老いて捨てられた犬チコ

老いて捨てられた犬チコ

世界的な不況で失業者が増えています。日本も未曾有の不況ですが、かつてバブルがはじけた時代に、超大型犬があちこちで捨てられたことがありました。
現在も保健所に持ち込まれる犬達は、悲しいかな純血種の大型犬が多く見られます。

今、日本の各地方自治体は、保健所に収監した犬達の殺処分数を減らそうと様々な施策を試みています。その一つの策として地域の愛護団体に保護犬を請け出してもらい里親をさがしてもらうことです。

実際に殺処分数は20年前から比べるとかなり減ってきています。ではその数はというと、ドイツや英国に比べるとまだまだ多く動物愛護先進国として名を連ねられない数です。

保健所に持ち込まれた寝たきりの老犬がいました。この犬はどうして保健所に持ち込まれたのでしょう。
当初は、家族の一員として犬は迎えられたはずです。人が年老いて寝たきりになったら人を捨てますか?子供が不慮の事故で寝たきりになって捨てますか?

犬ならば捨てても良いのでしょうか?

保健所から引き取られたGRの一時預かりをしながら里親探しをしている方がいます。
ゴールデンが好きで何頭ものGRと暮らし、愛犬を1頭づつ虹の橋の向こうに送っていました。あるサイトの老犬が気になり、その犬を引き取り一緒に暮らし始めました。

チコは生まれて捨てられるまでの間、どんな暮らしをしていたのでしょう。
大部分の放棄犬は冷たい檻の中で、なんでこんな所にいるのかも判らず、寂しい思いをしながら苦しんで死んで行くのです。

チコはKさんに見守られながら大往生の最後でした。

チコ、良い人に会えて良かったね。家庭の温かさを知って、人に甘えることを覚えて、ほんとうの家族になって、2年間楽しかったね。

保健所に持ち込む人がいなくなり、殺処分という言葉が死語となる時代が来ることを祈りましょう。(2009/6/30)(LIVING WITH DOGS)


チコ

チコが我が家に来た理由、もうここに書いてもいいよね?

チコが保護されていた保護団体のHPで知ったのが最初でした。うつむきぎみに2頭の犬とのお散歩風景でした。このときのGRの表情が私には忘れられなくなりました。
チコを保護した団体は、そのほとんどがMIX犬で多くの保護犬を抱えていました。

こちらの団体の名前は以前からセンターへ足を運ぶたび、職員さんから聞いていたり、偶然にお会いしたりして、時には立ち話程度でしたがお互いの近況などを報告し合っていました。
本来ならば、他の団体の保護犬のことには口を挟むようなことはありませんが、この時ばかりはどうにも気になって仕方がありませんでした。

ある日、思い切ってその犬の里親探しのお手伝いを話しかけました。
もちろん、チコがゴールデンだったからで、多くのMIX犬を抱えている団体のご苦労を理解した上での申し出でした。
この団体のスタッフのご家庭では、ゴールデンのような大型犬を飼っていらっしゃる方がとても少なく、大型犬の預かりにご苦労もあるのでは?と感じていたのも理由のひとつでした。
わたしのような部外者を信用してくださり、それならばチコではないが同じゴールデンのメスを預かって欲しいとお願いされたのがそもそもの始まりでした。

わたしは、犬種に関わらず、年齢に関わらず、どんな保護犬をも保護し、新しい家庭を探すチコのいる団体に心から敬意を表しました。
こちらの保護犬をまずは預かり新しい家庭を見つけるお手伝いができました。そしてやっとチコを預かる日がきました。

チコを迎えるその日、少しの間かもしれませんが同じ家で仲良く暮らしていかなければならない愛犬Sにも同行してもらい、チコの預かり先のご家庭に向かいました。

当日は暖かい、秋晴れでした。

チコは預かり宅の一階の玄関脇の部屋でひとりで寝ていました。
お尻には大きなオムツ。尻尾が出るようにハサミでカットした人間用のオムツを付けていました。
2階からは、犬の吼える声がしてます。どうやらこちらのお宅ではお二階がリビングのようでした。
何故、チコだけがここに一頭でいるのかしら?(こころの声)
わたしのこころの声を察したのか、預かりの方が言いました。「階段が上がれないので、一階に寝かせてるの」

愛犬Sとの挨拶もそこそこに、チコを車に乗せて帰宅しました。

わたしは、預かり先の預かり方が自分と同じ考えの方ばかりではないことはもちろん理解しています。
これが一番なんて預かりのマニュアルなんてありません。広いお部屋も、広いお庭も要りません。
ただ、みんなが居る場所で預かりたいといつも思っています。少しぐらいガヤガヤしててもよいと思います。
楽しい声が聞こえてくる階下でひとりで居るのは淋しいです。

頂いてきた人間用のオムツから犬用のオムツに替えました。ご飯が待ちきれなくて、吼え続けるチコを叱りました。食餌が合ったのかフケも無くなり、艶々な毛並みになってきました。ご飯を待つ間、吼えるのをやめました。
吼えはその後、一度も聞いたことがありません。(いえいえ、2回ほどキャンプ場で吼えているのを聞きましたっけ)

チコと呼ぶようにしました。

我が家に来てからの3カ月余りは、尿路結石や子宮蓄膿症の治療と手術が続きましたが、2008年の5月までは明るく、時々笑わせてくれるチコでした。

今、こうしてチコとの思い出を書きながら、わたしは本当にチコに新しい家庭を見つけてあげたかったのか?でも本当は初めから我が家の家族に迎えたかったのでは?と思うのです。

チコが静かに息を引き取りました。2008年10月28日午前3時50分。

我が家に来て、もう少しで2年が経ちます。

なんとなく、なんとなく、とても不思議ですが今夜にも別れがくるのでは?と感じてました。
いつもの部屋から、わたしのそばにチコの布団を移動させました。気づかずに逝かれてしまうことだけは嫌でした。

チコも本来ならば、新しい家庭に迎えてもらうはずでした。
しかし高齢の為、なかなかお声がかかりませんでした。我が家に来た当初はオムツが離せず、歩くこともままならず、一日のほとんどを横になっていたチコ。

ある日、思い切ってオムツを外し、少しづつ外で歩く練習もしました。
ゆっくりですが、歩けるようになると、散歩が楽しくなってきました。
今年に入り、元々なかった後ろ足の筋力が弱り、補助ベストを着せて歩いたのを思い出してます。

寝たきりで、筋力のなくなった犬に食餌を与えることは難しいです。
体重も我が家に来た頃に比べると10キロ以上減ったとはいえ、寝たきりですから、床ずれが治りません。少し良くなってきたかな?と思うと、今度は反対側にできてます。
床ずれはとても痛そうです。我慢強いチコが、傷口の手当の時だけは腰を動かし、避けようとします。

人間に放棄された犬たちは、以前はなんと呼ばれていたのだろう?とよく考えます。

高齢、オムツ、寝たきり、床ずれの対処、食餌の与え方、水分の与え方、布団の工夫、点滴の上達、チコにはいっぱい教えてもらいました。

チコ、ひとりで逝かず本当にありがとう。親孝行だったね。 (2009/6/30)(東京都 Kさん)

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ