動物孤児院 (38)なぜだろう???のドイツ

今日はいつもと違って、ドイツで私が「ん?」と思っていることを書きます。

 不思議な幼稚園
幼稚園の横の小道は、私と犬のティミーが好きな散歩道。道の両側の大木が緑のトンネルを作っています。
幼稚園の庭で思い思いに遊んでいた子供たちは私と犬の姿を見つけると、集まって来て、柵につかまり大声で私に話しかけます。木登りの最中の子供は木の上から声を張り上げます。
「その犬の名前は、なあに?」
まあ、質問としてはありきたりのもので、子供たちが聞きそうな種類の質問でしょう。ただ、いつも同じ質問なのです。100パーセント、同じ。つまり、これ以外の質問はありえない。絶対に。イントネーションも、言い方も同じ。私は、「ティミーよ」と答えるのですが、毎回、同じ質問に、同じ答えなので、そこを通り過ぎる時は、「ティミーよ」という言葉を準備して歩くのです。他のことは言ったことありません。昨日も、今日も同じ。そして、明日も。
「その犬の名前は、なあに?」
「ティミーよ」(ちょっと面倒くさそうに答える私)
もしかして、その幼稚園の子供たちは、「その犬の名前は、なあに?」という言葉しか知らないのではないか、と私は思い始めているところなのですが…

 路上の不思議
日本で、「ドイツ人は愛犬のフンを放置する」と言うと、たいていの方は、「えっ? ドイツの町には犬のフンなど落ちていないと思った」と驚きます。愛犬のフンの後始末をする良識あるドイツ人も確かにいますが、そういう人はまだまだ少数派です。小型犬を連れている人はポケットにビニール袋をしのばせている場合が多いのですが、大型犬の飼い主は放置したまま去っていく、というのが少なくとも私の住む町での現状です。
歩道の真ん中に放置されたフンに出くわすと、ドキリとします。それを見て、「だから犬は嫌いだ」と思う人が現れても仕方ないからです。
私は日本人ですから、犬と歩く時は日本の愛犬家ならだれでも持っているウンチ袋を提げて歩きます。道に面した窓から、だれが見ているかわかりません。ほらほら、カーテンが動きました。(いや、だれも見ていなくても、ウンチは必ず取ります。)この町の住民から私は、「犬のウンチを必ず拾うアジア人女性」などと呼ばれているかもしれないなあ。
道に放置されたウンチは、やがて風化して形はなくなりますが、かなりの間、形跡は残っています。そのことを知らない人たちは何も考えずにそこを歩くのですが、彼らは靴のまま家の中に入るわけですから、深く考えると、床のホコリの一部は乾燥ウンチ…。(うっ)

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