こんな暮らし方があった

こんな暮らし方があった

廃墟ホテルでの犬との暮らしの貴重な体験記
かつて犬の群の仲間に同じ目の高さで受け入れて貰ったことのある人は、おそらくこの作者だけでしょう。このような体験はしたくてもなかなか出来るものではありません。犬との暮らしの今はかなわぬかつての原点でしょうか。 素晴らしい体験記をありがとうございます。(LIVING WITH DOGS) 

小学2年生のときにある事情で廃屋の観光ホテルに住むはめになったんです。部屋数110という巨大観光ホテルの跡なんですが、すでに営業を止めてから何十年とたっていて近所ではオバケ屋敷と噂されていました。(実際でるんです、何度も遭遇しました…しかし、それは幽霊というより妖怪じみていた)

環境は最高で、ホテルの西側は一級河川に面しており、広〜い河原がひろがっています。東は山に面しており、首吊りで有名なうっそうとした原生林っぽい広葉樹が繁ってました。

そのホテルには、元オカミの婆さんが一人で住んでおり、2匹の犬を用心棒代わりに飼っていました。

この婆さんが大の犬好きで、自分の犬のエサのみならず、河原に生息している野良犬軍団にまで鍋いっぱい作るもんですから、(なにしろ元観光ホテルなので大量に食事を作る設備は十分すぎるほどととのっているのだ)犬の間で噂が広まり、どんどん数が増えていったい何頭の群れかわからないぐらいの数がたむろしているという状況なのです。

おまけにそのホテルは部屋もたくさんあるので、野良犬は皆さんホテルの部屋で寝泊まりしていました。

今では、すぐに問題になってしまうでしょうね。マスコミのいい餌食でしょう。

僕がこのホテルを始めて訪れたとき、さっそく野良犬達の洗礼をうけました。牙をむきだした野良30匹ぐらいに追いかけ回され、泣きながら桜の大木を背に、仁王立ちで虚勢をはったのを鮮明に憶えています。

その群れになんとなく迎え入れられ、やがて群れの一員として川や山を探検するようになり、野良犬達の毛にからみついたヒッツキムシをとってやるという役割が与えられ、手が器用につかえるということで皆さん僕に一目置いてくれるようになりました。

その野良犬達を仕切っていたのが、「どんこ」という赤犬です。毛が短いのでどんなに汚れていても、ピカピカ光って見えるんです。いつも、自信たっぷりの不敵な面構えで、めったなことでは吠えない気品さえ感じるプライドの高い犬でした。

どんこは、他の犬達と違って絶対に僕のペースに乗ってきません。あくまで、自分のペースを優先させるのです。僕は、この「どんこ」の生き方になぜか誇りさえ感じていましたし、どんこのような生き方をしたいと、おそらく今でも頭のどこかで思っています。

僕はいつも「どんこ」の跡を追い、川や山を探索していました。「どんこ」は後ろを振り返りもせずにサッサと山を駆け、僕はいつも途中で置き去りになります。

このホテルの野良犬とそのリーダー「どんこ」と暮らした数年間は、永遠を感じさせる至福の時であり、僕にとって学校の教科書よりも、経験値の低い先生から教わることよりも、多くの事を学んだ時期でもありました。

やがて、河原はブルトーザーが入り野球場へと整備され、野良犬達は保健所送りになり、ホテルの一角は取り壊されどこかの倉庫が出来ました。
うっそうとした山は切り開かれ道路が出来、犬達と追ったきつねの姿も消えてしまいました。

そんな頃、年老いた「どんこ」は、ある日の朝、ホテルの一番奥の洋室のベッドの上で硬くなっていました。決して体を触らせなかった「どんこ」ですが、僕は硬直した「どんこ」の体に初めて手に触れ、至福の時期が終わったと感じました。そしてその後すぐ、ホテルを後に一人暮らしを始めたのです。

小学2年から中学3年までの野良犬と暮らした数年間。
多くのモノの匂い方を教わりました。
僕にとっては犬はしつけの対象でもコンクールの対象でもなく、もっといってしまえば、アジリティもフライングディスクも、アルファや放置うんこすら関係ないと言ったところが正直な感情なんです。

しかしながら、今のヒトの社会では、非常に残念でくやしいことですが、それらに目をむけなくてはならないのが現状です。

ホテルの野良犬達は、ヒトである僕を迎え入れてくれましたが、ヒトの社会は犬さえ迎え入れません。

そんな幼稚な精神しか持ちあわせていないヒトが「愛」だの「友情」だの「奉仕」だの言っているのが、半分「犬頭」の僕にとって、笑いさえおきないつまらない冗談に聞こえてしまうのはしかたないかなと思ったりもする今日この頃です。(兵庫県・K.Nさん) Ext_link DOG FREAKS
(2000/05/20)

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