ボルゾイへの感謝の気持ちから
ボルゾイへの感謝の気持ちから
学生時代、アルバイトをしていた都内某ホテルから帰宅途中、それはそれは美しい静かで気品に満ちた犬に出会いました。これが私のボルゾイとの初めての出会いで一目惚れでした。以来、ボルゾイ2頭と暮らすということが私の夢になり、それから1年半後、念願の最初のボルゾイ「べーちゃん」を迎えることができました。
そして更に4年、探し続けてついに2頭目のボルゾイを迎え、私の夢もついに実現したかと思われた頃、べーちゃんとの突然の別れがありました。2頭目のボルゾイ「ばるう」が来て、たった1ヶ月後のことでした。(ばるうも心不全のため、べーちゃんの死から1年を待たずして、この世を去っています)
当時はペットロスという言葉も知らず、誰かに聞いてほしい、まるで誰かがべーちゃんをもう一度取り戻すための方法を教えてくれるかのように、誰彼構わず泣きつきました。いつまでも、いつまでも。
そしてようやく、周囲のことにも関心が戻って来た頃、気付いたことがありました。ずっと私の泣き言につき合ってくれていたのは、全部べーちゃんがくれた友達でした。
私は九州で生まれ育ち、東北へ移ってべーちゃんを迎えましたが、都市部でない東北の言葉は、未だ聞いたことがない外国語。生活の習慣や文化すら、同じ日本でありながら多くの違いがありました。しかし、そのような壁に悩むこともなく、知らない土地にとけ込むことができたのは、べーちゃんがいたからなのでしょう。
べーちゃんがいてくれたお陰で地元に仲間ができ、べーちゃんがいてくれたお陰で日本の各地、海外にまでボルゾイや他犬種の友達ができていました。そしてみんなが、べーちゃんを亡くした気持ちを分かち合ってくれました。
たった4年半の暮らしだったのですが、この期間にべーちゃんは驚くほどのものを私にくれました。このお礼を、どうかもう一度、べーちゃんに伝えたい。しかし、そのべーちゃんは既に、この世では会うことができません。ではせめて、べーちゃんと同じボルゾイ達に、私が受け取った多くのもののお返しをしたい。この気持ちから、ボルゾイという単犬種を対象にした保護活動を始める決心をしました。
最初は多くの人から、単犬種、特に純血種という対象について批判を受けました。しかし、旗揚げ当時から、べーちゃんを通じて知り合った仲間が助け続けてくれています。そしてばるうがくれた仲間も、今では心強い支えとなってくれています。
私はたった1人でたくさんの犬を保護し、自分の犬はもちろん、飼い主すらも生活に支障を来すような保護活動は望みません。無理をせずに、普通の飼い主であることを大前提に、できる力を各自が少しずつ出し合っていくことで、いつか大きな力になっていくと信じています。
私は適正飼養が最大のレスキューと思っています。それすらも難しいのに、自分の犬でない犬にまでなんらかの活動をしたいというのは奢りなのかもしれません。難しい活動はその道の先輩方にお願いして、私のような素人は応援にまわることの方が正しいのかもしれません。それでも、この世にはいないべーちゃんやばるうに対して、なにかを働きかけずにはいられないのです。なにかできるかもしれないのに、「知らなかった」だけで、彼らと同じ姿形の犬を孤独に死なせてしまいたくないのです。
せめてボルゾイだけ。
ボルゾイだけでも、感謝の気持ちの中で旅立ってもらいたい。せめてべーちゃんやばるうと同じ、ボルゾイだけでも。この言葉から、同じような思いが全ての飼い主の間でつながっていくことを願っています。せめて自分の飼っている犬種だけ、せめて友人が保護した犬だけ、せめて自分が関わった犬だけでも…。
この気持ちを少しずつでも日本中に広げていくことを目標としています。
この活動を支えてくれるのが、旗揚げ当時、ペットロスの真っ最中の、正気かわからないような私の「保護活動という大それた思いつき」に、ずっとつき合って意見してくれ、今も支えてくれている人達です。
感謝してもしきれない愛すべき仲間たちです。ほんの少しの小さな積み重ねですが、この輪は徐々に広がっていっています。
毎日殺されていく多くの命に対する絶望や焦燥感より、毎日私たちの暮らしに灯をともしてくれる犬たちとの双方向の愛情と、それに支えられた飼い主達で紡ぐ将来への希望に主に目を向け、活動を続けていきたいと思います。
(神奈川県、M.Tさん BoRN)(2000/04/21)