ある老犬との暮らし [14]長寿の素晴らしさ

[14] 長寿の素晴らしさ (2000年1月)

前項からもう2ヶ月余りが過ぎました。我がタロは、獣医さんによれば、「何時その時が来ても不思議ではない」という状態なのに、現在も「それなりに元気」です。今日は、あの金さんとの淋しいお別れの報道を見ながら、そして傍らのタロの眠りを見ながら、「長寿の素晴らしさを身を持って示して下さった…」と言う感慨をしみじみとかみしめております。

実は正月中頃に、それまでにかなり治まっていた前庭症候群の再発らしきことがありました。首の曲がりが強くなり、食欲がなくなり、時々嘔吐をするというこれはもう何度も経験した症状です。それに加えて、家の内外を徘徊するという新しい行動が始まりました。あちらへ移動しては寝転んで、すぐに立ち上がって別の所へと、これを夜中にも続けたのです。きっと目眩で気分が悪くて居ても立ってもいられなかったのでしょう。

栄養の方は点滴をしてもらって補うものの、徘徊の方は止める手段がなくこれが3日3晩続きました。タロも人間もどうやら睡眠不足が極まった状態でした。そして遂にタロが熟睡をしました。目が覚めると食欲も元に戻っていて、首の曲がりも心なしか軽くなっていました。本当にほっとしました。

今回は、夜中の徘徊という新しい事態が起きましたので、事故が起きぬように又家が冷えぬように(タロは戸外へは自分でサッシ戸を開けて出て行きますが、入ってくる時に戸を閉めてはくれません!)、私が居間に寝て(そこの窓際の敷毛布が彼の常設寝所です)、彼のためのドアマンを勤めた訳です。

この事がタロの気持ちにどのように影響したのでしょうか。実は以前の彼は、人が近くに居ると、食事も睡眠も出来ない性質でした。散歩の時と、ドライブと、庭でふざけあう時にだけ人間が必要みたいでした。でも今は、特に夜は、目の何処かに私が近くで寝ていることを感知しながら熟睡に入って行くようです。そして夜半に気が付くと、私の布団の上の隅の方に彼の重みを感じることになるのです。

次に気が付くと、決まって彼の重みはぐんと増しています。殆ど私の体の上に移動しているのです。暖かい所がいいのか、より柔らかい所がいいのか、人間の近くがいいのか、その理由はわかりませんが、そこで熟睡をしていることだけはよく分かります。時には脚がさかんに動いて、夢の山野を駆けているらしい風です。

これを見ると私は「二度わらし」という言葉を思い出します。再び童子に還ったように見えるからです。年老いてなお可愛い…。このような、長寿の素晴らしさを、はたして己自身は具現出来るのだろうか…、タロの重みを心地よく感じながら、あえて自分の老いを考えてしまう夜半の一時でした。

(愛知県 T.Iさん Ext_linkTaro’s Home Page )

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