狩猟について語る(猟の本随)

狩猟について語る(猟の本随)

狩猟について批判的な方々には嫌な内容かもしれませんが、我らが愛する肉食獣たる犬は、何万年ものあいだ人間とこうした血生臭い行為に命を懸けてやってきたのでありますし、われらの祖先も野生の動物を狩ることによって命をつないできたのであります。

さらに、日本人の勝手な思いこみのひとつに、この民族は農耕民族であるというものがありますが、それは、日本史と世界史をまったく別々に授業しているわが国の教育制度からくるひとつの弊害であって、この国は、世界史的にみれば農耕の開始はかなり最近に始まった、新参の農耕民族であります。

ということは、我々の遺伝子には狩猟採集生活の記憶が、お隣の中国の皆様達よりははるかに濃く残されているはずなのです。もっとも縄文人を追い散らしてこの国土を取り上げた大陸の農耕民族が我等の祖先であるならば、その限りではありませんが….。

(写真左 : 今はなき幻の万能エアデール”ペニー”の勇姿(2)。彼女は、猪犬としての才能はもちろん、訓練犬・家庭犬としても非常に優秀で、また、フリスビードッグとしても非凡な才能を発揮していましたが、残念ながら若くして他界。 )

さらに生き物の命をとって食することが罪なことだというならば、米や野菜を食することも、同様に罪でありますし、農作物も農薬や物理的除去によって多数の昆虫などの小さな命を殺戮することによって作り出されているという事実に思いをいたすならば、人が生きるということは、限りなく罪なことであります。少なくとも私は自分が肉を買って食いながら、野菜の非情さに気づかずにバリバリと食いながら狩猟行為を非難する無自覚な人たちの気が知れません。

猪は、本州においてはツキノワグマと並ぶ最大級の狩猟獣で、その闘争力、食味の良さ、獲ったときの達成感の大きさから我々狩猟家が好んで追い求めるスポーツです。また旺盛な繁殖力と草食に近い雑食性という幅広い食性から、生息範囲も都市近郊から山中深くまで広く、数もけっこう多く、農作物に対する食害も膨大なものがあり、私の猟場でも、猪が獲れるとお百姓さんがすごく喜んでくれます。

猪の獲り方には、罠猟と銃猟とがありますが、犬を使うのは銃猟のほうです。現在日本で使われている猪猟犬を思いつくままにあげてみると、紀州犬、四国犬、甲斐犬、柴犬、屋久島犬、琉球犬、奥吉野系地犬、プロットハウンド、ブルーチックハウンド、レッドボーンハウンド、アメリカンビーグル、薩摩ビーグル、唐津ビーグル、ジャーマンハンティングテリア、ブルテリア、アメリカンピットブル、ドゴ・アルヘンティーノ、エアデールテリア、その他これらの雑種等多彩でありますが、その猟芸は大まかに分けて、追い鳴きをしながらひたすら獲物をしつこく追いつづける追跡犬と、獲物に吠えたり絡んだり咬んだりして足止めして猟人に撃たせてやる止め犬とに分けることができます。

追跡犬は、ほとんどがいわゆるセントハウンドと分類される犬たちで、その鼻の良さ(つまりどれだけ古い足跡の臭いをたどれるかということ)、追跡時間(放犬場所にどれくらいの時間で帰ってくるかということ)はかなり厳密な選択交配によって各犬種及びそれらの系統で差が生じています。

たとえば、プロットハウンドについて言えば、ホットノーズという系統は獣がとおってから約1時間から3時間までの足跡臭に反応してそれを追い、2時間から4時間までで帰ってきますし、ミディアムノーズではその時間的限界が1日にまで伸び、追跡時間も比較的長くなります。さらに、コールドノーズにいたっては、3日前の臭いにでも反応して臭い鳴きを始めて追跡を行ない、下手をすると3日から1週間も山中を臭いを追って彷徨うのです。

プロットハウンドに限らず猟犬は、鼻の良さと攻撃性に負の相関があるようです。つまり、ホットノーズプロットは獲物に咬みつく意欲が激しく、ミディアムノーズはそこそこ、コールドノーズでは獲物を追い詰めてもその傍でオーオーと鳴いているだけだといいます。

そういえば、世界一鼻のよいブラッドハウンドも対象(獣でも人間でも)を追い詰めたらじっと見ているだけだと聞きます。

止め犬には、獲物に咬み付いて止める咬み止め犬から、吠え声の調子とタイミングで止める吠え止め犬、及び、吠え声と咬み絡みの複合芸で止める吠え咬み止め犬とがあります。吠えて止めるか咬んで止めるか、複合の芸で止めるかは、犬種、個体によってさまざまで、アメリカンピットブルテリアやドゴ・アルヘンティーノは問答無用でひたすら咬みつこうとするし、ホットノーズプロットや咬み止め系紀州犬、エアデールテリア等ほとんどの止め犬は、弱い猪には咬みついて殺そうとするし、自分(達)の手にあまる強い猪には吠えたり隙を見て後ろ足や尻にチョイ咬みを入れたりして絡みます。

特筆すべきは、吠え止め系紀州犬の芸で、この犬は、どんな大きな猪でも、小さな猪でも吠え声で止めようとします。彼らは、山中で猪の寝屋に近づくと、まず寝屋の周りを用心深く何周かまわって、その中に猪が寝ているのを確認し、ついで、用心深く、控えめな声でワンッと鳴きをいれます。猪がそれでも動かないと、もう少し大きな区切りのよい声で吠えます。猪が苛ついて動きそうになってもワンッと鳴いて相手を止めます。この止め鳴きには声の大きさ、リズム等に各犬の芸があり、ある犬はもう少し鳴いてくれたら、と思わせるような少し控えめな鳴きで、ある犬は猪の状態に応じて声色や調子を自在に変えて、まるで複数の犬が周りを囲んでいるかのように演技すると言います。

猪の止まり方も、明らかに猪の都合で走るまでもないようだから止まって様子を見ておこうというものから、走ろうとすると犬が「ちょっとまて」と言う具合に声をかけるのでなんとなく止めさせられて走れないというものまで色々です。さすがにどんな猪でも100パーセント止めるという名犬はなかなかいませんが、狭いようで広い日本、各地方に少しずつはそのような犬の話があるようです。

猪は恐ろしく闘争力が強いので、猟犬もそれなりに切られたり、崖から突き落とされたりして消耗していきますが、咬み止め犬は必然的に消耗が激しく、吠え止め犬はあまり受傷しません。吠えるだけの犬は結構寿命まで生きたりします。追跡犬も吠えて追うだけの犬は受傷率も少ないのですが、猪にもすごいやつがいて、少し走っては獣道の茂みに待ち伏せして、足跡を丹念に嗅ぎながら(あまり前方に注意を払っていない)トロトロ走ってくる犬をばっさり切り殺すのが時々います。このような「犬切り」と称される猪は、3年前に佐用町で評判になったことがあります。

さて私の猟は、ほとんどいつも単独猟です。今日単独猟をする猟人はかなり変わり者がほとんどです。しかし、猟者の間では「一銃一狗の単独猟」はその困難さと孤高さから、ある種の憧れと尊敬を持って遇されるのです。(でも本当に辛いことが多い)

多人数による巻き狩りでは、使用する犬は追跡犬がもっとも多く使用されます。その方がたくさんの人が楽しめるからです。止め犬は、少数人による猟に適しており、特に吠え止め犬は純粋に単独猟向きです。

私の使用する犬たちは、いままでエアデールテリアが中心でした。エアデールテリア2頭を放して、山中を猪に出会うまで、寝屋のありそうなところを一日ひたすらさ迷い歩く、いわゆる単独流し猟という猟法です。

そのうち成り行きから、日本犬、ブルテリア、ドゴMixのパンダというメス犬が加わり、今年の猟期後半からは、純粋のドゴ・アルヘンティーノのビビアンとエアデールのアミティが参加する予定です。

紀州犬も2頭いますが、これらは寝屋で吠え止めから絡み止めをする系統なので、1ずつで使用します。このような高度な技を発揮する犬と、特攻隊のような洋犬とを混ぜて使うと、吠え止め犬の技が発揮できずに台無しになってしまうのです。

すなわち、せっかく紀州犬が猪の寝屋に慎重に近づいて止め鳴きをしようとするやさきに、意欲のみで血気にはやる洋犬が一緒にいると、洋犬の方が先に寝屋に突っ込んで猪を追い出してしまうので、寝屋止めどころではなくなるのです。

以上、猪猟犬の猟芸について簡単に解説してみましたが、猟人と猟犬にとって最も大切なことは、その人の猟法と実力にもっとも適した猟芸の犬を使用することでしょう。すなわち、止め芸のない追跡専門のハウンド犬を単独猟で使用しようとすれば、まあやりようによっては使えないこともないが、かなり無理が生じることは容易に推測されるところであります。逆に捜索範囲の狭い止め犬を脚力の弱い普通の人が使おうとすれば、猪の寝屋のそばまで犬を連れて行くことがうまくいかず、犬の能力を十分に発揮させることができないでしょう。

さらに、いったんある犬種に取り組もうと決断したならば、その犬を入手するにあたっては、なるべくまともな繁殖者にあたるように努力しなければなりません。

そして、自分の今まで培ってきた判断力を駆使して、信頼するに足る人物を見つけて適当な子犬を入手できたならば、手にいれた犬の能力を開花させるために労を惜しまないこと、独りよがりの訓練でなくて、尊敬する先輩の助言にしたがって適切な訓練を適切な時期に施してやることが必要なことは他の訓練の分野と共通であります。

さらに、猟犬の猟芸の完成には最低でも3年はかかります。犬の系統、個体差によって早くに猟芸の伸びる犬もおれば、比較的おくての犬もいます。まともな繁殖者の手になる犬ならば、かならず良い犬になるものです。系統を信頼し、犬に対して愛情深く、気長に接してやれば、犬はかならず答えてくれるものです。それも命をかけて。

巷には猟犬を消耗品扱いにして最低の健康管理さえ怠る猟人の風上にもおけないやからがたくさんいるようですが、人間のくずというべきやからであります。

そのようなやからに飼われたかわいそうな犬たちはその犬に本来備わった能力を決して発揮できません。まともな繁殖者から犬を買ったにもかかわらず、自分の犬に何らかの不満を感じている方は、犬をけなしてばかりいないで、今一度犬に対する接しかたが適当か、健康管理に落ち度はないか、犬の本質に反する使役のしかたをしていないか、等々に思いを致してみる必要があるのではないでしょうか。

最後に、もっとも大切なことは、どのような素晴らしい素材の犬を手に入れても、猟人の実力以上の犬にはけっして育たないものです。犬をみがくと同時に、自らの研鑚をつむことが真に納得のいく猟をする近道であります。犬とともに日々成長をする気構えで悔いのない猟、悔いのない人生を全うしていきたいものであります。
(2000/12/19)( 兵庫県 T.Eさん Ext_link Working & Hunting Dogs Page )

 

 

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