ある老犬との暮らし [4]老犬力

[4] 老犬力 (1999年4月)

今迄3回にわたりタロの老衰ぶりを書いてきましたが、それを書く私自身に困惑や悲愴の思いがそれほど無いことにいま気が付いてややおののいています。今様に言えばそれは、タロの「老犬力」のお陰ではと思います。
いかにヨロヨロ歩くとも毎朝の散歩を催促する顔は輝きます。肉腫を舐めないように毎晩首にはめられる特大のカラーを嫌がりもしません。朝になれば外してもらえることを承知しているかのように、そのままドデンと寝ころびます。寝たままの姿で、耳は聞こえなくても、時々薄目を開けて家族の動静を監視しています。だから「犬の食わないこと」はそうそうやる訳には行きません。

老犬には「生きるために食べる」ことが分かるようです。タロの場合、2度の食餌は人が見ていては駄目ですが、家の中から伺うと、衰えてしまった食欲を懸命に奮い立たせているのが分かります。見ていなくてもそれを平らげたのか残したのかは、「報告」に来るか来ないかですぐ分かります。

仕事の関係で深夜に帰宅する次男には、それに気付きもせず寝姿のままで待っているタロの胸の鼓動をチェックすることが日課になりましたが、それだけで次男は、疲れも飛んで良く眠れるのだそうです。
次男には「おまえ、それでも番犬か?」と笑われていますが、夕方になると道路の見下ろせる階段の踊り場に伏せて、行き交う人や車を眺めるのが好きですから、「あそこの猛犬、まだ健在!」と思われている筈です。

こうして、愛犬をいたわりつつ、人間もまたいたわられる…。それが老犬力でしょうか。 

(愛知県・Iさん Ext_linkTaro’s Home Page )

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