ドッグランについて語る
ドッグランについて語る
ドッグランを作ってみたい
最近犬を飼い始めて、なんで日本には、ドッグランがないのかなー? と思っていました。
そして、だんだん誰かがやらないと始まらない、と思い出し、ドッグランのことについて調べ始めました。
僕は6ヶ月になるラブを飼っています。飼う前に本を何冊も読んで犬の事を勉強しました。どの本にも、小さいときから犬とあそばせろ、と書いてあり、ぼくもその意見に賛成で、よく公園に連れていきました。
でも、ほとんどの公園は、犬禁止のサインが…良くてノーリード禁止…
こんな状況でどうやって犬と遊ばせるんだ! と思い、人のいない時間をみはからって、またその時間に散歩に来る犬をねらって遊ばせています。やはり、みんな苦労しているらしく、ドッグランの話になります。
最近、その公園に、市の職員らしい人が見回りにきて、ノーリードにしてる人を、取締り始めました。犬同士のけんかと、犬嫌いな人の苦情で市が動いたそうです。なんか、行政のやってる事は逆のような気がします。
LIVING-WITH-DOGSのホームページをLIVING-WITH-DOGSかドッグランを作ってみたいです。
(2000/09/30)(千葉県 S.Sさん)
“あるドッグランでの咬傷事故顛末記”を読んで (咬傷事故顛末記を考える)
『あるドッグランでの咬傷事故顛末記』を読んで、いくつか気になった点がありましたので一言。
結論をいえば、一番の事故の原因であり問題点はドッグランという何が起こるか分からない場所で、「自己責任で遊ぶ」という意識が徹底していない点だと私は思います。
日本のフリーの(ある意味お金を払えば使えるという意味で)ドッグランの現状では、経営者を含む飼い主さんの意識や知識が十分でないために起こる事故は後をたちません。自分はちゃんとしていると思っても、そこにいる人全員が自分の犬を掌握できているはずと思うのは危険です。
こういったドッグランで遊ぶ時には、何が起こるか分からないという前提のもとに使うことが意識として必要です。
ラブのHちゃんが入ってきた時に、できればみんなが警戒をして自分の犬をリードに繋ぐくらいの気持ちがなければ、この事故は厳しくいってしまえばある意味飼い主の無自覚から起きたともいえると思います。
なんでこういうことをあえて書くかというと、自分の行動しか信じられない、本当に大切なら自分で守るしかないと思うからです。
また、本文には、経営者DさんはHちゃんを何回か訓練もなさっていたようですね。信頼関係ができていなかったのは、起こった結果からみてもあきらかです。
例え飼い主が連れていても犬にとって緊張を強いる場所では、信頼関係がなければなにが起こるかわかりません。いいかえれば、犬の扱いがわかっていて信頼関係があれば、十分なコーションをした上で、ドッグランでも遊ばせられるし、どんな場所でもなにがあっても掌握できるのです。それが、本当の信頼関係だからです。
また具体的にとれる対策として、大型・小型犬を別の場所にわけることも有効かも知れませんが、大型犬同士の場合の事故が今後起きた時にはどう対応するのでしょう。
今回の事件の当事者の方々は本当に大変な思いをされたことと思います。でも色んな人がいて、なにかのはずみで事故が起こることもあるし、誠意が通じない場合もあるのです。飼い主さん同士で解決を見た事は本当 にラッキーだったとしか言いようがありません。
また、犬の治療費には基準があってないようなものでもあるので個人賠償の保険にはいることも一つの良い手だと思います。自分ができる事をするしかない。ここでは例えばDさんに誠意をみせてくれといっても結局無理だと思うからです。事故が起こってから嘆くより、問題を事前に発見して対応するなり解決することが大切ですよね。自分が事故の当事者にならないためにも、自分の犬に対する自己責任と、どういったことが事故に結びつきそうかということを今までの経験から想像して手をうつことが大切だと思います。
最後になりましたが、ミニチュアダックスのPちゃんの怪我が、一日も早く完治することを心から祈っております。犬にとって一番魅力的で頼りになるのが飼い主、という関係。そういう人犬関係をもった愛犬家の集まるドッグランをいつか作ることを夢見て。(2000/6/21)(東京都 Mさん)
ニューヨークのドッグラン利用者の方から
私は主人とsimba(チョコレートラブラドル)と3人でニユーヨークはマンハッタンに住んでいます。確かに狭いマンハッタンのなかにかなりの数のドッグランがあってとっても便利です。私達もほぼ毎日のようにSIMBAを走らせにいってます。おかげでこんな都会でもこちらのワンちゃんたちはストレス知らずではないでしょうか。日本にももっとたくさんできればいいのにと願ってます。
私は子供の頃からずっーとわんちゃんといっしょに暮らしてきました。今も実家(兵庫県)にサリー(スパニッシュブリタニーの女の子)がいます。日本にいるときはもちろんN.Yのようにはいきませんがそれでも近くの川で走らせたり、泳がせたりとまだ恵まれてたように思います。きっと東京の方は大変なんでしょうね? (立ち入り禁止の公園なんてびっくりです。)
ある程度のモラルを守ればきっと人と犬と、お互いに心地よくすごせるのに… 私たちも今は、主人の留学のために一時的にこちらにいるので日本に帰ることを思うと心配です。
さてN.Yのワンちゃん事情ですがご存じのように日本より飼い主もワンちゃんたちも、のびのびしてるようです。しつけもよくできていると思います。でも日本のように訓練所に預けるというのは、あんまり一般的ではないよう… しつけ教室にかよったり自分でがんばったりという感じでしょうか。犬をしつける過程で、飼い主のほうも沢山学ばなければいけないと思うのですが…。
ドッグランについては、糞の始末をちゃんとするとかおもちゃは持ち込まないなど簡単なルール以外はのびのびあそばせています。あとN.Yらしいと思うのが お昼のドッグランに行くと、ドッグシッターが忙しい飼い主たちに代わってわんちゃんたちをあそばせてます。そのとなりの公園では、ベビーシッターが子供たちをあそばせてる…。うまく共存してると思いませんか?
いつか日本もそうなってほしいですね。それでは、またこちらのことをいろいろ紹介できればと思っています。(2000/04/03)(N.Y在住 Oさん)
ある公園での土日の昼下がりの光景
久しぶりに我家の愛犬を伴い、お天気の良い土曜日にA公園にお散歩に行きました。A公園は早朝はドッグラン化しており、たくさんの大型犬や小型犬が集まります。午後3時頃でしたから、犬達はきっといないだろうと思って 行きましたが、なんとそこにはたくさんの犬が来ていました。子供たちは親と一緒にボールやサッカー、フリスビーをして遊んでいます。犬はというとその合間をボールをリトリーブして遊んでいるのです。数頭はオフリードでしたが、飼い主さんは目を放さず、子供たちの遊び場と犬の遊び場が共有されていました。素晴らしい光景でした。
翌日の日曜日は2時頃赴いてみました。昨日よりも子供の数も、犬の数も多いのです。犬のオフ会かたくさんのスプリンガースパニエルが集まっていました。決して子供たちの遊び場を占領しているという訳でもなく、子供たちと犬達がたまに触れ合いながら、この場を共有していました。このような公園が維持できるならば、ドッグランなぞ要らないのでは?と思うほどの感動でした。
3年前はちょっと想像も出来ない光景でしたが、現在の利用者は、子供の親も、犬の飼い主も、双方ともにお互いを認め合い、自然にその場を共有しているという感じなんですね。子供の親の大きな許容と、飼い主の質の高さがこの公園では感じられました。ただ、この公園の他の場所(遊歩道やテーブルやベンチのある場所)では、ごみ箱からあふれたゴミがあちこちに散乱していました。公園を利用する一般人のマナーを問いたいですね。(1999/11/09)(LIVING WITH DOGS)
東京の区に一つのドッグランを!
私たちは、中型犬を飼っています。夕方の散歩に近所の公園に連れて行くのですが、 決まった時間になるとご近所のわんちゃんたちがその公園に集まってきて、みなさん リードを放して自然ドッグランになります。
しかし、それを良いと思っていない人もいるようです。 もし、近くにドッグランとして開放してくれる囲いのある野球場のような所があれば、 (時間帯で、1時間ほどでも…)私たちは安心して犬を自由に遊ばせてあげられると思うのですが。
私個人としては、区に一つのドッグランがあれば良いと思っています。 それとともに訓練所も整えて、しつけも教えてくださるような東京になってくれることを 願っています。(1996/12/29) (東京都豊島区 R.Nさん)
権利と義務は一体、当事者意識が必要
犬とともに生きようとするわれわれに必要なのはお客さんの集まるドッグランではなく、公園の、河原の、街の当事者意識が必要である。 「ドッグランの設立」とか、「レストランに行こう」というものがあるが、「権利」には「義務」が付き物で、一体にして考えるものである。 しかし、「権利」としての部分の主張はされていても、「義務」の部分が欠落しているものが多いと考えられる。 犬を飼っている人は、公園やホテルに限らず、犬を飼ったその日からどこにでも連れていきたいんだから、「こんないい犬だから入れて」ではなく「入れてもらうにはどうしたらいいの?」ってことをもっと広めるべきじゃないんですか。 (1996/12/12) (兵庫県、T.Yさん)
私たちは、T.Yさんのようなストレートな意見を歓迎致します。 また、彼のページでは、番犬・ペットとしてではなく、家族の一員・社会の一員として愛犬とふれあうことで、愛犬に対する躾はもちろんのこと、愛犬家のマナーとモラルの向上を目指すと同時に、躾のできた犬とともに暮らすことの素晴らしさを、一人でも多くの方にアピールし、躾や訓練の普及することを目的としている加古川リバーサイド・ドッグ・クラブのいろいろな情報が紹介されて います。
(LIVING WITH DOGS)