動物孤児院 (17)私の願い

(17) 私の願い

ドイツでタクシーに乗ったときのことです。若いドライバーが私を日本人と知るなり、「日本の捕鯨はけしからん!」と抗議してきました。こんなとき、「じゃあ、あなたがたの牛や豚を食べる習慣は?」と議論を始めたら、私はタクシーを降りるチャンスを失ってしまうでしょう。「私は鯨どころか、牛も豚も食べないんですけど。皮靴も買わないし」と言ったので、その時の議論は私の勝利に終わりました。ある面だけをみて、その国全体を非難することも、賞賛することも私には愚かに見えます。「自分だけが正しい、私の国だけが正しい」という見方から生まれるものは、戦争だと思います。
拙訳書「ペットたちは死後も生きている」(日本教文社)の著者であるハロルド・シャープ氏は著書の最後に書いています。
「私は期待し、祈る。同情と憐れみの心と慈愛が、人類の真の美徳の基準となる日が来ることを。ハンティングや罠猟、銃殺や毒殺が、野蛮な時代から伝えられてきた過去の語り草にすぎなくなる日が来ることを。」
私の願いも、これと同じです。日本から、世界から、残虐な行為が消えてほしい。人間同士も、人間が動物に対しても。
私が、「ドイツではこうです、ああです」と述べると、読者の中には私がドイツはすばらしくて日本はだめだと非難ばかりしていると誤解する人がいることに気づきました。最近も、ホームページの投稿にそういうのがありました。ヨーロッパ人はフォアグラを食べるじゃないか、あれは? これは? と、まったくきりがありません。私はフォアグラを食べないし、無理にガチョウの口をこじあけて肝臓に脂肪を貯めるガチョウ飼育は、野蛮な行いと思います。でも、フランス人はそういうことするから大嫌いだ、というふうにはならない。残忍なフランス人もいるし、こんなガチョウ飼育法に胸を痛めているフランス人もいるのですから。
私は犬猫、そのほかのペットに対するドイツ人の概念と対策に共感を覚えている。この国のシステムは日本に紹介したい、と思うからそうしています。ドイツのペットに関する条例は、人間もペットも幸せになるたいへんいいものだと思えるのです。ところが、「日本人が低級でドイツ人が高級だから、ドイツ人のまねをしましょう」と私が言っていると誤解する人たちがいることに気づきました。
ドイツ人は別に高級でも何でもなく、高級な人もいるし、低級な人もいます。しかし、全体に見て、私が知る限りでは、ドイツの動物保護は、かなりいい線をいっているのではないか、と思うのです。なぜなら、動物に苦痛を与えてはならない、という考えがかなり浸透しているからです。
ホームページで私を非難した人は、ドイツ人の無礼さを書いていました。こんな失礼な国民のすることを何で我々日本人は「お手本」にしないとならないか、というわけですね。
どうぞ、安心してください。ドイツ人の無礼さは、もう…ほんとにどうしようもないほどです。ドイツ人のサービス精神のなさときたら、あきれるほど。(もちろん、すごく親切な人もいるけど。一般的に、という意味です。)観光客としてではなくて、住んでみると、腹のたつことばっかりです。ドイツ人でさえ、「このドイツっていう国は、動物にはやさしいけど、人間にはけしからん」って怒っています! 邪険に扱われて、プンプン怒って帰宅するのはしょっちゅう。いつも思っていますよ。私がこの国に住めるのは、ドイツ人の動物保護精神のおかげだって。(笑)

(2003/11/13)
 

(小野千穂)

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