星になったエル
愛犬を失った飼い主さんからお便りが届きました。生後5日から育てた犬、育児も大変だったことでしょう。その飼い主さんは、目もあかない子犬を愛情深く育て、老いていく愛犬を見つめ、癌におかされた身体を介護しました。そして静かに逝った愛犬を愛おしむ言葉は、誰が読んでも心を打ちます。
エルとMさんご家族の素晴らしい関係が言葉の端はしに出てくるからですね。エルがいない今、Mさんを慰めることが出来る言葉はみつからないでしょう。時が経ち、節目毎に月日を重ねるまで、そしていつかエルが「お母さん、もう私のために泣かないで」とささやいてくれるまで。(LIVING WITH DOGS)
我が家の犬エルが2月21日深夜死にました。13歳1ヶ月でした。
エルは、ゴールデンリトリバーと?のMIXです。
生まれた彼女ら兄弟を、ブリーダーは一刻も早く目の前から消したいのか新聞広告に乗せて貰い手を探し、乳離れも待たずに手放しました。我が家に来たのは目も空かない生後5日、この子を手のひらに乗せてどうしようかと戸惑いましたが、犬と暮らしたかったので思い切って貰い受けたのです。
住居は2階ですので、夫が、1階の物置に外と中を行き来できる寝室付きの犬小屋を作ってくれましたが、エルは嫌がって吼えまくり人間と一緒の生活場所を獲得しました。
寝場所も箱から飛び出せる大きさになったとき夜金庫の取っ手に繋いで置いたら小さい体で数十キロの金庫を引きずって騒ぐので繋ぐのをやめました。一人掛けの椅子、長いすがお気に入りの寝場所になり、しまいには娘の布団に上がって寝ていました。
11歳の春玄関のコンクリートの所に腹ばいになって動こうとしないので変だなと思い獣医さんに電話したら子宮膿瘍だと言われ急遽手術を受けました。ゴールデンウイークが始まる土曜日だったので間一発でした。目は白内障に、耳は聴こえなくなり老化する姿が哀れでしたが、食欲は衰えませんでした。
それが昨年11月、旅行先から家に電話した時エルの病気を告げられ、がっくりしました。乳癌が破れて出血したのです。しこりがあるのは気付いていました。手術は出来ないと云われ、薬を飲ませ続けていましたが、2つ3つと口があきおびただしい出血をしたのです。
亡くなる前日の夕食は残しましたので、肉に替えたら食べてくれて、翌朝の朝食も肉に切り替えたら食べました。そして夕食は鶏のムネ肉一枚をしっかり食べました。
長いすの下、椅子の陰、台所と居間の通路と居場所を替えて最後は私たちの寝室でベット脇の床に毛布を敷いてそこがお気に入りになり先に寝に行くこともありました。
21日の夕食後もそこで寝ていたのですが、深夜のトイレの時間になったので、おしっこに行こうと背中をゆすったら起き上がって外に出て行ったのです。右足に力が入らなくなっていたし呼吸が荒くなっていたので、1歩歩いてはとまり、2歩歩いてはとまりで、階段の上がり下りがさらに難行苦行でした。でも一日最低でも3回息を切らしながらでもこれをやってのけました。彼女には家の中での排泄は考えられなかったのです。
動物の本能で本当は外の目立たない雪の中で死にたいのではないかと幾度も思ったのですが雪の中をその夜もゆっくり道路の所まで行き、思案しているのか、途方にくれているのか長いこと立ち止まっていました。戻ってくる途中で腰をおろしてしまいました。バスタオルを下腹部にわたし、後ろ足を浮かせて歩かせ、階段も支えながらようやく上らせ、居間に戻ったときは心臓が飛び出すほどの激しい息遣いでした。傷口の消毒とパットの取替えもその場で済ませました。いつもトイレから戻ったら何か一口欲しがるので、茶碗の前に佇んだので牛乳を上げたのですが、彼女の一生で、初めて顔をそむけて拒否しました。水のみ場に行っていつものようにカバノアナタケ茶を飲み頭を撫でて貰ってから、寝室の方に向かったので、私は風呂に入り、湯船の中で、夫がエルに何か言っているのを聞いていまた。
上ってどうしたのと寝室に入ってみると夫が死んだみたいと云うのです。お腹の動きも止まっていました。揺すったら息をし始めるかと思いましたがだめでした。
2月に入ってからは、病巣が悪化したのか腐臭がひどく、横になるのも大儀そうでした。寝たきりになったら、褥痩(床ずれ)になるとおもい起きたときには脇腹を撫でていました。悲しいけれど彼女は自分の一生を全うしたと思います。
人間の老人等と比べようもないのですが、彼女は堂々と生きたと思います。私の老後の手本にしたいくらいです。一つだけまだ吹っ切れないのは、気が付いた時手術を受けさせれば良かったのかどうかなのです。白内障の点眼を始めたとき、嫌がって噛みつき、慣れるのに1年もかかったし、耳はまったく聴こえなくなっていたし、入院のケージに入っていた時のあの姿を見るのが嫌だったし、医療費も結構かかるだろうし、緊急でもないしなどなどと思って結局は彼女にひどい苦痛を与えたのではないかとの思いなのです。
階段にエルの足から伝い落ちた血痕が残っていて、「辛かったね、大変だったね、よく頑張ったね」と、涙が伝わってきます。
「腐った体から解き放されて自由に動く足でもう時空を駆け抜けていってしまったね。
思い残すことなどなんにもなく、走って走って走り回っているんだろうね。思う存分走って疲れたら、一寸だけ戻っておいでよ。あたまを撫でてあげるから。でもだめだね。もう帰ってこないよね。」
お医者さんは10歳から12歳が寿命なのだから充分生きたよと云ってくれましたが、寂しさはどうしようもないほどです。骨は春までは私の部屋に置きます。雪が解けたら、子犬のとき庭に深い深い穴を掘って土だらけになっていたオンコの木の下に埋めましょう。
あそこも彼女が選んだ居場所だと思うから。
いやしいのが取り柄だと思っていたのに、好きだった食べ物に興味を見せなくなっていくのは悲しかった。キャベツや大根を切る音を聞きつけて走ってきて催促して居たのに、口から出すようになり、しまいにはバナナも食べなくなってがっかりしました。
3ヶ月位かなと獣医さんに云われたのが、10日余分に生きてくれたのが彼女の贈り物だったのかなと思います。エルは私が食べるものは何でも好きで、必ず一口は分けていたし、貰えるのは当然と彼女は思っていました。夫も息子も食べ物の好みが違っているから、食べる楽しみが半分になってしまってかなしいです。果物、野菜、ナッツ類、焼き芋、干し芋、ヨーグルト、パン、お菓子。太らせないようにと気を使いながら一人と一匹でおやつを楽しんでいたのにこれからどうしよう?「エル、13年間ほんとにありがとうね」
(2004/02/28)(北海道、M.Mさん)