ある老犬との暮らし [18]同行四人(父さんの追悼文)

[18] 同行四人(父さんの追悼文) (2000年12月)

タロは今朝(12月12日)、黒い車にひとり乗せられて、煙になりに出掛けて行きました。いえ、ひとりではなく、多くの皆さんから頂いたお言葉を印刷して、それらの暖かいお気持ちと共にです。ほんとうに有難うございました。

そのお骨の出迎えは妻と次男とに任せて、私は今、新幹線の車中でこれを書いております。タロの葬送については最も質素な方法でと前から考えていました。それは、先代のタロ(市の葬場で、今思えば荷物のように処理してしまいました)への思いがあったからです。でも今回は、我が心の中にだけ彼を残しておけるほどには、私共は強靭ではなくなっていました。今までタロに向けて来た出費を思えば、どんな立派なことでもという気持ちもありました。それほどに、ペット葬儀のメニューはすっかりウェットになってしまった家族の気持ちを誘惑するものでした。

ゆうべの通夜には、この一年続けて来たように、私はタロと共に居間で寝ました。そこで彼の寝顔を見ながら考えました。結論は、「出来るだけ質素に、豪華版との差額は世界中の恵まれぬ子供達(ユニセフ)に」でした。

この結論に、「タロは満足そうな寝顔で応じてくれました」と書きたかったのです。
事実その顔は穏やかなものでした。しかし、その口からは赤い胃液が湧くように出続けていたのです。それは獣医院から帰宅して暫くしてから今朝の出棺まで続いていました。それはまた、あのあばら骨ばかりのお腹が次第に膨らんで来たことと同期しています。それは、一昨夜の私の所見が大きく間違っていたことを示すものでした。

あの夕食後からの彼の嘔吐や立ったり寝転んだりの行動を見て、てっきり私は例の前庭症候群の発症だと思ってしまっていました。それはもう何度も経験したことで、やがて疲れてぐっすり眠ってくれればまた元のように元気になれる筈だと楽観していたのです。

しかし、夜半になって二度目の下痢を見た時、はっと思い当たることがありました。
チョコレート色の中に血の混じったその異臭、それは以前に獣医さんに注意を頂いていた「散歩中に土や草を舐めて拾ってしまうばい菌」に違いありませんでした。このことは何方かのMLの書き込みでも読ませてもらったような記憶があります。

その夕方のタロは実に元気に例の「ヨロヨロ散歩」をしました。途中、言葉を掛けて下さった親子さんに鼻を近づけて「挨拶」が出来たほどでした。終わり頃にはやや硬い排便も出来て、私は全く安心していました。いつものように路傍の草むらに頭を突っ込むその姿を「好ましく」見過ごしてしまっていたのです。帰宅後の夕食も、腕白坊主のようにガツガツと私の差し出す竹製スプーンを盛んに催促するほどでした。

更にここで、もう一つの間違いに気づかされることになりました。下痢止め用の特効薬を切らしていたのです。妻は、薬箱をひっくり返していましたが犬用も人間用も見つかりませんでした。タロは、私がカプセルを示しながら片手で顎を締め付けると、上手にそれを舌の奥に載せさせてくれたものでした。

思えばその時、獣医さんに助けを求めるべきだったのです。しかし、その代わりに私に出来たのは、苦しみだしたタロをかぶさるように抱え込みながら、ただひたすらに夜明けを待つことだけでした。あの苦しそうな彼のため息が、今も悲鳴のように私の耳に聞こえてきます。夜が明けて、次男の運転する車の後部特設席にタロを抱かえたままで、私はもうパニックを超えて変に冷静でした。彼の呼吸が止まった時、そして段々と、押し当てた私の手に伝わる鼓動の感触が遠くなって行くその様を、まるで実況放送のように妻達に伝えていました。

あのお腹の膨らみ具合から見て、余程強烈なばい菌を拾ったに違いありません。葬儀社のお方は、こういう場合多くのワンちゃんからは汚物が出てきてしまうと言われましたが、タロは全くきれいでした。夜半の下痢も結局3回だけで、その「締まり」の良さを思うと、あらためてタロがいとおしくてたまりません。

どうぞ、高齢犬を慈しんでおられる皆さん、愛犬の散歩中の拾い物にはくれぐれもご注意下さい。私は、タロがクンクンしたり舐めたりすることを犬の本性だとしてあえて躾ることをしませんでした。ただ、それならなぜ薬を切らしてしまっていたのかと今は悔やまれてなりません。

若くて体力があれば、それでも耐えることが出来たのでしょうが、あの調子の良い散歩に浮かれてしまって、タロの年齢のことを失念してしまっていました。もはやもの言わぬタロの口から出止まらない赤い胃液を処置しながら、私は何度も何度もタロに詫びました。今の自分の胃の痛みの何千倍も何万倍も痛かったのであろうと思うと、居ても立ってもおられません。

夜明け前、タロの前脚が空を蹴ります。何の術もない私に抱かれて、薄れ行く意識の中で彼が発していたであろう声が聞こえます。「父さん、助けて」と。私はひたすら彼の頭を撫でます。以前妻が、これを続けたから前庭症候群の具合が良くなったのだと言っていたのが頭のどこかにあったのでしょう。それは全く的外れの行動でした。

何の助けにもならなかったあの夜の私を、タロは許してくれるのでしょうか? そうです。許すも許さぬもない。タロはただ、痛くて苦しかったのです。私を許せないのは私自身なのです。私はタロの庇護者でした。他の犬とけんかをした時、雪道を駆けていて心臓が止まりそうになった時、山小屋の浄化槽の中に落っこちた時、狸に噛まれてから「50円玉はげ」に悩まされた時、何度かの下痢で苦しんだ時、いつも冷静に助けてくれた父さん。なのになぜ、今夜はこのお腹の痛みを取り除いてくれないの?。私にはそう聞こえてしまうのです。

その声は今、「タロは幸せだったよ」という皆さんのお言葉の前に立ちはだかって、退いてくれないのです。やがて、時間を頂いて、この綿々とした自分の心が晴れる時まで、私はこの思いを背負って行くことに決めました。そして、その償いには、

タロが愛した家族の健康を祈ること。
彼のHPの「老犬がんばれ台帳」を守ること。
そして、妻と共に四国遍路を成し遂げることです。

実は既に今年(平成12年)、徳島県下の23ヶ寺の巡礼は済ませております。それもタロのことがあったりして、妻が先に(主として徒歩で)済ませ、次いで私が車で済ませました。次からは、二人で歩きながらあちらで沢山の「タロ」に合うことが楽しみです。お恥ずかしながら、上記の雰囲気でお分かりのように、先達は妻が務めます。

同行四人の長旅が終わる頃には、きっとこんな声が聞こえてくるような気が、今、してきました。「父さん、もうお腹は痛くないよー」と。

(注; 四国遍路は一人で行うことに元来の意義があります。それを同行二人”どうぎょうににん”と称します。常にお大師さんと共にという意味です。)

 

(愛知県 T.Iさん Ext_linkTaro’s Home Page )

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ