動物管理事務所からの贈り物

動物管理事務所からの贈り物
 

動物を愛する人は、手を差し伸べるべきか? 止まるべきか? とそのような場面に出会うたびに悩むのです。手を差し伸べなかった私は無慈悲な人間?差し伸べたら、偽善? などと自問自答したりです。動物を愛する人ならば当然の悩みでしょう。
レスキュー活動は、あくまでもボランティアです。偽善、義務感、虚栄、では出来ないのです。また適正飼養とは? 家族で充分な愛情を注ぐ事が出来るか? 一瞬のうちに判断など出来ないでしょう。無理は禁物です。個人として出来る範囲での保護を行うことが、今の日本には求められていると思います。

保護活動について、頼もしい「さくら」のママからのご寄稿をお読み下さい。そして、この記事「さくら」の保護を通して、飼い主さんの憤り、哀しみ、心の成長、命あるものへの愛を感じ取っていただけたら幸いです。(LIVING WITH DOGS)


4月8日。東京は、さくらが満開でした。私は、子供2人と共に、仙台から八王子へ向かいました。我が家の3頭目のラブラドールに会いに行くためです。
「さくら」と名つけられた その雌の黒ラブは、3月のはじめ、相模原の昭和橋付近で保護され、神奈川動物管理センターから譲り受けた迷い犬です。ラブラドールレトリバー・オーナーズクラブのご縁で、仙台で暮らすことになりました。「さくら」は こういう犬です。体重30Kg。推定7〜8歳。がっちりした顔、しっかりした足の握り。なによりそのオッターテールには、ほれぼれします。一番の特徴は大きく垂れ下がったオッパイと、長く変形した乳首です。どれだけ沢山の子供を産んだのでしょう。
痩せてはいないものの下半身が極端に貧弱で、閉じこめられていたことがうかがえます。外陰部はぶら下がり堅くタコができていて、出血もありました。顔から肩にかけてまだらに白髪が点在、歯には歯石ががっちりと付着し異臭を放ち、左の犬歯は折れて茶色く歯随が見え、身体には大きな脂肪種が2カ所、いわゆるイボはあちこちにあり数えきれません。その傷だらけの顔はいつもうつむいています。
避妊手術の為に開腹したところ、2ヶ月ほど前に帝王切開をした痕跡がありました。子宮の他、腫瘍のある卵巣も摘出して癒着もひどかったので数時間に及ぶ、大手術でした。

保護に奔走した方々は、怒りにふるえました。繁殖目的だけで子供を取り続け、自力で生めなくなったので捨てられたことが明白になったからです。最近になってわかったことですが、これと同じケースが何件もあるというのです。さくらのような犬達を救おうと活動しているボランティア組織が幾つかあることも最近知りました。

さくらが家に来るまでの数日、わたしは不憫さと怒りで冷静さに欠けていました。そして沢山の感謝と賛同の言葉をいただいた中で、「ラブだから引き取るの?」「いい事したって酔いしれてる」「特別な事じゃない」という言葉を聞いたときに、強いショックを受けました。感動を伝えたくて開いたHPを閉鎖し、毎日その言葉を忘れようとしました。
でも、私の中ではこの「偽善」ではないかという問いかけが、大きく大きく膨れ上がってしまいました。なぜならそれは、中傷ではなく、図星だったからです。

私には それだけの覚悟も理解もありませんでした。「かわいそうに」と安易に考えていました。そうやって、引き取り続けてしまう常習者がいることも知りました。勉強不足でした。実態を知れば知るほど自分の甘さ加減に嫌気がさします。本質をズバリと指摘されてショックを受けて引っ込んでしまうような人間は、さくらの壮絶なこれまでの生き方を考えたら、名乗り出る資格なんかなかったのです。

それで どうしたと思いますか。はっきり言って そんなこと考えてる暇がなくなってしまったんです。散歩して、うんこ取って、遊んで、掃除して………現実が押し寄せます。

悲劇のヒロインだったはずの、さくらは実はこういう犬です。

食べることはだれにも譲れない。うんこは3頭の中で、一番太く立派。良く吠える。(しかし 声がつぶされている。)図々しい。そして、3頭の中で一番扱いやすい。よぼよぼのはずが、元気もりもり。私は、夜中、丑三つ時になると、さくらが着ぐるみ脱いでお茶飲んでるんじゃないかと思います。
それでも時々過去を思って、抱きしめてしまう事があります。初めてさくらを見た時「あれ、これ、家の犬です」とすぐ思ったこと。初めて会った時、一度も目を合わせなかったさくらが、帰りの車に乗った私をじっと見つめていて、運命を強く確信したこと。いわゆる「ご縁」ってやつでしょうか。結婚するときだってここまでビビっときませんでしたよ。理屈ではないんです。自然の成り行きに思えます。自分を正当化しようとするから、苦しくなったのです。もうHPは閉鎖しませんよ。

そして 先日、大事件がありました。皮のリードを食べてしまい、検査の結果、幽門にがっちり引っかかった切れ端を取り除くために、開腹手術をする事になったのです。死ぬかもしれないと言われました。
年齢不詳の上、一年のうちに3度も開腹手術をするのですから、「心臓が耐えられなければ?」というものでした。責任を感じました。せっかく助かった命を私が決めていいのだろうか。

さくらの回復は 確かに遅かったです。今は、抜糸も終わり、食事はまだ完全に戻りませんが、以前にも増して、走り回り主張します。トレードマークのたらちねは、少し短くなってしまいましたが、うつむいていた傷だらけの顔が上を向くようになり、私の顔も、じっと見つめるようになりました。夜中に、人間にもどったさくらと一緒に、人生を語らう日はそう遠くないように思えます。

命の大切さと、愛の尊さは、特別に語り教えるのではなく毎日の生活の中に普通にあるものでした。私たち家族にさくらは、それを気づかせてくれたのです。

初めてさくらにあった 4月8日。年齢のわからないさくらは、この日が7歳の誕生日となりました。
(宮城県、S.Oさん)(2000/07/23)


捨てられた繁殖犬さくらは8月9日朝6時25分天に召されました。さくらの生涯で一番幸せな場所と時を一緒に過ごした飼い主さんの大きな愛情に包まれて。
繁殖犬として、ビジネスの道具としてしか扱われなかったさくら、「さくら、もう誰からもいじめられないからね。」思い切り草原を走ろうね! (2001/08/09)

 

 

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