仮想対談(1)

仮想対談(1)

いつもと違う観点から見るといつもと違う自分を見つけるかも知れない。犬を捨てること、暮らすこと…

[1] 犬を捨てた男 vs. 西鶴

(犬捨男) それじゃ西鶴さんは、犬を捨てるなら行政の不用犬回収とかのサービスを利用しろとおっしゃりたいのですね。
(西鶴) いや、そんなことは言っていない。 それに行政がやっているのはサービスではないと思うよ。
(犬捨男) サービスでしょ。誰もが嫌がることを税金でやるのはもっとも基本的なサービスではないですか? リップサービスが行政の悪いところだなんて意見もあるけど、リップサービスが行政の本質ですよ。もちろん我々もそれを求めているんじゃない? 誰もやりたがらないけど、誰かがやらなくちゃならない。それは、社会という共同体が作り上げた管理の中の保守部門、つまりサービスですよ。私はそんな管理するためのサービスに命を渡したくはないんですよ。
(西鶴) だから犬を捨てるの? 公園とかに?
(犬捨男) そうです。行政のサービスに託すと、犬の交換会とかやってるけど、そんなので救える犬なんて何匹いると思います? ほとんどがガス室送りなんですよ。 行政に犬を託すのはイコール殺すことだとは思いませんか?
僕は人の手によって犬が殺されるぐらいなら自分の手で殺してあげたいですね。私は、もちろんそんなことは出来ない。だからといって他人に殺させることはもっとでいないんです。それって当たり前のことでしょ。だから公園に犬を捨てるんです。
(西鶴) たしかに自分の手で始末できないことを他人に任せるといういわゆる責任逃れではあると思うけど、それが君の犬を捨てる言い訳にはならないと思うが。
(犬捨男) たしか西鶴さんは以前に新聞で「生きる選択肢」なんてへ理屈を言ってましたね。動物は常に生きることを選択肢として選ぶみたいなことを…。私が犬を捨てるのはまさにその生きる選択肢ですよ。
公園に犬を捨てると誰かがもしかしたら拾ってくれるかもしれないでしょ。少なくても行政の犬の交換会よりは確立は高いのではないですか?
(西鶴) たしかにそうかもしれんが、ほかにも選択はあるでしょ。それに犬を捨てると多くの人が迷惑するんだよ。
(犬捨男) ほら、それだ。またその「迷惑」ってお決まりのへ理屈だ。西鶴さん、あなた頭が平和でボケてるよ。あんたの言ってることは本当にへ理屈だ。へ理屈なら頭の悪い政治家でも言えるんですよ。「迷惑」って何か考えたことがあるかい? そんなこといってるわりに「命は地球より重い」なんてバカなことを言っている。あんたの理屈でいえば迷惑は命より重いのかい?
誰もが中流ではないんですよ。神戸の震災の時にあなたも見たでしょ。加古川の河川敷のトイレで震える2匹の犬を。私にはわかるよ。泣きながら犬をあそこに置いてきた飼い主の気持ちが。犬を捨てたんじゃない、犬を置いてきたんだ。そう自分に言い聞かせてね、泣きながら犬を置いていったんだ。人間としての常識的な生活をしなければならない世の中を呪いながらね。
ところがあなたはあの犬に何をしましたか? 見てみぬふりだ。なぜ保護しなかったの?
(西鶴) それは、あのころは県営住宅に住んでいて犬を保護する余裕がなかったんだよ。
(犬捨男) 言い訳ですね。あなたは現実に県営住宅で自分の犬を飼っていたでしょ。あなたより飼うのが困難な人があの犬を捨てたんだよ。 それにあなたの理屈でいうならほかにも選択肢があったんじゃない? 私は知ってるよ。あなたは本当は抱え込みたくなかったんだ。じゃまくさいと思った。つまり自分だけ平和ならよかった。かわいそうだと思ったけど、見なかったことにしたほうが楽だった。ちがいますか? あなたも犬を捨てた人もたわいもない人の生活をしたかったんだ。そこにどれほどの違いがあるというんだい? あなたが善人で犬を捨てた人は悪人だって本当に西鶴さんは思っているんですか?
(西鶴) だったらどうしたらいいんだ? 抱え込むことで自分の生活が壊れてもいいというのか。犬を捨てるのを喜んで受け入れろというのかい? それなら犬を捨てるあなたはどうなんです。
(犬捨男) すぐにそれだ、責任云々と言い出す。常に他人が悪者でなければならないのかね? 私は責任の所在を追求しているのではないんですよ。あなたがあの犬たちを見て見ぬふりをした心は、犬を捨てる人たちの心と同質のものだといいたいのです。
犬を捨てる人にもいろんな人がいますよ。本当に生活に困って犬と一緒に住めなくなった人や、それから…
(西鶴) ちょった待った! 本当に困っても犬は捨てられないと思うよ。
犬は家族みたいなもんでしょ。
(犬捨男) 話を止めないでくれますか。あんたが困ったといってる状況とは次元が違うんですよ。だから平和ボケだというんだ。まあ、いいや、きっとあなたには想像もできないでしょう。昔は、食うに困って自分の娘を売りにだしたこともこの国の歴史の裏にはあったんだけど、歴史の上ではそんなイヤなことは見なかったことにしているからね。まあ、生活苦でなくても簡単に使いふるしたヌイグルミみたいに犬を捨てる人はいるけど結局同じことですよ。
つまりは自分の幸せなんていう蜃気楼みたいなものに固執するから犬を捨てるんだよ。散歩の時間がじゃまくさいとかね。しつけもせずに「吼える」とかね。 私は世の中の暗い部分を歩いてきたから、わかるんですよ。だから犬を行政に押し付けられない。殺されることより、少なくてもいいから生き延びる可能性が高いように公園とかに置いてくるんだ。それによって世の中が被る迷惑なんて人間の罪滅ぼしの一部にもならないよ。
(西鶴) なにを言ってるんだ。あなたがその罪の原因を作ってるんじゃないか。犬を捨てることは罪だろう。
(犬捨男) 犬を飼うことが罪なのです。犬とは暮らすもので飼うもんじゃないよ。あんたは本当はそのこと知ってるんじゃないかと思ったけど、私の勘違いだったのかな?
問題は犬を飼うという人間本意の社会通念が形になってあらわれたのが捨て犬問題なんですよ。そして私はその社会の悪のいけにえですよ。
西鶴さん。捨て犬するなとか、犬は最後まで飼えとか、そんなことは子供でも知ってるよ。でもね、捨て犬は全国ですごい数がいるんだ。そしてその多くはガス室で殺されている。なんで捨て犬がなくならないかを考えたことがあるかい?
それを考えないと話しにはならないよ。イイ子ぶっても、あんたもいつ犬を捨てる立場になるかわからないんだよ。
だって表面のイイ子ちゃんの心が犬を捨てる心なんだからね。
もう一度言いましょうか。あなたはすぐに言葉の呪縛に捕らわれて忘れるからね。
犬を飼う以上、捨て犬はなくならないよ。経済の仕組みが変わらないと環境破壊がなくならないのと同じくですよ。捨て犬は、人の社会が生み出したものなんです。人の社会の肥溜めなんだよ。それを捨てる人間をつるしあげることであなたがたは善人づらして生きてるんだ。犬を飼うのは罪なことなんですよ。犬とは暮らすもんなんだよ。

(続く) (2000/02/25)

(兵庫県・K.Nさん)

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