Page 6 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼怖くないの? える〜! 03/6/21(土) 18:01 ┣Re:怖くないの? ジゴ母 03/6/24(火) 14:37 ┃ ┣Re:怖くないの? オリーブ 03/6/24(火) 21:51 ┃ ┗Re:怖くないの? Nぽん 03/6/26(木) 0:40 ┃ ┣Re:怖くないの? える〜! 03/6/26(木) 18:59 ┃ ┃ ┗Re:怖くないの? ジゴ母 03/6/27(金) 12:36 ┃ ┃ ┗Re:怖くないの? える〜! 03/6/30(月) 19:24 ┃ ┗Re:怖くないの? ジゴ母 03/6/27(金) 12:32 ┃ ┗Re:怖くないの? Nぽん 03/6/28(土) 15:49 ┃ ┗Re:怖くないの? アプリコット 03/7/1(火) 9:58 ┣Re:怖くないの? ジゴ母 03/7/9(水) 17:20 ┃ ┣Re:怖くないの? JB 03/7/9(水) 18:46 ┃ ┃ ┣Re:怖くないの? 愛犬と旅M 03/7/10(木) 14:38 ┃ ┃ ┗Re:怖くないの? える〜! 03/7/12(土) 18:23 ┃ ┣Re:怖くないの? 愛犬と旅M 03/7/13(日) 20:46 ┃ ┣Re:怖くないの? 愛犬と旅M 03/7/15(火) 18:30 ┃ ┗Re:怖くないの? カークランド 03/7/21(月) 2:23 ┃ ┗Re:怖くないの? しろいぬ 03/7/25(金) 16:23 ┗Re:怖くないの? ジゴ母 03/7/27(日) 1:33 ┣Re:怖くないの? 愛犬と旅M 03/7/27(日) 10:59 ┃ ┗Re:怖くないの? しろいぬ 03/7/28(月) 1:52 ┃ ┗Re:怖くないの? 愛犬と旅M 03/7/28(月) 20:57 ┗Re:怖くないの? JB 03/7/28(月) 20:05 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 怖くないの? ■名前 : える〜! ■日付 : 03/6/21(土) 18:01 -------------------------------------------------------------------------
あの〜、最近目につくんですが、小さい子供はもちろん、他に人がいるのに平気で犬を放す飼主さんが、かなり。 その人達に聞きたいんですが、他の人間に飛びついて怪我させたりとか、道路に飛び出して車に轢かれたりとか、こわくないの? 実はこのあいだ、うちのオジさんちの飼い犬が散歩中に、通りすがりの人に飛びかかり、その人の上着を噛んで駄目にしたんです。 もちろん、リード付けて散歩してたんですよ。上着代は弁償したけど、「傷害保険に入る」ってオジさん言ってました。これ以上、何か起きたら嫌だって。 「リード付けてたからまだ良かった。これで、犬を放してたら何言われたかわからないし、もっとひどく噛んでたかもしれない。近所の犬も放されてた知らない犬に噛まれて怪我したから、お前の犬も気をつけろ」って電話がありました。 うちの犬、大きいけど柴犬に負けるぐらいだけど、犬放す人多いし、何だか怖くなってきたから、ほんとに保険に入ろうかなって思ってます。 でも、何で、みんなは放しても事故が怖くないんだろう?? うちの犬はいいこだからって自信があるのかな??でも、すごく大きい犬(うちの犬よりも大きいです!)もいるみたいなんだけど。犬に悪気はなくてもお年寄りとか、小さい子供を押し倒したらどうするのかなあ? こんな事考えちゃうのは自分だけ? |
▼える〜!さんへ >あの〜、最近目につくんですが、小さい子供はもちろん、他に人がいるのに平気で犬を放す飼主さんが、かなり。 それは問題ですよね。 >その人達に聞きたいんですが、他の人間に飛びついて怪我させたりとか、道路に飛び出して車に轢かれたりとか、こわくないの? 自分の犬が人に飛びつくとか、呼び戻しがきかない場合はリードを離さないのが常識ですよね。 それと雑踏の中や車の往来のあるところで犬の安全を確保するのは飼い主の義務だと思います。 ですから恐いと感じるところは例えリード付きでも歩かせないでしょうし、どうしてもそこを歩く必要がある場合はリードを離さないでしょうね。 >実はこのあいだ、うちのオジさんちの飼い犬が散歩中に、通りすがりの人に飛びかかり、その人の上着を噛んで駄目にしたんです。 >もちろん、リード付けて散歩してたんですよ。 オジさんは犬が人に飛びかかることが可能な状態で犬を歩かせていたのですか? すれ違う人と反対側に犬を移動させたり、またすれ違う際はリードを短く持ったり犬を座らせて人が行き過ぎるのを待つことをしなかったのですか? >上着代は弁償したけど、「傷害保険に入る」ってオジさん言ってました。これ以上、何か起きたら嫌だって。 これを聞いてどう思われました? その通りだと思いましたか? >「リード付けてたからまだ良かった。これで、犬を放してたら何言われたかわからないし、もっとひどく噛んでたかもしれない。近所の犬も放されてた知らない犬に噛まれて怪我したから、お前の犬も気をつけろ」って電話がありました。 犬とはそういうものだとあなたもお考えですか? >うちの犬、大きいけど柴犬に負けるぐらいだけど、犬放す人多いし、何だか怖くなってきたから、ほんとに保険に入ろうかなって思ってます。 あなたの犬もオジさんの犬と同じようなことをする危険性を感じるのですか? >でも、何で、みんなは放しても事故が怖くないんだろう?? 事故が怖いのではなくて、事故が起こらないようにしてると考えてはいかがでしょう? >うちの犬はいいこだからって自信があるのかな??でも、すごく大きい犬(うちの犬よりも大きいです!)もいるみたいなんだけど。犬に悪気はなくてもお年寄りとか、小さい子供を押し倒したらどうするのかなあ? 犬がいい子になれるのもなれないのも飼い主次第ではないでしょうか? 小さい時からやっていいことと悪いことを教えるのと同じように、お散歩のマナーも学ばないといけませんよね。 これらのことは『しつけ』という言葉で表現されるものだと思いますが、『しつけ』は実は犬だけでなく飼い主にも必要なものだと思います。 飼い主がマナーをわかってないと犬にマナーを教えようがありませんしね。 >こんな事考えちゃうのは自分だけ? 飼い主さんだけでなく、犬を飼ってない人でもそんな風に考える人は少なくないと思います。 これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 例えリードをつけてても、そのリードを持つ人間の意識が犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける限り、リードがあろうがなかろうが犬は危険な動物にされてしまうのかもしれませんね。 |
こんばんは、オリ−ブです。ジゴ母さんに同感です。 >これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 >例えリードをつけてても、そのリードを持つ人間の意識が犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける限り、リードがあろうがなかろうが犬は危険な動物にされてしまうのかもしれませんね。 全くその通りだな、と私もいつも思っています。 オンリ−ドで事故(人、犬に噛みつく、飛びつく、車の事故など)は実際私の周りで多いですよ、ノ−リ−ドよりも。 とにかく飼い主さんを見てて思うのは、あまりにもボ−っと犬を連れて歩いている、と言う事。 もっと、自分の犬と、周囲に注意して欲しいし最低限の躾をしてあげて欲しい。 そういう私はお叱り覚悟で申し上げますが、ほとんどノ−リ−ドです。 だからいいとは言いませんが、必要な事は厳しく教えてあります。ラブラド−ルです。 買い物など街への散歩はリ−ドは一応つけますが、家の前は道路を挟んで川ですのでそのままつけずに遊びます(勿論知らない人がいれば遠慮しますし人が見えれば呼び寄せます)。 里山へも夕方を選んで遊びます。車が無ければ確実に人はいませんので ノ−リ−ドです。但し、私の見える範囲内しか離れませんし、犬から絶対に目を離しません。 でも、です。絶対大丈夫とは思っていません。家から1歩離れたら リ−ドは付けるべきだとは思っています、確かに。 ですが、この生活を変えるつもりもありません。この生活をしたいから 東北のこの土地に住んでいるようなものなので。犬との生活が充実してます、だから周りの人を大事にしたい、他に迷惑を掛けない様にしたい。 犬の躾を怠らず(自分も)、遊ぼうと思ってます。 東北の田舎、だから出来る事かもしれませんね。 |
▼ジゴ母さんへ 初めまして。 >>でも、何で、みんなは放しても事故が怖くないんだろう?? > >事故が怖いのではなくて、事故が起こらないようにしてると考えてはいかがでしょう? すみませんが、これはどういった意味なのでしょうか? 事故を起こさないようなしつけをしているということなのでしょうか? >これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 これは具体的にはどういった『しつけ』をお考えなのでしょうか? 是非お聞かせください。 飼い主にとっては安心出来るものであっても周りの人間に取ったらどのように映るのでしょうね。特に犬が怖いと思っている人たちには。 >例えリードをつけてても、そのリードを持つ人間の意識が犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける限り、リードがあろうがなかろうが犬は危険な動物にされてしまうのかもしれませんね。 どうでしょうね…。犬が怖い、嫌いと思う人にはリードが付いていても犬は危険な動物と思うでしょうし、世の中いろいろな人がいるわけですから、犬が好き、犬を飼っている人間の思い通りにはいきませんよね。 危険な動物と思っている人たちがいるということを前提に考えていかなければいけないと思うのですが。 完璧にしつけが入っていようがいまいが、ノーリードにするのであれば、何が起こっても正面から受け止め、しっかりと責任を取って欲しいモノです。責任を取りきれないモノも十分に考えられますが。 世の中に『絶対』なんてことはあり得ないわけですから。 次の瞬間に何が起こるか100%予想できる人はいませんよね。 その上でノーリードにするのであれば、その覚悟があるのなら、何も言うつもりはありません。 |
▼Nぽんさんへ >▼ジゴ母さんへ 初めまして >>>でも、何で、みんなは放しても事故が怖くないんだろう?? >> >>事故が怖いのではなくて、事故が起こらないようにしてると考えてはいかがでしょう? > >すみませんが、これはどういった意味なのでしょうか? >事故を起こさないようなしつけをしているということなのでしょうか? 失礼ですが、ジゴ母さんちの周囲は全く事故が起きてませんか?それとも、皆しつけ済みのよいこばかりなんでしょうか。 残念ながら、うちの周囲ではオジのケースを含め、年間かなりの件数を聞きます。その大部分は、ノーリードの犬が突然相手の犬や人に襲い掛かった、というものです。 さらに問題なのは、飼主に抗議したくても加害者の犬が逃げて相手が不明、わかっても飼主は抗議を無視ということが結構あるのです。 オジの場合はリードを短く持って散歩中でしたが、相手とすれ違った時にその方の上着が犬の顔面にばさばさっとしたそうです。 ただ、裾が長かっただけですが、驚いた犬がとっさにその裾に攻撃、というわけです。 犬は去勢済みのオスで滅多に吼えないぐらい気が小さいのです。 ヨーキーに吼えられてもびびるぐらいなんです。 >>これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 > >これは具体的にはどういった『しつけ』をお考えなのでしょうか? >是非お聞かせください。 >飼い主にとっては安心出来るものであっても周りの人間に取ったらどのように映るのでしょうね。特に犬が怖いと思っている人たちには。 私もNぽんさんに同意です。リードが無くても安心というしつけとはどの程度のレベルをさすのでしょうか?具体的にお願いしたいです。CD1がどうの、とかじゃなくて、ね。 >>例えリードをつけてても、そのリードを持つ人間の意識が犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける限り、リードがあろうがなかろうが犬は危険な動物にされてしまうのかもしれませんね。 > >どうでしょうね…。犬が怖い、嫌いと思う人にはリードが付いていても犬は危険な動物と思うでしょうし、世の中いろいろな人がいるわけですから、犬が好き、犬を飼っている人間の思い通りにはいきませんよね。 >危険な動物と思っている人たちがいるということを前提に考えていかなければいけないと思うのですが。 >完璧にしつけが入っていようがいまいが、ノーリードにするのであれば、何が起こっても正面から受け止め、しっかりと責任を取って欲しいモノです。責任を取りきれないモノも十分に考えられますが。 >世の中に『絶対』なんてことはあり得ないわけですから。 >次の瞬間に何が起こるか100%予想できる人はいませんよね。 >その上でノーリードにするのであれば、その覚悟があるのなら、何も言うつもりはありません。 Nぽんさんの意見に同意です。うちの犬ははっきりいうと大型犬で世間一般からいうと「怖い」イメージが先行します。決してラブやゴルのように可愛い〜とかフレンドリーには見られません。 犬を飼っている人さえも場合によっては私達を避けてくれます。(涙) 犬が怖い人はあからさまに遠回りしますし、逃げる子供もいました。 でもそれはある程度予想されていた事でした。(ほんとに見た目で損してるんです。) でも、犬の存在が怖い人って世間にはたくさんいるんです。それは仕方ないというより、当然の事、かな。 だから、服従訓練もがっちり入れました。(訓練試験も合格しています。) 体が大きい、ということは相手に恐怖感を与えてしまう可能性が高いのです。怖がるな、といってもそれは難しいようです。 だからお散歩はしっかりとリード付けて、犬や人が接近したら脚側行進、あるいはその場で座らせて待機、させてます。 こちらがそこまでしても、ノーリードでお散歩の飼主は何とも思わず「犬は自由にさせなくちゃ」とばかりに好きなようにしている、下手すると襲いかかってくるというのがこっちでの現状です。 余り無責任なんで、注意した事もありましたよ。で、その返事が「犬は・・・」なんです。(「犬のした事なんだから、そこまで怒る事無いだろ」という人もいましたね。) 傷害保険ははっきりいって、うちの犬が怪我させられた時の為です。そして、私が自分の犬をかばい、相手の犬に噛まれたという時の為なんです。 簡単に犬を放してノーリードにする人でしっかりしつけてる又は何か起きたら責任取る、という態度の方を私はまだ知らないんです。 え、うちの犬が相手の犬に向かっていったら? そうですね、私はうちの犬と刺し違える覚悟で阻止します(笑) いくら教育しても「絶対安全」という事は無いのだから、せめてそのぐらいの覚悟をもっとかないと。 おかげでご近所からは「犬は大人しいけど飼主はきつい」と言われてます。あ、別に体罰してるわけじゃないですよ。誤解しないように♪ |
▼える〜!さんへ >失礼ですが、ジゴ母さんちの周囲は全く事故が起きてませんか?それとも、皆しつけ済みのよいこばかりなんでしょうか。 >残念ながら、うちの周囲ではオジのケースを含め、年間かなりの件数を聞きます。その大部分は、ノーリードの犬が突然相手の犬や人に襲い掛かった、というものです。 >さらに問題なのは、飼主に抗議したくても加害者の犬が逃げて相手が不明、わかっても飼主は抗議を無視ということが結構あるのです。 私が住んでるのは都会の下町の住宅地になりますが、犬を放してる時の事故というと、朝夕皆さんが散歩に利用されてる公園のグランドで数件ありましたね。 でもそれは犬同士の喧嘩で、人に襲いかかったという話は私の記憶ではありません。 >オジの場合はリードを短く持って散歩中でしたが、相手とすれ違った時にその方の上着が犬の顔面にばさばさっとしたそうです。 >ただ、裾が長かっただけですが、驚いた犬がとっさにその裾に攻撃、というわけです。 >犬は去勢済みのオスで滅多に吼えないぐらい気が小さいのです。 >ヨーキーに吼えられてもびびるぐらいなんです。 揚げ足をとるようで申し訳ないのですが、 人とすれ違うことが分かっていて、しかもリードを短く持っていて飛び掛ったということは道幅の狭い道を想像するのですが、それなら尚のこと犬を守るために反対側につかせたり、そこで座らせて人が行き過ぎるのを待たなかったのでしょうか? >>>これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 >> >>これは具体的にはどういった『しつけ』をお考えなのでしょうか? >>是非お聞かせください。 >>飼い主にとっては安心出来るものであっても周りの人間に取ったらどのように映るのでしょうね。特に犬が怖いと思っている人たちには。 > >私もNぽんさんに同意です。リードが無くても安心というしつけとはどの程度のレベルをさすのでしょうか?具体的にお願いしたいです。CD1がどうの、とかじゃなくて、ね。 リードをどのように使うかではないでしょうか。 犬を守るため? それとも人に危害を加えるのを防ぐため? >体が大きい、ということは相手に恐怖感を与えてしまう可能性が高いのです。怖がるな、といってもそれは難しいようです。 >だからお散歩はしっかりとリード付けて、犬や人が接近したら脚側行進、あるいはその場で座らせて待機、させてます。 >こちらがそこまでしても、ノーリードでお散歩の飼主は何とも思わず「犬は自由にさせなくちゃ」とばかりに好きなようにしている、下手すると襲いかかってくるというのがこっちでの現状です。 >余り無責任なんで、注意した事もありましたよ。で、その返事が「犬は・・・」なんです。(「犬のした事なんだから、そこまで怒る事無いだろ」という人もいましたね。) >傷害保険ははっきりいって、うちの犬が怪我させられた時の為です。そして、私が自分の犬をかばい、相手の犬に噛まれたという時の為なんです。 同感です。 そのとおりだと思います。 >簡単に犬を放してノーリードにする人でしっかりしつけてる又は何か起きたら責任取る、という態度の方を私はまだ知らないんです。 そうですね。 私もそう思います。 幸い私の犬は中型犬で、見る人によっては「大きい」「怖い」犬なんですが、私と犬の関係を見て犬のリードを離すならこれだけの意思疎通をはかれないとダメだということを感じ取っていただいてるように思います。 私も簡単にリードを放すことには大反対の立場です。 >え、うちの犬が相手の犬に向かっていったら? >そうですね、私はうちの犬と刺し違える覚悟で阻止します(笑) >いくら教育しても「絶対安全」という事は無いのだから、せめてそのぐらいの覚悟をもっとかないと。 >おかげでご近所からは「犬は大人しいけど飼主はきつい」と言われてます。あ、別に体罰してるわけじゃないですよ。誤解しないように♪ 私も同じですよ。(笑) 体罰と飼い主が体を張ることは全く別のものです。 何が起こってもすぐに対処できる体勢がリードがついててもリードがなくても必要だと思っています。 私の犬はボールやディスクで遊ぶときは別として、リードを離してる時も私の視界内3mの距離以上の間隔を開けないようにしています。 それ以上離れてしまうと何か起こっても間に合いませんから。 でも私が自分の犬のリードを離すのは家から1分のところにある公園へ向かう時と、お散歩を終えてその公園にたどり着いてから家に戻るまでの短い距離ですが、いろいろなメニューを盛り込んでノーリードを楽しんでいます。 肝心なのはリードをしててもリードがなくても、見る人を不安にさせない気遣いやマナーといった思いやりの心を持つことではないでしょうか。 私は飼い主の相手を思いやる心は犬にも通じると信じてます。 ところで私は意識してノーリードを「リードを放す」ではなく「リードを離す」にしているのですが、気が付かれました?(^_^)v |
▼ジゴ母さんへ >私が住んでるのは都会の下町の住宅地になりますが、犬を放してる時の事故というと、朝夕皆さんが散歩に利用されてる公園のグランドで数件ありましたね。 >でもそれは犬同士の喧嘩で、人に襲いかかったという話は私の記憶ではありません。 それは羨ましい環境ですね。保健所も指導に行かないようだし。 うちの近所では公園内を散策中の老人にノーリードのゴルがアタック! 当然、おじいさんは転倒し頭を強打&出血で救急車・・・。 以来、そこは管理者の指導がうるさくなりました。 そう言った話はちらちら聞きます。 ここってよほどマナーが悪い地域なのか、と思ったら、隣の県に住む友人も同じような事故に遭いました。幸い、頭は打たなかったけど、両足にスゴイ青あざができました。相手の飼主は当然(?)逃走、だそうです。 >>>>これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 >>> >>>これは具体的にはどういった『しつけ』をお考えなのでしょうか? >>>是非お聞かせください。 >>>飼い主にとっては安心出来るものであっても周りの人間に取ったらどのように映るのでしょうね。特に犬が怖いと思っている人たちには。 >> >>私もNぽんさんに同意です。リードが無くても安心というしつけとはどの程度のレベルをさすのでしょうか?具体的にお願いしたいです。CD1がどうの、とかじゃなくて、ね。 > >リードをどのように使うかではないでしょうか。 >犬を守るため? >それとも人に危害を加えるのを防ぐため? あの〜、「リードが無くても安心というしつけは?」とお聞きしたのですが?それが何故「リードをどのように使うか」になるのでしょう? >そうですね。 >私もそう思います。 >幸い私の犬は中型犬で、見る人によっては「大きい」「怖い」犬なんですが、私と犬の関係を見て犬のリードを離すならこれだけの意思疎通をはかれないとダメだということを感じ取っていただいてるように思います。 >私も簡単にリードを放すことには大反対の立場です。 あの〜、相手の方が感じ取るとは、どのような状態を言うのでしょうか? 「怖いですか?うちの犬は良いこですよ。」なんて聞くのでしょうか? >私の犬はボールやディスクで遊ぶときは別として、リードを離してる時も私の視界内3mの距離以上の間隔を開けないようにしています。 >それ以上離れてしまうと何か起こっても間に合いませんから。 >でも私が自分の犬のリードを離すのは家から1分のところにある公園へ向かう時と、お散歩を終えてその公園にたどり着いてから家に戻るまでの短い距離ですが、いろいろなメニューを盛り込んでノーリードを楽しんでいます。 先ほど、メジャーで「3メートル」の距離を測ったらかなりありました。犬のほうが私より反射神経も運動能力も高いので、私には「瞬間的に何か起こったら間に合うように動く」ことは・・・。犬のほうが素早く反応できるでしょう。何しろ、狩をする肉食獣の子孫なんですから、身体能力も半端じゃない。「襲撃訓練」見てるとそのパワーにはいつも圧倒されます。(犬と同じ運動能力ならオリンピックかなんかに出られるかな?) それに、公園からご自宅までの行程は御自分の敷地、じゃないですよね。いくら距離が短くても、ノーリード、というのは・・・・。都会でも全く人が歩いてない時間帯なのでしょうか? それとも、メニューとして「BH」受験を入れているのでしょうか? 余談ですが、うちの犬が柴犬にやられそうになったのは我が家の玄関前。 その柴犬の家はうちから50メートルも離れてませんでした。飼主が「うちの玄関先だから、平気だろう」と放してたのです。 >肝心なのはリードをしててもリードがなくても、見る人を不安にさせない気遣いやマナーといった思いやりの心を持つことではないでしょうか。 >私は飼い主の相手を思いやる心は犬にも通じると信じてます。 >ところで私は意識してノーリードを「リードを放す」ではなく「リードを離す」にしているのですが、気が付かれました?(^_^)v 犬嫌いの人が困るのはノーリードの犬にばったり会ったときです。 怖いけど、逃げれば追いかけられる事はご存知なんで、必死になにげないようにふるまうそうです。(何度かいやな目にあってるおかげで。) もし、そばに飼主がいるなら犬を捕まえるか繋いで欲しい、そうです。 (以上は犬嫌いの知人から聞いた話。半分怒られながら聞きました。「お前ら犬飼ってるヤツらはモラルが無い」って。涙) リードを「放す」でも「離す」でも、この方達にはあまり変わりがありません。 また、「飼主の相手を思いやる心は犬に通じる」とのことですが、防衛本能の強い犬では、疑問です。飼主が思うことよりも、そっちの本能が優先(これは危険だと自分で判断してしまうということ)されることもあるでしょう。 |
▼Nぽんさんへ > >事故が怖いのではなくて、事故が起こらないようにしてると考えてはいかがでしょう? > > すみませんが、これはどういった意味なのでしょうか? > 事故を起こさないようなしつけをしているということなのでしょうか? これは『しつけ』というより飼い主の心積もりの問題だと思っています。 事故が起こらないようにするためにどうすればよいのかですが、 それを考えた『しつけ」や『訓練』をすることではないでしょうか。 そして事故が起こる危険性があると飼い主が判断するとき、その時に最も適した方法で事故を回避するようにすればいいのではないかと思います。 回りくどい説明で分かり難いかもしれませんが、簡単に言えば臨機応変に対処出来る判断力を持つということでしょうか。 > >これは私が常々思っていることなのですが、リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 > > これは具体的にはどういった『しつけ』をお考えなのでしょうか? > 是非お聞かせください。 これは飼い主と犬との関係をどう持ちたいのかで変わってくると思いますが、我が家の場合はリードを離しても、それは犬を自由に開放するというものではなく、リードを離しても犬は常に飼い主を気にしながら歩きます。 そうすると犬が飼い主以外のものに興味を示した時、飼い主も犬の変化に気が付きますから、その時に何をするべきか飼い主は気が付きます。 ただそれだけのことで、難しいことではありません。 > 飼い主にとっては安心出来るものであっても周りの人間に取ったらどのように映るのでしょうね。特に犬が怖いと思っている人たちには。 そうですね。 でもその人たちはどうして犬が怖いのでしょう? 多くの場合、飼い主が犬を制御できないと思っているからリードがないと不安に感じるのだと思います。 それにリードを付けていても飼い主が犬を制御しきれず、リードがなかったら襲いかかられたかもしれないような体験をしたのかもしれませんね。 実際私も愛犬と(リード付き)散歩していて、犬連れの人とすれ違う際に私の愛犬に襲いかからん勢いで覆い被さってきた時に悲鳴をあげたことがあります。 もちろんその犬もリードを付けていましたし、道幅も狭くはありませんでした。 私は他の犬とすれ違う時は自分の犬はすれ違う方とは反対に付かせてリードを短く持ちます。 でもその犬を連れた飼い主はリードを短くすることもなく犬に引っ張られながら歩いていたので、私も危ないなと思いながら行き過ぎようとしたのですが、その瞬間は声をあげてしまいました。 それから数日後にもその犬連れを見かけましたが、犬連れとすれ違う時は私の犬にしたように、今にも飛びかかる勢いで飼い主の男性は引っ張られ、30代くらいの中肉中背の男性が転びそうになっていました。 普通に考えたら他の犬連れと出会うたびにそのような行動に出るのが分かっているのですから、飼い主はリードを短く持って自分の身体が持って行かれないよう体勢を整えたり、他の犬が行き過ぎるまで側に犬を座らせて注意を飼い主に向けさせることで、少なくとも相手の犬に飛びかかろうとする行動は抑制できるはずなんですけどね。 > >例えリードをつけてても、そのリードを持つ人間の意識が犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける限り、リードがあろうがなかろうが犬は危険な動物にされてしまうのかもしれませんね。 > > どうでしょうね…。犬が怖い、嫌いと思う人にはリードが付いていても犬は危険な動物と思うでしょうし、世の中いろいろな人がいるわけですから、犬が好き、犬を飼っている人間の思い通りにはいきませんよね。 信じられないかもしれませんが、私も犬が怖くて犬が好きでない人間の一人です。 ですから自分の犬は怖い犬や嫌われる犬にしたくないと思いました。 そんな犬になったら私は最悪ですものね。 子供の時(私は40代ですからかなり昔の話です)祖母の家にも犬がいましたが、私はその犬が怖くて触るどころか側を通ることも出来ませんでした。 今から考えるとたいていの犬は子供が嫌いですし、その時はちょうど子犬を産んだ後で警戒心が強かったんでしょうけど、犬は私にとって怖いものというイメージが埋め込まれてしまいました。 でも夫の希望で犬を迎え犬と暮してみて私は犬が怖いのではなくて、多くの場合、犬を連れた飼い主が信用できないだけなんだと気が付いたのです。 大型犬を連れている男性でも、犬の思うまま引っ張るに任せてる人が向こうから近付いてきたら、犬が苦手な人でなくても怖いと思いますし、すれ違いざま飛びつかれそうになろうものなら私のように悲鳴をあげてしまうのではないでしょうか。 でも怖いのは犬ではなくてリードを持ってる飼い主の危なっかしではないでしょうか? それとどれだけ飼い主のライフスタイルに合わせた犬を選んでいるかだと思います。 ただその犬種が好きなだけでその犬を飼っていて、例えばその犬が闘犬と呼ばれる種類だった場合、飼い主は散歩の時間やルートにも気を配る必要があると思います。 犬の種類に限らずそれぞれの犬には性格がありますから、自分の犬の性格に合った散歩を考える必要もあると思います。 リードを付けていても飼い主が考えなければならないことが山ほどあるんですね。 私は犬と暮さなければならなくなったとき思ったのは、まず私が好きになれるような犬にすることと、誰にもじゃまにされない犬にすることでした。 これは犬が苦手な人にも普通に受け入れてもらえるようになることに繋がっていると考えているのですが、こんな考えってどう思われます? > 危険な動物と思っている人たちがいるということを前提に考えていかなければいけないと思うのですが。 そうですね。 でも犬が危険な動物でなければその人たちの気持も変わっていくような気がするのですがどうでしょう? 人間がはるか遠い昔から犬と一緒に暮らしてきたのはなぜでしょう? どなたかが書いていらっしゃいましたが(笑)犬が人間と心を通じ合わせることが出来、そして危険な動物でなかったから数々の動物の中から犬が人間のパートナーに成り得たのではないでしょうか。 でも残念なことに犬を危険な動物と感じさせるようにしてしまった人間がいたことも事実だと思います。 > 完璧にしつけが入っていようがいまいが、ノーリードにするのであれば、何が起こっても正面から受け止め、しっかりと責任を取って欲しいモノです。責任を取りきれないモノも十分に考えられますが。 そうですね、仰る通りだと思います。 でもこれはノーリードにすることに限ったことではなく、犬と暮す飼い主が考えていかなければならない問題で、犬と暮す全ての飼い主の責任だと思います。 > 世の中に『絶対』なんてことはあり得ないわけですから。 > 次の瞬間に何が起こるか100%予想できる人はいませんよね。 100%までいかないでしょうけれど、犬を見ることと周囲の状況の変化を判断することで次の行動が予想できますよね? それが犬の耳の動きだったり、目の動きだったり、尻尾の動きや背中の毛の様子や、それからひげの立ち具合だったり(笑)犬は必ずサインを出してるんですよね。 それに気付くか気付かないかだと思います。 飼い主がそれに気がついた段階で犬を引き寄せたり犬の注意を引いて、次の行動に移さないようにすることはできるはずですし、これもリードのあるなしにかかわらず飼い主がやるべき責任だと思っています。 > その上でノーリードにするのであれば、その覚悟があるのなら、何も言うつもりはありません。 ノーリードは楽しい時もありますが、正直言って疲れます。(笑) そして何も私はノーリードを推奨してるわけではないのです。 そしていつもノーリードにしてるわけでもありません。 ノーリードはあくまで時と場合を考えてその状態にするもので、 私がここで書いてるノーリードはドッグランで犬のリードを手から離すときにも同じことが言えると思っています。 ドッグランというと犬をリードから放して開放できる場所だという認識の方が多いように思いますが、ドッグランこそ飼い主は犬から目を離さずその行動を見守る義務が発生する場所だと思います。 覚悟というものはノーリードで事故が起こってその責任を負う覚悟ではなく、犬に事故を起こさせない『しつけ』と、犬と一緒の時は常に周囲の状況に注意する集中力を持たなければいけないという覚悟を持ちたいものと思いました。 何か頂戴したご意見をはぐらかしてるように受け取られるかもしれませんが、私はノーリードを推奨してるわけでなく、リードを付けていてもそれだけではリードをつけているから安全ではないことを飼い主が自覚することで、犬に対する認識が変わってくることを申し上げたいのです。 ご理解いただけたら嬉しいのですが・・・。 |
▼ジゴ母さん お返事ありがとうございました。ジコ母さんのお考え大体は理解できたと思います。 訓練、しつけ、関係というのはあくまでも個人的なことで、犬を飼うこと自体趣味の世界だと思っております。同じ趣味を持つモノ同士で「ココまでできるようになれば、社会のルールを破っても問題ないからやってもイイでしょ」との考えは一般社会には受け入れられるものではありません。 ノーリードってスピード違反に似てると思います。その運転者がF1レーサーであろうと若葉マークの初心者であろうと、歴然とした運転技術の差があるものの、歩行者にしてみれば両方とも恐怖の運転であることに違いないわけです。 ただ、プロのレーサー達は普段の運転は絶対に法規遵守だそうです。車の怖さを十分に知っているからとのお話でした。 犬も同じですよね。優秀なトレーナーになればなるほど犬に対しても自分に対しても決して過信せず、ノーリードには否定的ですよね。 今までの経験のなかではリード付きで多少不快な思いをしたことはありますが、ノーリードの犬にあったときのような恐怖を感じたことはありません。 ワタシの犬(30kgの雑種)はノーリードの犬に3回ほど襲われております。 一度は皮膚が破れて流血しています 相手の飼い主達の意識が高いか低いかなんてしるよしもありません。 意識の高低なんてノーリードにした時点で全く関係ないモノだとおもいます。 とっさの判断というのはその個人の過去の経験から導き出されるものだと思いますので、これから起こること全てに的確な判断ができるかどうか疑問に感じるところです。 >これは犬が苦手な人にも普通に受け入れてもらえるようになることに繋がっていると考えているのですが、こんな考えってどう思われます? 仰ることもわかるんですが、犬が苦手な人はできるだけ犬と関わりを持ちたくないと思っているでしょうし、不快な思いや迷惑を被りたくないというのが自然だと思います。今現在も受け入れてもらってると思うのですが、今以上に犬が苦手と思う人を作らないためにも最低ルールは守りましょうねということだと思います。 >> 危険な動物と思っている人たちがいるということを前提に考えていかなければいけないと思うのですが。 >でも犬が危険な動物でなければその人たちの気持も変わっていくような気がするのですがどうでしょう? うーん、どうでしょう。ノーリードかオンリードかの違いの方がよりわかりやすいですよね。実際、ワタシもノーリードの知らない犬が近づいてきたら怖いです。一応犬について調べ、つき合い方を学んでいますが、やっぱり怖いですよ。 ご近所に筋金入りの犬嫌いなおばあちゃんがいます。こんな畜生を飼う人の気が知れないと飼い主に向かって言う人です。でも、ウチの犬のことは認めています。理由は吠えない、おばあちゃんの長話に20分でも30分でも文句を言わず付き合うからだと思っていますが、かといって犬嫌いには変わりないんです。それはおばあちゃんとウチの犬との関係であって犬という動物に対する考え方を変えると言うことにはならないんです。 ですから、人の気持ちを変えようとは思いませんし、そうそう簡単に変えられるモノでもありませよね。 >人間がはるか遠い昔から犬と一緒に暮らしてきたのはなぜでしょう? >どなたかが書いていらっしゃいましたが(笑)犬が人間と心を通じ合わせることが出来、そして危険な動物でなかったから数々の動物の中から犬が人間のパートナーに成り得たのではないでしょうか。 ワタシは人と犬の利害が良いあんばいに合致したので、お互いにお互いをパートナーとして選んだんだと思っています。(笑) |
▼Nぽんさんへ >同じ趣味を持つモノ同士で「ココまでできるようになれば、社会のルールを破っても問題ないからやってもイイでしょ」との考えは一般社会には受け入れられるものではありません。 >ノーリードってスピード違反に似てると思います。その運転者がF1レーサーであろうと若葉マークの初心者であろうと、歴然とした運転技術の差があるものの、歩行者にしてみれば両方とも恐怖の運転であることに違いないわけです。 とてもわかりやすいです。私も同感です。 ▼ジゴ母さん 私もジゴ母さんのお考え大体は理解はできますが、スレッドの初めからなんとなくモヤモヤッとした感じで。。。 うまくまとまりませんが、それは >リードをつけてるから安心ではなくて、リードがなくても安心できるような『しつけ』を考えることが必要な気がするのです。 リードがなくても安心できるような『しつけ』がされている犬は危険ではない(?)、また、そのような『しつけ』をするのが飼い主の義務であり犬を飼うには必要なのだという認識が当の犬飼い自体にも全然足りないし、社会的にも認識度は低いと思われます。 その中で、 >私と犬の関係を見て犬のリードを離すならこれだけの意思疎通をはかれないとダメだということを感じ取っていただいてるように思います。 犬の苦手な方に感じ取っていただくには、まだ社会の成熟が足りないので、かえって逆効果になるケース(Nぽんさんのスピード違反の例のように飼い主の成熟度は犬の苦手な方には関係ないので。また、遠くから見てる方がどう思うかという点においても)が心配です。 リードをつけた状態で充分感じ取っていただけると、オンリードだからこそ感じ取っていただけると過去に犬が怖かった私は思います。今はまだそれがベストな社会の状態だと思います。 >例えリードをつけてても、そのリードを持つ人間の意識が犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける限り、リードがあろうがなかろうが犬は危険な動物にされてしまうのかもしれませんね。 リードがなくても安心できるような『しつけ』をした上で、さらに「犬は何をしでかすか分からないものという考えを持ち続ける」のはどんなに自分の犬を信用していようとも飼い主として重要なことと思いますが。飼い主さんがそういう認識でいるんだなと思えば周りの安心度はあがると、私はそう思います。 |
Nぽんさん、える〜!さん、それからアプリコットさん、 レスが遅くなってすみませんでした。 ひとつひとつの問いかけに対してレスを書こうと思いましたが、どうしてもこのような場合は堂々巡りになりがちですので、私が皆さんとのお話を通じて感じたことや日頃から思っていることを書くことをお許しくださいね。 まずノーリードについて、良い意味で見解に相違があるように感じています。 私は犬と暮らすにあたって犬が苦手なところからスタートしているせいか、自分の犬に対して、犬が苦手でも触れ合えるような関係を望んできました。 それは犬が好きとか嫌いとかの次元ではなく、大袈裟に聞こえるでしょうが、社会の一員として生きていくためのしつけを心がけています。 犬は私達家族の趣味で迎えたわけでなく特別な存在でもありません。 犬は家族の一員、社会の一員ととして共に暮していける存在だと思っています。 ただそれにはしつけや教育が必要で、それがノーリードにもできるしつけでした。 幸い私の犬はしつけが入りやすく、一緒に生活する上で犬ということを意識させない犬だったわけですが、同じ犬種でもその犬が持ってる性格や飼育環境によって同じようにいくとは限らないと思っています。 ですから全ての犬がノーリードでも大丈夫だと思いませんし、ノーリードにしてはいけない犬も存在するはずです。 でも現実はノーリードにするべきでない場所で犬を放したり、放すべきでない犬を放してしまう飼い主がいて困った状態になっています。 これらはノーリードにする飼い主の判断の基準を自分の基準でなく、社会の基準で考えることが望まれると思います。 ヨーロッパではそうやって犬がリードから離せるようしつけや教育が行われており、リードつきなら公共の交通機関やいろいろなところへの入場が許されているようですが、日本のように犬嫌いに配慮するといったものがあるのかということを考えた時、もしかしたら犬嫌いに配慮するのでなく、犬と共に暮す人は犬嫌いの人はもちろん、犬好きな人も犬に無関心な人もそうでない人も、また他の犬達など、社会の全てに配慮して自分の犬をしつけているのではないかと思われます。 もちろん自分のライフスタイルに合うような犬を選び、そして犬の性格に合わせた行動範囲を考えているでしょう。 私はそんな自然な犬との暮し方が日本でも普通になれば・・・と願っています。 私が思うノーリードは犬が社会に自然に普通に受け入れられることです。 単にリードで繋がれていいない状態は「放置」であって、ノーリードではないと思っています。 それから私は犬というものが人間にとって特別な存在でないと考えで、犬は時として何をするのか分からない危険な動物とは考えたくない気持を持っています。 でも私もほんの数年前まで犬は怖い存在でした。 今でもそれは変わらないのですが、苦手な犬と暮してみて犬が嫌われたり阻害される理由を考える時、それは犬の問題ではなくて飼い主の問題だということを改めて思い知らされています。 リードをつけていなくても見えないリードで飼い主と犬が繋がってる状態の飼い主さんがこの国でも増えることを願っています。 そして見えるリードと見えないリードの使い分けを上手にすることが犬の地位の向上に結びつくように感じてるのですが、こういうことを言うと日本では100年早いと言われることが多いのですが、さて、どうなんでしょうね?(笑) 私も無責任なノーリード(放置)には反対ですが、犬を家族として迎えた以上、犬を怖い存在にしたくないないと思っています。 そのために飼い主は努力を怠ってはいけないと思いますし、それがリードをつけることも1つの方法と考えています。 でもリードが全てを解決するんじゃないことを言いたかったのです。 さんざんお待たせしたレスがこのようなものでお答えになってない部分もありますが、どうかお許しを。 |
はじめまして、ジゴ母さん。 ジゴ母さんのお考えはある意味で理想的で素晴らしいお考えだと思います。 でも、それが日本の現実に合っているとは私には思えないのです。 自己判断のみで、ノーリード/オフリードにする飼い主がどれだけ多いことか。 その事が周りの迷惑になっていることに気付かない飼い主がいかに多いか! そして彼らは「きちんと訓練された犬とその飼い主」を見て、自分と自分の犬も可能と判断してるのが現状だと思います。 ジゴ母さんのお考えの表層だけ真似て、中途半端な訓練でノーリード/オフリードにする人がきっと出てきますよ。 「あの人がしてるから自分たちも」と言う状態である限り、囲いのある場所以外でのノーリード/オフリードしない方が良いと思います。 以下はおまけです。 下の私の書き込み[11]を読んでどう思いますか? 実はあれと同じような事故を他に3件知ってます。 いずれもヒート中の♀犬がらみでのノーリードの事故です。 1件はちょっと訓練の度合いが低かったようですが、残りの2件は本当によく訓練された犬だったそうです。 で、不思議だったのが欧米のサイトで同様の事故をほとんど見たことが無いのです。 (英語が得意じゃないので調べ方が悪かったのかもしれませんが) それで海外の友人に聞いたり、サイトで調べてみたんですが、一般家庭で飼う犬たちの多くは去勢や避妊をしているということがわかりました! (去勢・避妊をすると登録料が安くなる地域が多くありました。) 日本はどうでしょうか? かなり去勢・避妊への考え方が変わってきているとは言え、50%も無いと思うのですが・・・ つまり日本と前提条件の一つが違うのだと私は思ったのです。 危険要因が日本の方が少なくても1点多いのです。 |
去勢や避妊は大事だと思います。性の衝動は人間だって抑えられないものです。自然が生命にくれた子孫を増やしなさいと言う命令みたいなものです。我々に付き合ってくれている犬族はそれを無視しないといけない状態におちいっているのでしょう 日本では可愛そうの意味で去勢・避妊をしないのかも知れません、それは結果として性の衝動を無視する事を犬族にだけ押し付け人間は知らぬふりとなります。 自然がくれた命令を無視する苦しみを取り除くのは付き合ってもらっている我々の責任だと思います。 愛犬が自然がくれた命令を何時実行するか判らない状態にしておいて「訓練しているから大丈夫!自然の命令より私の命令を優先する。」 あり得ない過信です。 |
▼JBさんへ こんにちわ、JBさん。ご意見ありがとうございます。 >自己判断のみで、ノーリード/オフリードにする飼い主がどれだけ多いことか。 >その事が周りの迷惑になっていることに気付かない飼い主がいかに多いか! >そして彼らは「きちんと訓練された犬とその飼い主」を見て、自分と自分の犬も可能と判断してるのが現状だと思います。 >ジゴ母さんのお考えの表層だけ真似て、中途半端な訓練でノーリード/オフリードにする人がきっと出てきますよ。 >「あの人がしてるから自分たちも」と言う状態である限り、囲いのある場所以外でのノーリード/オフリードしない方が良いと思います。 そのとおりなんです。目立つ言動&犬種の飼主がノーリードする。すると、それを見て「じゃあ、うちの犬も大丈夫だ」と考えて同じことをやり始める。気がつくとなんと、「犬仲間」でかたまったノーリード軍団のできあがり。皆でやれば怖くない、です。 一般の方の「何やってるんだ、危ないな」と言う無言の抗議なんか感じる事も無く。 ジゴ母さんに改めて伺いますが、これってマナー違反ですよね? もしも自分の事を他人に理解して欲しいのならば、まず誤解されないような配慮が必要でしょう。それは「うちの犬は良く躾てあるから大丈夫!」と主張する事ではない、と思いますよ。 こういうノーリード軍団を見る限り(一人でやってても同じですが)、「自分達の世界」にどっぷりで、周囲のことなんかお構いなし、にしか見えませんよ。(「オタッキー」に見えるとの指摘あり。) 犬の素晴らしさを周囲にわかってもらいたいなら、ノーリード軍団を作るので無く、他の方法があるのではないでしょうか。 >で、不思議だったのが欧米のサイトで同様の事故をほとんど見たことが無いのです。 >(英語が得意じゃないので調べ方が悪かったのかもしれませんが) >それで海外の友人に聞いたり、サイトで調べてみたんですが、一般家庭で飼う犬たちの多くは去勢や避妊をしているということがわかりました! >(去勢・避妊をすると登録料が安くなる地域が多くありました。) > >日本はどうでしょうか? >かなり去勢・避妊への考え方が変わってきているとは言え、50%も無いと思うのですが・・・ >つまり日本と前提条件の一つが違うのだと私は思ったのです。 >危険要因が日本の方が少なくても1点多いのです。 これは私だけの経験かもしれませんが、避妊去勢を心がける飼主は意識が高い方が多いようです。つまり、犬の健康管理はもちろん、しつけなんかもできるだけがんばったりする等ということかな。飼主としての責任をしっかり考えている、ということでしょうか。 少なくとも、衝動買いで犬飼ったり、繁殖させたり、放し飼いにすると言う方は皆無ではなくてもあまりいないようです。 まあ、いまだに「避妊去勢すると犬が駄目になる」「動物は自然のままが良い」「体にメス入れるのは可哀相」と言い張る飼主が圧倒的なのが現状ですが。 欧米の飼主さんだとこんなこと言う方が少ないのでしょうね。 |
一人で頑張られていますね、オフリードの是非、 是を前程に考えていくとなかなか意見がかみ合わず堂々巡りになります。 多分ジゴ母さんはオフリードを肯定している分けではないのでしょう、 >まずノーリードについて、良い意味で見解に相違があるように感じています。 私は犬と暮らすにあたって犬が苦手なところからスタートしているせいか、自分の犬に対して、犬が苦手でも触れ合えるような関係を望んできました。 私は以前こちらのliving-with-dogさんにも言った事がありますが犬仲間はあまり好きでは有りません、 理由は仲間入りをする事によって花子が自分と離れた関係になってしまう気がします。. 私のイメージする犬仲間はこうです。犬について語ろう、又は情報交換をしよう、犬と一緒に遊ぼう、話題は犬とどう付き合うか、悪く言えば犬をどんな扱いをすれば楽しめるか、そんな相談仲間になります。 公園デビューは犬仲間の集まりの一種かも知れません、愛犬自慢、愛犬談義、楽しいひと時が過ごせるのでしょう、 NHKの教育テレビで趣味の時間だと思いますが、 たしか「 しつけが終わった後公園で他の犬との付き合い方を学びましょう」そんな内容が放映されました。 私が思うにそれは公園での集団オフリードを助長させる様であまり感心が出来ません、 しかも犬を趣味にする事自体、あまり好ましくはありません たしかに飼うきっかけは趣味からかも知れませんが最後まで愛犬を趣味の世界で扱って行く人がいるとすれば趣味に飽きたら如何するのでしょう? 殺処分が待っているかも知れませんね、 NHKともあろう放送局が公園デビューも含め片手落ちの放映です。 犬仲間の主人公は愛犬ではない気がします。あくまでも人間を中心とした関係です。それでは愛犬はどんな立場かと言うと飼い主の楽しむ玩具になってしまっている気がしてならないのです。 私はバイク仲間がいます。バイクで楽しむ仲間ですね、バイクをどう乗りこなすか、新しいバイクは 話題はバイクを自分の楽しむ道具もしくは玩具としてどう扱うかです。 猟犬を考えるでも書きましたが 花子と私は犬対人間です。私は花子がとても好きです。私や私の家族の仲間になって一緒に旅行や山に出かけてほしいと願っています。私にとって花子は仲間の一員です。 >自分の犬に対して、犬が苦手でも触れ合えるような関係を望んできました。 それはジゴ母さんのご家族以外の犬が苦手な人でしょうか? もしそうであるとすれば無理だと思います。 かみさんの友達に大の犬嫌いの人がいます。我が家に来ますが、花子が近寄ると「駄目駄目駄目 こないで こないで こないで」そう言います。しかしオフリードで花子がいても大丈夫なのです。理由は飛びついたり勝手に近寄ったりしないことを知っているからです。 花子はかみさんの友達と触れ合う事を望んでいません、嫌いでも好きでもないのです。 花子にとって友達は空気の存在ですね 花子がオフリードでもその友達が大丈夫な理由だと思います。 (自分の犬に対して、犬が苦手でも触れ合えるような関係)如何してそんな必要があるのですか? それは犬仲間を増やしたいからですか? 犬が苦手な人がジゴ母さんの愛犬と触れ合わなくても良いじゃないですか、私にはその必要性が分りません、 >それは犬が好きとか嫌いとかの次元ではなく、大袈裟に聞こえるでしょうが、社会の一員として生きていくためのしつけを心がけています。 頑張りますね、ジゴ母さんの愛犬は我々人間の様に社会で働かないのでしょう、ジゴ母さんが最後まで守って上げられる存在です。 ジゴ母さんが幸せにする気持ちさえあれば何ら問題はないと私は思います。 実は花子にはこれがしつけと言うしつけはしていないのです。先にも述べた様犬仲間は好みません、私は花子と二人だけの関係は重要に思います。たとえ花子が言う事を聞かなくてもしつけで花子を訓練所に出す事は絶対しません、私は花子と一緒に暮らしています。その暮らしている人間の言う事でなく一寸会った人間の言う事を聞いたらおかしな話だと勝手に思っているのです。 私は 少し位言う事を聞かなくても良いのです。ツケが出来なくても、マテが出来なくても、何時しか出来れば儲けもの、吠える性格であればその様な場所に行かなければいいのです。愛犬と家族と楽しめる場所はいくらでもあると私は思います。 >犬は私達家族の趣味で迎えたわけでなく特別な存在でもありません。 >犬は家族の一員、社会の一員として共に暮していける存在だと思っています。 家族に一員として暮らしていける存在もそうですが、社会の一員に関しての考えは私とまったく逆の発想ですね、花子はあり難いことに私や家族を第一に、後はいてもいなくてもそう思っていてくれるのでしょう、他人にとって空気的存在です。それが結果として花子と一緒に登山をして山で一員として受け入れられる存在になれたのかも知れません しかし山では旅行とは違い長年登っているせいか他の登山者の方を、仲間と思っている様です。声をかけられれば軽い挨拶をします。軽い挨拶と言うのが重要です。他の人からすれば安心の要因です。公園で小型犬に駆け寄るワンちゃん、私は訓練やしつけで制御が出来ないと思います。 >ただそれにはしつけや教育が必要で、それがノーリードにもできるしつけでした。 >幸い私の犬はしつけが入りやすく、一緒に生活する上で犬ということを意識させない犬だったわけですが、同じ犬種でもその犬が持ってる性格や飼育環境によって同じようにいくとは限らないと思っています。 ノーリードにもできるしつけと言うところが判らないところです。例えば呼びが聞くとか、他の人に勝手に近寄らないとかです。もしフレンドリーで他の人が大好きと言う性格でオフリードなら公園でのワンちゃんと同じになりますね、 >ですから全ての犬がノーリードでも大丈夫だと思いませんし、ノーリードにしてはいけない犬も存在するはずです。 でも現実はノーリードにするべきでない場所で犬を放したり、放すべきでない犬を放してしまう飼い主がいて困った状態になっています。 その通りです >これらはノーリードにする飼い主の判断の基準を自分の基準でなく、社会の基準で考えることが望まれると思います。 多分何時いかなるときでも、社会の基準はオンリードです。オフリードの基準はあくまでも周りの人に対し慮した個人の判断です。 >ヨーロッパではそうやって犬がリードから離せるようしつけや教育が行われており、リードつきなら公共の交通機関やいろいろなところへの入場が許されているようですが、日本のように犬嫌いに配慮するといったものがあるのかということを考えた時、もしかしたら犬嫌いに配慮するのでなく、犬と共に暮す人は犬嫌いの人はもちろん、犬好きな人も犬に無関心な人もそうでない人も、また他の犬達など、社会の全てに配慮して自分の犬をしつけているのではないかと思われます。 もちろん自分のライフスタイルに合うような犬を選び、そして犬の性格に合わせた行動範囲を考えているでしょう。私はそんな自然な犬との暮し方が日本でも普通になれば・・・と願っています。 難しい問題ですね、ヨーロッパは犬に関しては土台が違うかも知れません、 >私が思うノーリードは犬が社会に自然に普通に受け入れられることです。 単にリードで繋がれていいない状態は「放置」であって、ノーリードではないと思っています。 >それから私は犬というものが人間にとって特別な存在でないと考えで、犬は時として何をするのか分からない危険な動物とは考えたくない気持を持っています。でも私もほんの数年前まで犬は怖い存在でした。今でもそれは変わらないのですが、苦手な犬と暮してみて犬が嫌われたり阻害される理由を考える時、それは犬の問題ではなくて飼い主の問題だということを改めて思い知らされています。 私もその通りだと思います >リードをつけていなくても見えないリードで飼い主と犬が繋がってる状態の飼い主さんがこの国でも増えることを願っています。そして見えるリードと見えないリードの使い分けを上手にすることが犬の地位の向上に結びつくように感じてるのですが、こういうことを言うと日本では100年早いと言われることが多いのですが、さて、どうなんでしょうね?(笑) 私はリードによって犬の地位は左右されないと思います。 きっと別のところに原因がありますよ、逆にオフリードにあこがれて犬を買ったが途中挫折して殺処分にもなりかねません >私も無責任なノーリード(放置)には反対ですが、犬を家族として迎えた以上、犬を怖い存在にしたくないないと思っています。そのために飼い主は努力を怠ってはいけないと思いますし、それがリードをつけることも1つの方法と考えています。でもリードが全てを解決するんじゃないことを言いたかったのです オフリードもオンリード何れも全ては解決出来ません、私の個人的意見では愛犬とそれと付き合っている人間との関係だと思います。しつけが全てでも無いかとも思います。 それと犬を怖い存在であっても良いのではないかと思います。私は今花子と暮らしています。花子が社会の一員か否か分りません、花子は花子です。社会の一員でなくても私には一向にかまいません、 ジゴ母さんには申し訳ありませんが「 犬を怖い存在にしたくない努力を怠ってはいない 」 その結果がオフリードなら「 家の子良い子 努力をしている 」 オフリードでも大丈夫 公園でのオフリードとさして代わりありません、毎日努力しているのであれば疲れますし、遊ぶ事も出来ないでしょう もし公園でのオフリードが許されるとして、その傍にいるワンちゃんは静かに飼い主との時間を楽しめるワンちゃんがその資格を有するのかも知れません、他のワンちゃんにちょっかいを出したり、通行人に飛びつくワンちゃんには許される資格は無いと思います。もちろん社会が受け入れてくれるとは思いません、 公園でオフリードなんてしなくても良いのです。そうしなければ良い子悪い子に関わらず誰からも文句は言われません、愛犬と二人の関係を大事にすれば 良いのではないかと思います。 きっと愛犬自信が社会的一員になってくれます。多分 自信は有りませんが |
石川の田舎と言えどリードは必要だと思います。しかし現実はついついオフリードの癖がつき 良くリードを忘れ出かけます。花子とは買い物、旅行、登山と会社と以外は四六時中付き合ってもらっています。リードを忘れるのは買い物の時です。 そう言う時は車から降りないか、降りたとしても スーパの入り口の横 人通りの少ない場所でかみさんを花子と二人で待ちます。 オフリードオンリードに関わらず。相手の了解を得ずこちらから近寄るのは良くないと私は思います。だからと言って旅行途中都会の雑踏を花子と歩きます。信号待ちや商店街では隣を歩く人とは目と鼻の先です。 犬嫌いな人がいるか否か判りません、 ジゴ母さんが言われる様な時にはオフリードでも大丈夫なしつけと言う様なものをしておかなければならないと思います。 雑踏の中目と鼻の先に人がいる状態で 我が家の花子は大丈夫、そう言う理由でオフリードはしていません、正直に言うと私はかみさんによく言われます。「すぐリードを放すのだから」そう言う意味では あまり偉そうな事は言えません、何処にでもいる「我が家のワン子は名犬だ」 かも知れません 私は旅行が好きで花子と一緒に家族で出かけます。 オフリード犬で印象に残ったのは九州と本州の境、関門海峡、山口県側の高速のPA 壇ノ浦での光景です。 連休中でもあってPAには人は多かったと思います。 60歳位の男性の後ろを白い小型犬がオフリードでついて来るのです。 その犬はオフリードにおいても危険な状態では無いと感じました。 でも私が感じたのは不自然さです。 「 変な光景だな なんでこの人ごみの中をオフリードなのだろう、 」なんとなくその男性はオフリードを自慢している様にも見えました。 悪く想像すれば過去に誰かに誉められたのかも知れません、「 お宅のワンちゃんすごいですね 」 もしそうなら一部の人の意見かも知れません 大多数の人は私の様に思っているかも知れません、 それがあたかも全ての人がそう思っていると錯覚すれば、男性の行動は納得出来ます。 花子と一緒に暮らし、しかも田舎暮らしの為リードを付けない派です。 一般の人どう思うのか考えてしまいます。 私と花子の関係においてもこの男性と同じ目で見られているかも知れません、 その事を念頭において私は慎むべきところは慎まなくてはいけないと思っています。 東京のお台場に行った時海辺で数頭の大型犬に水遊びさせているのを見かけました。それとオフリードでミニチュアダックスフンドと遊ぶ女性です。 人が多いと言えどかなり距離はあります。 別に不自然さは感じませんし悪い事の様にも思えません、 しかも都合が良い事に洗い場がいたるところにあります。つい思うのは「 これって 犬専用のシャワー 便利なものだ」そう思った事です。 オフリードで 花子、かみさん、私の三人でテレビ局の対岸のあまり人が多くない場所を散歩した記憶があります。犬はヒート中もあるからそれも駄目だ、そう言われればそうです。 しかし辛い面があります。 犬は一生飼い主のリードから離れる事無く過ごし大好きなご主人との追いかけっこやボール遊びは出来ません、 「 ドッグランに行けば良い 」その通りかも知れません、私はドッグランに行ったことは有りませんから判りませんが、愛犬と二人で遊べるのでしょうか? ミニチュアダックスフンドと遊ぶ女性がもし犬と二人で遊びたいと思った時はどうなのでしょう、 小型犬は大型犬を常に気にしながら遊び、かつ遊びましょうのおせっかい飼い主がいるかも知れません、 私はジゴ母さんが言われる オフリードでも大丈夫なしつけは賛成です。でもそれが出来るからと言って壇ノ浦の男性や、公園でオフリードにし他の犬に近寄っても「 うちの子大丈夫 」には賛成出来ません 生意気にも提案させて頂くとすれば、ジゴ母さんが言われる、「 犬は家族の一員、社会の一員として共に暮していける存在、 」その通りかも知れません、しかし私は社会的一員の逆の発想で花子と付き合ってきました。 つまり自分と花子、花子と家族、それが成り立ち、かつ他人に迷惑をかけなければ良いと言うことです。 私は花子と山に行きますが、しかし犬と山や行って糞の始末飼い主が如何に多い事か、 非常識にも山の水場に糞を放置して来るのです。他人に迷惑をかけないどころでは有りません、 大迷惑です。 他人が見ていない場所では何でも出来ます。 枯れ草で隠し山が浄化してくれるとも言うでしょう、隠すと言う行為は他人が見れば不愉快に思うと分っている事ですし、始末しないのはただの自己中心的人間です 何れも下品ですね、誰もが知っている最低ラインのマナーです。守れないはずはありません この逆発想が地元ではありますが花子を山の一員をして仲間にしてもらう事が出来ました。臨時会員ですけどね、 私は身長183センチ 体重 85kg 花子身長不明 体重47kg このデカデカコンビが良いのでしょう、但し会員は花子だけですが ジゴ母さんは愛犬との時間を大事にされたら如何でしょう、しつけもあまり頑張らず。適当に、少しいい加減な位で、うまく行かなくても愛犬やその家族と暮らすには支障ありません |
▼ジゴ母さんへ あのー、放している人いますけど、日本の法律ではノーリードは禁じられています。賛成とか反対とかもあるでしょうけど、この事実をみんなが周知する事の方が大切でしょう? 日本では、どんなにおりこうちゃんでも、どんなに完璧にしつけができていても、ノーリードで問題が生じて裁判になったら絶対に負けます。だって、法律違反ですから、罪人です。 そのリスクをおしてノーリードにするならしかたないですけど、法律を知らないならそれは問題ですね。 狂犬病の予防注射といっしょでしょ?今の日本で必要か不要かっていったら、不要ですよ。でも、法律で決められているから、賛成とか反対とかもあるでしょうけど、ちゃんとしないとね。 |
ジゴ母さんの仰りたいこと、理解できます。 特にドッグ・スポーツを楽しまれる方などは、オフリードじゃなければ出来ませんし・・・。 私は市街地に住んでいますが、道路ではリードはかけます。 100%迄は信用できませんので・・・。 オフにする時は車で、河原や、原っぱなどの見晴らしの良い所に行きます。 犬や人がチラッとでも見えたらリードをかけてしまいます。 もし犬が遊んでいたら、ロングリードに切り替えます。 荷物が多くて面倒ですが、何かあったらそっちの方がよほど面倒ですから・・・。 |
PCの前でゆっくり座る時間が取れなくて、今頃になってしまいました。 遅レス、どうもすみません。 私がここで問題提起したかったことは、例えリードをしていてもそれで安心なのか?ということでした。 それが最初のえる〜!さんの投稿に対するレスでした。 リードをつけているにも関わらずすれ違いざまに飛び掛って服を噛んだということを考えた時、もしリードを手から離れてしまったらもっと大変なことになったと周りに思わせるような状況は普通ではないと感じたからです。 このような危険を回避するために何らかの対処がなされてたのか?という疑問がありましたし、もし「万一」リードが手から離れてしまったとき、何が起こっても犬だから仕方ないで済ませてよいものか?という思いから、例えリードが無くても大丈夫なようなしつけなり訓練をしておく必要があると書かせていただきました。 もちろん皆さんが危惧していらっしゃるように、何の練習もしないままリードを放してしまう飼い主もいると思います。 そしてそれを見て『法律』や『条例』を持ち出して禁止行為だから止めろと言う方が少なからずおられるのですが、禁止行為だからリードを放してはいけないのでしょうか? そうではありませんよね。 これは犬を危険な目にあわせたり他の人の迷惑になるから無責任に犬を放すのを止めるべきであって、禁止行為だからやってはいけないなどという声を聞くと同じ犬と共に暮す仲間として寂しく感じるのです。 そして行政の力を借りないと解決できない問題になってるところに、犬との暮らしに行政の力がどんどん入り込んでしまった状態を想像してしまうてしまうのです。 もっとも同じ行政の力を借りるなら、犬の飼い方やしつけ教室への参加の義務付けなら大いに賛成です。 犬が成長すると共に飼い主の意識も成長するはずです。 それは飼い主の気が届かなかったことに気付いたり、知らないことを知るきっかけになると思いますし、とても前向きな考えだと思うからです。 その中からリードの必要性を学べたら簡単にリードを放すことがいかに危険なことなのか、飼い主自身が知ることになると思うのです。 私の犬は「訓練所に入れたのですか?」と聞かれることが多いのですが、訓練所はおろかしつけ教室さえ無縁で、いわゆるしつけのマニュアル本さえ買ったことがありません。 インターネットも数年前に始めたばかりで、あ〜〜こんな方法があったのかと感心することが多いのも事実です。 それでも私達の暮し方に合うようにしつけや教育をすることで、何処へでも連れて行ける犬になってくれました。 でも最初からそうではありません。 少しずつ「なんちゃって訓練ごっこ」をコツコツやってきて、やっとここまできたという感じです。 もし訓練所に通ったり試験を受けるために練習してたら、もっと早くから出来るようになっていたかもしれませんが、 私達にとって大切なのは信頼関係を築くことであって、試験に合格することではないのでこれから先も試験にチャレンジすることはないと思います。 それに聞くところによると試験に合格するには命令は一度できかせないといけないんですよね? 私の場合、2度でも3度でもそれが出来ればOKですし、ここでは書けませんがとんでもない決め言葉も持ってて、それを言うとたちまちいうことを聞く良い子になるんです。 でもそんなコマンドは試験では使えないですからね。(笑) 犬のしつけを考える時、飼い主が犬とどのような暮し方を望んでいるか? それだけなんだと思います。 ヨーロッパで犬が普通に暮してるのもそうではないでしょうか。 私達の場合、家の中で出来ることは外でも出来ることと、外で守っているルールやマナーは家の中でも同じであることを求めています。 その方が犬も混乱なく受け入れることが出来ると思いますし、教える方も簡単だと思っています。 たぶん、犬と上手く暮しているヨーロッパの犬飼い達も難しい訓練などしてないと思います。 犬との暮らしをどういうものにしたいかというビジョンを持ってるだけで、犬を特別な存在に思ってないからこそ、社会も受け入れてるんだと思うのですが・・・。 ところで先週末の連休は1泊2日で海水浴へ行ってきたのですが、お世話になった民宿は犬連れOK宿ではありませんでした。 今年3月にも同じ宿に飛び込みでお世話になり、犬は車中泊のつもりだったのが、宿のお母さんの「家族なんでしょ?」のツルの一声で同じ部屋で一夜を過ごすことができました。 今回も予約の時に「犬連れ」であることを言ったところ、満室なので他のお客様に迷惑になるようなことをしないなら、と承諾してもらいました。 我が愛犬もその期待にこたえてくれ、ゆっくり静かな時間を過ごすことができました。 朝の散歩の後で犬の足を拭いてた時に宿のお母さんに「良い犬なんだから子供を作って売ればいいのに」と言われてしまいましたが(汗)、 純血種は生まれ持った病気が多く私の犬もその病気を背負ってて、子供にそれを受け継がせるとまたかわいそうな犬を増やすことになるし、生まれた子供の行き先も心配だから生ませないよう去勢してることを話すと、 「そうなの〜いい犬だからって産ませると、また可哀想な犬が生まれることになるのね〜」と純血種だからといって簡単に子孫を残すことが危険な場合もあるということを理解してもらえたのが嬉しかったです。 最後に、ノーリード反対を唱える方が多い中で私のような書き込みが反感を呼ぶのは分かっていましたし、また書き込みをすることが無謀(笑)なことは、分かっていました。 でも私は冒頭にも書いたとおり、リードがあっても第3者に危機感を感じさせることの方が問題だと思ったのと、こちらのサイトのコミュニティーは冷静に話ができる場だと信じて書き込んだのですが、正直言って疲れますね。(笑) でもレスが遅いのは物理的な理由ですのでお気遣いなく。(汗) |
オフリードにしても大丈夫な訓練は私の大事だと思います。 万が一の危険回避になりますからね、 大型犬は牽引力も強く年寄り子供の扱える範囲を超えているかも知れません、その場合リードがすべて安全だとは言い切れません、 私のお袋の事故例の様に、花子の威嚇行為の為引き倒された後、更に花子が相手の犬に攻撃を仕掛けたとすれば、周りを巻き込み大事故になるかも知れません 花子がお袋を引き倒した後、威嚇行為をその場て止めたのは命令では無いはずです。花子は「しまった!」そう思ったのでしょう、そう思わなければ威嚇を止め、お袋の顔を舐めには行きません、 オフリードが悪い誰もがそう言えます。理由は「 危険だから 」その通りであり、この反論に誰もが逆らえません、公園で集団の力を借りてオフリードにする人たちがいるとすればそれは危険です。 でもオフリードでも大丈夫な訓練なりしつけを唱える人に反論するのは本末転倒の様なきがします。 今はいませんが、かみさんの実家に次郎と言う雑種犬がいましたが、ある中型犬2頭による噛みつき事故にあったそうです。 リードを持っていたのは小学生6年生位の女の子、次郎のリードを持っていたのはかみさん、 女の子の力が弱い為引きずられて結果そうなったそうです。しかし女の子も努力したそうです。 愛犬の頭を足で抑え・・・・ 次郎は首輪が外れ無事脱出、 耳に軽い傷を負ったそうです。 近所ではお婆さんが紀州犬による噛みつき事故 田舎でも犬絡みの事故は多くあるのでしょう、私の知っている限りお袋を含め3件、それはオフリードだからそうなったとは必ずしも言えません、飼い主のモラルもあるだろうし飼い方にも問題があります。 犬を家畜同然に扱っている状態において、人ごみでの散歩はリードを付けていた状態にあっても危険かも知れません、愛犬と一緒に旅行や山に出かける、私はそんな中において愛犬自身が隣を歩いている人は自分に害を与えない事を認識するのではないかと思います。 愛犬とその相棒である人間のと関係はとても大事で、もしその関係が薄いものであれば、犬は他のものに興味を示す気がします。その反対に愛犬との関係が深いほど犬は人間との関係を重視する気がします。その事がしつけかも知れません、 >最後に、ノーリード反対を唱える方が多い中で私のような書き込みが反感を呼ぶのは分かっていました 何事も正論には勝てません、しかし正論は論理であって実はありません、誰もに共通に当てはまる事柄を表したものだと思います。それに逆行する意見は疲れるものです。 どちらかと言えば悪者になり損をする立場です。 私も非難を浴びる意見を言うとすれば、花子は我が家では終日オフリードです。 近所で有名かも知れません、昨日朝、花子と庭でボケ〜としていると 家の前のマイクロバスが停車するのです。隣町のスイミングクラブのバスです。 運転手が降りてきて「花ちゃん久しぶり」 花子もやたら尻尾を振って喜んでいます しかし私の知らない人です。新聞に出たせいかも知れません、 花子は私より近所では知られているのかも知れません、 私もオフリードにしても大丈夫な訓練には賛成です。でも街中や公園など不特定多数の中でのオフリードは愛犬にとっても危険ですから反対です。その事についてはジゴ母さんも同じなのでしょう 余談ですが昔猟をしていた方に花子の子供を望まれました。「花子は避妊しています」とお断りいたしました。多分私は花子の分身が出来たとしたら誰にも譲れない気がします。もし譲れるとすれば私以上に可愛がってくれる人でしょう、外で飼うなってとんでもありません、犬にとって誰かの傍にいる事は大事です。それを満足させて上げなければ言う事は聞いてくれない気がしますし犬にとっても不幸せな事です。 |
私もなんちゃってトレーニングをしているクチですが、何でやっているかと言えば やはり何処にでも一緒に連れて行きたいからと、犬を飼っているというだけで 人にやはり配慮しなければいけないので、迷惑をかけたく無いから、後は犬と暮らしているからには一緒に遊びたいからです。 公園でトレーニングする時は隅のほうでやりますし、ロングリードをかけておきます。いざという時リードを踏めますし。 リードのオン、オフより、他人に配慮できるかどうかじゃないかと思いますが・・・。 しつけをしている方たちは、何かあったら大変だ位もちろん知っているから、しつけをしているんですよね。 |
▼しろいぬさんへ >公園でトレーニングする時は隅のほうでやりますし、ロングリードをかけておきます。いざという時リードを踏めますし。 >リードのオン、オフより、他人に配慮できるかどうかじゃないかと思いますが・・・。 私は犬仲間はあまり好きではありません、犬仲間が嫌いと言うと反感をかうかも知れませんが 理由は花子と家族と出かける事が目的で、それ以外目的が無いのです。 基本は他人に配慮、つまりは迷惑をかけない、簡単でも難しい事かも知れません基本的に公園のオフリードは駄目だと思います。「私は公園オフリードにしてます。何か問題でも?」 そんな事を書いたら袋叩きです。 都会では愛犬と遊ぶのもままならないのでしょう? 早朝誰もいない事を前提にオフリードの訓練をほんの少し行うとしても責める事は私は出来ないと思います。 もちろん糞やその他の後始末はきちんとしての話です。 >しつけをしている方たちは、何かあったら大変だ位もちろん知っているから、しつけをしているんですよね。 しつけの配慮は大事です。私はどうも山でのマナーと一般のマナーがダブってしまいます。山の事例も申し訳ありませんが、リードを付けていても飛びつく犬やいきなり吠えるのであれば山では大迷惑ですし危険です。 湿原の木道でリードは付けているが犬は木道を外れ湿原を歩く、登山者の方たちは苦々しく思っています。 それなら木道手前で引き返すことです。「犬だから仕方がない」そう言う言い訳をする人が現実いるのです。 ここで論議されているのは 公園のオフリードだけではないはずです、仮に山で他の登山者の方に吠え付いて転落でもさせたら全国版のニュースになりかねない大事件です。リードを付けていてもです。 |
▼ジゴ母さんへ >最後に、ノーリード反対を唱える方が多い中で私のような書き込みが反感を呼ぶのは分かっていましたし、また書き込みをすることが無謀(笑)なことは、分かっていました。 >でも私は冒頭にも書いたとおり、リードがあっても第3者に危機感を感じさせることの方が問題だと思ったのと、こちらのサイトのコミュニティーは冷静に話ができる場だと信じて書き込んだのですが、正直言って疲れますね。(笑) これは違うと思います。 いつもノーリードの話になると出てくる内容ですが、リード付きでも危険な犬は根本的に飼い主が悪いことは分かり切っています。 これに異論がある人はほとんどいないでしょう! ノーリードにされてる方の多くが同じような事を言われます。 「リードをしていても危ない犬はたくさんいる。ノーリードにできる訓練をすべき」と! ここで意見されている方の多くは、「リードしてても危ない犬がいる」事くらいわかっていると思いますよ。 そして、この場が「リードしてても危ない犬」の訓練等について述べる場所ではなく、「オフリード/ノーリード」にする事について話し合う場だから、ジゴ母さんと他の方の意見が噛み合わないのでしょうね。 論点が違うのです。 |