Page 55 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼オフリードについて・・・ 菅 04/8/24(火) 13:00 ┣Re:オフリードについて・・・ せいもあ 04/8/24(火) 17:33 ┗Re:オフリードについて・・・ ik 04/8/24(火) 22:46 ┗Re:オフリードについて・・・ とんぼ 04/8/25(水) 21:07 ┗Re:オフリードについて・・・ ik 04/8/26(木) 21:41 ┗Re:オフリードについて・・・ とんぼ 04/8/27(金) 1:04 ┗Re:オフリードについて・・・ ik 04/8/27(金) 22:20 ─────────────────────────────────────── ■題名 : オフリードについて・・・ ■名前 : 菅 ■日付 : 04/8/24(火) 13:00 -------------------------------------------------------------------------
訓練競技会に出るには、オフリードでのトレーニングが必要です。 項目のほとんどがオフリードで行うものだからです。会場で、私の犬は逸走したことが何度もあります。他の犬もよく逸走しています。 柵もなければネットもなかったりします・・・。とっても、やっている側から考えても恐ろしい環境です。ドッグランも同じです。 自分の犬が喧嘩を始めたら、なかなかやめさせることは出来ません。 リードを付けていても、ちょっと目を放した隙に子供を噛んでいてはなそうとしても口をあけられず、事件になったケースもあります。 大切なのは、子犬のうちに社会化をたっぷりさせ、噛みの抑制を教えることです。みんなが子犬の社会化を重視し、しつけ教室に長いスパンで通い続け、じっくりと犬と向き合い、取り組むことです。 東京などの都心の街中で、オフリードは非常識です。公園の広い場所やドッグラン、河川敷などではトレーニングできていて攻撃性のない犬であればオフリードはOKだと思います。 |
▼菅さんへ こんにちは、菅さん。せいもあといいます。 私も何度か競技会に出させていただいたときがあります。 >柵もなければネットもなかったりします・・・。とっても、やっている側から考えても恐ろしい環境です。 僕が出たときのあるものは、完全に囲われてはいないものの、 リンクといわれるある程度仕切られた空間が用意されていたと思います。(競技者の出入りのため、出入り口は囲われていない) そのような競技会もあるのか・・・と驚きました。 それでは逸走した場合、すごく大変なことになりますね・・・。 >大切なのは、子犬のうちに社会化をたっぷりさせ、噛みの抑制を教えることです。 確かに社会化期において噛みの抑制を経験させることも大事ですが、むしろ噛む必要がないものだと(人間に対しても、犬に対しても、その他についても)教えることのほうが大事ではないでしょうか? >みんなが子犬の社会化を重視し、しつけ教室に長いスパンで通い続け、じっくりと犬と向き合い、取り組むことです。 僕もしつけ教室に通われることは大事だと思います。 ですが、「同じところ」ではなく、色々な場所のしつけ教室を飼い主さんと一緒に経験することも必要だと思います。 もちろん転々とするうちに、自分に合ったところが見つかれば、そこに通い続けることも良いでしょう。 じっくりと犬と向き合い、取り組むことは非常に大切ですよね。 一つの事が出来たから、しつけ教室はもう無意味では、何も変わらないかもしれませんしね。 >東京などの都心の街中で、オフリードは非常識です。 そうですね。同感です。「人の行き来がある場所では」が僕のオフリードについての意見です。 >公園の広い場所やドッグラン、河川敷などではトレーニングできていて攻撃性のない犬であればオフリードはOKだと思います。 ドッグランに関しては、そのような場所ですから、いうまでもなくですね。 ・・・ですが、公共性のある場所ではどうでしょうか? 犬が嫌いな人にしてみれば、犬が離されていることは、「噛む・噛まない」以前の問題としてただ「恐怖」として認識されるのではないでしょうか? また、訓練している・していないも同様だと思います。 訓練のためにも、オフリードをしなければいけない事情も分かります。しかし、通りすがりの人から見ると、それはやはり【オフリードにしている飼い主さん】として映ってしまうかもしれません。 それを見たほかの飼い主さんはどう思うでしょう? ひょっとしたら、「あの場所はオフリードしても良いんだ。」と勘違いしてしまうかもしれません。 そうなってくると、私も私もと訓練を入れていない飼い主さんも利用しかねません。 その中に一人でもマナーの悪い飼い主さんがいた場合・・・極端な話になると、そういった場所に犬が出入りすること自体が禁止されてしまうのではないでしょうか? 公共性のある場所でオフリードにするなとは言えませんが、そうすることにより起こりえる可能性まで考えて、行動するのが良いと僕は思います。 そのためにも、やはり公共性のある場所を使うのであれば、きちんとした「許可」を得た形で、利用するのが良いと思います。 本当は危険性がまったくなく、自由に出来る場所が多くある社会になればいいのでしょうが・・・そうなるには、まだまだ時間がかかるような気がします。 長い上に、推論から展開していき、危険性ばかりを書いた文章で申し訳ありません。 特に日本に関しては、「赤信号、皆で渡れば・・・」的なことが多いので・・・そのようなことも考えていただきたく思います。 それでは失礼します。 |
はじめまして。ikと申します。 すみません、私も せいもあ さんと全く同じ意見です。書き込む必要がないと思ったのですが、1つ書かせていただきます。 ▼菅さんへ 公園の広い場所やドッグラン、河川敷などではトレーニングできていて攻撃性のない犬であればオフリードはOKだと思います。 ドッグラン以外の場所でのオフリードにする理由って何ですか? 思いっきり走らせてあげたいって思うのはとてもわかります。でも、今じゃ10mや20mのロングリードが売っていますよね。広い場所でオフリードでなくても、ロングリードを使用できないですか?いくら広い公園でも、河川敷でも、第3者がいる時があります。 菅さんが言った「都心の街中でオフリードは非常識」って言葉は、第3者からすると、「公園や河川敷でオフリードは非常識」ってことになると思いませんか? 犬飼いの人とペットを飼っていない人とでは、考え方が全く反対の人もいる訳です。 私はドッグラン以外での場所でオフリードにする必要性はないと思っています。 |
▼ikさんへ 横レスで申し訳ありませんが、趣味性の高い行動の是非の議論の論点として必要性の有無をあげるのは適当ではないと思います。 その論法でいくと、「生きていく上で犬を飼う必要があるのですか?世の中にはAIBOやぬいぐるみもあるのですから犬を飼うべきではありません」ということになってしまいます。 理想的な成熟した社会とは個人が自由に好きなことを出来るものだと思います。もちろん公共の利益を犯さないことが前提となります。 ノーリードや犬同伴の問題はこのバランスをどこに置くのか?ということではないでしょうか。 安全と判断可能な条件でのノーリードは非難されるものではないとぼくは考えます。 |
▼とんぼさんへ >横レスで申し訳ありませんが、趣味性の高い行動の是非の議論の論点として必要性の有無をあげるのは適当ではないと思います。 >その論法でいくと、「生きていく上で犬を飼う必要があるのですか?世の中にはAIBOやぬいぐるみもあるのですから犬を飼うべきではありません」ということになってしまいます。 必要性を挙げたのは、犬を飼っていることを前提としているからです。「犬を飼う必要がない」となるなら、ハナから飼い主のマナーなんて話し合う必要もないことじゃないですか?もとをたどれば生きていく上で飼う必要はないでしょうが、ペットが存在するかぎりでは、今の現状を良くしていく必要があるのではないでしょうか? >安全と判断可能な条件でのノーリードは非難されるものではないとぼくは考えます。 「判断可能な条件」と言うのは、ドッグショーや犬のイベントなどの限られた場所でのことを仰っておられるのですよね?一般の公園や公共の広い場所に対しては通用しないと思います。飼い主の判断とペットを飼っていない人の判断は全く異なります。むしろ犬を苦手とする人には、リードをつけていても、同じ歩道を横切られるだけでも恐怖を感じる人もいます。そこで躾がされていて訓練もされているから、と思うのは飼い主だけです。第3者には触れ合いがないことには伝わりません。 私は、ドッグラン以外では必ずリードをつけます。犬を守る為でもあり、飼っていない人(もちろん飼っている人やペット)に何かあったら・・・と思うと、躾や訓練が行き届いていても、「万が一」という言葉がある限り、リードを放すことはできません。私の必要性を述べました。だから、ノーリード公認(許可)以外でのノーリードにする理由が何なのか知りたいのです。 |
▼ikさんへ >必要性を挙げたのは、犬を飼っていることを前提としているからです。「犬を飼う必要がない」となるなら、ハナから飼い主のマナーなんて話し合う必要もないことじゃないですか?もとをたどれば生きていく上で飼う必要はないでしょうが もう一度ぼくの投稿を読んでいただけると助かります。 「行動の是非」を論じる時に「必要性の有無」をあげるのは適当でないと思う、と申し上げております。 行動の是非とは「オフリードにする是非」であり(別の例を挙げるなら)「犬を飼う是非」です。「紅茶を飲む是非」でもいいですし「子供を高校に通学させる是非」でもかまいません。そのような場合、必要かどうかは当事者が判断するべきで第三者が強要するものでも客観的に判断出来るものでもないと申し上げております。おわかりいただけますでしょうか? >ペットが存在するかぎりでは、今の現状を良くしていく必要があるのではないでしょうか? はい、もちろんそう思います。 論理的な根拠もなく「公園はオフリード禁止」ではなく、必要がある場合には自粛すればいいでしょうし必要がなければオフリードにして差し支えないと思います。小学生じゃないんですから状況に応じて対応するのが成熟した大人の社会だと思いますし「今の現状をよくする」ことだと思います。 >「判断可能な条件」と言うのは、ドッグショーや犬のイベントなどの限られた場所でのことを仰っておられるのですよね? まったく違います。飼い犬をオフリードにする当事者が安全と判断可能な条件すべてをいっております。別の言い方をすればドッグショーだろうがイベントだろうが安全と判断出来なければ飼い主はオフリードにすべきではないと考えています。 >飼い主の判断とペットを飼っていない人の判断は全く異なります。むしろ犬を苦手とする人には、リードをつけていても、同じ歩道を横切られるだけでも恐怖を感じる人もいます。そこで躾がされていて訓練もされているから、と思うのは飼い主だけです。第3者には触れ合いがないことには伝わりません。 冒頭の部分以外はまったく論旨がわからないのですが、犬を飼うべきでない、あるいは散歩すらもさせるべきではないということを主張されているのでしょうか?????? 犬を嫌いな人が存在することは理解しておりますし、もちろんそのような人々の意向を無視することは望ましくありません。しかしながらその折り合いを付けるポイントは「犬を散歩させない」とか「犬を飼う人はすべての(自らが欲する)行動を自粛すべき」とは思えない、と申し上げております。 >私は、ドッグラン以外では必ずリードをつけます。犬を守る為でもあり、飼っていない人(もちろん飼っている人やペット)に何かあったら・・・と思うと、躾や訓練が行き届いていても、「万が一」という言葉がある限り、リードを放すことはできません。私の必要性を述べました。 (前段の「必要性」とは意味合いがまったく違いますが)ikさんにとってリードをする必要があることは理解しましたし、そのこと自体にはまったく異存はありません。 >だから、ノーリード公認(許可)以外でのノーリードにする理由が何なのか知りたいのです。 ですから、読み直していただきたいのですが成熟した社会とは公共の利益を損なわない限り個人が自由に行動出来るべきだと思うということです。 平たくいえば、人に迷惑をかけない限り個人は好きなことを出来るべきであるし、(オフリードに関して)そのような条件は存在する(とぼくは思います)、ということです。 |
▼とんぼさんへ こんばんは。 このままだと平行線かもしれませんね。なので、ノーリードに関しては、第3者のことを考えた私なりのマナーでいこうと思います。とんぼさんのご意見はとんぼさんのマナーなので、これ以上私が自分の意見を押し付けるような感じになるのはよくないと思いますので、私はこの辺で失礼させていただきます。 個人の自由は私も大切だと思っていますが、未然に防げることは出来る限りしていくつもりです。 今回はとんぼさんの意見を聞けて、勉強になりました。ありがとうございました。 では失礼します。 |