Page 7 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼セッターは利口ないい犬です セッターの友 03/9/28(日) 15:56 ┗Re:セッターは利口ないい犬です 愛犬と旅M 03/10/11(土) 21:32 ┗セッターは利口ないい犬です2 セッターの友 03/10/19(日) 17:17 ┗Re:セッターは利口ないい犬です2 愛犬と旅M 03/10/19(日) 20:02 ┗Re:セッターは利口ないい犬です2 セッターの友 03/10/19(日) 21:02 ─────────────────────────────────────── ■題名 : セッターは利口ないい犬です ■名前 : セッターの友 ■日付 : 03/9/28(日) 15:56 -------------------------------------------------------------------------
最近この頁を見るようになった者です。 最初からざっと見せて頂きました。 最後はなんだか、言い合いにちょっと嫌気がさしたり。 でも、セッターの名誉のため一言。 (我が家の犬はセッターです。猟はしていません。家庭犬です。) 忠誠心がないだとか、誰にでもついていくアホな洋犬だとか。 はては山に置き去りにされると咬み付く危険な犬になるとか。 「忠誠心」については、それを求めるか否か好悪にもよります。 我が家の場合は私達との信頼関係が一番大事と思い育てました。 主人が帰ってくるまで玄関で辛抱強く(執念深く?)待っていたり しますよ。そうしろ、とは私達はちっとも思いませんけれど。 恐ろしく食いしん坊ですが、他の人からは絶対に食べ物をもらいません。もらっていいか私の目を見て尋ねます。人間の子だってこうできない子はたくさんいます。 ニコルさんの「人生は犬で決まる」にあるように、とても頭のいい犬です。頭が良すぎて、言われたことをただする「従順な性格」よりも、自分で方法や遊びを考えだす「自主的な性格」なのです。だから、いたずら(と人間が思う事)も甚だしくひどく、あの本にあるひどいいたずらは、おおむね同様な事をセッターの飼い主は経験すると思います。 誰にでも愛想の良い、近所では評判の社交家(社交犬)ですが、私や主人が、私達とも犬とも仲の良い知人とさえ、一緒にいきなさいと言っても、私達が心配で心配ですぐに帰って来てしまいます。 先程述べた信頼関係ですが、日頃からご飯だけやって犬を構わずほったらかしにしておいたり、犬をただの道具にするような扱いをすれば、犬(セッター)は人間を信頼しなくなります。「猟をする」のは、本能的にinterestingだから、それで追いていくわけで、もし犬の方で飼い主に信頼をおけなければ、もう少しましな飼い主を自分から捜そうと、他の人にきっとほいほい追いていくことでしょう。 最初の本題「咬み付く置き去りにされた猟犬」ですが、私も、ハタノさんですか?その方と同じく「置き去りにされた咬み付く猟犬」は、から 「セッターなど中・大型犬」は、「犬」は、というように、また、「犬を置き去りにする猟師」は、から「猟なんかする野蛮人」は、というふうに(そのように最初の提言をされた方の意図はないけれども) とても危うい糾弾の仕方、模式図ができあがりやすいので、オピニオンリーダーの方は、充分言動にお気を付けるべきだと思います。 全体を読みかえしてみることをお勧めします。そういう印象をきっともたれると思います。 大多数が「犬を置き去りにする猟師」と「咬み付く猟犬」を良くやったと思わないのは、当然のことではありませんか。ただ方法論と、言質。 怒りにまかせて言葉を選ばないのは、得策ではないです。 我が家のセッターなんかを見ますと、アイツらは、自分の力を知っています。手を口の中につっこんでも噛みません。噛んだら大変なことになることをわかっているように思います(一度も犬も人も噛んだことはなくても)。 そして「置き去りにされた咬み付く犬」は人につくられたのであって、セッターは元来そのような犬ではありません。陽気ないいヤツです。そして、「猟犬」でなくてもたとえ小型犬であっても、しつけを含めた飼い主のマナーの悪さから「悪い犬」はつくられる。そう思います。 つい、一言では終わりませんでしたね。 |
▼セッターの友さんへ こんばんわ久しぶりに見ました 仕事が忙しくて私的な事は何も出来ません >「セッターなど中・大型犬」は、「犬」は、というように、また、「犬を置き去りにする猟師」は、から「猟なんかする野蛮人」は、というふうに(そのように最初の提言をされた方の意図はないけれども) >とても危うい糾弾の仕方、模式図ができあがりやすいので、オピニオンリーダーの方は、充分言動にお気を付けるべきだと思います。 >全体を読みかえしてみることをお勧めします。そういう印象をきっともたれると思います。 > >大多数が「犬を置き去りにする猟師」と「咬み付く猟犬」を良くやったと思わないのは、当然のことではありませんか。ただ方法論と、言質。 >怒りにまかせて言葉を選ばないのは、得策ではないです。 言葉から誰を対象に「怒りにまかせて言葉を選ばない」と言っておられるのでしょうか?もし猟師さん批判された方を対象に言っておられるのなら怒りに任せてとは限らないと思います。「悪い猟師」もしくは「悪徳猟師」 それと同じ様に「悪い人間」とか「悪徳人間」そう言う言葉もあります。 言葉の表現かも知れません、言葉を選ぶのは大変難しい気がします。 子供たちが猟犬と言う名前のついた犬に襲われる現状を見れば、加害者側に配慮する言葉を選ぶ事が出来るのでしょうか? 例えば犬を放置、子供に噛み付き事故を起こした場合「悪い飼い主」もしくは「非常識な飼い主」または「非常識な愛犬家」 そんな表現になりはしませんか? 怒りで言葉を選ばないのはいけない、言う事は簡単です。しかし適切な言葉 すなわち選ばれた言葉を使い相手を傷つけない、大事な配慮かも知れません、しかしそれは書き手が努力する事であって受けてが明らかに名指し等で傷つけられるのでなければその事を要求できないと思います。 ところでオピニオンリーダーとは何の事でしょうか? 誰かを指しておられますね、ここでは「猟師さん批判された方」の事ですか? >我が家のセッターなんかを見ますと、アイツらは、自分の力を知っています。手を口の中につっこんでも噛みません。噛んだら大変なことになることをわかっているように思います(一度も犬も人も噛んだことはなくても)。 >そして「置き去りにされた咬み付く犬」は人につくられたのであって、セッターは元来そのような犬ではありません。陽気ないいヤツです。そして、「猟犬」でなくてもたとえ小型犬であっても、しつけを含めた飼い主のマナーの悪さから「悪い犬」はつくられる。そう思います。 すべての犬がそうだと思います。大好きな家族が自分の牙で痛がる事が分かっていますし、 分かっているからこそ噛み付かない気がします。 |
▼愛犬と旅Mさんへ 言葉は大変難しいですね。本当にそう思います。とりいさんの「駆逐」も、猟師さんの「アホな洋犬」も、皆の意見が引き出されていくのだし言葉は選んだ方がいいと思ったのですが。 「攻撃的資質を持った猟犬」を、長年飼ってしかも猟の苦楽まで共にしてきたのに「役にたたなくなったら山に捨てる悪質な猟師」。しかも「捨てた犬は子供の噛み付き事故まで引き起こした」、だからこういう「悪質な猟師は駆逐する」運動をおこす。 賛成される愛犬家もおられましたが、最初の提言が「駆逐」とは大変に過激、おまけに「犬は道具」の、これまた過激な対抗意見で、全体的に何だか、自分達と考えや行いを同じくする人と異質な人、いい人と悪い人、善悪、白黒。「そもそも猟は鉄砲を持って恐い。ましてや噛み付くかもしれないような犬を連れているし、尚更恐い(猟犬って恐い)。」後から読むとそんな印象も多いのでは。少なくとも私はそう感じました。印象とは受け手の自由な(勝手な)ものです。 他方、書く方でも表現は自由ですから、「言葉に気を付けたら」と言うこともないですか。そうですね。気に障られたなら謝ります。 前も書きましたが我家の犬はセッター。母犬から室内飼いの家庭犬、猟は全然見せたことさえありませんが、チョウチョやカマキリ、海辺ではカニ、一番大きいものは巣から落ちてきたヒナを庭で押さえたこともありますし、自分でボールを獲物にみたててセットもします。本能です。レトリーバーの飼い主さんもボールを回収するのが好きと書いておられましたね。獲物は、できるだけ傷つけたり殺したりしないように捕まえます(猫もそうだと聞きます)。そして口から出して私に見せます(ので、困ってしまいます)。チョウチョは麟粉がとれて、かわいそうに飛べなくなり、小さなカニはハサミが折れましたが、野鳥のヒナなどは、大きな口の中で傷つけずちゃーんと生かして見せました。そういう犬の習性を、狩猟者は生かして仕事を共にしてきたのでしょう。 猟犬と言ってもいろいろということです。鳥猟犬、獣猟犬、兎専門、キツネ専門(セッターは鳥猟犬)。また、猟の上での役割も、獲物の場所を指し示すもの、吠えて狩り立てるもの、噛み付いてしとめるもの、銃でしとめたものを回収してくるもの。 どなたか書いていましたが、私も「戦闘能力のある猟犬」と一括りにする見方には賛成できません。 大体、セッターは家庭犬としてあまりポピュラーではありません。大型でしかも動きが素早く、口も大きい。分が悪い損な種類です(人に恐がられやすいという意味で)。本人(本犬)は至って陽気な遊び好き。主治獣医いわく、人間は皆よい人だと信じている優しいこです(親バカですね)。好奇心が強く、落ち着きがないと言われれば、はい、その通りです。 でも、ご機嫌よく私について散歩している最中でさえ、この犬を知らない人や犬嫌いな人には、そばを通るだけで怖がられることもあります。ドーベルマンですか?と聞かれたことも2度。はぁ...?(ドーベルマンだって、そばを通っても怖がることはないのにね) 同じ大型でもゆったり動いて、見るからに暖ったかそうで人の(犬の)よさそうなゴールデンRやバーニーズMDはいいねぇ、と思いますよ。今回も、セッター非難をされた訳ではないけれど、飼っている「猟師さん」にさえ不当なアホ呼ばわり(「洋犬はアホ」だったけど、「使っている道具」はセッター)されたりして、「アホな洋犬」でしかも「恐い猟犬」の代表選手みたいで。あーあ。 ともかくかわいい我がこ、思いきり肩をもってやるのです。 猟犬放置に対して運動をされている方々へ一筆。 犬を飼ったことの責任をとらない人は迷惑至極、無責任者に対して怒るのも対策をとおっしゃる気持ちももっともなことです。そもそも今の日本では、「要らなくなったからそのへんに捨てる」は、「何を」でも、「どこで」でも、もはや通用しないですよね。犬を捨てないよう呼びかけることも必要と思います。が同時に、近隣に「野良犬と化した危険そうに見える犬」が増えた現状であるならば、どうか犬の習性をよく知って、子供達に教えてやって欲しいです。これも大切で有効な対策と思います。 犬の飼い主なら大抵知っていますが、犬の正面から目を見つめる、頭を上から撫でようとしたり、犬の目の前で手や物をひらひらさせたり、からかったり物を投げたり、しっぽや足の先や耳などをさわる、大事にしている持ちものを取る、ご飯の邪魔をするなど一般に「犬が嫌う」とされていること(家族や好きな人にはOKでも)を犬にしたり、怖いからといって犬から走って逃げたり、勿論、食べ物を食べながら道を歩いたりすることはやめた方がいいですよね。 (それを見た捨て犬はおそらく空腹で、まして庇護者の主人からひとり山の中に置き去りにされて、怖がっている犬なのです。) 私が子供の頃、犬が放し飼いされる事も多く野良犬も町中によくいて、狂犬病という恐い病気もあった頃、私も犬が恐かった。子供は親や近所のおじさんおばさん達から、放れている犬に出会ったら、やたらに手を出したりしないで、目を見ないで知らん顔してその場を通りすぎるように、決して走ってはいけない、目があったり走ったらよけい追いかけてくるんだよ、と教えられたものです。 そういった事は言われるまでも無く皆教えています、というなら余計なことを失礼しました、それは大変結構なことです。 犬との生活は、それは楽しくて貴重なものですから、どうか地区の子供たちが一生犬嫌いになりませんように。 |
▼セッターの友さんへ こんばんわ >言葉は大変難しいですね。本当にそう思います。とりいさんの「駆逐」も、猟師さんの「アホな洋犬」も、皆の意見が引き出されていくのだし言葉は選んだ方がいいと思ったのですが。 私は花子と登山をします。 犬が山に与える悪影響で世の中は批判があります。 私はその批判に対して反論しない事にしているのです。 理由は 本当のところが判らないからです。 そうかもしれない そうでないかもしれない、 批判に対する明確は証拠がないからです。逆に 批判する明確な証拠もありません と言う事は批判や反論はその人感情の中の出来事の様な気がするのです。 どれほど話し合ってもお互い歩み寄る気持ちが無ければ、感情のぶつかり合いで平行線 逆にどちらかが相手の感情を受け入れる気持ちがあれば、完全に意見は一致しなくても、相手の考えは判ります もし親友とこのような議論したら、意見は合わなくてもその関係は親密なるかも知れません、 お互い別の意味の理解が出来るからだと思います。 掲示板では初めての方がある意見を書くのです。 しかもお互い全く意見が合い入れない状況で、書き手は相手を傷つけない努力はする必要があります。 しかし受けての感情をどれだけ傷つけるかは推し量れません、 受けてはも同じだと思います。相手はどれだけ感情的か推し量れません 受けてはもやはり冷静に受け止める努力は必要だと思います 努力は双方平等たと思います。その事が理解出来ている人たちにとって掲示板で話し合って有意義な意見交換出来る様に私は思います >「攻撃的資質を持った猟犬」を、長年飼ってしかも猟の苦楽まで共にしてきたのに「役にたたなくなったら山に捨てる悪質な猟師」。しかも「捨てた犬は子供の噛み付き事故まで引き起こした」、だからこういう「悪質な猟師は駆逐する」運動をおこす。 >賛成される愛犬家もおられましたが、最初の提言が「駆逐」とは大変に過激、おまけに「犬は道具」の、これまた過激な対抗意見で、全体的に何だか、自分達と考えや行いを同じくする人と異質な人、いい人と悪い人、善悪、白黒。「そもそも猟は鉄砲を持って恐い。ましてや噛み付くかもしれないような犬を連れているし、尚更恐い(猟犬って恐い)。」後から読むとそんな印象も多いのでは。少なくとも私はそう感じました。印象とは受け手の自由な(勝手な)ものです。 「悪質な猟師は駆逐する」運動をおこす は当然だと思います。悪質なんですから 犬を山に捨てる猟師 わたしの知っているもと猟をしていた人も知っていましたし 白樺湖のペンションのオーナの奥様もその猟犬を町の方と保護しているそうです。 猟師仲間ではある程度知られたことです。 私のHPにも山に繋ぎ餓死 白骨化した猟犬の記事を載せています 猟犬は猟師に奉仕 その結果 山の中で飢えの 渇きの不安などの苦しみを受けながら死んで行くのです。 まともな人間なら出来ませんよ、絶対 私はその様な事をする猟師を好きにはなれません 猟師が嫌いそう言う意味ではありません、 悪徳猟師だと思います。 その様な人が猟犬を飼えない処置が出来ないかとも思います。 簡単に言えば 排除したい 駆逐したいと言う言葉になります 犬を餓死させる猟師がいたとして そう言う人を排除したいと強く願う意味で 駆逐と言う言葉はを使うのはそれほど悪いとも思えません >どなたか書いていましたが、私も「戦闘能力のある猟犬」と一括りにする見方には賛成できません。 > >大体、セッターは家庭犬としてあまりポピュラーではありません。大型でしかも動きが素早く、口も大きい。分が悪い損な種類です(人に恐がられやすいという意味で)。本人(本犬)は至って陽気な遊び好き。主治獣医いわく、人間は皆よい人だと信じている優しいこです(親バカですね)。好奇心が強く、落ち着きがないと言われれば、はい、その通りです。 歳をとって何時の間にか落ち着くのではないかと思います。そのときやんちゃな幼犬の頃が懐かしくなると私は思います。 我が家の花子も7歳です。 甘えん坊になりました。 更に大人しくなるかと思うと寂しくなります >でも、ご機嫌よく私について散歩している最中でさえ、この犬を知らない人や犬嫌いな人には、そばを通るだけで怖がられることもあります。ドーベルマンですか?と聞かれたことも2度。はぁ...?(ドーベルマンだって、そばを通っても怖がることはないのにね) ゴールデンの事故は結構あります。 大人しいと言うのは基本にあるのかも知れませんが逆にそれが 事故を起こします 犬種はどうであれ自分の愛犬が最高の名犬だと 私は思います。 犬種にこだわらず私は花子を信頼する事にしています。 |
▼愛犬と旅Mさんへ 早速のお返事ありがとうございました。 >その様な人が猟犬を飼えない処置が出来ないかとも思います。 簡単に言えば 排除したい 駆逐したいと言う言葉になります > >犬を餓死させる猟師がいたとして そう言う人を排除したいと強く願う意味で 駆逐と言う言葉はを使うのはそれほど悪いとも思えません 要するに、表現の好き好きの問題かと。やはり、人に対して「駆逐」は私にはどうも、使いたくない言葉です。 でも、他人に「言葉を選ぶべき」というのは、撤回いたします。 犬に対して無責任な猟師を擁護する気はこれっぽっちも、断じてありません。念のため。 > >歳をとって何時の間にか落ち着くのではないかと思います。そのときやんちゃな幼犬の頃が懐かしくなると私は思います。 我が家の花子も7歳です。 甘えん坊になりました。 更に大人しくなるかと思うと寂しくなります そういう問題ではないんですよね。あぁ、言葉は難しい。 そして、落ち着かない我がこだからといって、ひとつも困ってはいないんですよ。セッターというのは、いくつになっても、好奇心いっぱいの、いろいろやってくれる楽しい犬なんです。それもセッターの良さの一つだと思います。好奇心いっぱいで、動きも俊敏だから、といって付いて歩けないとか、そういうことではないんです。落ち着いておとなしそうに見えていいわね、と思うこともあるというだけです。 >>でも、ご機嫌よく私について散歩している最中でさえ、この犬を知らない人や犬嫌いな人には、そばを通るだけで怖がられることもあります。ドーベルマンですか?と聞かれたことも2度。はぁ...?(ドーベルマンだって、そばを通っても怖がることはないのにね) 犬嫌いな人に不当に怖がられるのは、気持ちのよいものではないです。 大きくてどっしりして安定感のある犬と、大きくてすばしっこそうな犬と、どちらが怖そうかと問えば、犬の嫌いな人には後者になるでしょう。そういうことです。 そういう見た目は、判断の大きな材料になるということです。 今回も、野犬と化した「猟犬」が、マルチーズやヨーキーだったら、怖がられる度合いは違います。 問題は、野犬となった「猟犬」は、マルチーズやヨーキーではないということです。 > >犬種はどうであれ自分の愛犬が最高の名犬だと 私は思います。 犬種にこだわらず私は花子を信頼する事にしています。 それはとてもお幸せなことです。 そして、私も勿論とても幸せな飼い主の一人と思っています。 |