迷子犬を探して!(高知県)

迷子犬を探して!(高知県)

一緒に遍路中、愛犬が迷子になったそうです。どうにか見つかると良いですね。高知県の皆様、是非ご協力をお願いします。(2006/5/3)(LIVING WITH DOGS)


遍路の”相棒犬”捜索中 大阪府の上原さん

亡くなった奥さんの供養のため、大阪府の上原照英さん(71)は愛犬「ちび」と一緒に四国遍路を続けていた。ところが先月中旬、県内を遍路中にちびとはぐれてしまった。上原さんは「ちびは家内の忘れ形見。見つかるまで捜す」と、今も須崎市内の駐車場で軽乗用車内に寝泊まりし、ちびが戻ってくるのを待っている。ちび、どこでどうしとん――。
上原さんとちび(雑種の雄)は今年3月、大阪府豊能町の自宅から車で遍路旅に出発。徳島県の一番札所・霊山寺から遍路を続け、4月18日ごろ、室戸市に入り、土佐市宇佐町の三十六番札所・青龍寺まで進んだ。
19日午後1時ごろ、上原さんは次の札所、高岡郡四万十町の岩本寺を目指し、いつものようにちびを後部座席に乗せ出発した。ところが、岩本寺に到着して後ろを確認して驚いた。いつの間にかトランクのドアが開いた状態になっていて、ちびの姿が見えなくなっていた。

「なんで、トランク開いてんの。それより、ちび、どこ行ったんや…」

上原さんは岩本寺周辺を駆け回った。手をたたいたり、声を上げて捜した。土佐市までの道を車で戻って捜したが、ちびの姿はどこにも見えなかった。土佐署と須崎署に届けた。
実はこの直後、ちびと上原さんは再会できるチャンスがあった。20日ごろ、高岡郡中土佐町久礼付近で高幡保健所員が首輪とリードがついたままのちびを捕獲した。が、少し目を離したすきに、ちびは首輪から抜けて逃げてしまっていたという。

「ちびは小さいころ、保健所で処分されそうになったことがあった。その時のこと思い出して、必死で逃げたんじゃろうなあ」。上原さんの元には、ちびの首輪などだけが残された。
ちびと上原さん夫婦の出会いは6年前。近所の子どもが「飼ってくれませんか」と子犬を持ってきた。名前は妻の志げ子さんが「小さいから『ちび』」と決めた。病気で左半身が不自由だった志げ子さんは、それまであまり外出することがなかったが、ちびを飼い始めてからは手押し車を押して、ゆっくりながらも、ちびを連れて散歩するようになった。

「家内はちびを本当にかわいがった。飼い始めてから驚くほど元気になって。ちびは家内と歩く時、どう回ろうが絶対、車道側を歩いた。体、悪いこと分かっとったんじゃろうか。ほんま不思議な子やった」

昨年3月、つらい出来事があった。志げ子さんが脳梗塞(こうそく)のため82歳で逝った。
「家内がのうなって、ちびも元気なくして。ご飯も食べんようになった時は、家内の後を追っていくんじゃないかと」。その後、元気を取り戻したちびと上原さんは、志げ子さんの一周忌の供養で夫婦の思い出の地、四国遍路に出掛けることにした。

上原さんが志げ子さんと出会ったのは四国遍路だった。上原さんが初めて遍路をした昭和32年、一番札所で雨宿りをしていた時、「女性の2人組も雨宿りに来て、その一人が『一緒に行きませんか』と。それが家内やった」。一緒に遍路をするうちひかれ合い、1年後、結婚した。

志げ子さんが亡くなる約1カ月前にも2人は遍路に出た。足摺岬まで行ったが、天候が悪く、志げ子さんの体調も思わしくなかったことから途中で引き返した。
「今度はちびと一緒に回りたい」。帰宅後、志げ子さんが言った。ちびはその遍路では友人に預けていた。
「ちびと一緒じゃないと家内の供養にならん。ほかの人が見たら、ただの汚い犬かもしれん。けど、家内がいなくなってから、私にとっては唯一の宝。ちびが寂しい思いをしとると思うと、なかなか寝付けん。何とか見つけたい」。上原さんは泣きながら、祈るように言葉を絞り出した。
ちびは体長50―60センチほど。体毛は茶色で長い。心当たりの人は最寄りの警察署か保健所、または上原さん方(072・738・1400)まで。
(2006/5/3)(高知新聞記事より

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