほど強くありません。 それぞれの国に、違った歴史があり、様々な文化と環境がすでに出来上がっているのです。ですから、日本の犬を取り巻く環境を考えた場合、イギリスで通用していることがすぐさま日本でも受け入れられるわけではありません。 日本の現状がよく分かっていないので、私は想像でものを言いたくありません。ですからもっと日本在住の方々のご意見を聞きたかったのです。私はアメリカにおける犬関係の話題、特にトレーニングとレスキューについてを時々報告させていただいていますが、それはあくまでも参考までで、日本でも同じようにすべきとは考えていません。これから日本の方々と一緒に考えていきたいと思っているのです。 さらに私はオフリードを解禁することが日本における問題の解決になるとも思っていません。法律や規則は、大多数の人間を守るために作られていると思います。自分は大丈夫といっても、違法は違法ではないでしょうか。例えば、私は事故など起こさないからシートベルトは着用しないと言っても、見つかれば違法行為です。自分の命だから勝手でしょうという議論は通用しません。BadBlokeさんは大変な愛犬家のようですから、大勢の犬の命を危険にさらすことには反対でしょう。すべての犬種にあなたの犬と同レベルのコントロールを期待することは不可能だということを分かってください。そしてすべての飼い主にあなたと同レベルの躾けを期待することも無理なのです。 アメリカではそのためにドッグランが存在します。仔犬の社会化トレーニングや、成犬達の自由に遊んで走り回れる場、飼い主達の社交場として、地方自治体が税金と寄付金でまかなっています。 今の日本の現状を考えて、どのようなドッグランが最もふさわしいか、そのルールはどのように決めたらいいのかなどを、話し合えたらいいなと思っています。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-15 8:14
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
いつか東京の有栖川公園の話をしましたが、ここにはオフリードの犬がたくさん集まっています。しかし、動物愛護法のいう「犬を制御できる者」と認定できるような保護者は、ここだけの話、それほど多くはないんです。たとえば、ほかの犬と遊んでいるうちにからだが熱くなったのか、自主的に噴水のある池に向かい、その中にジャブンと入ってしまうラブラドールなんてのがいるわけですね。でも、ぼく自身はこの程度のことなら許容できるんです。なぜかというと、あの公園で犬をオフリードにしている地元住民は、イヌ嫌いでもヒト嫌いでもなく、彼らの愛犬もまた同じようなのが多いからです。
イヌを「適正に」育てるということは、消極的な言い方をすれば、イヌ嫌い・ヒト嫌いにしないということだと思います。ところが、ニッポンの現状はどうでしょうか。これも例のX市の経験ですが、いつもリードで散歩している飼い主の犬の中には、通りですれ違っただけで、ぼくの犬に向かって「鬼畜米英」の勢いで吠えたり、公園で遊んでいる子供たちに向かって、まるであの通報魔のように、「ガキども、うるせえぞ!」と怒鳴っているような犬が目立ったのです。こんな環境で育てば、イヌもヒトも、イヌ嫌いになるにちがいないと思ったものです。 そのように社会性のない犬が目立つ社会では、しょせん犬は動物だから信用できないという常識が育ってしまうのでしょう。実際、どう見てもぼくの犬をこわがってはいない犬好きの人の中に、「でもやっぱり犬ですからね」と、犬への不信感を表す人がX市には少なくなかったのです。そのような人なら、ぼくの愛犬のように11年間、どこの公園でもいつもオフリードで散歩し、多くのヒトやイヌと出会った経験の中で、一度たりとも危険な行動をとらなかった犬であっても、「イヌをこわがる人がいるから」という理由で、オフリードに反対するのでしょう。 このテーマは、今回の投稿の中でも特に重要なテーマなので、まだしばらく考えてみたいと思います。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-14 22:33
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
法律の話がつづいて、そろそろウンザリという方もいらっしゃるでしょうか。実は,ぼく自身、あまり法律の話は好きじゃないんです。今回このフォーラムに再登場するにあたり、最初の投稿で、litigious(なんでも法律沙汰にしてしまう)という英語の話をしました。日本人の場合、アメリカ人とは違って、なんでもすぐ裁判に訴えるというようなことはしないと思うのですが、しかし、規則だとか法律だとかに必要以上に管理されるのを好む傾向があるような気がするのです。
法律の話は好きじゃないと言っても、動物という弱者を守るためには、法律が必要になります。人間の歴史を振り返っても、法律によって弱者が虐待された長い歴史があったわけですが、近代法の精神は、何よりも弱者の権利を守ることを目的とするようになったのです。ところが、そのような人権を市民自らの努力によって勝ち取った歴史を持たないニッポンのような国では、ともすれば法律というものを、オカミの命令のように見る傾向があるようです。封建社会で権力に支配された民衆のように。 そのような国民性によって、犬のリードの問題が必要以上に神経質に扱われることがあるようです。そのために、イヌという動物を適正に育てている愛犬家がむしろ悪いヤツにみなされてしまうことが少なくないのだとすれば、動物愛護法の基本原則にある「人と動物の共生」の実現が不可能になってしまうのじゃないでしょうか。実際、ぼくが遭遇した攻撃的イヌ嫌いはみな、イヌという動物をまるで猛獣扱いしていて、人間社会からイヌを排除しようとしているかのようです。 以上、法的な根拠を示して、攻撃的イヌ嫌いの違法性を語ったわけですが、それでもまだオフリードを支持できない人がいるとすれば、まず考えられるのは、どんなに適正に育てられた犬であっても、それをこわがる人がいる限り、オフリードにすべきではないという意見を持っているのでしょう。次回は、その問題を考える予定でいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-14 15:52
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
動物愛護法(正確には、動物の愛護及び管理に関する法律)も、また、その影響を受けて改正されている地方自治体の条例にしても、先進国の動物愛護法の基準から見れば、問題だらけなのですが、それでも動物愛護に近づこうとしている精神は見えるのです。繋留義務、すなわち「犬をつないで飼育しなさい」というのが絶対的な規則だとすれば、家の外につないだままにしている飼い主は、誰よりも模範的な飼い主になってしまいます。しかし、もちろんこれが動物を虐待する行為になるのは、動物愛護法の基本原則(第2条)を見ても明らかでしょう。
<第2条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。> 動物愛護法には、「適正な飼養」という表現が目立ちます。上に示した条文にもそのような意味合いのことが書いてありますが、「その習性を考慮して」という表現から分かるように、イヌという動物を本来のイヌらしく育てる義務があるということを強調していると思われます。そして、注目すべきは、ここにあげた基本原則は、そのような義務が飼い主に限定されていないということです。それは第1条を見れば明らかであり、そこには動物愛護法の目的が、「国民の間に動物を愛護する気風」をもたらすことにあると明記されているのです。東京都の条例にも次のように書いてあります。 <第5条 都民は、動物の愛護に努めるとともに、都が法及びこの条例の規定に基づいて行う施策に協力しなければならない。> 動物愛護法の精神を尊重するとすれば、ぼくが「攻撃的イヌ嫌い」と呼ぶ人々は、イヌを虐待していることになります。動物愛護先進国イギリスで高く評価されている子犬の教育書(The Perfect Puppy by Gwen Bailey)に書かれてあるとおりに愛犬を育てた人間が、「適正な飼養」を怠ったとは言えないはずです。実際、その本が約束してあるとおりに、ぼくの愛犬は全く問題行動をとらない成犬になったのです。そのような犬と生活する者に対して、リードのことで警察に通報する人がいるとすれば、その行為こそが動物愛護法に違反する行為になるでしょう。 ぼくの愛犬は決して神経質な犬じゃないのですが、毎日3回ほども通報され、それが1週間つづいたことによって、さすがに何か異様な空気を感じたのか、ある日、パトカーが帰った直後に嘔吐したのです。イヌ本来の性格をご存知の方なら、イヌという動物がどれほど平和を愛し、不穏な空気をきらうか、よく理解していただけると思います。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-14 10:00
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
東京都「動物の保護及び管理に関する条例」の第9条では、犬をリードにつなぐ原則(繋留義務)を定めていますが、例外規定として4項目をあげています。そのうち特に次の2項は注目すべきです。
(ロ)犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合 (ニ)その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合 つまり、(ロ)は、犬をオフリードで訓練することを認めているのであり、(ニ)は、そのように訓練され社会性の身についた犬の場合、オフリードで制御可能であれば、公共の場でもオフリードを認めているということです。これは東京都に限らず、愛犬を「適正に飼養」する義務を犬の保護者に課している動物愛護法(第5条)の精神を尊重するならば、当然、このような規定がなければならないのです。 いま調べてみたら、茨城県の条例にも同じような繋留義務の例外規定があり、「飼い犬を制御できる者が,人畜に危害を加えるおそれのない方法で運動させ,又は移動させるとき」(茨城県動物の愛護及び管理に関する条例 第5条(1)イ)とありました。 よく日本人の中には、オフリードを認めたら、みんな真似して公園内が大変な状態になると心配する人がいますが、条例や法律は、犬の教育に関し、犬の保護者に対して厳格な責任を課しているのです。犬を公共の場所で訓練したり運動させたりする人は、「犬を制御できる者」であるべきだと主張しているのです。リードという物理的な手段によって犬が外見的に制御されていたとしても、いざというときに保護者の指示に従うことのできない犬は、制御された犬とはみなされないでしょう。そのような保護者を、法律は「犬を制御できる者」とは認めないはずです。(つづく) |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-14 4:10
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
「疑わしきは罰せず」というのが刑事裁判の原則です。日本人には(アメリカ人も?)、極悪人はとっとと死刑にしてしまえと思っている人が多いのかもしれないですが、証拠によって犯罪を証明できなければ、どんなに疑わしくても裁判では無罪にしなければならないのです。
ぼくの経験では、ヒトはイヌよりもずっと危険な動物です。そのヒトでさえも、法律は「疑わしきは罰せず」という原則に立っているのです。どうしてイヌの場合は、ただイヌというだけで危険だと決めつけなければならないのでしょう。実際に何度も人間に咬みついた過去があるとか、そのような前科のある犬なら疑われても仕方ないでしょうが。 すでに述べたように、動物愛護の後進国ニッポンであっても、法律自体と、それを執行する権限のある警察は、イヌという動物をただイヌというだけで危険視することはないのです。それなのに、一部の人が勝手に「イヌのリードを外すことは法律違反だ」と思い込んでいるわけで、ただそう信じているだけならカラスの勝手ですが、カラスどころかスパイダーマンのつもりなのか、彼らの正義をむやみに振り回すから非常に迷惑なのです。 ニッポンの公園にはたいてい「犬を放さないで散歩しましょう」とか書いた看板が立っていますね。こんなのがあるから、勘違い人間が増えたのだと思います。役所の人間てのは、基本は事なかれ主義だと思います。できるだけ面倒なことに関わりたくないと思っているんです。だからイヌのことでも勝手なルールを作ってしまうわけです。条例を拡大解釈しているのです。 この話はとても重大なことなので、次回さらに考えてみたいと思っています。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-13 16:41
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
ドッグランをテーマとするスレッドで、このようにオフリードの問題を語りつづけ、攻撃的イヌ嫌いのことにまで言及したのは、日本人の精神構造とニッポンの社会構造を考えたとき、ドッグランの普及によって、いよいよ攻撃的イヌ嫌いの発言権が強化される(つまり彼らがますます威張るようになる)恐れを感じてしまうからです。そうなればニッポンのイヌ事情は、取り返しのつかない状態になり、家の外につながれたままの犬や、捨てられる犬が、いま以上に増えるのではないでしょうか。
そうならないためには、愛犬家の意識(あるいは常識)が変わる必要があると思うのです。ドッグランを有効に利用するためにも、誰よりもまず愛犬家自身がオフリードの基本をきちんと理解すべきだと考えるのです。 むかしぼくが英国BBCのディスカッション・グループのメンバーだった頃、パリ在住のイギリス人と動物の話で意気投合したことがありました。英国のイヌ事情と東京のそれとを比較した場合、あまりにも情けなく思っていた当時のぼくに、ある日、彼はこう言ったものです。 「もし東京に住むのがいやになったら、パリに来るといいよ。パリでは、イヌはヒトとほぼ同じ権利を持っているからね」 当時ぼくがX市の住民だったとしたら、彼のアドバイスに従って、パリに亡命したかもしれません。フランスは英国と同じように、近代史の中で、市民が自由と権利を自ら勝ち取った歴史を持っています。どうやらそのような国では、動物の権利という意識も高いようです。動物愛護国には、共通してそのような歴史があるように思います。 以前お話ししたニッポンのネット愛犬家グループですが、そこでハンドラーだとか、ペット産業に関係している人だとか、その種のプロっぽい人たちと議論していて感じたのは、イヌのテーマ以前に、人間としての自由と権利の問題が、彼らには通じないらしいということでした。だから、ぼくはその基本となる西洋の個人主義をテーマにしてみようと思ったのですが、常連たちの中から、そんなテーマはどっかよそでやってくれみたいなことを言われたのです。やはりその種の愛犬家は、オフリードの問題にしても、法律で禁じられているのだから従うべきだという程度の考えしかないようでした。 しかし、本当にオフリードは法律違反なのでしょうか。今までの話を順番に読んでいただければ、実際にはそうじゃないということを理解してもらえたと思いますが、次回、もう少しこの問題を考えてみることにします。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-13 8:04
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
はじめはとんでもない都市に来てしまったと思えたX市でしたが、通報魔のような人間は例外中の例外であって、多くの人は、イヌ恐怖症気味の人を含めて、ぼくのライフスタイルを迷惑なものとは思っていないようでした。しかし、犬をオフリードにすること自体が悪いこと(あるいは、法律に違反すること)であるというのが、まるで常識のようになっている社会があるとすれば、通報魔のような人も正義の味方になってしまう可能性があります。ぼくが断固としてあの男と闘ったのは、ぼくの愛犬だけのためではなく、イヌという人間の親友として生まれてくる動物たちのためでした。
あの通報魔は特にイヌ嫌いというわけじゃなかったのですが、その行為自体は、攻撃的イヌ嫌いと同じだったわけです。彼の頭の中には何があったか。犬のリードを外すことは法律に違反するというのがあったに違いありません。そうでなければ、公園でただ雨宿りをしているのを目撃しただけで、警察に通報しようなどと思わなかったはずです。 愛犬と一緒のぼくのライフスタイルは、刑法はもちろん、動物愛護法にも日本国憲法にも違反してはいません。日本人一般にも認められたことはすでに述べたとおりです。むしろぼくの生き方は、英国のような民主主義と動物愛護の先進国では、良識ある生き方として高く評価されるのです。それがニッポンでは、まるで非常識のように見る人が少なくないのだとすれば、日本人の常識というものが、いまだ近代市民の基準に達していないということになるのではないでしょうか。実際、ぼくが出会った攻撃的イヌ嫌いから共通に感じたのは、近代市民社会で生きる基本を身につけていないということでした。彼らこそが非常にマナーの悪い人々です。(つづく) |
投稿者 | スレッド |
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BadBloke |
投稿日時: 2007-5-12 10:34
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
通報者は、なんとなくぼくに気づかれ始めたと思ったようです。そうでなければ、よほど鈍感な人でしょうね。ある日、通報によって公園にやって来た警官の相手をしていたら、ついにその人が家から出て来たのです。最初は通報したことを否定しましたが、ぼくは彼のような情動的な人間の扱いには慣れています。通報したことを認めるしかない状況に追いつめられたその男は、とうとう警官の前でそれを認めました。
彼の通報によって来ていた警官ふたりは、ぼくのことはもう問題にせず、通報者の自宅に入って、しばらく出て来ませんでした。おそらく彼のやっていることが、ぼくの出方によっては相当に危ない問題になることを話したのだと思います。実際、あの通報魔のせいで、ぼくは10人以上の警官の相手をしなくちゃならなかったのですが、最初の威圧的な警官を除いて、みなぼくの主張を認めていたのです。 さて、愛犬をオフリードにはせず、通報魔のような男からも模範的な愛犬家と見られている方々なら、このような通報魔との出会いを経験されたことはないのでしょう。そこで、あの男がどんな理由で通報していたのかを、少しお話ししようと思います。 通報事件が始まる数日前のある夕方のこと、散歩の途中で立ち寄ったその公園で休んでいたら、高校生くらいの男子がふたり、殴り合いの喧嘩を始めたのを目撃しました。ぼくはすぐにその場へ走ってゆき、喧嘩をやめさせました。不良っぽい方はすぐに帰ってゆきましたが、残った方の男子が急に暴れ出し、大声で叫び始めたのです。ぼくは彼のからだを抑えて、ベンチの方へと連れて行きました。殴られて負傷した口から血が飛び散って、ぼくのTシャツが血だらけになるほどに、彼は暴れたのです。 その騒ぎを聞いて自宅から飛び出して来たのが、あの通報魔でした。彼は警察に通報すべきだと言いました。それを聞いてぼくは、 「この程度のことで警察を関与させたら、問題がこじれてかえって危険なことになります」と言いました。 「不良どもを恐れて大人がそんなことを言ってるから、奴らはのさばるんだ」と男は言いました。 この種の正義漢が、実際どれほど若い人たちの教育に貢献していることか。ぼくはこの男が、公園で遊ぶ中学生たちを激しくののしり、「警察に通報するぞ!」とおどしているのを見たことがあります。小学生の中にも、ただ遊んでいただけなのに、あの男に「うるさい!」と怒鳴られた子がいたようです。ぼくはその公園内でタバコを吸っていた中高生の群れに注意したことはありましたが、あの男のように威嚇的な言い方は決してしませんでした。 ぼくはその男と教育論を話し合う気にはなれなかったのです。すると、隣りのベンチにすわっていた老婦人が、喧嘩のことで何か言いました。それを聞いた通報魔は、「おばあさん、あんたそばにいたなら、なぜ喧嘩を止めなかったんだ?」と言ったのです。一瞬、耳を疑いました。しかし、これには黙っていられなくて、ぼくはこう言ったのです。 「あなた何を言ってるんだ。こんなお年寄りに若い男の喧嘩を止められるわけがないだろ」 その老婦人は、市民運動家として地元の新聞にも出たことのあるちょっとした有名人で、そのときすでに85歳ほどだったと思います。ぼくからあのように言われた男は黙ってしまいました。そのとき、高校生くらいの彼の息子も自宅から登場していたのですが、ぼくの想像では、特に息子の前でぼくにハッキリ言われたことが許せなかったのだと思います。 通報魔は、警官の前では、こんなことを言っていました。大きな犬がリードをしていないせいで、うちの子供も恐ろしくて公園で遊べなくなったと。しかし、これは全くのウソでした。通報魔は、あの事件より1年ほど前に引っ越して来たのですが、小学生の娘もいて、散歩中に何度もオフリードでそばを通りましたが、こわがっている様子はありませんでした。通報魔の子供が公園で遊べなくなった本当の理由は、父親が異常なほどに公園で遊ぶ子供たちに干渉したからです。 ぼくはそのような現場を何度か見ていたから、この男はぼくの犬のことでも何か文句を言って来るだろうと待っていたのに、オフリードで子供たちと遊んでいる様子を見てさえ何も文句を言わなかったのです。通報もしなかったのです。それなのに、1年近くもして、だれもいない公園でおとなしく雨宿りをしていたときに通報するなんてのは、どう考えてもおかしいでしょう。喧嘩騒動の直後から通報が始まったということは、あの男は犬の問題としてではなく、ただ単にぼくへの復讐のようなことを考えていたにすぎないのだと思います。 できるだけ短く書くようにしているつもりなのですが、今回はかなり長い話になってしまいました。最後まで読んでいただけたことを感謝します。しかし、きょうの話は本論へつながる準備にしかすぎず、ぼくの話はまだまだ続きそうです。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-11 14:47
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
パトカーが帰ったあとも、まだ雨が降っていたので、さらに雨宿りを続けていました。公園には相変わらず人影はなく、愛犬とぼくのふたりきりでした。すると、しばらくしてまたパトカーがやって来たのです。今度のはさっきと違う警官でした。彼らは先の通報のことを知らなかったようで、ぼくが説明すると、すぐに帰ってゆきました。
ところが、それからのちまた別のパトカーが現れたのです。今度の警官も事情を知ると、通報者の異常性を認め、リードを強要することなく帰りました。警察の話では、通報者は匿名のようでしたが、ぼくには心当たりがありました。 この通報は、刑法にふれる犯罪行為だと思います。警察も認めたように、ぼくの行為は条例に違反していませんが、たとえ例外的に反論があったとしても、条例違反の可能性があるだけです(これに関し警察に確かめましたが、裁判での判例はないということです)。しかし、通報者のやっていたことは、刑法に抵触する犯罪行為ですし、明らかに憲法の保障する人権を侵害しています。ストーカー行為が犯罪であると理解できる人なら、この話も理解できるでしょう。 ぼくはこのような行為を絶対に許しません。犯人を特定するために、計画的な行動に出ました。その翌日以降、子供たちが公園で遊んでいるときにも、ぼくはいつものとおりに、愛犬をオフリードにしました。通報者が住んでいると思われた家から見える場所にあるベンチで休んでいたときです。やはりまたパトカーがやって来ました。同じようなことが1週間ほども続き、通報で様子を見に来た警官は、彼らに手を振るぼくの姿を見つけると、パトカーから降りずにそのまま帰るようになりました。 次回の話は、通報者が特定され、まさに予想した人物その人だったこと、そして、この種の通報者がいかに偽善的な人間であるかということを語るつもりです。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-10 20:16
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登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
その若い警官には常識も法律の話も通じるような気がしたので、オフリードでもコントロール可能な犬の場合、公園でオフリードにしていること自体が条例違反にはならないどころか、むしろ動物愛護法の精神を尊重していることになるというような話をしました。
ぼくが動物愛護法に言及したのは、次の条文(第5条)を思っていたからです。 <動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者としての責任を十分に自覚して、その動物を適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。> おそらく近いうちに、このスレッドで犬の社会的教育の話を始めるときに、もう一度この条文を思い出していただくことになると思いますが、ここに書かれてあることを正しく実践するためには、オフリードでの教育が必ず必要になるということだけは言っておきたいと思います。 ニッポンの政治体質は、国民の政治意識を含めて、かなり後進国的ですが、こと動物愛護に関しては、英国のような先進国を理想とすべきだということを理解できるようになった政治家が増えて来たようです。ぼくはかつて後藤田正晴さんとも犬のことでお話ししたことがありますが、警察官僚出身の政治家であった後藤田氏は、ぼくのイヌ論をとても熱心に聴いてくれたものです。 あの若い警官にもぼくの話はちゃんと理解してもらえたのです。ぼくは最後まで愛犬をリードでつなぐことをしなかったのですが、何事もなかったかのように、パトカーは帰ってゆきました。しかし、通報者だけは、その様子をどこかで見ていて、不満で仕方なかったようです。(つづく) |
丸山 |
投稿日時: 2007-5-10 17:34
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Re: オフリード/ドックラン
こんにちはMaxHollyさん
>>私は近所の人がその犬を良く知っていて、その行動を理解してくれるなら、オフも良いかな、なんて思います。ポイントは大丈夫と言う判断が客観的だと言う事です。 >この意見に私も賛成です。でもあくまでも飼い主がそばにいて、何かの時には即座に対応できることが前提ですが。 >そして、その環境が車の通りなどの少ない田舎での話です。私は東京生まれの東京育ちですから、日本でのオフリードの是非を考えた場合、やはり交通事故が一番心配になってしまいます。 車の通りなどの少ない田舎は重大なポイントです。実は私は出張しオハイオで六ヶ月ほど仕事をしました。環境から言えばアメリカの住宅より私の住まいは田舎でワンには適していると思っています。 敷地170坪、周囲は田んぼです、ですから隣の家とは200m程、離れています。 生まれは和歌山、就職は関東、今は石川です。両親と住む為に立てた家です。土地は、地主さん二人から直接売買、比較的安く買えました。 交通事故は十分気をつけないといけないでしょう、いかに訓練が行き届いていたとしても、百万の一の確立で絶対飛び出さない保証はありません、車が頻繁に往来する道路に面したお宅では、止めた方が良いでしょうね、 もし万が一でも交通事故で死に至らしめた場合悔やんでも悔やみきれません、 花子がもし交通事故で死んだらそれはとても後悔すると思います。絶対あってはいけないことですね、 >必要か必要でないかは周りの状況から飼い主がきちんと判断し、常に責任ある飼い主でありたいものですね。 その通りだと思います。付け加えれば、飼い主がきちんと判断し、常に責任ある飼い主で、かつ、周囲の客観的判断が必要でしょうね、 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-10 14:50
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
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投稿: 198
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Re: オフリード/ドックラン
丸山さん、こんばんわ。日本にお住まいのかたのご意見を聞きたかったので、コメント興味深く読ませていただきました。
>私は近所の人がその犬を良く知っていて、その行動を理解してくれるなら、オフも良いかな、なんて思います。ポイントは大丈夫と言う判断が客観的だと言う事です。 この意見に私も賛成です。でもあくまでも飼い主がそばにいて、何かの時には即座に対応できることが前提ですが。そして、その環境が車の通りなどの少ない田舎での話です。私は東京生まれの東京育ちですから、日本でのオフリードの是非を考えた場合、やはり交通事故が一番心配になってしまいます。それと人通りもはげしいですから、犬嫌いの方のことも考えなければなりませんし、攻撃的な犬やBadBlokeさんのおっしゃるような犬嫌いの犬のことも考慮に入れなければならないので、 >ですからオフ−リードの是非は、非と唱えるのが無難と言えるのでしょう。 という丸山さんのご意見が的を得ていると思います。しかし、これも一般論で、飼い主が犬の安全を保証し、他人に迷惑をかけない(これは飼い主の視点からではなく、客観的に見て)自信がある場合には、各自の判断に任せてもよいと思います。 花子ちゃんの環境は上記の基準を満たしていると思うので問題はないと判断しました。それにしても登山道を花子ちゃんと一緒に歩くのは楽しいでしょうね。犬と一緒にできることは、何でも一緒にしたいですよね。 >犬にとってリードで、幸せか不幸せか決まらない気がします。大好きなご主人と出かけて、リードをしなくても迷惑にならなければそこで遊べば良いし、リードが必要な場所ではリードをして回りを一緒に見物する。どちらも犬にとって幸せな時間ではないかと私は思います。 そうですね。必要か必要でないかは周りの状況から飼い主がきちんと判断し、常に責任ある飼い主でありたいものですね。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-9 21:05
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
やはりこの経験も例の地方都市での経験です。この都市はこれからも出てくる可能性が高いので、今後はX市と呼ぶことにします。Xは、バツではなくてエックスのつもりです。
散歩中に雨が降って来たので、公園の中にある屋根のついた休憩所で雨宿りをすることにしました。ぼくの犬はオフリードの状態で、ぼくのそばで静かに横になっていました。そのとき公園には、ほかに誰もいませんでした。30分ほどそうして休んでいたら、中年の警官が近づいて来ました。そして、ぼくに向かって、いきなり「犬をリードにつなぎなさい」と言ったのです。 その言い方が余りにも威圧的だったので、「何を言ってるんですか。警察が出てくるような問題じゃないでしょう」と、ぼくは言い返しました。 「とにかく条例で決まってるんだから、つなぎなさい」 「これのどこが条例違反なのか。あなたの態度こそ警察法の精神に反している」 そのときぼくは警察法の第2条を思っていたのです。そこにはこう書いてあります。<警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。> ぼくは腰掛けていたベンチから立ち上がり、その警官の目の前に立って、そのように抗議していました。「戦前の特高警察みたいな態度をとるなら、ぼくは絶対にあなたの言うことは聞かないよ」とも言いました。 不穏な様子をパトカーの中から見ていたのでしょうか、もうひとり警官がやって来ました。今度のは若い警官で、強圧的な態度をとりませんでした。それでぼくはその警官に、「誰かが通報したんですね?」と訊いたら、思ったとおり、通報があって様子を見に来たのでした。 この話はさらに続きます。 |
丸山 |
投稿日時: 2007-5-9 14:03
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Quite a regular
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投稿: 60
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オフリード/ドックラン
愛犬と旅を運営している丸山です
私のHPは犬連れ登山の記事がありますが、つい最近犬連れ登山について批判され結構落ち込んでいます。 犬連れは自然破壊だ!中には強烈反対派がいます。それも理論武装をした。 しかし犬が自然破壊をすると言う理論はあくまでも理論で実際は分かりません、 ところがこの分からないところが問題な気がします。 つまりどれだけ破壊するかは証明出来ない、高山に低山に種をばらまいて駄目にするとか、数限りなく悪の部分かでてきます。 でも、その事は、事実かも知れません、それは絶対無いと言えないからです。すなわち、種をばらまく証明できなくても、ばらまく可能性がある。そう言われればその確立があるからです。 種をばらまくのは、間も同じ事なのですが、しかし犬には、人間に無い問題点があります。すなわち登山道を外れ、人間より種を付ける確率が多い、そう言う理由です。 我が家の花子は登山道を外れませんが、しかしその理論はなりたたないのです。何でなら 「 お宅の犬はそうだが全部の犬連れがそうですか? 」そう言われれば返す言葉もありません 私はオフリードの論争は、これに酷似している気がします。オフリードの犬を見て、例え登山道を外れない場合においても、その是非を判断するのが登山反対派の人なら駄目、それと同じです 賛成はしないまでも反対もしない方たちの前で、湿地帯を走り回った場合、その時点で 「 やはり犬は 」そう思われます。つまりオフリードは人間にとって不都合だと思われる事です。 ですからオフ−リードの是非は、非と唱えるのが無難と言えるのでしょう ちなみに我が家の花子は日頃の生活でリードはつけた事がありません、最近我が家の回りでもオフで散歩させている方をたまに見かけます。一度パグをつれた女性が必死でオフリードの練習をしていました。 しかしこのパグ君 道草をくって全く歩かない、思わず笑ってしまいました ついでにプチ自慢をすればここに住み始め11年 花子も11才、近所の殆どの人が我が家のGRの名前を知っています。 私が知らない小学生の子が「 花子」と声をかけて来ます。田舎の事ですから新参者の我々を近所の人は覚えやすいのでしょう、 ですから花子の行動は近所の人たちが良く知っています。 オフリードで玄関や庭にいても誰も気にしません、 私は近所の人がその犬を良く知っていて、その行動を理解してくれるなら、オフも良いかな、なんて思います。ポイントは大丈夫と言う判断が客観的だと言う事です。 このゴールデンウイーク、我が家の花子とかみさんの二人と一匹で北海道を旅行しました。 我々と同じ様に犬を連れて、野宿旅行をする人がかなり増えた気がします。これから犬を友にする方たちが益々増え、それに伴いオフリードや登山の問題も増えるかも知れません。 私は知らない人が出入りする場所ではリードを付ける事にしています。 花子は噛み付く事は無いと思いますが、あまり小学生以下の幼児にしつっこく触られるのが好きではありません、昔、親戚の子供が、我が家に遊びに来て、花子をおっかけまわし触っていたら、さすがに我慢が出来なくなって、「 ワン! 」と大きな声で一言、その子供は驚いて後ろに飛びのき、それ以来追いかけ回す事は無くなりました。 花子にリードをつける理由はこの為です。一見大人しそうに見えるので、つい触られる。この時リード無しでワンと言った場合問題です。リードがあっても同じだと思われるかも知れませんが、その場合静止する事が出来す。 それと花子を知らない人は花子を何者かわかりません、しかも我が家のかみさんの友達に犬恐怖所の人がいます。 「 花子 」と声はかけますが近寄って触る事なんてとても無理みたいです。 不特定多数の集まる場所ではそういう人がいないとも限りません、 犬にとってリードで、幸せか不幸せか決まらない気がします。大好きなご主人と出かけて、リードをしなくても迷惑にならなければそこで遊べば良いし、リードが必要な場所ではリードをして回りを一緒に見物する。どちらも犬にとって幸せな時間ではないかと私は思います。 ドックランですが、 もしドックランが都会の犬たち幸せを作っているなら必要かも知れません、でもお勧めはやはりご主人と楽しく色んな場面において、遊びを作り出す事だと思います。 ドックランはその一部にすぎないかと思います |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-7 23:06
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
以前,ぼくがメンバーになっていたニッポンの愛犬家グループですが,すでに述べたように,ぼくの主張が通じない人が多かったのに,オフリードの訓練の仕方には非常に関心を示す人が目立ったのです。どうしたら、ぼくの愛犬のように、オフリードでも安心できる犬になれるのかと。
ところが、ぼくはついにその方法を具体的に語ることはできませんでした。オフリードで世間からカッコよい犬に見られることが大切なんじゃないんですね。短い犬の生涯,どうしたら犬がいちばん幸福に生きられるかということが,何よりも大切なことなんです。しかし、ニッポンの現実は,犬を幸福にするどころか,不幸にするような社会環境になっている。ぼくはそれをなんとか変えるべきだと思って発言していたのです。 犬をオフリードにしているだけで、愛犬家さえもが何か悪いことをしているかのように見るとすれば、そんな社会でイヌという動物が本来のイヌらしく生きられるはずがないんです。それに、ニッポンて国には、イヌがこわいのじゃなくて、イヌが大嫌いだったり、愛犬家が大嫌いだったりする人が少なくないようなんですね。その気持が理解できないわけじゃない。ぼくだって、ここだけの話、ある種の愛犬家は好きじゃないですから。 そのような正真正銘のイヌ嫌いは、まるで愛犬家をいじめるチャンスを狙っているかのようなんです。いつもリードをして散歩している愛犬家の方々は経験したことがないのかもしれませんが、その種のイヌ嫌い(以後、「攻撃的イヌ嫌い」と呼ぶことにします)は、愛犬家をいじめるのが趣味であるかのような人たちなんです。ぼくはこれまでに数人の警官と話をしたことがありますが、ケータイが普及してから、イヌに関する通報が急増し、その多くは、警官から見て何も問題のないようなことばかりだそうです。 次回は、ぼくが実際に体験した攻撃的イヌ嫌いの<いじめ>について語る予定でいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-6 6:34
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
イヌの社会性の基本は、同じ母親から生まれたきょうだいと遊ぶことによって身につくことは、前回お話ししたとおりです。ところが、ペットショップで展示販売されている子犬の多くはその基本が欠けているわけですね。そのような子犬が公園にデビューする頃は,動物行動学でいう<恐怖期>という時期に入っているのが普通ですから,イヌでありながらイヌをこわがるような行動をとる場合が少なくないようです。これを正常な状態にするには,社会性のあるイヌと遊ばせる必要があるのです。
イヌ同士を遊ばせるとき,リードをしたままでは、足などにからみついて非常に危険です。最近は,ビヨーンと伸びるリードを使用する人が増えたようですが,これはもっと危険だと思います。イヌ同士を遊ばせるときはリードをしないのが原則です。ぼくは首輪さえも外します。 しかし、子犬がすでにかなり重度のイヌ恐怖症になっている場合,恐怖のあまり公園からどこかへ飛んでゆく可能性があります。そのような危険を避けるためには、やはりフェンスで囲んだドッグランのような広場が必要になるでしょう。 ぼくはドッグランを利用したことが一度もないのですが,聞いた話では,けっこう愛犬家同士のトラブルが多いそうですね。だいたい想像はできますよ。すでに率直に言いましたが,ニッポンの愛犬家にはイヌ嫌い・ヒト嫌いが目立つようですからね。 ぼくの考えでは,ドッグランに利用価値があるとすれば,あくまでも補助的な手段としての利用であって,基本は,コイヌもコドモと同じで,やはり一般の公的な人間社会で,きちんと教育すべきなのです。そのような当たり前のことが日本人の常識として定着していてこそ,ドッグランは有効に利用される環境となるでしょう。 長い話をしてきましたが,これまではまだ序論であって,いよいよ本論に入れそうな予感がしてきました。今回は,最後まで語り尽くす予定でいますので,ニッポンのイヌたちの幸福のために、ご一緒にこのテーマを考えていただければ,うれしく思います。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-5 8:03
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん、
「英米の架け橋」になりたいと願って生きて来たぼくとしても、<平行線>の接近を、こころからうれしく思います。最近,ニッポンにはまた「鬼畜米英」と叫び出しそうなウヨクが増えて来たように思うのは非常に残念ですが。 言葉だけで現実を正しく伝えるのは,むずかしいことですね。それに一般的に言って日本人は議論がそんなに得意じゃないようです。すでにお話ししたとおり,ネット上では、ニッポンの多くの愛犬家と意見の対立を経験したわけですが,しかし、リアル世界でぼくのライフスタイルを非難するような人は,あの地方都市(最初はビックリ仰天で仰向け状態になるほどにカルチャーショックを覚えた都市)でさえ珍しいことでした。 ただ,ぼくのライフスタイルが,ぼくの意に反して目立つことは確かなようです。「いつも大きな犬を連れているから目立つのだろうね」と、東京に住むアメリカ人の友だちに言ったら,「あなた自身がイギリス人のように見えるから目立つのよ」と言われました。 それはともかく、MaxHollyさんの >それを補うためのドッグランは私はやっぱりあって欲しいです。 というご意見ですが,今回のシリーズはいよいよ大詰めに近づき、ドッグランの使い道に関して語ることになります。たぶん次回はその話になると思います。 それでは楽しい週末をお過ごしください。 |
投稿者 | スレッド |
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MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-4 14:19
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん、こんばんわ。平行線がだいぶ近づいてきたようですね(笑)。今回のご意見には全く賛成です。特に、 >このような幼児体験を経た子犬は,イヌ嫌いになるはずがないのです。遊ぶときの咬み加減もちゃんと経験で知るわけです。強く咬むと相手は痛いんだってことを、自分がその痛みを体験するから覚えるのです。 これは人間の子供にも言えることですね。兄弟げんかや友達との諍いを経て、相手の痛みのわかる大人になるわけですからね。 >イヌ恐怖症気味の子犬を正常に育てるためには,オフリードでの社会的な教育が重要になると思います。 これもおっしゃるとおりだと思います。ただ、ここで、だから公園でのオフリードを許可すべきだ、という結論にはやっぱり反対です。そしてBadBlokeさんは、散歩もオフリードでされているようですが、これも一般の飼い主さん達には、やっぱり無理だと思いますよ。もちろん場所によっては、また時間帯によっては可能な場合もあるでしょうが。 それを補うためのドッグランは私はやっぱりあって欲しいです。私のいつも行く、公営のドッグランには、社会化トレーニングのために仔犬や小型犬も、大型犬に混じって遊んでいます。飼い主達が皆よくみているので問題は起きていないようです。 日本にお住まいの皆さんはどうですか?地域によっても違うと思いますが、ご意見を聞かせてください。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-3 22:36
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
あのハスキー犬の話をもう少し続けます。
「この10年間,雄犬に対してこんなことをするのは初めて見ました」というのを聞いて,ぼくは何を思ったか。ああ、この犬はこの10年ものあいだ,こうしてほかの雄犬と遊ぶチャンスがなかったなんて,なんてかわいそうな犬なんだろう。そう思ったんです。 きっと家庭ではだいじにされていたのでしょう。でも、ぼくの経験では,イヌという動物は,他の犬と自由に遊んでいるときが,いちばん幸せそうに見えるんです。 いや、うちの犬はそんなことはない、と思う方もいるでしょうね。日本人の中にも,ヒュー・グラントみたいにイギリス語をしゃべる人間がいるくらいですから。 そこで考えなければならないのは,ペットショップでの生体展示販売なんです。子犬というのは,生後2ヶ月くらいまでは,一緒に生まれたきょうだいと遊ぶ必要があるといいます。いい母犬というのは、子犬とよく遊ぶそうです。子犬にはそのような母親と一緒に過ごす時間も必要なんですね。すぐれたブリーダーというのは,そのようなことを配慮するものです。 このような幼児体験を経た子犬は,イヌ嫌いになるはずがないのです。遊ぶときの咬み加減もちゃんと経験で知るわけです。強く咬むと相手は痛いんだってことを、自分がその痛みを体験するから覚えるのです。 ところが、ペットショップで展示販売されている子犬の多くは,このような経験をせずに、まるで熟していないバナナみたいに店頭に並べられます。そのような子犬を初めて公園に連れて行ったら,犬のくせにイヌ恐怖症のような行動を見せる可能性が高いでしょう。それを見て,「うちの犬はイヌ嫌いなんだわ」と思って,他の犬との交際を避けていたらどうなるでしょうか。やがて完璧なイヌ嫌いになるはずです。 じゃ、このような現実をなんとか改善するためにはどうすればよいでしょうか。ペットショップやネットでの生体販売を禁止することが何よりも必要ですが,イヌ恐怖症気味の子犬を正常に育てるためには,オフリードでの社会的な教育が重要になると思います。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-3 12:46
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん、お返事ありがとうございました。この15-6年の日本の犬事情をよく知らないために私のコメントも的を得たものではなかったかもしれません。犬のサイトもこのLWDとBurnet Hillさんのブログ(http://burnethill.exblog.jp)ぐらいしか見ていないので、あなたのお嘆きがよく分かりませんでした。でもここに集まるかたがたは真剣に犬とのよりよい生活、犬の社会での位置の向上を考えておられると思いますよ。それにつけても私は、ニッポン人は、アメリカ人は、イギリス人は、うんぬんというステレオタイプのコメントは避けたいと思います。日本にもアメリカにもいろいろな方がいますから。
さてオフリードの良し悪しは平行線なので置いておくとして、ハスキーのケースであげられた犬同士の接触、BadBlokeさんの躾けの行き届いた犬を見た方達の新鮮な驚き、そしてその犬との接触を通してあなたが子供たちに犬に対する信頼感を与えられたことは素晴らしいことだと思います。私もことあるごとに自分の犬達が人々にいい印象を与え、犬に対する理解と犬の社会的立場の向上につながればと努力しています。(現実は恥をかくことも多いのですけど。。。) 日本では、愛犬をリードで繋ぐことで他の犬との接触を避けて、起こりうるけんかや怪我を未然に防ごうとしている飼い主が多いとのご指摘ですが、実は最近うちの犬の一匹にもLeash Aggression(リードで繋がれていることによる攻撃性)の傾向が見え始め、例のハスキーの飼い主さんのような方々の気持ちが分かるようになりました。幸い発見が早かったために矯正もほぼうまくいき、手遅れにならずに済みました。うちの仔たちはMaxを除いては成犬になってからアダプトしたので、幼犬期の社会性教育がどうだったのかは不明です。でも社会性教育はとても大切なことだと思います。飼い主としては、自分の犬が問題を起こさないように隔離しているケースもあるかと思いますが、それではますます犬との接触がなくなってしまいますよね。飼い主の忍耐と愛情と、専門家のアドバイスで克服できるケースも多いと思います。諦めずに頑張って欲しいと思います。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-3 0:04
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
みなさん、
今回このフォーラムに再登場するにあたって,もう日本人とオフリードをテーマに議論するのはこりごりだというようなことを言いました。しかし、MaxHollyさんの場合は,西洋人とのつき合いを経験されているようですから,ぼくのようにハッキリと意見を言う者に対してもきっと免疫があるといいますか、ある種の日本人のように、誹謗中傷だとか,アラシだとか,非国民だとか,そんな情動的な受け止め方はなさらないと思うので,思う存分に反論できました。 さて、その反論の中で,ぼくは <ニッポンには余りにもイヌ嫌い・ヒト嫌いの犬が多すぎるようです。このような現実の中で,愛犬家の中にも,イヌ嫌い・ヒト嫌いが目立つように思います> と言いましたが,これは順序が逆の場合が普通なのかもしれません。つまり、愛犬家がイヌを信用していないから,その人の犬も同じようになってしまうのじゃないでしょうか。 ニッポンの地方都市でこんな経験をしました。ある広い公園で愛犬と散歩していたときです。50メートルほど離れたところに、女性が大きなハスキー犬を連れて現れました。彼女はぼくの犬に気づくと、大きな声でこう言いました。 「オスですかあ?」 ぼくがそうですと答えると,その人は言いました。 「うちの犬はオスとはダメなんです!」 そのとき,ぼくの犬はいつものとおりオフリードでした。つまり、彼女は、遠回しに「リードにつないでください」と言ったつもりなのでしょう。しかし、ぼくはそんな場合にもリードにつなぐことはしません。そんなことを続けていては,ぼくの愛犬までもが他の犬に対して神経質になってしまうからです。 ぼくの犬は新参の犬に勝手に近づくようなことは絶対にしないのですが,「カム」と呼んで,ぼくの左側に「ステイ」させました。それを見ていたハスキー犬の保護者は,少し安心したのでしょうか,こちらに近づいて来たのです。すると、そのハスキー犬は,彼女を引っ張るようにして,段々ぼくの犬の方へ向かって来たのでした。それは決して攻撃しようとする行動ではないことが、保護者にも理解できたようです。 それを察したとき、ぼくは愛犬に向かって「ステイ」を解除し,そのハスキー犬に近づくことを許可しました。彼は危険な犬には自主的な判断で絶対に近づきません。その彼が静かにその犬に近づいて行ったのです。そして、ハスキー犬と鼻と鼻をくっつけるくらいの位置まで近づいたとき,なんとその犬はまるで子犬のようにぼくの犬に手をかけて遊ぼうとしたのでした。 これには彼の保護者がいちばん驚いたようです。彼女はぼくに言いました。 「この10年間,雄犬に対してこんなことをするのは初めて見ました」 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-2 18:14
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん
ぼくが完璧主義者のように思えたのなら,それは全くの誤解ですね。むしろ、ニッポンの多くの愛犬家が他人の犬に対して不寛容というか、神経質すぎることを何よりも問題だと思っています。 犬にとって何がいちばん必要か。それはイヌ嫌い・ヒト嫌いにだけはならないということです。ところが,現実はどうでしょうか。ニッポンには余りにもイヌ嫌い・ヒト嫌いの犬が多すぎるようです。このような現実の中で,愛犬家の中にも,イヌ嫌い・ヒト嫌いが目立つように思います。 ぼくはたとえ問題犬(つまりイヌ嫌い・ヒト嫌い)であっても、その保護者がそれをなんとかなおしたいと願っている人であれば,喜んで交際したいと思っています。しかし、現実は,その種の愛犬家はご自分の犬の問題に全く無関心のような人が多い。イヌという動物はそういうものだと信じているかのように。それでいて、神経質に他人の犬を避ける傾向があるようです。 犬の幸福とおっしゃいましたが,英国の愛犬家グループで,アメリカ人とオフリードをテーマに論争したとき,ぼくはこんなことを言いました。ニッポンとアメリカのイヌ事情は似ているような気がする。問題は,イギリスの犬たちと比べたとき,どちらが社会的にも幸せかということだと。 さらにこうも言いました。ぼくの愛犬は多くの人たちから「お行儀がいいですね」と言われるけれど,子犬の頃に彼の社会的教育に熱心だったのは,世間からの賞賛を期待したからではない。彼が社会で幸福に自由に生きてほしかったから。 実際,子犬の頃にしても,遊ぶときには思いっきり自由を与えました。もちろんリードなどは外して。よくカフェなどで休んでいると,ぼくの犬の年齢を聞いて驚く人がいましたね。子犬なのにどうしてこんなに落ち着いてるのかと。特別に厳しくしたわけじゃありません。遊ぶときに自由を与えていたから,遊ぶべきじゃない場所では,自主的にお行儀よくしていたのだと思います。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-2 11:17
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさんの犬のようにすべての犬達がきちんとコントロールされていたら、オフリードも可能でしょうが、実際今の日本の状況でどれだけの犬がそのように躾けられているでしょうか。おっしゃることはよく分かりますが、もっと現実的に考えてみませんか。私も自分の犬達のトレーニングに四苦八苦(楽しみながらの)している一人ですので、BadBlokeさんから見れば、私なんて何も分かっていない新米飼い主でしょうね。
それにしても、犬の本当の幸せってなんでしょうね。人間にしっかりコントロールされていることのみが幸せではないのではって気がします。本来ならうちの仔たちも広い土地のある農家で羊をHerdしているほうが幸せかもしれません。でも縁あってうちに来た以上、彼らの健康と安全を守り、できるだけ楽しい日々を送って欲しいと思っています。また飼い主の立場に立ってみると、BadBlokeさんののおっしゃるように完璧なコントロールを必要としない、またはそこまで犬の自由を奪いたくないと考えている方、時間がなくてそこまでできない方、犬の躾けかたを知らない方、皆さん様々な状況で犬を飼い、様々な犬との関係を望んでいるのではないでしょうか。また犬自体の犬種による、または個体ごとの性格などもあり、すべての犬がBadBlokeさんののおっしゃるように躾けられるわけではないでしょう。 >ぼくにはとても不思議な質問でした。「君はパパと公園に遊びに来てパパから逃げたいと思うかい?」と、ぼくは逆に質問したくらいです。 う〜ん、これもちょっと違うかなって思いました。犬は飼い主から逃げたくて他の場所へ行くのではありませんよ。うちの子供達の子育てを通して、そして自分が子供だったころのことを思い出しても、親のそばから離れたくない子供なんて、不思議ですね。子供は好奇心の塊、少し大きくなってからはどこまで目に見えないリードが伸びるのかを試してみたくてしかたないはず。犬にしてもステイを強いられていなければ、本当はあたりの匂いを嗅ぎまわりたくて仕方がないのではないかしら? 様々な飼い主と様々な犬達。オフリードは誰にでも通用することではないことを現状に基づく一般論として言いたかってのです。BadBlokeさんも私も犬と人間とのよりよい共存を目指してはいますが、考え方に大きな違いがあるのでこの議論はきっと平行線のままでしょう。それもまた多様性の表れで面白いのですけれどね。できれば今の状態を批判したり、嘆いたりするばかりではなく、オフリードの練習を犬の安全を確保した上で、具体的にどこでどのようにすべきかを教えてください。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-2 2:08
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
居住地:
投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
ニッポンの公園にはたいてい「犬を放さないでください」というような注意書きがありますね。小さい頃からこんなのを見て育てば,オフリードの犬を見るたびに、法律違反しているかのように思う人が多いのでしょう。それに、日本人の中には,車の姿の見えないような交差点でも,赤信号でじっと立ち止まっている人が少なくないようですから。
ヒトとイヌとの2万年のつき合いの中で,犬がいつもリードにつながれているものだと考える人が増えたのは,ここ数十年の一部の国々(ニッポンやアメリカなど)くらいでしょう。このような人間社会が,ヒトもイヌもおかしくしてしまっているというのが,ぼくの考えです。 ニッポンでは,子供の中にさえ,オフリードの犬を見ると,「放し飼いにしている」なんて言う子がいます。別に非難のつもりではなく,ただオフリードなどという表現を知らないだけという場合が少なくないのだとしても,このような現実は、ヒトの教育を考えたときにも非常に問題のように思えます。 家の外につながれたままの犬を見れば,普通の子供ならば,動物虐待という言葉を知らなくても,犬に同情するものじゃないでしょうか。公園でリードをしていなくても一緒に遊べる犬に出会えたら,それを喜ぶのが子供じゃないでしょうか。「公園に犬を入れるな」と威張っているイヌ嫌いの目立つ地方都市でも,ぼくの愛犬は100人くらいの子供たちと友だちになりました。その中には以前までイヌ恐怖症だった子もけっこういたのです。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-1 18:16
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
みなさん、
オフリードはイヌの安全を考えたときに危険だという意見があるようですが、実際に,ぼくがオフリードの訓練をしたりしてきた経験からいえば,ニッポンでは,「イヌはしょせん動物だから信用できない」という理由で,オフリードを許さないことのほうが普通じゃないでしょうか。つまり、ヒトや他の動物に危害を加える可能性があるとか,イヌ恐怖症の人にとって迷惑になるとか。 ニッポンの現状を考えた場合,リードを外されるイヌの多くが,オフリードの訓練をしていないはずです。他のイヌとオフリードで遊んだ経験もないはずです。そのようなイヌであれば、人間社会で迷惑をかける可能性は高くなるでしょう。オフリードの状態でステイやカムもできないようなイヌをオフリードにすれば、ほぼ放し飼い状態です。おそらくこれがニッポンの実態なのでしょう。 ドッグランが,このような現実を少しでも改善することに役立つのだとすれば,その利用価値はあるでしょうね。しかし、オフリードそのものが社会的に迷惑な行為だとするジョーシキ(つまり、イヌは信用できない動物だというジョーシキ)をさらに強化することになるとすれば,ドッグランの罪もまた大きいと言えるでしょう。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-1 16:43
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん、
ひとつ言い忘れました。 林試の森公園なら何度か行ったことがあります。ぼくはもちろん愛犬をオフリードにして散歩しました。しかし、リードをして散歩しましょうというようなアナウンスを何度も聞きました。イヌの社会的な教育のためには環境が悪い公園だなと思いましたね。 オフリードの訓練をきちんとやるためには,それなりの環境が必要です。ぼくの地元の有栖川公園は,その点,オフリードに神経質じゃなかったのです。少なくとも地元の顔見知りのイヌに対しては,管理人はうるさいことを言わなかった。信用してくれていたのです。あれだけ小さい子供たちが集まる公園ですよ。信頼関係のできていないイヌをオフリードにするわけがないのです。そういうイヌを日常的に見ているから,子犬の教育にも理解を示してくれていたのでしょう。 新しくなったお台場でオフリードの訓練をしていたら,管理人が来て、非常に無礼な言い方をしたものだから,責任者に会いたいと言って,管理棟に案内してもらいました。その中で,責任者を相手に3時間ほど話しましたが,その人は子犬のオフリードの訓練の意味をちゃんと理解してくれました。同じように,都内のいろいろな場所でオフリードの訓練をしましたが、何か注意されたときには必ず責任者と会いました。多くの場合,説明すれば理解してもらえます。 このようにニッポンの現状では,オフリードという当然の訓練をするのにも,現実と闘う覚悟でやらなければなりません。「犬を公園に入れるな」などとイヌ嫌いが威張っているような地域なら,もっともっと厳しい闘いが必要でしょう。多くの愛犬家は,そこまでしないのでしょうね。ていうか、最初から,そんな教育目標を持たないのだと思います。そのような社会環境が、ドッグランの普及によって,いよいよ悪化するのであれば,ニッポンのイヌ事情の未来は暗くなるばかりに思えます。ドッグラン発祥の地アメリカから発言されるMaxHollyさんのご意見を聞くつけ,ぼくはいよいよニッポンがアメリカ化することに反対したい思いが強くなってしまいます。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-1 16:05
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん
ご意見は読みました。ただし、やはり考え方と言いますか,経験の違いを感ずるばかりです。 >都会で犬を車の危険から守るためには散歩にリードは当たり前でしょう。 と言っておられますが、ぼくはリードをするときはトラフィックリードと呼ばれる長さ30センチほどのリードをしますが,それはイヌの安全のためです。しかし、ニッポンでは、まるでイヌ嫌いのためにリードをするようなジョーシキがありませんか。 それに、あなたのご意見を読む限り,あなたにはオフリードの意味がよく理解できていないようです。ニッポンの地方都市のデパート前でオフリードで休んでいたら(トラフィックリードはこのように街中でもたえず外します)、母親と子供らしきイヌ好きの人たちが近づいて来て,ぼくにこう言いました。「なぜ逃げて行かないのですか?」と。 実は,その都市の公園で出会った子供たちからも,同じ質問を受けていたんですね。ぼくにはとても不思議な質問でした。「君はパパと公園に遊びに来てパパから逃げたいと思うかい?」と、ぼくは逆に質問したくらいです。 あなたも同じようにイヌを信用できていないようですね。あのデパート前で出会った女性ですが,少しおしゃべりしたあとに,ぼくに教えてくれたのですが,1年ほど前に,愛犬が交通事故で亡くなったそうです。それを聞いて,ぼくはすぐにどんな状況で事故が起きたのか想像できました。オフリードがどんなものかさえ知らない人なのでしょう。何かの拍子にリードが外れたかして車に轢かれたのだと思います。 もちろんオフリードの訓練をしても,完全ではない場合があるでしょう。それならそれで、きちんと状況を判断して対処すればいいだけの話です。オフリードは何がなんでも危険だなどと決めつけては,イヌを教育することはできないと思います。イヌはそんなに下等な動物ではありません。 |
投稿者 | スレッド |
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MaxHolly |
投稿日時: 2007-5-1 15:44
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
BadBlokeさん、こんばんわ。以前オフリードのことで意見を交換したMaxとHollyのママ、そして今はNoahを加えたMaxHollyNoahのママです。投稿3つとも読ませていただきました。そして、どうしてもBadBlokeさんのご意見に賛同できないのでまたコメントさせていただきます。
まずその前に、お互いに外国と日本のことを比較してあれこれ言うのはやめませんか?特に下記のようなコメントは皆さんに誤解を与えこそすれ、日本の状況を改善するのに何のメリットもありませんから。アメリカに幸せに暮らしている一住民として、間違った情報を訂正させていただきます。 >ニッポンでは今,ドッグランなどを作ることによって,一般の公園から犬を追い出すような方向へ向かっているのでしょうか。だとすれば、ニッポンもアメリカと同じように,イヌもヒトもおおらかには暮らせない国になってしまうのでしょうね。 アメリカといっても広いので私の住むオレゴン州に限ってですが、一般の公園で犬の立ち入り禁止など聞いたこともありません。ただしすべてリードにつなぎ、糞の始末をきちんとすることが原則です。犬も人もおおらかに暮らしていると思いますよ。 さて、本題に入りましょう。 日本の公園にもピンからキリまでありますよね。おっしゃるように54万平方メートルもある代々木公園もあれば、街角に滑り台とブランコと砂場しかない数メートル四方の公園もあります。私は3人の子供たちが小さいころは日本に住んでいましたから、幼児の母親の視点から言えば、このような小さな公園に犬を連れて入って欲しくありません。ましてやオフリードなどもってのほか。どんなに躾けが行き届いていれば問題ないと言われても、糞は持ち帰るから大丈夫と言われても、砂場でオシッコをされたりしたら衛生上よくありませんし、よちよち歩きの幼児にとって、ブラックラブの成犬は自分の身長を超える怪物です。もちろん自分の家で犬を飼っている場合は別ですが。 私の目黒区の実家の近くに林試の森公園という12万平方メートルもある樹木に覆われた素晴らしい公園があります。もちろん犬連れの方が沢山散歩されています。このような公園では犬もリードで繋ぐことを原則に入園を許されるべきだと思います。でもやはりオフリードはルール違反だと思いますよ。BadBlokeさんは大変な愛犬家のようですが、 “世の中にはいろいろな人が住んでいて、それぞれが安全で心地よい生活を送る権利を持っている”ということを忘れてはいけないと思うからです。犬との生活の楽しさ、素晴らしさを経験した者にとってはとても残念なことですが、犬を恐れる人、嫌いな人、うるさいと思う人、汚いと思う人もいます。ですから、今のところは、リードをして糞の始末をきちんとするという原則を守って、犬の市民権を徐々に獲得して行くことが必要なのだと思います。 >子犬の頃から、散歩にでかけるときはいつもリードにつなぐ。オフリードの練習などしたことがない。そんな状態で成犬になったイヌであれば、その保護者ですら信用できないのは当然でしょう。 と書かれていますが、都会で犬を車の危険から守るためには散歩にリードは当たり前でしょう。どうしてもオフリードで育てたければ、人気(ひとけ)のない田舎でのんびり犬と暮らせばいいでしょう。現に犬とのそのような生活を望んで、そのような場所に移り住んだ方も知っています。BadBlokeさんはオフリードでもしっかり脇を歩くようにご自分の犬を躾けておられるようですが、それならなおのことオフリードにする必要はないのではないでしょうか? オフリードで犬が自由に走り回れる場所としてのドッグランは、以前にも書いたように、犬の安全と人間の安全を守りながら楽しめる場所として望ましいことだと思います。ただそれが一般の公園から犬を締め出す手段に使われてしまったら嘆かわしいことです。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-5-1 6:50
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
むかし代々木公園のことで都庁の役人と話をしたことがあります。なぜイヌ立ち入り禁止なのかと質問したら,糞の始末をしない飼い主がいるからだとか。よく聞く話ですね。しかし,ぼくの経験では,イヌを社会から排除するような社会でこそ、たとえば学校周辺の歩道などに糞が目立つ傾向があるように思います。
東京都ではさすがにイヌという動物が危険だからとは言わなくなったようです。当たり前ですね。イヌという動物が猛獣ならば,盲導犬なんてのはやめるべきだし,ペットショップでの生体展示販売どころか,イヌの販売そのものを禁止すべきだと思います。 しかし、どうやら愛犬家と呼ばれる人たちの中にも,実はイヌを危険な動物だと信じているような人が、ニッポンという国には少なくないような印象があります。なぜでしょうか。ご自分の愛犬との信頼関係さえできていない人が多いからだと思います。 子犬の頃から、散歩にでかけるときはいつもリードにつなぐ。オフリードの練習などしたことがない。そんな状態で成犬になったイヌであれば、その保護者ですら信用できないのは当然でしょう。そんなイヌばかりが多いニッポンだから,愛犬家であっても,他人のイヌを信用できない人が多いのだと思います。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-4-29 4:14
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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Re: ドッグランは本当に必要?
代々木公園にドッグランができるというので,ちょっと調べてみたら,「3,500平方メートルの広大な敷地」というような説明がありました。3,500平方メートルといえば、正方形にすると,1辺がわずか60メートル弱です。これのどこが「広大」なのでしょうか。
代々木公園というのは,ロンドンのハイドパークにいちばん近い雰囲気のある公園だと思っていました。実際,けっこう広くて,54万平方メートルあります(ハイドパークは,140万平方メートル以上)。つまり、ドッグランの広さというのは,公園全体の0.65パーセント弱しかありません。東京都はイヌという動物を一体なんだと思っているのでしょう。 実は,代々木公園はイヌ立ち入り禁止公園だったのです。公園の入り口に、ちゃんと英語でもそう書いてありました。それを見るたびに、ぼくは都民として恥ずかしい思いになったものです。ドッグランができたのだから,イヌ事情が改善されたということになるでしょうか。しかし、ドッグランができることによって,今まで以上にイヌ立ち入り禁止が厳しくなれば,あの地域の犬たちの社会性は育たなくなるような気がします。 |
BadBloke |
投稿日時: 2007-4-28 7:29
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Quite a regular
登録日: 2006-7-21
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投稿: 96
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Re: ドッグランは本当に必要?
みなさん、こんにちは
以前,オフリードをテーマに登場したBadBlokeと申します。せっかくいろんな方々と議論が始まったのに,中途で退場したような恰好になってしまい,たいへん失礼しました。 実はそれより以前,ぼくは日本語圏の愛犬家グループで同じようなテーマで投稿しまして,ニッポンの多くの愛犬家の方々にはぼくの考えが通じないらしいことを経験していたのです。それで、このフォーラムでも,やはり同じような気配を感じたものですから,正直に言いますと,もう同じような議論はこりごりだという思いだったのです。 しかし,最近の東京でのイヌ事情の様子などを聞くにつけ,ニッポンではまだ少しはましな方だと思っていた東京までもが,なんだかおかしな方向へ進んでいるみたいで,やはりこのテーマでニッポンを見捨てるわけにはいかないという気持になり,またこうして登場してしまったのです。 何よりもまず,ニッポンでは愛犬家の中にさえ,<オフリード>と<放し飼い>の区別のついていない人が余りにも多すぎるということが、大問題なのだと思います。 英語に litigious という言葉があります。これをどう訳していいのか,「なんでも法律沙汰にしてしまう」という感じでしょうか。こういうのはイギリス人の嫌うことです。オフリードに関しても,イギリス人とアメリカ人は、かなり考え方が違うようで,ぼくは英国のネット世界で,何度か両国の代表みたいなひと同士が、このテーマで論争しているのを見たことがあります。 ニッポンでは今,ドッグランなどを作ることによって,一般の公園から犬を追い出すような方向へ向かっているのでしょうか。だとすれば、ニッポンもアメリカと同じように,イヌもヒトもおおらかには暮らせない国になってしまうのでしょうね。 |
OP |
投稿日時: 2005-8-10 7:54
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Just popping in
登録日: 2005-6-13
居住地:
投稿: 8
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxHollyさん,あんこさん,平田さん、こんにちは。
最初の方にチョロっと投稿してました、OPです。 パソコントラブルやうちのワンコのしっぽ下がり事件等にかまけてて、 こちらのフォーラムのチェックを怠っておりました。 まず平田さん、ドッグラン反対(というより、なくなってほしいという願望ですね)に対する理由ありがとうございました。そうですね。平田さんのおっしゃるように、共生できれば素敵ですよね。 反対という人はワンコが大っキライな人(ワンコなんかに貴重なスペースを取られたくない!)や古い考えの人(ノーリードにして走らせなくても散歩していればOK)等、私の中で「??」って思う意見しか聞けなかったので、とても参考になりました。 MaxHollyさん、海外に在住の方の意見って本当に新鮮ですね。 長年海外に在住している私の友人も、Maxhollyさんと同じよう、海外にいると自分が「日本人」であることを強烈に意識し、そして日本人であることを誇り思うそうです。 日本に住む日本人としては、海外に住む方の誇れる日本でありたいと、マナー向上に努めなきゃ!って思っちゃいました。 あ、このスレッドからすると相当横ですね。ごめんなさい。 正直このスレッドをみたときは、ワンコ好きな人で反対派なんているのかなぁと思っていたところ、平田さんの貴重な意見をいただき、そしてあんこさん,Maxhollyさんのおっしゃる通り、まさに飼い主さんの問題に帰結しますよね。 ちなみに私は名古屋市に隣接するT市に在住しておりますが、割に田舎なので、人気のない芝生のみの公園等が点在しており、その1箇所で実は1年ほど前まで大型犬中心に集まり、ノーリードであそばしていたところ、近所に住む小型犬の飼い主さんが警察に通報し、問題になってしまったそうです。 私が話を聞いていたのは、同じラブ飼いの人で4ヶ月の時からあそばせていて、非常に犬同士の社会性を身につけるのに役立ったそうなので、その話をとても悔しそうにしてました。 「ただワンコを遊ばせていただけなのに。放していると見張っているようで、必ず警察がやってきて、警察とも言い争いになったのよ」 そうおっしゃられてました。 ご近所間のことだけに相当気まずいフンイキになったようです。 私はその方もその方のワンコもダイスキでしたが、「ただ遊ばせていた」無邪気な意見にはクビをかしげてしまいました。 やはり大型犬が遊んでる姿は私のような大型犬の飼い主にしたら、ほほえましい光景でしかないのでしょうが、知らない人がみたら相当怖いに違いないと思ったからです。 かと言って、意地になって毎日見張って、警察に通報し続ける人にも、その執念が恐ろしく、人間関係の難しさを感じました。 平田さんのおっしゃるように、共生がベスト。 ただやはり現実はとりあえず有料でも無料でも、ドッグランはほしい, そしてドッグランではあっても、飼い主さんのモラルが重要実感しました。 今うちのワンコはシーズンに入ってしまったのでムリですが、シーズンが終ったら是非、ドッグランに挑戦してみるつもりです。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2005-8-10 5:02
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
あんこさん、こんにちわ。
こちらは今会社のお昼休みなのですが、私の昨夜の投稿があんこさんをはじめ他の方々に嫌な思いをさせてしまったようで、取り急ぎ誤解を解いていただきたく、返信することにしました。 私が、日本では犬好き派と犬嫌い派の対立が云々言ったのは、以前平田さんが、“ドッグランが増える事で犬嫌いの人が「犬の散歩もドッグランでしろ」なんて追いやられる方がこわいです”と書かれていたことに対してで、決して悪気はないのです。 それと、日本人の心が狭いというのではなく、そのような対立を招くこと自体が、心の狭いことというつもりでした。国土が狭いことで、犬を自由に遊ばせる空間がないため犬好き派と犬嫌い派の人間関係がギクシャクすると理由付けるのは簡単だと思いましたが、やはり人々がお互いの立場にたって、広い心をもつ必要があるのではと思い、あのような文面になってしまいました。決して日本人すべてのことを言っているのではありませんので、悪く思わないでくださいね。余談ですが、私は自分が日本人であることを誇りに思っていますし、子供達も半分日本人であることにプライドをもっています。 ではお昼休みが終わってしまうので、このへんで。 長年アメリカに住んでいると、 |
あんこ |
投稿日時: 2005-8-9 22:49
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Just popping in
登録日: 2005-3-20
居住地: 神奈川県横浜市
投稿: 7
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Re: ドッグランは本当に必要?
こんにちは、ロクシーのママさん。
私もドッグランは必要と考えています。 確かに狭い日本で愛犬を思う存分遊ばせる所は 早朝の海か公園か。。。愛犬家であればやはり自由に走らせて あげたい気持ち解りますよね。 ロクシーママさんが仰る犬好き派と犬嫌い派は日本に限らず ある事ですし全国共通ではないのでしょうか 決して日本だから対立している事ではありませんよ 日本という国はもともと犬に対してペットというより 番犬といった考えが何十年か前(今も地方だとそういった考え はあります)は確かにありました。 番犬の役目が出来なくなれば次を飼えばいいのだと。。。 幸いな事に日本は現在空前のペットブームです。 愛犬に対する躾けやある程度のマナーも大分良くなって いる事は事実です。 実際保健所で殺傷処分されるペットの数は少しですが 減っている事も事実です。 決して日本は心の狭い人達ばかりではなく もっともっと良くしようと考えている人達も 以前と比べたらずーと増えているということを理解して下さいね また、愛犬の安全は確かに飼主の役目です。 その命を助け守れるのは飼主だけです。 その事を忘れず愛犬の一生を看取ってあげるのが飼主の 役目だと思っています。 ドッグランの事なのに話がそれてしまいました。 ただ、ちょっと気になってしまったもので。。。 すみません。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2005-8-9 14:28
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
チロルのママさん、なまずさん、こんにちわ。ロクシーのママです。
ドッグランが必要か否かという問題は、結局は飼い主達のマナーの問題に帰着するようですね。 先日の私の投稿に、ドッグランは法を犯さず、安全に遊ばせることができる唯一の場所と書きましたが、実は法の解釈について、チロルのママさんのようにハンドルの遊びの部分というというか、グレーの領域があることは、皆さん承知していると思っています。 例えば、車が全然来ない時に赤信号を無視して道路を渡ったことのない人が一体何人いるでしょうか。あくまでも、自分の責任において、人に迷惑をかけずに、安全を確認して渡れば、それはそれでいいのではないかと私は考えています。 公園での犬のノーリードについても、誰もいない早朝とかにほんの数分放して他の犬と遊ばせることは、だれにも迷惑をかけなければ許されてもいいのではと思います。 実は、うちの犬達も散歩の途中に通る公園内で、Maxだけリードを放しています。でも人影が見えたら、すぐに呼び寄せて、リードをつけるようにしていますが。 あくまでも、基本は人に迷惑をかけないことと犬を危険にさらすことがないようにということだと思います。 でもそういった環境が整っているケースが一体どのくらいあるでしょうか。日本は人も犬も多いようですし。ですから、ドッグランのような施設が身近にあれば、何も心配せずに、思う存分遊ばせてあげられるのではないでしょうか。 ところで日本では、犬好き派と犬嫌い派の対立があるようなのが残念ですね。国土が狭いという理由もあるでしょうが、それ以上に人々の心の狭さを感じます。自分さえよければいいという考えは、違った価値観を否定するものです。犬の好きな人もいれば猫の好きな人もいる。違った文化や価値観を、尊重しあって、譲り合うことができればいいなと願っています。そうすれば自ずと、マナーも身についてくるのではないでしょうか。 話しが大分ずれましたね。繰り返しますが、基本は、人に迷惑をかけないことと、犬の安全を守ってあげることだと思いますが、いかがでしょうか。 |
amedeo平田 |
投稿日時: 2005-8-9 7:19
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Just popping in
登録日: 2005-6-3
居住地: Osaka,Japan
投稿: 4
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Re: ドッグランは本当に必要?
こんにちは。さて、HPに出ている公園で皆が遊んでいる姿についてですが、あれは決して「犬をノーリードにしよう」と推奨しているわけではありません。どうか誤解されませんように。見る人ごとにいろんな解釈をされる方がおられると思い、実際掲載するときには悩みました。(御指摘頂きありがとうございます。再度注釈を入れるか削除する等検討させていただきます。)
公園内の小さな立て看板は市からの注意書きとして ・野球、サッカーなどのボール遊びは禁止 ・花火も禁止 ・ゴミの放置禁止 ・犬の糞は始末する とあります。 この公園は、両側が木造アパート、奥のフェンスの向こうは電車が間近に走っている、ほんとにHPなどで全貌を自慢できる程もない申し訳程度のスペースです。しかし、これが町内で唯一公園といえる場所です。 私が前に訪れたドッグランというのはそこから歩いて30分以上かかる(年輩の方だともっとかかる)場所にあり、車を持っている人でないとまめに通う事はできません。 古い住宅の跡地はたちまち駐車場や新築マンションに変わり、そこを公園にするとかドッグランを作るなんてずうっと後の時代に先送りなんじゃないかという感じです。 それ以上は土地の問題に絡んでくるのでこの話はここでおしまいにしますが。 先の話に戻りまして、公園内の注意書きについて。公にネット上で書いてしまいますが、実際のところ額面通りに守られていません。重ねていいますが、注意を守らなくていいという意味ではないので前もって断わりをいれさせて下さい。 野球やサッカー、本格的な練習試合こそしませんが人気のない頃合に子供達が練習しています。花火は自宅からバケツを持参して楽しんでいる人もおります。なんせ、庭のない集合住宅が多いばかりで自由に遊べる土地が少ない。大人優位のどうしようもない町です。ゴミと犬の糞に関しては人目のない時に誰かが放っていくんですよ、こういうのが本当に困る。 犬を遊ばせるのも何時でも誰とでもという訳じゃありません。犬同士仲の良し悪しもあるし、居合わせる人が犬が苦手かもしれない。中には好きで向こうから声をかけてくださる人もいるけど、大抵は前者である事を想像して、これもまた人の少ない時にキャッチボール等をするという状況です。ほんとはずっとリードで引っ張っておかなきゃいけないんでしょうけどね。 車の運転に例えたら(車を引き合いに出すのも変やけど)ハンドルの遊びの部分みたいなもので、上手く言えないけれどそんなゆとりもないとガチガチで犬だってどこかにプッツンきてしまう、そんな気がします。 ただ、それが出来るのは遊びの部分で何が生じても全て自己責任で完結する覚悟のある人です。 そして、話は少々逸れますが、今の子達には普段から犬のプリミティブな部分をもっと垣間見ることがあってもいいんじゃないかと思うんです。先日訪れたお店のペットコーナーで母親らしき人が声高々に「見て、○○がン十○万円ででてる!」なんて旦那と子供も一緒にガラスケースを見つめていました。私の月給をはるかに超えるヨチヨチ歩きのそのコはケースの中でみるからにか弱い姿をしていました。ン十○万円...それがどうしたんや? 家で病気しないように...喧嘩もしないように...後生大事にするんやろうか。人の子だっていろんな思いを経験しながら事の善悪学んでいくのに。別に外へバンバン出せなんてえらそうに言うつもりはないです。社会で教える手間を惜しんで初めから良い子でいさせようとするご都合主義の飼主に腹が立つんです。 私の主観ですけど...。; 言い過ぎたかな....誰かから痛いゲキが飛んできそうですね。 ドッグランも、ドッグカフェも、皆が心地よくいられる様オーナーが対応してくれるところなら喜んで行きたいと思います。 |
なまず |
投稿日時: 2005-8-7 7:05
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Just popping in
登録日: 2005-3-20
居住地: 埼玉県
投稿: 4
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Re: ドッグランは本当に必要?
平田さん初めまして、HPみせていただきました。そこで、ちょっとした疑問がわきました。とても失礼なことをいいますし間違っていたらごめんなさい。お近くの公園を勝手にドッグランにしてはいませんか?公園でオフリードで遊んではいませんか?もしそれをなさっていたら、話がちょっと違うと思います。ドッグランというのは有料とか無料というのではなくあらかじめそこではノーリードで遊ばせていい場所であることを宣言している場所だと思うんです。いくらみんながお行儀をよくしルールを守っていても本来そういった宣言をしていない場所でノーリードで遊ばせることはルール違反なんです。(特に街中において)ですから、やはり、リードなしで自分の犬を走り回らせたりほかの犬と遊ばせたいときには良くも悪くもドッグランは必要だと思います。
勝手な思いこみで間違ったことをいっていたらごめんなさい。 |
投稿者 | スレッド |
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amedeo平田 |
投稿日時: 2005-8-6 23:59
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Just popping in
登録日: 2005-6-3
居住地: Osaka,Japan
投稿: 4
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxとHollyとRoxyのママはじめ読者の方々こんにちは。確かにおっしゃる通り必要性は地域の環境によっても大きく違う事でしょう。近所で犬のいる家が少なかったりすると、仲間づくりの場がなければ本当に一人っ子の犬になっちゃう。その為にドッグランを利用するなら私もきっと通います。
現在私が住んでいる所は大阪市内に近く、特に住宅の密集した狭くて人の多い町です。築40年の木造アパートが今もいくつか残ったまま一戸建てやマンションがここ数年で次々と建ち、新しく越してきた人も沢山います。犬同士散歩で回を重ねて会ううちに公園(とても狭いのですが)で一緒に転げ回って遊ばせてもらえるような仲間もおり、「犬立入り禁止」の公園が実際ある事を思えば恵まれた場所に住んでいるなと感謝しています。 そんな環境を作ってくれているのは犬と長い年月一緒に暮らして来られた地元の先輩方です。年輩の方が中心で、公園に残っている犬の置き土産(糞)を見つけたら自分ちのでなくても積極的に始末するような人達です。犬にまつわる情報交換から教わる事も多く、それぞれの犬が遊ぶ様子を見ながら話す中で「どこそこの○○ちゃんは...」みたいな話も出て来るわけです。 オーナーが糞を拾わないとか、やたら吠えるとか、同じ犬連れからも疎まれる人と犬は、もともと犬が好きでない人にも同じもしくはそれ以上に嫌われます。そして、そんな子たちは自然と公園からも遠ざかってしまい、見かける事も少なくなります。 中には子犬の頃から他の人や犬に接触させず、はじめから「近くにいっちゃダメ」なんて教えている人もたまにいますけど。そういうケースは論外として、人も犬も多い都心のドッグランは有料を盾にそうした犬の隠れ蓑になりやすいという事です。 ドッグランて、日本だと街中では見受けるのに田舎ではあまりきかないですね。あるんでしょうけど。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2005-8-6 14:23
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
チロルのママさん、こんにちわ。MaxとHollyとRoxyのママです。HPも見させていただきました。人間と犬達が共に幸せに暮らしていく喜びを多くの方々に知って欲しいですね。
ところで、ママさんの“ドッグランなど必要なくなって欲しい”というご意見も一理あると思いますし、敢えてそれに反論するつもりはありませんが、それは人間の立場から見た意見だと思うのです。犬の立場から見たらどうでしょうか。私はドッグランを人間と犬の境界線とは考えません。ドッグランは犬達が〔特に一人っ子の犬達が〕地域の法規を犯さずに、車その他の危険を心配せずに、他の仲間達と自由に走り回れる唯一の空間だから、必要だと思うのです。 幸い私の住んでいる辺りの家には、日本の都心では考えられないような庭がありますが、それでも毎日の散歩とは別に、たまにはドッグランに連れて行っています。というのは、どんなに飼い主が可愛がってあげても、犬には犬の仲間が必要だと感じているからです。そしてドッグランでは、犬達が人間と一緒にいるときとは違った刺激を受け、“犬”の部分を大いに発揮しているのを見るのが楽しいです。 ドッグランの中にしろ外にしろ、心無い飼い主達のせいで、周りの人たちが嫌な思いをすることがないように、皆の意識の向上を願ってやみません。 日本のドッグランの実状がよく分からないので、的外れの意見だったらごめんなさい。 |
amedeo平田 |
投稿日時: 2005-8-6 0:01
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Just popping in
登録日: 2005-6-3
居住地: Osaka,Japan
投稿: 4
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Re: ドッグランは本当に必要?
私は必要なくなってほしいと思います。何の為に人との境界線が必要なのか、そこから話を掘り下げて考えられてはいかがでしょうか?
極端な話、無吠えや攻撃的など多少の問題を抱えた子でも、ドッグランという場所に甘んじて容認される事が沢山あると思います。(特に有料の所では。)私も犬を連れて地元のドッグランを訪れ、ドッグランの側にあるカフェで一息つきたかったのですが、四六時中吠えっぱなしの大型犬がいるのに飼主は側におらず、それどころかスタッフも見て見ぬふりをしたままでした。あまり落ち着いた心地もしなくてろくに注文もせずそのまま席を立ち出ていってしまいました。 近所で犬を連れた方達と交流を持ち、情報交換をしながら人も犬も仲良くなって社会に馴染んでいけたらいいかな...と。 犬が苦手という人にせめて嫌われないよう気配りを普段から欠かさない...とか。 ドッグランが増える事で犬嫌いの人が「犬の散歩もドッグランでしろ」なんて追いやられる方がこわいです。 |
OP |
投稿日時: 2005-6-22 13:41
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Just popping in
登録日: 2005-6-13
居住地:
投稿: 8
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Re: ドッグランは本当に必要?
MaxとHollyのママさんこんにちは。
お返事ありがとうございました。 そちらにはたくさんのドッグラン(そちらではOff-leash Parkですね)があってうらやましいです。 地方自治体が運営しているドックランがあるなんて素敵ですね。 こちら(名古屋在住なのですが)は民営のドックランが増えてきたとはいえ、まだまだ気軽にいけるほどの身近感はありません。 MaxとHollyのママさんがおっしゃる通り、ドックランのいい点はたくさんあるのですが.. 実は犬同士ケンカするから、ノーリードにできない,お金払ってるンだから何やってもやっても(させても?)いいというモラルの低い飼い主さん等々。 意外に悪い話も耳にします。 そもそも、ドックランが必要なのかというフォーラムですが、ドックランは不要だという人がいたら、どういう理由でなのか、聞いてみたいなぁって思ってます。 |
MaxHolly |
投稿日時: 2005-6-16 14:03
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Just can't stay away
登録日: 2005-3-20
居住地: オレゴン州ビーバートン市
投稿: 198
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Re: ドッグランは本当に必要?
こんにちわ、OPさん。MaxとHollyのママです。
私もドッグラン(こちらでは“Off-leash Park”と読んでいますが)はあったほうがいいと思います。以下にその理由をあげてみます。(重要度は順番と関係ない) 1.リードに繋がれた状態でなく犬が自分の意思で自由に行動できる空間である 2.走り回ったり、追いかけっこをしたり、充分な運動をさせてあげられる 3.他の大勢の犬と出会えて、刺激になる(特に一人っ子の場合) 4.他の飼い主との出会いも、人見知りを避けるために有効である(特に飼い主は皆いぬ好きなので都合がよい) 以上は犬のための利点です。次に飼い主の立場からは、 1.自分が疲れていたり、体調が悪くて散歩をしたくないときに、便利である(でもこれは日本では通用しないかも。こちらでは車でドッグランまでドライブするだけでよいので) 2.他の飼い主たちとの、社交、情報交換の場になる 3.なんといっても、自分の可愛い犬が楽しく遊んでいるのを見るのは、嬉しいです!! 他にもいろいろあると思いますが、とりあえず思いつくままに書いてみました。 ドッグランは地方自治体の運営ですが、糞の掃除などボランティアに頼っている部分もたくさんあり、募金箱のようなものが設置してあって、私は使わせてもらう度に1ドルほど寄付しています。また糞を取るためのビニール袋や水のみ場とたらいが備わっています。人間用に屋根つきのベンチとテーブルがあります。 Maxはもう老犬なので、私のそばからあまり離れずにいますが、Hollyのほうは他の犬たちと追いかけっこに夢中です。ドッグランに行った日は普段余っているエネルギーを発散できるので、寝顔が特に可愛いです。 |
OP |
投稿日時: 2005-6-13 11:50
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Just popping in
登録日: 2005-6-13
居住地:
投稿: 8
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Re: ドッグランは本当に必要?
はじめまして。OPです。
ドックランは必要だと思います。 ココでは相当、ON/OFFリード議論があったようですが、 これは双方言い分が平行線になりやすく、 私の散歩している河川敷でも、ON/OFFリード派の関係が 微妙です。 (小競り合い等があると空気悪くなります..) 一番単純で本質的ではないかもしれませんが、ドックランが あれば、どちらも満足ですし、正直にいえば私も リードをはずした状態で、他のワンコと戯れるうちの犬の 姿を見てみたいという気持ちがあります。 情報交換の場にもなると思いますし。 ただし、他の犬にエサをあたえない,ヒート中の女の子が禁止等 ルール作りが必須だとは思います。 |
LWD |
投稿日時: 2005-6-12 23:22
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Team LWD
登録日: 2005-2-19
居住地:
投稿: 43
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ドッグランは本当に必要?
みなさん、こんにちは!
LWDがサイトを立ち上げた96年は、ドッグランは千歳だけでしたが、最近はいろんなことろにドッグランが増えてきました。このように増えてくると見えてくるのが、ドッグランの作りとか、運営ではないでしょうか? 今あらためて思うのですが、ドッグランは本当に必要なのでしょうか? |