動物孤児院 (79)ミャンマーで出会った犬

ミャンマーで出会った犬

<犬を食用とする国>

どこにいても犬たちに目が行ってしまう。それは旅行中でも同じで、名所旧跡には興味がわかず、その土地の犬たちがどんなふうに扱われ、暮らしているのか、そっちのほうが知りたいと思う。

ミャンマーに行く前に夫から言われた。「ミャンマーも犬を食べる習慣があるよ」と。中国、韓国、東南アジアでは、犬肉を食用としていることは周知の事実だが、私がその国々を訪れるに当たってはある程度の心の準備が必要なのだ。なぜなら、見たくない、と思っていても見てしまうかもしれない。

25年も前の話だが、上海の肉屋の前でまもなく殺される犬を見たことがある。肉売り場では生きたハリネズミもぶらさげて売っていた。震えていたあの犬を私はなぜお金を出して引き取らなかったか、今でも後悔している。その犬のことを私は死ぬまで思い起こしては悔やむだろう。(足を縛られ、ぶら下げられていたハリネズミのほうは、有り金をはたいて買い、地図で調べて、翌日バスを乗り継ぎ、森林公園という所に放しに行った。)
今そういう場面に出くわしたら迷わず買うだろう。あれから私はだいぶ大人になって(たぶん)、あのころよりは世の中の仕組みがわかるようになったので、犬をドイツに送るだろう。多くのドイツ人がギリシャやスペインで「見かねて」ドイツに連れて帰り、新しい飼い主を募集するように。
こんな話をすると、
「その国の人たちの食料を奪うことになってしまうのじゃない?」という人がいる。そうではない、と私は断言できる。今の時代に犬を食べる人たちは、他に食料がなくて犬を食べるのではなく、単に「デリカテッセン」と見なしていたり、「冬に犬肉を食べると体が温まる」という、食に対する欲か、単なる習慣なのだと思う。食料に不足していて犬肉を食べる、という環境で犬を食べるのではないのだ。

<野良犬はゴミで生きている>

ミャンマーはアジアで最も貧しいそうだ。昔は東南アジアで最も富む国であったのに、政府高官だけが贅沢三昧の暮らしをして、人民は貧困のどん底にある。それでも市場を見回すかぎり、食料には困っていない(と思う)。どんな辺鄙な場所でも何日おきかで市が立ち、米、野菜、熱帯の果物、干した川魚が豊富にあった。人民が買える値段であり、大家族で暮らす人たちなので飢え死にする人はいないはずだ。熱帯だから果物や野菜はどんどん育つし、湖や川では魚が捕れる。

野良犬たちはゴミの山を徘徊して食べ物を探していた。骨と皮だけの犬もいるし、まあまあの犬もいる。

この国では肥満犬は皆無だな……、と思っていたら、田舎の町で小さなレストランに入ったら、中型で肉付きのよい老犬がいた。レストランの家族らしいおじいさんがその犬をしきりに撫でたり、よっこらしょと膝の上に乗せたりしていたので、私はすっかり嬉しくなってチップをはずんだ。

古代の寺院が数百あるバガンという町でも、何度も市場に行ったが、そこでは犬に食べ物を与える女性を見て、またまた嬉しくなった。その犬も老犬で、肉付きがよかった。
<犬に食べ物を与えるのは「施し」という善き行為>

外国からの旅行者が犬や猫に食べ物を与えるのは土地の人の気分を害するかもしれないと始めは消極的でこっそり与えていた私も、市場での光景を見てからは、「だいじょうぶらしい」と思えた。市場で犬に食料を与えていた女性はニコニコして、写真を撮らせてくれた。私がこっそり犬にパンを与えているのを見た人からも例外なく笑顔が返ってきたからだ。

「よっしゃ!」―――それからはホテルの朝食のパンとソーセージをバッグに入れ、長いこと食べ物にありついていないような犬を目指して自転車を走らせた。
田舎の路上で骨と皮だけの犬を見かけて、「あの犬に食べさせよう」とターゲットを絞り、食べ物を見せても警戒して寄って来ない。人から食べ物を与えられたことがないのかもしれない。そこで、犬が見えたら、道のすみに食べ物を置いておく。帰りに見ると食べ物はなくなっていた。
首都のヤンゴンでは「ダーラー」というかなり貧しい地区を訪れた。団体の旅行ではおそらくそういう地区を避けるだろう、と思われる地区だ。川向こうの町で、大きなフェリーが往復している。ミャンマー人は無料だが外国人は2ドルの料金を払い、パスポート番号や滞在ホテルを登録しなければならない。
 そこでは何十年も生き延びてきたような自転車を改造して客を横に座らせるようにしたサイカーを雇って回った。
ゴミの収集のないその町では、町のあらゆるところに捨てられたゴミの食料が野良犬たちの命をつないでいる。道の真ん中に黒い点々が見えるが何だろう?と思っていると、生後10日ほどの子犬だった。道の真ん中で寝ているのだ。車が頻繁に行き来する道ではないけれど(その町で車を持っている人はほぼゼロだろう)、そのままだとサイカーに轢かれることにもなりかねない。
木陰に子犬を移すと、他にも3匹いた。バッグにしのばせておいたクロワッサンを子犬たちの鼻に近づけると、子犬たちの眠気はいっぺんに醒めたらしく、がつがつと食べた。主食は米か麺のミャンマー人はパンをごちそうとは思っていないと聞いていたので、視線を気にせずパンを取り出すことができる。あの町でクロワッサンを食べた犬は、この子犬たちが最初で最後かもしれない。

子犬たちを木陰に移動させる間も、パンを与える間も私たち夫婦は注目の的になっていたが、集まった人たちは始終ニコニコしていて、サイカーの運転手の青年は一緒になってパンを与えた。その場を立ち去ろうとするとき、ひとりのおじいさんから「あなたがたは、とてもよいことをしたね!」と言われた。
2週間、ミャンマーで感じ続けたことと言えば、民は貧しいけれど心のほうは豊かだ、ということだ。そして、動物愛護という言葉も意識もミャンマーにはまだないけれど、犬や猫たちはこれからも自分たちで生きる手段を見出して何とか生きていくのだろう、ということだった。

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