星のお姫様「イネスとビアンカ」

星のお姫様「イネスとビアンカ」

愛されて命を全うした犬達は、日本に住む犬の何パーセントでしょうか?
七夕の7月。七夕と言えば年に一度、織姫と彦星がめぐり会えるロマンティックな日。
その七夕に願いをかけた二人の飼い主さん、「もう少し愛犬たちの命を永らえて」と。

残念ながら星に願いはかなわず、虹の橋の向こうに見送りました。手厚い介護の末、イネスとビアンカを虹の橋へ見送った二人の愛犬家の切なくて優しい思いが伝わってきます。
イネスは美しいアフガンでした。私はこれまで何頭ものアフガンを見ていますが、イネスほどの美しいアフガンを知りびっくりしたほどです。王族に愛されたアフガンハウンド、そのプライドを持った見事な犬でした。

ビアンカ、残念ながら私は生前、そして亡くなった後のビアンカに会ってはいません。しかし、ビアンカの介護の様子はビアンカのママさんのブログから、どれだけ愛された犬であったかが想像されます。

イネスとビアンカ、ほぼ同時に虹の橋を渡り、共に天国に駆け上って行きました。

イネスとビアンカは、おそらくママ達に「これまで最高に幸せだったよ、ありがとう!ママ!また会おうね〜!」と言いながら、天国に駆け上って行ったと思います。(2010/7/27)(LIVING WITH DOGS)

七夕をはさんで、アフガンのイネスとボルゾイのビアンカはサイトハウンドらしく追いかけっこをしながら天高く舞い上がって行きました。

愛した分だけ、喪失感は大きい、でも、愛し抜いたし、全力で大切にしてきたし、彼女たちと暮らした11年間、その日その日を愛犬たちに出来ることを最優先してきた私たちなので、後悔はほぼないと言えると思っていました。
そして、いつか再会する時まで、少しの間「さようなら」と毅然とした気持ちで、私たちは言う予定でした。
しかし、目の前から愛犬が消えてしまった現実は、予想以上に悲しみの流れに押し流されてしまいそうでした。

<がんばり屋だった天使たち>
昨年の残暑の厳しいころにビアンカの心臓に見つかった血管肉腫は致命的な疾患でした。この疾患は通常余命数ヶ月(2〜3ヶ月)と言われています。しかしビアンカは素晴らしい獣医師の先生方やビアンカを愛する多くの人たちに支えられ、奇跡的に見事なクオリティーオブライフを保ちながら猫のバドやカラスのビィビィと1年近く楽しく暮らせました。

イネスは4才の時に発症した「特発性てんかん」と7年間向かい合い、7才頃からは発作が頻発するようになり、それからはイネスのママは片時も離れずにイネスと過ごしてきました。イネスママは、犬と暮らすセミナーの講師を仰せ付かりましたが、いつ発作が起こるか不安な為、イネスを会場に伴って講師を務めたこともありました。
イネスのてんかん治療には、専門医の処方で、日本では未認可の薬が必要でした。昨年の夏、この薬を手に入れるために、国内外の多くの人たちの援助をお願いし、日本では未だ販売されていない抗てんかん薬(keppra・成分名レベチラセラム)を個人輸入しました。その薬のお陰で少しづつ発作の回数をコントロール出来るようになっていました。そして今年も薬の手配を万全にした直後の急逝でした。

イネスが11才のお誕生日の3日後(7月5日)の夜中に突然ぐったりしました。急ぎ病院に車を走らせ、病院で胃捻転とわかり、緊急オぺをと全身麻酔をかけ、開腹をする直前までは麻酔も安定していました。しかし突然無呼吸に、低酸素、不整脈で強心剤を投与、心臓マッサージを施し、心停止、徐細動器(AED)も試みたが蘇らず。イネスとの別れはあっけなく訪れました。(7月6日AM3:10ころ)。
麻酔下だったのでイネスに苦しみはありませんでした。てんかんでの発作で亡くなると思っていたのが、まさか胃捻転で逝ってしまうとは考えもしませんでした。イネスが亡くなったことを認識出来ないまま、翌七夕の日にイネスを荼毘に付すことになりました。

イネスが荼毘に付されているその時間帯に、一方、ビアンカは意識が混濁し、まさにビアンカも虹の橋を渡ろうとしていました。その頃、虹の橋を渡り終えたイネスから「今、天国への階段が混んでいるのよ、ビアンカはもう少し後からね」と、ビアンカは橋を戻り、ビアンカの意識は奇跡的に回復したのでした。

3日後の7月9日の明け方、ビアンカはママに「少し闘病生活に疲れたわ!」と伝えました。歩くこともつらい、排泄もやっととなった今、生きていること自体奇跡的な状況となっていましたから。

ビアンカママと主治医の先生は話し合いました。これ以上生きていることは、ビアンカにとってつらいだけと、「安らかな眠りをプレゼントしたのです」(安楽死を選択)
たくさんの獣医師や看護師さん達からも愛されたビアンカでした。安らかな眠りについた後、ぐったりした身体をシャンプーしてくれた看護士さん達。生き生きとした若い頃のような真っ白な美しいビアンカに戻してくれました。

純白になったビアンカは少し前を走っているイネスのクルっと廻っているしっぽを追いかけながら、天の川を駆け上がって行ったのです。

<イネスとビアンカの考えたこと> 
二人のママ達へ「私たちが逝った後、おそらく気を張って頑張るだろうけど、本当は弱虫な二人だから、私たちイネとビア2頭で行くから心配しないで大丈夫!!ママたちもそっちで支え合ってね、が・ん・ば・れ!!」と同時期にお星様になることを仕組んだようです。イネスを荼毘に付した4日後の7月11日、同じ霊園で、同じ時刻にビアンカは荼毘に付されました。

<にぎやかになった天国>
イネスは目から鼻に抜ける子でした、天才的な賢い犬でした。ビアンカは天真爛漫で何でもこなす犬でした。付け加えるなら2頭ともママたちへの要求は多く、ママたちのことを長い鼻で使いまくり、そして、絶対なる信頼を寄せ慕ってもくれた子達でした。ちょっとわがままだけどがんばり屋、甘えん坊で天真爛漫、2頭は天国に共に行きました。さぞ天国はにぎやかになったことでしょう。

神様にお願いです。「私たちが一番愛した宝物(イネスとビアンカ)を天国に送ったのだから、私たちが行くまでの少しの間、大切にして下さいね、優しくしてあげてくださいね。真綿に包んで、手塩にかけて育てた娘たちなんですもの、よろしくお願いします」。

<ママ達の思い> 
私たちは愛犬を守り通したつもりになっていましたが、だけど、私たちがイネスやビアンカに支えられていたんだと思い知らされました。だって、彼女たちに出会えたこと、暮らせたこと、看病出来たこと、そして、多くの動物を愛する人たちと繋いでくれたこと。
たくさんのことが、イネスとビアンカがいたからこそ今があるのだと。「イネスありがとう。ビアンカありがとう。本当にありがとう」

サポートしてくださったたくさんの方々に、心から感謝致します。本当に、本当に、長い間ありがとうございました。
皆様から頂いたたくさんのお花に包まれてイネスとビアンカはお星様になりました。
お別れに駆けつけてくれた方、
敵なお花を送ってくれた方、素敵なメッセージを送ってくれた皆様、ありがとうございました。

最後になりましたが、イネスとビアンカを医療面でサポートしてくださった獣医師の先生方、並びにスタッフの皆さま、チーム医療の素晴らしさに敬服させられました。

イネスもビアンカも多くの素晴らしい獣医師に出会えたことで、いくつもの難しい病気を乗り越えて来ることが出来ました。そして安らかな死として一生を終えることが出来ました。心から感謝致します。(2010/7/27)(イネスのママ、ビアンカのママ)

プレゼント1)
ビアンカを荼毘に付した翌日の夕焼けは、十数年ぶりに見る息をのむような美しいパステル調のグラデーションの空でした。そこには病という苦悩から解放され、笑いながら走っているビアンカとイネスの姿が見られました。

プレゼント2)
天国からのサプライズ。不思議なことがありました。
お盆の入りの7月13日、都心にあるイネスママのお家に隣接する森に子タヌキが4匹やって来ました。その中に好奇心旺盛な女の子が2匹いました。そうイネスとビアンカです。イネスママは27年間この地に住み始めて裏に暮らすタヌキに合いました。これもイネとビアの仕業でしょう。これからもきっと、イネスとビアンカはたくさんのサプライズをプレゼントしてくれることでしょう。

プレゼント3)
その後のある日、ビアンカママは下水管の中からか細い猫の声が聞こえます。消防隊員に通報!無事に助け出された猫は、なんと真っ白い子猫でした。まるでビアンカの生まれ変わりでしょうか。そして消防員の隙間を元気に走り抜けて行きました。

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