Page 3 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼飼い主 saika 03/10/8(水) 14:13 ┗Re:飼い主 愛犬と旅M 03/10/12(日) 15:36 ┗Re:飼い主 saika 03/10/14(火) 16:58 ┗Re:飼い主 愛犬と旅M 03/10/14(火) 23:28 ┣Re:飼い主 青空 03/10/16(木) 17:35 ┃ ┗Re:飼い主 愛犬と旅M 03/10/16(木) 19:47 ┃ ┗Re:飼い主 青空 03/10/17(金) 11:34 ┃ ┗Re:飼い主 愛犬と旅M 03/10/17(金) 18:50 ┃ ┗Re:飼い主 青空 03/10/20(月) 11:40 ┗Re:飼い主 saika 03/10/17(金) 18:06 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 飼い主 ■名前 : saika ■日付 : 03/10/8(水) 14:13 -------------------------------------------------------------------------
ノーリードでの咬傷事件で逮捕、という記事、及びコラムを読ませていただきました。 この飼い主は、それより前にも自分の犬が人に危害を加えてしまう事件を起こしていたようですね。詳しい事情は解らないのですが、この人は、リードがあれば、以前の事件も含めて、自分の犬が、人に危害を加えることを防ぐことができていたのでしょうか? いぬは、かみます。 犬は人に爪を立てます。 犬は吠えます。 これらは、全て、ある意味、人にとっては都合が悪いことですが、犬からしてみれば、様々な理由があることが多く、時に、危害を加えようとしていないことも多いのではないでしょうか? そういう犬の持って生まれた、人には都合の悪い行動様式をも含めて、あるものとして認め、その上で、犬が人の社会で不都合なく(人にとっても、犬にとっても)暮らせる様にしてゆくこと、飼い主の理想像があるとしたら、そんなことかなぁ〜、なんて思います。 |
▼saikaさんへ >ノーリードでの咬傷事件で逮捕、という記事、及びコラムを読ませていただきました。 > >この飼い主は、それより前にも自分の犬が人に危害を加えてしまう事件を起こしていたようですね。詳しい事情は解らないのですが、この人は、リードがあれば、以前の事件も含めて、自分の犬が、人に危害を加えることを防ぐことができていたのでしょうか? リードをしていれば防ぐ事が出来る可能性は高いでしょうね 知らない人が近寄れば襲うであろう予測はその犬と付き合っていれば判るはずです。 にもかかわらずリードをしないことが悪だと思います。 もしリードをしてなお他の方が近ずいて噛まれた場合、飼い主側に全面的に非があるとも思えません リードの有無が全ての噛み付き事故の撲滅にはならないかも知れませんが、愛犬の性格を判断し 広い河川敷においても適切な処置をするのが飼い主たる人間の役目だと思います > >いぬは、かみます。 >犬は人に爪を立てます。 >犬は吠えます。 > >これらは、全て、ある意味、人にとっては都合が悪いことですが、犬からしてみれば、様々な理由があることが多く、時に、危害を加えようとしていないことも多いのではないでしょうか? > >そういう犬の持って生まれた、人には都合の悪い行動様式をも含めて、あるものとして認め、その上で、犬が人の社会で不都合なく(人にとっても、犬にとっても)暮らせる様にしてゆくこと、飼い主の理想像があるとしたら、そんなことかなぁ〜、なんて思います。 「犬が人の社会で不都合なく暮らせる様」 私はその様な社会は存在しないと思います。赤ちゃんは人間ですがお母さんとの関わりはあっても一般の人とは関わりはありませんそれと同じだと思います 犬が期待する飼い主の理想像は 犬から見れば相棒にあたる人間 すなわち飼い主です。犬の社会があるとすれば 犬にとって飼い主を含めた家族全体だと思います 犬が人の社会で不都合なく暮らせる 人とは家族をさしてなら実現できると思いますが |
▼愛犬と旅Mさんへ >リードをしていれば防ぐ事が出来る可能性は高いでしょうね 知らない人が近寄れば襲うであろう予測はその犬と付き合っていれば判るはずです。 にもかかわらずリードをしないことが悪だと思います。 状況も詳細も解らないのですが、なにしろ大型犬、チワワ3頭とは違いますので・・・。グレートデンと秋田犬とゴールデンの3頭をリードがあって制御できるなら、なくても制御できるだろう、そして、その反対もまた然り、という単純な気持ちだったのですが。 ただ、ここで、リードの有無の是非を論じるつもりはないのです。なにしろ、詳細も状況も解らないことですから。 >もしリードをしてなお他の方が近ずいて噛まれた場合、飼い主側に全面的に非があるとも思えません あれ?んん〜・・・? >リードの有無が全ての噛み付き事故の撲滅にはならないかも知れませんが、愛犬の性格を判断し 広い河川敷においても適切な処置をするのが飼い主たる人間の役目だと思います 「愛犬の性格を判断し、適切な措置を採るのが飼い主の役目だ」と、私も思います。 人様に危害を加える可能性のある犬なら、まず、人様に危害を加えない様に言い聞かせる必要があるだろうし、それがうまく行かないのなら、リードで制御するに留まらず、たとえ攻撃をしかけたとしても危害を最小限にすることができるよう、例えば、リードそのものも、人がコントロールしやすい(犬の力を半減させることができるタイプ)物を選んだり、口輪をするなりの方策を採るべきでしょうね。それ以上の方策も、いろいろとあることでしょう。 >「犬が人の社会で不都合なく暮らせる様」 > >私はその様な社会は存在しないと思います。赤ちゃんは人間ですがお母さんとの関わりはあっても一般の人とは関わりはありませんそれと同じだと思います > >犬が期待する飼い主の理想像は 犬から見れば相棒にあたる人間 すなわち飼い主です。犬の社会があるとすれば 犬にとって飼い主を含めた家族全体だと思います > >犬が人の社会で不都合なく暮らせる 人とは家族をさしてなら実現できると思いますが いえ、私は、そういう狭い意味での社会を考えたわけではありません。飼い主の考え方に、犬の生活は左右されるし、それが当然ですので、家族という社会の中で生きている犬達もいるでしょうし、その中で、幸せに暮らす犬達も、とっても多くいることと思います。ただ、私の犬達は、もっと広く社会と関わっていますので、もっと広い社会を考えているわけです。 |
▼saikaさんへ >>リードをしていれば防ぐ事が出来る可能性は高いでしょうね 知らない人が近寄れば襲うであろう予測はその犬と付き合っていれば判るはずです。 にもかかわらずリードをしないことが悪だと思います。 >状況も詳細も解らないのですが、なにしろ大型犬、チワワ3頭とは違いますので・・・。グレートデンと秋田犬とゴールデンの3頭をリードがあって制御できるなら、なくても制御できるだろう、そして、その反対もまた然り、という単純な気持ちだったのですが。 >ただ、ここで、リードの有無の是非を論じるつもりはないのです。なにしろ、詳細も状況も解らないことですから。 >>もしリードをしてなお他の方が近ずいて噛まれた場合、飼い主側に全面的に非があるとも思えません > >あれ?んん〜・・・? 擬音語ですか? 良く分からない返答ですね 相手と現に話をしている場合においては一瞬分からない場合があります。 その場合思わず あれ?とか言う言葉はつい口に出ますがこの様な文章を読む場合ななら何度も読みかえせます。 読み返す事によって何度も時間は後戻りします。分からないのなら、分からないとお書きになって頂くと有難いのですが、如何でしょうか 私は愛犬が全く相手を攻撃しない教育なり しつけが出来ればそれは大事な事だと思います。しかし不幸にも そうでない性格になってしまった場合、散歩に愛犬と出かけないといけない場合はあるのでしょう、 愛犬の性格を知っていれば相棒たる人間は当然リードするはずです。 その状態において ワンちゃん好きの方が 触ろうとした場合危害を与える旨を伝えるはずです。 それでも触れた場合、全面的に噛み付いた責任が問われるとは思えません、 それなり言い分は言えるはずです。 >>リードの有無が全ての噛み付き事故の撲滅にはならないかも知れませんが、愛犬の性格を判断し 広い河川敷においても適切な処置をするのが飼い主たる人間の役目だと思います > >「愛犬の性格を判断し、適切な措置を採るのが飼い主の役目だ」と、私も思います。 > >人様に危害を加える可能性のある犬なら、まず、人様に危害を加えない様に言い聞かせる必要があるだろうし、それがうまく行かないのなら、リードで制御するに留まらず、たとえ攻撃をしかけたとしても危害を最小限にすることができるよう、例えば、リードそのものも、人がコントロールしやすい(犬の力を半減させることができるタイプ)物を選んだり、口輪をするなりの方策を採るべきでしょうね。それ以上の方策も、いろいろとあることでしょう。 私もそれは当然事だと思います。言い聞かせる、それでも駄目な場合色んな選択をしないといけないのは当然だと思います。相手に危害を加えない様配慮することは当然の責任だと思います > >>「犬が人の社会で不都合なく暮らせる様」 >>私はその様な社会は存在しないと思います。赤ちゃんは人間ですがお母さんとの関わりはあっても一般の人とは関わりはありませんそれと同じだと思います >> >>犬が期待する飼い主の理想像は 犬から見れば相棒にあたる人間 すなわち飼い主です。犬の社会があるとすれば 犬にとって飼い主を含めた家族全体だと思います >> >>犬が人の社会で不都合なく暮らせる 人とは家族をさしてなら実現できると思いますが > >いえ、私は、そういう狭い意味での社会を考えたわけではありません。飼い主の考え方に、犬の生活は左右されるし、それが当然ですので、家族という社会の中で生きている犬達もいるでしょうし、その中で、幸せに暮らす犬達も、とっても多くいることと思います。ただ、私の犬達は、もっと広く社会と関わっていますので、もっと広い社会を考えているわけです。 もっと広くですか、私は犬が単独で直接人間社会と関わるとは思えないのです。 例えば施設を慰問をるワンちゃんにおいてもそれはあくまでも相棒たる人間を介しでだと思います。 私は自分の愛犬花子に関して言えば自分と花子家族の世界があってその外側に人間社会があると思います。 しかしレンタル犬やワンワンパークの犬たちは、直接知らない人と関わっているのですから 社会性は必要なのかも知れません、でもそれは不幸な事だと私は思います。 |
私、ずっとこのテーマが気になってたんです。 一生懸命に自分なりに考えていたんですが、どうもしっくりこなくて困ってました。 そして、愛犬と旅Mさんとsaikaさんのやり取り見てて、やっとぼんやりと浮かんできた事を書きます。(新しくスレ立てなくてごめんなさい) 最初はとても単純な(?)ことを思いついたんです。 それは、レスキューした犬が我が家にいるから余計なのでしょうけど、「暑さ寒さ・風雨をしのげる家」「必要十分な食事」「衛生的な環境」「行き届いた健康管理」これらは人として犬に与えてあげなきゃいけない最低限の条件かなと思えたんです。 これらは、我が家の3匹にもほぼ平等に与えることができる。 でも、それだけでは犬だって、がっかりしそうですよね。 まして、3匹ともどうやら私に求めてくるものが違うようだし。 ここからは、個々の個性を見なきゃならない(逆に人の個性もみぬかれてます)。 「不都合のない」暮らしは、私達人間同士でも理想なんだけど、「家族」だからこそ不都合ありますよね。 それでも、運命共同体だから一緒に暮らすんですよね。 だから、犬も不都合はあっても「家族」として受け入れることが大事なんですよね。 こんなこと、とても自然で当然で、愛情たっぷりの家族関係を築いている家庭からみれば馬鹿みたいな事なのかもしれないけど、犬を付属物とか装飾物としてしか扱えない人もまだまだ居そうなので。 犬は、その家庭に来た時から「家族」にして欲しいって願うんじゃないかな? ここのHPのコラムにも「犬のおしゃべり」の話が出てました。 我が家の犬達も言葉、アイコンタクト、ボディーランゲージ、色々なサインを駆使して、私達とおしゃべりをします。お互いの意志の疎通が確かになっていくことの喜びは、飼い主以上に犬が感じてくれてるような気がしてならないんです。 そして、人に気を使ってる所も見受けられます。 だから、家族として迎えいれてもらって、人とおしゃべりして意志の疎通ができ、時々一匹にして息抜きさせてもらえる環境を作ってくれる飼い主(家庭)が犬にとっての理想かな?ととりあえず、漠然とまとめてみました。 ただ、これは特別な使命のある犬は除かないといけないかもしれませんし、結局、我が家の犬(家庭犬)は・・・ということにはなってしまうのかもしれません。 我が家の犬達と意志の疎通ができた時のおどろきと喜び、高揚感が私は大好きなので、そう思ってしまうのでしょうね。 これは犬の理想じゃなくて、私(人)の理想になってしまったかしら? 犬達と対してると確かな確信なのか、想像力(思い込み)のなせる業なのか考えてしまうことも多くて、我が家の犬達にとっては、まだまだ頼りない飼い主をやってます。 |
▼青空さんへ >最初はとても単純な(?)ことを思いついたんです。 >それは、レスキューした犬が我が家にいるから余計なのでしょうけど、「暑さ寒さ・風雨をしのげる家」「必要十分な食事」「衛生的な環境」「行き届いた健康管理」これらは人として犬に与えてあげなきゃいけない最低限の条件かなと思えたんです。 その通りだと思います。きっかけだどうであれ一度引き受けた生命です。最後までその最低限の条件を維持する義務はあると思います。 ある生命を受け取って それを簡単の奪う事は許されない事だと思います。 >これらは、我が家の3匹にもほぼ平等に与えることができる。 >でも、それだけでは犬だって、がっかりしそうですよね。 >まして、3匹ともどうやら私に求めてくるものが違うようだし。 >ここからは、個々の個性を見なきゃならない(逆に人の個性もみぬかれてます)。 自分の相棒たる花子が私を理想の飼い主と見てもらっているかは永遠の分からないと思っているのです。 理想の飼い主と思ってもらいたいと願いますけどね、 でもそれは花子が判断する事だと思っているのです。 >「不都合のない」暮らしは、私達人間同士でも理想なんだけど、「家族」だからこそ不都合ありますよね。 >それでも、運命共同体だから一緒に暮らすんですよね。 >だから、犬も不都合はあっても「家族」として受け入れることが大事なんですよね。 「家族」だからこそ不都合? その意味が私には分かりません、例えば他の犬と遊べない事でしょうか?それとも人間であれば、意思が通じ合わない事があったとして それが家族であるからこそ不都合なのでしょうか? >こんなこと、とても自然で当然で、愛情たっぷりの家族関係を築いている家庭からみれば馬鹿みたいな事なのかもしれないけど、犬を付属物とか装飾物としてしか扱えない人もまだまだ居そうなので。 >犬は、その家庭に来た時から「家族」にして欲しいって願うんじゃないかな? 生命を持った生き物を愛玩動物 すなわちペットと言うのは私はあまり好きではありません、 生面は玩具とは思えないないのです。子供にせがまれて犬を飼う、庭に犬小屋、家の付属物として飼われている犬たちは不幸でしょうね ですから、我が家の花子より不幸な犬たちがいる事は事実です。だからと言って幸せとも限りません 理想の飼い主もボーダーラインはなんの尺度を持って分けるかです。 >ここのHPのコラムにも「犬のおしゃべり」の話が出てました。 >我が家の犬達も言葉、アイコンタクト、ボディーランゲージ、色々なサインを駆使して、私達とおしゃべりをします。お互いの意志の疎通が確かになっていくことの喜びは、飼い主以上に犬が感じてくれてるような気がしてならないんです。 >そして、人に気を使ってる所も見受けられます。 > >だから、家族として迎えいれてもらって、人とおしゃべりして意志の疎通ができ、時々一匹にして息抜きさせてもらえる環境を作ってくれる飼い主(家庭)が犬にとっての理想かな?ととりあえず、漠然とまとめてみました。 私は最近脱サラをしたのです。家が職場になりました 花子と何時も同じ部屋です。 あっちの部屋に行けばついてくる こっちの部屋に行けばついてくる 花子は何時も私の傍にいてくれます。 花子は最近少しやせました。 食欲は以前と変わりません 私が会社勤めのと時は日永一日寝ていたそうです。 今も私の傍で寝ていますがきっと熟睡出来ず気を使うのかも知れません、 花子にとって以前の生活が幸せか 今が幸せか私には分かりません、私がいれば 気を使うし もっと言えば 家にいるのにかまってもらえなという不満があると思います。 >ただ、これは特別な使命のある犬は除かないといけないかもしれませんし、結局、我が家の犬(家庭犬)は・・・ということにはなってしまうのかもしれません。 >我が家の犬達と意志の疎通ができた時のおどろきと喜び、高揚感が私は大好きなので、そう思ってしまうのでしょうね。 >これは犬の理想じゃなくて、私(人)の理想になってしまったかしら? >犬達と対してると確かな確信なのか、想像力(思い込み)のなせる業なのか考えてしまうことも多くて、我が家の犬達にとっては、まだまだ頼りない飼い主をやってます。 理想の飼い主 良きリーダー 犬にとって良い家庭、何れもその定義は私には分かりません その人々、家族 それぞれの価値観、言える事は自分の愛犬にどれだけ愛情を感じるかと言う事だと想います。 もちろん自分が感じる愛情ですからこれも尺度はありません、でも私は自分が感じる愛情分だけ、花子も同じ様感じてくれる。そう信じています。事実は分かりませんけど |
▼愛犬と旅Mさんへ >自分の相棒たる花子が私を理想の飼い主と見てもらっているかは永遠の分からないと思っているのです。 理想の飼い主と思ってもらいたいと願いますけどね、 でもそれは花子が判断する事だと思っているのです。 > >>「不都合のない」暮らしは、私達人間同士でも理想なんだけど、「家族」だからこそ不都合ありますよね。 >>それでも、運命共同体だから一緒に暮らすんですよね。 >>だから、犬も不都合はあっても「家族」として受け入れることが大事なんですよね。 > >「家族」だからこそ不都合? その意味が私には分かりません、例えば他の犬と遊べない事でしょうか?それとも人間であれば、意思が通じ合わない事があったとして それが家族であるからこそ不都合なのでしょうか? 私の解釈は「不都合」=「本人の思うとおりにならない」ということなんです。だから「都合がよい」というのは、「なんでも思うとおりになる」ってことだと思ってます。 家族だからこそ・・ではなく、家族でも・・・と書いたほうが良かったのかもしれません。 家族同士でも不都合はあるのだから、社会などもっと不都合なものということがまず言いたかった。 ただ家族だからこそ、いつも一緒に暮らす運命共同体だからこそ、余計に不都合を感じることもあるんじゃないかというようにも考えてます。この不都合も思いやりや愛情、時間を共有する連帯感などによって相殺されていくことで家族として絆(かけがえのない)が強くなるのでは?と。 「都合がよい」関係というのは、そんなに理想的な関係でもないかなと思えたのです。 不都合は避けられないけど、それをリカバリーしあえたら、素敵な家族なのかもしれません。 すみません。自分で書いていることなのに、理解していただけそうもない、説明になってしまったようです。 >生命を持った生き物を愛玩動物 すなわちペットと言うのは私はあまり好きではありません、 生面は玩具とは思えないないのです。子供にせがまれて犬を飼う、庭に犬小屋、家の付属物として飼われている犬たちは不幸でしょうね そうですね。 私は、室内犬という言葉にも抵抗があるんです。 どの犬だって「室内犬」じゃないから出来た言葉ですよね。 どの犬でも室内に入れてあげて欲しいって思います。家族の団欒に入れてあげて欲しいとね。 外に繋がれっぱなしの犬にとって、それが生来の日常であれば、実際はどんな気持ちかはわかりませけど、すくなくとも室内の家族が室外の犬と会話する時間は極端に少ないのではと、淋しくなります。 海外の旅先やホームステイで出会った殆どの犬達は、室内外出入り自由でした(生活様式の違いなのでしょうが)。別宅としての犬小屋はあったとしても、犬の家、人の家という分けは無かったように感じます。 >>だから、家族として迎えいれてもらって、人とおしゃべりして意志の疎通ができ、時々一匹にして息抜きさせてもらえる環境を作ってくれる飼い主(家庭)が犬にとっての理想かな?ととりあえず、漠然とまとめてみました。 > >私は最近脱サラをしたのです。家が職場になりました 花子と何時も同じ部屋です。 あっちの部屋に行けばついてくる こっちの部屋に行けばついてくる 花子は何時も私の傍にいてくれます。 花子は最近少しやせました。 食欲は以前と変わりません 私が会社勤めのと時は日永一日寝ていたそうです。 今も私の傍で寝ていますがきっと熟睡出来ず気を使うのかも知れません、 犬はきっと、気配り(愛情)の動物なのでしょうね(笑)。 でも愛犬と旅Mさんだって、花子ちゃん同等の気配り(愛情)を与えていらっしゃることでしょう? 私は、犬は寛容な生き物だなと思うこともあります。人から与えられるものを受け入れて(いくしかない)くれているんですよね。だからこそ、絶対にはずしてはいけない義務は果たさねばなりませんね。 私が一番最初にあげた義務を果たせない人には、怒りを感じます。 >花子にとって以前の生活が幸せか 今が幸せか私には分かりません、私がいれば 気を使うし もっと言えば 家にいるのにかまってもらえなという不満があると思います。 愛犬と旅Mさんも、花子ちゃんと遊びたくても仕事で我慢することもあるんでしょうね? >理想の飼い主 良きリーダー 犬にとって良い家庭、何れもその定義は私には分かりません その人々、家族 それぞれの価値観、言える事は自分の愛犬にどれだけ愛情を感じるかと言う事だと想います。 > >もちろん自分が感じる愛情ですからこれも尺度はありません、でも私は自分が感じる愛情分だけ、花子も同じ様感じてくれる。そう信じています。事実は分かりませんけど ごもっともです。 本当に、自分のいとおしいという気持ちだけが事実ですよね。私も我が家の犬達が同じように感じてくれていると信じたいです。 |
▼青空さんへ >私の解釈は「不都合」=「本人の思うとおりにならない」ということなんです。だから「都合がよい」というのは、「なんでも思うとおりになる」ってことだと思ってます。 >家族だからこそ・・ではなく、家族でも・・・と書いたほうが良かったのかもしれません。 >家族同士でも不都合はあるのだから、社会などもっと不都合なものということがまず言いたかった。 判りました、その通りです。社会は家族以上に不都合があります。自分が思っている10%程度思い通りに行けばそれはとても良い環境だと言えます >ただ家族だからこそ、いつも一緒に暮らす運命共同体だからこそ、余計に不都合を感じることもあるんじゃないかというようにも考えてます。この不都合も思いやりや愛情、時間を共有する連帯感などによって相殺されていくことで家族として絆(かけがえのない)が強くなるのでは?と。 >「都合がよい」関係というのは、そんなに理想的な関係でもないかなと思えたのです。 >不都合は避けられないけど、それをリカバリーしあえたら、素敵な家族なのかもしれません。 私もこの世に不都合が無ければ人間は成長しないと思います。もし仮に一生涯不都合に出会わない人生であるとすれば、目標はなくなります。すぐに望みがかなうわけですから、 私は花子も同じだと思っているのです。 花子は車で出かけたいのです。 私をさそう努力していますがなかなか望みはかないません、だから車に乗る楽しみがあるのかも知れません >そうですね。 >私は、室内犬という言葉にも抵抗があるんです。 >どの犬だって「室内犬」じゃないから出来た言葉ですよね。 >どの犬でも室内に入れてあげて欲しいって思います。家族の団欒に入れてあげて欲しいとね。 犬と言う動物がどう言う性格か知る事がないからでしょう、ワンワンパークや レンタルドック が存在するのもその為でしょう >外に繋がれっぱなしの犬にとって、それが生来の日常であれば、実際はどんな気持ちかはわかりませけど、すくなくとも室内の家族が室外の犬と会話する時間は極端に少ないのではと、淋しくなります。 >海外の旅先やホームステイで出会った殆どの犬達は、室内外出入り自由でした(生活様式の違いなのでしょうが)。別宅としての犬小屋はあったとしても、犬の家、人の家という分けは無かったように感じます。 海外では土足の習慣がりますが日本ではそうではありませんから、その影響も大きいと思います。 昔の農家の土間がある時代なら犬はもっと幸せだったのかも知れません、今の住宅事情では 外T内が完全に分離されてしまいます。 今は不幸な犬は極端に不幸かも知れません、 >犬はきっと、気配り(愛情)の動物なのでしょうね(笑)。 >でも愛犬と旅Mさんだって、花子ちゃん同等の気配り(愛情)を与えていらっしゃることでしょう? >私は、犬は寛容な生き物だなと思うこともあります。人から与えられるものを受け入れて(いくしかない)くれているんですよね。だからこそ、絶対にはずしてはいけない義務は果たさねばなりませんね。 >私が一番最初にあげた義務を果たせない人には、怒りを感じます。 花子と私は対等だと思っているのです。 つまり私は花子に嫌な事はしない それと同じように 花子は私に嫌な事をしない 私に嫌な事とは悪戯や、無意味に人に吼えたりすることです。 花子がそれを守れれば、それ以上に良い事は沢山あります。部屋の出入りは自由だし、出かける時は何時も一緒 大好きな車に乗れます。登山ではある山のグループの臨時会員です。 私は付き添い人ですが 私は犬にとって理想の飼い主「飼い主と言う言葉も嫌いですが」の真意は判りませんが 何時も対等で暮らせることだと思っています。 |
▼愛犬と旅Mさんへ >私は犬にとって理想の飼い主「飼い主と言う言葉も嫌いですが」の真意は判りませんが 何時も対等で暮らせることだと思っています。 「相棒」は対等と思える関係を築いていらっしゃるからこその素敵な言葉ですよね。 私は、時々「飼い主」という言葉を使ってしましますが、確かに違和感はありますね。犬を飼わない人や大衆から表現するのに「飼い主」というのが便利なのでしょう。 本当は「保護者」という言葉が今の私にはぴったりな感じです。 他にも一般的に使われてる言葉に違和感を感じてる方は多いでしょうね、「餌」ではなくて「ごはん」よ!とかデパートなどで「犬持込み・・」などの表記も、せめて「同伴はご遠慮・・」みたいな表現にして欲しい等と思うことが生活の中にはあります。 私は自分を犬達の「保護者」として考えていますが、外で「ヒトより下等」的な扱いを露骨にされると、悲しくなります。 このテーマで改めて「私の犬達は、私に何を求めてるだろう」って考えられた事は、楽しい時間になりました。 我が家の犬達から、私が世界で一番の理解者だと思ってもらえて頼ってもらえて、一生その関係が続けていけたら嬉しいですね。 話相手して下さって、ありがとうございます。 |
▼愛犬と旅Mさんへ >>>もしリードをしてなお他の方が近ずいて噛まれた場合、飼い主側に全面的に非があるとも思えません >> >>あれ?んん〜・・・? > >擬音語ですか? 良く分からない返答ですね 相手と現に話をしている場合においては一瞬分からない場合があります。 その場合思わず あれ?とか言う言葉はつい口に出ますがこの様な文章を読む場合ななら何度も読みかえせます。 > >読み返す事によって何度も時間は後戻りします。分からないのなら、分からないとお書きになって頂くと有難いのですが、如何でしょうか 私としては、愛犬と旅Mさんは、最初に書かれたこと以上のことをおっしゃりたいのではないかと思ったのですが、それは私の憶測ですし、でも、この御意見だけだと、どうしても疑問で、でも、このまま何も言わないで、同意していると受けとられてしまうのも困るし・・・だったのです。 >私は愛犬が全く相手を攻撃しない教育なり しつけが出来ればそれは大事な事だと思います。しかし不幸にも そうでない性格になってしまった場合、散歩に愛犬と出かけないといけない場合はあるのでしょう、 > >愛犬の性格を知っていれば相棒たる人間は当然リードするはずです。 その状態において ワンちゃん好きの方が 触ろうとした場合危害を与える旨を伝えるはずです。 それでも触れた場合、全面的に噛み付いた責任が問われるとは思えません、 それなり言い分は言えるはずです。 つまり、リードをしているから責任が軽減される、という御意見ではなく、犬について、飼い主がきちんと理解をしていて、それに応じた措置をとっている(つまり、他人にたいして自分の犬の危険性等を告知している等)時に、全面的に責任を問われることがないということでしょうか? 詳しく書いていただいてよかったです。 >>>犬が人の社会で不都合なく暮らせる 人とは家族をさしてなら実現できると思いますが >> >>いえ、私は、そういう狭い意味での社会を考えたわけではありません。飼い主の考え方に、犬の生活は左右されるし、それが当然ですので、家族という社会の中で生きている犬達もいるでしょうし、その中で、幸せに暮らす犬達も、とっても多くいることと思います。ただ、私の犬達は、もっと広く社会と関わっていますので、もっと広い社会を考えているわけです。 > >もっと広くですか、私は犬が単独で直接人間社会と関わるとは思えないのです。 例えば施設を慰問をるワンちゃんにおいてもそれはあくまでも相棒たる人間を介しでだと思います。 日常生活で、河原で他人を噛んでしまうと言うことも、犬が社会と関わっているからこそじゃないでしょうか。郵便配達に可愛がられるのも、疎まれるのも、社会とのかかわりだと、私は思います。犬と道を歩いていれば、普通の生活時間なら、必ず誰かとすれ違います。それは、犬が、社会と関わるということだと思います。犬の日常生活を、人の社会から切り離せないと、私は思っています。 >私は自分の愛犬花子に関して言えば自分と花子家族の世界があってその外側に人間社会があると思います。 > >しかしレンタル犬やワンワンパークの犬たちは、直接知らない人と関わっているのですから 社会性は必要なのかも知れません、でもそれは不幸な事だと私は思います。 あの犬たちは、社会と関わっているのではなく、見世物になっている犬たちであり、金儲けの道具になることを強いられているだけです。むしろ、社会生活から切り離された犬たちと言えるかもしれません。彼等が身につけることを要求されているのは、社会性ではなく、お金のひきかえにお金を払った人に与える、「型」でしかありません。 |