残された動物たちの末路(福島の動物1)

残された動物たちの末路

書くことがあり過ぎてどこから書いて良いかわからないが、震災から2ヶ月半微力ながら明けても暮れても、福島原発の動物たちのことで動いて来た。

今回の震災は本当に大変なことになった。

あの3分の揺れは、たくさんの人たちと動物たちの命を奪った。そして平和ぼけしていた私たち日本人に大ダメージを与えた。

とくに福島原発の放射能汚染は、収集が付かない状態で終わりは見えない。

東京にいる私や愛犬も、少なからず放射能汚染が進んでいるのであろう。

今回、福島原発の警戒区域と計画的避難区域のペット(あまり好きな表現ではないが)と家畜たちは本当に悲惨な状況である。

すでにこの問題に関心のある人たちは、先にネットで、遅れてTVなどの映像でご存知だと思うが、人が避難した後に取り残されたペットや家畜たちは「餓死」という最悪のケースをたどっている。

20キロ圏内がまだ封鎖されていない時に、保護に入った方々には心から感謝している。1000頭近くのペットが救われたと聞いている。

犬の保護に入ったある団体は、水欲しさで側溝に落ちていた牛たち(計5頭)をわずか3人で土嚢やケージを積みあげて階段をつくり助けてくれた。牛たちだけでは側溝から上がれず、そのままでは息絶えていたことだろう。

今、その牛たちが元気にしているかはわからないが生まれたばかりの子牛もいた。

このことはTBS「みのもんたの朝ズバツ!」で放送される予定だったが、10分枠という時間の関係で、そのことは紹介されなかった。残念である。

思うに、たくさんの保護団体並び個人が今回の動物たちのことでは動いている。
これまで日本の動物愛護団体と称される方々や、個人の動物愛護者が、今回の福島の原発問題で、「動物愛護という同じ目的」で同じ方向を見て一致団結している。福島の動物を助けるためにみんな心を一つにしてそれぞれの思いを繋いでいる。

環境省も農水も福島県庁愛護課も、過去これぼとまでの要望(電話・FAX・投書)を受けたことがないと話す。

国内に留まらず海外からもたくさんの要望が来ているとのことだった。


☆ 生命に対する軽視が犠牲を増やしている 

そこまで大きなウエーブが起きているにも関わらず、20キロ圏内のペットや家畜たちは未だに置き去りになっている子たちが多い、家畜に関しては、相馬の馬追いの馬確か28頭が移動出来ただけだ。ペットで飼っていたヤギや羊は家畜ということで移動出来ない。馬追いの馬たちに関しては文科省が動き、無形文化財保護と言う名目で動かせた。

寒暖の激しいこの時期に残されているペットや家畜たちの安否が気になってならない。

空腹もさることながら、給水がもっとも大切で脱水で死亡している個体も多いと聞く。

そもそも、ペットも家畜も野生動物ではなく、人と関わってはじめて生きていける動物たちで、人だけ移動させたのが大問題である。

チェノブィリの時は家畜も住人と一緒に移動させた。原発ではなかったが中越地震の旧山古志村では、ヘリコプターを使って残されていたすべての牛を移動した。その費用は1億5000万とも言われている。

本当にあまりにも多くの動物たちが、飢えと不安の中で死んで行った。

震災から2ヶ月半、政府の幹部たちはどうして生き物をもう少し大切に出来ないのだろうか? 生命に対してどう考えているのだろう?

苦しいときこそ、弱者を労れるのがよい社会であり、真の先進国だと思う。

家畜のサンクチュアリ構想が動きだしているが・・・続きはまた。
(2011/5/25)(友納由美、riesha Twitter Name)

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ