小林信美の英国情報 (22)愛犬の生と死:1.安楽死

(22)愛犬の生と死 : 1.安楽死

3月の末にサマータイムに変わり、長かった冬ももう終わりである。春は生命の季節だ。公園に行けば、春の象徴である水仙の花が至る所に咲きみだれている。公園に行けば、クリスマス前後に新しい家族の仲間入りをしたとみられる子犬がたくさん散歩に来ている。そんな中、人生の冬を迎えた老犬が、暖かい日差しを体いっぱい浴びようと懸命に歩いている健気な姿を見ると、生命の強さというものを改めて感じさせられるものだ。しかし、こんな考え方をするのは、死を恐れる人間の悲しい習性なのである。今のこの瞬間だけのことを考えて生きている彼ら犬たちにとっては、先のことなどどうでもよいのだ。今回は、死を間近にした老犬との接し方について考えるシリーズの第一弾として、最近日本でも一般的になってきた愛犬の安楽死について考えてみたい。

愛犬の安楽死について深く考えるようになったのは、比較的最近のことだ。10年ほど前に、実家の犬(ケン)が不治の病を患い、年金生活者の父が治る見込みのないケンを獣医にこまめに連れて行っては、肺にたまった水を抜く治療を行っているのをみかねて、安楽死を考えてみてはと勧めたことはあった。もちろん、これにより今や老犬となったケンが、あれほどまでにいやがる獣医に頻繁に足をはこばなくてもよくなるからということも、安楽死を勧める大きな理由のひとつではあった。当時、母を亡くした直後で、独り暮らしにやっと慣れてきたばかりの父。自分の子供同然に育ててきたケンを、病気の苦しみから救うためとはいえ、自らの手で死に追いやるということができなかったのは当然のことで、父が安楽死という手段をあえて選ばなかったことについては、その後、話題にも上らなかった。しかし、実際、自分が父の立場に置かれてみると、できるだけ痛みを和らげ、改善の方向に向かうようできる限りのことをしてあげたいという気持ちが優先し、英国では一般的である安楽死などには全く考えが及ばなかった。そういうわけで、地元の獣医から、悪性の肝臓腫瘍という診断を下され、セカンドオピニオンを請うため別の獣医を訪ねるも、同じ診断で、もう施す手だてはないと宣告されていたのにも拘らず、私は一途に奇跡を信じ、疑うことすらしなかったのである。そして、後先考えずに多額の借金をし、マチルダの治療に全力投球することにしたのは、2年以上前のことになる。

安楽死の基本的な目的は、治療する術のない不治の病に悩む患者を恒久的に痛みから解放するということにあるが、その根底には、生あるものは生きている限り「価値ある生活(Quality of Life)」を営むべきであるという考えがある。これによると、病気を含むさまざまな理由から痛みと苦しみに侵され、生きていても意味がないような困難な状況におかれた場合、死を選んだ方がよいということなのである。「人生山あり谷あり」とし、生きるということは容易ではないと理解している日本人にとっては、実は、非常に受け入れ難いはずの哲学なのである。英動物愛護団体の「Bluecross」は、英国でも、愛犬のためとはいえ、安楽死は、家族の一員である愛犬の命を自ら奪うということになり、「罪悪感」を感じる人は多いとしている(https://www.bluecross.org.uk/pet-advice/time-say-goodbye-to-your-dog)。

ここで、犬にとって価値ある生活とはどのようなことなのであろう? これは主観的な問題であり、人それぞれいろいろな考え方があると思うが、以下の「Bluecross」による安楽死を検討する際の確認事項を参照するとイギリス人の倫理観を垣間見ることができる。
• 食欲はありますか? 水を欲しがりますか? よく眠れますか? 動作は機敏ですか? (Can your dog still eat, drink, sleep and move around reasonably comfortably?)
• 近寄ると喜んで反応しますか? (Does he or she respond to your presence and greet you?)
• えさの時間を楽しみにしていますか? (Does feeding time attract interest?)

「Bluecross」は、また、以上のことを確認したうえで、慢性的な食欲減退、嘔吐、痛みや不安、または苦痛を伴っている様子、呼吸困難などが見られる場合は、安楽死を真剣に考え始めなければならないとしている。これに加え、不治の病の愛犬の看病に伴う飼い主の精神的苦痛と、さらに治療にかかる費用等、経済的な問題もここで考慮に入れなければならないと忠告する(https://www.bluecross.org.uk/pet-advice/time-say-goodbye-to-your-dog)

マチルダの診断を受け、私が個人的に直面し一番やっかいだと感じた問題は、上記のような考え方が広く定着しているため、よぼよぼした老犬を連れて歩いていると「もうそろそろ考えなければならないわね」などと、余計なお世話ともいえるアドバイスをしてくるおせっかいな人に出くわすことだった。とにかく、不治の病で生きていることを楽しめない愛犬を生かしておくのは残酷なことであり、飼い主の「我がまま」でもあると思われているからだ。

前述の通り、針やホメオパシー、さらにエッセンシャルオイルを用いてのマッサージなどで、いつの日か悪性腫瘍がなくなると信じて疑わなかった私は、安楽死など全く関係ないものだと思っていた。さらに、一般の獣医ではもう施す手はないということで通い始めたナチュラルクリニックの獣医さんも、動作は鈍くなってはいるが、マチルダにはまだ生きたいという強い願望があるということで、安楽死に全く触れることなく、治療の際には、食事や栄養のことについて親身に相談に乗ってくれ、これもマチルダが突然奇跡のごとく回復するかもしれないという私の期待をふくらませる原因のひとつとなった。そういうわけで、おいしい食べ物を食べたい、散歩に行きたい、皆になでてもらいたいなど、生きることにほんとうに一生懸命な彼女の姿を見るたびに、できるだけ彼女の願いを聞きとどけてあげたいということに気持ちが集中して、安楽とは言え、死などということはマチルダの最後の数ヶ月には全く考えられないことであったのだ。

次回は、筆者が直面した老犬のケアにまつわるさまざまな問題とその解決法としての自然療法について紹介したい。

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