ジョンからの贈り物

ジョンからの贈り物

[心に残る犬との思い出]

カーラジオから流れる「ジョンの純な恋物語」で涙したご夫妻がいらっしゃいました。
きっとやさしいご夫妻に、もうすぐ、ジョンの生まれ変わりの元気な赤ちゃんが授かることでしょう。
(2004/11/07)(LIVING WITH DOGS)

「ジョンの純な恋物語」を聴いてわたしは涙が止まりませんでした。 私もCDと同じ名前の“ジョン”という名前のシェットランドシープドックを飼っていました。ジョンを飼ったのは、20歳の頃でしたが,その後、 私がお嫁に行き,ジョンと離れて 暮らし、しばらくしてジョンが天国へ行ったこと・・・歌詞の状況がすごくよくわかり、何度も何度も聞いてしまいました。ジョンは決してハンサムなタイプではありませんでしたが、目がくりくりして愛嬌たっぷりの犬でした。わたしは朝起きると真っ先にジョンにおはようするのが日課でした。大抵ジョンはおなかを出して(あおむけで)グーグー寝ていましたが、目覚めるとすぐにしっぽを振って近寄ってきました。食いしん坊なジョンは私達が食事の時にはジーッと物欲しそうに眺めていて、我慢できなくなるといつも前足でおねだりするのでしたが、ある日ちょっと目を離したすきにテーブルの上のケーキをペロリと平らげてしまったのにはみんなで笑ってしまいました。私が社会人になり小学校の教師をしていた時もジョンには、随分と励まされました。学期末に仕事に追われ、ゆとりなくせかせかとした気持ちでいた時も、仕事を家に持って帰って部屋で通信簿をつけているとジョンがやって来て私の周りをウロウロとして甘えてきました。そのおかげでわたしは不思議とやさしい気持ちで通信簿をつけることが出来ました。まだ若かった時の事ですが、失恋しジョンと散歩に行ったとき小学校の校庭のブランコで思わず泣いてしまった時も、横にはジョンがいてくれました。仕事の辛さや人間関係でゆき詰まったとき、涙を浮かべて帰ってきたわたしを真っ先になぐさめ、励ましてくれたのはいつもジョンでした。

父が定年後に長年の夢であった別荘を建てたとき、主人がその新築祝いに別荘に置く手作りの犬小屋を作ってくれました。木造+レンガ張りの40kg位あるたいそう大きく立派な小屋でした。ジョンはテラスに置かれた自分用の真新しい別荘に最初は戸惑ってすぐに出てきてしまいましたが、すぐに自分の犬小屋だということを理解したようです。その夜には広い犬小屋の端っこに小さくなって寝ていました。次の日には気に入ってなかなか外に出てこなくなってしまいました。ジョンは加齢と共に疲れやすくなり、食いしん坊の太りぎみとも重なり散歩出来る距離も大分短くなり、階段も上れなくなってきていました。それでも昨年の夏は、老犬用のえさに替え少しスリムになり身軽になったせいか、散歩も長くできるようになり、階段も元気に上れるようになりみんなで喜んでいたのですが…久しぶりに実家に帰ったある日目にしたジョンの姿は衝撃的でした。母がペットサロンにカットに行ったところ新人の美容師さんだったそうなのですが、1.5cmくらいカットして下さいと言ったところ、1.5cmにカットされてしまったのです。シェルティなのに、まるできつねのようでした。散歩に行くとみんなが振り返るこっけいな状態でしたが、見慣れると可愛くてひとまわり小さくなったジョンは、若返ったようにも見えました。その冬、新年を迎えて間もなくジョンは腎臓を患い亡くなりました。13歳でした。毛が短くなって寒かったり、実家がリフォームのため、ばたばたとして、疲れたのかもしれません。少し前から、急にやせてきていました。12月下旬に急にぐったりし、えさをあげても食べず、起きられなくなりすぐ入院し、点滴を打つ状態でした。その晩、母からその事を電話で聞き、翌々日、動物病院に行って見ると、すっかり弱っていました。先生の話では、腎臓が悪く、血液全体が悪い状態で、13歳で年もとっているので、これ以上良くなる事はないということでした。その日は、診察台の上でしか会えませんでしたが、翌日また行って見ると、看護婦さんが少し気分転換しないとねと言って、ちょっと広い部屋に抱いて連れてきてくれました。ジョンはやっと歩いているかんじで、ふらついて、倒れそうになりながらも一生懸命私のそばへ来ようとしていました。私はその部屋で、少しの間ジョンとふたりきりでいましたが、何度も頭をさすっているうちに、涙がこぼれてしまい、がんばれと言い、帰りました。泣きながら部屋から出る私を、お座りして首をかしげ、 寂しそうに見ていたジョンの姿が、今でも目に焼き付いています。それから私は仕事もあるので、 実家から車で2時間ほどの自宅に戻り、ジョンとは会えなくなりました。毎晩、実家に電話し、母にジョンの様態を聞いていました。その後、退院したものの、だんだん動けなくなり、数日後には寝たきりになり、そして帰らぬ犬となったのです。私は最後に一緒にいてあげられなかったけど、弟と母が最後まで、一生懸命看病をしてくれました。最後数日間、寝たきりになってしまったジョンを看病したのは、辛かっただろうと思います。でも家族みんなで、今までいっぱい楽しかったね、可愛かったねとジョンの思い出を話して、お別れしました。ジョンのいなくなった今、主のいない別荘の犬小屋は物置となってしまっています。わたしは実家に帰ったとき、今でもまだジョンがしっぽを振りながら出迎えてくれるような気がしてなりません。そして“ああ、ジョンはいなくなったんだな”とあらためて気づき寂しい気分になります。ジョンのいない今、実家に帰る回数も随分と少なくなってしまいました。

実はわたしたち夫婦はなかなか子供に恵まれず、もう2年間も不妊治療に通っています。不妊治療は結果が出なければ、どんどんステップアップし、さまざまな薬剤を使用し、身体的にも精神的にもとても辛いものです。ジョンがいなくなった今、心の底から励まし、癒してくれたジョンの存在の大きさを感じています。CD発売日の今日、最後のステップとも言える2回目の体外受精の採卵に行ったのですが卵が取れないというショックな事態で、あっけなく2 回目は終わりました。あと3ヶ月間はじっと薬を飲みながら次のチャンスを待たねばなりません。この先の3ヶ月間わたしは何を励みに生きていってよいのかと考えると、悲しくて、悔しくて、寂しくて、どん底の気持ちでした。そんな帰り道主人が今日発売のこのCDを買ってくれたのです。偶然にも前日、車のラジオでこの曲を聴き、 インターネットで調べたそうです。このCDを聴くと自然と涙があふれてきました。懐かしく、切なく、でもちょっと心が暖かくなるそんな曲でした。涙を拭 いた今は少しづつ元気が出てきました。一番落ち込んでいる今日がデビューCDの発売日で偶然にも主人がそれを知っていただなんてこのCDはまさに天国のジョンからの“がんばれ!”のメッセージだと思いました。“目には見えないチカラで 空からずっと守ってあげる”そう、ジョンはいま私たちのことを守ってくれているの だと思います。

次回のチャンスまでの3ヶ月、天国のジョンの応援に応えられるよう明るく元気にがんばってゆきたいと思います。将来わたし達のもとに授かる赤ちゃんはジョンの生まれ変わりかも知れません。近い将来その夢が叶うことを信じて・・・がんばりたいと思います。ありがとうジョン。

(2004/11/7)(千葉県、M.Hさん)

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ