ある老犬との暮らし [19]タロの花遍路

[19] タロの花遍路 (2001年3月)

平成13年3月に土佐路を歩いて参りました。文字通りの花遍路でした。お天気にも恵まれて、道すがら、沢山の親切な人々と64頭のワン君に会うことが出来ました。多くのワン君は、道の見えるところに繋がれて、寝転んでいて、うす目を開けて、路行く人を、「あんた方何してるの?」とばかりの態度でした。吼えたのはたったの3頭でした。

1頭だけ野良君に会いました。そこは白花たんぽぽが咲く田んぼの中の土の道でした。見つけたのは遠視の私でしたが、妻は「タロだ!」と叫んで重いリュックをゆらして駆けて行きました。

その犬は、綱の首輪を付けていて右後脚を引きずっていて、お腹をすかしている風でした。私共に出来たのは、ついさっきの国分寺で食べてしまった「へんろ石まんじゅう」の皮がこびりついた紙袋を出してなめさせてやることだけでした。

「お家へお帰りよ・・・」。

「それが分からなくなっちゃったの・・・」。

先を急ぐ二人を、いつまでも見送っていた野良君・・・。
振り向きたい気持ちを押さえて、私達は無言のまま歩き続けました。



その野良君は30番目に会った犬でした。彼と分かれてからの二人の沈んだ気分を救ってくれたのは、33番目のまん丸の子犬でした。それを抱かせてもらって、妻に笑顔が戻りました。

45番目に念願の土佐犬に会いました。でもそれは、高知市の九万川の青柳橋の欄干に嵌め込まれたレリーフでした。

今度の旅は、歩いた場所のせいだったでしょうか、散歩中のよりも寝転んでいたワン君の方によく会いました。極め付きは、足摺岬の金剛福寺の納経所の部屋で女性職員さん達の間に寝転んでいたワンさんでした。その首輪にはよく見える字で「金剛シロ」とありました。このシロさんが今回の旅で会った最後の犬です。ちなみに、そこで寝転んでいたのは犬だけで、皆さんはお忙しそうでした。

「伊予の遍路ではどんなワンちゃんに会えるかしら。」
足の指のすべてに出来たマメを治療しながら、妻はもう次の旅を楽しみにしています。



四国遍路には、全行程1400kmを一挙に歩く「通し打ち」と、何回かに分けて歩く「区切り打ち」とがあり、更にこれを全く「歩く」のと、鉄道やバスや自家用車も使うのとあります。私共は、鉄道や路線バスを利用した区切り打ちをしています。ただ近年、路線バスの便数が非常に減り、歩くほうが結局は早い場合も多くなりました。

途中で歩けなくなる人のためにか、タクシー会社の広告が随所にあります。携帯電話の嫌いな私ですが、今回はその便利さを思い知りました。



今回の旅は本当に天候に恵まれました。が、最後の日だけは夜半から雨でした。その早朝の岩本寺の本堂の天井絵はまだ暗くて良く見えませんでした。そこには、絵師岡林流仙先生のお弟子さん達による575枚の絵が嵌め込まれているのです。

7時にようやく納経所が開いて、本堂を明るくしていただき、絵の中に犬のものがあるのかと探しました。見付かれば私共の63番目のワン君という訳です。掃除のおじさんが「首が痛いろ?、畳に寝転んで眺めなされ」と教えてくれました。

彼によれば、猫や馬は多いが犬はおらんよとのことでした。
でもあきらめずに探していた妻がついに歓声をあげました。それはシェルティーのようでした。描かれたお方の愛しいワン君に違いありません。

その位置は、沢山の絵の中のちょうど真中、私共の礼拝位置の真上でした。我が身の真上はなかなか見えないものだということが良く分かりました。



遍路は、それぞれのお寺にて、本堂と大師堂の2箇所で読経をします。本式には幾つかあるのですが私共には例の「般若心経」一つを読むのがやっとのことです。

「・・・色即是空、空即是色・・・」。

黙々と歩いていたらこの意味が分かって来ました。
「あの子はもういない。いないから共に居るのだ」と。

..続く(2001/03/23) 

(愛知県 T.Iさん Ext_linkTaro’s Home Page )

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