小林信美の英国情報 (23)愛犬の生と死:2.老犬のケアと自然療法

(23)愛犬の生と死:2.老犬のケアと自然療法

あと2週間ほどでサマータイムも終わる。日暮れが加速度的に早くなるように感じられ、長く暗い冬の到来も間もなくのこの時期になると、近所の獣医から愛犬マチルダの肺のレントゲン検査の結果を告げられた時のことを思い出す。
外出先で携帯電話の電波が悪いため、霧雨の降るなか屋外に出たのだが、ただですら聞き取りにくい外国語なまりの強い獣医の声は聞きづらく、電波のよい場所を探してかなりの距離を歩いたことが昨日の事のように思い出される。
やっと相手の声が聞き取れるようになったと安心したのもつかの間。診断は予想以上に悲観的で、次第にひどくなる雨の中その場に立ち尽くしたまましばらく言葉も出なかった。
レントゲン写真で、肺がかなり弱っているのはわかるのだが、老齢のためこれ以上の検査をするのは体力的に無理であろうということで、今後は症状をやわらげるために亡くなるまで投薬を続けることしかできないというのだ。老犬によくみられる乾いた咳に苦しむようになり、いつもの散歩道で久しぶりに出会った知人数人からマチルダが以前よりもかなり痩せたことを指摘され、念のためにと診察に連れて行った結果がこれだった。
それまで病気らしい病気もしたことがなかったため、レントゲンと聞いても特にピンとこなかったのだが、スタッフォードシャー・ブルテリアの寿命である13歳を迎えた当時のマチルダが、老齢から来るさまざまな症状に苦しんでいても全くおかしいことではなかった。
いろいろ考えた末、年老いたマチルダを薬漬けにしたくないという気持ちにかられ、ペット保険ではカバーされていない動物専門の自然療法で有名なリチャード・オルポート先生に診察してもらうことに決めた。

ここでイギリスのペット保険事情について少し説明したい。
まず、こちらの獣医の治療費は技術的に日本よりも遅れている分、かなり割高になっている。例えば、日本では一般的な超音波での検査はどこの獣医でも受けられるわけではなく、大抵の場合大きな動物病院に行かなければ受けられない。
その他各種の検査費用や手術代も保険がなければとても支払えないようなものも多く、子犬の時にペット保険をかけることは広く受け入れられるようになっている。
そうでなければ、RSPCA(英国王立動物虐待防止協会)などのチャリティー団体の経営する獣医で低料金で治療を受けることも可能だが、これは基本的には、低所得層の飼い主を対象に提供されていると考えて間違いない(注1)。
ペット保険は、ペットが重病にかかった場合、非常に便利ではあるが、その普及で別の問題が発生しているのも否めない事実である。例えば、飼い主の弱みにつけこんで必要のない診療をしたり(注2)、処方薬の価格にかなりの額を上乗せして請求をする(注3)ような獣医が出て来た事である。
そしてペット保険は掛け捨ての保険であり、健康な犬であれば掛け金を貯金している方が賢明な場合も多いようである。 ちなみに、マチルダが亡くなる数ヶ月前の段階で、彼女のペット保険の掛け金は、私の民間の健康保険よりもはるかに高額になっていた。
さらにこの時点では老齢で受けられない治療も多く、保険の掛け金を貯金した方が賢明であったのだが、万が一の時に備えてという考えにとらわれ、解約の決心ができたのが亡くなる直前のことであった。
これを解約しなければ、亡くなった時の葬儀代等の補助が出るはずであったが、それほど早く亡くなるとは思っていなかったので仕方がなかった。そういうわけで、この時「保険」というコンセプトが人間の心理を利用したおそろしいお金儲けの道具であるということを身にもって知ったのであった。

こういう事情もあり、一般の獣医にはあまりよい印象を持っていなかった私は、素朴なオルポート先生のアプローチにすぐに魅了されてしまった。
先生のクリニックは、北ロンドン郊外のポッターズ・バーにあるのだが、週1日だけトレンディな西ロンドンのクリニックでも診療をしている。
私が予約を入れた日は、ちょうど西ロンドンのクリニックでの診療の日だったので、マチルダと二人でノッティング・ヒルから歩いて15分くらいの同クリニックを訪れた。

初秋の午後のやわらかい陽がそそぐ診察室は明るく、マチルダの病気で暗くなっていた私を少し元気づけてくれた。年の頃は70代前半と思われるオルポート先生は、2頭のメスの愛犬の飼い主で、ほんとうの犬好き。ホメオパシーを行うだけあって、マチルダが診察室に入るとすぐに性格分析をしてくださった。それ曰く、マチルダは好奇心が強く、全てに一生懸命になるところがあるが、少し神経質だという。そういわれてみれば、そうだと感心する私に、先生はおっとりした口調で、今後の診療方針を語ってくれた。要は、マチルダの症状は彼女の年齢も考慮にいれ、完治するものではないと思われるが、針やホメオパシーなどの自然療法は、これらの症状を軽くし、余生を楽に暮らせるようにするものだという。

私自身、西洋医学にあまり頼らずに暮らしているため、それまでも虫下しなども必要な時のみだけ与えるようにしていたので、オルポート先生のクリニックは私にはぴったりだった。もちろん、触診と飼い主への問診のみのこの診療では、実際にマチルダの具合がどれほどひどいのかはわからなかったが、穏やかなオルポート先生のやさしいことばに勇気づけられ、週1回の診察は、マチルダの看病をしていくうえで大きな心の支えとなったことに間違いはない。特にテンカンを起こすようになったことでわかった肝臓腫瘍の治療には、いろいろ迷うことはあったが、最終的にあまり無理をせずマチルダの生きたいという気持ちを最優先にして、できるだけ彼女が生きていて楽しいと思える生活を実現するように専念することにした。
例えば、肝臓が弱くなっていたので、肉などの高たんぱく質の食べ物は避けなければならなかったのだが、できる範囲で食べたいものを食べさせて、会社から休暇をもらい、できる限りそばにいてあげるようにし、今まで好きだった北ロンドンのさまざまな公園にもできるだけ連れて行ってあげるように努めたのだった。
亡くなる直前には、15キロもする彼女をおぶりひもで支え、抱いて会社に通勤し、ほんとうにできる限りのことはやったつもりだった。
前回にも触れたが、その間、安楽死ということは一度も考えなかった。これはマチルダの生きることに対する強い執念を感じたからで、これにはオルポート先生も診察の度に感心していたのだった。しかし、彼女の壮絶ともいえる最後の5時間ほどの間、実はもしかしたら安楽死をさせてあげなければならないかも知れないという考えが何回か頭をよぎり、オルポート先生にアドバイスを乞う電話をしたほどだったが、私の気持ちを察してだろうか、マチルダは私がその決断を下す前に静かに息を引き取ったのだった。

Richard Allport先生(ポッターズバーのクリニックにて)
Natural Medicine Clinic
住所:11 Southgate Rd, Potters Bar EN6 5DR
電話番号:01707 662058

(注1)「Getting Help With Veterinary Treatment When You Can’t Afford It」 http://www.pets4homes.co.uk/pet-advice/getting-help-with-veterinary-treatment-when-you-cant-afford-it.html
(注2)「Why I’m ashamed to be a vet: a shocking expose of the profession that puts pets throughpainful and unnecessary treatments to fleece their trusting owners」 2009年12月11日付デイリーメール、Alixon Smith Squire著: http://www.dailymail.co.uk/news/article-1232217/Why-Im-ashamed-vet-shocking-expose-profession-puts-pets-painful-unnecessary-treatments-fleece-trusting-owners.html
(注3) 「Vets caught ripping off pet owners by charging hefty fees for medicines they could buy cheap online」2015年7月11日付デイリーミラー紙, Pamela Owen著 : http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/vets-caught-ripping-pet-owners-6050310

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