幸せになったマル
幸せになったマル
私は沖縄の中学校で教えているものです。8年間、沖縄でドッグ・レスキューの活動をしていました。犬を受け入れて下さる里親が沖縄で見つけることができなければ、里親探しの為に、アメリカに犬たちを連れていきます。
私はLIVING WITH DOGS がお気に入りで、たくさんの人にお勧めしていますが、そんなレスキューのお話を一ついたしましょう。
アメリカに住んでいるとき、私は長年、Shiba Rescueの活動をしていました。私は、この沖縄でも愛する柴犬を救け出したかったのです。
2年前(2000年)のことです。私は嘉手納空軍基地にある保護施設(Karing Kennels)に行き、柴犬が保護されていないかを尋ねました。嘉手納空軍基地のシェルターは、
1. 隔離を要するとき
2. 飼い主の旅行のためや、住む家が決定するまでの一時預かり
3. 生まれた仔犬の里親を見つけるために
4. ペットを手放そうとする人からの受け入れ
5. ペットを失った人への新しいペットを探す場として
主に米軍の為のペットのシェルターです。哀しいことに、このシェルターでも収容しきれないペットたちは、獣医さんの手で安楽死をさせられています。しかし、7年前までは、大里の沖縄動物愛護センターに送られ、ガスによる処分でしたからそれよりは少しはましにはなりましたが。
Karing Kennelsシェルターのスタッフは、アメリカ人の家族が柴犬をシェルターに預けようとしていると教えてくれました。
私はその飼い主さんに会い、柴犬のマルを受け取ったのです。マルは小さな赤色の豆柴です。その飼い主さんは、マルの3番めの里親さんでした。マルはこれまで何度も里親に渡っていましたので、今回は安楽死させられる可能性の高い犬でした。大部分の里親さんは、すでにしつけが入っている犬を求めるからです。
いつもマルは里親さん家族が転勤するたびにシェルターに戻されていたのです。今までの飼い主さんたちは、マルにトイレのしつけ等を行い、家の中で一緒に暮らせるようなしつけの責任を果たそうとしませんでした。
私はマルに、アジリティーの楽しさを教えながら家の中での暮らせるようにリトレーニングしました。
2001年6月にアメリカに連れて行きました。
4度目のアメリカでの里親さんは、ボーダーコリーと暮らしている家族でした。その飼い主さんは愛犬と共にドッグスポーツを楽しんでます。1ヶ月後のことです。マルは道路に飛び出し、自動車事故にあってしまったのです。腰を大怪我してしまいました。しかし、マルはとても良い獣医さんに治療していただき、怪我した腰は完全に治りました。
なんと2002年の夏、マルはフライボール・チームに入り、彼女はFDXポイントを得たのです。
彼女は1つの大会で201得点をあげました。アメリカでは、フライボールのポイントを持っている柴犬は5頭だけです。マルはその1頭です。やっとマルは本当の幸せを手に入れることができました。
マルが活躍する次の大会は、10月にあります。がんばれ!!マル!
(2002/09/20)(那覇市、L.Cさん)
[Update] こんにちわ! マルが10月にフライボール大会で510ポイントを得点し、彼女のFDCh(フライボール犬チャンピオン)格付けを得ることができました。そして、次のレベルに到着するためにマルは5000ポイントに達しなければならないのです。私は先月ニューハンプシャーを訪れた彼女を見ました。右の写真はマルが好きな玩具で遊ぶ写真です。明けましておめでとう!
(2003/01/20)(那覇市、L.Cさん)