愛犬の突然の交通事故


愛犬の突然の交通事故


ある日、突然、もしも愛犬が交通事故にあってしまったら! あなたはどうされますか? 愛犬を交通事故にあわせてしまった自分を責め、これからの介護に途方にくれるのではないでしょうか。
愛犬が交通事故で半身不随となってしまった飼い主さんから、お便りがありました。飼い主さんは、ふと安楽死を脳裏によぎらせましたが、その思いを乗り越え、勇気を持って前に一歩踏み出したのです。
そして愛犬とのより深い絆が出来てきました。介護はつらいと思ってするよりも介護を楽しむ。そんな風にしていきたいものですね。愛しい命の為に。(LIVING WITH DOGS)


2001年の大晦日、あと数時間で年が明ける…そんな暮れのおしせまった時でした。突然の不幸が起こりました。
散歩中に私の不注意からゴンが交通事故にあってしまったのです。
住宅街の中で、そこに住んでいる人達の車の出入りの時くらいしかめったに車が通らないことと、いつもの散歩コースでした。
その日は忙しくてかまってやれなかったのと私の体調が良くなかったせいもあっていつものようにいっしょに走るのが辛くてゴンには「ゆっくり歩いてー!!」と話しながらお散歩をしていました。
ゴンにとっては、待ちわびた楽しいはずの散歩なのに、私と歩調が合わないことに不満そうでした。その道をまっすぐ、15メートルほど行くとゴンと一緒に生まれた兄弟のカイの家がありました。いつもカイに会いにいくのが日課だったので…。「んぢゃー先にカイのとこに行けばぁ?!」とリードを放したのです。
ところがいつもならまっすぐに走っていくのにその日に限って横道に入ってしまいました。

ゴンは私とおっかけっこしたかったのかも知れません。でも、体調の悪い私は付き合うどころではなくて、「先にいくよー!!」って言いました。ゴンが慌てて追いかけてきたとき、正面から4WDのワゴンが来たんです。「危ない!!」と思って振り返る私の横を通り過ぎてワゴンがゴンにどんどん接近しているし、ゴンを捕まえなくては…とあせる一方で、肝心のゴンはというと、主人の車がお迎えに来てくれたとでも思ったのか、嬉しそうに車に駆け寄っていくんです。
ディーゼル車のエンジンの音はゴンの耳にはパパのお迎えの音なんです。「ダメっ! 危ないー」と思わず叫んだことで、驚いたゴンは、道の真中で固まってしまったのです。

駆け寄ってゴンを抱き寄せている私の頭の上から窓越しに「生きてるか?」と4WDの人は声をかけてくれました。「はい!」と答えるのが精一杯でした。
突然飛び出した犬の方がいけないのですから、相手の方を責めることもできません。あと数時間で、新年というあわただしいときに係わり合いになりたくないという気持ちもわかります。

結構用心深い私は、普段なにかあってはいけないからと携帯電話や財布・飲み水など一通り持って出かけているのに、この日に限って何も持たず出かけていました。

血だらけになったゴンを抱いて泣きながら歩いたあのときを思い出すと、いまでもなんてことをしてしまったのか…?! と悔やまれてゴンに申し訳ない気持ちになります。17キロのゴンを抱いて家に帰るのは大変で、力尽きた私は、家に帰る途中にある伯父の家に駆け込みました。

何せ、大晦日です。開いている病院をどうにか探してもらってゴンを運んで診察してもらいました。大量の出血はお尻からのものでした。
車に轢かれた際、驚いたゴンは路面に座り込んでしまい、そのままの姿勢で引きずられたようでした。
いまでも肛門の周りには毛がありません。肛門も括約筋は残りましたが表皮は無い状態です。

その日は医師から簡単な手当てをしてもらい家路につきました。
医師に「レントゲンとか手術とか検査とかはしないんですか?」とたずねたところ、「今の段階では何もしようが無い」とのことで、私も足の骨折で立ち上がれないものだと思っていました。
これからどうすればよいのかたずねたところ、一晩たって朝生きていたら内臓は大丈夫だろうとのことでした。「明日生きていたら又診察してあげるので、来なさい。」そんな内容の返事でした。

次の日、元旦です。なんとか生きているゴンを抱いて同じ病院を訪れました。ようやくレントゲンを撮ってもらい脊椎の骨折だとわかりました。

反射神経が残っているので、後ろ足を引っ張ると足をわずかに引くので、神経は切れていないから安静にしていればそのうち骨折が治れば歩き出すとのことでした。
それから毎日お尻の傷の消毒と痛み止めの注射と点滴の処置のため三が日の間通ったのです。
なんとなく診察と治療に釈然としなかった私は、いつも通っていた病院が開くのを待ち、4日に主人とゴンを抱いていつもの病院をたずねました。

そのときの私達はここで手術をしてもらったら「きっとゴンは良くなる…」という期待で一杯でした。

問診・血液検査・色々な角度からのレントゲン撮影。今まで受けていた治療はなんだったのでしょう。そして、検査の結果は、ゴンの神経はすでに切れていたのです。
そして、手術は、受傷後48時間以内にしなければ効果はないことを告げられました。私達は絶句し泣きました。すべては自分の不注意と無知によるものです。あまりの落ち込みように医師も手術の可能性を探そうと言ってくれました。大学病院の有名な医師や動物の外科専門医など…しかしやはり返答は芳しいものではなかったようでした。

今思えば、最初の獣医さんだけではなく救急病院にも、連れて行ってあげていたら…。と、悔やまれることばかりですが、いつもお世話になっていた病院が休みだったし、そもそも事故に遭うまえのゴンはいたって健康で予防注射や去勢手術以外で訪れたことのない所だったのです。
私自身動物病院というものを良くわかっていませんでした。

事故の時、ゴンは9ヶ月齢でした。
獣医さんは、「ゴンちゃんは若いのでこのまま下半身麻痺の状態でも外傷さえよくなれば元気になれます。なんとかがんばりませんか?」と。
しかし、なかなか現実を受け入れることができませんでした。
毎日安楽死のことを考えながらの介護生活に眠れない日々、そんなときこのサイトを担当医から紹介されたのです。
ずいぶんと励まされました。みんな頑張って生きている。そして生活を楽しんでいるんだから…私達もゴンとの生活を楽しもうって! しかし、現実はなかなか大変なものでした。

今ではトイレの問題も解消しているし、ゴンも下半身が不自由なことを除けば今までどおりのヤンチャで食いしん坊で甘えん坊なかわいい家族です。

事故直後はお互いにどうしてよいのかもわからず、介護という文字が頭の上に重くのしかかっているようでした。まずトイレ。おしっこが出ないのです。膀胱が満タンになると、ちょろちょろとあふれた分だけでる。これも最初かかっていた病院では、歩けないのでその場でするしかないからだろうとのことでしたが、トイレの感覚がないのです。そのままもしその病院に通っていたら膀胱炎や尿毒症にかかっていたかも知れない。当たり前のことですが、普通におしっこが出ないと、命にかかわることもあるのです。うんちは感覚はありませんが、だいたい時間がくれば出るし、出るときは尻尾が上がるので判断できました。

でも元気だった頃のゴンはトイレは散歩中か家の中に居てもドアを開けるよう催促して庭にするのが習慣でした。

怪我をして一日中家の中で動かない体を引きずっては倒れ又起き上がっては倒れ、糞尿を撒き散らす。そばに居るときはいいのですが四六時中見ているわけにもいかないので、犬用の紙オムツを使用しました。しかし、費用がかさみます。10枚1500円程度。毎日の通院代に加えての出費、そこで、犬用のトイレシーツを尻尾の穴をはさみで開けてオシメのように巻きつけセロテープでとめてみました。

おしっこは毎日お尻の傷の消毒とステロイド注射のため通院があったのでそのときにカテーテルでの導尿をしてもらっていましたが、導尿も医師にしてもらうと高価なため、カテーテルの留置をお願いし、注射器をもらって家で抜き取る、といった感じでしばらくすごしました。

通院回数も徐々に減ってゴンの怪我も落ち着いた頃、担当医の医師から導尿の指導を受けました。それ以来導尿は自分で毎日朝・晩2回やっています。ゴンも心得たものでカテーテルとコーヒーの空き瓶を見ると横になって待っていてくれるようになりました。うんちのほうは、トイレシーツをしばらく使っていましたが、吸水力があまり無いのと、ブルーのインク? が漏れて色々な所が染まってしまい困るので、今では子供用の履かせる式の紙オムツに尻尾穴をあけて使っています。そのまま履かせるだけでは動くと脱げるので子供用のサスペンダーで首輪とパンツを止めています。犬の介護用のサスペンダーも試してみましたが、脱げないのですが、ゴンは元気に動き回るため、首にサスペンダーのゴムが食いこんで皮膚が擦り切れて大変でした。

犬の介護用品や生理用品がいろいろと出回っていますが、すべてがその子に合っているわけではないのですね。もっとたくさんの情報や商品があれば…と願っていますが、高価な物も多いし、自分で工夫することを楽しむことも必要だと思いました。

最近では私達のお下がりでかわいいオムツカバーを縫っています。この半年間泣いたり笑ったり悩んだりめまぐるしい日々でしたが、ゴンが居てくれてやっぱり良かった。大変なこともあったけど、たくさんの人に励まされて助けられてゴンのおかげです。

まだまだも問題もあるけれど、一緒に楽しく暮らそうね。でも、やっぱり今でも治せるものならもとの身体にしてあげたい。そして、この世に居るわんこ達が、ゴンのようにならないことが願いです。

それと、もしゴンのようになってしまってもどうか家族の一員であることを忘れないで欲しいです。身体が不自由になっても、私達を愛してくれている気持ちに変わりないのですから。
(2002/06/11)(大阪府、N.Mさん)

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ