リタイア犬との暮らし

リタイア犬との暮らし

人のため働く犬、その代表的な犬は盲導犬です。
盲導犬が老いてリタイアするということは、ユーザーとの生活に終止符が打たれると言うことです。 ユーザーの中には離れがたく、最後まで共に暮らしたという例もあります。しかし、犬は、衰えても、ユーザーへの気遣いを忘れず、老いた犬にとって「もう良いんだよ」というお役目御放免はないのです。老いても役目を果たそうとする、それが盲動犬の使命だからです。
年をとることは、致し方のないこと、でも人のため、働き、愛されてきた盲導犬に、安心して残る余生を幸せに暮らさせてあげたいものです。家族の一員としての、暖かいぬくもりのある家庭での余生をです。([参考] セミナー「働く犬と家庭犬」の報告から リタイアウォーカーの候補 をご参照下さい。)
以下は、リタイア・ウォーカーをされている、京都の小川さんの 貴重な実話です。(LIVING WITH DOGS)


ワン!を愛する皆さん!

OGAWA FAMILYとHOLLYです。HOLLYは元盲導犬、これはHOLLYにまつわる話です。

今から6年前、私の勤めてる病院に盲導犬連れた患者さんがきてはった。名前をHさん。視覚障害者協会では結構有名な方で、講演やラジオ出演等忙しい人やった。

そのHさん、2頭目の盲導犬がグレース、黒のラブやった。Hさんは、もう盲導犬連れて15年以上、大ベテランじゃった。またそのグレースも良くできた盲導犬で、立派じゃった。

そのHさん、不治の病になった。そう癌じゃった。一大決心でHさんは大手術。本人も頑張ったがグレースも頑張った。手術は成功、元気になったはった。入院BEDの下にいたグレースも幸せそうじゃった。

私はこのとき盲導犬初めて見た。そら感心した。

しかし、手術から1年後再発、抗ガン剤の使用、壮絶な戦い。もう万策つきたとき、Hさんはグレースをリタイアさせた。グレースはアイメイトの所属だったんで、関東方面へいった。 そら立派なたらちねだった。

テレビ東京の取材も受け、今でも思い出すが、子供にだっこされて階段を下りるグレースが映し出されたとき、私は涙した。グレース幸せやなぁと。

Hさんが癌の痛みをモルヒネで抑えつつ、東京へ会いに行ったと聞いた。グレースはとんでもなくよろこんだそうな。
しかし、Hさんが帰るときは、付いていかず新しいご主人のそば離れんかったと。

グレースには自分の立場が分かっていた。またHさんとの最後の別れだというのも分かっていた。Hさんもグレースの気持ち全部分かったんやと。

数ヶ月後、Hさんは他界された。グレースもリタイアして1年半後、12歳で他界した。

Hさんが亡くなる前、わたしは頼まれた。「視覚障害者のため何かやってくれんか」と。わたしは リタイア犬しか頭になかった。

それではと私はHさんに 「リタイア犬のボランティアさせてほしい」と頼んだ。Hさんは快く関西盲導犬協会を紹介してくれた。

しかし、現実はかなり違った。まず、リタイア犬は数も少なく、引き取られる家にも厳密な規定があった。庭付き、芝生、放し飼い等、わたしの家はマンション、広いとはいえ芝生はない。ちょっと考えたら犬が幸せだろうか。

わたしは申し込んではみたものの、盲導犬が来るとは思ってもみなかった。絶対来るとはおもわんかった。ただ、余命少ないHさんへの餞別のつもりじゃった。

しかし、あとで聞いた話じゃが、Hさんは一生懸命盲導犬協会に頼んでいたそうな。 Hさんも最初は協会に断られたそうじやが、わたしはそんなことしらんかった。それでもHさんは盲導犬協会に、私の申し込みを受け付けてくれるよう頼んだんやと。

もう一つ 大問題があった。それは尚美だった。
うちの次女の尚美だが、幼少の頃から、喘息持ち。私が、病院で採血して調べると、ダニ・猫・犬にアレルギー反応を示していた。私が野良猫拾ってきたらすぐ呼吸困難、すぐに学校休んだ。友達の家遊びに行って、犬なでたら即発作、学校帰りに、捨て猫抱いたらすぐ発作。大変な娘だった。

でも、1999年1月20日、我が家の電話が鳴った。妻が出た。関西盲導犬協会からの電話じゃった。わたしは腰抜かす程ビックリした。しんじれんかった。

1月27日、わたしと家内は、亀岡の関西盲導犬協会へ行き、HOLLYと対面。わしはすぐにグレースを思い出した。盲導犬協会のトレーナーの方が、新しいお父さんとお母さんですよと、HOLLYに紹介した瞬間から、HOLLYは完ぺきに我々の命令に従った。そら、従順に。

盲導犬協会の人に、子供の喘息が出たら勘弁してと言い、HOLLYは我が家へ、1週間の試験期間。

驚いたことに、尚美は全くなんともない。HOLLYは非常に良くできていて、しつけも問題なし。10分で我が家に適応。命令には完ぺきに従った。

試験期間も無事終了。2月3日小雪ちらつく日、協会にHOLLY連れてわたしと家内は行きました。

盲導犬協会のトレーナーの方が尋ねた。「どうですか」と。
私達は即座に答えた。「我々は全く問題ない。HOLLYに聞いてくれ」と。
HOLLYは、何か笑ってるようだった。晴れてHOLLYは、”オガワ ホリー” になった。

HOLLY来て1年。私は尚美の血液検査再度してみた。驚いたことに、犬に対するアレルギー反応は1/1000に減少していた。猫やダニに対する反応は相変わらず、なぜ犬だけがへったんか。医学的には説明できん。

HOLLYが来るのにもう一つ。HOLLYの使用者、Nさん。HOLLYのお母さん。HOLLYをとても愛し、目の代わりとして8年間一緒に生活したお母さん。そのNさんの住まいが、マンションだった。だからHOLLYはマンションの方がいいのではと、盲導犬協会の人が気をきかしてくれたんです。

先日、Nさん、そうHOLLYのおかあさん。我が家にやってきた。HOLLYは非常に喜んだ。私はこんな喜んだHOLLY見たことなかった。
さて、Nさんが帰るとき、私はとても心配した。HOLLYが、Nさんに付いていってしまうんではないかと。本当に心配した。
しかし、HOLLYはしっかりとNさんを見送った。HOLLYは自分の立場を、しっかりと理解していた。

この姿に、私はグレースの姿が見えた。本当に見えた。

HOLLYが来てから、我が家にはいいことばっかり。まず、電気自動車のモニター当たった。我が家に電気自動車が来る。次に、MALTSのコート当たった。さらに、貯金したらステーキ肉10,000円当たった。2回も。長女、大学受かった。わたし、老人ホームの理事になった。

一番は、尚美、喘息治った。治った! 治った!
さらにいいことには、友達たくさん出来た。散歩の途中で会う皆さん。LIVING-WITH-DOGSな方々、みんな大切な、友達です。私も医者ですからあまり非科学的な事は信じないんですが、 こんだけそろうと、私は、天国のHさんとグレースの仕業だと思います。きっと 目の見えるようになったHさんと、グレースがどこかで笑っています。
やった \\(^o^)/バンザーイ と。 U^ェ^U ワン! (^o^)ハハハと。

最近、年のせいで涙もろくなってしゃーない。HOLLY見てると、今日は泣けてくる。わたしのすることはこれのみ。HOLLYを幸せに、家庭を大切に、友達を大切に、盲導犬協会に協力を、がんばりまっせ。

最後に、感動した人も、しなかった人も、これを読んだら、関西盲導犬協会のHPを見てください。よかったら関西盲導犬協会にメールを出して下さい。
 
「HOLLY知ってるよ」って、「OGAWAのおやじ知ってるよ」って。ワンコのテレカやT−シャツ・トレーナー等も売ってます。絵画や陶芸品のオークションもしています。ご協力お願いします。(2000/07/15)(京都府 小川さん )(ご本人の了解の上お名前を公開させていただきました。)

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