Page 6 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼生体展示販売といわれても… nolica 03/9/2(火) 12:45 ┣Re:生体展示販売といわれても… ジョアンGR 03/9/2(火) 23:29 ┃ ┗Re:生体展示販売といわれても… あけみ 03/9/8(月) 21:24 ┗Re:生体展示販売といわれても… 西鶴 03/9/16(火) 4:46 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 生体展示販売といわれても… ■名前 : nolica ■日付 : 03/9/2(火) 12:45 -------------------------------------------------------------------------
皆さんからは非難されそうですが、敢えてこのサイトの主流の意見に真っ向から対立する意見を出してみようと思います。 私は犬やら猫やら…要するにペット全般をお金を払って手に入れたことは無いですが、ペットショップなどのこのサイトで表現するところの「生体展示販売」を非難することはしません。 もちろん動物を殺して毛皮を取ることも、鯨を食べることも、医療関係の実験で動物を大量に犠牲にすることも正しいことだと信じています。 ペットとして売られる動物の種類は多種多様です。メジャーなところでは犬、猫、文鳥、カブトムシ、クワガタ、etc.すこしマイナーなところではポケットモンキー、フェレット、トビネズミ、イグアナ、など、挙げればきりがありません。 まして、売られていなくてもペットになり得る動物となると、最終的には該当しない動物の方が少なくなるのでは無いでしょうか? その中で、「虐待してはいけない動物」を何を基準に選ぶのでしょう? 一概に「生き物」と言ってもウイルスのように生き物と物質の中間みたいな物、ミジンコのように辛うじて視認できるもの、そして所謂「生き物」といわれるもの、ミドリムシのような植物か動物か分からない物と、色んなタイプの生物が当てはまります。 その中で、動物愛護系の人が「殺すのはかわいそうだ」とか「商品として扱うべきではない」と主張するのは可愛い動物だけです。 例えば十二指腸虫が腹に居たら、皆さん薬を飲んで一網打尽にしますよね?私も何のためらいも無く全部退治します。山から熊が下りてきたら猟友会の人たちが射殺しますよね。個人的にも危なげだから退治して欲しいです。でも十二指腸虫だって種の保存の本能はあるのわけで、多分殺されたくは無いでしょう。熊にしても食べ物が無いから仕方なく山を降りてくるんであって、殺されに来てる訳じゃないでしょう。そう考えるとかわいそうな話です。 それでも彼等は殺されてしまう訳です。生きていることが人にとって有害だから。それとは逆に、毛皮や牙のみが商品価値が高いという理由、薬の実験に使いやすいと言う理由等、ある方法で殺すことで有益だから殺される動物も多々居ます。 ペットショップにしても同じで、売れそうなうちは価値があるから生かしておくけど、そこまで環境をよくする理由が無いからぎりぎりの状態でしか飼わない。そして売れ残った商品価値の無い動物は生かしておいても維持費がかかるから処分される。言ってしまえばそれだけの事なんです。 私も、保健所に引き取られた動物や、新薬の実験に使われる動物がかわいそうだとは思います。でもそれは飽くまでも「可愛いから」なのです。 それを基準に「殺すべきではない」と言い始めると、とてもグロテスクな事になります。その典型が、牛を食べる白人(の一部の人)が韓国人の犬食を非難したり、海の生態系を乱している張本人の鯨を食べちゃ駄目だと日本を非難したりと言うことでしょう。 動物と人間は、決してパートナー同士という横の関係にはなることは出来ません。常に「飼う側と飼われる側」の縦の関係でしかありえません。 そう考えると、その職業で生活している人が居る以上ペットショップを非難する気にはなりません。毛皮だって象牙だって綺麗だから欲しいですし。 結局何だかんだと理由を付けてみても、人間の行動は、最終的には「人間の為」でしか有り得ないです。人にとって有益か有害か…金銭面と精神面の両方でどうすることが結局満足いくのかでしかないんだと思います。 血統書付きと言う名の近親相姦を繰り返した品種の存在や、しつけと言う名目で強いる強制的な行動抑制…言ってしまえば全てが人のためでしかないんです。 動物愛護の精神も同じです。食用にされようが単に虐待されようが、最終的に死ぬのなら被害者にとってはほとんど違いは無いでしょう。 そこに動物のためだとかの理由付けをする事は、なんだか卑怯な気がします。 |
▼nolicaさんへ >皆さんからは非難されそうですが、敢えてこのサイトの主流の意見に真っ向から対立する意見を出してみようと思います。 おおいに結構ですが、敢えてこのサイトに書き込む人たちの感情を逆なでするかもしれないという覚悟での提起と受け止めました。非常に貴重な意見です。実はこういう考えの人がいるんじゃないかなあ、と憶測していました。 >例えば十二指腸虫が腹に居たら、皆さん薬を飲んで一網打尽にしますよね?私も何のためらいも無く全部退治します。山から熊が下りてきたら猟友会の人たちが射殺しますよね。個人的にも危なげだから退治して欲しいです。でも十二指腸虫だって種の保存の本能はあるのわけで、多分殺されたくは無いでしょう。熊にしても食べ物が無いから仕方なく山を降りてくるんであって、殺されに来てる訳じゃないでしょう。そう考えるとかわいそうな話です。 では、生き物はみんな可愛そうだからといって、みすみす熊や十二指腸虫に襲われ(?)て自分の命を捨てますか?そうではないですよね。人間社会に害悪だから処分するのです。でも、こうした社会に生きている以上、人間中心の利己主義を非難できる立場ではないですよね。 >ペットショップにしても同じで、売れそうなうちは価値があるから生かしておくけど、そこまで環境をよくする理由が無いからぎりぎりの状態でしか飼わない。そして売れ残った商品価値の無い動物は生かしておいても維持費がかかるから処分される。言ってしまえばそれだけの事なんです。 だからこそ、パートナーになりうる動物を生体販売するのに反対している人々がいるということがお分かりになりませんか。私は、パートナーになりそうに無い哺乳類を販売すること自体も反対ですし、爬虫類や魚類の販売も賛成はしませんが。 >私も、保健所に引き取られた動物や、新薬の実験に使われる動物がかわいそうだとは思います。でもそれは飽くまでも「可愛いから」なのです。 >それを基準に「殺すべきではない」と言い始めると、とてもグロテスクな事になります。その典型が、牛を食べる白人(の一部の人)が韓国人の犬食を非難したり、海の生態系を乱している張本人の鯨を食べちゃ駄目だと日本を非難したりと言うことでしょう。 私は鯨食べますし、世界でもノルウェーやセントビンセントなど鯨食習慣がある国はIWC総会を見れば即分かりますが、「海の生態系を乱している張本人」と断定する根拠をご教示願えますか?後学のために知りたいのです。 >動物と人間は、決してパートナー同士という横の関係にはなることは出来ません。常に「飼う側と飼われる側」の縦の関係でしかありえません。 な、なんと、寂しい考えでしょうか!パートナーというのをどう定義するかにもよりますが、野生動物だって人間と仲良く慣れるんですよ。ジェーン・グドールさんのゴンベの森に行って、彼女と人類の進化と心・脳進化の問題を話し合われたらいかがですか?なぜ、宗教が生まれたのか、人間が何世紀にもわたって心の問題でここまで悩んできたのか考えられたことはありますか?もし、タンザニアまで行くのが辛いなら映画「地球交響曲第4番」をご覧になってください。 >結局何だかんだと理由を付けてみても、人間の行動は、最終的には「人間の為」でしか有り得ないです。人にとって有益か有害か…金銭面と精神面の両方でどうすることが結局満足いくのかでしかないんだと思います。 そのとおりです。そうした利己主義・人間中心主義を自覚して、なおかつ自省の念をもって謙虚に動物、あるいは自然と付き合うことによって、見出されるものこそ尊いのではないでしょうか。そこに人類の存続のカギがあると私は考えます(ちょっと、オオゲサ?)。 >動物愛護の精神も同じです。食用にされようが単に虐待されようが、最終的に死ぬのなら被害者にとってはほとんど違いは無いでしょう。 哺乳類全般、あるいは脳の構造がホモサピエンスに近い動物たちに人間が自身に思っているような「こころ」があるとしたら、被害者にとって違いは大きいでしょう。あなたは唯物論者ですか?人間だって動物だって同じ哺乳類として氷河期を乗り越えて地球上で進化してきたのです。そして犬たちは私たちと何万年も協力して生きてきたのです。そのことをお考えになったことはありますか。犬に限った話ではありませんが、こうした「こころ」「哺乳類の脳の作用を理解する」という関連で「愛は脳を活性化する」(松本元著、岩波科学ライブラリー)を一読されることをお勧めします。 |
▼ジョアンGRさんへ >▼nolicaさんへ >>皆さんからは非難されそうですが、敢えてこのサイトの主流の意見に真っ向から対立する意見を出してみようと思います。 > おおいに結構ですが、敢えてこのサイトに書き込む人たちの感情を逆なでするかもしれないという覚悟での提起と受け止めました。非常に貴重な意見です。実はこういう考えの人がいるんじゃないかなあ、と憶測していました。 > >>例えば十二指腸虫が腹に居たら、皆さん薬を飲んで一網打尽にしますよね?私も何のためらいも無く全部退治します。山から熊が下りてきたら猟友会の人たちが射殺しますよね。個人的にも危なげだから退治して欲しいです。でも十二指腸虫だって種の保存の本能はあるのわけで、多分殺されたくは無いでしょう。熊にしても食べ物が無いから仕方なく山を降りてくるんであって、殺されに来てる訳じゃないでしょう。そう考えるとかわいそうな話です。 > では、生き物はみんな可愛そうだからといって、みすみす熊や十二指腸虫に襲われ(?)て自分の命を捨てますか?そうではないですよね。人間社会に害悪だから処分するのです。でも、こうした社会に生きている以上、人間中心の利己主義を非難できる立場ではないですよね。 十二指腸虫と犬猫の比較は無理がありすぎませんか? 利益を追求するために動物を生産して、販売しているわけで、 十二指腸虫でペットショップのオーナは稼げませんよ。 >>ペットショップにしても同じで、売れそうなうちは価値があるから生かしておくけど、そこまで環境をよくする理由が無いからぎりぎりの状態でしか飼わない。そして売れ残った商品価値の無い動物は生かしておいても維持費がかかるから処分される。言ってしまえばそれだけの事なんです。 > だからこそ、パートナーになりうる動物を生体販売するのに反対している人々がいるということがお分かりになりませんか。私は、パートナーになりそうに無い哺乳類を販売すること自体も反対ですし、爬虫類や魚類の販売も賛成はしませんが。 > >>私も、保健所に引き取られた動物や、新薬の実験に使われる動物がかわいそうだとは思います。でもそれは飽くまでも「可愛いから」なのです。 >>それを基準に「殺すべきではない」と言い始めると、とてもグロテスクな事になります。その典型が、牛を食べる白人(の一部の人)が韓国人の犬食を非難したり、海の生態系を乱している張本人の鯨を食べちゃ駄目だと日本を非難したりと言うことでしょう。 > 私は鯨食べますし、世界でもノルウェーやセントビンセントなど鯨食習慣がある国はIWC総会を見れば即分かりますが、「海の生態系を乱している張本人」と断定する根拠をご教示願えますか?後学のために知りたいのです。 > >>動物と人間は、決してパートナー同士という横の関係にはなることは出来ません。常に「飼う側と飼われる側」の縦の関係でしかありえません。 > な、なんと、寂しい考えでしょうか!パートナーというのをどう定義するかにもよりますが、野生動物だって人間と仲良く慣れるんですよ。ジェーン・グドールさんのゴンベの森に行って、彼女と人類の進化と心・脳進化の問題を話し合われたらいかがですか?なぜ、宗教が生まれたのか、人間が何世紀にもわたって心の問題でここまで悩んできたのか考えられたことはありますか?もし、タンザニアまで行くのが辛いなら映画「地球交響曲第4番」をご覧になってください。 「かわいい」から「かわいそう」では無いと思います。 人間が頂点に立つ社会で、人間のために人為的に生産され、販売され、 用がなくなったら、処分されていく、その課程を知っているから 同情するわけです。不憫に思うわけです。 私は好きではない動物がいますが、もし、そういった動物もこういう 課程を経て、毎日処分されているのを知れば、かわいそうだと思います。 外国の食文化を云々言うのとこの件は異なる問題だと思います。 これも比較に無理がありませんか? >>結局何だかんだと理由を付けてみても、人間の行動は、最終的には「人間の為」でしか有り得ないです。人にとって有益か有害か…金銭面と精神面の両方でどうすることが結局満足いくのかでしかないんだと思います。 > そのとおりです。そうした利己主義・人間中心主義を自覚して、なおかつ自省の念をもって謙虚に動物、あるいは自然と付き合うことによって、見出されるものこそ尊いのではないでしょうか。そこに人類の存続のカギがあると私は考えます(ちょっと、オオゲサ?)。 だから心ある人間がこうやって間違いを正そうとしているのだと 思います。あなたの考えはあまりにも悲観的だと思います。 >>動物愛護の精神も同じです。食用にされようが単に虐待されようが、最終的に死ぬのなら被害者にとってはほとんど違いは無いでしょう。 > 哺乳類全般、あるいは脳の構造がホモサピエンスに近い動物たちに人間が自身に思っているような「こころ」があるとしたら、被害者にとって違いは大きいでしょう。あなたは唯物論者ですか?人間だって動物だって同じ哺乳類として氷河期を乗り越えて地球上で進化してきたのです。そして犬たちは私たちと何万年も協力して生きてきたのです。そのことをお考えになったことはありますか。犬に限った話ではありませんが、こうした「こころ」「哺乳類の脳の作用を理解する」という関連で「愛は脳を活性化する」(松本元著、岩波科学ライブラリー)を一読されることをお勧めします。 これも随分悲観的ですね。 まともな最後をおくらせてあげるのが、私たち人間の責任だと 思います。せめて始められることから始めたい、だから 生き物の生産販売は絶対反対です。 |
▼nolicaさんへ >皆さんからは非難されそうですが、敢えてこのサイトの主流の意見に真っ向から対立する意見を出してみようと思います。 うんうん、それはいいことだと思う。 >ペットとして売られる動物の種類は多種多様です。メジャーなところでは犬、猫、文鳥、カブトムシ、クワガタ、etc.すこしマイナーなところではポケットモンキー、フェレット、トビネズミ、イグアナ、など、挙げればきりがありません。 そういや、昔、シーモンキーってみじんこが通販で売られていたな。 漫画雑誌に広告が載っていた。 >まして、売られていなくてもペットになり得る動物となると、最終的には該当しない動物の方が少なくなるのでは無いでしょうか? うん、今の世の中なんでも金という価値に換金できるからねー。空気さえも換金できそうな勢いだよね。だから、ナショナルトラストなんて運動もなりたつんだろうけど。 >その中で、「虐待してはいけない動物」を何を基準に選ぶのでしょう? >一概に「生き物」と言ってもウイルスのように生き物と物質の中間みたいな物、ミジンコのように辛うじて視認できるもの、そして所謂「生き物」といわれるもの、ミドリムシのような植物か動物か分からない物と、色んなタイプの生物が当てはまります。 きっぱり言いますが、ワシは犬と暮らしてるんで「犬」が基準です。あとは解らん。ましてや、ミジンコは解らんしウイルスなんてのはさらに解らん。想像の域を越える。 >その中で、動物愛護系の人が「殺すのはかわいそうだ」とか「商品として扱うべきではない」と主張するのは可愛い動物だけです。 さらに突き詰めて言うなら、自分の犬だけなんだけどね。 >ペットショップにしても同じで、売れそうなうちは価値があるから生かしておくけど、そこまで環境をよくする理由が無いからぎりぎりの状態でしか飼わない。そして売れ残った商品価値の無い動物は生かしておいても維持費がかかるから処分される。言ってしまえばそれだけの事なんです。 そそ、それが事実、実態なんですね。 >動物と人間は、決してパートナー同士という横の関係にはなることは出来ません。常に「飼う側と飼われる側」の縦の関係でしかありえません。 これは、根拠がよくわかんない。飼う側、飼われる側っていうのは客体的事実だけど、パートナー関係っていうのは主体的なことだからねー。 ちと、論理がよく解らない。 >結局何だかんだと理由を付けてみても、人間の行動は、最終的には「人間の為」でしか有り得ないです。人にとって有益か有害か…金銭面と精神面の両方でどうすることが結局満足いくのかでしかないんだと思います。 そそ、そのとおり。だからこそ反対なんだよね。自分のため反対なんだよ。自分は犬を飼ってるというわがままの延長で世の中を見てみたらそれは他人事ではなく自分のことになってくる。しかたないとはいってられないわけでね。正しいことなんてどこにも転がってない。それが転がってるのは自分の中だけだからね。 >血統書付きと言う名の近親相姦を繰り返した品種の存在や、しつけと言う名目で強いる強制的な行動抑制…言ってしまえば全てが人のためでしかないんです。 あ、これは違うよ。近親相姦=ブリーディングっていうのは間違い。それとしつけ=行動抑制ってのも間違いですよ。ここで書くと長くなるんでネットとかで詳細を調べてみてください。 >動物愛護の精神も同じです。食用にされようが単に虐待されようが、最終的に死ぬのなら被害者にとってはほとんど違いは無いでしょう。 結果ではなく過程にこそ意味があるのね。生きてるってことはそういうことなのね。ちと時間がないんで、また書くー。 |