Page 21 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼ニュースから LIVING WITH DOGS 03/8/16(土) 1:01 ┣Re:ニュースから しろいぬ 03/8/16(土) 2:06 ┣Re:ニュースから saika 03/8/16(土) 16:27 ┣Re:ニュースから 愛犬と旅M 03/8/16(土) 19:57 ┃ ┗Re:ニュースから saika 03/8/16(土) 22:11 ┃ ┣Re:ニュースから なまず 03/8/17(日) 7:13 ┃ ┗Re:ニュースから 愛犬と旅M 03/8/21(木) 23:19 ┃ ┣Re:ニュースから saika 03/8/22(金) 2:36 ┃ ┃ ┗Re:ニュースから 愛犬と旅M 03/8/22(金) 14:23 ┃ ┗Re:ニュースから しろいぬ 03/8/22(金) 2:55 ┃ ┗Re:ニュースから 愛犬と旅M 03/8/22(金) 13:14 ┃ ┗Re:ニュースから しろいぬ 03/8/22(金) 15:15 ┃ ┗Re:ニュースから 愛犬と旅M 03/8/23(土) 20:43 ┃ ┗Re:ニュースから たぬき 03/8/23(土) 21:36 ┃ ┣Re:ニュースから 愛犬と旅M 03/8/23(土) 22:34 ┃ ┗Re:ニュースから somem 03/8/24(日) 0:58 ┗Re:ニュースから たぬき 03/8/17(日) 9:08 ─────────────────────────────────────── ■題名 : ニュースから ■名前 : LIVING WITH DOGS ■日付 : 03/8/16(土) 1:01 ■Web : http://living-with-dogs.com/ -------------------------------------------------------------------------
オフリードの犬ですが、たくさんの人に愛された犬です。 ご紹介しましょう。TVでも以前取材されていたと思いますが、 お参りする人達の道案内をしていた犬です。 お参りする人の中には犬嫌いの人もいたでしょう。しかしおおよその 方々は、この犬が危害を加えないと確信し、また犬がつかず離れず、 まるで道案内をしてくれるよう先導してくれました。一緒に山道を登 り高野山についた時は、きっと「道案内ご苦労さん!」と感謝の言葉 を掛けられていたのでしょう。 この犬が、何故、そのような行動をしていたかは本犬に聞いてみない と判りません。誰に教えられたわけでもなく、感謝の言葉を聞き、道 案内をお仕事だと自覚していたのかも知れませんね。しかし、幸せな 犬であったと思います。 でも、もともと野良犬でした。オフリードの話題の中に、なぜ? このようなことが出来る犬がいるということも併せて皆様の思考を 更に展開させていただければと思います。 ・・・・・・・・・ 案内犬ゴンが童話に 参詣人と高野山登る 弘法大師の母を祭る和歌山県九度山町の慈尊院から、約20キロ離れた 高野山まで参詣人を“道案内”すると話題になった雑種犬「ゴン」の姿 を、ノンフィクションライター関朝之さんが童話にした「高野山の案内 犬ゴン」が、このほどハート出版(東京)から出版された。 「ゴン」はもともと慈尊院近くの橋をねぐらにする雄の野良犬。1989年 ごろから高野山参詣の表参道「町石道(ちょういしみち)」の登り口に ある同院から高野山までの険しい山道を6、7時間かけて参詣人と一緒 に登るようになり、心引かれた慈尊院の住職が飼い主に。 その後も巡礼姿の人を見ると、たびたび道案内し、いつしか「弘法大 師の使いの名犬」と呼ばれるようになったが、昨年老衰でこの世を去 り、今は石像が境内に立てられている。 同書は参詣人を気遣いながら山を登るゴンの姿や道中の出来事、近所 の子供たちとの触れ合いなどが豊富な写真とともにつづられている。 「高野山の案内犬ゴン」 |
▼LIVING WITH DOGSさんへ このニュース、見ました。その他にも おじいさんや孫をバス停まで送り迎えする犬もノーリードでした。但し両方共 自然がいっぱいでのどかなところですよね。私も出来たらそんな所で犬と自由に暮らしたいものです・・・。 結局人間の数が自然に対して増えすぎたのでしょうかね? 密度が高いから 色々揉めるのかも。 難しい問題ですね。 |
犬って、人が好きなんですよね。 本を読んだのではないので解らないですけど、お仕事だと思っていたのでしょうか?この住職が、訪ねてくる人たちを、迎えにいったり、送りにいったりした事があったのかな?あるいは、人が訪ねてくる事を、この犬自身が楽しみにしていたのかな? 生活、を知っていたのでしょうね。 こんな犬って、昔はいっぱいいたのでしょうね。今でも、こういうふうに生活できる犬って、ほんとはたくさんいるのじゃないかな?都会ですら、人の社会ルールを自分なりに理解している犬って、いっぱいいるような気がする。そんな犬って、たとえば他の犬に出くわした時、相手の飼い主の表情すら読み取って、知らん顔して通り過ぎたり、あるいは、御挨拶しにいったり。 もちろん、犬がそうなる背景には、飼い主が、それを、身を持っていぬに教えたという事があるのでしょうけど。親の背中を見て子供が育つようなものです。飼い主の動向を、犬はちゃんと見ていますものね。犬の社会化って、そういう事ですよね。 でも、今は、いろいろな制約から、どうしたって、飼い主がいろいろと指示する事になる。犬自身が考える環境が少なくなっていますよね。リードに繋がれていなければ、公共の場にでられない、ということを考えれば、そうなって当たり前ですよね。だって、リードがあれば、犬は自分で判断する必要も、自分を律する必要もない。もちろん、リードの有る無しを、単なる社会ルールって割り切って、社会の仕組みを理解している犬も多い。ただ、それを、人が気がつかないだけかもしれないです。気がつく環境にいないというか。 このゴンちゃんは、本当は特別な犬でもなんでもないのだと思います。どんな犬でも、犬は、こういうふうに生活できる可能性をいっぱい持っているし、また、こんなふうに生活できるのじゃないでしょうか?その事を、犬と暮している私達だけでなく、犬を飼っていない人、犬を嫌いな人にも知ってもらえれば、犬を取り巻く社会は、もっと、ヒトにも犬にも、犬を嫌いな人にも、我慢しなければいけない事が少なくなるんじゃないかって、思う。 高野山のゴンちゃんは、御本になって、特別な犬だって思われていると思うけど、隣のタロちゃんやポチ君も、このゴンちゃんと同じように、オリコウさんにできる、って、、そんな事を知ってもらいたいですよね。 |
今の時代は名犬の生まれない時代でないかも知れません、 昔はおつかいをする犬の話があったぼどです。 買い物かごにメモ用紙、それにお金、お店の人はそれを見て必要な物を買い物かごにいれる。 つまりは田舎の風景だと思います。周りの人は知り合いであり、周り隣近所の人間を含めた犬と人間の関係が出来ているからでしょう オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 花子は子犬の頃から山に登っています。何時しか他の登山者が登る山にも登山が出来る様になりました。花子は他の登山者の横を並んで歩くのが好きなのです。理由は分かりません、私の家から10分で登山道がります。山頂まで2時間 標高500mしかし誰も登りません、恵まれた環境で出来た、花子の登山術だと思います。 私の子供時代、今から35年〜40年前は日本でも野良犬はいたる処にいました。 保健所の人が野犬狩りをしたものです。 名犬もいた代わりに不幸な犬も存在した時代です。今でも保健所で殺処分と言う不幸な犬かいますが ここでの話し合いは都会の公園でのオフリードの話に終始しています。私は都会公園で集団オフリードの中からは名犬は生まれないと考えます。しかも都会における野良犬を許容してくれる時代でもありません、 花子は名犬か否か分かりません、しかし相手に恐怖心を与えない事は大事です。警察犬は優秀で命令には忠実です。近ずいても恐怖心がない? そうは言えません、 理由は飼い主だけの言うことを聞くだけで他人である自分の言うことは聞かないかもしれないと言う恐怖です。 花子は他の出会った登山者の横を並んで歩いてくれるのはとても助かります。命令でない花子の自由意志です。動物が自分の横を並んで歩けば、「 自分の事を好きなのかな? 」そう思ってくれます。恐怖心をとる最善の方法です。 しつけとは別の世界で愛犬の意思がでるのは大事だと思います。 言葉ではうまく説明出来ませんが |
▼愛犬と旅Mさんへ >今の時代は名犬の生まれない時代でないかも知れません、 昔はおつかいをする犬の話があったぼどです。 買い物かごにメモ用紙、それにお金、お店の人はそれを見て必要な物を買い物かごにいれる。 > >つまりは田舎の風景だと思います。周りの人は知り合いであり、周り隣近所の人間を含めた犬と人間の関係が出来ているからでしょう 東京の都会でも、戦後人々の住み着いた住宅地ですら、隣近所の人間の関係はできていますよ。都会では、隣近所に無関心、というのは、私は表現として適切でないと思っています。自然発生的に出来上がった古い住宅地や、開発されてから長い時間のたった住宅地は、昔ながらの日本の地域社会と同じです。 >オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 犬嫌いの人はどこにでもいます。山の中にも、参拝客のなかにも、そして都会にも、です。 >花子は子犬の頃から山に登っています。何時しか他の登山者が登る山にも登山が出来る様になりました。花子は他の登山者の横を並んで歩くのが好きなのです。理由は分かりません、私の家から10分で登山道がります。山頂まで2時間 標高500mしかし誰も登りません、恵まれた環境で出来た、花子の登山術だと思います。 花子ちゃんの登山術は、そのまま、東京の、住宅地近くの、比較的大きな公園の朝のお散歩の犬達の風景と同じです。犬達の多くは、朝のお散歩の人たちと並んで歩いていますし、互いに毎日顔をあわせるのを楽しみにしています。 しばらくいつもの朝の時間帯にお散歩に行かない時があったりすると、毎日顔を見ていても、互いに知らないジョギングの人が、わざわざ立ち止まり、犬に(飼い主に、ではないですよ)「しばらく見ないから、心配していたよ、元気ならよかった」などと声をかけてくれます。 >私の子供時代、今から35年〜40年前は日本でも野良犬はいたる処にいました。 保健所の人が野犬狩りをしたものです。 名犬もいた代わりに不幸な犬も存在した時代です。今でも保健所で殺処分と言う不幸な犬かいますが > >ここでの話し合いは都会の公園でのオフリードの話に終始しています。私は都会公園で集団オフリードの中からは名犬は生まれないと考えます。しかも都会における野良犬を許容してくれる時代でもありません、 おそらく、御存知ないのかもしれないと思いますが、私は、むしろ、東京の住宅地では、結構多くの「名犬」がいると思います。もちろん、交通事情から、また、余りにも密集しているが為に、すぐに御近所から苦情が来る可能性があるので、誰も、犬をひとりでお散歩や買い物に出す飼い主はいません。でも、東京の、密集した住宅地、特に、ある意味安定してしまっている住宅地では、その窮屈さゆえに、飼い主が、まわりに気を使わなければならず、そういった姿を見て育つ犬達は、お行儀のよい大人の犬に育っていると、私は思っています。犬にいろいろな経験をさせ、犬が考えなければいけないような状況にさらすようにして育てた場合のことですが。 集団オフリード、とは、おそらく、犬同士が集団で走りあい、くんずほぐれつ遊びあい、飼い主は集まってお喋りをしている状態、あるいは、飼い主は、それをコントロールできない、あるいはする意志の無い状態をさすのだと思うのですが、、、、ええ、私も、それは好きではないです。それを可能にして欲しい、という形で生まれたドッグランは、だから嫌いです。 >花子は他の出会った登山者の横を並んで歩いてくれるのはとても助かります。命令でない花子の自由意志です。動物が自分の横を並んで歩けば、「 自分の事を好きなのかな? 」そう思ってくれます。恐怖心をとる最善の方法です。 うちの犬は、人と一緒に何かをするのが好きです。そして、多くの場合、人と一緒に何かをしている犬を見て、恐怖心を持つ事は少ないように思います。飼い主と一緒に何かを必死でやっている風景を見て、拍手をする人はたくさんいても、恐いと逃げたり叫んだり、リードに繋げといってくる人には、経験的に、私は、ひとりもあった事がありません。 「多くの場合」であったり、「全部ではない」だったり、「声に出さないひと」もいたり、「絶対」ではないという声が聞こえてきそうです。そうですね。スペースシャトルも落ちるし、東西ドイツの壁も無くなったし(古いか?)、高層ツインタワーが一瞬のうちに崩壊するのですから、絶対はないですね。 |
▼saikaさんへ >▼愛犬と旅Mさんへ > >>オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 この点に関しては、私は愛犬と旅Mさんに反対です。それなりに選ばれた場所(山の中、公園とか)、それなりに選ばれた条件(呼び戻しができる、飼い主がしっかりみている、飼い主と遊んでいる)ならいいとおもいます。 この()にはいるべき部分が気配りであり、配慮だと思うのです。 ただ、この具体的な条件について、いろいろ意見が分かれているんでしょう。 > >集団オフリード、とは、おそらく、1.犬同士が集団で走りあい、2くんずほぐれつ遊びあい、3.飼い主は集まってお喋りをしている状態、あるいは、飼い主は、4.それをコントロールできない、あるいはする意志の無い状態をさすのだと思うのですが、、、、 集団オフリードをこのようにくくるのはちょっと違うと思います。1.2は確かにあるかもしれませんが、3.4はオフリードオンリードに関わらず存在するだらしない飼い主による行動だと思います。 >うちの犬は、人と一緒に何かをするのが好きです。そして、多くの場合、人と一緒に何かをしている犬を見て、恐怖心を持つ事は少ないように思います。飼い主と一緒に何かを必死でやっている風景を見て、拍手をする人はたくさんいても、恐いと逃げたり叫んだり、リードに繋げといってくる人には、経験的に、私は、ひとりもあった事がありません。 > うちの犬もそうです、犬とつきあうよりはむしろ人間とつきあうことを選びます。でも、犬同士で遊ぶことの好きな犬もいますし、犬同士のつきあいの中でいぬ社会におけるお行儀を覚えていくということもあります。きちんと管理された状態でいぬ同士が走ったり遊んだりするのは本当に楽しそうです。だから、公園でオフリードにしていいといっているわけではないんですよ。 何回もいっていると思いますが、きちんと管理された状態とはどんなものか、そうするためにどうしたらいいかを考えた方がいいと思います。 |
▼saikaさんへ > >東京の都会でも、戦後人々の住み着いた住宅地ですら、隣近所の人間の関係はできていますよ。都会では、隣近所に無関心、というのは、私は表現として適切でないと思っています。自然発生的に出来上がった古い住宅地や、開発されてから長い時間のたった住宅地は、昔ながらの日本の地域社会と同じです。 そう言う処があるんですか?知りませんでした。私は紀州から関東に数十年前就職しました。 最初は池袋から東部東上線「だと思う」常盤台の近くです。印象に残ったのは道を歩いていてふとあるアパートの部屋が窓越しに見えるのです。 フライパンやなにやら 壁にかけている風景を見て 「住む処でないな 」そう思いました。 >>オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 >犬嫌いの人はどこにでもいます。山の中にも、参拝客のなかにも、そして都会にも、です。 犬嫌いの問題では無いと思います。ここで論議している方たちは何らかの関係で犬と接しています。 と言う事は、犬を放す人に「 駄目だ 」そう言っているのです。 愛犬と付きあいかたもさまざまです。 趣味でかっている方もいるかも知れません、私も始めは軽い気持ちで? でも何時しか大事な存在です。 家と花子どちらを取るかと言うと迷わず花子です。 花子の金銭的価値は10万円です 家は数千万、貨幣価値ではなくなってしまいました。 私は「 駄目だ 」そう言う方がいても良いと思います。 何でなら公園が駄目でも幾らでも楽しい場所はあります。 反対されながら何で公園に行く必要があるのでしょう?無理なオフリードで顰蹙をかう、 注意されていやな思いをする。 利にかないません、オフリードの是非からしても非です。 >花子ちゃんの登山術は、そのまま、東京の、住宅地近くの、比較的大きな公園の朝のお散歩の犬達の風景と同じです。犬達の多くは、朝のお散歩の人たちと並んで歩いていますし、互いに毎日顔をあわせるのを楽しみにしています。 下町なのですか?それは田舎の風景です。 お互いご近所が知り合いであるなら、許容される面もあるのでしょう >うちの犬は、人と一緒に何かをするのが好きです。そして、多くの場合、人と一緒に何かをしている犬を見て、恐怖心を持つ事は少ないように思います。飼い主と一緒に何かを必死でやっている風景を見て、拍手をする人はたくさんいても、恐いと逃げたり叫んだり、リードに繋げといってくる人には、経験的に、私は、ひとりもあった事がありません。 >「多くの場合」であったり、「全部ではない」だったり、「声に出さないひと」もいたり、「絶対」ではないという声が聞こえてきそうです。そうですね。スペースシャトルも落ちるし、東西ドイツの壁も無くなったし(古いか?)、高層ツインタワーが一瞬のうちに崩壊するのですから、絶対はないですね。 犬は危険、そう思っている人がいる、それは誤った考えだと言えません、その様な犬が存在します。 絶対いないと否定出来ません、少し愛情に飢えた犬がいたとして、もしかしたら他人に飛びつくかもしれない、 公園のオフリードは反対です。 私は犬連登山で国立公園に行くことは勧められないと思います。それと同じです。理由は嫌な思いをするからです。 公園でオフリードにして嫌な思いをする必要なんか無いのではないか? そうおもうからです。 私と花子は自由です。 都会の公園でオフリードする価値は無いからです 、山では花子は楽しい山の会の臨時会員です。私は会員ではありませんが、花子の付き添い人です。 何かに拘らなければ自由になれるのではないかと思います |
▼愛犬と旅Mさんへ >そう言う処があるんですか?知りませんでした。私は紀州から関東に数十年前就職しました。 最初は池袋から東部東上線「だと思う」常盤台の近くです。印象に残ったのは道を歩いていてふとあるアパートの部屋が窓越しに見えるのです。 フライパンやなにやら 壁にかけている風景を見て 「住む処でないな 」そう思いました。 私の両親は、戦争後、東京に住み着きました。残念ながら、今は二人とも亡くなりましたが、御葬式の時、本当に多くの御近所の方が、余り親しくなかった方までもが、儀礼上というのではなく、心から御悔やみに来てくださったのを見て、地域社会の成り立ちという事を、場違いなまでに感じた事を覚えています。特別に地域社会に根ざした生活をしてきた人たちではなかったので、余計にそんな事を感じました。古くからの人情が残る、と言われる下町ではありません。都心とも言える住宅地です。 >>>オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 >>犬嫌いの人はどこにでもいます。山の中にも、参拝客のなかにも、そして都会にも、です。 >犬嫌いの問題では無いと思います。ここで論議している方たちは何らかの関係で犬と接しています。 と言う事は、犬を放す人に「 駄目だ 」そう言っているのです。 ノーリードの是非を、「規則」という事以外の理由について、「嫌い」という例があがっているのを見て、そう言ったまでです。 >花子の金銭的価値は10万円です 家は数千万、貨幣価値ではなくなってしまいました。 私は「 駄目だ 」そう言う方がいても良いと思います。 何でなら公園が駄目でも幾らでも楽しい場所はあります。 花子ちゃんが恵まれているのは、「公園」以外、選択できる場所が幾らでもある、と言う事でしょう。都会の犬には、他には日常的に行くところはありません。 >反対されながら何で公園に行く必要があるのでしょう?無理なオフリードで顰蹙をかう、 注意されていやな思いをする。 利にかないません、オフリードの是非からしても非です。 他に行く場所はないからです。東京の場合、23区内では、区の管轄の近隣公園に犬が入れる、入れないは、区により判断はまちまちです。犬連れ禁止の区の方が、許可している区よりも多いのです。都の管轄の公園は、入れる、入れないは、公園により違っていると思います。 都立の砧公園は、一部の部分を犬連れ禁止にしています。代々木公園は、たしか全面禁止です。 >>花子ちゃんの登山術は、そのまま、東京の、住宅地近くの、比較的大きな公園の朝のお散歩の犬達の風景と同じです。犬達の多くは、朝のお散歩の人たちと並んで歩いていますし、互いに毎日顔をあわせるのを楽しみにしています。 > >下町なのですか?それは田舎の風景です。 お互いご近所が知り合いであるなら、許容される面もあるのでしょう 下町ではないです。しかし、たとえば、朝のお散歩、と言う形で、なんとなく毎日のコミュニティが出来上がってゆきます。口こみで、あの犬はどこの犬、飼い主は誰々、お仕事はこれこれ、この間あそこのスーパーで、買い物していたよ、スポーツジムのサウナでこんな話をしていたよ、、、そんな事が広まります。それが嫌だと言う人も多いでしょう。でも、そんな関係に安心感を持つ人も多いのです。地域社会は、確実に出来上がってゆくのです。そこでは、互いに我慢しあわなければ、住む事は難しい。 そうですね。お互いに知り合い、と言う形で成り立つ関係だと思います。犬が取り持つ知り合いです。 >犬は危険、そう思っている人がいる、それは誤った考えだと言えません、その様な犬が存在します。 絶対いないと否定出来ません、少し愛情に飢えた犬がいたとして、もしかしたら他人に飛びつくかもしれない、 「そのような犬が存在する」と言う事は、「犬全てがそうだ」と言う事ではありません。「犬は危険」が間違っているのではなく、それが全てにあてはまる、汎用性のある認識ではないと思うのでです。 >公園のオフリードは反対です。 私は犬連登山で国立公園に行くことは勧められないと思います。それと同じです。理由は嫌な思いをするからです。 公園でオフリードにして嫌な思いをする必要なんか無いのではないか? そうおもうからです。 飼い主から全く離れずに、毎日公園の中をお散歩している犬がいます。リードがついているかのように。飼い主は、犬に厳しくあたかもリードがついているかのように歩く事を強制しています。リードがついている方が簡単です。犬にとっても、飼い主にとっても。それでもリードをつけずに歩くその飼い主の気持ちは、私にはとてもよく理解できます。 リードがなくても危険でない犬の姿を、限られて入る朝の公園と言う場であってもいいから、人の目にさらしたい、と思っているのだと思うのです。ですから厳しい。少しでも迷惑をかけたら、、、、しかし、見返りも大きい。犬を飼っていない人たちに、そういった、花子ちゃんと同じような犬の姿を知ってもらえると言う見返りです。 しかも、人が多い都会であるからこそ得られる、「多くの人に」という利点もついているのです。 反則技です。はい、大きな声では言えません。 >私と花子は自由です。 都会の公園でオフリードする価値は無いからです 、山では花子は楽しい山の会の臨時会員です。私は会員ではありませんが、花子の付き添い人です。 何かに拘らなければ自由になれるのではないかと思います 大都会を生活の場として選んだものにとって、そして、その飼い主と暮す犬にとっては、この窮屈な都会が生活の場です。しかし、この窮屈さも、結構捨てたものじゃありません。 |
▼saikaさんへ >私の両親は、戦争後、東京に住み着きました。残念ながら、今は二人とも亡くなりましたが、御葬式の時、本当に多くの御近所の方が、余り親しくなかった方までもが、儀礼上というのではなく、心から御悔やみに来てくださったのを見て、地域社会の成り立ちという事を、場違いなまでに感じた事を覚えています。特別に地域社会に根ざした生活をしてきた人たちではなかったので、余計にそんな事を感じました。古くからの人情が残る、と言われる下町ではありません。都心とも言える住宅地です。 私は関東にいた頃は侘しい寮住まいです。結構厳しいものがあります。私のお袋の親戚は横浜です。やはり愛犬と暮らしています。暮らし方は聞いたことはありません、周りの理解が出来てなら許される行為かも知れません、 >>>>オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 >花子ちゃんが恵まれているのは、「公園」以外、選択できる場所が幾らでもある、と言う事でしょう。都会の犬には、他には日常的に行くところはありません。 その通りかも知れません、しかし行くところががなから公園でのオフリード容認は無理がある気がします。東京では奥多摩方面はこれが東京かと言う処があります。都内を早朝4時頃出かければ7時ごろ到着、楽しい一日が過ごせそうな? >他に行く場所はないからです。東京の場合、23区内では、区の管轄の近隣公園に犬が入れる、入れないは、区により判断はまちまちです。犬連れ禁止の区の方が、許可している区よりも多いのです。都の管轄の公園は、入れる、入れないは、公園により違っていると思います。 > >都立の砧公園は、一部の部分を犬連れ禁止にしています。代々木公園は、たしか全面禁止です。 千葉の少し田舎公園をそうでした。オフリード以前に散歩が出来る公園の復活が先決かも知れません、 > >下町ではないです。しかし、たとえば、朝のお散歩、と言う形で、なんとなく毎日のコミュニティが出来上がってゆきます。口こみで、あの犬はどこの犬、飼い主は誰々、お仕事はこれこれ、この間あそこのスーパーで、買い物していたよ、スポーツジムのサウナでこんな話をしていたよ、、、そんな事が広まります。それが嫌だと言う人も多いでしょう。でも、そんな関係に安心感を持つ人も多いのです。地域社会は、確実に出来上がってゆくのです。そこでは、互いに我慢しあわなければ、住む事は難しい。 ある意味我慢は必要かも知れません、 田舎かでも壮年会やなにやら 酒が飲めなくても付き合います。「我慢して」 しかしオフリードは別なきがします。 「 犬を飼うな、 」理由として犬嫌いだから そのような場合は我慢してもらう必要はあるのでしょう >>犬は危険、そう思っている人がいる、それは誤った考えだと言えません、その様な犬が存在します。 絶対いないと否定出来ません、少し愛情に飢えた犬がいたとして、もしかしたら他人に飛びつくかもしれない、 > >「そのような犬が存在する」と言う事は、「犬全てがそうだ」と言う事ではありません。「犬は危険」が間違っているのではなく、それが全てにあてはまる、汎用性のある認識ではないと思うのでです。 当然全ての犬がそうだとは言えません公園に来ている犬で、突然相手に噛み付く犬はいないかも知れません、 > >>公園のオフリードは反対です。 私は犬連登山で国立公園に行くことは勧められないと思います。それと同じです。理由は嫌な思いをするからです。 公園でオフリードにして嫌な思いをする必要なんか無いのではないか? そうおもうからです。 > >飼い主から全く離れずに、毎日公園の中をお散歩している犬がいます。リードがついているかのように。飼い主は、犬に厳しくあたかもリードがついているかのように歩く事を強制しています。リードがついている方が簡単です。犬にとっても、飼い主にとっても。それでもリードをつけずに歩くその飼い主の気持ちは、私にはとてもよく理解できます。 私は何とも言えません、私はお台場に行ってミニチュアダックスフンドとオフリードで遊ぶ若い女性を見て思うことは 良い光景だと思う事です。都会でも自由がある。別に危険とも思いませんし、その女性だそうする事は罪だとも思いません、 周りの状況やその女性の愛犬との関わり方が良いからでしょう >リードがなくても危険でない犬の姿を、限られて入る朝の公園と言う場であってもいいから、人の目にさらしたい、と思っているのだと思うのです。ですから厳しい。少しでも迷惑をかけたら、、、、しかし、見返りも大きい。犬を飼っていない人たちに、そういった、花子ちゃんと同じような犬の姿を知ってもらえると言う見返りです。 私には判断つきません、私は花子と山に登ってその風景がもしかしてマナーの悪い犬連登山者に対する警告が出来れば良いと思っているのです。 >しかも、人が多い都会であるからこそ得られる、「多くの人に」という利点もついているのです。 >反則技です。はい、大きな声では言えません。 オフリードは日本の法律では全て反則技です。何時如何なる場所でもです。 そう言う意味で田舎を理由に、山を理由に私も反則技を使っています。 法律で禁止されている事柄を議題にするだけなら良いのですがオフリード例を出しただけで反則です。 >大都会を生活の場として選んだものにとって、そして、その飼い主と暮す犬にとっては、この窮屈な都会が生活の場です。しかし、この窮屈さも、結構捨てたものじゃありません。 私は窮屈な場所には戻れなくなりました。出張で関東に行きますがどうも駄目です。 オフリードに関係なく駄目ですね、 私はやはり不特定多数の集まる都会の公園や道路では オフリードは反対と言わざるを得ません、平行線の議論でもをれはそれで良いのでしょう 人間の考えはそう簡単に覆されるものではありません お互いに |
▼愛犬と旅Mさんへ >印象に残ったのは道を歩いていてふとあるアパートの部屋が窓越しに見えるのです。 フライパンやなにやら 壁にかけている風景を見て 「住む処でないな 」そう思いました。 これって ひどくありませんか?犬と関係あるようにはおもえませんが? でも 都会では人が密集しているのも事実です。 花子ちゃんのように あちこち連れて行って貰える恵まれた環境ではなく、お散歩も近所の公園位しか行けない人もいます。 >>>オフリードの是非を議論すれば答えは簡単です。「 駄目だ! 」その理由として危険だから、犬嫌いの人もいる、いくらでも出てきます。 > >>犬嫌いの人はどこにでもいます。山の中にも、参拝客のなかにも、そして都会にも、です。 > >犬嫌いの問題では無いと思います。ここで論議している方たちは何らかの関係で犬と接しています。 と言う事は、犬を放す人に「 駄目だ 」そう言っているのです。 > >反対されながら何で公園に行く必要があるのでしょう?無理なオフリードで顰蹙をかう、 注意されていやな思いをする。 利にかないません、オフリードの是非からしても非です。 > 私も同意見です。 > > >>うちの犬は、人と一緒に何かをするのが好きです。そして、多くの場合、人と一緒に何かをしている犬を見て、恐怖心を持つ事は少ないように思います。飼い主と一緒に何かを必死でやっている風景を見て、拍手をする人はたくさんいても、恐いと逃げたり叫んだり、リードに繋げといってくる人には、経験的に、私は、ひとりもあった事がありません。 > 私も、そう思いますが 犬がいるだけで嫌だという人も少なくないんですよね。 特に密集している住宅街などは。 山での状況とは異なるでしょう。 登山のマナーについては 是非別の掲示板の方で教えて下さい。 一緒にすると 話がまとまらなくなってしまいそう。 まずは ここでは 住宅地の公園などでの ノーリードについて から語り合いましょう。 |
▼しろいぬさんへ >>印象に残ったのは道を歩いていてふとあるアパートの部屋が窓越しに見えるのです。 フライパンやなにやら 壁にかけている風景を見て 「住む処でないな 」そう思いました。 > >これって ひどくありませんか?犬と関係あるようにはおもえませんが? 温厚なしろいぬさんに怒られてしまいました、田舎者が都会暮らしを始めて最初の忘れられない印象なのです。もう31年昔の話です。 私にとってスペースは大事な要因です。石川でも今の家が出来て花子と暮らし始めました。だからと言って都会で犬を飼ってはいけないとは言えません、ご老人が大型犬をコントロール出来ないだから飼ってはいけない理論になります。 >でも 都会では人が密集しているのも事実です。 >花子ちゃんのように あちこち連れて行って貰える恵まれた環境ではなく、お散歩も近所の公園位しか行けない人もいます。 私も若いとき関東にいて転勤がありましたから事情は分からいものではありません、車を持とうにも駐車場を探すのが一苦労だと思います。でも都会の散歩はオンリードでしょう、出かけた時に出来る場所で、配慮してだと思います。 そのような考えはおかしいのですか? >私も、そう思いますが 犬がいるだけで嫌だという人も少なくないんですよね。 >特に密集している住宅街などは。 >山での状況とは異なるでしょう。 >登山のマナーについては 是非別の掲示板の方で教えて下さい。 >一緒にすると 話がまとまらなくなってしまいそう。 >まずは ここでは 住宅地の公園などでの ノーリードについて >から語り合いましょう。 オフリードの是非は都会の公園や住宅地に限定して考えるのですか? 確かに一番の問題かも知れません、でも田舎でのオフリードの事故はあります。場所は選ばない気がしますが、 私は回りの方わ愛犬に対する配慮が欠落していればオフリードの危険は対他人との接触がある場所全てだと思っているのです。 住宅地の公園などでの ノーリードについて他人との接触がありすぎて不適当な行為だと思います。 ですから他人との接触が少ないであろう早朝や深夜、そう言う事で話が進んでいると思います。 私は石川でも金沢の様な町の場合リードはします。不特多数の人と接触するからです。出会う人全てに対し挨拶をして花子が危険でないと言う認識はとても出来ないからです。 それと公園でのオフリードがもし悪評につながって行くのであれば 山に関する犬問題も影響はあるのです。都会の公園でのトラブルは山でも起きる可能性があるから入山禁止にしよう、そうならない保証が無いとは言えません 私は何時、如何なる場所においても 人間の犬の関係のモラルは問われるべきとだと思います。私は花子と山で自由にさしてもらっているのは登山者の方の好意だと受け止めているのです。リードでつなぎなさいと言われれば無条件で繋ぐ必要はあると思います。好意対しては自分に対する可能な限りの戒めでお返しする必要がある。そう考えます 公園でのオフリードが許されるとして、公園におられる周りの方の好意に甘えオフリードにしているのだから小型犬が来たら場所を譲ってあげよう、注意されたら速やかにリードで繋ごう、 都会、田舎、山、川、如何なる場合においても好意に対するお返しの戒めは必要だと思います。都会の公園や住宅地に限定して考える事は私には理解出来ない事です。 もしそうであるなら「案内犬ゴンが童話に 参詣人と高野山登る」その様な例も必要ないと思います。高野山は都会の公園住宅地ではありません しろいぬさんには大変失礼な書き方かも知れません、でもこれが私の持っている、私と花子の他の方に対する配慮です。何時も心がけています。他人に甘えているのですから |
▼愛犬と旅Mさんへ お返事ありがとうございます。私と愛犬は郊外に住んでおりますので、野山がまだ残っている環境です。 おっしゃる通りゴミゴミした都会から自然溢れる海山に行って、開放的な気分で わ〜っと犬を放して旅の恥は掻き捨てとばかりに現地の方々に迷惑をかける人達もいるでしょうね・・・。 私自身も空き地で遊ばせているはずの犬達が怒涛のように隣接した畑を走り回っているのを見た事もあります。飼い主であるご主人は あ〜ぁと苦笑しつつ眺め、奥さんは だめよーどろんこになるでしょ!と言っているだけ。どろんこになるから駄目なの? 日本人のレベルが低下してしまったのでしょうか・・・。 でもいつかは、アニマルプラネットで見ているみたいに ノーリードで犬と遊べる社会になれると信じています。 でも、残念ながら今は、まだ早いと思っています。 |
▼しろいぬさんへ >私自身も空き地で遊ばせているはずの犬達が怒涛のように隣接した畑を走り回っているのを見た事もあります。飼い主であるご主人は あ〜ぁと苦笑しつつ眺め、奥さんは だめよーどろんこになるでしょ!と言っているだけ。どろんこになるから駄目なの? 花子と私は愛犬家の方と出会う事はあまり機会がありません、それよりも一般の方が多いのです。 お百姓さんの畑に入り走り回るのはもっての外です。 愛犬共々下品な人たちと言えます。はらだだしいかぎりです。 >日本人のレベルが低下してしまったのでしょうか・・・。 >でもいつかは、アニマルプラネットで見ているみたいに ノーリードで犬と遊べる社会になれると信じています。 >でも、残念ながら今は、まだ早いと思っています。 早いと言うよりこれから更にオフリード方向に行くのではないかと思います 「うちの子良い子」「自分にとって」でしょう、都会の公園でオフリードが解禁されて 自由に走り回るワンちゃん、愛犬家から見れば理想の光景なのでしょう しかし私にから見ればただの自己中集団としか見ることが出来ません 私は公園は静かに散歩したり本を読んだりするところであり、 そこでワンちゃんが走り回るのは野球をやるようなものです。危険だし だいいち周りの人は落ち着けません、「家の子良い子ではありません」 野球は野球の出来る専用スペースで、ある公園に新設したドッグランもその様な専用スペースでしょう 私は都会などの不特定多数の人が集まる公園でのオフリードは反対です。 都会ではその様な場所が無いそう言われるかも知れません、でも私ならそれは理由にはなりません、別の場所を探しに行けば良いのです。 私自身も知らない別の場所に出かけたいのです。花子と利害が一致しています。 愛犬をオフリードにするしないでその関係は変わりません、 それより日頃愛犬とどう付き合うかです。悪いことをしたら怒る かみさんに花子はしょっちゅう怒られています。 私からもたまに、「コラ!! バシッ!!!」虐待ですね、 それでも食事は私が始め手に持って食べさせないと食べてくれません、オフリードが絆を作るのではありません |
▼愛犬と旅Mさんへ >私は公園は静かに散歩したり本を読んだりするところであり、 そこでワンちゃんが走り回るのは野球をやるようなものです。危険だし だいいち周りの人は落ち着けません、「家の子良い子ではありません」 野球は野球の出来る専用スペースで、ある公園に新設したドッグランもその様な専用スペースでしょう 早朝や深夜などの人のこない時間を解放してほしいといっているのです。 また、24時間人の出入りが頻繁にあるような公園は対象にはなりません。当然とおもいます。 公園にも色々とあると思いますので、時間を限定して解放できるところなら問題はクリアできると思うのですが? |
▼たぬきさんへ > 早朝や深夜などの人のこない時間を解放してほしいといっているのです。 > また、24時間人の出入りが頻繁にあるような公園は対象にはなりません。当然とおもいます。 > 公園にも色々とあると思いますので、時間を限定して解放できるところなら問題はクリアできると思うのですが? たぬきさんのお考えです。たぬきさんがそう言われるなら良いのではないですか、 「 管理されている方が良いですよ 」と言われるか否かです。 要求することは誰でも出来ます。「 そんな事を要求するな 」それは言えません、 深夜誰もいない公園 絶対人は来ないそれが前提であるなら危険は回避出来ます。 お仲間の方以外誰とも絶対接触しない前提ですね?もちろん深夜の事ですから犬の鳴き声が届く範囲には聞こえないか、鳴かない事が前提です。 お仲間と書いたのは集団オフリードだと思ったからです。 たぬきさんは他の犬との触れ合いも主張されていましたね、 もし近隣に人家があった場合二匹以上のワンちゃんが静かに走り回るのです 十匹かも知れません、 聞こえるのは肉球がが地面と触れ合う音だけです。それなら許してくれると思います。 私はたぬきさんに反対していません、そう言う事が出来ると言われるのですから、止めろなんて言えません、考えは人それぞれ、考えだけでは止めろとは言えません、何人もです。 私が反対しているのは今現在不特定多数の集まる中でオフリードにしている方にです。 たぬきさんは違うでしょう ルールを守って許可が出てないのですから我慢しておられるはずです。 もし実行されておられるなら深夜まったく人が来ない公園でしょう? 自己承諾ですね、 いまさら早朝や深夜などの人のこない時間を解放してほしいと主張する必要は無いのではないかと思います。 しかし自己承諾の場合オフリードをただちに止めて下さいと言われた場合止める必要はあります。深夜誰も来ない公園です。自己承諾は誰にも見つかりません、 注意されるのはたぬきさんや、お仲間以外誰か人がきた証拠です。 「 早朝や深夜などの人のこない時間を解放してほしいといっているのです。」が成り立たなくなるでしょう、その場合許可が出るまでオフリードには出来ません、 犬と人間のモラルは何時如何なる場所でも問われると思います。 たぬきさんはこの掲示板で 人の来ない深夜若しくは早朝 誰にも迷惑のかからない、そんな範囲でのオフリードを主張されているのです。私には出来ませんがたぬきさんには可能な事なのでしょう、 反対はしません、私には出来ないことですから |
▼たぬきさんへ > 早朝や深夜などの人のこない時間を解放してほしいといっているのです。 > また、24時間人の出入りが頻繁にあるような公園は対象にはなりません。当然とおもいます。 > 公園にも色々とあると思いますので、時間を限定して解放できるところなら問題はクリアできると思うのですが? この掲示板で、たぬきさんが主張していることは、ルールとしては 認めららないことだと思います。 犬をオフリードにすることは、犬の不特定な行動範囲を含めて 個人が占有することになります。 公共の場所を占有する行為は、利用する時間に関係なく 許されることではありませんよね。 また、言うまでもないことですが、ルールはすべての人に平等に 与えられるものです。利用者の数だけ公園が存在するか、予約制 にでもしなければ成り立たない話だと思います。 管理人さんのスレの趣旨と異なる方向になってます。 レスはつけないでください。 反論があれば、新しいスレにしていただくようお願いします。 |
▼LIVING WITH DOGSさんへ >オフリードの犬ですが、たくさんの人に愛された犬です。 >ご紹介しましょう。TVでも以前取材されていたと思いますが、 >お参りする人達の道案内をしていた犬です。 >お参りする人の中には犬嫌いの人もいたでしょう。しかしおおよその >方々は、この犬が危害を加えないと確信し、また犬がつかず離れず、 >まるで道案内をしてくれるよう先導してくれました。一緒に山道を登 >り高野山についた時は、きっと「道案内ご苦労さん!」と感謝の言葉 >を掛けられていたのでしょう。 >この犬が、何故、そのような行動をしていたかは本犬に聞いてみない >と判りません。誰に教えられたわけでもなく、感謝の言葉を聞き、道 >案内をお仕事だと自覚していたのかも知れませんね。しかし、幸せな >犬であったと思います。 >でも、もともと野良犬でした。オフリードの話題の中に、なぜ? >このようなことが出来る犬がいるということも併せて皆様の思考を >更に展開させていただければと思います。 > > > ・・・・・・・・・ > >案内犬ゴンが童話に 参詣人と高野山登る > >弘法大師の母を祭る和歌山県九度山町の慈尊院から、約20キロ離れた >高野山まで参詣人を“道案内”すると話題になった雑種犬「ゴン」の姿 >を、ノンフィクションライター関朝之さんが童話にした「高野山の案内 >犬ゴン」が、このほどハート出版(東京)から出版された。 >「ゴン」はもともと慈尊院近くの橋をねぐらにする雄の野良犬。1989年 >ごろから高野山参詣の表参道「町石道(ちょういしみち)」の登り口に >ある同院から高野山までの険しい山道を6、7時間かけて参詣人と一緒 >に登るようになり、心引かれた慈尊院の住職が飼い主に。 > その後も巡礼姿の人を見ると、たびたび道案内し、いつしか「弘法大 >師の使いの名犬」と呼ばれるようになったが、昨年老衰でこの世を去 >り、今は石像が境内に立てられている。 > 同書は参詣人を気遣いながら山を登るゴンの姿や道中の出来事、近所 >の子供たちとの触れ合いなどが豊富な写真とともにつづられている。 > > 「高野山の案内犬ゴン」 たしか、九州だかの山にも山岳案内犬なるものがいたというテレビをみたことがあります。 その犬も最初野良犬だったとおもいます。 しばらくして、山小屋のおじさんが飼い主になったみたいですね。 その犬に命をたすけてもらった人は4〜5人ではすまないそうです。 命ではなくても遭難からすくってもらったひとは数え切れないみたいです。 残念ながらもうこの世にはいないですが、 私も犬は人が好きだとおもいます。 いま、私のところに子犬がいますが、とても人が好きで、知らない人でもそのひとがかわいい〜〜〜 などといおうものなら、尻尾ふりふりで近づいていきます。(日本犬ですよ) 番犬には無理かもしれませんが、私はそれでいいと思っています。 里親さんからもらってくる時、この子は人間が大好きだから、どうか、そのままそだててあげてください。っていわれました。 悪い人もいます。意地悪する人もいるでしょう。でも、犬には人間はやさしい、友達なんだよ。って教えといたほうがいいとおもいます。 なにか、あれば私がまもります。 なぜ、他の犬をおそったり、他の人間に噛み付こうとする犬がそんなに多くいるのでしょうか? 私は社会性の問題だとおもいます。 犬に小さい頃から色々な経験をさせないといけません。 他の犬ともです。 それ以外のこと、オス犬どうしやシーズンのことなどは、人間が管理してあげれば済む話だとおもいます。 私もこのような犬は特別ではないと思います。犬って本来そういうものじゃないのでしょうか? それを、ただただ、叩いて躾したり、他人になれさせなかったり、他の犬とも接触させなかったり、そんなことをしている人が沢山いますね。 やはり、犬は噛み付くもの。という発想から出発すると、危険だから絶対にリードははなしてはいけない。ということになるのでしょう。 犬は過敏ないきもの、気の小さいいきものだからやさしく、色々教えてあげないと、いけないと思います。 私は犬は人が好きだけれども、犬である犬どうしの付き合いも非常に大切だとおもいます。 犬は人といると気持ちがいいので、犬とつきあう緊張感が無くて済むのだとおもいます。 私は、気おつけて犬同士ふれあわせるようにしています。 そうしないと、人とばかり一緒にいて犬としての行動が出来にくくなってしまいます。 それは、一種危険かなと思います。 対人には、牙を向けないように育てますが、対犬は危険かどうか自分で判断するようにさせています。 人にたいしても本当はそうすることがいいのでしょうね。 |