障害犬ムックと妹なっち、安らかに!

障害犬ムックと妹なっち、安らかに!

リビング・ウィズ・ドッグズで障害犬の記事を書いたのは、まさにムックが最初でした。2000年3月でした。
ムックのママのお便りから、車いす犬となってしまった経緯や現在の幸せな暮らしを掲載しました。「ムック! お母さんがそばにいるよ」です。

この記事は、たくさんの障害犬と暮らす方への力になりました。

その後、何人も障害犬と暮らす飼い主さんからお便りをいただき、小さなコミュニティーになりました。お互いに励まし合ったり、知恵を出し合ったりと懐かしく思い出します。

あの記事から今年はちょうど10年です。

そのムックのママからのハガキ、ムックが亡くなったと、そして後を追うように妹のなっちが逝ってしまいました。
ムック&なっちママさん!ほんとうにご苦労様でした。ムックとなっちは幸せな生涯でした。そして、これからも日本中のたくさんの障害犬と暮らす方の道しるべとしてWEBサイトを続けて下さいね。(2010/3/22)(LIVING WITH DOGS)


菜の花によせて

昨年秋の訪れとともに、一カ月以上の最期の闘病生活を終えて私の腕の中で逝ってしまったムック。
下半身まひの犬として12年に及ぶ介護を必要とした犬としては周囲が驚くほど生命力にあふれさまざまな重い病も克服し、まだまだ生きていてくれると思っていたのに最期の1カ月は下痢と嘔吐、食べ物を口にしない状態からよみがえり、食べ物も口にするようになり下痢も収まった矢先だった。
そんなムックが逝ってしまってから、同居犬なっちがみるみる体調を崩しムックが逝ってしまってから2週間後に心肥大、肺水腫、肺炎も併発していることが分かり今度はなっちの介護が始まった。
症状は一進一退、全く動こうとしなくなりうつろなまなざしでいたなっちは年が明けたころから腎機能も悪化。
2月の寒い日が続くころには食欲も落ち吐き気もあるようだった。
9歳で癲癇の重積発作を起こし11歳の初夏、脊髄腫瘍が判明、癲癇があること、年齢のこともあり手術はできず、昨年の2月と3月、中枢性と思われる前庭障害を起こし、まっすぐに体が起きないながらムックがいるころは歩きまわりそれなりに落ち着いていたのに亡くなる前日から一段と状態が悪化し朝晩と病院へ連れて行き夜には呼吸困難になりICUへ。そして未明だれにもみとられず亡くなってしまった。

この春末っ子が大学院を卒業し我が家を巣立っていく。子どもたちの成長と旅立ちを見届けたような2匹の死だった。
今豊田スタジアムの周辺は一面の菜の花。4月生まれのなっちの本名菜摘は菜の花からとった名前。
菜の花を見ながら思う。
障害犬や介護の情報、知識が少ない状態でもなんとかならない状態でもなんとかやってきたのは、愛する者のために諦めるより前に進む母性だったのだと。

そして、人間が抱える誰とも分け合えない悲しみ孤独をするりとその中に入り込んで一緒に分け合ってくれるのが犬ではないかと。
長い間私の孤独を分け合って支えてくれてありがとう。

本当に愛していた、また姿を変えて私のところに帰ってきて。(2010/3/21)(愛知県、C.Nさん)

覇向飯店

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