ある老犬との暮らし [12]創りたまえしもの
[12] 創りたまえしもの (1999年9月)
今年は、タロの好きな秋がなかなかやって来ません。いつまでも高温多湿で人間の方も参ってしまいます。でも、タロはお陰様で食欲も散歩欲も旺盛です。ただ、歩き方のぎこちなさには、それを見るとほんとに気の毒になります。ところが、本人(犬!)はなんの恥じらいもなく、毎朝よろよろと、好きな方向に歩いて、皆さんの注目をもらっています。以前は、恥じらいと言うものを確かに持っていたと思うのですが。
今のタロは、次の物語の中の丁度「猫」に該当するような気がします。私はこれを読んで、自分が日頃、(飼ってはいないのに)猫と言うものをなにかしら畏敬の念で眺め、でもやはり犬を文句無しに好いて来たことを妙に納得したものです。
そして、その「猫」の中に今のタロを発見した気がして、変に感心してしまいました。
「そこで、神はペットを創られた」 最近発見された旧約聖書の創世紀の一章に、「ペットは何処から来たの?」への答が載っていたんだって。それはね…。 そして、神はアダムの友として新しい動物を創られました。その動物は良い動物でした。それに神は満足されていました。その新しい動物もアダムと共に居ることを喜び、そのしっぽを振るのでした。 そこで神は言われました。「ノープロブレム!。私はこの動物をお前への私の愛の反映として創ったのだ。だから、このものの名前は私の名を反映したものにしよう。そこで、(GODを反転して)DOGと呼ぶがいい。」 かくて、犬はアダムと共に生きて、その友となり、彼を愛しました。かくて、アダムは満足しました。それに神も満足されていました。 しばらく後、アダムを守護する天使が神のところにやって来て言いました。「神よ、アダムは慢心してしまっています。彼は、まるで孔雀のように気取って歩き、格好を付けてばかりいます。自分が崇拝に値するものとばかりに思っています。まったく犬めが彼を駄目にしてしまいましたよ。」 そこで神は言われました。「ノープロブレム!。では、彼に友達を創ってやろう。それは永遠に彼と共にあって、そこでそれは彼の彼たるをそのまま見透すだろう。それは、彼をして、彼の限界を自ら知らしめ、自分が常に崇拝に値するとは限らないことに気付かせるだろう。」 そして、神はアダムの友として猫を創られました。猫はアダムの意のままにはなりませんでした。そこで、アダムは猫の目を見つめました。そこで彼は、彼がもはや王様ではないことを悟りました。 そして、アダムは謙遜と言うことを学びました。そのことを神はお喜びになりました。 |
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