有料ホームの犬たちは幸せか?
有料ホームの犬たちは幸せか?
老犬ホームとして日本に存在するのは、北海道盲導犬協会のリタイア犬の施設だけです。
しかし、飼えなくなった飼い主さんが有料で愛犬を託す場がありました。実際に見学したわけではありませんので実状を知ることは出来ません。SPCAとか動物愛護団体が運営しているものではありません。
月々の費用はもちろんかかります。また必要な医療費は実費で飼い主さんに請求されるようです。ただ、飼い主さんと別れて暮らす犬はどう感じているでしょう。
犬にとっての幸せって何でしょうか? (LIVING WITH DOGS)
Hさん:
以前、掲示板で老犬ホームのことが話題になっていましたね。
偶然、老犬ホームではないのですが、飼育できなくなった犬を有料で引き取って世話をするHPに行き当たりました。ご存知ですか?
そこの経営者の方が、どういうPOLICYで運営なさっているのか…私には充分に把握できませんでしたが、精一杯明るく作られた画面を見てもどうしても気持ちが晴れませんでした。
LIVING WITH DOGS:
Hさんの情報でWebサイトを探してみました。3件ありました。埼玉、小田原、小樽と、内情はホームページだけではなんとも言えないんですけど。
Hさん:
様々な事情があって飼い主に手放された犬たち。画面を見る限りでは、15歳以上のかなりの高齢犬も多かったです。小型犬は屋内、中大型犬は屋外で飼われていました。僅かな委託料? で引き取られた犬たちは充分な健康管理をしてもらっているのかしら…。大丈夫なのかしら…。
LIVING WITH DOGS:
愛犬を手放すのに、このような場所を選ばなければならなかった飼い主さんの気持はどうなんでしょうかね。
ほんとにそうですね。入所させる飼い主さんはというと。充分な事前知識がなく飼い始めてしまった。老犬となって面倒を見れなくなってしまった。引っ越しの為飼えなくなった。
理由は様々でしょう。中には無駄吠えがひどくて手放したという理由もあるようです。
Hさん:
何より、個人が家族だけで運営しているそのような場所が立ち行かなくなった時、所謂劣悪な多頭飼育現場(犬の放置所)のような状況になりはしないのでしょうか?
600坪ほどの敷地に基本的に昼間は放し飼いにして、喧嘩による怪我も保証はしないと明記している施設に犬を託す、託さざるを得ない飼い主の心情はどのようなものなのでしょう…。犬は?
LIVING WITH DOGS:
まったくその通りですね。このような場所は、運営者の生活が成り立たなくなったら即社会問題となるでしょうね。主催者が病気になったら? 年老いて面倒を見れなくなったら?
山梨の「犬捨て山」と同じような状況となりかねませんね。山梨のケースは、ある男性が、可哀想な犬を引き取ったことから次々と持ち込む飼い主が増え、勝手に置いて行かれたり、どんどん増えていき、あげくの果て、なかで繁殖し増えていきました。
まあ、3件のサイトでは去勢手術を施しておりますので、中で増えることはないようですが。
Hさん:
どうしても気持ちが晴れません。何だかグチになってしまいました。
我が愛犬は今日も隣で丸くなってイビキか寝息か…安心して眠っています。年をとっても、病気になっても、懸命に介護したり看病したりしてもらえる犬たちはやっぱり幸せです。
LIVING WITH DOGS:
飼い主が有料で預けても、捨てたとことと同じだと思います。保健所よりましと思うのでしょうか?二酸化炭素による死よりはましかも知れませんが。
でも、私が不治の病になりこの子の面倒を見れなくなったら、人に託す前に、愛犬に私の腕の中で死んで貰います。傲慢でしょうか? 愛する人に捨てられて、余生を過ごさせるよりもと思うからですが。
幸せな子、不幸せな子、紙一重ですね。
まずは、個々人が、愛犬と共にかけがえのない幸せを築いていくこと。愛犬の生涯を全うさせること。
Hさん:
私のモヤモヤした気持ちをすっきり言い当てていただいたようで、うれしいです。
[愛犬の生涯を全うさせること]…これに尽きると思います。
全てのことには表と裏があるのでしょうが、狂乱に近いペットブームの中でどれだけの命が軽視されていることかと悲しくなります。
知識は膨大になり、情報は氾濫し、マーケットは際限なく拡大されていくなかで、今私達の手の中にいる一匹の犬の命を預かることの重要さと困難さをもう一度考えることが出来たならと思います。
何と多くの情報に煽られ、何と多くの抑えがたい欲望に振り回されていることか。『犬のいる生活』にあこがれて、犬を飼い、自分の生活上の理由で継続できずに犬を捨てるのも、『犬のいる生活』にはまって、自分のキャパシティを過大評価して繁殖したり、際限ない多頭飼育に陥っていくのも根は同じ欲望(あるいはエゴイズム)のような気がしてなりません。若い飼い主世代が心配です。状況が許さない時には飼わない判断と、1頭を最後までまっとうする責任を、もう一度古びた飼い主が声に出して言わなければならないのかもしれません。
こんなに住宅事情・就業状況の恵まれない日本にあって、犬の面倒を最後まで見る余裕のある家庭は多くないはずだと思うのです。働きながら独身でどうやって年老いた犬を世話するのか? …2〜3年違いで何頭も飼育すれば、何年間老犬と共に過ごさなければならないのか? こういった離れ業を幸せにこなして行けるのはそれを許されるだけの極めて恵まれた環境にあって、尚且つ可能にする努力を怠らない一部の方だけなのだと思うのです。
人生が安定して、少しでも先が見通せる時にやっと念願の犬を飼えるようになり、そうして出会えた犬を大事に最後まで飼うことには大きな喜びがあるはずですよね。少なくとも私の世代はそうでした。いつか、犬を飼えるような生活をすること、に憧れました。そのために我慢も努力もしたのではないでしょうか?
「お留守番もできますよ〜、大丈夫ですよ〜」とペットショップの旨い話に乗せられて、ガラス越しに欲望を抑えきれずに『ご購入』なんてお手軽さは許されるべきではないでしょう。
LIVING WITH DOGS:
まさしくその通りです。安易に購入できる場がある限り、このような生涯を全うできない犬達はまだまだ後を絶たないでしょうね。
Hさん:
捨てられる犬のために募金をすることも、里親募集に奔走することも、犬を愛する私達の心を大いに慰めてはくれますが、もし、足元に危うさがあれば、それは所詮、笊で水をすくう程度のことにしかならないと思います。
LIVING WITH DOGS:
蛇口を閉めない限り、捨てられる犬を防ぐことは出来ないと思っています。
Hさん:
飼えない時には飼わない。犬ではなく自分の生活をまず、冷静にみつめて、許容範囲を越えない。こんな当たり前のことを声を大にして言わなければ…不毛な追いかけっこですね。それぞれが、せめて、今側にいる1頭を『最後まできちんと』飼うことを実践して、示していくことこそが、動物と共存していく社会の足元を確固とする最初の一歩だと思います。私たちの社会はその一歩をちゃんと踏み出しているのでしょうか…。
LIVING WITH DOGS:
まだまだだと思います。やっと少数の人達が気がつき、動物愛護法をつくったり、また改訂をすすめていこうと努力し始めたところです。ドイツも、英国も、かつては日本と同じような捨て犬、虐待の時代もあったのですが、動物愛護が確立してきました。
日本の動物愛護はやっと気づいたという段階でしょう。
このようなホームが必要とされている社会の状況を、まずは根本から見直していく必要がありますね。
(2003/05/20)(東京都H.Uさん & LIVING WITH DOGS)