猟犬になれなかった家庭犬、家庭犬としての猟犬

猟犬になれなかった家庭犬、家庭犬としての猟犬

 たしか96年だったか、10月、イヌの散歩に出た妻がうろついているセターを発見しました。我が家のイヌを家の中に収めてから、捜索開始、使われていない物置内で見つけて保護。たぶん米系(体型と、後に判ったことですがハイノーズハイテールなので)のイングリッシュ・セター、保護時に12キロ。(1歳前後、雌、未避妊)。首輪も身元のあかしになるもの一切無し。肉球に擦過傷。痩削。警察・保健所に連絡するも届け出なし。
家の中に入れるとすぐリラックス。ソファにも抵抗なく乗る。実家マンションのエレベーターも平気。拾ったその日に口の中を触ってもOK。
 しかし、外へ連れて行くと、ガタガタと震え、過呼吸、よだれを泡にして、舌はチアノーゼ状態。走るか、すくむかでまともに歩けず。アイコンタクト不可。ヒトの食べ物に関心薄し。

 このイヌの生い立ちを推測してみると。
 ハンターの飼い主が家族に世話を任せて室内で飼っていて、散歩にも連れて行かず、「さて猟期前だ」というのでフィールドに連れだしたらすっ飛んでいってしまい、「あんなバカ犬要らん」とそのまま帰ってしまったのではないかと。拾った地点から峠を越えた先に訓練によい広いフィールドもあるので。

 室内では外で見られるような悪癖もなく、粗相もしない理想的な家庭犬なんですが、外での興奮があまりにひどいので行動修正の専門家2名に見てもらいました。引っ張りを多少とも強制できるかというのでハルティーやジェントルリーダーの使用法を指導されましたが、原則としてアキラメたほうが良いだろうとの見立て。
 それでも2年ほど飼ううちに少し落ち着いてきて、アイコンタクトも取れるようになり、リードの範囲では呼びが効くようになったので、丸1シーズン、リード付きで狩りに同道。先犬(ハナイヌ)あり。こっちは雑種です。
 その次の秋のある日、リードを放してみました。
 四角く残った休耕田の薮にまず先犬を入れ、キジもウサギもキツネもひそんでいないことを確認してから、当該犬を。この日はその薮の中を走っただけで、呼んだらすぐ反応しOK。次の日。別の場所、山中の窪地。同様に先犬で「掃除」して興奮する材料がないことを確認してリードを解いたところ、何の臭いをとるでもなく、一直線に山に消えました。呼んでもダメ。数分後足音がしたので再び呼んでもダメ。先犬が吠えて呼んでもダメ。後天的に覚えるヒトの声より先天的に知っているイヌの声のほうが訴求力強そうなんですけどね。青くなって探しまわり、が、出て来ないので一旦帰宅して妻や他のイヌを応援部隊として連れだして夕刻まで探しまわるもダメ。その晩のうちにチラシを作りコピーして近所に貼り、挨拶まわり。翌日も一日探すもダメ。が、その夕方、28時間ぶりに自力で帰宅。
 シドニーの一時予選の試合中(サッカーの)、どこが相手だったか、(小野)伸二がゴールを決めた直後に玄関の外で鈴がなった時の嬉しかったことといったら。それ以後は連れだすの、やめました。

 動物行動学、M.Wフォックス博士が紹介しているいさかか残酷な実験があります。
 仔犬を「垂直な線がない部屋(壁と壁の間の入り隅をアールさせた)」で育てると、あるいは「水平な線がない部屋」で育てると、一生涯、ちゃんとした平衡感覚は持てない、というもの。
 刷り込みとは言いづらいので「社会化」に属する事柄でしょうが、普通の「学習」と異なり、ある感受期を逃すと後の修正がきわめて困難、ほとんど不可能、というわけです。
拙宅の例だと、もとの走る素質+感受期に外の世界を十分に見せなかったことが原因かと。
 この手は現実的に矯正はアキラメたほうが、ヒト、イヌとも心穏やかに暮らせる気がします。当該個体は現在ネコのお友達にしてあんか犬として暮らしております。
 少しずつは改善するんですが、十分に改善される前に寿命が尽きてしまうと思いますね。

 他方、いま使役している老犬に猟芸を仕込んだケースから。
 キジに当てた最初は単にキジを追ってました。飛ぶ下を数百メートル走って付いて行ってしまう。ただこれは「正常な興奮」状態と言えます。
 技術的に言えば、
・キジを追って走って行ったら
 走り出す「前」ならば声で止める。走りだしたら無視。怒鳴らない叱らない。帰ってきたら、そっけなく誉める。
・オンリードで「物理的に走れない」状況でキジに当て、「自発的に止まったのでなくても」誉めちぎる、誉めたおす。
・同時期に「自己抑制」「セルフコントロール」系のしつけを。咥えているオモチャを放させるのでも、散歩の出掛けにお座りさせるのでも。ただし、絶対的な月齢が足りてるのが条件。ヒトでも、どんなに英才教育をしても「菱形は4歳にならないと描けない」というような限界があるのと同様。
・「(ヒトの勝手な思いこみでなく)イヌから見た時に」群れとして正常な信頼関係を築く。
・「強化の原理」を理解して活用する。つまり、誉める。ほめることができる物理的な状況を人為的に用意してでも誉める。まずはオンリードで、次にはたとえばドッグランなり使われていないテニスコートなり借りて、薮を設置して、放鳥機のキジ入れて飛ばせば、「帰って来ない」状況は避けられる。
・叱りたくなる状況(家庭内でのこまかなことは別として)を作らない。叱りたくなる状 況になってしまったら、無視する。叱らない、怒鳴らない。
・必要なところには時間をかける。small step の原則。いいイヌを目指すのなら1〜2シーズンは猟課は無視。というよりイヌに専念。
・解発因を理解する。種・品種・系統・個体ごとのそれを。イヌ一般において、高く速く飛ぶキジより、低く遅く飛ぶコジュケイのほうが追跡という「衝動」の「解発因」として強いとか。ゲイズハウンドの血が濃ければ、「逃げるもの」「逃げている途中で急に止まるもの」への反応がビビッドであるとか。
・従いやすい命令を。後追いをやめさせるのには「待て」より「座れ」が一般的には有効とか(ただし、堅い草の上では座りたがらない神経質なイヌでは逆ですが)。
・「水路付け(チャネライゼイション)」をうまく使う。生得的な衝動を「どの」解発因に関連づけるか。
 そして何より、「イヌのすべての振る舞いはイヌに責任はなく、ヒトの所為だと絶えず自分にいい聞かせる」。

 椋鳩十(むくはとじゅう)に「犬よぶ口笛(佐々木さんの話)」という小品があります。聞き手である筆者にイヌをうまく扱うコツを問われて、鹿狩りの勢子が本職という「佐々木さん」は答えて曰く。
「コツというほどのものはないが、まず第一にイヌのことが好きでなければ。あれは自分のイヌ、これは他人のイヌというような区別をしてはうまくない。とにかく無条件でかわいいと思えるようでなければ…」と。

(2003/04/01)(波多野鷹、あるメーリングリストの投稿から)

波多野鷹 – 「犬と山暮らし」の著者 Ext_link放鷹道楽

1967年10月10日、東京生まれ。1985年、物書きに。1992年頃から鷹狩りを始め、1995年に日本放鷹協会諏訪流鷹匠に認定さる。妻一人、鷹・隼約10羽、犬5匹猫1匹その他の動物たくさんと長野の山中に暮らす。
NPO法人日本放鷹協会理事。The British Falconers’ Club、North American Falconers Association、ヒトと動物の関係学会、日本爬虫両棲類学会、日本鳥学会、日本動物行動学会、日本野生動物医学会、希少動物人工繁殖研究会、日本飼育技術学会、日本野鳥の会、日本推理作家協会、日本SF作家クラブ、各会員。

 

 

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