ある老犬との暮らし [15]溺愛の末に

[15] 溺愛の末に (2000年2月)

お陰様でタロは、遂に今日14才になりました。日頃、秋田犬の平均的な寿命とか、長寿記録を知りたいものだ思っているのですが、不思議なことに、そういう資料は中々見付かりません(脚注参照)。この犬種はもはや日本でというよりは欧米で盛んに飼われているようで(同)、時間を見付けては、そちらのウェブサイトを廻って、そこに見る、日本のペット事情との様々な違いに驚いています。

最近それがきっかけで、秋田犬をとてもよく知っておられる米国女性とメールをやり取りさせて頂くようになりました。彼女は、米国秋田犬保護協会(ARSA)の創始者で、もう19年も、見放された秋田犬の救援活動をしておられるのだそうです。今迄に多数の秋田犬に触れて来られただけあって、その知識や思想には、私共のような市井の一愛犬家には足元にも及べないような迫力を感じます。

今回彼女のお許しを頂いて、その体験談の中の一つを翻訳しました。私にはこれは、秋田犬という犬種を超えて、犬というものとその飼い主との絆について、深く考えさせられるものでした。この訳文を、タロのHPに「クマの物語」として載せておきましたので、皆さんも是非お読み下さい。

私が考え込んでしまったのは、そこに紹介されている「主人を想う犬の心」についてではありません。そういう例は日本にもありましたし、それらはある部分できっと真実であろうと思ってもいます(ただし、我がタロからはあまりそうは感じませんが!)。それよりも、「愛犬をそこまで一途にしてしまった飼い主の溺愛」についてです。そのことを簡単に罪だと言ってしまうのは、多くの愛犬家に申し訳ないのですが、なにかそんな気がしてしまったのです。

多くの忠犬秋田の話しは、その結末が余りにも悲しいものばかりです。それを人間達は、涙して味わい、実は喜んで語り継いでいますね。私自身、クマの話しを訳しながら、何度も落涙しました。でも、これをただ美談のように捉えるのではなく、「溺愛の末の悲劇」だとして、あまりに情緒的な飼い方への戒めでもあるのだと捉えたいのです。

ところが私と言えば、どうやらタロを溺愛していて、最近は叱ることは皆無です。次男も似ていますが、夜半に帰宅すると手荒くタロを抱擁しては、これがボケ防止の刺激だなどと言っています。一方妻は、以前同様に、聞こえない筈のタロに向かって「こらー!、また泥足で上がったね!」などと叫んでいます。遠方に住んでいる長男夫婦を含めて、かくしてタロが気を許す家族は複数居る訳です。長生きのお陰でしょうか、タロはこの多様性をすべて受け入れているようで、むしろ楽しんでいるような気がします。だから我家では、上記のような「美談」などは、たとえ望んだとしても、決して起きはしないでしょう。

今夜のタロは、誕生祝いのミニちくわを7個も平らげて、泥のように眠っています。残りの7個は明日頂きます。

注1)上記の Barbara Bouyet 女史のサイト http://www.akitarescue.com/ に載っている論文では、「適切なケアの元では、秋田は10才から12才までは生きる」と書かれています。別の専門家のサイトでは、この部分を引用しつつもその数字が10〜14となっています。

注2);本来の日本の秋田犬と、戦後米国で増えたいわゆるアメリカンアキタとは、色々な点で違いがあるので、国際畜犬連盟(FCI)は今年始めからこの二つを別の犬種と定義することとし、前者を”Japanese Akita”、後者を”Great Japanese Dog” と呼称すると発表しています。目下米国ではこれに従うかどうかの論議が続いているようです。 
 

(愛知県 T.Iさん Ext_linkTaro’s Home Page )

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