小林信美の英国情報 (12)都会で犬を飼うこと
都会で犬を飼うこと
博士課程の研究調査のため、5月から1ヶ月間、東京に帰省することになった。16年前にこちらに住み始めてから2週間以上東京に滞在するのは実はこれが初めてである。しかも、今回は2年ぶりの帰国。愛犬のマチルダを知り合いに預けて、涙ながらにロンドンを後にしたが、調査のための取材等に追われ最初の2週間はあっという間に過ぎ去った。
その後、文献調査のため麻布にある都立中央図書館に頻繁に通うこととなったが、ここは有栖川公園の敷地内にあるので、公園に犬の散歩に来る人たちをよく見かけた。ご主人の関係でロンドンに10年滞在し、昨年帰国したばかりの知り合いの話によれば、ここは愛犬家にとって非常に過ごしやすい公園なのだという。しかし慣れというものはおそろしいもので、普段リードなしであたりを猛突進しまくっている、中/大型犬ばかりを見慣れているせいか、リードつきの小型犬ばかりが機械仕掛けのおもちゃのように足下をちょこまかと歩いている姿に慣れるのには、いささか時間がかかった。ひとつ気になったことは、木陰にいても暑さが我慢できないほどだというのに、きちんと洋服を着せられている犬が多くいたことだった。もちろん、ロンドンでも小型犬のためのファッショングッズを販売している店はあるようだが、犬を着せ替え人形のように扱うことはまだそれほど一般化していない。
ここまで書くと、まるで日本を知らない異邦人が書いた文章のように思われるかもしれないが、前回までヨークシャーの旅シリーズで、オフリードで犬を散歩させるのが難しい田舎の「問題」をとりあげていた私である。しかし、ロンドンは東京に比べれば田舎と言った方が適切な感じがするところである。これは、東京に比べ高層ビルが少なく、市街でも、犬も歩けば棒に当たる式に緑の多い公園に出くわすからだろう。
ちなみにロンドン市内には公園/庭園が148カ所、ヒース、コモン(公有地)、グリーン(イギリスで高齢者に人気のオリジナルの「ボウリング」ができる芝生のある広場)などと呼ばれる大きな公園が122カ所、シティ・ファームと呼ばれる教育目的に都市部で運営されている農場が16カ所、そしてグリーンパークに代表される元王室の領地であったロイヤルパークが8カ所もあるのだ。これらの総面積はわからないが、ロイヤルパークだけでも22キロ平方メートルといい、ロンドン市街が1,570キロ平方メートルであることを考えると、非常に緑が多いところだといえる(http://www.visitlondon.com/areas/parks/)。これらの公園は、ロイヤルパークの例のように王室関係の領地が公園となった所や、産業革命後に公害がひどいために公園として残されることになった所などその歴史はさまざまなようだ 。しかし、ここ10年ほどで人口が爆発的に増えたロンドンでは、中央政府からのプレッシャーから、ありとあらゆる空き地が、いつの間にか集合住宅建設用地になっていたということも珍しいことではなくなっている。それでも、前述のパークやヒースなどの公園は、さまざまな法律や規制で守られているうえに、環境団体などの各種圧力団体もこのような政府の動きに目を光らせているため住宅地にされることは、まずないといってよいだろう。
(写真1 : ロイヤルパークの一つであるリージェント・パーク。ここから右に2〜300メートル歩いた所にあるのがロンドン動物園だ。)
東京滞在中、前述の知り合いの他、ロンドンにしばらく住んでいたことのある知人、数人に会う機会があったが、皆、都内の「人の多さ」と、ロンドンのように緑の多い公園などがあまりないことを一様に嘆いているのが印象的だった。そのうちの一人は仕事の行き帰り、わざわざ上野公園まで出かけていたのだが、ホームレスの人が多くなり行きづらくなったので、最近は、新宿御苑まで足をのばすようになったという。また、ロンドンから東京に転勤になってから、思い切って郊外に引っ越しした人もいた。第二次大戦中、焼け野原になった東京であるから、この状態は戦後の都市計画の結果もたらされたものだと推測するが、ロンドンに移り住んで田舎ねずみと化した私には、とてもついていけない場所となってしまったようだ。
(写真2 : 毎日の散歩コースである我が家から徒歩1分の所にある森)
当然のことながら、都心に緑が少ないのは、東京だけではない。最近、学会でスペインのバルセロナに行く機会があったのだが、ここでも猛暑の中、都心の歩道でフレックス・リードを駆使しながら愛犬の散歩にいそしむ人たちの姿がよく見られた。もちろん、東京よりも人の数や交通量は少ないのだが、都心部はコンクリートジャングルであることに変わりない(注:もちろん、歴史的な建築物が非常に多いところだが、全て石造りなので)。
バルセロナ出身でロンドン在住30年になる友人の話によると、バルセロナでも郊外の山の中ならば、犬を放して散歩するところもあるが、都心部ではノーリードでの散歩は不可能だという。かくゆう彼女は、ロンドンのど真ん中のヴィクトリア駅の近くに住んでいる都会派。しかし、冬の寒い日でも近くのハイドパークやセント・ジェームスパーク等に散歩に出かけている大のウォーキング好きである。私は学会のスケジュールの合間を縫ってバルセロナの浜辺の近くのカフェで彼女と会うことにした。彼女はもちろん、カタルニア人である。しかし、猛暑と強硬な学会のスケジュールのせいか、そんなことにはおかまいなしに、思わずバルセロナ中心部に広い公園がないというようなことを口走ってしまった。ガウディの建築物とピカソなどで有名な観光名所のうえに、大きな都市にはふさわしくないほどのすばらしいビーチがあることでイギリス人には人気の高いこの街。ロンドンのようにたくさん公園がないなどと文句を言うのはもってのほかと思われるかもしれないが、犬の散歩が一日のハイライトという生活にどっぷり浸かっている田舎者の私である。すると「ここはロンドンみたいにちょっと歩いたら公園にぶつかるような所じゃないのよ」とさとされてしまった。確かに、至る所に緑の多いオープンスペースに恵まれた大都市には、ロンドン以外には今までお目にかかったことがない。ニューヨークにはセントラルパークしかないし、パリも中心部にはそれほど大きな公園はない。
(写真3 :バルセロナのビジネス地区内近くのマンションの敷地内の犬禁止の立て札。)
そういえば、住宅事情に関してもロンドンは他のヨーロッパの都市と違うようだ。前述のように人口が爆発的に増加しているため、高層アパートの数は増えているには増えているが、郊外にはまだまだたくさん庭付きの家が多くある。庭には緑のカーテンならぬ、じゅうたんや壁まである所が多い。イギリス滞在は、大学の時も入れると20年くらいになるが、これでやっとこの人たちが持ち家と庭に固執するわけがわかったような気がする。
今回の東京とバルセロナ滞在で、ロンドンはイギリスの郊外よりも、また、他の大都市よりも犬を飼う環境に恵まれているということが身にしみてわかった。とはいえ、金融危機問題解決にやっきになっている与党の労働党は、ニューディール政策を思い起こさせる住宅政策に今後さらに力を入れていく方針を明らかにしている(これは、過去10年間に高騰した住宅市場の影響で個人の住宅を手に入れられない下層所得層のためという名目になっているが:http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/london/7920446.stm)。
そういうわけで、こののどかな北ロンドンにも開発の波がじわじわと押し寄せてくるのは必至であるということである。
(写真4 :つい最近できたばかりの新しい分譲住宅。犬の散歩に来る人たちの間では刑務所のようだと評判が悪いが…。)