ゴッドマンの戦死

ゴッドマンの戦死

古来より、人は犬を友とすることで気候の変化や災害時も狩猟によって食料を確保する事が出来るようになりました。愛犬と共に同じ目的を持って獲物を追い、しとめた喜びを分かち合う。犬とのパートナーとしての究極の原点でもあります。狩猟はワーキングドッグとして、その最大の本領を発揮できるでしょう。
愛犬と共に狩猟を楽しむある素晴らしい飼い主さんをご紹介しましょう。
傷つき逝ったゴッドマンのご冥福をお祈りいたします。(LIVING WITH DOGS)



11月15日から猟期が始まって、週2回の休みは必ず犬たちと山に行っています。
あまりハードに動き回ると、疲れきってしまい、時々、俺は何でこんなことをやっているんだろうと考え込んでしまうこともあるのですが、犬と暮らすこスタイルとの究極のは狩猟であると勝手に思い込んでしまっているので、そして狩猟こそ貧しくて肉の食えなかった幼少の頃の私の原体験であることから、やめられようはずもなくて、体力が回復するとまた出かけてしまうのであります。
今年はとくに猪が多いという年でもないのですが、私の犬群は初猟のころから豬に遭遇することが多くてそれなりに猟果もあります。12月1日の時点ですでに6頭の猪を、サイズはいろいろですが、ほとんど犬たちの咬み止めによって捕獲しています。(写真左 : 在りし日のゴッドマンの勇姿 )

しかし、好調に見えた今猟期、私の大切な犬の1頭が猪の牙にかかって命を落としてしまいました。
死んだ犬の名前はゴッドマンといいます。作為的Mixのひとつですが、基礎になっ たのは大分、宮崎地方の地犬で日向犬といいます。これに宮崎県のMという人が、いろいろな犬をかけあわせて作り上げたのがラガーという系統の犬であります。ゴッドマンが生まれたのは佐賀県佐賀市でして、1999年3月5日に塗装業を営む方が、ラガー系統の犬同士、兄妹交配によって作出したのです。
兄妹、姉弟交配というと大方の愛犬家はまるで自分のことのようにまゆをひそめるようですが、犬の繁殖の世界では、ショウドッグでも作業犬猟犬でも、洋の東西を問わず優秀な犬を作り出すためにわりと普通に行なわれているかけあわせなのです。

普段のゴッドマンのキャラは、30キロ近くある大きな身体ととても優しい性格、そしてどこか憎めないとぼけたところのあるかわいいいものでした。よその犬に対しては喧嘩は買わず、売らず、ただしうちのパックの中では、自分より下位の牡犬に対しては情け容赦なく。上位の犬に対しては完璧に服従して、牝犬たちには限りなく優しく、親分の私に対してはまるで神様扱いでした。

一歳までは強い猪に対しては腰の弱いところもありましたが、最近では猟欲強く、執拗に絡む犬となり、いままで猪に一回も切られたことのない、けっこう面白い豬犬だったのです。

11月24日午前9時ごろ、お気に入りの相*市と上*町の境にある猟場で犬たちを放しました。メンバーは、パンダ、ゴッドマン、ビビアン、マービーの4頭です。谷底の道を 山頂に向かってゆっくりと登っていきます。ゴッドマンとパンダは右の斜面、左の斜面と快調に捜索しながら走り回っています。あとの2頭はそれなりにわくわくするものがあるのか、年長さんのあとをついていったり戻ってきたりです。
突然、右の斜面のかなり上のほうでゴッドマンのはげしい起こし鳴きが聞こえてきました。ついでパンダの声も加わります。仕込み中の子犬たちもあわてて斜面を登っていきます。

犬たちが猪に絡む声は私の右手の斜面を下手の方に移動して行きます。私も愛用のレミントンスライドアクションショットガンモデル870の薬室にカートリッジを送り込んで、後を追いました。

50メートルくらい今きた道を下がったところで、小さな枝谷があります。犬たちの声はそこで止まりました。私からの距離は30メートルもないようです。銃を腰だめに構えて、浮石に足をとられないように気をつけながら、登っていきます。

少し登ると、現場が見えました。大きな猪の耳にパンダが咬みついています。純ドゴのビビアンは、生まれて初めて見る猪の後ろ足、ふくらはぎの辺りを咬んで引っ張っています。エアデールのマービーは、実戦で山の猪は初めてですが、5〜6メートルくらい離れたところでワンワン吠えています。ゴッドマンはと見れば、猪からやはり5〜6メートルくらい離れたところで倒れています。

ちょっとまずいことになったかなと思いながら、銃を肩づけしてさらに近づいていきます。約10メートルのところで、猪と目が合いました。猪の目は怒りに満ちています。犬を2頭引きずってこちらにまくってこようとしますが、犬たちは必死で食い下がってそうはさせません。猪がまくってきたらいつでも発砲できるように、照準を猪に合わせて犬が照準線から外れるのを待ちます。不用意に撃てば犬に弾が当たります。猪を見て頭に血が昇ったハンターが、猪の向こうにいる犬に気がつかずに、発砲して、猪ごと犬を撃ち殺すことは時々耳にします。

犬が猪をしっかり咬んでいれば彼らの動きの中で必ず撃つチャンスはあります。この時点で犬の咬みが甘くて猪を放すと、猪は私に突進してきます。過去にまくってきた猪の頭部に銃口を押し当てるようにして撃った経験がありますが、「一瞬殺される!!」と思ったものです。

猪は、今度は私から逃げようと時計回りにゆっくりと回転します。猪が真横を向いたとき、その向こう側でパンダが耳を取っています。銃の照門、照星、猪の目と耳の間の急所を一線にそろえながら、さらにチャンスを待ちます。私のレミントン870は、スラッグ弾を撃てば、50メートルで拳骨大、100メートルで手のひら大のグルーピングを作ります。この距離ならば、絶対にはずしっこありません。
さらに猪は回転します。彼も必死です。平和に休んでいるところを、恐ろしい犬たちと人間が襲ってきたのです。相手を殺すか逃げるかしなければ、生き延びるチャンスはないのです。
猪はすでに私に背を向け、谷の奥ニ時の方角に鼻面を向けています。この時点で照準線は猪の右耳の後ろに合わせています。 
(写真 : 今はなき幻の万能エアデール”ペニー”の勇姿(1)。彼女は、猪犬としての才能はもちろん、訓練犬・家庭犬としても非常に優秀で、また、フリスビードッグとしても非凡な才能を発揮していましたが、残念ながら若くして他界。)

パンダが疲れたのか猪を放してしりもちをつきました。一瞬、標的から半径1メートル以内に何もなくなったのを確認した私は、ほとんど無意識に引き金をしぼります。
「パッカーン!!」山の中で聞く銃声はこんな乾いた音がします。銃を構えなら倒れた豬に近づいてみるとすでに息はありません。銃の薬室を開放して地面におき、腰からナイフを抜いて近寄り、猪の左前足をつかんで仰向けに近く横たえると、喉元の胸に近い部分を正中に心臓に向けて刺し、放血します。まだ動いているであろう心臓から大量の血が吹き出ます。
ここまでほとんど何も考えずにやってきた私は、ナイフを放り出して、ゴッドマンに駆け寄りました。

彼は、目を閉じて倒れています。荒い息づかいです。下になっている右の首のまわりの落ち葉が真っ赤に染まっています。「どうした。やられたんか。」 声をかけるとそれでも身体を起こそうとして伏せの姿勢になりました。目を開けて私を見ました。右の首、ほとんど下顎骨の後ろに小さな、約3センチの傷があり、そこからまるで水が水道の蛇口から流れ出るように血が噴出していました。
 「父ちゃん、やられてしもたわ。助かるやろか。」目が訴えています。何とか出血を止めようと傷口を指で探り、出血部位を押さえようとしますがうまくいきません。押さえる指のそばから温かい血液が情け容赦なく噴出するのです。コッフェル鉗子が手元にあればあるいは止めれたかもしれませんが、戦い上手な私の犬がまさかこのような事態になるとは想定しておらず持参しておりませんでした。

それでも何とかならないかと必死で止血を試みていましたが、ゴッドマンの目は次第に輝きを失い、意識が消失していくのでした。
この犬は死ぬ。信じたくなくとも現実は情け容赦なく押し寄せてきます。くやし い。 くやしい。涙がこらえきれずに流れ出てくるのですが、自分の力ではこの事態は如何ともしがたく、なんとも情けないことであります。
銃を背負い、ほとんど意識を失ったゴッドマンを抱きかかえて谷を降りようとしますが、体重28キロに達しようとする彼はさすがに重く感じます。ほかの犬たちは事態の重大さを理解しているのか猪のことはかまわず、私のそばを離れようとしません。自動車の入るところまで彼を下ろして、約200メートル離れたところにある自動車をとりにいき、犬たちを積んで、猪を道まで下ろします。猪の内臓を抜いて自動車の荷台に載せるのですが、一連の作業はまるで夢うつつのごとく今でもどのようにしてこなしたか定かではありません。

自宅に帰って計量してみると、くだんの猪は内臓抜きで67キロありました。その下牙はおそろしく鋭く、状況から見てゴッドマンを切ったと思われる左側にはわずかな刃こぼれが見られます。

こうして私のゴッドマンは短い生涯を戦いの中に終えてしまいました。彼のこうむった死は状況次第ではほかの犬たちにも、場合によっては私自身にも襲いかかってくるかもしれません。死んだ猪には気の毒なことだとは思いますが、猪の死が私と犬たちの明日の命につながり、ゴッドマンの死が私の群れのさらなる経験となり、子犬たちの未来につながるように、私と私の犬たちは日々猪狩りを中断することはないでしょう。

蛇足ですが、猪を積んでふもとの集落におりたとき、道を行くご婦人たちが私の車を呼び止めて猪を獲ったことを感謝してくれました。何の関係もない都会の人々は私たちハンターの行為を見苦しいとか、野生動物がかわいそうだとかイメージのみで批判することが多いようですが、実際に野生動物の身近に暮らしている人々にとっては、動物たちの生息数のレギュレーションは切実な生活上の問題なのです。

毎年元旦に、私が獲った猪や鹿の肉をつかって河原でパーティを開いています。来年の猪肉はゴッドマンを切り殺した猪のものです。辛抱強くこの記事を読まれた方々にありましては、どうか美味しくその肉をご賞味いただきまして、ほとんど皆様にお見せすることのなかった彼の供養を共にしていただきますよう勝手ながらお願いするものであります。
(2000/12/16)( 兵庫県 T.Eさん Ext_link Working & Hunting Dogs Page )

 

 

 

 

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