Page 50 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼公共の場でのオフリード/ノーリード sei 03/9/18(木) 22:57 ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード saika 03/9/19(金) 2:45 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/19(金) 23:18 ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード saika 03/9/22(月) 11:27 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード なまず 03/9/22(月) 21:53 ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード 東亀 03/9/19(金) 4:21 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei 03/9/19(金) 22:59 ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード 東亀 03/9/20(土) 11:20 ┃ ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/21(日) 2:21 ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード たぬき 03/9/20(土) 13:38 ┃ ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/21(日) 0:56 ┃ ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/21(日) 1:20 ┃ ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード たぬき 03/9/21(日) 7:30 ┃ ┃ ┃ ┗ノーリード容認へのプロセス sei(非犬飼い) 03/9/22(月) 0:52 ┃ ┃ ┃ ┗Re:ノーリード容認へのプロセス なまず 03/9/22(月) 20:34 ┃ ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード なまず 03/9/21(日) 8:41 ┃ ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/22(月) 1:04 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード Nari 03/9/21(日) 14:07 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/22(月) 1:16 ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード たぬき 03/9/19(金) 23:24 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/20(土) 23:47 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード たぬき 03/9/21(日) 8:44 ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード える〜! 03/9/21(日) 13:43 ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード ジゴ母 03/9/21(日) 16:59 ┃ ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/22(月) 1:41 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/22(月) 1:34 ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/22(月) 9:19 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード JB 03/9/22(月) 18:30 ┃ ┣Re:公共の場でのオフリード/ノーリード sei(非犬飼い) 03/9/23(火) 7:32 ┃ ┃ ┗議論の方向が理解できません。 JB 03/9/25(木) 19:09 ┃ ┃ ┗Re:議論の方向が理解できません。 たぬき 03/9/25(木) 21:54 ┃ ┗Re:公共の場でのオフリード/ノーリード たぬき 03/9/23(火) 8:24 ┗弁解します。 sei(非犬飼い) 03/9/23(火) 1:31 ┗Re:弁解します。 saika 03/9/25(木) 18:27 ┗Re:弁解します。 sei(非犬飼い) 03/10/2(木) 0:13 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 公共の場でのオフリード/ノーリード ■名前 : sei ■日付 : 03/9/18(木) 22:57 -------------------------------------------------------------------------
非犬飼いです。スタンスを明確にするために、プロフィールを書きます。 とある理由で、犬飼いと犬嫌い双方の考え方を知る必要が生じまして、「ノーリード」検索から入ってきました。 犬を飼える環境はあるが、人生を豊かにする手段として、犬を飼うことを選択しなかった男です。 犬嫌いではありません。犬に対して興味が無くもありません。友人宅のラブラドルのしつけを心配しています。 ちょっと犬が怖い息子と、もっと犬が怖いカミさん(妊娠8ヶ月)に、「犬のことをもっと理解して、接しなさい」と常々言っています。(危険?) さて、「犬の社会性」について疑問に感じることがありましたので、できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか? 1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? 2 犬の犬社会における適応性は、上下関係や序列が主なものだと思っていました。人間の家庭の中で、飼い主を中心とする序列(犬の人間社会における適応性)があり、その中で幸せそうにしているのであれば、特に犬同士の序列の中に放す必要は無いのではないかと考えます。これを、犬にとっての不自然、不健康と考える理由はなんでしょうか?それとも、犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し、それが犬の健康にとって重要なものなのでしょうか? 3 犬の社会性を養い、その活動に第三者も参加してもらうこと。犬同士の序列を決めたり友犬を作るために犬同士で遊ばせること。これらを行うために、公共の場でのノーリードが重要であるとする理由はなんでしょうか?(犬同士がじゃれ合うためにリードが邪魔。飼い主にリードにつながれて支配されている状態では、本来の社会性を引き出すことができない。ドッグランが身近にない。公共の場でないと、第三者に参加してもらうという過程が達成できない。私にはこの程度の答えしか想像できません。) 勘違いがあったら申し訳ありません。7月初めくらいからROMしてまして、だいたいの流れは理解していたつもりです。 その上で、どうしても合点のいかない部分がありましたので、どうかお答えください。 「非犬飼いになにがわかる」とか言わないで、ノーリード反対の方も、ぜひご意見をお聞かせください。 |
▼seiさんへ >さて、「犬の社会性」について疑問に感じることがありましたので、できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか? ええと、ノーリード推進、という表現は、私は、自分にはあてはまらないと思っています。しかも、一部レスなのですが。 >1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? いえ、「犬の社会性」ではなく「人の社会性」「犬の人社会における社会性」が重要だと思います。 >2 犬の犬社会における適応性は、上下関係や序列が主なものだと思っていました。人間の家庭の中で、飼い主を中心とする序列(犬の人間社会における適応性)があり、その中で幸せそうにしているのであれば、特に犬同士の序列の中に放す必要は無いのではないかと考えます。これを、犬にとっての不自然、不健康と考える理由はなんでしょうか?それとも、犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し、それが犬の健康にとって重要なものなのでしょうか? 今の時代の「犬の躾」「犬の訓練」の方法論としての主流は、seiさんのおっしゃるような考え方です。ある意味では、極端に犬同士の接触をさけ、犬の神経をハンドラ−(飼い主)のみに集中させることを推奨する「科学的(動物行動学に基づいているそうです)訓練法」などもあります。 しかし、「犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し」ます。小さな子供は小さな子供が好きだし、同じ趣味の人間は群れるし、また「群れたがる」のと同じではないかと思います。あるいは、犬は、子供同士が「ガンツケ」しあっていちゃもんつけあったり、若い女の子が他の女の子のファッションを厳しい目でチェックする、そんなことと同じような行動もとります。 そんな時には、犬同士の社会性と共に、犬の人社会におけるお作法も犬が身につけている必要はありますね。 それが、健康にとって必要かどうか、ですか・・・?さあ、どうでしょう?答えになっていなくて、ごめんなさい。 ちなみに、純血種では、自分と同じブリード同士は、犬はちゃんとわかっていて、互いに理解しやすいようです。 話は横へずれるのですが、 リードを犬は、どうとらえているか? うちの犬では、という各論でしかないのですが、リードが有れば犬自身の自制心は薄れます。 犬は、リードに頼って行動します。 手っ取り早くいえば、気も大きくなるし(後ろだけがありますから)勝手なことをしていいと思っているのです。だって、飼い主は、リードを掴んでいてくれるのですから。 しかし、リードの無い状態では、犬は自分の責任で行動しなければならず、飼い主の精神状態を反影した行動をします。 他の犬、ヒトのいる場所(私有地の中であれ外であれ)では、飼い主がそれだけ犬の行動に気を使いますから、犬も、それだけ、「人の社会」ではどういう行動をしたらよいか、ということを自ら学び取ってゆきます。その中には、人が教えたことも有りますが、しかし、人が「こんなことは犬に教えられない」と思うようなことや、「犬に教える必要などない」と思うようなことも有ります。 私が犬のそんな能力に気がついたのは、もしかしたら、私が公共の場で、犬がリードからはなれている状態を経験しているからかもしれません。 ああ・・・しかし、もしかしたら、普通は、皆さん、そんなことは当たり前と思ってらっしゃることで、私が単に、気がつかない人間なのかも・・・。 |
▼saikaさんへ お答えいただき、ありがとうございます。 最初に、質問にお答えをいただきながら反論のようなレスをつける無礼をお許し下さい。 >ええと、ノーリード推進、という表現は、私は、自分にはあてはまらないと思っています。しかも、一部レスなのですが。 主に、ノーリードを推し進めようとしている人に質問したかったので、あえて「ノーリード推進」とさせていただきました。ノーリード賛成、部分賛成と置き換えていただいても問題ないです。 >いえ、「犬の社会性」ではなく「人の社会性」「犬の人社会における社会性」が重要だと思います。 犬同士の関係性は、あくまで飼い主同士の関係性の延長線上にある。また、犬と第三者(非犬飼い)との関係性も、飼い主を通しての関係性である。と考えてよろしいでしょうか?(「関係性」の表現については、[#627]を参照下さい) >しかし、「犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し」ます。小さな子供は小さな子供が好きだし、同じ趣味の人間は群れるし、また「群れたがる」のと同じではないかと思います。 なるほど、群れたがる、ですね。家庭の中の序列だけでは、ただひとり異質な身の孤独を感じているのかもしれませんね。同質なものと群れたい、何らかの関係を持ちたいというのは、生存本能から来る生物共通の行動原理かもしれませんね。例外もありますけど。 >犬は、リードに頼って行動します。 >手っ取り早くいえば、気も大きくなるし(後ろだけがありますから)勝手なことをしていいと思っているのです。だって、飼い主は、リードを掴んでいてくれるのですから。 これは、犬にとっては安心できる時間なのではないかと考えます。 >しかし、リードの無い状態では、犬は自分の責任で行動しなければならず、飼い主の精神状態を反影した行動をします。 これは、犬(と飼い主)にとっては常に緊張している時間なのではないかと考えます。 ではお散歩とは犬と飼い主にとってどのような時間なのでしょうか。リードを付けていてもいなくてもお行儀がいいというしつけは、リードを付けたときに最も効果を発揮するのではないでしょうか? つまり、ドッグランなどノーリードが許されている場所で、程良い緊張感の中、リードを付けて歩くときのための訓練を行う。そしてドッグラン以外では、リードを付けて犬と飼い主の安心できる時間を共有する。(緊張感を保ちつつ散歩したい、するべきだという考え方もありますが。) いくらしつけができていて、呼び戻しも完璧、といわれる飼い主の方も、常に予測不可能な事態に緊張し、不安を感じながら散歩するのは、気の休まる暇もないのではと思います。 安心感の中で感じる信頼関係を「絆」と言うのではないでしょうか。 >他の犬、ヒトのいる場所(私有地の中であれ外であれ)では、飼い主がそれだけ犬の行動に気を使いますから、犬も、それだけ、「人の社会」ではどういう行動をしたらよいか、ということを自ら学び取ってゆきます。 飼い主が「教える」こと以外に、犬が自ら「感じる」ことも重要だと思いました。ただ、最低限身につけておいてほしいことは、犬が感じる前に飼い主主導で「教える」必要があると思います。飼い主の認識レベルがそのまま飼い犬の認識レベルになります。都合のいいことだけを犬は自然には覚えてくれないと思います。 >私が犬のそんな能力に気がついたのは、もしかしたら、私が公共の場で、犬がリードからはなれている状態を経験しているからかもしれません。 リードで繋がれたままでは、気がつかなかったかもしれない。犬が自ら学び取ってゆく能力が、制限されていたかもしれない。ということでしょうか。非犬飼いも犬のことを理解するために、参考になるご意見です。犬は飼い主に似る。よく聞く言葉ですが、犬が自ら学ぶ能力を伸ばせるならば、飼い主はとんでもなくても(失礼!Saikaさんのことではありませんよ。)犬はお利口、ということもあり得るわけですね。 しかし、です。公共の場で、というところがどうしても引っかかってしまいます。公共の場でのノーリードに上記のメリットがあったとしても、それを凌ぐ弊害が発生し、結果的に普通に犬と散歩する事すら難しくなってしまう、という因果関係は、これまでの皆さんのご意見から理解しました。それでも、犬が自ら学び取る能力を高め、地域に受け入れられる存在になるために、将来的に公共の場でのノーリードを完全否定したくはありません。 では、どうするのか。私は、上記したような飼い主のコミュニティやドッグランに期待しています。それも、第三者(非犬飼い)も一緒に参加して楽しめる形態のものです。 ここから先は、別板「ドッグランについて考える」にも、質問や意見を述べたいと思いますので、そちらでもよろしくお願いします。長くなりましたので、本日はこの辺で失礼します。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ >>いえ、「犬の社会性」ではなく「人の社会性」「犬の人社会における社会性」が重要だと思います。 >犬同士の関係性は、あくまで飼い主同士の関係性の延長線上にある。また、犬と第三者(非犬飼い)との関係性も、飼い主を通しての関係性である。と考えてよろしいでしょうか?(「関係性」の表現については、[#627]を参照下さい) 犬の社会性でなく、人の社会性と書いたのは、文字通り、人の社会性という意味です。犬がどうということよりも、問題は、人の人社会における社会性が一番大きな問題と思っています。 この掲示板で、いろいろと話題になっていることも、結局は、犬がどうということではなく、不作法な飼い主や、他人とうまくコミュニケーションのとれない飼い主との交流における問題点が、その一番の論点となっている様な気がします。あるいは、自分の行動の結果に責任を持たない飼い主に対する不信、不満が、一番の大きな問題点のようだと、思いませんか? 皆さんがおっしゃるのは、「いくら犬の訓練が完璧でも」なのです。犬は信頼できる様に躾けられる、でも、他の人に安心感を与えるよう、などということは、つまりは、「人対人」なのです。人の他人に対する配慮や、心遣い、ということです。 犬同士のことは、飼い主の社会性さえ整合性がとれていれば、なんとかなるものです。 >>犬は、リードに頼って行動します。 >>手っ取り早くいえば、気も大きくなるし(後ろだけがありますから)勝手なことをしていいと思っているのです。だって、飼い主は、リードを掴んでいてくれるのですから。 >これは、犬にとっては安心できる時間なのではないかと考えます。 > >>しかし、リードの無い状態では、犬は自分の責任で行動しなければならず、飼い主の精神状態を反影した行動をします。 >これは、犬(と飼い主)にとっては常に緊張している時間なのではないかと考えます。 そんなことはないと思います。日常生活です。 >ではお散歩とは犬と飼い主にとってどのような時間なのでしょうか。リードを付けていてもいなくてもお行儀がいいというしつけは、リードを付けたときに最も効果を発揮するのではないでしょうか? 前に、リードをつけている時と、つけていない時の犬の心理状態についての私の考え方は、書いたと思います。問題犬とすら呼ばれそうな状態だった以前の犬も、それは全く同じでしたね。 >つまり、ドッグランなどノーリードが許されている場所で、程良い緊張感の中、リードを付けて歩くときのための訓練を行う。そしてドッグラン以外では、リードを付けて犬と飼い主の安心できる時間を共有する。(緊張感を保ちつつ散歩したい、するべきだという考え方もありますが。) >いくらしつけができていて、呼び戻しも完璧、といわれる飼い主の方も、常に予測不可能な事態に緊張し、不安を感じながら散歩するのは、気の休まる暇もないのではと思います。 > >安心感の中で感じる信頼関係を「絆」と言うのではないでしょうか。 なぜか、とても違和感を感じます。広い野原で、いろいろなことを吸収したり発散したりしながら、どこか、進んでゆく方向を模索しているつもりでいたら、知らないうちに、ある方向へ、広場自体が動いている様な・・・。もっと外側から、広場の計画されたかもしれない方向を見て見たい様な・・・。 ということで、2〜3日、時間がないので、今日はこれで失礼します。書きたいことはあるので、また出て来ます。 それから、さっき、日常生活と書きましたが、犬との日常生活で、私が、「そうね。」と静かに思ったのは、ある咬傷事件について話し合っている時に、ある犬飼が、絞り出す様に、「私、自分の犬を信頼している、でも、気をつける」と言った時です。 そして、思ったのです。犬のことに限らず、日常生活とは、「信頼している、でも、気をつける」が基本なんだと。それが、社会という中で生活している基本なんだと。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ たびたびすみません。ここにもちょっと違うんじゃないかな、とおもう文があるので書かせてください。 >>しかし、「犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し」ます。小さな子供は小さな子供が好きだし、同じ趣味の人間は群れるし、また「群れたがる」のと同じではないかと思います。 >なるほど、群れたがる、ですね。家庭の中の序列だけでは、ただひとり異質な身の孤独を感じているのかもしれませんね。同質なものと群れたい、何らかの関係を持ちたいというのは、生存本能から来る生物共通の行動原理かもしれませんね。例外もありますけど。 私は、犬にも友達づきあいは存在するとは思いますが、すべての犬が犬好きなわけではナイとも思います。人に愛されて人の中で育った犬、飼い主との間に密着した信頼関係を持つ犬、などは犬とつきあうより人とつきあうことを選びます。また悲しい過去を持つ犬はそれなりに犬すべてに敵意を見せることもあります。人にももそれぞれタイプがあるように犬にもそれぞれタイプがあると思います。これを例外とは言わないと思います。つまり、ほかの犬と楽しく遊ばない犬=だめ犬、乃至は変な犬とは思わないでいただきたいのです。 > >>犬は、リードに頼って行動します。 >>手っ取り早くいえば、気も大きくなるし(後ろだけがありますから)勝手なことをしていいと思っているのです。だって、飼い主は、リードを掴んでいてくれるのですから。 >これは、犬にとっては安心できる時間なのではないかと考えます。 > >>しかし、リードの無い状態では、犬は自分の責任で行動しなければならず、飼い主の精神状態を反影した行動をします。 >これは、犬(と飼い主)にとっては常に緊張している時間なのではないかと考えます。 これもちょっと違うと思います。ある程度しつけられた犬に関して思うんですが、リードがあると犬と人の間がめんどくさくないと言うことだと思うんです。オフリードの場合犬は飼い主の行動に集中しなくてはいけないが、リードがあると少しぐらい勝手に行ってもリードの感触でそれが良かったか悪かったが分かるので犬も気が楽だということだと思うんです。飼い主も犬の神経をこちらに向けさせる努力をしなくていいという点でリードに頼る方が楽なのです。 >ではお散歩とは犬と飼い主にとってどのような時間なのでしょうか。リードを付けていてもいなくてもお行儀がいいというしつけは、リードを付けたときに最も効果を発揮するのではないでしょうか? どちらでもお行儀がいいなら、どちらでも同じに決まっていると思います。 >つまり、ドッグランなどノーリードが許されている場所で、程良い緊張感の中、リードを付けて歩くときのための訓練を行う。そしてドッグラン以外では、リードを付けて犬と飼い主の安心できる時間を共有する。(緊張感を保ちつつ散歩したい、するべきだという考え方もありますが。) この文章はいまいち理解できませんリードをつけて歩くときのための訓練はリードをつけてやった方がいいとおもいます。 >いくらしつけができていて、呼び戻しも完璧、といわれる飼い主の方も、常に予測不可能な事態に緊張し、不安を感じながら散歩するのは、気の休まる暇もないのではと思います。 常に予測不可能な事態に緊張し不安を感じながら散歩するのは、リードのあるなしに関係なく、犬の散歩をする人に必要なことだと私は思います。リードがあっても噛む(襲う)いぬはいます。 経験、体験のみを真実と考える見方が偏見の基であると言うこともよく分かっているのですが逆に理論だけでひとまとめに考えてしまうのもちょっと違うような気がします。理想論理論だけではすまない問題(人も犬も生き物で個性がある)ということもおふくみおきください。 なんかとても無礼なことをしていると思いますが、理論と現実体験に根ざした思考がうまく解け合えたらと言う目標に向かっているとお考えいただけたら幸いです。 |
東亀@この時間なのにまだ仕事してるワシー・・・・。もう寝たい。 ▼seiさんへ >とある理由で、犬飼いと犬嫌い双方の考え方を知る必要が生じまして、「ノーリード」検索から入ってきました。 ほうほう。 ネットって、世界からのぞける井戸端会議だと思う。だもんで、ぜひ犬をお散歩させてる公園とか、そのへんの犬飼とか、町で見かける犬飼いとか、いろんな人にお話を聞くことをや現地で「見る」ことを、えらそーですが、お勧めします。フィールドワークですな。 犬を飼うといっても実に様々なパターンがあってね、つなぎっぱなしで飼ってるというより拉致してるみたいなヒトもいるし、狭い世界の中だけで飼ってる人もいるし、どこにいくのも一緒で伴侶として暮らしている人もいる。虐待目的で飼ってる人も最近目にすることも増えたなぁー。 >犬を飼える環境はあるが、人生を豊かにする手段として、犬を飼うことを選択しなかった男です。 これには痛く、共感。 でも犬と暮らして、またそれはそれで人生は豊かにはなったのも事実。 カスケードは、無限にある。その状況に応じて未来はつくられる。 でもー、犬をとりまく色んな問題には実際腹がたちすぎて、体が持たない。あまりにも世間の見えないものの縮図すぎるというのがワシの感想。この腹だたちさに足をとらわれ豊かでないなぁーと思うこともたしかにある。犬と暮らしてなかったら、知ったことじゃないもん。隣の戦争だ。 >さて、「犬の社会性」について疑問に感じることがありましたので、できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか? ノーリード推進ではないですが、答えたいと思います。つーか、世間でもこの板でも、ノーリード推進の人ってほとんどいないんじゃないかと思うんだけど?公園とかで「ノーリードにしてあげなさいよ」ってことを言う飼い主がいるという話をどこかの板で読んだけど、見たことないんで状況がよく解らん。 >1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? 社会性っていうのは、関係性と言えると思う。互いの理解というか、インタラクティブなものだと思うのね。たとえば、犬は社会のルールを覚えるのは得意なんだけど、それは現場で身をもって覚えると思うのね。 で、人の社会との適応なんだけど、これは犬が歩みよっても人が歩みゆらなければ一方通行なんで社会性なんて言えなくなる。 たとえば、ウチの犬はごく狭い地域では人社会に受け入れられてるけど、それはウチの犬という固体にかぎってのこと。犬という種族が受け入れられたとは思えないし、限りなく不可能に近いと思う。 でもその狭いコミュニティがたくさんあれば、色鉛筆で日本地図を塗りつぶすように人社会に犬が受け入れられていくんじゃないかなと思ってた。棲み分けではなく、共生としてね。 今、ペットブームだけど、それに比例して様々な問題が浮上していてワシは困ったなと思ってるけど、もしかしたら逆説的ではあるがもっと犬 と暮らしている人が増えて、10人に8人は犬を飼ってるなんてぐらいになれば、社会は受け入れざるを得なくなるかもね。 そしたら、今の色んな問題もなくなっていくかもしれない。もちろんそれには飼い主が犬のことを知るという教育が必要なのかもしれないけど。それも数が増えると整合性がとれるかなぁー?人の子供みてたらそう楽観的にもおもえないなぁー・・・。あー、鬱だ。 >2 犬の犬社会における適応性は、上下関係や序列が主なものだと思っていました。人間の家庭の中で、飼い主を中心とする序列(犬の人間社会における適応性)があり、その中で幸せそうにしているのであれば、特に犬同士の序列の中に放す必要は無いのではないかと考えます。これを、犬にとっての不自然、不健康と考える理由はなんでしょうか?それとも、犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し、それが犬の健康にとって重要なものなのでしょうか? 犬社会の上下関係は、ピラミッド型のハイエラルキーなものではなくて、もっと柔軟なもので、頂点は力じゃなくてその場その場の環境が決めるもの。 人と犬の関係もそれに当てはまる。これ書き出すと長いから誤解を承知で、はしょって書くと、ようは飼い主との関係が最重要だと思うわけー。公園で顔あわせる犬同士の関係なんかも犬自体はいたってクールでそんなに重要視してないように思えるね。 いわゆるガウガウ犬・・・すれ違う犬には必ずガウガウするっていうのはようするに関係性が学べてないんだと思う。 対犬だけではなくて、ヒトも含めてのあらゆる関係性ね。関係性は、子供の頃に体験として学んでいくもんだと思うけど、なかなかそいういう環境ではないもんね。 犬が外にでていくときには、この関係性は重要。対犬、対人間、関係なくね。ワシはこれを普段「わきまえる心」なんていってるけど。ヒトと同じですよ。 犬のフォローは飼い主がするわけだけど、ここで犬と暮らすのが「大変か」どうかが決まる。犬をほったらかしに自由にできる場所があればいいけど、それは子育ての放棄に等しい。 >3 犬の社会性を養い、その活動に第三者も参加してもらうこと。犬同士の序列を決めたり友犬を作るために犬同士で遊ばせること。これらを行うために、公共の場でのノーリードが重要であるとする理由はなんでしょうか?(犬同士がじゃれ合うためにリードが邪魔。飼い主にリードにつながれて支配されている状態では、本来の社会性を引き出すことができない。ドッグランが身近にない。公共の場でないと、第三者に参加してもらうという過程が達成できない。私にはこの程度の答えしか想像できません。) 社会性っていう提議があいまいだと話は混乱すると思う。 社会性は、あらゆる者との関係の有り様なんで、ノーリードで遊ばせることで構築できるもんじゃないと思うし、ドッグランで養われるものでもない。しつけだけでもダメだしね。早い話、ニンゲンの子供と同じですよ。たとえると長くなるんでやめとくけど・・・。 昔はワシー、犬飼いは犬を町へ連れ出せってよく言っていた。関係が築けている犬は、犬嫌いさえ犬好きに変貌させる力を持ってるのは体験済み。(そのへんの微妙さは、すごいと思うね>犬)その状況下では犬は、ひと括りの犬ではなく、なぜか「●●ちゃん」と固有名詞で呼ばれる。こんな犬がたくさん増えると、「犬のウンコが公園み落ちていたから犬禁止」なんてことはなくなると思ったのね。 だけどー、関係が築けない犬・・・これは飼い主の責任・・・が大量増殖してしまったんで、今はいえないなぁー。なんか行政なんかもね、困ってるみたいなのね。犬飼いが自ら問題を引き起こして、ナントカしろといってくる。公共ってのは公なんで本当は締め出しなんかしたくないらしいのね。それ言い出すとキリがないからね。できれば自分たちでなんとかしてほしいってのが本音みたいでね。 ま、犬飼いはいろんなものとの関係を放棄しちゃいかんとは、今でも思う。逃げ込んだり、閉じこもったら、状況は変わらないよ。自分の犬との関係や人社会との関係を築いていかなきゃ。 この板も本来は、「クリッカーって何?」と同じく、「リードって何?」っていう教育板だったと思うんだけどね。ま、時代を表してるというか、これが現実なんだよなー。 長くなった。解りにくいだろうけど、真剣に答えたつもり。質問あったら時間ゆるす限り書く。仕事混んでるんでREは遅くなるけど。 |
▼東亀さんへ ご回答ありがとうございます。 非犬飼いなので、シカト喰らうんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてたので、感激です。 >ぜひ犬をお散歩させてる公園とか、そのへんの犬飼とか、町で見かける犬飼いとか、いろんな人にお話を聞くことをや現地で「見る」ことを、えらそーですが、お勧めします。フィールドワークですな。 ヒアリングは進めています。ただ、なかなか本音を言ってもらえないようで(訊き方がまずいかも)。この掲示板や、時として2chの方がよりリアルに感じます。 >でもー、犬をとりまく色んな問題には実際腹がたちすぎて、体が持たない。あまりにも世間の見えないものの縮図すぎるというのがワシの感想。この腹だたちさに足をとらわれ豊かでないなぁーと思うこともたしかにある。犬と暮らしてなかったら、知ったことじゃないもん。隣の戦争だ。 私は首を突っ込んでしまいましたが。 >ノーリード推進ではないですが、答えたいと思います。つーか、世間でもこの板でも、ノーリード推進の人ってほとんどいないんじゃないかと思うんだけど? ノーリード賛成の方としてもよかったのですが、ノーリードを実践することによって周囲を変えていこう!と考える方もおられると思いましたので。 >でもその狭いコミュニティがたくさんあれば、色鉛筆で日本地図を塗りつぶすように人社会に犬が受け入れられていくんじゃないかなと思ってた。棲み分けではなく、共生としてね。 受け入れられ、共生できる環境が整って初めて、ノーリードは容認されると思います。そこにたどり着くには、個々の飼い主の近所に対する気配りはもちろんのこと、点を線に、線を面に広げるためにより広範囲の個コミュニティをユニットする事も必要です。が、自分の行動範囲内での関係性が保たれているならばOK、これ以上受け入れてもらって、待遇の改善を底上げする必要なし、という方もおられます。 >もっと犬と暮らしている人が増えて、10人に8人は犬を飼ってるなんてぐらいになれば、社会は受け入れざるを得なくなるかもね。 怖いです。8割が犬飼いになったら、残りの2割は受け入れざるを得ないなんて。私がその2割だったら、現在の犬飼いさんのように行政に働きかけたり、犬飼い反対運動をしているかもしれませんね。 >社会性っていう提議があいまいだと話は混乱すると思う。 >社会性は、あらゆる者との関係の有り様なんで、ノーリードで遊ばせることで構築できるもんじゃないと思うし、ドッグランで養われるものでもない。しつけだけでもダメだしね。早い話、ニンゲンの子供と同じですよ。たとえると長くなるんでやめとくけど・・・。 「○○の社会性」は、適応性ではなく関係性ですね。適応することも、適応できない、適応したくないと思うことも個性であり、それが他者と接触したとき、「関係」として表面化するわけですね。そこで相手がどんな関係を築きたいのか、築きたくないのか、「察する」「わきまえる」能力が必要なのですね。 ここで、このレスを読んでくださった方への質問と提案があります。(東亀さん、レスを勝手にオープン議論にする事をお許しください。) あらゆる者との関係の有り様(犬の社会性)を、犬(や犬の飼い主)が自主的に学んでいけるような状況を、現在の法律、条例、公衆道徳を守った上で実現するには、どのような考え方、方法があるでしょうか? また、ルールだから絶対にダメ、という公共の場でのノーリード論争では、議論が停止してしまいます。saikaさんのお答えにもありましたが、ノーリードの効用も考えられそうなので、公共の場でのノーリードが容認される社会を作るために、どんなプロセスを踏まなければならないか、シミュレーションするのも一興かと存じます。 みなさまのご意見をお聞かせください。 |
東亀@長くてスマン。ひさしぶりに面白いもんで。 ▼seiさんへ >ご回答ありがとうございます。 >非犬飼いなので、シカト喰らうんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてたので、感激です。 いや、むしろ犬飼いでない人がこういった場所で意見してもらえることは重要ですんで、礼を言うのは犬飼いのほうでしょう。ようこそ、隣の戦争へって感じでしょうか。(笑) >ヒアリングは進めています。ただ、なかなか本音を言ってもらえないようで(訊き方がまずいかも)。この掲示板や、時として2chの方がよりリアルに感じます。 住民会議では誰も発言しなかったけど、匿名の電子タウンミーティングでは議員と業者の癒着までもが飛び出して主催者側があわてたなんていうのとよく似ている。これは匿名性の陰と陽。つまりはネットの特性ですよねー。 これって、この犬カテゴリーでも重要なキーワードでもあり、民主主義を論じるときにも重要なキーワードだと思います。「ネット」っていうのは、民主主義が熱く語られた時代にはなかった概念ですからねー。それはまたいずれどこかで書きたいと思いまする。 >私は首を突っ込んでしまいましたが。 自分に関係することを突き詰めていくと、そこには公というものがどうしても現らざるを得ない。個人の我侭の延長に公があるのが体感されます。それが社会というものなのでしょうね、きっと。 僕なんかも、最初は、自分の犬さえよければそれでよかったんですが、いろいろ見えてくるものに蓋はできない。結局、犬のカテすら越えてしまい、日本や社会なんていうカテにまで拡大してしまいました(汗)。個人が抱えるには大きすぎることで鬱な自分が時々馬鹿に思うこともしばしばです。5年ほど前は「共闘だーっ」なんて、元気よくいろんな活動してましたが・・・。 >ノーリード賛成の方としてもよかったのですが、ノーリードを実践することによって周囲を変えていこう!と考える方もおられると思いましたので。 一般の人は、自分に危害があるかないかを心配されているわけで、リードしてたらその犬は走って襲ってはこれないだろうというふうに考えるわけでね。それはごく普通のあたりまえの思考です。 どんな場所でもやろうと思えばノーリードにできる飼い主さんは、リードを犬を係留しておく道具ではないと考えてると思います。 第3者に安心感を与える方法はリード以外にもいろんな方法がありますから、ノーリード推進でも、ノーリード賛成でもないというのが本音だと思います。 僕なんかは社会との関係を断ちたい時はオンリードって感じですが・・・。 リードは犬と飼い主の関係を第3者に視覚化することは可能ですが、リードをしてるからこれ以上第3者に配慮しなくてもいいという飼い主が多いのは現状ではあります。 >受け入れられ、共生できる環境が整って初めて、ノーリードは容認されると思います。そこにたどり着くには、個々の飼い主の近所に対する気配りはもちろんのこと、点を線に、線を面に広げるためにより広範囲の個コミュニティをユニットする事も必要です。が、自分の行動範囲内での関係性が保たれているならばOK、これ以上受け入れてもらって、待遇の改善を底上げする必要なし、という方もおられます。 地域コミュニティで犬を受け入れられている多くの人はそうでしょうね。 ただ、最近はそのコミュニティが形成できない方が草の根運動と称して、行政や議員に群れを組んで陳情にいくことで、その犬が受け入れられてるコミュニティを崩壊させかねないことに危惧を抱いているといえるでしょう。(ちなみに草の根とは、こうゆう閉じられた陳情型のものではないと僕は考えます。) 中には、自分たちでなんとかしようと「しつけ教室」や「サークル」をつくる行動に移る方もおられますが、多数の前には手も足もでないという状態だと思われます。対処に負われるばかりでね。「まず論じる前に自分と犬の関係を築いてほしい」とはある方が会議で怒ったときの言葉です。過激ではありますが本音でしょう。 >>もっと犬と暮らしている人が増えて、10人に8人は犬を飼ってるなんてぐらいになれば、社会は受け入れざるを得なくなるかもね。 >怖いです。8割が犬飼いになったら、残りの2割は受け入れざるを得ないなんて。私がその2割だったら、現在の犬飼いさんのように行政に働きかけたり、犬飼い反対運動をしているかもしれませんね。 まさにそのとおり。怖いです。 境界性という言葉を最近よく耳にします。ひきこもりなんかに使われる概念ですね。今、日本の社会自体がこっちかあっちという境界例なんですね。 議論もすり合わせもなく、こっちかあっち。数が多いほうが公であるというのが民主だと捉えられています。その審判は行政に任せきりで、だからでしょう、メディアに訴えるとか、行政に訴える、議員に訴えるというショートカットがあたりまえになってきている。 もともと日本には、グレーゾーンという「個」と「公」が重なり合う場所が存在していました。 田舎の家の「土間」がそうですし、家と家の隙間にお互いの洗濯物やゴミ箱が置いてある「路地」がそうです。 そういったグレーゾーンで、公の精神は育まれていったと僕は考えています。 そのグレーゾーンが消滅し始めた頃から社会は境界例的な様相を表しはじめた。 ま、このへん語ると長くなるんで面白い実例をイッパツ。 近所のレストランがこの不況のあおりを受け暇になっちゃいました。そこのオーナーは犬飼いで、犬連れOKを大々的に宣伝文句にする作戦にでたのです。当初、犬連れで賑わいその作戦は成功したかに見えましたが、ウワサが人を呼び、とんでもない飼い主がくるようになってしまったのです。結果、レストランは閉鎖せざるを得なくなったのです。 また、別のレストランは犬連れOKとは謳っていませんが、犬連れで入店できます。オーナーが言うのは「犬であろうが人であろうが迷惑な奴は帰ってもらうのが当店の方針です」だそうです。 この迷惑っていう表現はすごくあいまいで、まさにグレーゾーンです。客体か主体かよく解らない。が、これが非常にうまくいっている。 「口には出さずに犬がいるからと来店しない客もいるのでは?」という僕の質問にオーナーは笑いながら 「ここは“誰もが入れる”レストランです」とニヤリと笑います。 実際、この店では、犬を媒体にとまではいいませんが(←そういう例もたしかにあるようです)客同士が会話するゆるやかなコミュニティが形成されており、そのコミュニティが店に活気を与え繁盛しているようです。 閉鎖したレストランとそうでないレストラン。この違いは何だろうと思うわけです。そこにはまさに「公」の有様が見え隠れしているように思えるのです。 >「○○の社会性」は、適応性ではなく関係性ですね。適応することも、適応できない、適応したくないと思うことも個性であり、それが他者と接触したとき、「関係」として表面化するわけですね。そこで相手がどんな関係を築きたいのか、築きたくないのか、「察する」「わきまえる」能力が必要なのですね。 ある人が、その物の形を見て「丸い」と言う。ある人は「長方形」だという。互いに議論するけど、その壁は越えられない。 でもー、互いの意見を受け入れて考えてみると、その物の真実の形が見えてきます。その実態はコーラの缶だったりするわけです。 これは犬の言葉を理解する上で重要な考え方です。また関係を構築する基本でもありますし、社会を構成する基本でもあります。 これが理解できないと犬や人と関係を結べなくなり、またそれゆえに閉じこもろうとします。自分を理解されようとも努力するわけでもなく、相手を理解しよう努力しようともせずに、身内だけで、もしくは匿名性の中に閉じこもります。 以前、市の未来ビジョン策定みたいな文章をつくるのにオブザーバーとして参加したときには、なるべく具体的に解りやすくという市民の意向に反対して、大雑把に書けと提案しました。具体的なことはその場の環境によって変化するものだし、そこで具体的に書くことで選択肢は狭められると考えたからです。 大雑把に基本の理念だけを書いておくことで、その時その時代において考えながら、議論しながら決めていけるからです。未来ビジョンをつくるのだから、カスケードをせまくしちゃイカンと思ったのです。 おかげでできたものは、なんか憲法みたいでサッパリ解りません。・・・汗 >ここで、このレスを読んでくださった方への質問と提案があります。(東亀さん、レスを勝手にオープン議論にする事をお許しください。) いえいえ、これは僕も聞いてみたいですね。 >あらゆる者との関係の有り様(犬の社会性)を、犬(や犬の飼い主)が自主的に学んでいけるような状況を、現在の法律、条例、公衆道徳を守った上で実現するには、どのような考え方、方法があるでしょうか? 僕の考えは、この前のメールで書きましたが、お気づきになられたと思いますが、過去形になってます。 点を集めて、面にする方法は狭い地域のコミュニティでは可能でも、限界があります。この板でのやり取りがそれを体現しております。 が、その問題点は犬のカテを越えた多義にわたるものですし、ここでは長くなるので割愛いたします。 時間あればドッグラン板のほうに移動して書いてみます。では、向こうで・・。 |
▼東亀さんへ >僕なんかは社会との関係を断ちたい時はオンリードって感じですが・・・。 オンリードすることで第三者に「あぶないかもしれない」と思わせ、また、「おりこうですね」と寄ってくる人を近づけさせないということですか・・・逆説的でおもしろいですが、これからの議論の展開を考えると・・・複雑な気落ちです。 >近所のレストランがこの不況のあおりを受け暇になっちゃいました。そこのオーナーは犬飼いで、犬連れOKを大々的に宣伝文句にする作戦にでたのです。当初、犬連れで賑わいその作戦は成功したかに見えましたが、ウワサが人を呼び、とんでもない飼い主がくるようになってしまったのです。結果、レストランは閉鎖せざるを得なくなったのです。 > >また、別のレストランは犬連れOKとは謳っていませんが、犬連れで入店できます。オーナーが言うのは「犬であろうが人であろうが迷惑な奴は帰ってもらうのが当店の方針です」だそうです。 > >この迷惑っていう表現はすごくあいまいで、まさにグレーゾーンです。客体か主体かよく解らない。が、これが非常にうまくいっている。 > >「口には出さずに犬がいるからと来店しない客もいるのでは?」という僕の質問にオーナーは笑いながら > >「ここは“誰もが入れる”レストランです」とニヤリと笑います。 > >実際、この店では、犬を媒体にとまではいいませんが(←そういう例もたしかにあるようです)客同士が会話するゆるやかなコミュニティが形成されており、そのコミュニティが店に活気を与え繁盛しているようです。 > >閉鎖したレストランとそうでないレストラン。この違いは何だろうと思うわけです。そこにはまさに「公」の有様が見え隠れしているように思えるのです。 キーワードは「エチケット」ですか?ドッグランにも言えますが、みんながエチケットを知っているところは繁盛するのではないでしょうか。 ただ、「迷惑なやつは帰ってもらう」というルールブックのような人(文章)の存在が必須ではないでしょうか。その人(文章)は、来る人みんなから信頼(納得)されているリーダー(規則)のような人(文章)です。 >僕の考えは、この前のメールで書きましたが、お気づきになられたと思いますが、過去形になってます。 それは、 >[#619]でもその狭いコミュニティがたくさんあれば、色鉛筆で日本地図を塗りつぶすように人社会に犬が受け入れられていくんじゃないかなと思ってた。棲み分けではなく、共生としてね。 しかし、状況は時々刻々変化し、 >[#636]最近はそのコミュニティが形成できない方が草の根運動と称して、行政や議員に群れを組んで陳情にいくことで、その犬が受け入れられてるコミュニティを崩壊させかねないことに危惧を抱いているといえるでしょう。 など、次々にこれまでの苦労を無に帰すような事態が生じる、ということですか。私は無知ですが、心中お察しします。何か新しいアイデアが出て解決した、と思っても、変化していく状況の中でそのアイデアにしがみついていては、ひずみによって新たな問題が発生してしまう。常に疑問を持って、考えることをやめてはいけないということですね。まるで無間地獄のような・・・。 日付が変わる前からうだうだいろいろ考えていたので、そろそろパンクしそうです。ので、今夜はこれまでにしておきます。体力ないので・・・スミマセン。 |
▼seiさんへ >▼東亀さんへ > >ご回答ありがとうございます。 >非犬飼いなので、シカト喰らうんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてたので、感激です。 > >>ぜひ犬をお散歩させてる公園とか、そのへんの犬飼とか、町で見かける犬飼いとか、いろんな人にお話を聞くことをや現地で「見る」ことを、えらそーですが、お勧めします。フィールドワークですな。 >ヒアリングは進めています。ただ、なかなか本音を言ってもらえないようで(訊き方がまずいかも)。この掲示板や、時として2chの方がよりリアルに感じます。 > >>でもー、犬をとりまく色んな問題には実際腹がたちすぎて、体が持たない。あまりにも世間の見えないものの縮図すぎるというのがワシの感想。この腹だたちさに足をとらわれ豊かでないなぁーと思うこともたしかにある。犬と暮らしてなかったら、知ったことじゃないもん。隣の戦争だ。 >私は首を突っ込んでしまいましたが。 > >>ノーリード推進ではないですが、答えたいと思います。つーか、世間でもこの板でも、ノーリード推進の人ってほとんどいないんじゃないかと思うんだけど? >ノーリード賛成の方としてもよかったのですが、ノーリードを実践することによって周囲を変えていこう!と考える方もおられると思いましたので。 > >>でもその狭いコミュニティがたくさんあれば、色鉛筆で日本地図を塗りつぶすように人社会に犬が受け入れられていくんじゃないかなと思ってた。棲み分けではなく、共生としてね。 >受け入れられ、共生できる環境が整って初めて、ノーリードは容認されると思います。そこにたどり着くには、個々の飼い主の近所に対する気配りはもちろんのこと、点を線に、線を面に広げるためにより広範囲の個コミュニティをユニットする事も必要です。が、自分の行動範囲内での関係性が保たれているならばOK、これ以上受け入れてもらって、待遇の改善を底上げする必要なし、という方もおられます。 > >>もっと犬と暮らしている人が増えて、10人に8人は犬を飼ってるなんてぐらいになれば、社会は受け入れざるを得なくなるかもね。 >怖いです。8割が犬飼いになったら、残りの2割は受け入れざるを得ないなんて。私がその2割だったら、現在の犬飼いさんのように行政に働きかけたり、犬飼い反対運動をしているかもしれませんね。 > >>社会性っていう提議があいまいだと話は混乱すると思う。 >>社会性は、あらゆる者との関係の有り様なんで、ノーリードで遊ばせることで構築できるもんじゃないと思うし、ドッグランで養われるものでもない。しつけだけでもダメだしね。早い話、ニンゲンの子供と同じですよ。たとえると長くなるんでやめとくけど・・・。 >「○○の社会性」は、適応性ではなく関係性ですね。適応することも、適応できない、適応したくないと思うことも個性であり、それが他者と接触したとき、「関係」として表面化するわけですね。そこで相手がどんな関係を築きたいのか、築きたくないのか、「察する」「わきまえる」能力が必要なのですね。 > >ここで、このレスを読んでくださった方への質問と提案があります。(東亀さん、レスを勝手にオープン議論にする事をお許しください。) > >あらゆる者との関係の有り様(犬の社会性)を、犬(や犬の飼い主)が自主的に学んでいけるような状況を、現在の法律、条例、公衆道徳を守った上で実現するには、どのような考え方、方法があるでしょうか? >また、ルールだから絶対にダメ、という公共の場でのノーリード論争では、議論が停止してしまいます。saikaさんのお答えにもありましたが、ノーリードの効用も考えられそうなので、公共の場でのノーリードが容認される社会を作るために、どんなプロセスを踏まなければならないか、シミュレーションするのも一興かと存じます。 >みなさまのご意見をお聞かせください。 http://www.berry-tds.com/column/back/c015.htm オフリードタイムという考え方がありますが、この方法がいいのではないかと思います。 プロセスですが、理想はブリーディングや子犬の販売方法から、あらためないといけないと思います。 遺伝性疾患や性格的に問題のあるコのブリーディング、無理な近親交配で生まれたこが問題をかかえると一生ひきずる可能性が高くなります。 また、子犬の重要な刷り込みの時期に親、兄弟などととはなされて、販売するのは問題行動を積極的につくりだしているようなものです。 さらに、各家庭に引き取られたあとも、2回から3回のワクチンがおわるまで、外にだすな。 犬との接触はするなでは、もう話しになりません。 そういう風に育てられた犬は不幸ですが、問題行動をおこさないほうが不思議なくらいで、ノーリードとかの話以前の問題です。 正しく、そだてられてはじめて、人との共存という出発点に立つと思います。まずは、その出発点にたつところからではないでしょうか? 疎の後に、犬を色々な人にふれあわせて等々出てくると思います。 まずは、ペットショップでの犬の販売を禁止すべきと思います。 |
▼たぬきさんへ > オフリードタイムという考え方がありますが、この方法がいいのではないかと思います。 空間的に隔離するか、時間的に隔離するかの違いでしかないようにも思えますが。でも可能性として、ノーリード容認へのステップの中に、非犬飼いを排除しない形でのオフリードタイムがあってもいいかなと思います。 > プロセスですが、理想はブリーディングや子犬の販売方法から、あらためないといけないと思います。 > > 正しく、そだてられてはじめて、人との共存という出発点に立つと思います。まずは、その出発点にたつところからではないでしょうか? > 疎の後に、犬を色々な人にふれあわせて等々出てくると思います。 > > まずは、ペットショップでの犬の販売を禁止すべきと思います。 そう!こういったご意見を積み重ねて、最終的に公共の場でのノーリードが容認されるには、どのような視点に立ち、どのように考え、どのように行動すればよいのか、を考えていきたいのです。こればっかりは非犬飼いの私には想像もできないことですので、犬を飼っておられるすべての方にお答えいただきたいほどです。 ブリーディングから、犬の成長過程のそれぞれの段階で、どのような選択肢を選べばノーリードが容認されるようになるのか。シミュレーションすることにより、現在の犬と犬飼いと第三者社会との間にある問題、これに対する答えも浮き彫りになるのではないかと考えます。 たぬきさんにお願いです。「あらためないといけない」「禁止すべき」とお考えになった理由、なぜそう思ったのかを補足していただけませんでしょうか。議論の根っこが定まって、展開が混乱しにくくなると思います。 どうかみなさん!この無知な非犬飼いを助けると思って、ご協力をお願いいたします。(なんか下手な選挙演説みたいだ・・・) あ・・・まずノーリード容認とはどんな状態のことを言うのか、を考えねば・・・。 |
追加ですが、 ノーリード容認へのプロセスに参加してくださる方に(おこがましくも)提案です。 各段階ごとにスレッドを変えて議論した方がまとまりやすいかと思います。各部会を作るようなものですね。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ >▼たぬきさんへ > >> オフリードタイムという考え方がありますが、この方法がいいのではないかと思います。 > >空間的に隔離するか、時間的に隔離するかの違いでしかないようにも思えますが。でも可能性として、ノーリード容認へのステップの中に、非犬飼いを排除しない形でのオフリードタイムがあってもいいかなと思います。 つまり、ドックランというのは、完全に物理的に壁をつくってしまうわけですね。 でも、時間を区切って公園となると、犬を連れていない人は入ってはいけないとはならないと思うのです。 確かに、ドックランでも犬を連れていない人もはいってもいいのでしょいうけど、わざわざ、入る人もいないですよね。 これが、公園となると、違ってくると思います。 東亀さんのかかれた、繁盛しているレストランのようになればいいのですけど。。。。。 > > >> プロセスですが、理想はブリーディングや子犬の販売方法から、あらためないといけないと思います。 >> >> 正しく、そだてられてはじめて、人との共存という出発点に立つと思います。まずは、その出発点にたつところからではないでしょうか? >> 疎の後に、犬を色々な人にふれあわせて等々出てくると思います。 >> >> まずは、ペットショップでの犬の販売を禁止すべきと思います。 > >そう!こういったご意見を積み重ねて、最終的に公共の場でのノーリードが容認されるには、どのような視点に立ち、どのように考え、どのように行動すればよいのか、を考えていきたいのです。こればっかりは非犬飼いの私には想像もできないことですので、犬を飼っておられるすべての方にお答えいただきたいほどです。 > >ブリーディングから、犬の成長過程のそれぞれの段階で、どのような選択肢を選べばノーリードが容認されるようになるのか。シミュレーションすることにより、現在の犬と犬飼いと第三者社会との間にある問題、これに対する答えも浮き彫りになるのではないかと考えます。 > >たぬきさんにお願いです。「あらためないといけない」「禁止すべき」とお考えになった理由、なぜそう思ったのかを補足していただけませんでしょうか。議論の根っこが定まって、展開が混乱しにくくなると思います。 ペットショップでの販売を禁止しなくてもいいのですけど、行いたいのは、子犬を最低、60日から90日くらいは、親、兄弟と一緒にいさせるということなのです。 この時期は社会性、というより、刷り込みの時期といったほうが分かりやすいと思うのですが、この刷り込みがないために問題行動をおこすこどが非常に多いのです。 犬同士、無意味な喧嘩を繰り返す等は典型的例で、子犬の知能の発達にもかかわってきます。知能の発達がおくれれば、躾のやりにくい子ができあがります。 ノーリードというのは、物理的な紐で犬を制御できないのです。 犬の犬としての常識と犬自身の判断、知能が必要になります。(もちろん、ノーリードでなくても重要です。) ペットショップの多くは、ブリーダーというところではなく、パピーミルと言われているような、子犬量産工場(日本ではそれもブリ−ダーとやばれるかもしれませんが)での生産が多いと思います。 そうすると、子犬が親から生まれ、ペットショップにたどりつくまでに、人間の愛情ある手にふれたのは何回あるのでしょうか? おそらく、1回もないのもあたりまえなんじゃあないかと思います。 この生まれて、直後から愛情のある人の手に抱かれるということが重要な刷り込みになるのです。 人の手は暖かい、やさしい、と刷り込まれた犬とそういうことを知らないで、育った子とは違ってくると思います。 生後30日前に親からはなされ、オークション等を経て、ショップのケースですごす。 これでは、虐待というものです。 誰かに買われたあとも、ショップでは、ゲージなどからださないように指導する。 ワクチンがすむまで犬との接触も外にもだすなという、 そこに、生きているという事実が欲しいだけの話です。なぜなら、1ヶ月いないとか、3ヶ月以内とかに死んだ場合は保障しなければいけないので。 重要な社会化の時期、刷り込みの時期をゲージの中ですごす。最悪ですね。 でも、現実にありますね。 いくら、僕がワクチンなど関係なく犬と接触させな。大丈夫だからといっても、もし、万一伝染病にかかったら、ペットショップではそんなこといってなかった。なのです。健康な子であれば、伝染病にかかる確率は万一より低いと聞きます。 外にださない、犬とも接触もない、では、社会性を養う確率は無いです。 でも、多くの人は刷り込み、社会性の重要性を認識せずにいます。 刷り込みの行われなかった子は、一生他の犬とは仲良くできない。とくに、同性とは100%近く不可能ということです。 悲しいですが、これも現実です。 成犬が子犬や小型犬にたいして、捕食の攻撃をしかける。ということは、本来であれば、ありえないことです。 種保存の法則に反します。 これも、刷り込みと、社会性の欠如がおおきいです。 流行というものありますね。 いま、コマーシャルなどの影響でチワワがはやっていると聞きます。 そうすると、ペットショップは商売ですので、出来るだけ、売れ筋の商品をそろえます。 それでは、いままでの数のチワワではたりなくなり、もっと、量産するように子犬工場にたのみます。 子犬工場の多くは品質管理などしていません。 ブリーディングは、なんでもかんでも、掛け合わせればいいというものではありません。 最低でも、健康な子がうまれるような配慮が必要と思います。 人間でも、兄弟同士、親子のカップルが何代かつずくと、体や精神に異常がでてきます。 犬も同じです。 そのような、異常が出た子は、他の犬と仲良くなどといっても無理です。 それでも、平気で販売し、なにもしらない人はミテクレがかわいい(子犬だからあたりまえです)から買っていきます。 かくして、はじめから、異常な遺伝子をもった子が刷り込みも社会性もなく育ち、運がわるいと、飼い主にノーリードではなされ、人間か他の犬を噛み殺し、ガス室おくりになります。 なんという、ばかげたことかと思いますでしょ? でも、現実にあるんでしょうね。 なんとなく、、とりとめなく書いてしまいました。 ちょっと、不信におもったところがあれば、ご指摘ください。 > >どうかみなさん!この無知な非犬飼いを助けると思って、ご協力をお願いいたします。(なんか下手な選挙演説みたいだ・・・) > >あ・・・まずノーリード容認とはどんな状態のことを言うのか、を考えねば・・・。 |
▼たぬきさんへ ご回答ありがとうございます。 たぬきさんへ、となっていますが、後半はたぬきさんのご回答を元にした、このレスをごらんのみなさまへのお願いと提案になっております。お許しください。 > つまり、ドックランというのは、完全に物理的に壁をつくってしまうわけですね。 でも、時間を区切って公園となると、犬を連れていない人は入ってはいけないとはならないと思うのです。 > 確かに、ドックランでも犬を連れていない人もはいってもいいのでしょいうけど、わざわざ、入る人もいないですよね。 > これが、公園となると、違ってくると思います。 > 東亀さんのかかれた、繁盛しているレストランのようになればいいのですけど。。。。。 強調したいのは、公園でのドッグランであろうとノーリードタイムであろうと、非犬飼いの第三者が近寄りがたい雰囲気があるので、「犬を飼っておられなくても、興味のある方はどうぞお越しください」といったイベントや集まりになるといいかな、と言うところです。犬の飼い主コミュニティの、非犬飼い第三者に対する歩み寄りです。 公園でのドッグランやノーリードタイムに、非犬飼いの第三者が積極的に参加するようになったときのことを想像してみてください。このようなイベントを、「犬に対する理解を深めてもらい、ゆくゆくはノーリードを容認してもらうためのきっかけにしよう」と考える犬飼いの人は、そのドッグランやノーリードタイムで傍若無人の振る舞いをする犬or飼い主に対して、どのような行動に出るでしょうか。また同じ犬の飼い主コミュニティでも、初心者や社会性を学習中の犬とは、囲いを分けたいと考えるのではないでしょうか。強いリーダーシップを持った人の指導や、参加する全員が納得し、遵守できる内容の規則を定めることも必要になると思います。 さて、ここでこのレスをごらんのみなさまへのお願いと提案があります。 ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートすることを提案します。(別スレ立てろと言われる方もおられると思いますが、話の流れから、ここからのスタートが適当と考えました。ご了承ください。) まずは、その犬が生まれてくる前のブリーディング段階のお話ですね。 ブームに後押しされて大量生産のために近親交配を繰り返された結果、先天的に身体や精神に異常を持って生まれてくることがある。最初から社会性を身につけることが困難な状態で生まれてくる犬もいる。そんな犬を平気で販売する店がある。 鬼畜ですな。まずは悪質ブリーダーと悪質ショップを絞め殺・・・いやいや、不幸な状態で生まれてくる犬をいかにして減らせばよいか、の話を展開したいと思います。非常に苦しいのですが、すでに生まれてしまった不幸な犬のことは、ここでは棚に上げるのが妥当かと思います。 どなたか、この問題に詳しい方、興味をお持ちの方、たとえば「プロセス・ブリーディング段階」などの名称の別スレを立てて、提起していただけませんか?目的はノーリードを容認してもらうことですので、次の段階へ進むためのキモを押さえてください。 次に、生まれてから社会化期を迎えた段階でのお話ですね。 この時期は、できる限り親、兄弟と過ごさせることが重要で、社会性(他との関係性)を自ら学ぶ期間と言うことですね。しかし、現実はもっと早い時期にペットショップのケージに一匹だけで展示される犬もいます。 この時期の過ごし方について詳しい方、興味をお持ちの方、たとえば「プロセス・社会化期段階」などの名称の別スレを立てて、提起していただけませんか?くどいようですが目的はノーリードを容認してもらうことですので、次の段階へ進むためのキモを押さえてください。 さて、ノーリードを容認してもらうために必要なプロセス、次はどのような段階が考えられるでしょうか?どなたかの提起と、それに続くスレッド立ち上げをよろしくお願いします。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ あらかじめお詫びしておきます。私の脳みそは単純にできておりまして全体的な構想というのはできません。具体的な事柄に関して理解できないできる、おかしいと思う、同意すると言った反応しかできません。ご迷惑でしょうが、そこをくんで意見をお聞かせ願えると幸いです。 > >強調したいのは、公園でのドッグランであろうとノーリードタイムであろうと、非犬飼いの第三者が近寄りがたい雰囲気があるので、「犬を飼っておられなくても、興味のある方はどうぞお越しください」といったイベントや集まりになるといいかな、と言うところです。犬の飼い主コミュニティの、非犬飼い第三者に対する歩み寄りです。 > この部分ですが、 今、実際に幼稚園、小学校、地域のお祭り等でそういうイヴェントが行われているのをご存じでしょうか?また、こういった催しに参加するのは犬にとってはストレスになると言うリスクをしょって行われていることもご存じでしょうか?確かに人に愛された犬は人好きかもしれませんでも大勢に囲まれふれられるのは犬をかなり緊張させているのです。まして日常生活において、多数の犬がかわいいいと言って触れられるのを喜ぶわけではないと言う事実も覚えていてください。 seiさんのような家庭の方、奥様のような方に、犬はどう扱うべきでどうすればお互い仲良くできるかを知っていただくためのイベントはそのことを目的として今はやるべきだと私は思っています。ドッグランやオフリードとは別の運動として現在行われつつあることをご理解ください。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ >▼たぬきさんへ > >> オフリードタイムという考え方がありますが、この方法がいいのではないかと思います。 > >空間的に隔離するか、時間的に隔離するかの違いでしかないようにも思えますが。でも可能性として、ノーリード容認へのステップの中に、非犬飼いを排除しない形でのオフリードタイムがあってもいいかなと思います。 > > 空間的か時間的な違いは大きいと思います。遙か20年以上昔の話しですが、都内にいわゆる児童公園の一部にネットで囲われたところがありました。今は田舎住まいなのでどうなっているか知りません。その当時、子供のボール遊び(野球)場があちこちの批判でなくなっていた解決策として生まれたようです。今いわゆる空き地のない時代、公園の掲示板で禁止されていることはたくさんあります。もし円滑にそういう場所の運営が行われるならば犬のためだけではなく、公民館のようないろいろな趣味の人のための場所となるように思うのです。 |
▼なまずさんへ >▼sei(非犬飼い)さんへ >>▼たぬきさんへ >> >>> オフリードタイムという考え方がありますが、この方法がいいのではないかと思います。 >> >>空間的に隔離するか、時間的に隔離するかの違いでしかないようにも思えますが。でも可能性として、ノーリード容認へのステップの中に、非犬飼いを排除しない形でのオフリードタイムがあってもいいかなと思います。 >> >> >空間的か時間的な違いは大きいと思います。遙か20年以上昔の話しですが、都内にいわゆる児童公園の一部にネットで囲われたところがありました。今は田舎住まいなのでどうなっているか知りません。その当時、子供のボール遊び(野球)場があちこちの批判でなくなっていた解決策として生まれたようです。今いわゆる空き地のない時代、公園の掲示板で禁止されていることはたくさんあります。もし円滑にそういう場所の運営が行われるならば犬のためだけではなく、公民館のようないろいろな趣味の人のための場所となるように思うのです。 お答えにならないかもしれませんが、たとえば野球のプレイ中、練習中は、第三者がその中に入っていくことは困難であるし危険でもあります。ドッグランやノーリードタイムの方が、第三者の参加を得られやすいと言う意味で、野球よりも受け入れられる可能性が高いと考えます。 |
▼seiさんへ はじめまして。Nariと申します。面白いスレが立ったので参加したくなりました。回答というよりは、現在の考えと疑問になってしまいますが、宜しくお願いします。 オンリードでもオフリードでもどっちでもいいやと思い乍ら、オフリードを受け入れられる様な社会について時々考え、どうにかならないかと思っています。だって、犬ってそういうもんでしょう。この辺りが、交通違反やタバコとかと違う所だと思うのです。非犬飼いさんから見たら一緒なんでしょうケド…然しこれは、子供という存在にも似ている。 私の住んでいる地域は、犬飼いの数は非常に多く落ちているウンチの量も素晴らしい所ですが、自治会が非常に機能しており、回覧板には「犬の糞は拾いましょう」と毎回の様に書かれています。んで、(時々犬の数の割合が話題になっていますが、子供の数より犬の数が多いというのは、だいたいの地域に言えることでしょうか?)ウンチ拾いなんかから上手く広がるコミュニティがないか漠然と考えています。散歩姿を見るとあまり人間と犬がいい関係に見えるのがないので、始めたところで点にさえならないかも自己満足で終わるかもしれません。 >ここで、このレスを読んでくださった方への質問と提案があります。(東亀さん、レスを勝手にオープン議論にする事をお許しください。) > >あらゆる者との関係の有り様(犬の社会性)を、犬(や犬の飼い主)が自主的に学んでいけるような状況を、現在の法律、条例、公衆道徳を守った上で実現するには、どのような考え方、方法があるでしょうか? >また、ルールだから絶対にダメ、という公共の場でのノーリード論争では、議論が停止してしまいます。saikaさんのお答えにもありましたが、ノーリードの効用も考えられそうなので、公共の場でのノーリードが容認される社会を作るために、どんなプロセスを踏まなければならないか、シミュレーションするのも一興かと存じます。 >みなさまのご意見をお聞かせください。 何とか消えつつあるグレーゾーンを作り出すことは出来ないでしょうか。ドッグカフェでなく誰でも入れるレストランという方が成功しているという事に、一筋の希望を感じます。一方で点を面にする困難さもよく解ります。 ちょっと話しが飛躍してしまうのですが、ご了承下さい。 犬のことを考える時、以前手伝っていたボランティア団体を思い出します。元々欧米に母体があったのですが、恩恵を受ける側の人間、彼等と直接関わっている立場の人間、全く関係ないその他大勢、全ての立場の人間が非常に上手く動いている。この差は何だろう。ずっとそう思いながら、活動していました。 犬において何かにつけ欧米並みに躾をとか、欧米には歴史や法律があるから、という話になりがちですが、それ以前の根本的な何かが違う。だってパリは犬のウンコだらけだというし、ドイツでもオフリードの大型犬に殺されるんじゃないかと怯えて暮らしている小型犬飼いの話を読みましたし、海外だってトンデモナイ犬飼いはいる訳です。それでも、犬の認められている社会がある。結局全体としての懐の深さが違うんだろうけど(それとも8割が犬飼いなのか?)日本的フトコロを考えるとき、足りないものは何??と、つらつらと考えてしまいます。話が大きくなりすぎましたでしょうか、犬に限らず何かのコミュニティを考える時、私には常について回る疑問です。 |
▼Nariさんへ >何とか消えつつあるグレーゾーンを作り出すことは出来ないでしょうか。ドッグカフェでなく誰でも入れるレストランという方が成功しているという事に、一筋の希望を感じます。一方で点を面にする困難さもよく解ります。 グレーゾーンとは、東亀さんにインスパイアされた言い方で言わせてもらえば、互いのわがままの接点付近のことを指すのではないかと思います。この、「付近」というのが重要でして、互いのわがままが接触してしまうと、反目しあって議論にならず、双方の了解の上での解決には至らない。グレーゾーンとは、主張しすぎずに相手との距離感に気を配りつつ、お互いの和解点、妥協点を探る部分だと思います。 そこでは、最初に自分が望んだわがままの到達点には達することができないかもしれません。互いの立場をふまえた議論の中で学習し、自らのわがままの到達点を修正しなければならないことを悟るからです。 過去には多くあったグレーゾーンが、なぜに今消えつつあるのでしょうか。わたしは、日本人全体の特に中、若年層に、「察する」「相手の立場に立って考える」「わきまえる」能力が欠如、低下しているためではないかと思います。 グレーゾーンは、日本人のあいまいさ、優柔不断さを表す言葉ではなく、むしろ狭い国土でお互いの距離感を保ちつつ全体がうまくやっていくために、昔の人が編み出した日本人の美徳とも言える関係性構築の方法論だと思います。 しかしグレーゾーンは逆に、自分に都合のいいことしか考えない人にとっては、逃げ道、隠れ蓑になってしまうこともあります。 ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスを議論するとき、非犬飼い第三者と接触する段階で、このグレーゾーンの考え方が必要になってくると思います。 |
▼seiさんへ >非犬飼いです。スタンスを明確にするために、プロフィールを書きます。 >とある理由で、犬飼いと犬嫌い双方の考え方を知る必要が生じまして、「ノーリード」検索から入ってきました。 >犬を飼える環境はあるが、人生を豊かにする手段として、犬を飼うことを選択しなかった男です。 >犬嫌いではありません。犬に対して興味が無くもありません。友人宅のラブラドルのしつけを心配しています。 >ちょっと犬が怖い息子と、もっと犬が怖いカミさん(妊娠8ヶ月)に、「犬のことをもっと理解して、接しなさい」と常々言っています。(危険?) > >さて、「犬の社会性」について疑問に感じることがありましたので、できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか? > >1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? はい、一般的にはそうだと思います。 > >2 犬の犬社会における適応性は、上下関係や序列が主なものだと思っていました。人間の家庭の中で、飼い主を中心とする序列(犬の人間社会における適応性)があり、その中で幸せそうにしているのであれば、特に犬同士の序列の中に放す必要は無いのではないかと考えます。これを、犬にとっての不自然、不健康と考える理由はなんでしょうか?それとも、犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し、それが犬の健康にとって重要なものなのでしょうか? 犬という生き物は、犬として色々なことを学んでこそ犬になると思います。たとえば、犬として犬にたいする挨拶が分かりやすいと思いますが、犬が他の犬に接触しなければ挨拶も必要ないわけで、挨拶のしかたも学ぶ機会がないということになります。 家の犬は一生他の犬と接触しないので必要がないと言われるかもしれません。 はたして、そうでしょうか? お散歩はすると思いますよ。その時必ずといっていいと思いますが、他の犬に会うわけです。正常な挨拶ができれば、オスどうしでも、やたらガウガウすることはありません。 本来が平和な動物です。自分の身を危険にさらすようなことを、オス犬に会うたびに喧嘩していたのでは命がいくつあってもたりません。 オスがとくにいわれますが、シッカリと刷り込み、社会化をおこなっていれば、やたらに喧嘩をするものではないのです。 また、たまにドッグランなどで、小型犬や、子犬が中型犬や大型犬に襲われた、かみ殺されたということを聞きますが、正常な行動ではありません。 小さいなりに、犬なのです。とくに子犬は子犬特有のニオイをだしています。このニオイが決定的になって、上位のものからの攻撃を受けないですむようになっているのです。 また、体格が小さいかもしれませんが犬は犬です。通常の動物は同種を獲物として認識はしないのです。それが獲物として認識し、がぶっと、捕食の攻撃をしかけるのは刷り込みと社会化が欠如した結果だと思います。 さらに、犬の知能の発達にも関わってくるといわれています。成常な刷り込み、社会化がおこなわれていないと、その種族としての知能が成常に発達しないのです。その結果、問題行動をおこし、そういった犬は理解力もかけていますので、問題の解決が無理だったり、多大な労力を犬も人間もつかわないといけなくなります。 刷り込み、社会化の欠如のおかげで、問題行動をおこし、どうにもならなくなって薬殺されたり、人に噛み付く、子犬をかみ殺すという犬がたくさんいるそうです。 しかし、世の中には特にフレンドリーに自分の犬がなって欲しくない人もいます。 そういう人にとっては犬同士や、他人にあまりなれるような育て方はしないでしょうね。 また、上下の関係が健康に良くないということはありません。そのように、生きてきた動物だし、それが出来る固体が淘汰から逃れ生き残ってきているわけです。 同列(人間が考える同列とは違うのかもしれませんが)のような、つきあいも存在するのではないかと、見ていて思います。(しかし、学者などでは、同列は無いというのが普通のようです) 犬の群れのリーダーは決して、力だけでなれるものではありません。 経験や知識、知能、包容力、など、人間のリーダーに要求されるものを犬のリーダーも要求されます。 これも、自然界で、生き残ろうとした時は当然の行動だと思います。 > >3 犬の社会性を養い、その活動に第三者も参加してもらうこと。犬同士の序列を決めたり友犬を作るために犬同士で遊ばせること。これらを行うために、公共の場でのノーリードが重要であるとする理由はなんでしょうか?(犬同士がじゃれ合うためにリードが邪魔。飼い主にリードにつながれて支配されている状態では、本来の社会性を引き出すことができない。ドッグランが身近にない。公共の場でないと、第三者に参加してもらうという過程が達成できない。私にはこの程度の答えしか想像できません。) 私が一番に考える理由はドッグランのような、犬を放せる場所がだれにも身近にないということです。 そのような理由なので、公園にかわって、自宅の敷地や第三者から提供された場所があればそれで充分と思います。 ただ、これはあくまでも社会化を養うということを、公園のノーリードで養うと考えた場合で、公園などでの、ノーリードはそれ以外の理由もあると思います。 ノーリードで犬の教育で特にいいと思うのは、たしか誰かもいっていましたが、飼い主がバックにいないので、自分の行動の出来る範囲で行動するということです。 リードをつけていれば行動を飼い主が制御してくれるので、犬がある意味わがままに動くこともあると思います。 > >勘違いがあったら申し訳ありません。7月初めくらいからROMしてまして、だいたいの流れは理解していたつもりです。 >その上で、どうしても合点のいかない部分がありましたので、どうかお答えください。 >「非犬飼いになにがわかる」とか言わないで、ノーリード反対の方も、ぜひご意見をお聞かせください。 犬の社会化は大きくわけて二つあると思います。 犬が犬として自分を認知し、犬のなかで生きていく方法を学ぶということと、人間を敵と認知しないで、犬と人間の関係をうまくやっていくように、できるようになることです。 犬にとって、人間はおおきくわけて、男、女、こども、あかちゃん、としより、とあると思います。 この、すべての人間に社会化することです。 そうすれば、噛傷事件のようなものはほとんど、無くなると思います。 |
▼たぬきさんへ ご回答ありがとうございます。大変参考になります。 >>1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? > > はい、一般的にはそうだと思います。 いえ、あの、一般論は求めていません。1の質問については、たぬきさんはYes、ということで解釈させていただきます。 >>2 犬の犬社会における適応性は、上下関係や序列が主なものだと思っていました。人間の家庭の中で、飼い主を中心とする序列(犬の人間社会における適応性)があり、その中で幸せそうにしているのであれば、特に犬同士の序列の中に放す必要は無いのではないかと考えます。これを、犬にとっての不自然、不健康と考える理由はなんでしょうか?それとも、犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し、それが犬の健康にとって重要なものなのでしょうか? > > 犬という生き物は、犬として色々なことを学んでこそ犬になると思います。たとえば、犬として犬にたいする挨拶が分かりやすいと思いますが、犬が他の犬に接触しなければ挨拶も必要ないわけで、挨拶のしかたも学ぶ機会がないということになります。 家の犬は一生他の犬と接触しないので必要がないと言われるかもしれません。 人間の社会で生きる犬について、犬が本来持っているであろう「犬らしさ」をどこまで発揮させるのかは、犬を飼う人によって異なると思います。本来の犬の特性をできる限り発揮させてやることが犬にとってより自然で健康的だと考える人もいると思います。一方で、犬の特性の一つである順応性を利用して、人間のために役に立ってもらおうと考える人もいると思います。(後者の場合、「本来の犬の特性」は、大部分制限されるでしょう。) > オスがとくにいわれますが、シッカリと刷り込み、社会化をおこなっていれば、やたらに喧嘩をするものではないのです。 > また、たまにドッグランなどで、小型犬や、子犬が中型犬や大型犬に襲われた、かみ殺されたということを聞きますが、正常な行動ではありません。 小さいなりに、犬なのです。とくに子犬は子犬特有のニオイをだしています。このニオイが決定的になって、上位のものからの攻撃を受けないですむようになっているのです。 > また、体格が小さいかもしれませんが犬は犬です。通常の動物は同種を獲物として認識はしないのです。それが獲物として認識し、がぶっと、捕食の攻撃をしかけるのは刷り込みと社会化が欠如した結果だと思います。 > さらに、犬の知能の発達にも関わってくるといわれています。成常な刷り込み、社会化がおこなわれていないと、その種族としての知能が成常に発達しないのです。その結果、問題行動をおこし、そういった犬は理解力もかけていますので、問題の解決が無理だったり、多大な労力を犬も人間もつかわないといけなくなります。 「本来の犬の特性」を発揮させることで、犬は自ら学び、環境への順応性を高め、他の犬や人間との関係性を自ら改善しようと努力するようになる。これは他の方の投稿をもとに考えたことですが、この上の「犬の特性の一つである順応性を利用して、人間のために役に立ってもらおうと考える人もいると思います」との考えと矛盾しています。つまり、人間が利用したい犬の「順応性」は、「本来の犬の特性」がある程度発揮されないと身に付かないと、私自身考えているからです。 この矛盾を解決してくれたのは、「犬の幼児期における社会化」です。社会化期と呼ばれる期間では、序列や同列友達の中で本来の犬の特性を十分に発揮させてやることで、他者との関係性の基本を自ら学ぶと思います。この時期のノーリードは重要だと思います。そしてこの時期に購入したり譲り受けたりして序列や同列友達から引き離してはならないと思います。 社会化期が終わったとき、飼い主によって犬の生き方が選択されます。「犬らしさ」をより高めさせるか、人間のために「本来の特性」を眠らせてもらうか。後者の場合は、本来の特性により自ら学ぶ代わりに、飼い主による教育というフォローがより必要になるでしょう。 リードについて言えば、前者を選択した飼い主は社会化期に引き続き必要ないと考えるだろうし、後者を選択した飼い主は必要、あるいは必ずしもノーリードである必要はない、と考えるのではないかと思います。 >>3 犬の社会性を養い、その活動に第三者も参加してもらうこと。犬同士の序列を決めたり友犬を作るために犬同士で遊ばせること。これらを行うために、公共の場でのノーリードが重要であるとする理由はなんでしょうか?(犬同士がじゃれ合うためにリードが邪魔。飼い主にリードにつながれて支配されている状態では、本来の社会性を引き出すことができない。ドッグランが身近にない。公共の場でないと、第三者に参加してもらうという過程が達成できない。私にはこの程度の答えしか想像できません。) > > 私が一番に考える理由はドッグランのような、犬を放せる場所がだれにも身近にないということです。 > そのような理由なので、公園にかわって、自宅の敷地や第三者から提供された場所があればそれで充分と思います。 > ただ、これはあくまでも社会化を養うということを、公園のノーリードで養うと考えた場合で、公園などでの、ノーリードはそれ以外の理由もあると思います。 > > ノーリードで犬の教育で特にいいと思うのは、たしか誰かもいっていましたが、飼い主がバックにいないので、自分の行動の出来る範囲で行動するということです。 リードをつけていれば行動を飼い主が制御してくれるので、犬がある意味わがままに動くこともあると思います。 このことについては、[#628]のsaikaさんへのレスの中で私の考えを述べております。公園でのノーリードに関連して、ドッグランについて議論する必要がありますね。別板「ドッグランについて考える」にも、質問、提案させていただこうと思いますので、よろしかったらお越しください。 また長くなってしまいました・・・すんまっせん。 でも、懲りずに書きますので、よろしくおつきあいくださいね。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ >▼たぬきさんへ >ご回答ありがとうございます。大変参考になります。 > > >>>1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? >> >> はい、一般的にはそうだと思います。 > >いえ、あの、一般論は求めていません。1の質問については、たぬきさんはYes、ということで解釈させていただきます。 それで、結構です。 >この矛盾を解決してくれたのは、「犬の幼児期における社会化」です。社会化期と呼ばれる期間では、序列や同列友達の中で本来の犬の特性を十分に発揮させてやることで、他者との関係性の基本を自ら学ぶと思います。この時期のノーリードは重要だと思います。そしてこの時期に購入したり譲り受けたりして序列や同列友達から引き離してはならないと思います。 とくに、この時期の、ノーリードは重要だと思います。 また、子犬の相手をする、成犬も重要になってきます。 >> ノーリードで犬の教育で特にいいと思うのは、たしか誰かもいっていましたが、飼い主がバックにいないので、自分の行動の出来る範囲で行動するということです。 リードをつけていれば行動を飼い主が制御してくれるので、犬がある意味わがままに動くこともあると思います。 > >このことについては、[#628]のsaikaさんへのレスの中で私の考えを述べております。 犬にストレスがかかることを良くないことのように言う人もいますが、ちょっと違うと思います。 成長していく過程で、子犬は色々なことを学習していくわけです。 そのなかで、心の成長もあると思います。 適度なストレスがないと逆に、成長してからまったく、ストレスに弱い子にできあがる可能性もあります。 過度のストレスは病気にもなりますのでよくありませんが、適度なストレスは必要とおもいます。 すみません、ちょっと、ずれてしまったかもしれませんが、犬が緊張している状態。とかいてあったので、つけくわえてみました。 公園でのノーリードに関連して、ドッグランについて議論する必要がありますね。別板「ドッグランについて考える」にも、質問、提案させていただこうと思いますので、よろしかったらお越しください。 > >また長くなってしまいました・・・すんまっせん。 >でも、懲りずに書きますので、よろしくおつきあいくださいね。 こちらこそ、よろしくです。 |
▼seiさんへ 初めまして。犬飼のひとりです。ちょっとした疑問が湧いたので書きこみます。 >非犬飼いです。スタンスを明確にするために、プロフィールを書きます。 >とある理由で、犬飼いと犬嫌い双方の考え方を知る必要が生じまして、「ノーリード」検索から入ってきました。 >犬を飼える環境はあるが、人生を豊かにする手段として、犬を飼うことを選択しなかった男です。 >犬嫌いではありません。犬に対して興味が無くもありません。友人宅のラブラドルのしつけを心配しています。 >ちょっと犬が怖い息子と、もっと犬が怖いカミさん(妊娠8ヶ月)に、「犬のことをもっと理解して、接しなさい」と常々言っています。(危険?) ??失礼ですが、「犬を飼える環境にあり,興味がないわけでもなく,家族にももっと理解を・・・」とまでおっしゃってるのに何故あえて犬を飼われないのでしょうか? プライベートかつデリケートな問題かとは思います。 が、本当に犬のことを知りたいなら,通りすがりの第三者としてかかわるのではなく、一対一でじっくりとお付き合いする事をお薦めします。 これは恥ずかしながら自分の体験でもあります。久方ぶりに犬を飼い、そして忘れていた事、気づかなかったことが見えてきましたから。 いわゆる「犬の行動学」「心理学」(がお好きな方もいるようですが)は自分の犬や友人達の犬をよく観察してから,その確認作業として参考にしたようなものです。 「生き物」を相手にガクモンしたいなら、現場を最も重視すべきとは尊敬する某氏のお言葉だった、かな。 ・・・あっ、これは本題から外れた話題ですね。犬とのコミュニケーションになってしまう。イカン、イカン。 管理者様には深くお詫び致します。 >さて、「犬の社会性」について疑問に感じることがありましたので、できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか? で,失礼ながら、もう一つ疑問。なぜ「できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか?」なのでしょうか? (そういう方でないと以下の質問には回答が得られ難い、あるいは答えられないということでしょうか?) >1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? > >2 犬の犬社会における適応性は、上下関係や序列が主なものだと思っていました。人間の家庭の中で、飼い主を中心とする序列(犬の人間社会における適応性)があり、その中で幸せそうにしているのであれば、特に犬同士の序列の中に放す必要は無いのではないかと考えます。これを、犬にとっての不自然、不健康と考える理由はなんでしょうか?それとも、犬にもやはり同列友達づきあいという関係が存在し、それが犬の健康にとって重要なものなのでしょうか? > >3 犬の社会性を養い、その活動に第三者も参加してもらうこと。犬同士の序列を決めたり友犬を作るために犬同士で遊ばせること。これらを行うために、公共の場でのノーリードが重要であるとする理由はなんでしょうか?(犬同士がじゃれ合うためにリードが邪魔。飼い主にリードにつながれて支配されている状態では、本来の社会性を引き出すことができない。ドッグランが身近にない。公共の場でないと、第三者に参加してもらうという過程が達成できない。私にはこの程度の答えしか想像できません。) >「非犬飼いに」とか言わないで、ノーリード反対の方も、ぜひご意見をお聞かせください。 とってつけたようにいわれても・・・と言うのは大人げないので少々。 私は「ノーリード反対」というよりもあえていうならば、「非常識な飼主が大嫌い」なのです。 犬を飼い始める前から,事情によりその手の人種に悩まされたものです。(どこかの方のように「隣の戦争」ではすまなかった為) さらに、(やめときゃいいのに!)犬を飼えば飼ったでそのような飼主(特にノーリード)に悩まされてます。 特に上記の3.の理由で(他人がどうなってもおかまいなしに!)やたらと放す飼主が多いのです。で,その結果、過去にも幾度となく書きこまれたような事件が起きているのが実態です。 昼間っからあんな狭い公園でフリスビーやるヤツがいるかよ。小さい子供も遊んでるってのに。アホかいな、全く。なんてのはよく見ます。 見かねて注意したら「この犬種は攻撃性が低いから大丈夫」ですと。 (その犬種が他の犬を集団で攻撃するのを知らんらしい。) 精神衛生状悪いので,そこはもう行かないが、一応,お役所にもチェックされてる公園なので,そろそろ犬立ち入り禁止になるかもね。 「成犬になった時点で人やほかの犬に対して友好的になるかどうかは、けっして社会化だけの問題ではなく、あくまでも多数の要因が相互作用するなかで決まることである。」 これは最近読んだ文献の中で「!」と思わず納得したものからの引用です。私も同感!です。 (コンパニオンアニマルの問題行動とその治療:著者 工 亜紀) お好きな方は読破してどのページかさがしてください。出版は昨年。 私の知る限り,自他ともに認める「犬のプロ」ほど、犬をむやみにフリーにはしません。(そんなことするのは半端な素人、だそうな。)非常に慎重に行ないます。犬の裏表を嫌というほどご存知だからでしょう。(とその方に聞いたら「まあね」と苦笑してた) 半端な素人の自信過剰ほど怖いものはない、と言うのが今の心境。 なんだかやたら長いばかりで余り建設的な意見ではありませんね。 |
▼える〜!さんへ 横入り、及び一部主題とは違うところでのレスをお許しください。 >▼seiさんへ >初めまして。犬飼のひとりです。ちょっとした疑問が湧いたので書きこみます。 >??失礼ですが、「犬を飼える環境にあり,興味がないわけでもなく,家族にももっと理解を・・・」とまでおっしゃってるのに何故あえて犬を飼われないのでしょうか? >プライベートかつデリケートな問題かとは思います。 >が、本当に犬のことを知りたいなら,通りすがりの第三者としてかかわるのではなく、一対一でじっくりとお付き合いする事をお薦めします。 える〜!さん自身仰ってるように、犬を飼う飼わないというのはプライベートな問題です。 それに犬を飼うということって、そんなに簡単なものなんでしょうか? 私は犬を飼って、その一生を共にすることを考えると、それはとても大きな責任を負うことだと思うんですけど。 それと犬を飼わないのはその責任を負うことを避けたいのではなく、それぞれいろんな理由があって飼わないのだと思います。 ちなみに私は夫と私の母との3人暮らしで、しかも私は専業主婦で、夫は出張が多いもののそれ以外はほとんど毎日定時に帰宅し、多分定年までリストラの心配もないでしょう。 家賃やローンの負担もないのですから、裕福とはいえませんが経済的にも時間にも、そして精神的にもゆとりのある生活を送れてると思います。 でも2頭目を迎える気持はありません。 私達の生活スタイルに2頭目は必要ないからです。 >「成犬になった時点で人やほかの犬に対して友好的になるかどうかは、けっして社会化だけの問題ではなく、あくまでも多数の要因が相互作用するなかで決まることである。」 >これは最近読んだ文献の中で「!」と思わず納得したものからの引用です。私も同感!です。 >(コンパニオンアニマルの問題行動とその治療:著者 工 亜紀) >お好きな方は読破してどのページかさがしてください。出版は昨年。 動物の行動心理学の本をお読みなってるのですね。 私は実際に本は読んでいませんが、2年前に自分の犬の行動についてカウンセリング治療を受けたことがあり、目からうろこ体験をしました。 犬が問題行動を起こす場合には必ず原因があり、その原因となるものを改善しない限り、問題行動の改善は望めないということを身をもって体験しました。 これは人間(飼い主)の問題行動にも言えることだということも。 それからというもの、犬の気持を知ることの大切さを実感しています。 >半端な素人の自信過剰ほど怖いものはない、と言うのが今の心境。 素人であることは悪いことではないけれど、他人に理解されない自信に問題があるのでしょうね。 >なんだかやたら長いばかりで余り建設的な意見ではありませんね。 簡潔に書こうとするばかりに、言葉足らずになって違う捉え方をされるより、長くても理解される方がいいかな?と思います。 ですから私も長文になってしまうようです。(汗) でも、それでも思うような受け取り方がされないことが多いのは・・・。 何でも吸収できた10代の頃に文学書をもっと読んでおくべきでした。 今は活字を読むのが辛くて、とこれは言い訳ですね。(笑) 私もできるだけ建設的な意見を書くように努力してるつもりなんですが、建設的な行動と同じく、難しい・・・。 |
▼ジゴ母さんへ >▼える〜!さんへ > >横入り、及び一部主題とは違うところでのレスをお許しください。 > >>▼seiさんへ >>初めまして。犬飼のひとりです。ちょっとした疑問が湧いたので書きこみます。 > >>??失礼ですが、「犬を飼える環境にあり,興味がないわけでもなく,家族にももっと理解を・・・」とまでおっしゃってるのに何故あえて犬を飼われないのでしょうか? >>プライベートかつデリケートな問題かとは思います。 >>が、本当に犬のことを知りたいなら,通りすがりの第三者としてかかわるのではなく、一対一でじっくりとお付き合いする事をお薦めします。 > >える〜!さん自身仰ってるように、犬を飼う飼わないというのはプライベートな問題です。 >それに犬を飼うということって、そんなに簡単なものなんでしょうか? >私は犬を飼って、その一生を共にすることを考えると、それはとても大きな責任を負うことだと思うんですけど。 >それと犬を飼わないのはその責任を負うことを避けたいのではなく、それぞれいろんな理由があって飼わないのだと思います。 フォローありがとうございます。一人非犬飼いの理論武装だけでは心許ないので、ほっとしました。 |
▼える〜!さんへ >??失礼ですが、「犬を飼える環境にあり,興味がないわけでもなく,家族にももっと理解を・・・」とまでおっしゃってるのに何故あえて犬を飼われないのでしょうか? >プライベートかつデリケートな問題かとは思います。 >が、本当に犬のことを知りたいなら,通りすがりの第三者としてかかわるのではなく、一対一でじっくりとお付き合いする事をお薦めします。 犬を飼うこと以外に重要なことがたくさんあり、犬を飼うことによって時間的精神的物理的金銭的負担が増えると、そちらの方がおろそかになってしまうからです。 >これは恥ずかしながら自分の体験でもあります。久方ぶりに犬を飼い、そして忘れていた事、気づかなかったことが見えてきましたから。 >いわゆる「犬の行動学」「心理学」(がお好きな方もいるようですが)は自分の犬や友人達の犬をよく観察してから,その確認作業として参考にしたようなものです。 >「生き物」を相手にガクモンしたいなら、現場を最も重視すべきとは尊敬する某氏のお言葉だった、かな。 それでもこの問題に非犬飼いとして関わりたいのは、プロフィールに書いたような事情以外に、この問題を解決するための建設的な意見は、個人の経験論からは引き出しにくい、と考えたからです。もちろん、個人の経験は重要で、参考になるご意見が数多くあります。しかし、「公共性」を議論する場合、時として個人の経験が足かせとなることがあります。そんなときに、非犬飼いの考えがスパイスになるかな?と思ったりしました。 私の立場はこうで、こういう経験をしているから、当然私の答えはこうだ、ではなく、時にはご自身の現状を棚に上げて、立場や視点を変えてお考えいただいたご意見をお伺いしたいのです。私非犬飼いが、犬を飼っている方にノーリードや他の犬問題についてわからないことをおたずねするときは、そういった意味でのお答えをいただきたいと願っております。(反対意見の持ち主も、賛成意見の立場、視点で考えることができる。逆もまたあり) >で,失礼ながら、もう一つ疑問。なぜ「できればノーリード推進の方にお答え願えませんでしょうか?」なのでしょうか? >(そういう方でないと以下の質問には回答が得られ難い、あるいは答えられないということでしょうか?) 私も、失礼を承知で言わせてもらえば、ノーリード推進・賛成の意見のほうが、ノーリード反対の意見のほうより、ノーリード問題を解決するための本質に近いのではないかと感じたからです。あくまで、感じ、です。あと、少数派に参加した方が、より様々なことを考えられるかもしれないと、感じたからでもあります。ノーリード反対の方は答えないでください、ということではありません。 >なんだかやたら長いばかりで余り建設的な意見ではありませんね。 いえいえ、すべての方の考え方を吸収しながら、私は成長させていただいております。そして、すべての可能性は無限ですので、今の常識が覆されることもあると思いながら、常日頃思考しております。 私からのお答えとしては、不適切だったかもしれませんね。またご意見をお聞かせください。 |
▼える〜!さんへ >>??失礼ですが、「犬を飼える環境にあり,興味がないわけでもなく,家族にももっと理解を・・・」とまでおっしゃってるのに何故あえて犬を飼われないのでしょうか? ↑について補足回答です。 プロフィールに書きました、 ちょっと犬が怖い息子と、もっと犬が怖いカミさん(妊娠8ヶ月)に、「犬のことをもっと理解して、接しなさい」と常々言っています。(危険?) というところは、無条件に犬を好きになりなさい、という意味ではなく、犬を巡るトラブルを事前に回避するために、犬の生態をよく理解し、こちらから不必要な警戒サインを発して犬までも警戒させ、危険な状態に導かないように、ということです。 非犬飼い第三者である私が、犬を飼っている人にアピールすることなしにこのように考えていたと言うことは、既に犬を飼っている方に譲歩していたのだと思います。非犬飼いからの見えない歩み寄りですね。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ >私も、失礼を承知で言わせてもらえば、ノーリード推進・賛成の意見のほうが、ノーリード反対の意見のほうより、ノーリード問題を解決するための本質に近いのではないかと感じたからです。あくまで、感じ、です。あと、少数派に参加した方が、より様々なことを考えられるかもしれないと、感じたからでもあります。ノーリード反対の方は答えないでください、ということではありません。 どうも、はじめましてseiさん。 かなり強硬な反対派のJBです。(笑) 正直に言うと、理想あるいは正しい方向はノーリード推進なのかもしれませんね。 ただ、私の認識ではそれをしているうちに「犬の立ち入り禁止の公園」が増えるだけ!だと思ってます。 言葉は悪いですが、机上の空論に過ぎないと思えるのです。 そして、その足枷は間違いなく条例に有ります。(条例なのにほぼ全国一律の…) こいつが有る限り「公共の場でのノーリード」に対する苦情は、ノーリードの犬がどんなに完璧でも、正当な苦情として処理されかねないのです。 結果、自ら首を絞める事になると… ですから、 >1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? これは、理想はそうかもしれない、しかし、現実にこれをしていると先に「犬禁止」の方が増えると思う。 と、答えておきます。 2・3については「犬の社会性」より「飼い主の社会性」が欠落してる方を何とかする方が先ではないかと思いますので、ちょっと?です。 |
▼JBさんへ はじめまして。お待ちしておりました。 >正直に言うと、理想あるいは正しい方向はノーリード推進なのかもしれませんね。 > >ただ、私の認識ではそれをしているうちに「犬の立ち入り禁止の公園」が増えるだけ!だと思ってます。 >言葉は悪いですが、机上の空論に過ぎないと思えるのです。 >そして、その足枷は間違いなく条例に有ります。(条例なのにほぼ全国一律の…) >こいつが有る限り「公共の場でのノーリード」に対する苦情は、ノーリードの犬がどんなに完璧でも、正当な苦情として処理されかねないのです。 >結果、自ら首を絞める事になると… > >ですから、 >>1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? > >これは、理想はそうかもしれない、しかし、現実にこれをしていると先に「犬禁止」の方が増えると思う。 矛盾をお感じになるかもしれませんが、「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」の議論のどこかで、「将来の公共の場でのノーリード容認を実現するためには、現状でのノーリードは許されない。」と言うご意見が出てきて、それについて議論が展開されることもアリだと思います。 同様に、「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」の議論のどこかで、「条例や法律を変えなければならない。」と言うご意見が出て、どのように変えればよいのかの議論がなされ、(可能性として)将来的に条例や法律が変わった時のことをシミュレートしてまた議論が展開される、というのもアリだと思います。 結論の一つに言及するのはちょっと気が引けますが、この議論の成果の可能性としては、「やっぱりどんな状況でも公共の場のノーリードはダメだよ。」ということもあり得るわけで・・・。あ、成果、というのは、この議論の結果、みなさんの心になにが残ったか、と言うことなので、成果の形は人それぞれになるかもしれませんね。 確かに、電脳網上の空論ではあると思いますが、その議論の中から、現状を変化させるヒントも浮き彫りになってくるのではないかと思います。 >2・3については「犬の社会性」より「飼い主の社会性」が欠落してる方を何とかする方が先ではないかと思いますので、ちょっと?です。 「飼い主の社会性」のことをストレートに言ってしまうと、逆ギレ必至ですね。もちろん重要なことだとは思いますが。 |
▼sei(非犬飼い)さんへ >矛盾をお感じになるかもしれませんが、「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」の議論のどこかで、「将来の公共の場でのノーリード容認を実現するためには、現状でのノーリードは許されない。」と言うご意見が出てきて、それについて議論が展開されることもアリだと思います。 > >同様に、「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」の議論のどこかで、「条例や法律を変えなければならない。」と言うご意見が出て、どのように変えればよいのかの議論がなされ、(可能性として)将来的に条例や法律が変わった時のことをシミュレートしてまた議論が展開される、というのもアリだと思います。 「ノーリードを容認してもらう」ためには、「条例と言う足枷を外す」しか無いと思うのですが。 その「条例と言う足枷を外す」方法やプロセスをシミュレートすると言うのならまだ解るのですが、単純に「ノーリードを容認してもらう」を シミュレートすると言っても、おそらく個々の意見に反対意見を述べる以外私にはこの話題には参加出来そうにないですね。 以下、蛇足です。 >>2・3については「犬の社会性」より「飼い主の社会性」が欠落してる方を何とかする方が先ではないかと思いますので、ちょっと?です。 > >「飼い主の社会性」のことをストレートに言ってしまうと、逆ギレ必至ですね。もちろん重要なことだとは思いますが。 どなたかが書かれていましたが、ほとんどの犬に対する苦情は飼い主の努力や注意、そして自己中で無ければ解決する問題だと思います。 それが、例え社会性の無い犬でもです。 極端な話、室内だけで飼っている外に全く出さないチワワに犬同士の社会性など不要でしょう! 自分の愛犬が他に危害や迷惑を与える恐れが有ると判断出来れば、当然未然に防ぐことは可能な訳です。 つまり犬の問題では無く、個々の飼い主の問題だと思うのです。 |
▼JBさんへ >▼sei(非犬飼い)さんへ >>矛盾をお感じになるかもしれませんが、「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」の議論のどこかで、「将来の公共の場でのノーリード容認を実現するためには、現状でのノーリードは許されない。」と言うご意見が出てきて、それについて議論が展開されることもアリだと思います。 >> >>同様に、「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」の議論のどこかで、「条例や法律を変えなければならない。」と言うご意見が出て、どのように変えればよいのかの議論がなされ、(可能性として)将来的に条例や法律が変わった時のことをシミュレートしてまた議論が展開される、というのもアリだと思います。 > >「ノーリードを容認してもらう」ためには、「条例と言う足枷を外す」しか無いと思うのですが。 >その「条例と言う足枷を外す」方法やプロセスをシミュレートすると言うのならまだ解るのですが、単純に「ノーリードを容認してもらう」を >シミュレートすると言っても、おそらく個々の意見に反対意見を述べる以外私にはこの話題には参加出来そうにないですね。 > > >以下、蛇足です。 > >>>2・3については「犬の社会性」より「飼い主の社会性」が欠落してる方を何とかする方が先ではないかと思いますので、ちょっと?です。 >> >>「飼い主の社会性」のことをストレートに言ってしまうと、逆ギレ必至ですね。もちろん重要なことだとは思いますが。 > >どなたかが書かれていましたが、ほとんどの犬に対する苦情は飼い主の努力や注意、そして自己中で無ければ解決する問題だと思います。 > >それが、例え社会性の無い犬でもです。 たしかに、そのとうりですね。 >極端な話、室内だけで飼っている外に全く出さないチワワに犬同士の社会性など不要でしょう! >自分の愛犬が他に危害や迷惑を与える恐れが有ると判断出来れば、当然未然に防ぐことは可能な訳です。 >つまり犬の問題では無く、個々の飼い主の問題だと思うのです。 そうですね、飼い主の問題です。 私のしっている、ドックトレーナーの人は犬を躾るのは簡単だよ。っていいます。 この商売やっていて、なにが大変って人間にわかってもらうことだそうです。つまり、飼い主に犬の色々なことを理解してもらうのが本当に時間がかかる。 トレーニングの時間の大半は飼い主のトレーニングの時間になっちゃうよ。 って言ってました。 納得してしまいました。 でも、やる気があればいいんですけどね、、、、、 とんでもない人もいるわけで、、、、、 |
▼JBさんへ >▼sei(非犬飼い)さんへ >>私も、失礼を承知で言わせてもらえば、ノーリード推進・賛成の意見のほうが、ノーリード反対の意見のほうより、ノーリード問題を解決するための本質に近いのではないかと感じたからです。あくまで、感じ、です。あと、少数派に参加した方が、より様々なことを考えられるかもしれないと、感じたからでもあります。ノーリード反対の方は答えないでください、ということではありません。 > >どうも、はじめましてseiさん。 >かなり強硬な反対派のJBです。(笑) >正直に言うと、理想あるいは正しい方向はノーリード推進なのかもしれませんね。 > >ただ、私の認識ではそれをしているうちに「犬の立ち入り禁止の公園」が増えるだけ!だと思ってます。 >言葉は悪いですが、机上の空論に過ぎないと思えるのです。 >そして、その足枷は間違いなく条例に有ります。(条例なのにほぼ全国一律の…) >こいつが有る限り「公共の場でのノーリード」に対する苦情は、ノーリードの犬がどんなに完璧でも、正当な苦情として処理されかねないのです。 >結果、自ら首を絞める事になると… > >ですから、 >>1 犬の社会性(犬の犬社会における適応性)を養うことで、犬対犬、飼い主対犬の関係を良好に保つことができる。そして第三者にも犬の社会性を高める活動に参加してもらうことで、犬と飼い主を取り巻く周辺環境(犬と犬の飼い主対それ以外の人との関係=犬と犬の飼い主の人間社会における適応性:受け入れられること)も改善される。とお考えでしょうか? > >これは、理想はそうかもしれない、しかし、現実にこれをしていると先に「犬禁止」の方が増えると思う。 > >と、答えておきます。 >2・3については「犬の社会性」より「飼い主の社会性」が欠落してる方を何とかする方が先ではないかと思いますので、ちょっと?です。 JBさん、犬を取り巻く環境の悪さはなにも飼い主の悪さだけではありませんよ。 流行をおって犬を生産し、遺伝性疾患もなにも考えず、子犬のかわいい内に売りつけようとしているのが見栄見えですよ。 悪質なペットショップでは、犬をゲージにいれて、極力だすな!という。 犬の訓練師のなかには、犬をあまり走らせないように指導する人もいると聞きます。理由は走らせる、機会もなく、必要もないので子犬の時からそういう欲求は取り除いてしまえということだそうです。 そうすると、走る事をしないコになるそうですが、これって、一種の虐待ではありませんか? 確かに、理想ではあると思いますし、条例違反ではありますが、理想に近い事を実現している地域もあるのです。(本当に一部でしょうけど) 現状の犬を取り巻く環境(飼い主もふくめて)がいいわけがありません。 ここで、色々なことを書くうちに、やはり条例を改正する必要があると思うようになりました。 ノーリードで迷惑な飼い主の居るうちはそんなこととおらないよ。 といわれるでしょう。でも現状では悪く循環だと思います。 たんに、ドックランを作るだけでは解決しないと思いまよ。 迷惑飼い主がドックランにきたら、それこそ、迷惑、事故もおこるでしょうね。 どれが、先になどとやっていたら、それこそ100年たってもなにも先に進まないと思います。 色々なことを同時に進めないと理想の環境にはちかずかないんじゃないですか? |
弁解します。 [#613]から始まるスレッドは、私が私の知りたいことをみなさまから引き出すために、意図的にレスポンスの方向性がある程度定まるように誘導しています。これは、自由に意見を述べて認識の幅を広げたいとお考えの方には、違和感をお感じになったり、気分が悪くなることもあると思います。 誤解しないでいただきたいのは、結論を誘導したり、みなさんの考え方までも固定しようと考えているのではないと言うことです。もしそのようにお受け取りになる方がおられるとしたら、私の文章力の至らぬと言うことで、お詫びいたします。 議論があちこちに飛躍したり、認識のずれからくる非難の応酬、個人攻撃があまりにも目立ちすぎると、せっかくの有意義な議論が、その成果を見ることなくしぼんでしまうことが多々あるので、それを警戒しているのです。 「ノーリードを容認してもらうために必要なプロセスをシミュレートする」と言う議題は、広範囲な知識が必要で、個人的な経験論が必要な場合と邪魔になる場合とがあると感じていますので、飛躍や認識の方向性をある程度コントロールする必要があると思ったのです。 私が知りたいことは、きっとみなさんも知りたいに違いない、と言う思いこみで[#613]を立ち上げましたが、実は私のわがまま独善かもしれません。しかし、私はなりふり構わずでも知りたい。どのような結論になろうと、このスレッドの成果を見たいのです。 私の犬を飼うという経験のなさから、勘違いや思いこみが多々あり、みなさまにご迷惑をおかけすることもあろうとは存じますが、上記のことをご理解いただいた上で、どうかこのスレッドにご協力願えませんでしょうか? (私のことを「いんぎん無礼」と思っていらっしゃる方がおられましたら、深く深くお詫びいたしますので、どうか怒らないでください。) |
▼sei(非犬飼い)さんへ >弁解します。 >私が知りたいことは、きっとみなさんも知りたいに違いない、と言う思いこみで[#613]を立ち上げましたが、実は私のわがまま独善かもしれません。しかし、私はなりふり構わずでも知りたい。どのような結論になろうと、このスレッドの成果を見たいのです。 > >私の犬を飼うという経験のなさから、勘違いや思いこみが多々あり、みなさまにご迷惑をおかけすることもあろうとは存じますが、上記のことをご理解いただいた上で、どうかこのスレッドにご協力願えませんでしょうか? 「何故」ということはどうでもいいのですが、「何を」ということが良く解りません。当然、警戒してしまいます。こういうふうには受け取られたく無い、と思う様な方向にわざわざ解釈をなさり、それを特定なさる様な会話の展開ですと、よけいにそう思います。 |
▼saikaさんへ > >「何故」ということはどうでもいいのですが、「何を」ということが良く解りません。当然、警戒してしまいます。こういうふうには受け取られたく無い、と思う様な方向にわざわざ解釈をなさり、それを特定なさる様な会話の展開ですと、よけいにそう思います。 少し頭を冷やしているので、レスポンスが遅れております。 もっとこう、ストレートに疑問に感じたことやわからないことをぶつけて、賛否を問うたり、アドバイスを受けた方がいいのでしょうか。私としては、みなさんに「答えてもらいたい」よりも、「考えてもらいたい」気持ちの方が大きいのですが、あつかましかったかな・・・。 |