動物孤児院 (72)フランクフルト空港に犬が着いた
動物孤児院 (72)フランクフルト空港に犬が着いた
犬の保護活動をしているH夫人から誘われて、フランクフルト空港に犬を受け取りに行くことになった。今回は、アジアの某国で犬肉料理になる直前に救出された3頭である。私たちの役割は、犬たちを空港で受け取って、スイスの山の中に住むボランティア家に送り込むこと。
しょっちゅう行くフランクフルト空港でも、貨物受け取りの場所は見たことがなかった。ましてや国外から空輸された犬を受け取るのは初めての経験だ。
まず、中に入るための登録をすませ、大きな建物の中にある検疫や通関の書類に署名する。最後は動物専門の運送会社のオフィスで引き取りの書類が整うのを待った。ハムスターでも象でも何でも引き受けるという大手の会社だ。コンピュータのスクリーンを見つめる職員の人たちがひっきりなしにかかってくる電話に応対している。「シカゴからミュンヘンまで猫を送りたいのですね」、「犬をフランクフルトからニューヨークへ? で、種類は?」……。言語も英語からスペイン語、フランス語、ドイツ語へとくるくる変わる。
すべての手続きが完了するのに2時間近くかかった。飛行時間だけでも12時間、フランクフルト空港に到着してすでに6時間以上経過しているので犬たちの状態が気になる。
そして、いよいよ犬たちを待つために私たちはオフィスの外に出た。「注意! 生きている蝶が入っています」と書かれた、背丈ほどもある頑丈な箱が横を通り去る。そこに一日中立っていれば様々な生き物が見られるのかもしれない。
ついにクレートが3つ、若い男女の係員が押す押し車に載せられてやってきた。係員の2人の、犬たちを見る目がやさしい。白っぽい犬の入ったクレートに手を入れると、犬はパタパタと尻尾をクレートの壁を叩いて私の手を舐めた。涙が出そうになった。
クレートはそのままでは大きすぎてH夫人の車に積めないので、ねじを全部はずしてクレートを折りたたまなければならない。(ちなみに、運送料もクレートも犬たちを救出した人からの寄付である。)
まず、一番大きい犬からとりかかる。ちょっと大きめの中型犬でクリーム色。足が1本欠損している。私の手を舐めて、「人間をまだ信頼している」と目で言ってくれた子だ。H夫人がそっと両手をクレートに入れてリードにつなぐ。そして、ゆっくり外へ。ドイツでの第一歩である。
次はクリーム色の若い中型犬で人なつこい。問題は3頭目の、まるで小鹿のような茶色の犬である。この生後6ヵ月の幼犬はクレートのすみに固まったまま動こうとしない。H夫人は忍耐強く、犬にやさしく話しかけ続けた。そしてたっぷり時間をかけて犬を抱き下ろした。
新しいファミリーを求めてスイスへ
平たくなったクレート3個分を車の座席に押しこみ、犬たちをバンの後ろに入れる作業にたっぷり1時間は要した。おびえた犬を取り逃がすと絶対に捕まえられなくなる。「とにかくまず犬たちに安心させないとね」と、H夫人は犬をつないでクレートから車まで、ほんの数メートルだけ歩かせ、「今日はこれで十分」と言う。3頭目の茶色の犬は車のすみっこに丸くなってブルブル震え続け、外に出しても座り込んでしまい、立とうともしなかった。
20分でH夫人の家に帰り着く。玄関の前にスイス・ナンバーの車があった。キッチンでスイス人のボランティア嬢がコーヒーを飲みながら待っていた。ここでも、余計なストレスはできるだけ避けるという意味で犬たちはそのまま車内で待機させる。ボランティア嬢は5時間かけて着いたばかりなのだが、これからスイスの山奥に住むボランティア氏の家まで犬を届けるのである。
「1日以内でスイスからドイツを車で往復するのは初めて。今回は自分の勇気試しなの」と笑った。
次の作業は犬たちをボランティア嬢の車に移動させること。3本足の犬に道を少し歩かせると、長旅の後とは思えないほど元気で、リードをぐいぐい引っ張って匂いを嗅ぎまわり、しっかりオシッコをした。
こうして犬たちはスイスへと旅立った。
翌朝、H夫人から、「昨晩スイスの家に無事到着して、もう他の犬たちと仲良く遊んでいるそうです」という嬉しい知らせがあった。犬たちはしばらく山の家で長旅の疲れと心の傷を癒した後、新しいファミリーのもとに引き取られていくことになっている。