安楽死を選択するまで

安楽死を選択するまで

ロクシーを安楽死で見送ったホリーのママからいただいた言葉、「安楽死は穏やかな死です。飼い主が苦しむ愛犬に最後にあげられるプレゼントです」

安楽死は永遠のテーマです。もしもあなたの愛犬が治る見込みがなく、食欲もなく、寝たきり、そんな時に安楽死を選択することは罪ではありません。一緒に苦しみを戦い抜いてきた愛犬と飼い主だから許されることだと信じたいです。
しかし、まだ生きたいと意思表示があるうちは早まってはならないと思います。必ず、愛犬が「もう良いよ」と教えてくれるからです。


私たちはトレーシーに安楽死という手段を選択しました。

トレーシーが発病したのはおそらく昨年の7月頃からでしょう。少しづつぼーっとしている時がありました。7月末、トレーシーはテーブルの下で宙を見つめてまったく動かず視点は空の向こうと言うときがありました。「トレーシー!」と何度か話しかけて少し正気に戻ったかなと安心しましたが、これが最初に気付いた異変でした。
ちょうどこの日に犬友のGRハイジが難病の末虹の橋を渡った日でもありました。
この時は、トレーシーにはハイジがわが家に来てくれたのが判っていたのでは?と私は勝手に解釈していたのですが。

そして、8月にはリンパ性白血病と言う診断でした。7月末のトレーシーのうつろな状況は病理学的に言えば貧血状態と言うことになるのかも知れません。
でも私はハイジが来てくれたのだと信じていますが。

トレーシーは人には友好的、誰にでも「トレちゃんです〜。」という自己主張の多い子でした。この子のもって生まれた性格でしょう。そして頑固でした。自分が行きたくない方向には頑として動きません。「今日は簡単散歩で許してよね」をしっかり見抜いてしまうんですね。頭の良い子でした。

私が勤めていた会社を辞めてからは、毎日がお散歩三昧でした。わが家から、東京タワーを廻ってのんびり帰る1時間〜2時間コースです。もっと歩きたいと言うときはジグザグにトレーシーが歩いたことがないような道を選んで歩くと彼女は前に前にと興味津々にお散歩をしました。
犬とのお散歩は、道端の雑草、公園の花壇、木立の緑、そして季節毎の植物の香りの変化を感じることが出来ます。私は、トレーシーとの密なお散歩三昧の時期を過ごすことが出来て幸せでした。

トレーシーがぼーっとするようになってから、東京タワーまでのお散歩は出来なくなりました。近所をぐるっと廻るくらいのお散歩がせきの山でした。

私たちは、トレーシーの病状の進捗状態を、お散歩力にみていました。
もちろんトレーシーが歩いて、食べて、排泄も自分の力で出来ることは身体的な判断ではありましたが。
トレーシーが、今日意欲的に以前のお散歩コースに行きたいと主張するかが彼女の生きようとする生命力にも思えたのです。

それは毎日ではありませんが、意欲を見せることが数日ごとにありました。
お尻の腫瘍がむき出しになってもトレーシーの意欲は変わらず、もっと遠くに行きたいと自己主張をします。実際には家の周りのワンブロックを1周するのが精一杯でしたが。

CTスキャン、放射線治療、その度に全身麻酔でしたが、私たちの元に戻ってくるときは「トレちゃんです〜!」としっぽをふりふりしながら笑顔で戻ってきました。

この子は生きようとしている、自分が死に向かっているなんて考えていないと思いました。

私たちがこの子にしてあげられることは、この子が生きたいという意思表示をしている間をつないであげることだと思いました。

獣医さんから「喉の腫瘍が圧迫すると、寝ることも出来ず悲惨な状況になることがあり、寝ると苦しいからずーっと起きたまま、そんな状態になるかも知れません」とお話くださいました。

退院してから、喉の腫瘍がどんどん増殖し、声が出なくなり、吠えることが出来なくなって来ました。夜寝ているときも呼吸が荒くなると首の位置を変えてあげるような日が出てきました。

その頃からトレーシーが行きたいというお散歩の先は幼なじみの今は亡きサード君のお家でした。

わが家から200mくらいの距離ですが、サード君のパパとママが大好きで、私たちはトレーシーがサード君のお家に行きたいという思いを出来るだけかなえてあげていました。
サード君のパパとママも、トレーシーがやってくると「良く来たね」と歓迎してくれます。

最後の日も、トレーシーはサード君のお家に行きました。そして帰りには幼いときに一緒に遊んだアフガンのレティシアのママとも会えました。帰りはパパに抱っこされて帰宅しました。

2度目の吐血をし、次に吐血をするときはもっと苦しむだろうと。今がこの子の「もう良いよ」というサインなんだと思いました。

獣医さんが、「トレーシーが最後の時を教えてくれます」と言って下さっていたことがまさにこの時なのだろうと。

二度目の吐血後も、おそらく数日は生きられたかも知れません。しかし彼女がどんどん苦しみを重ねていくことが判っていました。今ならば、静かにゆったりと安らかに逝けるだろう。

これが、私たちがトレーシーの安楽死を選択した経緯です。

グッバイマイファミリー「トレーシー」

<安楽死をしてくれる獣医さんを探す>

私たちは、まさか愛犬を安楽死で逝かせなければならないなんて思ってもいませんでした。
友人から、ほんとうにこの子を「最後の苦しみから救ってあげたいと思う時、なかなか安楽死の手段を取って下さる獣医師がいない」ことを教えてくれました。愛犬を何頭も失ったことがあるからこそのアドバイスだったのでしょう。

昨年の貧血状態の時、もしかしたら最後の手段を安楽死としなければならないかも知れない、そのときに、主治医の獣医師に、もしもの時にわが家に来ていただけますか?と聞いてみたことがありました。一時、立てないような貧血状態でしたから、やせてもまだ20?強の愛犬を抱いて病院まで連れていくことが不可能に思えたからでした。
獣医師はトレーシーを可愛がって下さっていて、いつも笑顔のトレーシーに、治療の後、「トレちゃんえらいね〜、よく頑張ってるね」とおやつを下さっていました。深夜、腫瘍を振り落とした時も、治療後、先生からおやつを貰って喜んでいたトレーシーです。
先生からは「私は出来ません、こんなにも明るくてけなげな子に私が注射を打つなんて」とおしゃったのです。

そして、わが家の猫さん達の主治医にも、猫さんのお薬をいただきに行く度に必ず、トレーシーの現在の病状を話していました。「トレーシーは頑張っています。」「だけどいつか安楽死を選択しなければならないときがあるかも知れませんが、そのときはお願いできますでしょうか?」とお聞きしましたら。「判りました。」とおっしゃってくださいました。これまでの先生とのおつきあいがあったからこそ受けて下さったのだと思います。

もしも、愛犬を今の苦しみからすぐに解き放してあげたいと思っても、なかなか同意して協力して下さる獣医さんはそうはいないことを頭の中に入れておいて下さい。そのためにも普段から獣医さんとのつきあいを密にしておくことが大切だと思います。そして自宅で開業されている獣医さんであることが、最後の時も親身になって相談にのってくれると思います。(2006/4/26)(LIVING WITH DOGS)


<ご参考>

■安楽死の実際 – 飼い主はどうすべきか? (「ペットの死その時あなたは」鷲巣月美著より抜粋)

人の場合延命治療を拒否する尊厳死は認められていますが、薬物により患者を死亡させることは認められていません。しかし動物医療では時として安楽死に最後の救いを求めなければならないことがあります。

病気や事故で動物のクオリティー・オブ・ライフを保てなくなった時です。末期癌、その他の疾患でも、現在の動物医療では助けることの出来ない状態、呼吸困難、薬物でもコントロール出来ない痛みがある場合は安楽死は必要な選択でしょう。

安楽死を決定する要因

・癌と診断されて手術が不可能な部位にあったり、転移していたり、体力がなく積極的なアプローチが出来ない場合は対処療法を中心としたターミナルケアを行い病状が悪化したときの選択肢としての安楽死。

・飼い主が体力的、時間的、経済的に重病の動物を看護できないとき残念ながら安楽死を選択せざるを得ないことがあります。

ニューヨークの獣医師、バーナード・ハーシュホンは、安楽死を決断する際の6つの基準を以下のような質問形式で記しています。

1.現在の状態が快方に向かうことはなく、悪化するだけか?

2.現在の状態では治療の余地がないか?

3.動物は痛み、あるいは身体的な不自由さで苦しんでいるか?

4.痛みや苦しみを緩和させることはできないか?

5.もしも回復し、命を取りとめたとして、自分で食事をしたり排泄をしたりできるようになるか?

6.命を取りとめたとしても、動物自身が生きることを楽しむことが出来ず、性格的にも激しく変わりそうか?

6つのすべてが当てはまるのであれば、安楽死をさせるべきであると述べています。
3か4の答えがノーであれば自然死を待つことも可能であると、しかし、必要な世話をすることが出来るか、世話をすることで家族の生活を大きく脅かすことがないか、治療費を負担する経済力があるかと言ったことを良く考える必要があるとしています。

安楽死を行う場合に用いられる薬剤はペントバルビタールという注射麻酔薬です。安楽死には麻酔量を超える過剰な量を静脈内にゆっくりと投与します。麻酔量の投与がされた段階で動物の意識と痛覚は完全に失われ、それ以上の薬物が投与されると呼吸停止、続いて心停止が起こります。
この間、動物が動いたり、苦しがったりすることは絶対にありません。

安楽死を選択した飼い主さんには、最後は出来るだけ動物と一緒にいて欲しいと思います。長年生活を共にしてきた飼い主に抱かれながらあるいは頭を撫でられながら天国に行きたいと思っているのではないでしょうか。
その場にいないことで、ほんとに苦しまなかったのだろうか、本当に静かに眠るように逝ったのだろうかと気になるからです。

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